「明るい高齢者雇用」

第44回 70歳過ぎて現役―衰える心身機能:プロ集団形成めざす

(「週刊 労働新聞」第2191号・1998年2月23日掲載)

 

 これまで、多方面の取材を踏まえて高齢者雇用について論じてきたわけであるが、ある読者から「高井法律事務所こそ高齢者雇用を実践しているのではないか」とのご指摘をいただいた。これまでの取材を通じて、高齢者雇用の難しさや問題点を把握することができたが、その成功事例となると少ないといわざるを得ない。私共の事務所が成功事例と言えるものかどうか分からないが、「種々の職業経験を積んだ高齢者はその分野において仕事のプロ」であるという認識のもと、高齢者採用について力を入れてきたのは事実である。法律事務所というのは弁護士がその資格において行う活動のほかに情報の収集から慶弔の挨拶まで種々の業務や事務が発生する。これらをその道の専門家に行っていただくことで法律事務所としての戦力がトータルで向上するのである。今回、当事務所の高齢者雇用を客観的に評価してみるつもりで、事務所の社外相談役にお願いして、当事務所の5名の高齢者職員を取材していただいた。高齢者雇用の何らかのヒントを読者と共有したいと考える次第である。

○中国問題の専門家の採用

 最初は中国問題の専門家、足代清(あじろきよし)氏である。足代氏は大正15年生まれの71歳。昭和18年に大阪府の派遣生として東亜同文書学院に入学、生涯を東亜の発展に捧げるべく上海に渡った。これが中国通となるきっかけである。その後、終戦を迎え、京都大学経済学部に転入学し、近代経済を専攻した。ゼミのほとんど全員が学者を目指して大学院に残る中、海外雄飛の夢捨て難く、大手海運会社に入社した。その海運会社では皆が憧れる欧米勤務を望まず、一貫してアジア地区を担当として香港に勤務したのである。海外勤務を経験した社員は次には「できるだけ早く日本の本社に戻りたい」と言い出すのが常であるが、彼は「自分を切り拓くのは香港だ。現地の人との交流を深め商圏を確立したい」と意欲を燃やし続けた。中国海運の近代化・コンテナ化における彼の功績は大きく、中国交通部から高い評価を受けた。

 そして、昭和54年に大きな転機が訪れる。今日でいうヘッドハンティングを受けたのである。当時中国進出を企図する大手都銀が中核となる人材を探しており、彼に白羽の矢が立ったのだ。それも頭取自らのヘッドハンティングによりその都銀に転身することになり、昭和57年には初代の北京駐在員事務所長に任命された。プロパーの行員でない者の登用は極めて異例なことであり、当時の銀行業界を驚かせるほどの人事であったという。

 北京駐在員事務所長時代の彼は長年培った中国に関わる深い造詣と堪能な北京語を駆使して金融界・貿易会に多くの人脈という財産を築き上げ、帰国後も顧客の中国進出の支援に貢献したのであった。結局彼は都銀として異例な処遇を受け、70歳を過ぎるまで雇用を全うされたのである。現在高井法律事務所では上海事務所の開設に向けて準備を進めている。中国に精通した足代氏を昨年の9月に当事務所に迎えたのも、その余人をもって替え難い専門性と年齢を感じさせない心身の若々しさによるものである。

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