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「AIと私たち」 第12回(最終回)

AI時代の生き方

 

 AIについて個人的に学び始めて4年と少し。この間に世界は着実にAIを発達させ、私たちは多くの恩恵を享受している。3年前は「AIが人の仕事を奪う」という悲観論が多く聞かれたが、今ではAIとの共生を前提とした議論(AIでできること、危険性、対処法、法整備等々)が活発になっている。特に我が国は元々他の先進諸国に比して労働時間が圧倒的に長く生産性の低さが指摘されているところに加え、深刻な少子高齢化による人口減、労働力不足が加速する中、AIの活用による生産性確保は国力維持に欠かせないと言っても過言ではない。世界一の長寿国家ゆえに「日本は世界で最もAIの導入に適している」という声も聞かれたほどなのに、「AI後進国」と揶揄されるようになってしまっている現状を覆すには、相当な時間と改革を要する。

 

■国のなすべきこと

 国レベルでは社会的なコンセンサスを積み上げ、制度設計を進めると同時に、AI教育の地盤を強固なものにしなければならない。2020年度から英語と同時にプログラミング教育が小学校で必修化されることはその一端であろう。プログラミング教育といっても、プログラミング言語を学ぶのではなく、「コンピュータを受け身ではなく、積極的に活用する力」や「プログラミング的思考(論理的思考力)」の習得を目指す。指導者(教師)側が対応できるのかという懸念はあるが、先送りにする時間的猶予はない。

 また、国は人生100年時代も見据えた「リカレント(学び直し)教育」に力を入れ、AI人材を増やしたい意向だが、こちらも我が国はOECD諸国の中で世界最低水準と評されている。国民性や制度の差もあれど、労働時間が長く低賃金傾向にある現在の日本において自主学習できる国民は限られており、「時間がない」、「お金がない」の2点が突出した障害となっている。社員に手当を出して積極的に学び直しを進めたり、教育プログラムを組んで社内で人材を育てたりする企業もあるが、これらは体力のあるごく限られた大企業の話。我が国の全企業数のうち99.7%を占める中小企業の人材を育てるには、国のバックアップが必要である。未来に向けた幼児教育、高等教育の改革は勿論重要であるが、現役世代にも相当額の投資がなされなければならない。

 

■企業のなすべきこと

 ただし、国のバックアップがあったとしても、現役世代が学び直しを果たすためには、各企業内で少なくともヒトに余裕を生む必要がある(カネについては国の援助を活用する道がある。文科省HP参照http://www.mext.go.jp/a_menu/ikusei/manabinaoshi/index.htm)。そのためには生産性の向上が欠かせない。人間よりもAIが優れている分野はどんどん任せ、人間は人間がやるべき仕事だけに集中することで、作業量は減ると同時に作業効率は上がり、確実に余裕が生まれる。

 雇用形態は既に変容しつつあるが、今後、人口減に適応した働き方への移行が否応なく求められる。AI等のIT技術を積極的に取り入れ、リモートワークや週休3日制、フリーランスや副業等、一企業としてではなく、国全体でより生産性が見込める働き方を受け容れ、対応していかねば、企業としての生産性が上がらないことはもちろん、人材離れをも招きかねない。AIが雇用の流動化を後押しし、経済が活性化すれば、結果的に各企業の利益につながる。

 AIの導入にかかる初期費用は技術進歩によって年々下がる一方、導入できる分野や作業は年々増え、同時に、AI導入を手助けする企業やサービスも拡大している。よく分からないからといって蓋をせず、1日でも1時間でも早く着手すること。その分だけ競争に勝ち残る確率は上がる。

 

■個人のなすべきこと

 AIについて意欲を持って向き合っている人が確実に増えていることは、弊所主催のAIセミナーへの参加者傾向からみて明らかである。そして若者は新しいツールを抵抗なく受け容れる。今の子どもたちは1歳でスマホのスワイプ(画面移動)やピンチイン・ピンチアウト(縮小・拡大)を自然に覚えてやってのける。喋る冷蔵庫もお掃除ロボットも自動運転車も当たり前に存在する世界で成長する彼らには、「AI」という区分すらなくなるかもしれない。昔は「AI」だったものが技術進化によって常識になり、「AI」とは呼ばれなくなる、というのは松原仁教授(公立はこだて未来大学教授・人工知能学会 前会長)も述べているところである。

 ただし、現在時点において我が国の人口は中高年齢者層の占める割合が圧倒的に高い。AIを含むITリテラシー(知識・利用能力)が低く、それゆえに恐れ、変化を嫌う層であり、国・企業のトップを占めるのもまたこの層であることがAI改革停滞の一因であることは否めない。この意味で、個人の意識改革が日本のAI時代の大きな鍵を握っているのである。

 

■学ぶことがAIの信頼性を高める

 4年間AIを見つめてきて、5年は当然、10年先を見据えて動かなければ取り残されることをあらためて実感している。短期的にはGAFA(米グーグル、アップル、フェイスブック、アマゾン・ドット・コム)に代表される大手IT企業がその利益を享受しているように見えるかもしれないが、中長期的にはAIの生産性の恩恵は社会全体に行き渡る。この過程において受け身でいては、自身のデータを、ひいては自分自身を都合よく使われるだけになってしまう。個人が学び、納得のうえで情報を使う環境を選び、データ管理の技量を上げる。それは今の自衛はもちろんのこと、高齢化の備えにもつながる。AIについて理解することまでは難しくとも、AIの使い方やデータリテラシー(知識・利用能力)は身に着けられる。人間はAIが使える分野・課題を考え、明らかにしてAIに対応させ、人間の得意分野と棲み分ける。そうした意識がAIの信頼性を高める。

 人生100年時代において生涯学習が叫ばれる昨今、AIを新たな生きがいにしてみても良いのではないだろうか。

 

 まとめ

 ・AI人材育成の鍵は国と企業の相互努力と中高年齢層の意識改革

 ・AIを学ぶことでAIの信頼性を高める

 ・AIを人生100年時代の生きがいとせよ

 

(終/担当 高井・團迫・宇津野)

 

「AIと私たち」 第11回

AI応用期を迎えて

 

 「AIはすでに学術研究の時期を終え、世の中で応用する活用期に入った」―先日、AI企業への総額23兆円の巨額投資を発表したソフトバンクグループの孫正義会長兼社長の言葉である。日本企業の経営者の多くは先輩がつくったものの焼き直しをしており「真剣さが足りない」との厳しい言葉も並ぶ(日本経済新聞2019年7月28日朝刊2面)。

 

■課題は当事者意識の希薄さ

 当連載でも欧中米に対する日本のAI関連分野の遅れは指摘してきたところであるが、昨今はもはや我が国がAI先進諸国に追いつくことは不可能であり、これ以上差を開けられぬようにする他ない、といった論調が多く見られる。研究職等の専門家だけでなく、国民皆が、特に中小を含む経営者層が当事者意識を持ってAIを理解し、取り組まねばならないことは、各所で繰り返し発信してきたが、個人レベルの理解に留まり、企業や国を挙げた大きな流れを生み出すまでには及ばなかったことは至極残念である。経営者の多くはこの5年程を「AIはなんだかすごいらしい」「AIで何かできるらしい」という段階から動けないままであったように思われる。

 いずれ社会システム全般がAIの支配する機構へと変革する。その中でAIと人事労務の関わりはさらに大きく変質し、労働法もまた大きく変わりゆくだろう。政府は「同一労働同一賃金」の実現に向けてパートタイム労働法(改正後は「パートタイム・有期雇用労働法」)、労働者派遣法を改正し、2020年4月1日からの施行を決めた(中小企業の「パートタイム・有期雇用労働法」の適用は翌2021年4月1日から)が、AIが普及すればこの問題もかなり様相を変えるはずだ。低生産性層や低賃金層とAIとの職務の代替の進み方如何だからである。AIが労働市場や労働力に与える影響は計り知れない。労働市場の分析や新しい雇用指標も必要であろう。

 AIはすでに人間と共存している。その活躍の場は多岐にわたり、生活のありとあらゆる面で人間をサポートしつつある。研究者・開発者等の専門家に委ねるのではなく、個々人が当事者意識を持ってこれを前提としたより良い社会づくりを考えなければならない。

 

■AI利用に潜む危険性を考える

 AIに絡む問題の恐ろしいところは、インターネットやデータと密接に関わることによる操作簡易性、拡散性、その速度・範囲が世界に及ぶという広範囲性と永続性ではないかと思う。

 2018年4月には、AIによって「偽造」された、前アメリカ大統領バラク・オバマ氏が現トランプ大統領を非難する「フェイク動画」が話題になった。大した手間も掛けずに作られた政治的目的、経済的利害関係を持ったフェイク動画が一瞬で世界中に拡散され、「フェイク」であることが見破られない限りごく簡単に世論を動かし、社会的混乱を招く。

 2019年8月に日本で起きた、就活生の「内定辞退率」予測データを販売した「リクナビ問題」では個人情報というデータの取扱いが深刻かつ重大な問題となり、大きな議論を呼んだ。AIと共存し、より生産性の高い新たなサービスを生み出していく中で、その根幹となるデータの利活用の流れは必然である。必然だからこそ、それを皆が受け入れられるような仕組みやルールの整備が欠かせない。本件も諸問題が「適切に」処理されていれば、より精密・迅速な採用活動や雇用のミスマッチ解消、ひいては経済活性化に資するサービスであったと思われる。大企業が当該データを購入したとの報道が後を絶たないのはその証左である。今回の事態は、AIやデータ経済の進展に企業はもちろん、国民も、そして国も追い付いていない実態が露呈したとも受け取れよう。

 

 政府は6月に大阪で開催されたG20サミットにおいて「信頼ある自由なデータ流通(DFFT))」を提唱し、経済産業省がデータ活用事例集の公表準備を進めている(参考:経済産業省によるDFFTコンセプトサイト)。法制度、企業倫理、個人の意識をAI時代に適応させることが急務である。

 

 

 まとめ

 ・個々人がAIとの共存に対する当事者意識を持つこと

 ・AIとの共存における利便性とともに危険性を理解すること

 ・国、企業、個人がそれぞれにAI時代に適応すること

 

(第11回ここまで/担当 高井・團迫・宇津野)

 

「AIと私たち」 第10回

AIをめぐる法的責任~著作権と法人格

 

 今回はAIの権利について、AIが生み出したコンテンツの著作権をテーマに考えたい。AIの発達は小説、絵画など様々な芸術分野での機械創作を活発化させている。AIの成果物は誰のものか、権利の帰属や利用のルール整備が追いつかなければ混乱しかねない。

 英国の著作権法は1988年の改正において、コンピューターによる作品の著作者は「創作に必要な手配をした者」と定め、コンテンツの創作過程にAIの介入があったとしても、AIを用いた人間が著作者であると明示した。一方、日本の著作権法は、著作者を「著作物を創作する者」、著作物を「思想又は感情を創作的に表現したもの」と定義している(同法2条1号2号)にとどまっている。

 

 結論から言えば現状、AIによる「著作物」は存在しない。「著作物とはあくまでも人が思想や感情を創作的に表現したもの」というのが現在の政府見解であり、「人が関与して創作した」コンテンツでなければ著作物とみなされないためである。すなわち、既に多数発表されている、人間がAIを道具(プログラムソフトなど)として用いて生み出された詞・曲、小説、絵画等は、あくまでも人間の著作物であり、著作者も著作権者も人間となる。

 これに対し、AIが独自に生み出したコンテンツについては「著作物」とみなさず、よって著作者も著作権も発生しないとする。その理由としては、「人が関与していない」こと、あるいは、「思想や感情を創作的に表現したものとは言えない」ことが挙げられている。後者については、「AIの独自創作だから“人の”思想や感情を反映していない」と考えることもできるし、「AIには思想や感情がないから、思想や感情を反映していない」と考えることもできよう。

 しかし、現在のAIの創作の源がデータ収集と機械学習に基づいていることからすると、世界中の膨大な「人の思想や感情」データを集約して生み出されたコンテンツは、人の思想や感情を反映していないと言い切れるのだろうか。他方、過去にも述べたが、今後AIが感情を有する可能性は決して否定されておらず、将来にわたって「AIが生み出したコンテンツは、人が思想や感情を創作的に表現したものとは言えない」と断言することは難しくなるように思われる。著作権は人間に限って生ずる、とするならば、著作物の定義をより明確に設定することが求められるのではないだろうか。

 

 一方で、AIが独自に生み出したコンテンツが「著作物」ではないと認定された場合、そのコンテンツは著作権による保護を受けられないという点も問題視されている。AIに創作指示を出した人間は、そのコンテンツの使用料の請求や使用の差止めなど、何らの権利行使ができないし、そのコンテンツは世界中で転用され放題となる。この問題について政府は、「AI創作物を世に広めて一定の価値(ブランド価値など)を生じさせたこと」に対して権利を付与する方向性を打ち出しているが、具体的な結論は出ていない。

 

 では、AIに著作権を認める方向へ舵を切ることはないのだろうか。たとえば株式会社には法人格、すなわち、法律的には、権利義務の主体たる資格(権利能力)を与えられる。同様に、AIに人と同じような法的権利を与えることはできないだろうか。実は欧米では既に、こうした法律上の責任主体としての人格をAIに与えようとする動きが出ている。

 会社が法人格を持つ所以は人が企業を構成するからである。例えば経営者、労働者、株主等々の人間が関与してこそ会社が成り立ち、国民経済的に有用な機能を営んでいるからである。そのため、その形式的独立性を認めることが正義・衡平に反する結果をもたらす場合には、法人格は否認される。

 これに倣えば、AIに人格を与えるためには、AIが人間の道具でなければならないと思料されるところ、AIが人間とは別個の意思を持つ、増殖能力を持つ存在になれば、それはもはや道具とは言えなくなるのではないだろうか。これをどう工夫していくかがポイントである。無暗にAIに権利能力を与えれば、人間がAIをコントロールしきれなくなり、人間との協調が難しくなるかもしれないことにも留意が必要である。

 

 まとめ

 ・AIの創作物は著作物として認められず、著作権も生じ得ない

 ・欧米ではAIに権利義務の主体たる法的資格を与える動きがある

 ・無暗にAIに権利能力を与えれば人間によるコントロールを失いかねない

 

(第10回ここまで/担当 高井・團迫・宇津野)

 

「AIと私たち」 第9回

AIの責任能力~自動運転車

 

 AIが人と安全に共存していくためには一定のルールが必要である。しかしながらAIの発達の速度や規模に対し、AI周辺の法的課題の検討は遅れがちであり、新たな技術の導入の壁や足枷になっていることも少なくない。

 

■自動運転車による事故責任の所在

 身近な問題としてよく議論されているのが、AIによって自律稼働するロボット、機械、コンピューターが、人間や物に被害を与えた場合の責任は誰が負うのか、という問題である。たとえば、協調型ロボットが隣で働く人間の従業員を怪我させた場合や、自動運転車が事故を起こした場合、法的責任は誰が負うのか。自動運転技術の現状と共に取り上げてみる。

 

 現在、我が国では、東京五輪が開かれる2020年に向け、緊急時などシステムが対応できないときだけ運転者が操作する、「レベル3」の自動運転車の実用化をメーカー各社が急いでいる。

 2018年3月、限られた条件で運転を自動化するレベル(レベル4まで)においては一般自動車と同様に所有者に賠償責任を負わせ(参考:自動車損害賠償保障法3条)、メーカーの責任は車のシステムに明確な欠陥がある場合のみとする政府方針が示された(ハッキングによる事故の賠償は、盗難車による事故被害と同様に政府の救済制度を使用)。レベル5の「完全自動運転車」に達しない限りは「自動車の所有者、自動車運送事業者等に運行支配及び運行利益を認めることができ、運行供用に係る責任は変わらない」ことを理由として挙げている。この政府方針によってメーカーが過大な責任を負う懸念が薄れ、自動運転車の事業化の動きが加速したといえよう。

 

 レベル3以上の自動運転では運転主体が人間ではなくシステムになるため、これまでの道路交通法では想定外であるとして議論されてきたが、2019年5月、安全基準を定める改正道路運送車両法と、自動運転車の公道走行を可能にする改正道路交通法が可決、成立した。ただし、日本が批准している道路交通に関する条約、「ジュネーブ条約」は未だレベル3の自動運転は認めておらず、この改正に向け世界各国が主導権争いをしている状況にある。また、自動車の国際的な認証について話し合う国連欧州経済委員会(UN-ECE)の自動車基準調和世界フォーラム(WP29)もレベル3について認めていない。しかしこちらも2019年後半までにレベル3の国際基準案策定を目標としており、世界基準でレベル3が認められる日は近いと思われる。

 

■AIの判断に対する予見可能性

 こうしてみると自動運転周りの法改正や基準の策定は確実に進んでいるのだが、実は刑事責任についての議論は宙に浮いている。運転者は危険運転致死傷罪あるいは過失運転致死傷罪(自動車運転死傷行為処罰法2条3条5条)、メーカーは業務上過失致死傷罪(刑法第211条)に問われる可能性があるが、運転主体がシステムである状態で、運転者に予見可能性や結果回避義務はどこまで認められるのだろうか。

 

 事故原因がAI等の「故障」にあれば、メーカーが製造物責任を問われる。しかし、AIの「判断ミス」が原因である場合、どこまで製造物責任といえるか。すなわち、「AIの判断」のうちどこまでを「人間による製造物」と看做すのか、という問題だ。AIが人間を超えるシンギュラリティが訪れれば、人間の予測の限界を超える事象や問題が必ずや生じる。予見可能性のない事象に対して人間に責任が課せないとなれば、AIが責任を負えるのか、AIの責任の取り方とは、刑罰とは、といった点まで議論が及ぶことになるかもしれない。技術はあるのに運用できないということのないよう、先手先手で検討を進めなければならない。

 

 まとめ

 ・2020年を目処にシステム主体の自動運転車が実用化

 ・自動運転の事故賠償責任は原則、所有者にある

 ・刑事責任については検討が薄く、今後の課題である

 

(第9回ここまで/担当 高井・團迫・宇津野)

 

 

 

「AIと私たち」 第8回

AIがAIをつくる未来

 

 AIは幾度かの「冬」を超えつつ(当連載第1回参照)も、着実に研究・発達・進化を遂げ続けている。四半世紀後に迫る「2045年問題」は現実となるのだろうか。

 

■2045年問題とは

 コンピューターチップの性能は18ヶ月(1.5年)毎に2倍になる、と予測した「ムーアの法則(1965年発表)」に基づいて計算すると、2045年にはコンピューターの性能が人間の脳を超える。これが2045年問題である。

 実際に、これまでコンピューターは「ムーアの法則」並みの速さで進化を続けており、「学習」が可能となったAIを備えればその進化は加速度的に進む。人類の知能を超えたAIが、更に自分よりも優秀な「AI」を開発すれば、AIは爆発的スピードでテクノロジーを自己進化させ、人間の頭脳ではもはや予測・解読が不可能な未来が訪れると予測されているのだ。文字認識や画像認識、フィンテックなど、既に特定の分野では人間を超えたAIが多々活躍しており、機械が独自の進化に踏み出す可能性を大いに感じさせる。

 コンピューターが人間を超え、人間にとって予測のつく限界の時点は「技術的特異点」と呼ばれており、これ以降の世界についてNASAとGoogleが協働で研究機関を作って議論しているが、コンピューター対人間の戦争が起きるとする説、私たちが現在いる宇宙とワームホールで行き来することができるもう一つの宇宙をコンピューターが創るとする説など、まるで映画や小説のような仮説ばかりである。この仮説こそが人間の脳の限界を示しているのかもしれない。

 

■AIは自発的な意思を抱くか

 AIが感情や意思を持つ可能性について、今のところ有識者の意見はまったく統一されていない。

 「人間の脳をそのまま再現できれば、AIも感情を持ち得る」との声や、「意識が生成されるカラクリが分かっていないのだから、AIが設計者の思惑を超えて原始的な意識を創発する可能性は0ではない」という声もある。

 一方で、「生命を持たないAIには生存本能がない。したがって、生存や増殖といった目的を自発的に持つこともない」として、それに伴う感情や意志も持ちえない、という声もある。肉体があるからこそ備わる感覚もあり、ロボットにセンサーを付けて感覚器を作っても完全に補えるとは言い難い。たとえば人間は赤ん坊でも「空腹になったら食べる」とか「動いているものに注目する」ということを知っている。これは人間が生物進化の長い歴史の中で、いわば遺伝子で獲得した常識である。生命があるがゆえのそういった基礎を持たないAIには、それを知識として学習することはできても本質的に身に付けることは難しいように思われる。

 しかし、冒頭で述べたとおり、AI技術は加速度的に進化しており、今日できなかったのだから明日もできない、というスタンスでの議論には意味がない。「人間がAIを作る」という固定観念を離れ、人間ならではの自由かつ豊かな発想で未来を描かねばならない。

 2019年時点において、生命の有無は人間とAIの最大にして決定的な違いである。しかし、「生命」あるいは「肉体」の定義は、50年後、100年後も変わらないだろうか。「生命」や「肉体」があるからこそ生まれ出るとされる目的を、AIが持つことはないと言い切れるだろうか。人間の意思によるものか、あるいはそうでないかは分からないが、「AIがAIを作る」とき、人間の推し量れないAIが生まれる可能性は否定のしようがない。

 誰かが課題を指摘し、解決したいという需要が出てくれば、その技術的限界はなくなっていく傾向にある。人間がより進化したAIを求め続ける限り、AIが、創造力・感情・本能といったものを備える可能性はあるといえよう。それを念頭に置いた上で、人間とAIとの共存を考えなければならないのである。

 

まとめ

・2045年にAIが人間を超えると予測されている

・AIが意思を持つ可能性は否定できない

・あらゆる可能性を視野にAIとの共存を検討せよ

(第8回ここまで/担当 高井・團迫・宇津野)

 

 

 

「AIと私たち」 第7回

AIと人事労務(4)育成・経営・労務管理

 

■AI時代の人材育成

 第一に、AI時代の人材育成には、AIが発達する速度が激しい分、より一層のスピードが求められる。AI周りの技術進歩は加速度的であり、小学校で教わった基礎知識が中学校を卒業する頃には化石扱いとなる可能性も決してゼロではないのである。将来の発展性まで見極めた上で育成しなければならないのだから、教育者・指導者には極めて高い知識と情報収集力、予見力、柔軟な姿勢が求められよう。

 

 第二に、AI時代の人材育成は長期にわたって行われなければならない。第3回第6回でも触れたが、まず、学校教育による長期育成が必要である。また、社会人育成においても3、4日の研修によって新しい仕事をこなすことができる時代は去った。成果を上げるためには一定の年月が必要で、かつ、それを迅速に展開しなければならない。

 そのためには、人事労務の専門家が積極的に人材育成に当たらなければならない。AIの機能拡充に伴って先を見通した人材育成、人事配置をしていかなければならないからである。未来を見通して職種を決定するという人事配置に繋がる人材育成は、教育だけではなく、AIについての理解が深い人材が当たるべきである。同時に、労働移動もよりスピーディーに行われなければならない。

 

 第三に、若者の人材育成に注力することはもちろんであるが、中高年層の人材育成も大いに心掛けるべきである。平成の終わりになってもパソコンが扱えない大臣がいたように、AI時代に取り残される中高年層が大量に生まれることは容易に予見できる。これを克服するには教育、人材育成に依るほかあるまい。

 AIが発達し、人間の仕事へ参入すると、ベテランであることがかえって重荷になる。新進気鋭の人材がどんどん伸びていくのに対して、中高年層は伸びが遅く、AIの攻勢に晒され、担当職務がこなせなくなるからだ。人材育成の在り方を根本的に変えなければならない。若者中心から、中高年中心も抱き合せたダブルデッカー(2階建て)の人材育成へ変えなければならない。

 AIによって担当職務が陳腐化し、その職務に就けなくなった者は、新しい職務に対する理解を深め、現実にそれを実施して成果を上げる必要がある。すなわち人事労務担当者はまず、対象者が新しい職務を理解できるように落とし込まねばならない。新しい職務がインターネットやITに関わる内容である場合、それらに疎い世代にいかに短時間で本質を理解させ、苦手意識を払拭させ、むしろ好意的に受け止め、実施し、成果を上げてもらえるように導くかが、人事労務担当者の腕の見せ所である。

 

 AI時代の労働者は、AIを作る人、使う人、使われる人、そして、使われることも出来ない人の4つに分化する。我々はAIを使う人に、更に言えば作る人にならねばならないし、そういう人材を育てなければならない。

 

■労務管理にもAIの活用を

 AIによるデータ分析の特徴に「客観的」という面がある。これは個人の感情を抜きにして公平な分析や見解が欲しい場面で役立つ。そこで近年では、AIを人事労務管理に活用する企業が増えてきている。

 これまでは上司や経営者が勘と経験などの主観で行ってきた評価や配置を、AIであれば膨大なデータを基に、客観的かつ網羅的に全社員を把握し、的確にかつ驚異的な速度で処理できる。退職リスクが高まった社員を検知し、アラートを発することも可能である。

 歩行パターンや行動データをAIで解析することで、組織内の人間関係を推定して効率よく仕事をこなせる組織づくりを行ったり、職場でのコミュニケーションや時間の使い方などの組織活性度の向上につながる行動に関するアドバイスを各人ごとに配信したりするサービスもある。

 これらは言うまでもなく企業の競争力向上や働き方改革につながる。組織マネジメントの根幹にこそ、積極的にAIを活用していくべきである。これによって人事労務担当者の仕事がなくなる、と危惧するのであれば、それは自身が「AIに使われる人」あるいは「使われることも出来ない人」であるということである。

 

まとめ

・AI時代の人材育成キーワードはスピード・長期・中高年

・AIを作る人、使う人、使われる人、使われることも出来ない人の4つに分化

・労務管理にもAIを積極的に取り入れよ

 

(第7回ここまで/担当 高井・團迫・宇津野)

 

「AIと私たち」 第6回

AIと人事労務(3)キャリアコンサルタントの台頭と教育改革

 

■AI時代の働き方環境整備

 AI時代におけるキャリア転換を円滑に進めるには、個人の意識改革と同時に、社会にも意識や制度の改革が求められる。新たな能力開発を促す財政的支援や教育・職業訓練機会の提供、スキルを得た人が働き場所や働き方を変えやすくなるような法制度改革といった労働市場の整備が必要となる。例えば、短期での転職者に対する企業側・社会全体の意識改革、失業保険給付や有給休暇付与の条件変更などだ。都市部にしかない業種・会社の仕事に、地方在住者でも従事できるようなリモートワークの拡充も急がれよう。

 *リモートワーク…従業員が会社に出社せず、自宅など自由な場所で仕事をする働き方。

 高齢化が加速度的に進み、特に都市部で介護施設の供給が追い付いていない現状からみれば、介護離職に追い込まれる人材は増加の一途を辿る。人材不足と介護貧困の両問題を解決するには、時間と場所という制約について極めて柔軟な働き方を実現するほかにない。幸いにもAIやIoTによってそうした対応が技術的に容易になっているのだから、採り入れないのは人間の怠慢である。それで人が足りない、外国人を呼び込めと言っているのでは順番が違うのではないだろうか。

 

■キャリアコンサルタントの需要拡大

 産業構造の転換に対応した人材育成や成長分野への労働移動も必要になる中で、今以上に活躍が期待されるのが、職業選択や職業生活設計、職業能力の開発・向上に関する助言や指導を行うキャリアコンサルタントである。

 AI時代には既存の職種に代わる新たな職種が多く生まれるから、キャリア転換においても職種変更が多々生じうる。職種の変更は労働者のそれまでのキャリアを失わしめる行為であり、自分の人生を半ば失うことと同義といっても過言ではない。これを回避するために最も重要なのは、人生における最初の職業選択である。すなわち、将来に向けた職業とのマッチングだ。AI時代のキャリアコンサルタントは転職者だけではなく、むしろ新入社員にこそ大切な存在になるのではないだろうか。

 また、AI分野の知見のない企業の人事部だけでは、長期的に見て有効な採用・配属、さらにはその後の配置転換を判断できなくなるから、キャリアコンサルタントの意見を重視しなければならなくなるだろう。

 もちろん、これからのキャリアコンサルタントがAIの基礎知識を得るのみならずAIの今後の発展状況について逐次新しい情報を習得し、知見を養うことは大前提である。よりキャリアを伸ばす方向、すなわち、AIに奪われない、人間固有の能力に特化した方向へと提案しなければならないからだ。

 

■教育改革の必要性

 人材育成に取り組むリーダーや指導者、教師などの教育者層を再教育する必要性も高まる。トップ人材の育成とミドルスキル人材の底上げは、社会人教育のみならず、大学や大学院教育でも必要である。これに国は投資しなければならない。

 特に学校教育は抜本的に変えていかなければならない。小学生になる今の子どもの65%は、現時点で存在しない仕事、すなわち、将来生まれる新たな仕事に就くと予想されている。前回述べたように、創造性やコミュニケーション能力の醸成が極めて重要になるだろう。

 

■文理一体の改革を

 第3回で述べた通り、日本のAIやIoTといった最先端技術分野の人材不足は極めて深刻なのだが、これを受けた国は端的にAI人材を増やそうと理系強化に奔った。すなわち、2015年9月、文部科学省が国立大学に対し、人文科学や社会科学、教員養成について組織の廃止を含む見直しを求めたのである。

 しかし、AI時代には機械には真似できない「人間力」を養う文系学問の重みが増す。前回述べた「社会的知能」もこれに類するものだが、AIに対する人間の有利性を補強する力が大切になるのである。実際、英米の人工知能科学者は、「若い人には、数学や自然科学に加え社会科学、人文科学と幅広い分野をバランスよく教えるべき」、「自然科学は世界をどう理解するかを教え、人文科学は我々自身をどう理解するかを教えるので非常に重要。科学技術と支え合う道を探るべき」だと述べている。

 日本はAIを開発・研究する理系学生を増やすと同時に、AIを扱う人間を育てるためには文系も蔑ろにせず教育の質を高め、理系学生にも文系科目を学ばせねばならない。2021年からセンター試験に代わる「大学入学共通テスト」で問われるのは、従来の詰め込み型の知識や1つの正解ではなく、課題を見つけ、解決へ向けた思考力・判断力・表現力などの総合力である。

 AI時代においては理系、文系と区切ること自体が最早ナンセンスである。「仮説を立て検証するプロセスの訓練」と、「技術や科学を面白いと思う気持ち」を育成し、豊かな言葉で表現する、「人間力」を高めることが肝要である。

 

  まとめ

 ・企業も意識改革とリモートワークなどの環境整備を

 ・AIに長けたキャリアコンサルタントを活用する

 ・文理一体の教育で人間力を強化する

 

(第6回ここまで/担当 高井・團迫・宇津野)

「AIと私たち」

第5回 AIと人事労務(2)人間にしかできないこと―キャリア転換の要―

 

■キャリア転換の必要性

 経済協力開発機構(OECD)によると、2018年の日本の就業者一人当たりの労働生産性は加盟36カ国中21位であり、主要先進7カ国でこの50年近く最下位である。さらにこの先少子化により生産的労働者数が減れば、一人当たりの生産性が急上昇しない限り、我が国の経済成長は益々鈍化する。世界一の高齢化率を誇る我が国が労働力を補い、あるいは生産性を高めて国力を支えるには、AI等の新技術の導入は不可避であり、人間は「人間にしかできないこと」へのキャリア転換を迫られる。

 AI時代においてキャリアを繋げていくためには、AIを受け容れ、共存・協調の姿勢でいることは大前提として、AI時代でもなお「変わらないこと」を見極め、不変の知識や能力を身に付けておくこと。それに加えて、「人間にしかできないスキル」を身に付け、磨きをかけていくことが肝要である。これは必ずしも「仕事」に限らなくてもよいが、「人間にしかできない何か」を成して人生を謳歌し、お金も稼げるのであれば言うことはない。

 

■人間の有利性

 では「人間にしかできないこと」とは何か。よく言われるのは創造性を要する分野である。芸術やデザイン、発明に限らず、過去にデータのない柔軟な発想はAIからは生まれない。例えばAIには、2本の紐と板を組み合わせたブランコが「楽しい」という発想はできない。

 マネジメントやホスピタリティにまつわることなど、人との高度なコミュニケーションもAIには難しい。例えば人事考課でも、AIが導いた解をパソコンが人に伝えるのと、人が人に伝えるのでは、受け手の印象が大きく異なり得る。また、人を動かすのは人である。多様な価値観を受容できる柔軟性や感情に訴える表現能力、すなわちリーダーシップやカリスマ性といったものが人を動かす。人間同士のコミュニケーション能力やチームワークなどの社会技能は人間にこそ成せるものである。創造力、交渉力や指導力といった「社会的知能」は社会や文化に関する豊富な暗黙知が必要であり、機械には求め難い。

 直感や常識を有することも人間の強みだ。将来的にはAIに人と同等の能力が備わるという専門家もいるが、AIと人間には肉体を持っているか否か、すなわち生命体であるか否かという絶対的な違いがある。命に起源をもつ食欲や危険察知に関する直観、第六感などは、AIが知識として学習することはできても、本質的に会得することはできない。

 また、人が言葉を理解する際に文法以上に頼っているのは、膨大な常識、生まれながらに組み込まれた暗黙知である。AIは、「人間はおなかが空き、おなかが空いたら食べる」ということを1つの決まりとして記憶するに過ぎない。ここに人間の有利性がある。AIの分析を活用しつつ、人間の有利性を生かして新たな価値を追加することができれば、最もAIの恩恵を享受する結果となろう。

 

■機動力の重要性

 会社など1つの環境に縛られず、自分が活躍できる場所に迅速に移動できる機動力を備えることも重要である。元来日本は新卒一括採用や年功序列、終身雇用といった伝統制度もあり、世界的に見ても人材の流動性が低いとされる。さらにAIなどの急速な技術進歩によって人材の技能の陳腐化が進めば、人々は転職後の賃金低下リスクを恐れて現職に甘んじやすくなり、ますます流動性は悪化する。

 しかし、AIの発達により人間の仕事が変われば会社もまた変わらざるを得ない。自身の能力をより活かせる場にフットワーク軽く移動した方が、生産性はもちろん充実度も増すであろう。手持ちの技能が陳腐化するのであれば、価値のある技能を得て次のキャリアに進まなければならない。

 

■AIを使いこなす人生のために

 過去の産業革命では、新世代が新たに必要な能力を獲得すれば足りたが、AI時代の変化は非常に速く、かつ、長寿化によって人間の現役期間が延びている以上、現役世代にもそれが求められる。激しい技術変化に適応するためには自己研鑽が欠かせない。学び続け、創造的でいられる人こそAIとの100年人生を謳歌できよう。「正解のない問題に立ち向かい、自分なりの答えを導き出し、自分の思いや考えを人に伝える力」を身に付けることが、「AIに使われずAIを使いこなす人生」の要である。そしてこれは人生そのものを豊かにする要でもある。

 

まとめ

・「変わらないこと」を見極めること

・活躍の場へ移動できるだけの機動力を持つこと

・自分で考え、自分の思いを伝えられる力を育てること

 

 

 

 

 

 

(第5回ここまで/担当 高井・團迫・宇津野)

「AIと私たち」

第4回 AIと人事労務(1)「役割」を考えたキャリア形成を

 

 18世紀の産業革命はいわば動力革命であり、人類を肉体の限界から解放したのに対し、今世紀のAI革命は、人類を頭脳の限界から解放しつつある。10~20年後には今の人間の職種の2分の1程度をAIが代行するとの予測もある。こうなるとおそらく人間の「仕事」という概念そのものが薄れていく。

 

 産業革命における手工業者やエネルギー革命における炭鉱労働者の例に倣えば、AIに代替される仕事に今就いている人々は、転職、配置転換、自主退職、解雇といった道を辿ることになる。しかし、AIの発明が人事労務へ及ぼす影響は、蒸気機関車の発明とは比べ物にならない。蒸気機関車が人間にとって代わったのは移動能力に限られたが、AIが人間にとって代わる分野はありとあらゆる方面に拡がるからである。

 

 配置転換や解雇にかかる必要性や合理性に関して言えば、企業におけるAI投入の決定は、人件費削減や生産性向上といった企業経営上必要かつ合理的理由があるからこそなされるはずだ。したがって、従来の配転・解雇問題とその法的論点は大きくは変わらないだろう。

 しかし、過去の産業革命に伴う解雇問題と比較すると、「職を失った人々が新たな仕事に移動できるかどうか」に大きな違いがあるように思う。1980年代の工場の自動化で製造部門が減り、90年代のIT革命で経理や人事の省略化が進んだ一方で、システム開発やネットサービスといった雇用が生まれたように、AIに仕事を代替された人々が「AI時代ゆえに生まれる新たな仕事」あるいは「重要性を増す仕事」に移動できれば何ら問題はない。ところが、これらの仕事は万人が一朝一夕でこなせるものではない。

 AIに代替される仕事に就いている人は、研究者ではなく研究結果をまとめる人、専門家ではなく専門家と消費者をつなぐ人(受付窓口)、設計者ではなく設計書に基づいて製品を作る人、小説を書くのではなく本を売る人など、創られたものを決められたルールに則って動かす役割を担っていることが多い。すなわち非創造の世界である。これに対し、「AIの発達によって生まれる仕事、重要性を増す仕事」には、AIに関する専門的な知見や技能、あるいは、AIが備えていない、人間だからこその創造力・発想力・判断力が求められる。こうした能力の獲得や醸成は容易ではない。とりわけITに疎く、加齢とともに柔軟性を欠きがちな中高年層にはより厳しい情勢になる。炭鉱労働者の転職では、労働のしきたりが異なり自信が持てない・合わないといった精神的問題が大きかったが、AI革命においては技術的・能力的理由による転職問題が多くなるであろう。

 

 また、仮に人類がAI時代の労働者として相応しい形に進化したとしても、AIやロボットが代替した仕事量に匹敵するだけの雇用が生み出せるのか、という問題もある。日本は今後一層の人口減を控えているが、AIが進化し続ければ、将来的に労働人口に対して雇用枠が不足する可能性は否めない。

 仕事の移動が難しい人が多ければ、整理解雇の4要件である「労働者への説明・協議」は滞るだろうし、社内で新たな仕事を創出する努力をしていないとして、「解雇回避の努力義務」を満たさないと判断される可能性も高まるのではないだろうか。

 

 米国では、AI技術の導入が中間所得層の労働者の消滅、特に未熟練労働者の就労率低下を招くと懸念されている。人類の多くが「貧乏暇あり」になりかねない。政府が最低限の収入を保証する「ベーシックインカム」や、機械に仕事を奪われた人の所得を補う「生計保険」創設を提唱する有識者もいる。経済的保障がなされれば変化に対応する努力を怠る人も現れよう。一方で、これを後ろ盾に起業したり、学び直したり、子どもを作ったり、自己実現の活動を始めたりと新たな人生の可能性も広がる。

 AIによる仕事の代替が話題になると、よく「人に残される仕事を考えろ」と言われるが、「仕事」という概念自体が崩れる日が来る。必要なのは自らの「役割」を考え、それを意識して、「仕事」に限らず人生全体の視点でキャリア形成を考え、そのために必要な能力を育むことである。

まとめ

・AIは人類を頭脳の限界から解放する

・AI革命による転職は技術的・能力的問題が多くなる

・自らの「役割」を考え、キャリア形成を考え、能力を育てよ

 

 

(第4回ここまで/担当 高井・團迫・宇津野)

「AIと私たち」

第3回 AI人材不足と育成の課題

 

経済産業省が2016年6月に発表した「IT人材の最新動向と将来推計に関する調査結果」によると、IT人材の中でもAIなどの開発を担う「先端IT人材」は2015年時点で1万5千人が不足。2020年には4.8万人にまで拡大する。少子高齢化による労働人口減少により、IT人材の供給力が低下する一方でそのニーズは拡大するだろうから、人材不足は今後ますます深刻化するとみられる。

人材不足の原因はいくつかある。まず、前回述べたように国内報酬の低さ、その背景にある経営層の理解・認識不足である。AIやビッグデータ、それらを扱う人材の価値が分からないから、なすべき投資がなされない。また、AIやIT、ICT等、新技術の用語はバズワード(一見説得力があるように見えるが、具体性がなく明確な合意や定義のないキーワード)化し、必要な人材の定義が明確化されにくくなっている。政府文書などでも何かと「IT専門家」を目にするが、具体的にどのような技術を持っていて何をする人材を指すのかよく分からない。その結果、雇用者側にとって被雇用者が期待する人材であるか不明瞭になり、スキルセットの不一致を招いたり、スキルに見合う待遇を検討しづらくなったりするのである。さらに、年功序列制度が未だに色濃く残る日本企業では人事制度や給与体系が硬直的で例外が認められないことも一因であろう。シリコンバレー近郊でのAI人材の給与は全米平均より4割以上高いという。これでは海外への人材流出は避けられまい。

 

急務かつ不足が著しいAI人材の育成には、即戦力となる社会人教育と、長期的な視点での学生教育の両輪が必要である。

国内IT企業や研究機関は社内配置転換や研修制度を設けるなど内部育成に努めているが、これまでITと縁遠かった企業で突然そうした施策を講ずることは難しい。しかし、そうした企業に勤めながら「AIを学びたい」と思っている潜在的人材は少なからず存在する。日本ディープラーニング協会がエンジニアの資格試験を実施するほか、東大や大阪大学などでは社会人向けのAI講座を開いている。企業はこうした場に積極的に社員を投入し、他を投げ打ってでもAI人材の育成に投資すべきである。AI時代において、AIを使いこなせない人間はAIに使われることになる。

滋賀大学や東京工科大学など、AI関連学部の開設は進みつつあるが、「AIブームがいつまで続くか分からず、AIの学部や学科は新設しにくい」との声もある。これが大きな読み違えである。今の「AIブーム」は既に日常になりつつある。英語を学ばずにはいられなくなったように、AIを学ばずにはいられなくなる。学部や学科新設への躊躇いは、AI人材の報酬が高まらないことと同じ問題を孕んでいる。すなわち、我が国のトップや経営層には、これだけAIが身の回りに溢れかえるようになってなお、「AIとの共存」という未来が見えていないのである。

AIの学部や専攻を開設し、学生の卒業までに4年以上。その間に世界との差はますます開く。そうして、今打開策を講じなかった大人が表舞台から去った後、世界で戦う武器を持つ機会を奪われた次世代は、AIに使われる人間として生きていくほかなくなるのだ。

 

経済制裁の影響で国外の人材は集めにくいイランでは、AI産業において女性が活躍している。極論ではあるが、AI人材の育成には専門プログラムさえあれば足りるため、参入障壁が低く、誰もが「教育者」になりうるのだという。近年、国内では、人口減少に伴う労働力不足に対し女性の活用が期待されているが、日本国内における女性のAI人材というのは圧倒的に少ない印象である。小学生からパソコンに親しむ現代、AIについての授業が必修化され、大卒者は全員AIの基礎知識を備えているくらいにできないものだろうか。ただでさえ生産人口が減り続ける中、国を挙げて取り組まなければ、AI人材不足は到底解消しない。

 

まとめ

・少子高齢化による人口減で需要が増し、AI人材はより不足

・AI人材の育成には社会人教育と学生教育の二輪が必要

・国を挙げて次世代を「AIを使う」人間に育てよ

 

(第3回ここまで/担当 高井・團迫・宇津野)

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