第5回 平成から令和に、歴史の見方を再考する

 

あすか人事コンサルティング
代表 太田 正孝

 

 5月1日に令和の時代が始まりました。陛下の即位の儀など宮中の行事のほか、史上初の10連休中のTVは観光地や渋滞情報など、お定まりの画像を流し続けていました。空陸交通機関の混雑に巻き込まれたけど連休を楽しんだという人達にとっては、素晴らしい連休だったでしょう。

 

 昔、航空会社にいた私や当時の仲間にとって、連休はいつもよりも忙しい時期であり休む間もなく汗を流していたことを思い出します。あの頃は自分達の家族旅行を後回しにしたので、皆、家では肩身の狭い思いをしたものです。今の時代はさらに、いわゆるサービス業の人達が増えているので長い連休にもかかわらず休めなかった人も格段に多かったと思います。人手不足の中ではあるものの代わりの連休がとれてリフレッシュできる人が増えるような世の中であればいいと思います。

 

 そこで祝日の数は世界ではどうなっているか、興味を持ちました。先進国では日本が16日とダントツに多く、英国は8日、ドイツ9日、アメリカ10日、フランス11日というのが分かりました。それぞれの国の事情で多少の増減があるとしても、日本よりはかなり少ないです。欧米ではキリスト教や建国に関係する祝日が多く古くから続いているようです。祝日は祈りを主にした過ごし方が伝統的に設けられていたのでしょう。

 ですので、バカンスは長期有休の活用で楽しむという習慣が定着しています。年初に有休取得の年間計画をたて、周りとの調整を経て決定します。皆そうするので遠慮なく「お互い様」で長期旅行に出かけます。ドイツ時代、この経験から計画的取得の一面の合理性を実感しました。日本でも有休の計画的取得を職場全体でしない限りうまく拡がらないと思います。

 有休に関わるエピソードですが、長らく病欠を取っていた人が復帰してきた時のこと、計画通り取れなかった有休を年度内に残りをすべて取ったことでした。その根拠は、病欠は病欠、有休は有休として取るというものでした。日本では急な病気に備えて有休を残しておこうとしていることを言うと現地の人達は信じてくれませんでした。その時、祝日、病欠、有休の意味づけはドイツ流の方が理にかなっていると思いましたが、帰国したら直ぐ日本流に馴染んでしまい以来、有休を十分消化しなかったのは現役時代の心残りです。

 

 今、日本では労働政策の一環として有休日数をもっととりましょう、という方向に向っています。今後70才まで現役でという流れにあって働く人や家族の心身の健康維持からも良いことと思います。学校も含めて世の中全体で計画的取得が習慣化すれば、混雑や渋滞の緩和や、旅費などの低価格化など、好循環をもたらすメリットが大きいと思います。そうなれば祝日の在り方も考え直す機会になることでしょう。

 

 有休取得にまつわる現実は期中に転勤や異動などがあってなかなか計画通りに行かないという声が出そうです。本気で有休取得を進めるなら人事運用上の攪乱要素の方を改めて行くほうが早道かもしれません。

 休暇の半分を休養と家族のために、半分をキャリアアップ、専門能力アップのために使うことができます。 「計画的に」ということは現役だけではなく「毎日が(ほぼ)日曜日?」のリタイヤ組にとってもサミュエル・ウルマンの「青春」を実行していくのにも有効なのは間違いありません。

 

  さて、連休中のTV特集のお陰で私は古くは神話の時代からの日本の歴史に思いを馳せることができました。 考えてみれば、歴史上の史実は時代を遡るにつれて「一次資料」(その頃の当事者が関与したもの)が少なくなっていくため、史実の殆どが後に記されたもの(二次資料、伝聞資料)に基づいています。真実かどうか良く解らないものも何度も引用されるうちに史実とされ歴史になっていきます。 

 英語で歴史はヒストリーですが、物語のストーリーと同じ語源だそうです。昔の人は物語と歴史はほぼ同じと思っていたのでしょうか。つまるところ、一つの歴史は一部の真実をきっかけにして、誰かが想像力豊かに創作した物語ということではないでしょうか。ですので、どこかの蔵や地中から貴重な一次資料が発見されれば、それを基に新たな物語が生まれ、やがて歴史の一部になっていきます。

 近年、聖徳太子は存在しなかった、鎌倉時代は1192年から1185年からに修正、江戸時代に国内安寧のため一部の国との交易に制限したものの貿易はつづいていた、などと常に教科書も修正されている訳です。

 現在、誰一人生存していない「近過去」の事柄は史実を含むノンフィクションになり、そして、その前の過去はノンフィクションを含むフィクションになる宿命を持っています。私はこの事から歴史を色んな説や作家の見方として楽しむようにしています。邪馬台国はどこにあったのかなど論争がありますが、新発見でもない限り当面は水掛論でしょう。ちなみに私は邪馬台国は大和国、卑弥呼は姫子のことと単純に思っていますが、勿論、確たる根拠はありません。それでも論争を楽しみつつ歴史のロマンに思いを馳せています。ついでに言えば、あらゆる事象は各々何処かの場所で起こったので、そこの地形や植生など地理的環境状況、時刻や、天候、など事象にまつわる環境をもイメージするようにして楽しんでいます。高井先生がTVドラマの作品を書くつもりでビジュアルに証拠書類を書きなさい、と言っておられるのも同じ発想だと思います。時代考証は画像構成上、避けられないからでしょう。

 

 歴史は節目を見つけて時代区分されています。日本の歴史は遺物の多い縄文時代から始めるようです。とても地味な時代と思いますが、なぜか古代にロマンを感じるいわゆる「縄文女子」が増えているそうです。50年ほど前の学生時代には発掘実習もやりましたが、女子には振り向きもされませんでした。隔世の感が否めません。さて、縄文時代は何年続いていたかというと答えはなんと1万年以上です。普通の人が300回以上の世代を重ねる、生物として進化がおきるような長い時間です。後の弥生時代は1300年程つづきますが、弥生の後期が西暦元年にあたります。感覚的には西洋よりも日本での時間は極めてゆっくりと平和の裡に過ぎていたように思います。氷河期が終わったあとも厳しい寒暖サイクルあった時代生活の糧の農耕を維持する上で集落の協力と平和が大事だったのでしょう。

 

 私ら昭和世代は時代の長さよりも特異な事象のことに重きを置いた教育を受けてきました。明治から大正・昭和・平成併せて約150年、鎌倉時代の150年とほぼ同じですし、平安400年、室町と江戸はそれぞれ260年、安土桃山は30年で平成と同じくらいです。歴史小説や映画、TVドラマでは、やたら戦さものが多いので、血なまぐさい歴史が続いていたように感じますが、こうやって改めて時代区分の長さを考えると日本は想像以上に戦さが少なく平和が長くつづいていたように思えます。

 

 令和の時代、日本はもとより世界の紛争が人の叡智で終息していき、平和な事象が歴史に記録されるようになれば嬉しいのですが・・。

終わり

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