第11回 『労務も知らずに上司といえるか』
雇用崩壊時代に生き抜く

 

(前)株式会社かんき出版 社長
コトづくり研究会 代表
境 健一郎

 

 高井伸夫先生がかんき出版から、表題の『労務も知らずに上司といえるか』を出版されたのは、2009年3月のことです。

 

 その前年、2008年前半までのビジネス社会の課題は、高齢化、少子化、グローバル化などの転換期に、どう対応するかでした。しかし、その効果的な解決策が定まる前に、アメリカのサブプライムローン問題に端を発したリーマンショックと、それに連鎖した世界的な金融不況が始まったのです。

 

 日本も2008年後半から瞬く間に、百年に一度とも言われる世界同時大不況に巻き込まれました。第2次世界恐慌とも言われたものです。

 

 

 ちなみに、恐慌(パニック)とは、経済用語ではなく、本来は心理学用語です。猛烈な不況の中で、社会全体がいいようのない不安や閉塞状態に陥り、先の見えない恐怖と戦う心理状態に追い込まれてしまったことをいいます。

 

 多くの企業が、このような先行き不透明な経営環境の変化や売上不振に耐えきれず、リストラやワークシェアリングなどによって、人件費削減や雇用調整を余儀なくされていました。

 

 このころに本書が出版されたのです。

 

 2009年に出版された書籍であり、現在は法改正により変更されている法律や指針もありますが、コロナ禍で、倒産、閉鎖、縮小などの危機を迎えた現在でも、参考にしたいことが多い内容です。

 

 そのコロナ禍のなかで、リモートワークやテレワークなどを体験したことにより、新しい雇用・勤務形態やビジネス、働き方、生き方が生まれつつあります。

 どのような時代になっても、個人も、企業も、生き抜く原則が、「高井哲学」として本書に書かれております。

 

 

 本書の「はじめに」の一部に、先生は次のように書かれています。

 その後に、本書より「高井語録」をいくつか集めました。

 

 

 ……このような雇用崩壊、雇用変革ともいえる時代を迎え、この荒波を乗り越え、生き残っていくための新たな課題・・・・・として、本書で特にわたしが強調したいのは、次の点です。

 

 ① 性別、年齢、学歴、雇用形態、国籍による差別をなくし、多様化を活かした組織をつくる。そのために、上司は過去の成功体験に頼らず、自らも成長を続け、部下にも正面から向き合って、よさ・強さをもった人材に成長させる。部下も「自ら正しく成長しよう」という意欲を大いにもつ。

 ② 誠実で成果を出す社員や、非正規社員といえども、専門分野・得意分野を磨いた人が尊ばれる組織や風土をつくるために、“含み損社員”に対し、的確な対応をする。

 ③ コンプライアンスの本来の意味である「社会の要求に応える」ために、「倫理的に、法律的に問題はないか」という社会を洞察する力と、社員をはじめとしたステークホルダーへの愛や慈しみいつくしみの人柄が求められる。

 ④ 今後ますます増えることが予想される部下のメンタルヘルスの問題に、適切な予防と対応をしておく。

 ⑤ リストラとスカウトなどにより、社員の流動化が加速する。それにともない、知的財産、個人情報を守ると同時に、社員や企業の不祥事やトラブルが発生した場合のリスクマネジメントを徹底する。

 

 これらはすべて人事・労務に通じる基本的な課題です。つまり、

 

 「労務を知らずして、上司とはいえない」

 

 という時代になったのです。

 

 私はこれまで、いくつかの企業の再建をお手伝いしてきて、あらためて感じることがあります。

 経営が危なくなったのが、外的要因であっても内的要因であっても、逆境やピンチを乗り切るカギは、「企業は人なり」です。

 

 その根幹となるのが労務です。

 労務とは、「上司と部下とのいい関係」を育むはぐくみ約束事です。

                                       (「はじめに」より)

 

 

  • 雇用崩壊時代のリストラとワークシェアリング

 

◎大恐慌下ではいかなるポストの正社員といえども、
 含み損社員であればリストラの対象とされ、
 解雇される運命にある。

 2008年12月9日付の「朝日新聞」は、アメリカの自動車メーカー「ビック3」のリストラを論じた記事で、「企業が公的資金導入による救済を求めるにあたっては、企業自身も利益の確保のために人件費を削減する義務がある」と論じています。

 このように、恐慌下においては、企業の社会的責任の一端として、リストラする「権利」ではなく、「義務」があるという概念が登場したのです。

 

◎標準化が難しく創意工夫が求められる
 「ハートワーク」の時代には、ワークシェアリングなど
 仕事を分かち合うこと自体が難しい。

 現場の実態をよく知る経営者は、次のように言います。

 「仕事を分け合うことで生産性は落ちるし、また、景気が回復し増産体制に入ろうとしても、一度、〝分かち合い“で力の出し惜しみが恒常化して心身を完全になまらせてしまうと、労働能力は容易には元に戻らず、その結果、企業は立ち行かなくなる」と。

 実際に以前、ベンツはリストラを実施して立ち直り、フォルクスワーゲンはワークシェアリングを選択して失敗したと言われています。

 

 

  • 強い組織をつくる人材マネジメント

 

◎従業員を一律に成長させるシステムは、もはや機能しない。
 今後は能力ある人材を厳選し、選ばれた者に、
 よりいっそう育成・投資を集中する必要がある。

 この人材育成による「選択と集中」を推進するにあたって、もっとも大切なことは、すべての部署で、まず「後継者を育てる」という認識・意識です。企業人、経営者、管理職者にとって最大の課題は、「教育的役割」「後継者育成」である—各リーダーにそう意識させることが、トップおよび上司の責務です。

 

◎能力の優れた社員が増えるにつれ、
 社員の関係はギスギスしていくが、そうなると
 管理職には、より高度なマネジメント能力が求められる。

 これからの管理職は、マネジメント能力、さらにはリーダーシップがあるかどうかによって、部下をもつ「ライン管理職」と、部下をもっていないが、職場の方向性を策定する戦略部隊として機能する「スタッフ管理職」に二極化していく。

 

◎従業員の副業を認める基盤を早急に整える
 必要があるが、副業を認めるにあたっては
 一定の条件を設定しなければならない。

 副業はこれまで原則として禁止されてきましたが、生活のためにダブルインカムを容認する方向に向かうのは必然といえます。ただし、認めるにあたっては就業規則の見直しから着手し、一定の条件を設定しなければなりません。たとえば、「同業他社での勤務は禁じる」「本業に支障をきたさない範囲に限る」などです。

 

 

  • 問題社員・含み損社員などへの対応

 

◎態度には、本人の本気度、やる気、
 モチベーションがはっきりと出るため、
 「態度」の評価をもっと重視すべきである。

 態度は、たんなる勤務態度にとどまりません。人事考課上は、本人の意識や自覚の高さを含む総合的な「執務態度」を意味します。具体的には、「組織の目的と戦略を理解しているか」、「上司が要望していることの意味を理解しているか」、そして「それを自分の日常に落とし込んで行動しているか」などに加え、報告、連絡、相談といった協働的態度のきめ細かさも要求されます。

 

◎人事考課などの資料と客観的合理性があれば、
 賃金の引き下げ措置は、
 法的に可能なことである。

 賃金をダウンせざるをえない社員に対して、人事労務コンプライアンスに則った降給を実施するには、まずは、就業規則に降給規定を設けることです。日本の就業規定には、「年一回昇給する」という規定があるばかりで、降給規定を置いている企業はあまりありません。そして、実際に降給規定を適用し、賃金ダウンを実施するには、人事考課の結果や評価、加えて、客観的合理性、すなわち社会的な妥当性が必要です。

 

◎労基法に「合理的な理由があれば解雇できる」
 という趣旨が盛り込まれたのは、
 企業が終身雇用を維持できなくなったからだ。

 たとえ景気が回復しても、革新を続けない企業に寿命があるように、成長しようという意欲のない個人にも〝賞味期限”があります。とくに成果が挙げられない社員や月給制もしくは年俸制の社員でも、〝賞味期限”が切れた人などを総称して〝含み損社員“といいます。このような人をやむを得ず解雇せざるを得ないところまで企業経営はきているのです。

 

 

  • 部下をもつ人の人事労務コンプライアンス

                                   

◎従業員の能力を常に把握し、時機に応じて
 給与に反映させる賃金制度が必要不可欠。
 定年延長問題は成果主義を促進する側面を持っている。
 (この項は2章より引用しています)

 能力評価を給与に反映させるのであれば、従業員が若いうちから、そうした制度を実施しておく必要があります。みんながみんな、能力があるわけではありません。もともと能力の低い人もいれば、能力はあっても人材としての〝賞味期限”が切れてしまった人もいます。成果主義が強まれば強まるほど、能力以外のことによる差別を禁止するという平等主義が強まり、あらゆる差別は撤廃に向かうはずです。年齢の問題もそうなるでしょう。

 

◎労働の質がソフト産業化すると、
 単純労働者と知的労働者の乖離がますます進み、
 労働時間による賃金決定が不合理なものになっていく。

 今日、労務の提供とは仕事の完成を意味することになりつつあり、労働時間をもって、その対価を計算することは不適切であるという意識が広まりつつあります。これにともない、新たに成果主義賃金体系にもとづく報酬のあり方を、法的に整備することが必要になってきました。その一方で、評価を厳格にし、昇給・降給と昇格・降格の規定とともに厳正に運用する手立てを確立することも重要です。

 

 

  • 部下のメンタルヘルスを意識する

 

◎健康管理は自己管理・自己責任が原点。
 自己保健義務の観点から、企業側も、
 従業員にその意識をうながすような施策を実行すべき。

 下記のような自己保険義務を規定した就業規則を明示している企業は、極めて少ないのが現状です。労災問題が起こると、真っ先に企業の安全配慮義務が問われますが、自分の心身は自分で守るのが原則です。

 「従業員は、自らの責任において健康保持に努めることとする」

 「健康診断の受診義務、必要な場合の再検査の受診義務」

 「従業員は、体調不良時には、職務に優先して、原則として会社が指定する診察機関などで受診する権利および義務を有する」

 

◎労災問題のなかで、もっとも重要かつ深刻なのは、
 メンタルヘルスの問題。上司の選定、職場環境の改善など、
 企業の積極的対応が不可欠。

 人事面では、上司には包容力や人間理解力が求められます。また、上司や管理職を中心に産業医や専門医らとのネットワークを確立するなど、精神障害に対応する体制づくりを考え、精神的健康管理に関する就業規則の整備にも力を入れる必要があります。

 また職場面では職場の温度、空気の清浄度などにも注意し、人間的な温かみがあり、ストレスを蓄積しにくい環境に改善しなければなりません。

 以上のような条件を備えていないと、勤労意欲が阻害され、生産性が減退することになります。これは、たんに従業員の問題にとどまらず、企業の病理現象ともなってくるため、職場環境の改善は、労務管理の重要な課題の一つといえます。

 

◎過労死対策としては、個人の耐性を見て、
 耐えられる人には重要なポストに、
 耐えられない人にはそれに応じたポストについてもらう。

 過労死の問題がクローズアップされたのは、長時間労働の問題だけでなく、ソフト化社会で競争が激化したことにより、頭と心を使うようになったこともその一因であると考えられます。要するに、精神的疲労によるストレスが過労死の主な原因になっているといっても過言ではありません。

 

◎パワハラに過剰反応すると、
 本来の指揮命令が不十分になる恐れがある。
 パワハラとの境界線を理解しておく。

 境界線の判断の基本的なポイントは、上司の指導、注意、叱責などの行為が、「職務と関係のあるものか」「業務上必要なものか」という点にあります。ただし、業務上必要であっても、その行為が、「一般的に必要とされる範囲を逸脱していない」ことに留意し、また人格を否定するような発言は厳に慎まなければなりません。

 

 

  • 知的財産の防衛とリスクマネジメント

 

◎管理責任者は、自社の企業機密・知的財産権を
 管理するだけでなく、他社から借りたり、購入したりしたものの
 管理にも気を配ること。

 その管理を明確にするための原理・原則を明文化しておきます。

 「企業機密・知的財産権の管理責任者を役職として設置する」

 「企業機密などの規定」

 「アクセスできる者の制限」

 「不要になった文書などの破棄」

 「企業機密・知的財産権の創出・評価の規定」

 役員や従業員が業務の過程で企業機密・知的財産権に該当する情報を新たに創出した場合には、その内容を管理責任者に遅滞なく申告し、または事前に報告し、了承を得なければならないという規定をつくっておくことです。

 

◎情報・知識・知恵を集約したものを共有できる
 システムを構築し、組織のフラット化を実現してこそ、
 企業の組織的活動は活力あるものになる。

 知的財産が高い評価を得る時代になると、次のことが重視されます。

 ①事実・データや数多くの情報から抽出された意味ある情報としての「知識」

 ②知識から生み出される付加価値としての「知恵」

 ③問題を迅速に解決する「知的価値」

 昨今、上司や同僚に、こうした情報や知識を開示しないケースが増えています。
 一方、優秀な頭脳を有する人の転職や引き抜きが繰り返されることによって、人材の流動化が生じています。だからこそ、知識や情報などの共有化とナレッジマネジメント、守秘義務の必要性を考える必要があるのです。

 

◎労働関係においては、企業機密の概念は
 まだ確定していない。各企業で営業秘密の範囲を
 意識的に明確にしておく必要がある。

 企業側は、営業秘密の保全を機能させるためには、契約で縛ることが不可欠です。それにより拘束力を生じさせ、損害賠償請求を可能にするというかたちで秘密保全を構築することが求められます。しかも、それに違背した者は、一律に厳しく制裁することを考えておく必要があるのです。

 

次回は12月25日(金)に掲載します。

 

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