「中国の最新事情」
第5回 新型のコロナウイルスについて(4)

 

高井・岡芹法律事務所
上海代表処 顧問・中国律師 沈 佳歓

 

 最近、時間があるので、日本の映画を観ています。最も好きな監督の一人は今村昌平監督です。彼の作風が自然主義で、作品の中に人為的な演出が少ないことや、赤裸々に人間性を描写することが多く、しかも、観客らの欲求に迎合せず、むやみに情を煽るより、人は本能で理性と秩序を踏みにじる生き物であることを伝える故、彼のカメラに映った人々は時々二足立ちの獣に見えます。

 中でも特に大好きな作品は<楢山節考>です。1983年のカンヌ映画祭にてパルムドールを受賞した作品です。今村監督の代表作であるだけではなく、日本映画界の傑作でもあると思います。

 

 映画の概要は、はるか昔、山奥にある村に住む村人が、食料と農産物に恵まれない過酷な環境の中で一生懸命食料を確保し、生き抜いていく物語です。

 そのような背景から、生きるために、村の住人達は楢山参りという決まりを作りました。簡単に言うと70歳を迎えた老人を楢山の奥まで連れて行き、大自然に帰すという名目で置いてくるというものです。いわば棄老行為です。

 主人公の辰平さんが今回70歳になる自分の母親おりんを山の奥に背負っていく番になり、これを巡る子と母の間の葛藤が描かれています。

 映画の最後、お母さんのおりんが息子辰平の未練を断ち切るため、今生別れの時にも、歯を食いしばって、死と直面しながら、ひと声も発せず、片手で心の恐怖を抑え、もう方手で息子を追い払うシーンが観衆一人一人の目に焼き付き、心の深いところに訴えかけたでしょう。このような悲劇を決して繰り返すわけにはいかないと。

 

 映画の中の世界では、人々は貧しくて、食料が足りない時代にいて、自分が生きるために、仕方なく、棄老という苦渋の選択をしたまでです。

 しかし、現在は?コロナウイルスに対抗するために、一部の科学者が集団免疫という概念を言い出しました。簡単に言うと、ウイルスに対して、特に何か対抗策を講じず、一部の人間に感染させ、彼らの免疫力を頼りにし、ウイルスに勝った人が残りの人たちの防波堤となり、ウイルスの感染連鎖を遮断するという発想です。

 一見問題なさそうな方法ですが、しかし、今回のコロナウイルスは老人が特に感染力が強く、病死率が高いです。集団免疫という何もせず、自然の優勝劣敗に任せ、自然淘汰に身にゆだねる予防法では、真っ先に倒れるのは老人です。まさに老人に先に死ねと言わんばかりの対応策です。これと映画の中の、食料の節約ために老人を一人一人山の奥に捨てるという原始的な方法となんの違いがあるでしょう。

 時代は変わりました。人々が一生懸命働き、科学を進展させ、何十倍何百倍の富と物質を作り上げた今、我々の最低限の望みは将来自分が老いた時、自分が山の奥に行かされないこと、そして自分の子孫にそんな決断の時が永遠に来ないことにあるのではないでしょうか。

 しかし残念ながら、この時代になってもなお集団免疫という棄老を優先的に選択する人がいます。彼らが今放棄し、諦めたのは他でもない、今まで彼らに献身的に尽くしてきた先駆者であり、その人たちの行く末は未来の自分であることが何でわからないのでしょう、いや わかりたくないのでしょう。

 時代が変わっても、人の性はそんなに簡単に変わらないということですね。

 

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