2019年5月のアーカイブ

 

第5回 平成から令和に、歴史の見方を再考する

 

あすか人事コンサルティング
代表 太田 正孝

 

 5月1日に令和の時代が始まりました。陛下の即位の儀など宮中の行事のほか、史上初の10連休中のTVは観光地や渋滞情報など、お定まりの画像を流し続けていました。空陸交通機関の混雑に巻き込まれたけど連休を楽しんだという人達にとっては、素晴らしい連休だったでしょう。

 

 昔、航空会社にいた私や当時の仲間にとって、連休はいつもよりも忙しい時期であり休む間もなく汗を流していたことを思い出します。あの頃は自分達の家族旅行を後回しにしたので、皆、家では肩身の狭い思いをしたものです。今の時代はさらに、いわゆるサービス業の人達が増えているので長い連休にもかかわらず休めなかった人も格段に多かったと思います。人手不足の中ではあるものの代わりの連休がとれてリフレッシュできる人が増えるような世の中であればいいと思います。

 

 そこで祝日の数は世界ではどうなっているか、興味を持ちました。先進国では日本が16日とダントツに多く、英国は8日、ドイツ9日、アメリカ10日、フランス11日というのが分かりました。それぞれの国の事情で多少の増減があるとしても、日本よりはかなり少ないです。欧米ではキリスト教や建国に関係する祝日が多く古くから続いているようです。祝日は祈りを主にした過ごし方が伝統的に設けられていたのでしょう。

 ですので、バカンスは長期有休の活用で楽しむという習慣が定着しています。年初に有休取得の年間計画をたて、周りとの調整を経て決定します。皆そうするので遠慮なく「お互い様」で長期旅行に出かけます。ドイツ時代、この経験から計画的取得の一面の合理性を実感しました。日本でも有休の計画的取得を職場全体でしない限りうまく拡がらないと思います。

 有休に関わるエピソードですが、長らく病欠を取っていた人が復帰してきた時のこと、計画通り取れなかった有休を年度内に残りをすべて取ったことでした。その根拠は、病欠は病欠、有休は有休として取るというものでした。日本では急な病気に備えて有休を残しておこうとしていることを言うと現地の人達は信じてくれませんでした。その時、祝日、病欠、有休の意味づけはドイツ流の方が理にかなっていると思いましたが、帰国したら直ぐ日本流に馴染んでしまい以来、有休を十分消化しなかったのは現役時代の心残りです。

 

 今、日本では労働政策の一環として有休日数をもっととりましょう、という方向に向っています。今後70才まで現役でという流れにあって働く人や家族の心身の健康維持からも良いことと思います。学校も含めて世の中全体で計画的取得が習慣化すれば、混雑や渋滞の緩和や、旅費などの低価格化など、好循環をもたらすメリットが大きいと思います。そうなれば祝日の在り方も考え直す機会になることでしょう。

 

 有休取得にまつわる現実は期中に転勤や異動などがあってなかなか計画通りに行かないという声が出そうです。本気で有休取得を進めるなら人事運用上の攪乱要素の方を改めて行くほうが早道かもしれません。

 休暇の半分を休養と家族のために、半分をキャリアアップ、専門能力アップのために使うことができます。 「計画的に」ということは現役だけではなく「毎日が(ほぼ)日曜日?」のリタイヤ組にとってもサミュエル・ウルマンの「青春」を実行していくのにも有効なのは間違いありません。

 

  さて、連休中のTV特集のお陰で私は古くは神話の時代からの日本の歴史に思いを馳せることができました。 考えてみれば、歴史上の史実は時代を遡るにつれて「一次資料」(その頃の当事者が関与したもの)が少なくなっていくため、史実の殆どが後に記されたもの(二次資料、伝聞資料)に基づいています。真実かどうか良く解らないものも何度も引用されるうちに史実とされ歴史になっていきます。 

 英語で歴史はヒストリーですが、物語のストーリーと同じ語源だそうです。昔の人は物語と歴史はほぼ同じと思っていたのでしょうか。つまるところ、一つの歴史は一部の真実をきっかけにして、誰かが想像力豊かに創作した物語ということではないでしょうか。ですので、どこかの蔵や地中から貴重な一次資料が発見されれば、それを基に新たな物語が生まれ、やがて歴史の一部になっていきます。

 近年、聖徳太子は存在しなかった、鎌倉時代は1192年から1185年からに修正、江戸時代に国内安寧のため一部の国との交易に制限したものの貿易はつづいていた、などと常に教科書も修正されている訳です。

 現在、誰一人生存していない「近過去」の事柄は史実を含むノンフィクションになり、そして、その前の過去はノンフィクションを含むフィクションになる宿命を持っています。私はこの事から歴史を色んな説や作家の見方として楽しむようにしています。邪馬台国はどこにあったのかなど論争がありますが、新発見でもない限り当面は水掛論でしょう。ちなみに私は邪馬台国は大和国、卑弥呼は姫子のことと単純に思っていますが、勿論、確たる根拠はありません。それでも論争を楽しみつつ歴史のロマンに思いを馳せています。ついでに言えば、あらゆる事象は各々何処かの場所で起こったので、そこの地形や植生など地理的環境状況、時刻や、天候、など事象にまつわる環境をもイメージするようにして楽しんでいます。高井先生がTVドラマの作品を書くつもりでビジュアルに証拠書類を書きなさい、と言っておられるのも同じ発想だと思います。時代考証は画像構成上、避けられないからでしょう。

 

 歴史は節目を見つけて時代区分されています。日本の歴史は遺物の多い縄文時代から始めるようです。とても地味な時代と思いますが、なぜか古代にロマンを感じるいわゆる「縄文女子」が増えているそうです。50年ほど前の学生時代には発掘実習もやりましたが、女子には振り向きもされませんでした。隔世の感が否めません。さて、縄文時代は何年続いていたかというと答えはなんと1万年以上です。普通の人が300回以上の世代を重ねる、生物として進化がおきるような長い時間です。後の弥生時代は1300年程つづきますが、弥生の後期が西暦元年にあたります。感覚的には西洋よりも日本での時間は極めてゆっくりと平和の裡に過ぎていたように思います。氷河期が終わったあとも厳しい寒暖サイクルあった時代生活の糧の農耕を維持する上で集落の協力と平和が大事だったのでしょう。

 

 私ら昭和世代は時代の長さよりも特異な事象のことに重きを置いた教育を受けてきました。明治から大正・昭和・平成併せて約150年、鎌倉時代の150年とほぼ同じですし、平安400年、室町と江戸はそれぞれ260年、安土桃山は30年で平成と同じくらいです。歴史小説や映画、TVドラマでは、やたら戦さものが多いので、血なまぐさい歴史が続いていたように感じますが、こうやって改めて時代区分の長さを考えると日本は想像以上に戦さが少なく平和が長くつづいていたように思えます。

 

 令和の時代、日本はもとより世界の紛争が人の叡智で終息していき、平和な事象が歴史に記録されるようになれば嬉しいのですが・・。

終わり

 

「明るい高齢者雇用」

第2回 65歳定年の可能性―社会保障にもメスを―

(「週刊 労働新聞」第2148号・1997年4月14日掲載)

※当時の文章のまま掲載しております。

 

 

 定年問題に関しては次の2つに注意しなければならない。1つは中国にも好況感に陰りが生じていることである。例えば、昨年の成長率は9.7%と報道されているが、一時の明るさを失った。中国ですら好況でないという事実のゆえんは、エネルギー資源問題との関わりにある。資源、とりわけエネルギー資源の枯渇という不安・恐怖に、人類は無言の調整作用としてエネルギー等の資源が生産される程度に消費を抑えようとする。環境問題もその1つだが、実はそれが市場経済の進展にブレーキをかけている。

 「行け行けドンドン」、拡大再生産とは資本主義経済の合言葉、市場経済の原則だったが、いま萎縮しがちである。これこそ世界経済が減速経済、不況感を脱却し得ない理由である。先進国成熟社会・日本は更新国以上に資源を消費し、それだけに資源問題を意識せざるを得ない。従って中国以上に日本の高齢者雇用は今後ますます困難となる要因がある。

 第二の注目点は、中国でも(“でも”という表現が適切か否かは別として)退職年齢が年金問題と関わっていることである。日本ではいま65歳への年金受給年齢の引き上げが議論されているが、その背景は以下の通りである。

 今年1月厚生省人口問題研究所から発表された「日本の将来推計人口」によれば、日本の総人口はわずかあと10年間しか増えない。2007年1億2,778万人でピークを抑えた後は減少の一途を辿る。しかもただ減るのみならず若年者の急減と高齢者の急増とが同時進行する。既に日本の高齢化率は欧米先進国並だが、2000年には世界一の高齢国となる。現在1人の高齢者を65歳未満の国民5.8人で支えているが、高齢化率のピーク2049年(32.3%)にわずか2人で支えていかねばならない。年金・医療といった社会保障全体の枠組みに大きくメスを入れない限り、日本経済は破局のシナリオへと向う。未だかつて人口が減って豊かさを維持した国はない。この歴史的事実を厳粛に受け止めねばならない。

 厚生省の試算でも、国民負担率(税と社会保険料が国民所得に占める割合)を高齢化ピーク時でも50%以下に抑えるには“年金・医療の給付を2割以上削減しなければならない”としており、また経企庁の別の試算では、社会保障、国家財政とも無策のまま改革されずに推移したとすると、潜在的国民負担率は2025年73%に達する。もはや「高齢者が社会的に扶養されるだけの存在」という前提では、社会の安定維持が不可能なのである。

 高齢者雇用が促進されれば年金財政は大きく改善され個人や企業の負担も軽減する。高齢者がその人に会った就業形態を選択でき長く現役にとどまれば、年金給付者が減り年金拠出者が増える。これこそ退職年齢と年金問題が不可分で65歳への定年延長が今叫ばれている本質的意味である。

 若年労働力の減少により再び人手が不足し、女性も高齢者も雇用が活況を呈すという楽観論もあるが、はたしてもう陽が昇らない日本経済の下で65歳への定年延長は可能なのか、さらにはそれを可能にする条件を模索してゆくことも課題の1つであることを、中国の例からもうかがい知れる。

 

 

高井伸夫の社長フォーラム100講座記念~1講1話・語録100選~

【第5回】社長のカリスマ性~原点は「不思議さ」にある(1993年10月26日)

 

 中小企業において、社長は対外的にも対内的にも「セールスポイント」がなければならない。とりわけ、いわゆるカリスマ性が必要だ。これをどう構築するかが社長の課題である。

 カリスマ性の第1は「不思議さ」があること。平凡ではカリスマ性は生まれない。例えば「いつ寝ているのだろう」でもいい。不思議さは部下にとって思いもよらない世界でなければならない。人格、識見、手腕、力量、多芸多趣味が、不思議さを醸し出す。平凡には魅力はない。不思議さイコール魅力である。

 不思議さとは「自在に話ができること」に始まる。しかも話題が豊富でその場での焦点を的確にとらえていること。社長の挨拶は、予め紙に書いたものを読むのではいけない。

 次には、相手の話が聞けること。さらに一言二言添えて、相手をハッとさせることが大切。そのためには、絶えず様々なことに関心をもっていないといけない。

 自分の頭で発表でき、相手の話を咀嚼して、そしてそれをさらに一段と広く深く気付かせる一言、あるいは相手を褒めてさらにプラスアルファーさせる独創性である。

 もうひとつカリスマ性で重要なのは、話ができることと関連するが、明確な意思表示、つまり明確な方向性を示すことである。それには、大きな声で話す、歯切れよく断言する、文書で公表する(口頭で明言し文書で断言する)ことが必要である。

 そして、うまくいったときは全員の努力の賜物、うまくいかなかったときは「オレの責任だ」とするところにカリスマ性の原点がある。

 リーダーシップとカリスマ性は全然違う。リーダーシップがあっても社員の3割は絶えず文句を言っている。そんな批判する権利を放棄させる力がカリスマ性だ。

 その意味で、カリスマ性とは大衆を盲従させる力であり、憧れの対象である。そのためには実績をあげること。これに尽きる。

 

「AIと私たち」 第7回

AIと人事労務(4)育成・経営・労務管理

 

■AI時代の人材育成

 第一に、AI時代の人材育成には、AIが発達する速度が激しい分、より一層のスピードが求められる。AI周りの技術進歩は加速度的であり、小学校で教わった基礎知識が中学校を卒業する頃には化石扱いとなる可能性も決してゼロではないのである。将来の発展性まで見極めた上で育成しなければならないのだから、教育者・指導者には極めて高い知識と情報収集力、予見力、柔軟な姿勢が求められよう。

 

 第二に、AI時代の人材育成は長期にわたって行われなければならない。第3回第6回でも触れたが、まず、学校教育による長期育成が必要である。また、社会人育成においても3、4日の研修によって新しい仕事をこなすことができる時代は去った。成果を上げるためには一定の年月が必要で、かつ、それを迅速に展開しなければならない。

 そのためには、人事労務の専門家が積極的に人材育成に当たらなければならない。AIの機能拡充に伴って先を見通した人材育成、人事配置をしていかなければならないからである。未来を見通して職種を決定するという人事配置に繋がる人材育成は、教育だけではなく、AIについての理解が深い人材が当たるべきである。同時に、労働移動もよりスピーディーに行われなければならない。

 

 第三に、若者の人材育成に注力することはもちろんであるが、中高年層の人材育成も大いに心掛けるべきである。平成の終わりになってもパソコンが扱えない大臣がいたように、AI時代に取り残される中高年層が大量に生まれることは容易に予見できる。これを克服するには教育、人材育成に依るほかあるまい。

 AIが発達し、人間の仕事へ参入すると、ベテランであることがかえって重荷になる。新進気鋭の人材がどんどん伸びていくのに対して、中高年層は伸びが遅く、AIの攻勢に晒され、担当職務がこなせなくなるからだ。人材育成の在り方を根本的に変えなければならない。若者中心から、中高年中心も抱き合せたダブルデッカー(2階建て)の人材育成へ変えなければならない。

 AIによって担当職務が陳腐化し、その職務に就けなくなった者は、新しい職務に対する理解を深め、現実にそれを実施して成果を上げる必要がある。すなわち人事労務担当者はまず、対象者が新しい職務を理解できるように落とし込まねばならない。新しい職務がインターネットやITに関わる内容である場合、それらに疎い世代にいかに短時間で本質を理解させ、苦手意識を払拭させ、むしろ好意的に受け止め、実施し、成果を上げてもらえるように導くかが、人事労務担当者の腕の見せ所である。

 

 AI時代の労働者は、AIを作る人、使う人、使われる人、そして、使われることも出来ない人の4つに分化する。我々はAIを使う人に、更に言えば作る人にならねばならないし、そういう人材を育てなければならない。

 

■労務管理にもAIの活用を

 AIによるデータ分析の特徴に「客観的」という面がある。これは個人の感情を抜きにして公平な分析や見解が欲しい場面で役立つ。そこで近年では、AIを人事労務管理に活用する企業が増えてきている。

 これまでは上司や経営者が勘と経験などの主観で行ってきた評価や配置を、AIであれば膨大なデータを基に、客観的かつ網羅的に全社員を把握し、的確にかつ驚異的な速度で処理できる。退職リスクが高まった社員を検知し、アラートを発することも可能である。

 歩行パターンや行動データをAIで解析することで、組織内の人間関係を推定して効率よく仕事をこなせる組織づくりを行ったり、職場でのコミュニケーションや時間の使い方などの組織活性度の向上につながる行動に関するアドバイスを各人ごとに配信したりするサービスもある。

 これらは言うまでもなく企業の競争力向上や働き方改革につながる。組織マネジメントの根幹にこそ、積極的にAIを活用していくべきである。これによって人事労務担当者の仕事がなくなる、と危惧するのであれば、それは自身が「AIに使われる人」あるいは「使われることも出来ない人」であるということである。

 

まとめ

・AI時代の人材育成キーワードはスピード・長期・中高年

・AIを作る人、使う人、使われる人、使われることも出来ない人の4つに分化

・労務管理にもAIを積極的に取り入れよ

 

(第7回ここまで/担当 高井・團迫・宇津野)

 

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