『労働新聞』明るい高齢者雇用の最近のブログ記事

「明るい高齢者雇用」

第18回 転職でノイローゼ―適応の難しさ痛感―

(「週刊 労働新聞」第2164号・1997年8月11日掲載)

 

 今回は異業種への転職事例を紹介しよう。

 高齢者が転職する場合、自分が育った職場、即ち同業種への転職は必ずしも保障されない。異業種への転職ということも念頭に置かなければならない。

 某大手輸送機械メーカーから食品化学工場の工場長へ出向したC氏を紹介しよう。C氏は工業高校を出て以来製造技術一筋。出向決定当時は53歳であり、現場の課長であったという。転職先は惣菜メーカーで、資本金1億円、従業員250人程度の企業である。

 求人企業側がC氏を採用するかにつき迷った点は、まず異業種で、それも大手企業出身の者が、会社に溶け込めるかということであった。お役人出身者が民間企業に移った場合、判断事項の多さに戸惑い(要するに判断力すら無いということ、さらには責任をとるという態度が長年に亘って欠落していること)、またそのスピードに全くついて行けないこと等から、カルチャーショックを受け、仕事が手につかなくなる、ノイローゼにすらなるという例が非常に多い。20年、30年の間、およそ何をしてきたのか、実は何も仕事をしていなかったのではないかという疑問をもたれる確率が50%以上に及ぶという。民間企業においても、大手企業出身者が中堅中小企業で仕事ができないことを露呈するというケースが役人出身者ほどではないが、よくあるといってよい。求人企業の社長が、大手の人、しかも異業種からの転換で、会社に溶け込めるのかと疑問に思うのも無理からぬところである。

 また、中堅中小企業はオーナー企業が多いから、オーナーたる社長の価値観によって採用の成否が決まるといってよい。この求人企業においても、家族構成の中で子供がいないということが懸念事項となった。この社長は、子供がいない人物は部下を指導するのに適切でないのではないかと迷ったというのである。

 さて、採用決定のポイントは何といってもC氏の若々しいルックス、態度であり、また前向きな気持ち、即ち中小企業で適当に時間を過ごすのではなく、今までの経験を生かしてやりたかったことを実現するという、まさに前向きな気持ちがあったことにあると採用を決断した社長は語っている。

 いってみれば達成意欲が旺盛であるということである。この意欲は先に述べた向上心と直結するものであるが、それがあればこそ若々しいルックス、態度といったものにもつながろう。

 それはいうまでもなく、若い時から健康に意を用いるということだけでなく、様々なことに関心を持ち精神的な刺激を求め続けることでもある。

 頑迷さを取り除き、過ちは直ちに正す姿勢、そして視力を維持すること、とにかく歩くことなどがその具体策となるが、出向先においてもその若さを維持し、同時に若い人と付き合っていくとなれば、若さをマネージメントする意識と行動がことのほか重要となるのである。

 この人物のケースは、転職後1年半経った現在、高い評価を得ているということから、まさに成功例といえるが、やはり高齢者になっても心身共に若さを保つということが秘訣であろう。

 

「明るい高齢者雇用」

第17回 キャリア総合化へ―新たな「道」を開拓―

(「週刊 労働新聞」第2163号・1997年8月4日掲載)

 

 B氏は中卒で就職し、一念発起して高校に入学、さらに国立大学を卒業した信念の人である。この経歴からも同氏は向上心の固まりであるといえるが、高齢になって海外で職を得るには、自立心・連帯心・向上心が日本企業で勤務する以上に要求されることは言うまでもない。

 また、管理部門系ではあるが2度のタイ赴任で合弁会社の設立から工場立ち上げ等の十分な経験もB氏の転職に極めて役立った。とりわけタイ語の能力が現地の文部省検定試験を持っているほど高レベルにあると同時に、これを習得する努力を続けてきたことが、タイの工場責任者として現地・現場に馴染む能力を有する裏付けとなっている。現地に溶け込む姿勢こそが、海外に限らず明るい高齢者雇用の必要条件であることを示している。

 さて「国際化」は、現地人とのコミュニケーションが十分にできて初めて可能である。超然として、英語あるいは日本語で現地人に話し続けるといった姿勢は、結局はコミュニケーション不足となり、喜怒哀楽を共にしない存在として相手にされないことになる。なぜならばコミュニケーションは相手の話をよく聞くことに始まるからである。B氏がタイ語能力について正式な資格を有しているということは彼の向上心の反映でもあるが、そのことが結局は現地工場を的確に運営することに大いに役立ったのはいうまでもない。

 B氏は、60歳まではM化学からの在籍出向であったため、本人の年収(現在は1,000万円強)に影響しなかったが、60歳以降はS工業に転籍し、年収800万円となったという。結局のところ、本人の旺盛な向上心といった資質によるところが大であるが、それを可能にする土壌もまた大切である。この場合、M化学の人事部が当人の定年前の出向に積極的であったこともB氏が新しい職場を得たことに寄与しているだろう。明るい高齢者雇用は、本人の資質のみならず、企業をはじめ周囲の支援があってこそ可能になる。活躍の場をグローバルに捉えて海外へ飛び出すことは、語学の問題から万人に通ずる訳ではないが、B氏の場合は若い年代からの体験と柔軟な思考力が大きくプラスした例である。

 B氏の例にみるように、出向の効用は少なくない。請われて出向先に赴くのであれば、まずもって本人の活躍の場が確保されているからである。社内で閑職に留まり、鬱々として退職まで過ごすのか、新たな機会を捉えて転身を図るのか、答えは明白であろう。能力に「定年」はないのである。

 何かと後ろ向きな印象を与えがちな出向を、もっと見直すべきであろう。そのためには本人の意識の喚起、すなわち自分のキャリア形成の場が社内のあるのか社外にあるのかを定年がちらつく前の段階で考慮に入れておくことが重要である。一方、会社側としては社員が出向を積極的に受け入れる土壌を作るために、キャリアを積む過程で常に選択肢を複数持てる環境作りを制度として設ける必要がある。労働市場が未発達な日本において相場観を持つのは容易ではないが、一定の年齢に達するまでに、いかに有益な経験を積むかが出向の成否を分けるような気がしてならない。

 

「明るい高齢者雇用」

第16回 キャリア総合化へ―新たな「道」を開拓―

(「週刊 労働新聞」第2162号・1997年7月28日掲載)

 

 次に紹介するB氏の事例は、もともと従業員5,000人の大手化学メーカー国際部所属の男性(58歳)が、従業員100人余のコンピューター部品製造メーカーのタイ工場責任者として出向したケースである。B氏は、かつて2度、7年間にわたりタイに赴任した経験を生かし、また永住を考えるほどのタイへの思い入れから、60歳定年後には出向先に転籍し、現地責任者として勤務し続ける予定と聞く。

 B氏は昭和12年11月生まれであるから、間もなく60歳を迎えようとしている。昭和28年に中学卒業と同時にM造船所に溶接工として入社し、併せて同社の技術学校へ入学した。昭和32年に同社を退職して県立高校へ転入、昭和34年には国立大学経済学部に入学し、昭和38年に同大学を卒業後、前期の大手化学メーカーM化学に入社したのである。同社九州工場の経営企画を振り出しに、東京本社調査部、事業開発部などで経営資料の作成・事業調査・新製品開発の経済性計算等、一貫して経営企画、調査畑の業務に従事した。

 昭和49年6月から昭和52年2月までの2年9ヵ月間、同社のタイの合弁会社(繊維紙加工剤製造)に現地法人社長として赴任し、会社設立から工場建設までを担当したという。

 その後本社に帰任し、経理部門・営業部門等で部長に昇進したが、平成3年6月にふたたび上記とは別のタイの合弁会社(樹脂関連の製造業)に社長として赴任し、前回同様設立から担当して、4年2ヵ月を同地で勤務することとなった。平成7年7月以降は、本社国際部に在籍し、東南アジア合弁会社管理関係の業務を担当していたという経歴の持ち主である。

 出向先である日本S工業株式会社は、コンピューター用精密部品等の製造を事業内容として1961年に設立し、現在資本金5,000万円、年商36億円、従業員125人。典型的な大手企業の下請会社で、岡山県に工場があるが、大手メーカーの工場海外移転に伴い既にタイで合弁工場を稼働中である。280人のタイ人労働者と日本人の現地会長副社長および3人の技術者で運営している同社は、副社長を補佐し工場全般を管理する工場長として、海外工場の管理職経験者でタイ語を話せる人を求めていた。

 B氏は55歳の時に役職定年を迎え、既にラインの長ではなくなっていたが、会社の社外出向施策と本人の2度赴任したタイへの強い愛着から、定年60歳以降の再雇用を含め、タイで働く仕事を探したいとしていた。平成7年にタイから帰任した直後から人事部門へその旨を申し出て、すぐに日本S工業のタイ工場責任者として出向することになった。

 中小製造業の海外移転が増加するなか、工場長経験者は引き合いが多いと聞く。ことにB氏のように実際に海外への赴任経験があり、かつ国内でも多面的なキャリアを積んだとなればなおさらのことであろう。このことは今盛んに言われる“複線型人事”の先の「キャリアの総合化」の重要性を物語る。管理職は管理職として、専門職は専門職としてその領域を固めるのではなく、一定の年齢に達したならば、それまでのキャリアを棚卸して、さらに別の途を準備することが必要となるのである。

 

「明るい高齢者雇用」

第15回 出向先で骨埋める―56歳の転身で大成功―

(「週刊 労働新聞」第2161号・1997年7月21日掲載)

 

 前回触れた出向成功者A氏の出向までの経緯と出向後の状況を詳しく紹介したい。A氏は出向当時56歳ではあったが、今回はキャリアが優先されて、転職への道が開かれたのである。当電気メーカーでは55歳で役職定年制を敷いており、当人の元気度、やる気、キャリア等が斟酌されずに、一律に役割、仕事領域が変更されるシステムになっているから、まだまだ最前線で活躍したいと思っているA氏には誠に寂しい処遇であった。この様な役職定年制は、このメーカーに限らず日本の多くの企業が採用しているが、いってみれば役職をはずされるということは窓際族と言われても仕方のない処遇であるからである。

 まさに人間の味が発行する成熟の時代に、彼は熟す機会を逸して人生を終えようとするのであるから、寂しさは一入のことであろう。A氏はその様な現状に対する活路を外に求めた。かつての工場勤務時代に購入した家が甲県にあったことが、出向を決意し易くした1つの動機でもあった。言ってみれば配置転換、転勤といった経験がない者には、高齢になればなるほど転職自体に心理的な抵抗感が強くなるのであるが、A氏は本社勤務だけでなく工場勤務の経験があったことが、有意義に機能したのである。

 A氏は出向後、生産管理のキャリアを生かし、現在生産工場に取り組んでいるという。出向先企業は、それまで外部のコンサルタント会社を入れて生産性改善に取り組んでいたが、成果を上げることはできなかった。それが今回、A氏を受け容れたことにより、着々と成果を上げているという。今の時代はどのような分野にもコンサルタント業務は存在するが、大半のコンサルタントは能力がないといってよい。企業の中で一人前の能力を発揮できない者が問う秘策としてコンサルタントを開業している例が多いからである。また、新卒者の就職人気企業ランキングでは大手コンサルティング・ファームがしばしば登場するが、経験のないものがコンサルタントとして活躍できるものかどうか、首を傾けざるを得ない。実績を上げられるコンサルタント(指導者)が必要であるが、それはA氏の様に品質管理、生産管理体験を長年に亘って体験し、苦労を重ね責任を背負ってきた者によって初めて可能であろう。

 それだけではなく、A氏には出向先と波長、つまり水が合ったということであろう。現在までわずか一年足らずであるが、「困ったときのAさん頼み」と言われる程の高い評価を得ている。本人は家も建て直し、甲県に骨を埋めるつもりで元気一杯に働いている。60歳までは勤務することができ、それ以降の雇用も本人の力次第で確保されるというのである。

 さて、A氏は生産管理の世界で出向・転職を実らせた。彼は現場で働いた経験もあり、工場長としてまとめ役も経験した中で専門的知識を培ってきたことにより、成功した例であろう。長い勤労生活において専門的体験、知識等々を会得するように努力し続けることが、明るい高齢者雇用の途の基本であることを知るのである。出稼ぎ根性を持たず、名実ともに出向先の一員として新しい職場に骨を埋める姿勢が必要であることは言うまでもない。

 

「明るい高齢者雇用」

第14回 45歳から転身準備―新たな挑戦めざし―

(「週刊 労働新聞」第2160号・1997年7月14日掲載)

 

 戦後誕生した人たちが50歳を超えた。まさに団塊の世代が高齢者となる時代を迎えつつある。間もなく高齢者雇用問題は一気に噴出するであろう。中高年雇用の問題は、単に将来不足する労働力といった問題ではなく、国家財政との絡みがいよいよ加速度的に激しくなるだろう。高齢者雇用を進めなければ、逼迫した年金財政の危機は到底回避できない。現在14.6%の65歳以上の高齢者の比率が、2010年には21%、2025年には27.4%、2050年には23.3%になると、国立社会保障人口問題研究所は推定している。年金支給開始年齢が引き上げられると、60~64歳の労政年金受給者120万人はいわば失業者となる。仮に、年金支給開始年齢が67歳になれば、実に数百万人もの雇用の場を開発しなければならないことになる。少子化の進行も対岸の火事と言えない状態であるから、労働力、特に社会の基礎を支える労働力として、高齢者を活躍させなければならなくなる。高齢者を楽隠居させるには、国家財政的にも、また若者達にも荷が重すぎる。このような追い詰められた状況が、高齢者雇用に「深刻さ」の影を落とし、「暗い」イメージを引きずったものとなる。そのような状況下で、高齢者の雇用を開拓していくことは、まさにパイロットとしての明るい高齢者雇用の実像を紹介することから可能になろう。この項で紹介する人たちを見習い、またそれを踏み台として、高齢者雇用の場を広く深くしよう。明るい高齢者雇用の具体的な事例、成功例を紹介しながら、どの様な留意点が大切であるかを様々な観点から論じていくことにしたい。

 さて、今多くの斡旋機関によって大企業から資本関係のない中小企業への出向が進められている。すなわち大企業の賃金を保障されながら中小企業に雇用の場を見つけるというシステムである。出向という言葉は、官庁から民間へ、大企業から中小企業へ、親会社から子会社へ移るということから、一般に左遷、都落ちの響きがある。本人も意気阻喪することがあるようであるが、これを新しい世界への挑戦、自己能力の発見の場、労働寿命の延長の足掛かりとして捉え、思考の転換を図り、生き生きとした毎日をどう創造するかといったテーマを自身に課していくことで意欲、生きがいが生まれ、人生観、世界観まで変えることになる。そして高齢者雇用の全体を明るくすることにもつながるのである。

 長年習得した技術、経験を生かした人、異業種への転換を決意した人など、いくつかの出向成功例を紹介することにする。

 某大手電気メーカーに在籍したA氏は、品質管理・生産管理などを担当していたが、本社東京の某弱電メーカーの技術管理室長として甲県にある工場へ出向することになった。55歳を超えると転職は難しさを増す。統計上からいえば55歳を境に急激に有効求人倍率が下落するからである。具体的には、50~54歳では0.6倍だが、55~59歳のは0.2倍になってしまうのである。その意味では、いざその時になって準備をするのではなく、45歳から決心して転身を図ることに取り組まねば、およそ成功はおぼつかないと言えよう。

 

「明るい高齢者雇用」

第13回 無形の価値認めて―低すぎる熟練対価―

(「週刊 労働新聞」第2159号・1997年7月7日掲載)

 

 「中高年の明るい再雇用のキーワードは『経験を生かしたコンサルティング』です。デパートの家具コーナーにも、家を建てようという人にも、医者にかかろうとする人にも、適切なアドバイスを与えるコンサルタントが必要です。彼等は、自家営業でも、会社組織でも、ちゃんとした『営業』をするフレームワークがあれば、それでいいと思います。

 『電話代を払い過ぎていないか』を調べてくれるコンサルタントを最近使いましたが、大分節約になりました。むろん、もと電話会社の偉いさんでした。

 日本人は『無形』のものにお金を払わないのですが、今後は、こうしたコンサルタントがいかに大切かを悟る時代になると思います。まあ、米国ではこうしたコンサルタント業が繁盛するから“リタイア”も“ハッピー”なのでしょう…」(前回からの続き)。

 これからますます、好むと好まざるとにかかわらず実力主義社会になるが、すべての人材がコンサルタントに向けて精進しなければならないということである。例えば、社長も、他の社長を教え導くことができるコンサルタント的な才能を持ち合わせなければ真の経営者とはいえない、といったことになるのである。

 その意味において、コンサルタントが価値ある存在となるためには、本人の専門性も大切であるが、これを評価する社会風土が形成されることが必要でもある。それは具体的に何かというと、そのコンサルテーションに相応しい報酬が与えられるという社会である。まだまだ日本においては、コンサルテーションに対するフィーは低く、意味のない価値しか認知されていない場合も多いが、実力主義社会、即ち頭脳労働の時代になればなるほど、無形なものへの対価がより強調される時代になることはいうまでもない。

 明るい高齢者雇用を実現するには、若い頃から専門性を身に付けるように努力し、精進しつづけなければならないのである。そして「高齢が若さの衰えというよりは、人生の経験を集約した豊かな表現の領域であること」(朝日新聞編集委員/扇田昭彦「杉村春子さん死去 71歳舞台70年」より)を社会的に認知する時代が到来するよう、各人が期さなければならないし、それは可能なのである。なぜならば、知的能力(IQ)は30歳ごろから下降する(理数系の理論、発見、発明等の業務は殆どの場合20歳代になされている)が、精神(心)面の能力(EQ)は、分別盛りという言葉があるように、豊かな人生経験に基づく判断力であって、社会生活・人間関係にとって大切な資質であり、これは、経年的に豊かになるものであるとされているからである。

 近年、日本においても、定年後にいわゆる「コンサルタント」として活躍するケースが目につくようになってきた。「ビジネスライブの会」は大手企業の退職者が中心となってたち上げた組織だが、ここで働くのは、長年培った経験の下に社会貢献をしようという人たちである。専門知識や人脈を生かし、通訳や就業規則作成などで既に相応の成果を上げていると聞くが、いずれ改めてこの連載でこの様な事例を取り上げたいと考えている。

 

「明るい高齢者雇用」

第12回 経験と知恵で勝負―老いてなお指導者―

(「週刊 労働新聞」第2158号・1997年6月23日掲載)

 

 藤松忠夫氏は筆者の10年来の知人である。まず同氏のプロフィールを紹介しよう。

 「1959年日本航空入社。営業各部を経て66年より本社広報部に勤務。1975年ニューヨークの同社米州地区支配人室に転勤となり、米州地区の広報を担当。1990年日航グループのJALインターナショナル・サービス社会長となり、日米間の文化交流事業に従事していたが、この5月からTFC(The Fujimatsu Corporation)を興こし、コンサート、展覧会のコーディネーション、文化交流に力を注いでいる。在米通算22年。この間、エッセイスト/コラムニストとして日米両国の新聞・雑誌・PR誌などに毎月30~40本執筆。著書多数」。

 この経歴で明らかな通り、藤松氏はアメリカ社会全般に通じている方であり、「明るい高齢者雇用」についてワンポイント・レクチャーを受けた。

 「ご存じのように、アメリカの大都会は中心部が空洞化する傾向にありますが、1人ニューヨークはマンハッタンがますます賑やかで活気に満ちた町になっており、5階建てのナイキ・タウンや5番街のディズニーストア、ワーナーストアなどのテーマパーク的『大店舗』が客を集めております。オフィス用品の『ステープルズ』、寝室と浴室用品の『バス・ベッド・アンド・ビヨンド』といった単品デパートが全米に展開され、購買意欲をいやが上にもかきたてております。

 こうしたリテール企業と日本のデパートの違いは、日本では若い店員が多いのに対し米国では圧倒的に中高年の店員が多く、実に的確なアドバイスをしてくれるのです。日本のデパートの家庭用品のコーナーで18歳の店員にシャワー・カーテンのことを聞いたって、何にも知らないのです。

 アメリカでは、中高年の役割は“コンサルテーション”に尽きるといってもいいでしょう。“ハッピー・リタイアメント・パーティ”で、『これからどうするの?』と聞くと、ロッキー山中で釣りをして暮らすという人もありますが、たいていは『コンサルタントになる』という答えが返ってきます。会社経営、大型合併のコンサルタントから、投資、保険、警備、レストラン経営、旅行、とにかく何でもコンサルタントがいて、ちゃんとそこそこの収入になる。つまり経験と知恵を買う人がいるのです。インテリア・コンサルタントなども、一流になると1室4万ドルも請求するのです。『この部屋はビクトリア風だから、この椅子でなければ。中国風の屏風は許されるが、日本風は置けない』とか…。日本でこうしたことが実現するには『知恵』という無形のものにお金を払う習慣を作らないとだめですね。アメリカ式に、弁護士に電話訴すれば30分で250ドル請求書がくる。あれです」。

 明るい高齢者雇用を求めるには、本人が粗大ゴミとして扱われないことが必要である。価値ある存在であるとなれば、指導者なり教師なりの立場、即ち人生の先輩であり知識と経験を兼ね備えた人物として、職場でも高齢化してなお地位を与えられることになる。指導者であり教師である、それがコンサルタントという世界なのである。

 

「明るい高齢者雇用」

第11回 年齢差別で提訴―背景に経済の停滞―

(「週刊 労働新聞」第2157号・1997年6月16日掲載)

 

 『カリフォルニア州で判事をしている私の義父に定年について聞いてみました。カリフォルニア州では、判事の定年制があり、定年は70歳です。定年退職すると、現役時代の65%の給料が死ぬまで支給されます。彼が定年退職したその歳は、退職後、さらに6年間は現役の判事として勤められる制度がありました(現在は3年になっております)。彼は75歳まで判事を務め、75歳になった去年“Judge Pro Tempore”(パートタイムの判事―ボランティア的なもの)に転じ、日当50ドルをもらって判事を務めています。

 また、コンサルタント業務は現役時代に才能や知識があった人でないとありつけない職種です。ボランティア活動に従事する人も、かなり経済的余裕がないとできない分野です。学校などでボランティア的に教鞭を取っている老人も、やはり先生としての専門分野における知識、経験が豊富でないとできない仕事です。私の家内の母親は、老人専用コミュニティに住んでおりますが、老人の中でもボランティアをしている人は見掛けないそうです。

 彼女は毎日水彩画を習ったり、大学の趣味の講座を受講したりして、わりと忙しい毎日を過ごしております。そのような老人専用のコミュニティでは、皆、家族から別れて暮らしております。家族が老人をそのような施設に入れたのか、または、自分で選択して入ったのかはそれぞれ違います。家内の母の場合は、自分で選択して入りました。

 お金のあるほんの一部の老人は、所有していた家を処分し、老人専用の高価なマンションを購入し、近くの短大やアダルトスクールなどの趣味の講座で、陶芸やアートなどを学び優雅に暮らしている人達もいます。しかし、アメリカの大多数の老人は、このような生活はできないと思われます。

 20年位前に新聞を賑わした記事に、前述した退職金制度の下では高齢者を退職間近まで雇うと会社側に退職金を支払う義務ができてしまうので、退職間際に高齢者の首を切るという社会問題がありました。現在は企業が退職金を支払う制度はなくなってきています。

 地元紙に載った最近の記事を御紹介します。カリフォルニアで大手の法律事務所(何千人という弁護士を抱えている)Pillebury, Madison & Sutro’sで、55歳以上のセクレタリーが、高齢という理由だけで計画的に解雇され、解雇されたセクレタリーや解雇したマネジャーも原告となり、この法律事務所をエイジ・ディスクリミネーション(年齢差別)で訴えているというニュースでした。法律事務所でさえ、このような事件を起こしていることを考えると、明るい高齢社会はまだまだ遠い世界と言えます』(前回から続く)。

 企業の収益性が失われ、それを回復するためのリストラが続いているところでは、アメリカに限らず高齢者雇用は企業にとって負担となり、リストラの第一の対象となっている。即ち経済情勢の斜陽化という状況下では、高齢背は雇用は原則的にはあり得ないと見なければならない。明るい高齢者雇用は経済全体の活性化があって初めて可能な途であることを、アメリカの事例を見ながらも、承知しなければならない事実なのである。

 

 

「明るい高齢者雇用」

第10回 解雇に恐怖感も―アメリカ 難しい高齢再就職―

(「週刊 労働新聞」第2156号・1997年6月9日掲載)

 

 『20年程前までは、現役時代の70~75%の収入を死ぬまで退職金として支給するとう退職年金制度が多くの大企業にありましたが、現在はそのような退職金制度を維持している企業はほとんどありません。ちなみに高齢者は、個人の貯金、株の配当、ソーシャルセキュリティーという税金の内から積み立てた年金の3本立てで生活しています。

 しかし、これらの収入よりシリコンバレーのインフレーションが高いので、現役時代の生活ができなくなり、高齢者は家を売り、アリゾナやフロリダなどの物価の安い州、または税金が安い州へ移住します。例えば50万ドル位のシリコンバレーの家は、アリゾナ州では8万ドル位で購入出来ます。約6分の1で家を購入出来るわけです。中流階級で技術的バックグラウンドの無い人(もともと文科系の人でしょうが)は、年と共に生活を維持することが苦しくなってくると思います。この様な人達が、年をとってシリコンバレー時代の生活を維持するために物価の高いカリフォルニアから物価の安い他州に移り、シリコンバレー時代同様の生活を維持するわけです』(前回からの続き)。

 高齢者雇用の実像に迫るとすれば、その第一は、高齢者子用の場が少ないと共に、高齢者雇用における賃金が極めて低いという事実が挙げられる。その結果として、高物価の所では高齢者は生活出来なくなるということである。小生も8年前にアリゾナのツーソンに赴いたことがある。そこでは真に物価が安く600万~700万円でゴルフ場に面した一戸建ての家が買えたが、今でも多分そうであろう。生活コストの安い土地へ移住することにより生活をエンジョイすることが重要であるが、日本においては、そのような地域があるのかすらも疑問があるところである。

 『アメリカには、終身雇用というものはありません。歳をとっていきますと、いつ解雇されるかということが日々の生活の中で、恐怖としてあるようです。企業も、高齢者が多くなってくると、給料の高い高齢者を対象に、早期退職を薦めてきます。ゴールデン・アンブレラといってかなり良い条件で会社を辞めてもらうプランを作ります。45歳位の人は、まだ、次の仕事を見つけるチャンスがあるので早期退職をしますが、60歳近くなりますと、次の仕事を見つけるチャンスは難しいので、“辞めさせられる”まで会社に残ります。

 シリコンバレーの環境の中で、高齢者が仕事を見つけられる確率は非常に低いと思われます。シニアシチズン・エンプロイメント・センターという就職斡旋機関で仕事を斡旋してもらった場合でも、時間給が5~6ドル(日本円で600~700円)位の仕事しか無いようです。もともとアメリカは年寄りを尊ぶというカルチャーはありません』。

 アメリカでは高齢者も自立を迫られるが、それは即ち家族の崩壊を意味しているといえる。日本の社会もその様相を呈し始めているが、果たしてそれで良いのか議論されよう。高齢者が増加する一方で自立できる基盤、即ち雇用の場がないとすれば、改めて家族主義の復活が社会秩序の安定を確保する意味から要請されてくることになろう。

 

 

「明るい高齢者雇用」

第9回 若年者が圧倒的―シリコンバレー 20年間で急成長―

(「週刊 労働新聞」第2155号・1997年6月2日掲載)

 

 私は、昨年12月20日から2泊4日でシリコンバレーに行った。それは著名なシリコンバレーの実像に触れることが目的であった。アメリカで経済的に最も活発であるというシリコンバレーの様相を見ながら、高齢者の雇用問題の実情を尋ねたかったからである。しかし、そこではそもそも高齢者の姿は見かけられなかった。

 S-MOS SYSTEMSの業務部長である三木和一郎氏にお会いした。三木氏は28年前に気の弱い自分を鍛えるために、2ヵ月分の生活費を持って、米国のマサチューセッツ州ボストンにある大学に留学、渡米した。4年間苦労の連続であったが、無事大学を卒業。その後、学生中にアルバイトや勉学で時間がなく、“見ることのできなかったアメリカを見るため”に米国に留まった。

 最初の10年間、3度転職した。米国企業で働き、特に興味のあったアメリカの底辺で生活をしている人達をより良く知るために、その人達との交流を、時間が許す限りした。

 1983年にカリフォルニア州に移住し、現在はコンピューターのメッカといわれるシリコンバレーで、半導体を販売する日系企業(S-MOS)に勤務している。アメリカ人の奥様と結婚され、シリコンバレーの生誕の地である、スタンフォード大学のある町、パロアルトで家族4人と暮らしている。

 様々なことを勉強されている三木氏から教えられることが多かったが、この度その三木氏に高齢者雇用問題について、以下のご報告を頂いた次第である。ちなみにS-MOSは、セイコーエプソンの子会社である。

 『まず第一に、シリコンバレーでは高齢者が働いているのをあまり見かけません。シリコンバレーは1980年代に脚光を浴び、ここに移ってきた会社、ここからスタートした会社も若いエンジニアが2、3人で始めた会社が多く、会社で仕事に従事しているエンジニアは、やはり、若い年齢層が圧倒的に多いのです。人事部長に聞いてみたところ、わが社では、60歳以上の人は2名(総従業員約250名)しかいないそうです。

 もともと、シリコンバレーは、ほとんどが農園か畑でありましたが、次から次へとビルが建ち、ここ20年くらいで大きな町になりました。シリコンバレーは、私が住んでいるパロアルトという市からサンノゼ市までの小さな平野を指し、狭い地域に何千というハイテクの会社がひしめいています(日本的感覚からすると「散在している」という表現が適切でしょう)。また、ここはアメリカでも1位か2位に物価が高い土地であることも有名です。そのせいか、そもそもあまり高齢者の人達をみかけません。見かけても、中流以上の人か、逆に経済的に困っている人達の2種類の人が多く、いわゆる中流の老人の姿はほとんど見られません。

 例えば私が住んでいる家は、1947年に建てられたものですが、当初8,000ドルから1万3,000ドルで売り出されたこれらの家は、現在40万ドルから50万ドルするそうです。アメリカでは金利が高いため、働いているうちはローンを支払えますが、仕事を辞めますとローンを支払うことができず、家を維持することができなくなってしまいます』。

 

 

 

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