2018年9月のアーカイブ

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第9回 忘れられないエピソード

 

 

こんにちは!朝倉千恵子です。

 

高井先生のブログに登場させていただき、

早いもので9ヶ月が過ぎました。

 

今年は人の命までも奪ってしまうような、

大変な自然災害がここ数か月の間に集中して起きています。

 

暑い夏が終わっても、被災地の皆さんは不安の中で生活をし、

復興復旧も時間がかかっています。

 

地球全体の怒りのようなものを強烈に感じています。

 

私の実家は大阪府貝塚市ですが、

先日帰省をした際、現場を目の当たりにして驚きました。

 

両親と一緒に毎年見ていた桜の木が

何本も倒れていたり・・・

 

なんとも切ない気持ちになりました。

 

被災された方々に一日も早く平穏が訪れますことを切に願います。

 

今回は私が高井先生とのご縁を頂いてからの15年の中で、

もっともインパクトの強かった出来事を3つ書かせていただきたいと思います。

 

1つ目は、

「シルクロードへの旅」に一緒に行かせていただいた時のこと。

 

ラクダに乗って砂漠を移動中。。。

ふと、高井先生の方を見ると、

 

なんと!!

高井先生がラクダに乗って携帯で、

スタッフに指示を出していらっしゃいました。

 

スタッフの方は日本にいて、

何万キロも離れたところから仕事の電話。

 

そうか、、、今は砂漠でも電波が届くのか。。

世の中は変わったな。。。

 

世界中どこにいても仕事ができるんだ。。

と強烈に印象付けられたエピソードです。

 

シルクロードへの旅。

時代の流れに乗って、

当時66歳の高井先生が、最先端のやり方で仕事をしている姿は

 

「やっぱり高井先生だな」と

感じさせるものがありました。

 

とはいえ、まさか。

砂漠のラクダの上で電話をするとは。。

 

1分1秒を大切にされている

高井先生の姿勢は存じ上げておりましたが、

私は驚くと共にあまりにもその絵が可笑しくて

吹き出しそうになりました。

 

色々な意味で

忘れられない出来事です。

 

2つ目が、驚異の記憶力です。

ある日、私が高井先生とご一緒していたときのこと。

 

高井先生は携帯電話を取り出して、

いきなりダイヤルを回しはじめました。

(今の時代、ダイヤルではないですね、、)

 

090・・・

 

ピコピコピコ

 

「高井先生、番号覚えてらっしゃるのですか?」

 

「覚えているよ・・・」

 

そう、高井先生は

電話をかける相手の番号を登録しないで

全て覚えてらっしゃったのです。

 

携帯電話の電話帳から取り出されるのではなく

何も見ないでいきなり電話。

 

すごい。。

 

そう言えば昔は友達の自宅の番号を相当覚えていました。

 

今はというと、

恥ずかしながら部下の携帯番号もほとんど覚えていません。

 

私は、便利になったことで

退化している能力も多いと感じる今日この頃なのですが、

 

「高井先生は進化はしても退化はないのかしら?

その頭の仕組みはどうなってるの??」

 

と心から思ったエピソードの一つでした。

 

最後は、昨年の出来事です。

 

当時私は右膝の半月板損傷で治療を受けていたのですが、

どんな治療をしてもなかなか良くなりませんでした。

 

痛みがピークに達していた時、

高井先生が鍼灸師を紹介するとおっしゃってくださいました。

 

それも

「紹介するから行ってみたら?」ではなく、

「行きなさい!」の一言。

 

返事はもちろん躊躇する間もなく

「はい!」

 

雨の降るなか、

傘を差し、駅から目的地に向かっていきました。

 

3台のベットがあるクリニック。

 

施術される先生はたったお一人。

受付担当もいない。

 

先生一人か、、、

と内心ドキドキ、、、

 

私は膝の具合を説明しました。

 

すると、その先生は

「3回で治します!」と断言されました。

 

え?

4ヶ月以上治療を受けても全くよくならなかったこの膝の痛みを

たったの3回で??

 

本当だろうか?

そんな事はあるのか?

とどこか疑心暗鬼な気持ちを持ちながら

針の治療を受けました。

 

なんと、その日の帰りには10の痛みが3に!

そして先生がおっしゃったように、

3回で見事によくなりました。

 

その主治医の先生がおっしゃるには

 

「治療も相性があります。

朝倉さんは高井先生と相性が合うから僕とも合うと思います・・・」

 

なるほど。

確かに。

 

物件と恋愛は一目惚れが一番と言うエピソードもありますが、

治療も同じなのですね。

 

お陰様で見事によくなりました。

 

最後に私がその先生に

「なぜ高井先生と私は相性が合う思われたのですか?」

と聞くと

 

「合わなきゃ紹介しないでしょ・・・」

とのこと。

 

その通り!

 

高井先生からのご紹介は

きっと本能・直感で相性も見てくださっているのかな?

と思えるほど素敵なご縁が本当にたくさんあります。

 

親身になって相手に寄り添う。

 

他人事ではなく、自分事として直ぐに動いてくださる。

 

営業力・影響力・コミュニケーション力・人間力の

圧倒的な違いが成せる業なのでしょう。

 

いつも本当にありがとうございます。

 

高井先生の驚異の仕事術に感心しているばかりではいられない、

私ももっともっと精進せねば!

 

と毎回思うのですが、

やはり次に会うとまた驚かされてしまうのです。

 

高井先生のブログの連載もあと3回、、、

次はどのエピソードを書こうかな。。

 

是非とも最後までお付き合いくださいませ。

 

株式会社新規開拓
代表取締役社長 朝倉 千恵子

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「仕事人のための接待学」第4回 高井伸夫

 「飲食」の本質とは

日本経済新聞(夕刊)連載 1998年5月4日掲載

 

結婚披露宴では、一通りのあいさつと乾杯が済んだ後は宴席となる。これには一体、どんな意味があるのだろうか。

結婚は三三九度の杯で始まるが、それは同じ杯でお酒を酌み交わし、終生を誓い合うという象徴的な儀式だ。披露宴も招かれた客が待合室でお茶を飲んだり、アルコール類を飲んだりすることから始まる。お茶を飲むことがどんな意味を持っているのか。

聖書の有名な場面に「最後の晩餐(ばんさん)」がある。キリストと十二人の弟子たちが、共にワインを飲み、共に食する。ここでもまた、飲食の場を信頼関係を確認する儀式としており、飲食を共にすることが人間関係、信頼関係の基礎であることを暗示しているのである。

古(いにしえ)においては、毒味をして、同じものを飲んで、お互いに信頼し合う関係を確認していたのであろう。

中国の宴席では、まず、主・客の杯になみなみと酒が満たされ、主が底の一滴まで飲み干し、再び注がれた酒を一同で「乾杯」し、これの繰り返しで宴いよいよたけなわとなるが、これも「この酒には毒など入っておりません。安心して召上がり下さい」といった意味がこめられていると思われる。

このような接待の意味するところからすると、例えばゴルフ接待の場合、ゴルフだけを共にして別れたのでは、接待の意味が半減してしまう。ゴルフの後、飲食を共にすることで、感動も接待の効果も倍加し、心を許し合うことに近付く。感動を共にする。すなわち共感こそが接待の本当の目的であると言ってよい。

さて、決定的な共感・共振を得るには、人間味という醍醐味(だいごみ)を味わうこと、味わわせることが必要である。それは自分をさらけだしてより本音で語り合うということであろう。そして談笑するに至ることが必要だ。それには接待を予習してかからなければならない。

接待に先立ち、相手方企業または本人の業績・経歴・当面の関心事・趣味・嗜好(しこう)について情報を仕入れ、接待の場を盛り上げる焦点合わせをすることがまず肝要である。

統一ある刺激は、数少なくとも、散漫な数多い刺激に勝るという原理原則が接待でも機能する。この予習の成果をTPO、アドリブで生かしていけば、より多くの本当の感動を相手に与えることができる。接待の場においても「理動」「智動」ではなく「感動」という熟語あるのみであることを忘れてはならない。

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第36回 上司の教育的役割(上)
(2009年12月21日転載)


高井伸夫弁護士は、上司は部下の人生そのものに愛情と責任を持って教育・指導に当たらなければならないと強調する。良い上司との出会いは、その後の人生を左右することすらあるからだ。部下との間の報告・連絡・相談を密にするとともに、「学び方」の学習に力点を置く必要があると訴えている。

 

上司の能力著しく劣化

「やってみせ、言ってきかせて、させてみて、ほめてやらねば人は動かじ。話し合い、耳を傾け、承認し、任せてやらねば、人は育たず。やっている姿勢を感謝で見守って、信頼せねば、人は実らず」(山本五十六元帥・1884~1943)。世に知られるこの言葉には、理想の上司像の要件が集約されていると言っても過言ではないだろう。

ここから彷彿とされるのは、部下との強い信頼関係で結ばれ、人としてのピュアな使命感を抱き、部下を的確に教育・指導・育成して次の世代へのバトンタッチを行い、組織の成長に着実に貢献する頼もしい上司像である。

しかし、現実にはこうした力量に恵まれた上司は少ない。このような上司であれば、パワハラ問題など起こるはずもないが、今の企業社会では、上司として当然の教育・指導を行ったとしても、上司と部下の間に確固たる信頼関係が築かれていなければ、パワハラと言われてしまうおそれがある。

日頃、私が人事労務問題を専門とする弁護士として企業のご相談に与る中で強く感じるのは、パワハラ問題に限らずあらゆる局面で、上司の上司としての能力が著しく劣化してきているということである。

 

あり得ない“全知全能”

上司の役割は多様であるが、本来的に果たすべき役割とは、ドラッガーが「何よりも経営管理者を他の人から区別するものは、教育的な役割の有無である」(ドラッガー著『現代の経営(下)』第27章参照)と喝破したように、およそ様ざまな局面で部下の教育をなし遂げるよう努めることである。

部下を人材として教育・育成し、企業の業績に資する働きを遂げさせ得る能力が上司になければ、企業の将来はない。ここに、終身雇用制が崩壊しつつある中で、企業のDNAをいかに伝承し企業の存続と成長を実現するかが重要な課題である今こそ、上司に求められる教育的役割について再認識すべきとなるのである。上司が教育的役割を果たすことは、部下の成長を促し、ひいては企業の力を強めることにつながるのである。

また、ここで言う教育的な役割とは、仕事のやり方だけに限らない。部下は上司の働きぶりを間近で見て仕事に対する姿勢や情熱を体感しながら自ずと教育を受けていることも考えると、上司は仕事だけではなく、人格や生き方全般において部下の見本となることで、教育的な役割を果たしていると言ってよい。

しかし、全知全能の神のような人間はあり得ない。著名企業のある女性管理職に、部下への指導で留意している点についてお尋ねしたところ、「①その場で叱る(後日では忘れてしまう。場所は選ぶ)、②くどくど言わない、③良いところをほめて伸ばす、④他の人からの評価を伝える、⑤常に言葉と笑顔をかける、⑥家族のことを気遣ってあげる、⑦自分の弱さも隠さず表し部下の成果を横取りしない」という極めて率直で有用なご回答を得たが、自分の弱点にも自覚的で正直な姿勢は、上司として持つべき大切な人間性であろう。

なお、部下の教育には時間を要するうえに忍耐力が必要であり、上司は教育のために自分自身の時間さえも犠牲にしなければならない。それは組織での仕事に伴うものであるから、何らかの「手当」で彼らを遇するべきであろう。例えば、税理士の小原靖夫先生が2001年から用いられている「役割貢献給」という名称は、組織における上司の教育的役割の意義を分かりやすく示す好例であると思われる。

良い上司との出会いは部下にとって一生の宝であり、若い頃上司に言われた教えが、その後の人生を左右することすらある。その意味で、上司は部下の人生そのものに愛情と責任を持ち、部下が職業人としてどのように歩んでいきたいのかをよく把握した上で指導しなければならない。

特に、専門資格者である弁護士は、一般的にセルフィッシュで功名心があり、排他的な傾向があることは否めない。私が日頃の業務の中で、どのようなことに留意して勤務弁護士を指導してきたかもご紹介しながら、上司の教育的役割について考察を進めよう。

 

基本的挨拶から始める

第1に、上司は部下に分かるように伝えるコミュニケーション能力を有していなければならない。そして、部下が技能や意識の面で上司の指導を受け入れる準備がどの程度できているかを考え、適切な量と質の指導を行うことを心掛けるべきである。

私は、この点を見極めるために、まず、「おはようございます」「お先に失礼します」「行ってきます」という基本的な挨拶をすることから始める。これに応答できない者は、そもそも上司の教育を受け入れにくい存在ということになろう。

また、限られた時間をやりくりして、私は30年以上にわたり部下から「報告・連絡・相談」を定期的に受ける場を設けてきた。毎週と毎月の始めに短時間でもヒザ詰めで話し、二言三言でも私が発言・助言をすること自体が、教育的役割を果たしてきたと確信している。「報告・連絡・相談」は、コミュニケーションの第1ステップであるだけでなく、互助と牽制と成長を実現する方法として最も簡便で分かりやすい方途である。

「報告・連絡・相談」を書面で受けた上司は、それに対してわずかでもコメントを書き込むことによって、部下に互助と牽制の意義を気付かせ、成長を促すきっかけを作ることになる。

私の場合、弁護士からの成果を上げた報告書等には「よかったネ!」「ご苦労さまでした!」「よろしく」等のコメントを直筆で書き込み戻すように心掛けている。こうしたプロセスを受け入れられない者は、組織の外にあるものとして評価せざるを得ない。

「報告・連絡・相談」は、組織におけるコミュニケーションの基礎であると同時に、マネジメントの要でもある。「企業は人なり」という言葉どおり、組織とは、人を組み合わせ、一体として存在し続けることに意義がある。コミュニケーションと「報告・連絡・相談」は、人と人との結束点としての役目を果たす方途に他ならない。その意味で、「報告・連絡・相談」を軽視する者は、組織の構成員たる資格がないと言っても過言ではないのである。

 

学び方の学習が必要に

第2に、上司は部下に学び方を学ばせなければならない。

私は部下の弁護士に対して、ひとつの案件ごとに判例・文献を十分に調査し、そのうえで少なくとも2~3種類の雛形を調べるように常々言っている。この指示は、先人や先輩の教えを学ばせることが眼目であるが、判例・文献等を模倣するだけでは進歩がない。より重要なのは、本人が疑問点を積極的に探究しようとする姿勢である。新しい考え方・感じ方をするためには、まず先人・先輩の考え方・感じ方を知り、その上で自分なりの新しさを生み出すことが必要になる。このプロセスでユニークさを持ちたいと強く思うことが、競争力をつける原点なのである。

学び方を学ばせるとは、自学自習で成果を上げる方法を教えることである。一番分かりやすい例はコーチングであろう。

コーチングの意義を端的に言えば、個人の特性を見極めて各々の性向に合った学び方を習得させるということになる。現に最近の学習塾は、クラス全体を指導する方式から個別指導の時代に移ったというが、これもまた、より効果的に学び方を学ばせるための実践策と言ってよいだろう。

努力家には努力家としての学び方、発想豊かな人には発想の仕方を学ばせるのである。これが最も効率的な学び方なのであり、学び方を学ばせるとは、千差万別の個性を把握しそれぞれに最適な導き方を実行することに他ならない。そして、ここにこそ“教師役”の難しさの真髄がある。

先生になる人は学問ができるよりも学問を青年に伝えることのできる人でなければならない。学問を伝えることは一つの技術であるという趣旨の言葉が内村鑑三の著作(『後世への最大の遺物』参照)

にあるというが、各自の個性を見極めてそれに応じた指導をする能力は極めて高度な辞技術と言えるだろう。

 

決して王道を外れない

こうして本人の資質に合った学び方を学ばせるに当たっては、何を学ぶべきかについても十分の吟味しなければならない。まず習得すべきは、どの分野であれ、“原理原則”的な事象であることが鉄則である。決して王道を外れてはならない。新しい発想は王道の上にこそ生まれるからである。

原理原則を学ぶとは、過去の実例を分析し、総括したものを確認することである。

何よりも重要なのは、本人自身が自分の頭で原理原則を追求することであるが、加えて、古典に親しみ古典に学ぶ姿勢を持たなければならない。古典は先人たちの思考の蓄積の産物であり、現代でも生命力のある原理原則を打ち立てたものだからである。

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Nobuo Takai

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