2019年1月のアーカイブ

<イッピン> 中村鳳仙先生「書」


<イッピン> 中村鳳仙先生 「書」

 

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―石はしる 垂水の上の早蕨の 萌え出づる春になりにけるかも―

 

一昨年、私の80歳の誕生日に開催した出版記念パーティで、来場者の皆様にお配りする記念品の作成を、書家の中村鳳仙先生にお願いした。

先生が書いてくださったのは、青葉の薫る季節にぴったりの、冒頭の志貴皇子による万葉集の歌であった。

流れるような美しい文字と緑のグラデーションが配された和紙が黄金の色紙に映え、とても爽やか。いただいた人を喜ばせる素晴らしい作品であった。

80歳の誕生日に、以前から尊敬していた鳳仙先生に、このような作品を作っていただけたことが、とても嬉しかった。

 

私が、中村鳳仙先生と初めてお会いしたのは、先生が20代、私が30歳の頃であったが、先生はその後、めきめきと頭角を現していった。世界で7回の個展が開催され、高い人気を誇っている。その受賞歴の華々しさは圧巻である。

 

鳳仙先生の作品は、大胆な構図で生き生きとした力強さがありながら、女性らしいしなやかさや繊細さも併せ持ち、観る者の心を打つ。

先生ご自身も、押しも押されもせぬ大家でありながら、いつも柔和でにこやかで、お会いすると、ほっとすることのできる素敵な方である。

 

私が仲立ちをして、講談社野間記念館に、山部赤人の歌「田子の浦ゆ 打ち出でて見れば 真白にぞ 富士の高嶺に 雪は降りける」を書かれた鳳仙先生の作品を寄贈いただいたことは、一美術ファンとして非常に誇りに思っている。

 

先生が、お体に気を付けながら今後も精力的に活躍をし、素晴らしい作品を生み出し続けていかれることを願っている。

より多くの方々に鳳仙先生の作品を見ていただくため、私も陰ながら応援し続けていくつもりである。

 

中村鳳仙先生のHP「鳳仙花」 http://hosen-nakamura.com/index.html

  • 今、話題のテーマについて各界で活躍している方々と対談をする一問一答形式のブログの第36回目です。
  • 第36回目は、山手通り鍼灸院  院長 川口博司先生です。

 


 

■ ■ ■ ■ 時流を探る~高井伸夫の一問一答(第36回)■ ■ ■ 
山手通り鍼灸院  院長 川口博司先生 
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[山手通り鍼灸院  院長 川口博司先生 プロフィール]

1968年7月14日生まれ。地元名古屋の私立南山中学校・高等学校を経て、1987年4月、順天堂大学体育学部へ入学。卒業後、東急リバブル株式会社に入社し、トップセールスマンとして新人賞を獲得するも、2年で原点の名古屋へ戻る。

店舗設計やデザインという営業利益率の低い業界の営業を学び働く傍ら、鍼灸の見識を深め、中和鍼灸専門学校 (愛知県稲沢市、現・中和医療専門学校)へ入学。並行して治療院でインターンを経験し、2000年5月17日、中目黒に山手通り鍼灸院を開業。トレーニング関係に携わり30年、鍼灸師として20年。2009年10月にTBS特別番組「オールスター感謝祭」の駅伝・マラソン企画にゲスト出場した、五輪女子マラソン初代金メダリストのJoan Benoit-Samuelsonの治療にもあたるなど、海外でも鍼灸治療の第一人者として知られる。

 

[今回のインタビュアーは以下の通りです]

  • 高井伸夫

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写真左が川口博司先生、右が高井伸夫 取材日撮影

(取材日 2018年12月22日(土)於:山手通り鍼灸院)

 


高井

順天堂大学で体育部を選ばれたのはなぜですか。

 

川口先生

食育、運動、ケアまで全部みられるスポーツ指導者・トレーナーになろうと思って進学しました。しかし、当時の日本ではトレーナーという職業が重視されておらず、学ぶにはアメリカに行かなくてはならなかった。かといって、アメリカに行って日本に帰ってきても仕事がない状態でした。大学3年生になる前の春休みに語学留学でアメリカへ2か月半ホームステイして、アメリカと日本との状況の乖離を知りました。

日本でトレーナーという職に就くのは時期尚早のようで、時代もバブルだったので、将来の自分の行く道はさて置き、社会勉強も含めてサラリーマンかつ営業の道を選び、東急リバブルに入社しました。自分で最初から最後まで全部一人でできる営業職というと不動産業が一番早いと思ったからです。

 

高井

鍼灸へチャレンジされ始めたのはいつですか。

 

川口先生

バブル崩壊もあり、一度リセットしようと名古屋に戻りました。店舗設計やデザインの営業として働く傍ら、開業出来るような資格を得て元来の「身体に携わる仕事」をしようと色々調べて鍼灸に辿り着きました。会社に勤めながら鍼灸の学校へ伺ったり鍼灸に携わるエピソードを読んだりして、3年が経つ頃、中和鍼灸専門学校(愛知県稲沢市。現在は改称し、中和医療専門学校)に入学し、鍼灸を学び始めたのがこの道のスタートラインですね。

 

高井

恩師について教えてください。

 

川口先生

誰かについて修行した事がないので、師匠と呼べる人はいませんが、名古屋に「将来こんな鍼灸師になりたい」と思う親子ほど歳の離れた先生がいまして、よくその先生の主催した勉強会に参加していました。

自身の怪我や鍼灸師としての経験は勿論、医療従事者に限らず人生で出会った方々から多くの事を学ばせて頂き、あらゆることを自分の中に取り組み、撹拌してオリジナルを作り出すのが、私の基本スタイルです。「鍼リテラシー」とでもいうのでしょうか。多方面から鍼を通じた知識・理論等を自分の中に解放して、技術から、ありとあらゆるその鍼に関するものを自分なりに噛み砕いて飲み込んで取り入れて、自分なりのスタイルを築いていく。日々、精進していかなければならない思いです。

 

高井

ご自身の怪我というのはどのようなものですか。

 

川口先生

学生時代ラグビーをしていたので。順天堂大学に在学中の右肩の脱臼と、社会人になってから膝の関節のクリーニング(関節に溜まった破片の除去)で手術を受けました。不注意で転んだりして骨折も何箇所かしています。

 

高井

色々な情報を仕入れて治療にあたっておられますが、一番の情報源は何ですか。

 

川口先生

その分野に特化した患者さんの話が一番リアルかもしれません。例えば衣料業界の社長から直に聞いた、デパートにおける自分たちの立場や全国の売れ行き。宗教関係の方だと、宗教に関する中々表に出てこない裏話。高井先生でしたら法曹界の話をオフレコで聞いたりします。これらはリアルタイムな情報だと思います。

 

高井

受付なども設けず、お一人で治療にあたられる理由を教えてください。

 

川口先生

患者様の電話の声、喋り方、来院された時の表情、姿勢、歩き方、癖、帰られる時も同じで、少しでも多く患者様のことを観察していた方が情報を多く集められ、治療に有効なのです。ちょっとした言動にもヒントが多い。

 

高井

治療の上での特別な技術はなく、ただ「勘はよく働く」と仰います。「勘がいい」というのは具体的にはどういうことですか。

 

川口先生

独り善がりではないひらめきです。自分で先に理論で考えて、そこに無理やり結果を結びつけるひらめきもありますが、それはなるべく避けたいので、直観で感じたものですね。

例えば治療で患者様から症状やお話を聞いて、パッと頭に浮かんだ原因の場所や病因がよく当たります。医療業界では一般的に消去法、スクリーニングテストを用います。思い浮かぶ病名を一つずつ検査し、最後に残ったものを「おそらくこれでしょう」と表現します。「これだ」とは中々決めつけられません。ところが私の場合は「これだ」と決めつけてかかるところがあります。そこが上手く当たっていることが多いので、勘がいいのだな、と。

 

高井

最近大当たりした例を教えてください。

 

川口先生

先日、ボルダリング中に足を捻って動かなくなってしまった方が、普段通っている理学療法士に診せたら「おそらく足の靭帯が切れているから、治療には鍼が良い」と言われたそうで、久しぶりに当院に来られました。でも診たところ靭帯が切れている感じがしなくて。何も根拠はないのですが、触ってみた感じと…これがまさに勘なのですが、「おそらくどこも切れていない、半月板の損傷だと思う」とお伝えしました。混雑でMRIを撮るのに3か月くらいかかるということで、やむなく勘を信じて4回ほど治療したら随分良くなりました。いざMRIを撮ったら案の定半月板損傷でした。もうほとんど回復したので、手術もしなくて済みました。

 

高井

施術の際は先生が患者さんとシンクロされるということですが、どのような効果が得られるのでしょうか。

 

川口先生

病状を踏まえた上で、患者様をあらゆる面で見て全体像を理解し、その体内に入り込む感じでシンクロさせます。私が鍼を刺すと同時に、患者様として刺されている感じを受けるようにします。体に乗り移った感じで施術すると、患者様との間に一体感が出て治療効果が上がります。

先程「勘」と申し上げましたが、シンクロすれば患者様の痛みがリアルに伝わってきますので、自分の感じたものを患者様の感じているものとして捉え、共有していきます。

このようなことを伝承するのは大変ですので、後継者育成はサボっています。

 

高井

1回の施術料金はおいくらですか。通常何回くらい施術されるのでしょうか。

 

川口先生

3千円から8千円です。症状にもよりますが、急性のものですと短ければ1回、慢性的でも3カ月ぐらい。ただ老化による変形、劣化とかの場合完全に治すのは難しいので、悪くならないように、という類のものですと回数は制限できません。

 

高井

1日の予約数はどのくらいでしょうか。また、どのような方が来院されますか。外国人比率やリピート率も教えてください。

 

川口先生

元々15人程で、前日、当日に数名入ります。政財界が2割、芸能マスコミが1割、外国人が2割、その他が近所、遠方からの一般人です。外国人はかつて多い時には3割を超えましたが、昨今の経済状況、また税法上の問題で、expat(≒駐在者)がシンガポールや香港に流れたので減りました。金融系のオフィスが移転していますよね。これも先程の「情報」として知ったことですが。

リピート率は弾き出すのが難しいです。1年後、5年後のリピートもあるし、リピートの必要性がない場合もあるので…半数くらいでしょうか。


高井

外国人というのはどこの国の方が多いのですか。

 

川口先生

国籍はアメリカがダントツで、フランス、イギリス、スペインなどヨーロッパの順に多かったのですが、最近はヨーロッパの方が多いです。中でも白人だけではなく、アジア系アメリカ人やアジア系ヨーロッパの方も多くいらしています。

当院に来られる外国人は、まず東京アメリカンクラブのメンバー、東京ローンテニスクラスのメンバー、調布にあるASIJアメリカンスクール、それからブリティッシュスクールの生徒・親御さん・先生で、基本的に高額所得者、富裕層の外国人です。必然的に優良企業に勤めている方、もしくは外交官が多くなるので、それで欧米の方が多いのかもしれません。いつかフランスかドイツの城の主が来て、「この城をどうぞ」って言ってくれないかなと期待しているのですが、まだいらっしゃらないです(笑)


高井

外国人患者の増加には何かきっかけがあったのでしょうか。

 

川口先生

東京勤務から独立したわけでもないので、2000年5月の開院当初、3カ月程は1日の患者数が1~3人、時々0人という寂しい状態でした。診療時間後に夜間営業をしている他のマッサージ店でアルバイトをして食いつないでいたところへ、当院の裏にたまたま住んでいらした、スカッシュの日本でトップクラスの女性コーチが飛び込みで来院されました。丁寧に施術しましたら長年患っていた腰の痛みが初めてきれいに治ったと大層感動されたんです。

当時、千代田生命が経営し、中曽根元総理等の著名人が多くメンバーだった高級スポーツクラブがあったのですが、ここにスカッシュをされている方が何人かおられまして、「あのコーチが良いというのならば」と当院に来られるようになったのです。

その中に東京アメリカンクラブのメンバーが何人かいらしたので、そこのスタッフが来院されるようになり、同クラブのメンバーが東京ローンクラブのメンバーだったり、アメリカンスクールのPTAだったりして情報が広まり、今に至っています。正確な数字ではありませんが、この女性コーチを発端に500人以上の患者様が来院されています。もしもこの女性コーチに好印象を持たれていなかったら、とっくに閉院していたかも知れません。

 

私は、この時の教訓「いつでも誰にでも全力で施術にあたる。」を肝に銘じています。そして、私はこういう方を「ビジネスキーパーソン」と呼んでいます。ビジネスに限らず人生において、多大な影響を与える「キーパーソン」は少なくとも3人には出くわすと考えています。それは身近な人かも、ずっと年下の人かも、また通りすがりの人かも知れません。キーパーソンかどうかは後で判明するので、先入観は捨て、いつも真剣に人と向き合わなくてはなりません。

 

高井

鍼灸院の営業活動はどのようなものがありますか。実際にされている営業活動を教えてください。

 

川口先生

インターネットの口コミサイトに掲載して、キャンペーンクーポンや、初回格安といった広告。あとはポスティング、駅前でのビラ配りでしょうか。

私の営業活動は開業日に新聞広告を1回入れたきりです。大手3紙の朝刊に3万部くらい。これを見て3人来院されました。ビラ配りなどは、私はかえって「苦労している」と見られて逆効果だと思っているのでやりませんでした。最初からは難しいですが、「広告しなくても十分混んでいる」というイメージに持っていくのが一番の営業方法です。営業活動をせずに営業できていること見せる。

実際は地道に実績を上げ続けるだけです。実績とは、患者満足度の向上です。患者様が期待していた以上の結果でなければ感動は生まれません。感動して頂けたら、その感動を誰かに伝えたくなるものです。良さを伝えるのは言葉ではなく感情なので、いかにその喜びと感動を多くの方に伝えて頂けるかが鍵です。期待していた以上の結果とは『こんなに早く良くなるとは思わなかった!』『こんなに楽になるとは思わなかった!』の2つです。それが達成出来たら、宣伝活動しないのが宣伝という風になるかなと思います。

 

目立った営業活動をせずに経営する秘訣は、誠心誠意患者様と向き合い、治癒という目的に真剣に立ち向かう事です。一般にはサービス業ですから顧客の満足を第一に考える事です。

2番目には、経営していかなくてはならないので、国内外の経済、政治、自然、科学、そしてエンターテインメント、スポーツまで多岐に渡って情報を仕入れ、トレンドから未来まで予想しながら、早め早めに心構えと対応を取っていくのが大切だと考えています。

 

高井

最後に、人生の目標は何ですか。

 

川口先生

治療において、勘と結果の整合性をもっと高めたいですね。イメージと結果を合致させたい。それが治療の正確性を高めますし、治療時間の短縮にもつながりますので。

 

高井

ありがとうございました。

以上

 

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 今年、高井伸夫先生のブログ「無用の用」に寄稿する機会をいただくことになりました。

 「あすか人事コンサルティング」代表の太田正孝と申します。どうぞよろしくお願い致します。

 

第1回 ご縁

 

 高井先生とは15年ほど前に、とある係争問題で出会いご縁を得ました。ご高名はかねてより伺っていましたので躊躇なく事務所にお願いに行きましたが、第一印象は結構せっかちな先生、というのを覚えています。書類の書き方など、場面状況が目に浮かぶように書くとか、裁判は書類の整え方で決まるとかキーワード重視の指摘があり、当時私は民事法廷では弁護人同士が口頭で戦うと思っていたので「書類司法」に目からウロコでした。あのときの出会い以来何回もお会いするうちに「波長がとても合う大先生」で、事ある毎にご厚誼とご指導を得てきました。

 

 先生にご縁のある方達に向けて拙いものを披露するのはすごく気がひけますが、これもご縁の一端として許容いただければ幸いです。この「無用の用」では月に一回の寄稿で12回、今は何を書くべきかわかりません。時に応じてテーマを決めて自分なりの知的冒険をさせてもらえれば有難いと思っております。

 「無計画」には厳しい高井先生ですので今のはやり言葉でいえば「ボーっと生きてんじゃねーよ」と叱られそうですが、臨機応変ということでいきたいと思います。

 

 平成も今年4月で終わり5月から新元号になります。歴史の一つの節目なのでいい時代の到来を願うのは当然ですが、地球上では自然災害や人的災害など多くの懸念材料があふれています。人類が爆発的に増えて人智では解決できない位に問題が深刻で複雑になりすぎたのかもしれません。IOTやAIも進むでしょうがこれが問題をより複雑にしたり制御不能になったりしてより深刻な社会問題を引き起こす可能性もあります。

 そんな時流と将来予想のなかで、高井先生には「時代の処方箋」を書いてもらいたいという思いです。その参考材料のきっかけになればいいな、と考えています。

 

 さて、初回ですので自己紹介をしながら「ご縁」ということから書きはじめます。

 

 私は宇宙からきたのではないかと時に空想していますが、どうやら日本列島にある大阪市で生まれたようです。全く記憶がないので本当のことはわかりません。大阪大空襲の直前に家の地下に掘った防空壕で生まれたと聞かされて育ちました。その後、父の影響もあり、好きな山登りや、当時は夢だった海外渡航の可能性が大きい人文地理学を専攻しました。とりわけ歴史地理学に興味がありました。学者になって世界を股にかけるような研究活動を夢見ていました。

 

 高井先生の専門である法学分野は食わず嫌い状態でした。法学部の空気や条文など難解な文章を学ぶのは大変だし六法全書の分厚さにも圧倒されたのでしょう、サラリーマンになるつもりがなかったので強い動機につながらなかったわけです。ただ、歴史地理学では律令制を支える「延喜式」(900年頃)は大事な歴史資料としてみていましたので、法との接点といえばそれくらいでした。高井先生と知己を得た今では法は学んでおくべきだったという悔いが残りますが。

 

 ところが、あるきっかけで学者への道から会社勤めへとキャリアの方向転換をすることになりました。

 

 当時、家庭教師先の父兄から飛行機が好きで海外に行くなら今後大きな飛躍が期待される航空会社はどう、と強く薦められ、結果として日本航空(JAL)に就職しました。

 教え子の高校生にたびたび地球儀を見せて大きな視野から物をみるように話したり、模型飛行機を一緒に作って飛ばしていたのが親の耳に入っていたようです。修士課程へ進むのもほぼ決まっていたので大学の恩師から「お前はアホか」と厳しく怒られたのも当然です。

 

 JAL入社後は現場の接客から始まりましたが、20才代後半から7年間社長秘書を勤めました。役目柄、様々なことが起こり心身ともしんどい仕事でした。日々多くの人達との出会いがありましたが、良いご縁を得たと思う方達のことは強く思い出に残っています。この時期の得がたい経験や人脈がその後の人生のベースになって多方面で活躍されている人達と更なるご縁を得ることが出来たと深く思います。

 

 31年間お世話になったJALでは10回異動し転居は7回、海外は3カ所延べ8年でした。平均して3年に1回です。最後の方のキャリアでは、人事部次長、羽田の空港支店総務部長、情報システム開発部長、シカゴ支店長でした。人事部時代には採用と人事制度企画担当として成果主義人事制度導入を、羽田空港では昭和天皇の大喪の礼の際の海外からの超VIP機の受け入れをやりました。官民上げて一つのチームを作り万全の策を講じて無事完了したときは感無量でした。情報システム部では技術者とともに大規模システムの更新やお守りなどで実に多くを学び、今の情報時代に取り残されずにすんでいる?のかもしれません。

 シカゴを最後に53才の時にJALを早期退職しました。きっかけは人事部時代に成果主義型人事制度導入にお願いしたヘイグループジャパンの社長から誘いを受けたからですが、これも良いご縁を得ていたからでしょう。ヘイグループでほぼ9年、最後は副社長の役員定年で退職、今は個人で人事コンサルティング業をしています。以来11年になりますが、独立時からずっと心配してくださり、顧客紹介など何かと支援をいただいている高井先生には感謝の念で一杯です。

 

 高井先生によると縁を大事にする根底には、好奇心が前提にあると言われています。私も全く同感です。霊長類はおおむね好奇心を持っていて、とりわけ人類はこれで文明を築いてきたといっていいのでしょう。

 「袖ふれあうも多生の縁」という言葉がありますが、輪廻転生の仏教の教えからすると人は何回も人生を繰り返すので、今のご縁は前の人生の縁が元になっているのだ、ということでしょうか。ということを敷衍するとこの宇宙はユニバースではなくマルチバースではないか、などと思考は膨らんでいきます。学問分野で言えば天文学、物理学、量子力学、生物学、哲学、心理学、社会学、法学、経済学などすべてに関係性がでてきます。理系文系などと簡単に分けることは思考を狭めるものかもしれません。

 今の私は宇宙とUFOの勉強が趣味の一つですが、世の中多彩な情報が満ちあふれて好奇心をもって調べるには好都合な環境にあるのを実感しています。

 好奇心を持っていることが人生を豊かにし、道を開く原動力であるとして、次回からこれらを元に「無用の用」らしく掘り下げて書いてみたいと思っています。

終わり

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「仕事人のための接待学」第8回 高井伸夫

ゲストの居心地配慮

日本経済新聞(夕刊)連載 1998年6月1日掲載

 

 女性を接待するくらい難しいものはない。なんといっても、ゲストである女性に居心地の悪い思いをさせないことが必要である。

 女性の接待は、相手を褒(ほ)めて相手の気分を良くさせるような雰囲気があったほうがいいだろう。相手に苦言を呈したり、何らかの関係がある事項について批評するような言葉は禁句だ。繁盛している店の大将や女将(おかみ)に聞けば、その営業の秘けつは女性に好かれることだと必ず答える。

 実際の接待では、まず、メンバーの組み合わせが重要である。一対一での夜の席は気まずい。三、四人となれば、お互いに気楽である。時間帯も、夕食時より昼食時の方がよいだろう。昼食時の方が仕事の一部というイメージがあり、女性に好ましい印象を与えるからである。

 やむを得ず夜の会食となった場合も、会社の終わる時間、会社からの距離、自宅への道程といったことを念頭に置く必要がある。

 また、お酒が入ると仕事の話をしにくい雰囲気になりがちである。仕事の話がある場合は、食事前の三十分くらいをそれにあてることが望ましい。店の選び方も、靴を脱ぐ場所を避けるなど、配慮が必要だ。

 女性だけ、または男性だけに通じるような話題は避けた方がよい。また、女性の身上について質問するのは、セクハラとして嫌われる可能性さえある。

 例えば、男性がよく用いる「お若いですね」という言葉があるが、それは決して褒め言葉ではない。「お若いですね」と言われると「いいえ、若作りなんですよ」と答える女性が多い。本当に若い人には言わない言葉なのだということを分かっていない男性が実は多いのである。

 砕けた話になる場だからこそ、話題の選択には心しなければならない。こうした場面ではやはり、企業の問題、公の問題が無難だ。

 女性の接待にあたって用意する効果的なプレゼントとしては、花、ワイン、ケーキなどがある。例えば花を贈る時にメッセージを添えるなど、いずれもセンスがあってお洒落(しゃれ)なものである。

 しかし、女性への接待は男性以上に効果があるものではない。女性は正直なのである。このスピードの時代に接待してもらって、単におだてられてよい気持ちになるだけに時間を費やす女性は少なくなった。

 女性にとって意味ある接待は用件があってのものだという。単に「飲んで・食べて・騒いで」という接待は好まれず、違和感を抱かれるケースすら多い。

 

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高井伸夫の社長フォーラム100講座記念~1講1話・語録100選~
 【第1回】「心の時代」になった…(1993年5月27日)

発行当時のまま掲載しておりますので、現状と異なる場合がございますがご了承ください

 

明治初期までの農業社会(第1次産業)では、土地という生産財のうえで足腰を武器にした産業が主流であった。だから、変化は非常に遅かった。そして、その時代は人間の足腰の能力格差があまりなかったのである。

男子陸上100m競争の世界記録は9.8秒台。ここ10年変わっていない。私は56歳の今でも30秒で走れるだろう。世界のトップと3倍しか能力格差はない。だから農業の時代は優劣・格差があまり激しくなく、仲良く夕涼みで将棋をさしていたのだ。

明治初期に軽工業社会(第2次産業)になったが、「手工業」という言葉があるとおり、それは手先の時代ということだ。その次の第3次産業、商業・サービス産業の時代は口先の時代となる。意思疎通、契約、取引きという世界。

これは偶然ではなく人間の発達史と同じである。考古学によれば人間の先祖は440万年前には4本足で歩いていた。それが太陽の光が眼を射て人は立ち上がり前足が手になり始めた。そしてだんだん対面するようになって言語が発達し、遂には第3次産業、口先産業・契約社会に至るわけだ。

そして人間に直立するにつれて脳が発達した。それが第4次産業・ソフト化時代に至る。今これが花咲こうとしているわけだ。第4次産業は、頭脳労働の時代、ソフト産業の時代になった。考える、思う、感じるという知的社会になった。

この能力格差は3倍でもなければ3,000倍でもない。「できる、できない」という格差、質の格差、絶対的格差の世界になったわけだ。

そしてこれからは「心の時代」である。第5次産業は、心を武器にした経営でなければならない。心の経営のポイントは、良心を中心に据えて、自律心、連帯心、向上心を刺激する必要がある。良心、自律心、連帯心、向上心は、企業にも社員にも、また商品にも要求されてくる。

 

「AIと私たち」

第3回 AI人材不足と育成の課題

 

経済産業省が2016年6月に発表した「IT人材の最新動向と将来推計に関する調査結果」によると、IT人材の中でもAIなどの開発を担う「先端IT人材」は2015年時点で1万5千人が不足。2020年には4.8万人にまで拡大する。少子高齢化による労働人口減少により、IT人材の供給力が低下する一方でそのニーズは拡大するだろうから、人材不足は今後ますます深刻化するとみられる。

人材不足の原因はいくつかある。まず、前回述べたように国内報酬の低さ、その背景にある経営層の理解・認識不足である。AIやビッグデータ、それらを扱う人材の価値が分からないから、なすべき投資がなされない。また、AIやIT、ICT等、新技術の用語はバズワード(一見説得力があるように見えるが、具体性がなく明確な合意や定義のないキーワード)化し、必要な人材の定義が明確化されにくくなっている。政府文書などでも何かと「IT専門家」を目にするが、具体的にどのような技術を持っていて何をする人材を指すのかよく分からない。その結果、雇用者側にとって被雇用者が期待する人材であるか不明瞭になり、スキルセットの不一致を招いたり、スキルに見合う待遇を検討しづらくなったりするのである。さらに、年功序列制度が未だに色濃く残る日本企業では人事制度や給与体系が硬直的で例外が認められないことも一因であろう。シリコンバレー近郊でのAI人材の給与は全米平均より4割以上高いという。これでは海外への人材流出は避けられまい。

 

急務かつ不足が著しいAI人材の育成には、即戦力となる社会人教育と、長期的な視点での学生教育の両輪が必要である。

国内IT企業や研究機関は社内配置転換や研修制度を設けるなど内部育成に努めているが、これまでITと縁遠かった企業で突然そうした施策を講ずることは難しい。しかし、そうした企業に勤めながら「AIを学びたい」と思っている潜在的人材は少なからず存在する。日本ディープラーニング協会がエンジニアの資格試験を実施するほか、東大や大阪大学などでは社会人向けのAI講座を開いている。企業はこうした場に積極的に社員を投入し、他を投げ打ってでもAI人材の育成に投資すべきである。AI時代において、AIを使いこなせない人間はAIに使われることになる。

滋賀大学や東京工科大学など、AI関連学部の開設は進みつつあるが、「AIブームがいつまで続くか分からず、AIの学部や学科は新設しにくい」との声もある。これが大きな読み違えである。今の「AIブーム」は既に日常になりつつある。英語を学ばずにはいられなくなったように、AIを学ばずにはいられなくなる。学部や学科新設への躊躇いは、AI人材の報酬が高まらないことと同じ問題を孕んでいる。すなわち、我が国のトップや経営層には、これだけAIが身の回りに溢れかえるようになってなお、「AIとの共存」という未来が見えていないのである。

AIの学部や専攻を開設し、学生の卒業までに4年以上。その間に世界との差はますます開く。そうして、今打開策を講じなかった大人が表舞台から去った後、世界で戦う武器を持つ機会を奪われた次世代は、AIに使われる人間として生きていくほかなくなるのだ。

 

経済制裁の影響で国外の人材は集めにくいイランでは、AI産業において女性が活躍している。極論ではあるが、AI人材の育成には専門プログラムさえあれば足りるため、参入障壁が低く、誰もが「教育者」になりうるのだという。近年、国内では、人口減少に伴う労働力不足に対し女性の活用が期待されているが、日本国内における女性のAI人材というのは圧倒的に少ない印象である。小学生からパソコンに親しむ現代、AIについての授業が必修化され、大卒者は全員AIの基礎知識を備えているくらいにできないものだろうか。ただでさえ生産人口が減り続ける中、国を挙げて取り組まなければ、AI人材不足は到底解消しない。

 

まとめ

・少子高齢化による人口減で需要が増し、AI人材はより不足

・AI人材の育成には社会人教育と学生教育の二輪が必要

・国を挙げて次世代を「AIを使う」人間に育てよ

 

(第3回ここまで/担当 高井・團迫・宇津野)

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