「仕事人のための接待学」第9回 高井伸夫
官とは「淡交」基本に
日本経済新聞(夕刊)連載 1998年6月8日掲載
「君子の交わりは淡き水の若(ごと)し」(荘子)とあるが、先般の大蔵省や日銀の職員への過剰接待事件は、この「淡」の精神を忘れた結果、起きた事件である。大蔵省の局長が国会でこの問題に関し「民間との一般的な交際はある程度やむを得ない」と弁解したが、実態は「ノーパン○○」をねだる、せがむなど、およそむちゃくちゃが日常化したものであったようだ。
「淡交」こそ接待、特に官の接待の基本になる。
民が官との関係において猥雑(わいざつ)な接待に陥る根本的な原因は、官が権限・権益を独占し、ほとんど情報を公示・公開しないこと、何人もそれに介入できないところにある。
民間が激しく競争をすることが国民的福利につながる以上、民が情報に近付く努力をすることは、極めて自然な行動である。官の独占と民の競争との間に整合性を得るためには、官の情報の公開が急務なのだ。
そうすれば、いびつな接待の意義は大いに消失するであろう。しかし、官もまた民情に通じるためとして民の接待を受けたがるのが現状であるのは、前記の局長の弁解の通りである。
ところで、力のない、許認可に縛られた業界・人物ほど盛んに接待をする。我が国の代表的国際企業がそうでない企業より接待の頻度が激しいとは聞かない。逆である。商売に自信のある企業ほど、倫理観が発達しているともいえる。
さて、仕事ができて、人間味もあるといった役人は残念ながら多くない。だから、キーマンにターゲットを定め、人間関係を構築すべく接待しなければ意味がないという。キーマンとは一般職員、係長、課長、幹部の各階層をそれぞれ取り仕切っている人である。難しい質問に答えてくれる人、あるいは仕事の再に発言している人である。
新しい情報、ざん新な情報、得がたい情報を得るには彼らとのコミュニケーションしかない。信頼関係を形成するためにはなおさらである。贈答品に始まる様々な接待のチャンスを生かしてコミュニケーションを図ることは必要不可欠である。
ただし、それを公然と行う。まずは役所が主催する歓送迎会に差し入れすることだ。役人を接待するポイントは、要するに「その機関を接待するのであって、個人を接待するわけではない」というスタイルをとることである。
もっとも、物の授受にあまり効き目はない。一番重要なのは、相手に対してさわやかでひとかどの人物であると印象づけること、評価を受けることである。