「明るい高齢者雇用」
第3回 包容力ある社会へ―企業にも重い責任―
(「週刊 労働新聞」第2149号・1997年4月21日掲載)
※当時の文章のまま掲載しております。
アメリカ南フロリダ日本協会(非営利団体)専務理事をなさっている遠藤岐子さんにこのほどお話しをおうかがいする機会があった。
南フロリダは避寒地としても有名であるが、マイアミの中心としてカリブ圏・中米・南米の経済の中心として位置付けられている。マイアミから車で約1時間のところにある“ボカラトン”という地域が著名であるが、南フロリダにはボカラトンを始めとする多数の「ハッピー・リタイアメント リゾート地」がある。
遠藤さんはアメリカに移住され既に28年になるが、南フロリダ・マイアミには24年間にわたって生活されている。最初の17年間は個人で事業をなさり、1989年には商工会議所兼文化教育団体であるアメリカ南フロリダ日本協会を創立された方である。
協会の仕事の一環で、種々の現地団体、企業との付き合いもあり、日本からの視察団や新聞記者を案内して回っているので、高齢者、アメリカの社会問題等とも日頃接しておられる。
Q、アメリカは高齢者であるとか、年齢を意識する社会ですか。
A、アメリカに来て指摘されたのが、歳を気にすることでした。日本のように、「△△歳のくせに」という表現は一切聞きませんし、「言うな」と言われたほどです。要は、“出来るか”“出来ないか”の違いだけなのです。言い換えれば“自分は自由に動けない・独立生活が出来ない”人は世間で別扱いを受けます。ですから、身障者も、年寄りで動けない人も同じ恩恵があり、同じに扱われます。
Q、そうするとアメリカでは高襟者も明るく生活していますか。
A、「明るい」「明るくない」の問題は、雇用問題ではなく、年齢を気にする社会かどうかではないでしょうか。
日本の駅や公共施設を見ても、階段が多く歩く距離も長く、若者本位の国のように受け取れます。年寄りでも若者と同じように生活が楽しめる公共施設があるのがアメリカです。ニューヨークの市バスは老人が乗ろうとすると油圧で車体を下げて乗りやすくします。“ニーリング(ひざまずく)バス”というのですが、まさに老人に公共の乗り物であるバスがひざまずくのです。
「若くない」と痛感させるようにできている社会と、年齢差を関係なく同じことができる社会。ここに何か重要な観点があるように感じます。
高齢者になれば肉体的老化は避け難い。それゆえ力仕事ができなくなり、また敏捷さに欠けることになるが、それを包容してこそ今後は健全な社会が維持されるということであろう。
企業の諸施設もそのようなものでなければならないということにつながる。モスクワの地下鉄のエスカレーターのスピードの早さに驚き、そこでは高齢者に対する思いやりがないと強く感じたこともあったが、アメリカから見れば日本社会も同様であろう。