「明るい高齢者雇用」
第16回 キャリア総合化へ―新たな「道」を開拓―
(「週刊 労働新聞」第2162号・1997年7月28日掲載)
次に紹介するB氏の事例は、もともと従業員5,000人の大手化学メーカー国際部所属の男性(58歳)が、従業員100人余のコンピューター部品製造メーカーのタイ工場責任者として出向したケースである。B氏は、かつて2度、7年間にわたりタイに赴任した経験を生かし、また永住を考えるほどのタイへの思い入れから、60歳定年後には出向先に転籍し、現地責任者として勤務し続ける予定と聞く。
B氏は昭和12年11月生まれであるから、間もなく60歳を迎えようとしている。昭和28年に中学卒業と同時にM造船所に溶接工として入社し、併せて同社の技術学校へ入学した。昭和32年に同社を退職して県立高校へ転入、昭和34年には国立大学経済学部に入学し、昭和38年に同大学を卒業後、前期の大手化学メーカーM化学に入社したのである。同社九州工場の経営企画を振り出しに、東京本社調査部、事業開発部などで経営資料の作成・事業調査・新製品開発の経済性計算等、一貫して経営企画、調査畑の業務に従事した。
昭和49年6月から昭和52年2月までの2年9ヵ月間、同社のタイの合弁会社(繊維紙加工剤製造)に現地法人社長として赴任し、会社設立から工場建設までを担当したという。
その後本社に帰任し、経理部門・営業部門等で部長に昇進したが、平成3年6月にふたたび上記とは別のタイの合弁会社(樹脂関連の製造業)に社長として赴任し、前回同様設立から担当して、4年2ヵ月を同地で勤務することとなった。平成7年7月以降は、本社国際部に在籍し、東南アジア合弁会社管理関係の業務を担当していたという経歴の持ち主である。
出向先である日本S工業株式会社は、コンピューター用精密部品等の製造を事業内容として1961年に設立し、現在資本金5,000万円、年商36億円、従業員125人。典型的な大手企業の下請会社で、岡山県に工場があるが、大手メーカーの工場海外移転に伴い既にタイで合弁工場を稼働中である。280人のタイ人労働者と日本人の現地会長副社長および3人の技術者で運営している同社は、副社長を補佐し工場全般を管理する工場長として、海外工場の管理職経験者でタイ語を話せる人を求めていた。
B氏は55歳の時に役職定年を迎え、既にラインの長ではなくなっていたが、会社の社外出向施策と本人の2度赴任したタイへの強い愛着から、定年60歳以降の再雇用を含め、タイで働く仕事を探したいとしていた。平成7年にタイから帰任した直後から人事部門へその旨を申し出て、すぐに日本S工業のタイ工場責任者として出向することになった。
中小製造業の海外移転が増加するなか、工場長経験者は引き合いが多いと聞く。ことにB氏のように実際に海外への赴任経験があり、かつ国内でも多面的なキャリアを積んだとなればなおさらのことであろう。このことは今盛んに言われる“複線型人事”の先の「キャリアの総合化」の重要性を物語る。管理職は管理職として、専門職は専門職としてその領域を固めるのではなく、一定の年齢に達したならば、それまでのキャリアを棚卸して、さらに別の途を準備することが必要となるのである。