『労働新聞』明るい高齢者雇用の最近のブログ記事

「明るい高齢者雇用」

第36回 新しいものを拒否―衰える心身機能:再教育が不可欠に

(「週刊 労働新聞」第2182号・1997年12月22日掲載)

 

 高齢者に意欲を持たせるということは、新しいものに対する理解に努める姿勢を堅持させることであるが、さらには、あることを成し遂げたという達成感を与えることで意欲の衰退を防ぎ、それを保持させることにもつながろう。それには教育というものが必要だし、これが自己啓発を刺激していく。さらに本人の好きなものの領域、即ち指向性のある領域で活躍させるのが、意欲を継続させる方途となる。「好きこそ物の上手」という言葉もある。彼が好まない、あるいは嫌悪する領域で仕事をさせても意欲が沸くはずがないのである。もちろん、中年までの職場生活で意欲が沸かないような仕事ぶりや、達成感が不足するような仕事を長年続けて、突然、高齢になってから教育を始めても成果は期待できない。何事も先を見通すことが必要である。

 労働科学研究所から出版されている「年齢と機能」という書物の中に高齢者の行動特性について興味深い箇所がある。参考となるので少々長いが引用してみる。

 「…いままでに報告されている心理的諸機能の経年変化を見ると、心理的機能によっても違うが、ある年齢にあると衰退を示すが、経験の価値感覚は…年齢とともに広がりを増し、多様化するはずである。ところが高齢者には何をしても『満足しない』『喜びを感じない』『過去の生活だけを回想し、懐かしむ』『自分の考えだけを頑として守り押し通す』というようなことがしばしば観察されるが、これは価値属性の感覚の不毛を意味する。行動の価値属性の感覚がなければ、個人の過去の基準が少しも動かないこととなる。そのことが『過去の回想』『頑固』となって現れる。高齢者は若年層に比べて成長発達の長さにおいて一歩先んじているのであるから、経験を豊かにする条件において勝っているはずである。しかしもう1つの条件である全生活状況の範囲の広さと多様性において、個人的あるいは社会的に極めて大きな制約を受けている。例えば生理的機能において高齢者は著しく衰退を示すため、活動範囲が限定されるとか、定年制などによってやむなく職を離れなければならないといった制約が、経験の価値感覚の増加を止め、価値感覚の基準を固定化している。…」(森清善行『中高年者の心理的機能―その問題点』労働科学叢書66「年齢と機能」66-74頁)。

 人間は、外界に働きかけを行い、その結果として得られる情報を、意味を持つつながりを付けて記憶などのネットワークの中に保持し、生きた情報にするといわれている。このネットワークから得た情報を基に、常に更新された認知構造を持って外界を認識し、再び働きかけを行っているという。この基ともなる視覚や聴覚機能や記憶機能などの加齢に伴う低下は、外界からの新たな情報の受け入れとその情報の保持を難しくする。これは新しく変わる認知構造の幅を小さくさせることにつながる。その結果、すでに獲得されている経験からの情報に依存して、物事に退所しようとする行動をとりがちになるのである。従って、いかにして新たな認知構造を付与していくかということが高齢者を巡る教育の視点となろう。

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第35回 ワン・モア精神で―衰える心身機能:新たな刺激も不可欠

(「週刊 労働新聞」第2181号・1997年12月15日掲載)

 

 前回の最後に前原氏の持論を紹介した。氏は「中高年者には成人病はつきものである。こんな時期こそ中高年世代が仕事と生活の在り方を『せっかく論』で振返るのもよいではないか」と、中高年の健康作りは近視眼的にことを運ばずに、「『人間らしい職場づくり』を先読みした中で焦らずに」と述べている。

「せっかく高齢者になったんだから以前より余裕のある生き方を」と観念することによって、自らの心身機能を含めて事態を正確・冷静に把握することができ、仕事や生活のバランスや残りの人生設計を考え直すことで、高齢者は明るさを取り戻せるのである。

 さて、高齢者の意欲の問題もまた重要な課題である。高齢者には好奇心の減退、意欲の喪失等が伴うことも広く知られているが、意欲を持ち続けること、新しい刺激に向かっていくこともまた、明るい高齢者雇用の実現にとって必要不可欠な要素となろう。それは人間の資質の問題とも絡んでいるであろうが、本人の「気の持ち様」ということにもなる。その気の持ち様は若年・中年の時代から指向性によっているということである。ワン・モア精神、もう1つ深く、広く極めるという姿勢が若年・中年において継続されるならば、高齢者となってもその指向性は幾らか微弱になろうとも、なお健在であろう。若年の時代、中年の時代からの生き方・仕事への取り組み方が高齢になってからの意欲・態度を左右するということになる。もちろん、若年から中年にかけての仕事の場面での「意欲の持たせ方」の工夫も大事である。意欲あるところに初めて、能力の向上が見られるといってよい。

われわれが受ける視力や調節機能(ピント合わせの機能)などの眼の検査でも、「標識をよく見て下さい」という言葉に励まされて見れば、その標識を識別できることがあるのも、意欲や意思などの精神機能と眼の機能との間にお互いに関係があることを示す一例である。意欲が無ければ機能の減退あるのみといっても決して言い過ぎでないのかもしれない。

この意欲もまた昨日の1つであるから、その機能の活用に心することは機能の維持につながると言ってよい。機能は使わなければ低下する一方であるからである。人には「物事に対して最少の努力で済ませよう」という面があるが、高齢者ではこれに加え、加齢による記憶力などの衰えから周りの環境の変化に応じて自らの認知の構造を変えづらくする、という面が特徴となってくる。すべてのことを現有の認知構造の範囲内で処理しようとする傾向が強くなり、新たな能力を開発しようとする努力が減少してくる。使わない昨日の低下は増す一方で、残っている機能はしばしば使われることにより活性化される。それが、新しいことは覚えようとしない、いつも同じ行動をとるなど、高齢者特有の行動パターンとなって現われてくるのである。

 そこで、若いうちからの教育はもちろん大切だが、高齢者にも教育を進めることが必要であるという考えが出てくる。次回は、この教育の問題について高齢者の行動特性から考えてみたい。

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第34回 中年自殺が増加へ―衰える心身機能:“心”の問題重要に

(「週刊 労働新聞」第2180号・1997年12月8日掲載)

 

 高齢になれば誰しも人間としての機能が低下する。明るい高齢者雇用の実現には、この事実を受容し、前提としてかからなければならない。60歳の定年を境にガタッと落ち込む人がいる一方で、第2の職場でかくしゃくとして働く人も多い。そこで、今回からは労働科学の側面からこれらの心身の様子を検討し、明るい高齢者雇用のあり方をまずは「心身」という大きな枠組みの中で分析してみよう。

 まず第1に指摘しなければならないのは、「精神」の機能も「体」以上にバラエティーに富むという事実である。つまり、精神機能は高齢になっても十分な機能を保っている面もあり、50歳代まで発達し続け、60歳位までは30歳以前よりも水準が高いものも出てくる。精神的といっても数多くの機能があり、単純に同じ様に加齢に伴い低下するとは言えないのである。高齢者は機械的な暗記には弱いが、意味を持った事柄の記憶はさほど悪くないという実験結果も出ている。

 また、高齢者に対する記憶のさせ方も、自分にあったスピードで覚える場合には若者との成績の違いは少なくなってくる。高齢者の記憶実験の成績などがかなり異なってきたり、精神機能が単純には衰えていないという結果が出るのは、覚える内容や覚え方の違い、練習の効果による差であるとされている。これらが高齢者の個人差に他ならないのである。

 この個人差はまさに20歳・30歳からの心構え、即ち「精神」にみずみずしさを涵養することへの努力があったかどうかによって顕れる

 次に「心」の問題の極端な例である精神疾患や自殺の例で、精神的不健康の実態を見てみる。警察庁が最近発表した自殺統計では、50歳代の割合が90年代に入り徐々に増加しており、また、管理者の割合の伸びが著しくなっている。一方、都内の金融機関の調査では、精神疾患と診断される例が中間管理職に多く、とりわけ最近では30歳代の男性に目立つと報告されている。「体」以上にばらつきがある「心」の問題は、今後の高齢者雇用問題に大きく投影する。

 さて、「せっかく高齢者になったのだから」というコンセプトでなければならないと提言しているのは、(財)労働科学研究所労働生理心理研究部主任研究員・前原直樹氏である。労働科学研究所は、工場やオフィスなど産業現場の労働に関する実証的な調査研究を行い、作業方法、職場環境や労働生活の改善に役立てることを目的に活動している文部省所管の民間研究所である。その研究方法は、医学、心理学、工学、社会科学などにまたがる学術的なアプローチを基に、現場の問題解決に有効な科学的で現実的な対策を提言するというユニークな特色をもっている。1996年の『労働の科学・51巻・7号』で前原氏は「せっかく中年というハンディを背負ったんだから」という巻頭言を書いているが、そこでは「21世紀はハンディを持ちながら働き続ける人が増える時代であり、その中心は体力が衰えた中高年であることは間違いない。」だからこそ「体力の衰えを経験と知性で補うことが必要だ」と述べている。

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第33回 5タイプから選択―60歳代の職業生活:自分自身に答え聴け

(「週刊 労働新聞」第2179号・1997年12月1日掲載)

 

 今回は「ライフスタイル選好型」の実例を紹介するべく、まずは教師となって憧れを実現した丁氏について語っていこう。大学の先生の定年は極めて遅い。即ち70歳を定年とする大学が今もってたくさんある。丁氏はある東京の、短大から大学に昇格した大学に国際経済の専攻の教授としてスカウトされた。本人は、自ら今もって一番幸せな人と言っているが、それは若くして就職した企業において決して恵まれなかった人生であったからである。スポットライトが当たらなかった人物が今、若い女性に取り囲まれて、生き生きと仕事をしているのである。当人も極めて前向きであったことがこのような喜びを与えていると言ってよい。例えば大学教授に転職するに当たって、休暇を取りアメリカに短期自主留学をし、レポートを作成し、また抗議プランをまとめ上げたという人物である。即ち自費で留学までして、次の仕事に備えたのである。

 (ホ)長期就業型

 何の仕事であれ、長期に仕事を持ちたいという願望を実現するタイプである。これは、家庭の事情により働き続けなければならないとか、あるいは働くこと自体が趣味であるといった人物によくあるケースである。

 以上、ここまで高齢者雇用のタイプを5つに分けて見てきたが、これらのチャレンジ型、エキスパート型、リカバリーショット型、ライフスタイル選好型、長期就業型のどれに自分を当てはめていくかを40歳代の後半から見極めることが肝要だということである。つまり、高齢者になる前から一体自分はどこに値打ちがあり、またどんな生き方を望むかを自分自身に良く問い、自分自身の答えを聴き続けることが必要なのである。

 これまでの総括として、海外生活の期間が長かった戊氏に登場してもらおう。イギリスのロンドンにある日本のセカンダリースクールの舎監に就任した戊氏は、子供から慕われるというまさに若々しい世界で活躍している。それも本人が望んで赴いたということである。まさに若返るには若い人と接触することが必要であるが、学校の舎監というのはそれにうってつけの仕事であり、そして子供たちに慕われているとなれば、なおさら幸せな第2の人生が保障されているということである。

 チャップリンは、老後を過ごすための条件として、「好奇心」と「健康」と「すこしばかりのお金」を挙げたが、戊氏は若者に対応できるに足る若さをなお保持していることが成功の因となった。

 さて、明るい高齢者雇用にとって、何よりも健康であることが大切であることはいうまでもない。次回からは、高齢者の就業に影響を及ぼす精神的、肉体的な健康の意味について、労働科学の視点から分析してみたいと考えている。高齢になったからといって、一概に身体の機能が衰えるというものでもないだろうし、経験の蓄積によってむしろ向上する能力もあるのではないか。個人差も大きく、気持ちのあり様、日頃の行動スタンスによっても異なるだろう。心身共に若さを保ち、生き生きと働き続ける「秘訣」を、労働科学の専門家の分析に基づき述べてみたい。

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第32回 失敗体験をバネに―60歳代の職業生活:”裏キャリ”も駆使

(「週刊 労働新聞」第2178号・1997年11月24日掲載)

 

 前回に引き続いて、高齢者の雇用のタイプを、その実例をもとに考えていきたい。今回は高齢になって花開くケースと、人生における夢を実現するケースを紹介する。

 (ハ)リカバリーショット型

 30年、40年の職業人としての人生において、挫折感を味わうこと一再ならずという人物が、思いがけず高齢者雇用の場において花咲き、実らせるということもある。まさに明るい高齢者雇用を実現するのである。それには、裏のキャリアとか失敗体験をバネに、第2の仕事人生を切り拓くという状況で構築される場合が多い。そこでは、新分野が大方であるので、出向経験があるとか、あるいは彼が専門としてきた仕事以外の脇の仕事に従事したことがあるとかいった裏のキャリア、即ち本筋の経験でないものを駆使して仕事をする、生きる、ケースが多い。限界体験・失敗といった苦しい思いをしたことが、この時初めて生きてくるケースも極めて多い。

 人生後半労働で三段跳びした丙氏について述べよう。丙氏は繊維の仕事を長年務めていたものであるが、子会社に移った時に、人員整理という限界体験をした。そこで初めて総務部の仕事を学んだのである。さらに、畑違いの電気メーカーの総務を任され、そして日本を代表するある大きな会計事務所に移って、総務部長に就任したのである。人生後半労働の三段跳び、スリークッションであった。即ち人員整理を実行し、またそのことにより関連会社の総務部に勤め、最終的には会計事務所に勤めることになったのである。それは、1つには先に述べた通り限界体験をしたということであるが、実は人柄に優れていたということである。明るい高齢者雇用を実現する本人の資質として、能力・意欲・人柄が必要である。能力が要求されることは言うまでもないことであるが、意欲が求められるのは、まさに求めてこそ与えられる世界であるからである。そしてなぜ人柄が必要かといえば、「年下の者と仲間になる」ことが、高齢者雇用における明るさを発揮する第一の要素と言ってよいからである。もちろん、能力・意欲・人柄が共に前向きな存在であることが問われるが、とりわけ人柄には前向きな明るさが大切だということである。

 三段跳びのリカバリーもまさに本人の人柄のよさの賜物であった。

 (ニ)ライフスタイル選好型

 自分の個性や特技との適合、または独自のライフスタイルの選択といった視点から雇用の場を見つけて、明るい高齢者雇用を実現しているグループもある。個性を生かす・特技を生かす・趣味を生かす・信条人生観を尊ぶ、といった世界にライフスタイル型がある。要するに「自分に生きる」ということである。例えば教師になりたいと少年時代から数十年夢見てきたところ、高齢になって初めて、教師の場が与えられ活躍する、まさに仕事に励むということを初めて体験・体感することになったのは、その事例であろう。人生における憧れを実現し得たというライフスタイル型として、まさに充実した明るい高齢者雇用となるのである。

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第31回 「背中の力」で勝負―60歳代の職業生活:生きる人脈、経験

(「週刊 労働新聞」第2177号・1997年11月17日掲載)

 

 高齢者雇用として成功するには、自分の目標・生き方をなるべく早い時期から明確に意識しなければならない。そこで、高齢者雇用の現実のタイプを分類してみよう。

 (イ)チャレンジ型

 外に機会を求め、重要な役割を担って活躍する型である。それには、人材として評価される総合能力を持ちあわせていなければならないし、キャリアが新しい仕事にマッチするということも必要である。もちろんこのチャレンジ型が可能であるのは、充分余力がある者でなければならないことになる。そこでは当然、健康問題を克服するだけでなく、若々しさが必要ということにもなり、さらに言えば、親の七光りではないが、今までの人生の軌跡の中で、背中を活用できるだけの実績、人間関係を構築していかなければならない

 一例を紹介しよう。甲氏は北陸地方の出身者であるが、高卒で日本の代表的なある商社に勤めたところ、支店長まで昇りつめた。しかし、その学歴と部下の不祥事により、出世の限界を感じていたところ、そば屋チェーンから転職のお話をいただいた。新分野ではあるが、仕事の類似性があった。商社においては、産元機能、即ち部材問屋機能があるが、チェーン店の展開において、その産元機能で覚えた知識・システムを生かすことができるということである。

 転職に当たって、一番気掛かりだったのは奥様の意向だったが、奥様も転職を快諾した。「あなたはせんべい屋の息子なんだから、そば屋に勤めても別におかしくない」という言葉で本当にほっとしたということである。

 チャレンジ型においてとかく問題になるのは、配偶者の意向である。配偶者が企業ブランドにとらわれている、あるいは冒険に逡巡するとチャレンジする機会を失うが、この場合は、夫人の言葉に半ば励まされて、チャレンジを決意したということである。

 このそば屋チェーンは、結局店頭公開するに至り本人は社長まで勤めたが、もちろんそれは『背中の力』が大いに役に立ったことは言うまでもない。小麦粉の手当てで、食材の手当てに商社に勤めていた知識・体験、さらに人脈が役に立ったし、またシステム作りに当たっても、その知識が役に立った。また、海外出店という大胆な企ても可能になったし、ベンチャーキャピタルや政府系銀行とのつながりも新しく開拓できた。言ってみれば、商社で身に付いた『背中の力』が大いに役に立ったのである。

 (ロ)エキスパート型

 例えば乙氏のケースがこれに当たる。乙氏はニューヨーク支店で法務部門の責任者であったのだが、日本の代表的な製鋼会社が当時まだ珍しかった法務部を設けることになった際に、その経験を買われ責任者として引き抜かれた。その条件として65歳までの雇用も保障された。すなわち、このタイプは専門的な知識・経験を生かし、即戦力として機能するということになる。従来のキャリアの延長線上にあるパターンだが、それだけでは足りない。別の職場ということになれば様々な新しい環境に遭遇するから、応用性・弾力性が不可欠な要素となる。

「明るい高齢者雇用」

第30回  “高評価”は諦めて―60歳代の職業生活:興味・関心の領域で

(「週刊 労働新聞」第2176号・1997年11月10日掲載)

 

 前回御紹介した横倉馨氏は、中高年人材と企業とのマッチングに当たり“キャプラン((株)キャリアプランニングセンター)紹介10則”を挙げている。高齢者雇用にとっても示唆に富む、そのいくつかの切り口に触れてみたい。

 「求職者に目線を合わせ、キャリアの裏を読め」、高齢者も同様に勝負の分かれめは、“キャリアの裏”即ち、キャリアの背景・中身であろう。履歴書に綴られる○○会社取締役もしくは部長といった肩書きよりも、そのポジション・職位において(もしくはそこに至るまでに)仕事を通じ何を生み出し変革し成してきたのか、を語れることが重要である。

 「すべての時間が“情報”につながる。蓄積の厚みと再生の柔軟さがマッチングの鍵」、とりわけ高齢者にとっては後段の“再生の柔軟さ”こそがキーワードであろう。変化を恐れず、むしろ変化を楽しんでいくぐらいの心と頭の柔らかさの保持が不可欠である。

 「“紹介”の成立はゴールではなくスタート」、転身は第二の就社の始まりでは断じてない。いかにみずみずしい気持ちを持って新たなスタートラインに立てるか、横倉氏の言葉を借りれば熟成した自己による後半労働の幕開けなのである。

 さて、明るい高齢者雇用のより良い実現に向けては、個人の寄らば大樹のカゲといった価値観を抜本的に自主思想へと転換しなければならないことが基本となる。

 50歳代の中高年は、未だ生き方を選択できる年代である。即ちライフプラン型という選択、具体的に言えば、第一線から引き下がり、従来のキャリアから離れた第二の人生をあえて選択することも当然可能な年代であるが、それだけではなくて、キャリアプラン型、即ち従来のキャリアを生かしてもう一つ仕事をこなしていこうとの姿勢を選択することも可能な年代なのである。言ってみれば、もう一つ仕事をこなしていくという夢を実現するには、50歳代から取り組まなければ、大半のものは成功しないと言ってよい。

 60歳代になると、期待と現実のギャップは余りにも大きくなり、キャリアプラン型の人生を送ることは、いよいよ困難になってくると言えよう。職業生活においても、50歳代に比して60歳代となれば主観的価値、個々人の趣味・興味・関心といったものに重点を置いた職業生活を送っていかなければならない。職業人としての生き方を求めず、人間としての生き方を求めるといったことになろう。例えば、自分の趣味に生きて一人で悦に入るといった生き方が、60歳代の大方の者にとって現実的に可能な道となるのである。それは自分の余力の程度を自覚して、大いなる報酬とか高い身分とか思い役割にこだわらず、自分の興味・関心を持ち得る領域で自分の存在感を味わっていくという生き方であるし、また社会的な存在として生きること、即ちボランタリーに打ち込み社会との連帯の中で存在感を味わい続けるという世界なのである。

 要するに、客観的に高く評価される、あるいは客観的に然るべく遇されるということは半ば諦めなければならないのが、60歳代の高齢者の実情なのである。

「明るい高齢者雇用」

第29回 能力と責任重視へ―めざすべき社会:エイジレスに転換を

(「週刊 労働新聞」第2175号・1997年11月3日掲載)

 

※本稿は1997年連載当時のまま掲載しております。

 21世紀は創造を超える超高齢化社会になると言われているが、そこでは当然新しい社会システムを作り上げる必要に迫られるし、また雇用システムも転換せざるを得まい。しかしそれは一朝一夕で成し得るものではなく、当然ロングランの課題となろう。

 社会全体の構造は次の如く変化するだろう。

 第一には、仕事の分配は現在、年齢階層別に行われているが、仕事階層別、即ちそれぞれの仕事に要求される能力・責任に耐えられる者が、これに配置される社会となっていかざるをえない。要するに能力階層別社会であり“エイジレス”社会であるが、好むと好まざるとに拘らず、それを良しとする社会風土となるであろう。

 また高齢である者も働く経済生活においては、国民年金・企業年金という世界から、今後は個人年金を中心とした社会への移行が必要であるし、また仕事に対する報酬をより強く意識する社会へと変質していくだろう。言い換えれば、「企業が労働者の生活を保証するのではなく、労働者は、その生活を自ら担保していかなければならない時代になり」何人も人生を自分で設計しなければならないという当然な課題に直面することになろう。

 価値観は、企業から与えられた課題を達成し、そしてリタイアメントするという現状から、生涯学習を旨として自己に課題を課し、自己責任でこれを達成していくという姿勢が尊ばれよう。即ち自己表現をより充実させようという意欲と行動が、国民全体に強くなるだろう。

 さて、このような社会全体に関するロングランの課題とは別に、高齢者雇用に関する当面の課題を明らかにしなければならない。高齢者雇用のシステムが未整備・未成熟であることは否定すべくもなく、個人ベースによって明るい高齢者雇用を実現していかなければならない時代である。

 ここで既に十数年高齢者雇用の現場に携わってこられた横倉馨氏を御紹介したい。氏は、繊維畑の海外業務をメーンに商社マン30年余のキャリアを重ねた後、経営管理者を中心に45歳以上の斡旋が6割を超える人材バンク(株)キャリアプランニングセンター(昭和57年1月設立、以下キャプランと略)の代表を創業以来務めてこられた(一昨年6月より会長職、現在は相談役)。

 高齢者雇用に対する社会的関心が高まるずっと以前より、この分野の草分け的存在として、まさに“獣道をバイパスへ”と切り拓いてこられた先駆者である。現在横倉氏は労働省・通産省およびその外郭で、中高年の雇用と能力開発に関わる数々の懇談会・研究会の専門委員を歴任されている。また中高年人材と企業とのマッチングを軸としたキャプランの活動は、登録者(求職者)には個別カウンセリングから能力開発の研修まで提供し、企業に対しても研究会組織を通じた事例交流から中高年人材のスムーズな導入受け容れ・より良い能力発揮を目指した職務開発および支援態勢作りといった社内整備に至るまでのコンサルティングと、そのサービス内容はかなり踏み込んだものとなっている。

 

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第28回 独立開業も選択肢―自己実現の理想型に― 

(「週刊 労働新聞」第2174号・1997年10月27日掲載)

 

 企業の高齢者雇用の現状とありうべき方向性をデータを基に概観したが、今回は少し違った視点でこの問題を考えてみたい。

 国民金融公庫総合研究所編「新規開業白書」は毎年様々な観点で新規開業の状況を分析しているが、その中でも新規開業者に占める中高年齢者(45歳以上)の割合が増加しているというデータは注目されてよい。独立開業はだれでも一度は夢見るりそうであろうが、実際にそれを実現している中高年齢者が少なくないようである。91年には24.4%だった新規開業者に占める割合が、96年には34.6%と10ポイント以上上昇している。昨今のベンチャーブームの中では、その話題が比較的若年層に集中しているようだが、中高年齢者の新規開業が着実に増加し、今や3人に1人が45歳以上、平均年齢も40.4歳となっている。

 さらに、下図はそれらの新規開業の目的を尋ねた結果だが、「自分の能力を発揮したい」「定年がない」という理由が上位にきている。企業による雇用の継続が期待できない中で自己実現の機会を求め、年齢による制約に縛られずに仕事をしたいという意思が見て取れよう。これらの結果は、開業分野を元の勤務先との関係で見ると一層明らかになる。商品・サービスと市場・販売先が同じといういわゆる「分社型」が52%、市場・販売先は同じだが商品やサービスが異なるという「絞り込み型」が19%、商品は同じで販売先が異なるという「専門知識活用型」が10%と、約8割が何らかの形で、従前の仕事との関連性を持っている。中高年齢者であれば当然ともいえようが、知識や経験、人脈等を存分に生かして、その延長線上で自分のキャリアを花開かせようとする姿である。

 自身の雇用が企業に保障されないとなれば、また、働く場が与えられてもそれが意に沿わないものであるならば、このような独立開業がむしろ奨励されるべきかもしれない。キャリアを全うしようとする姿こそ自己実現の理想像といえる気がしてならないからである。

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第27回 柔軟な就業機会を―一律処遇の必要なし― 

(「週刊 労働新聞」第2173号・1997年10月20日掲載)

 

 前回に引き続き、企業の高齢者雇用の実相を見てみたい。「高年齢者就業実態調査」は今後2年程度の間に高齢者の雇用を増やす意向の有無とその理由を聞いているが、増やすと回答したのは僅か10.7%に過ぎず、前回調査(1992年)に比べて8.5ポイント低下している。一方、増やす予定のない企業が39.4%と、こちらは逆に15.5ポイントの大幅増となった。その理由としては、「高年齢労働者に適した仕事がないから」「若年・中年層の採用で人手は充足できるから」が上位に挙げられている。

 前回述べたが高齢者の雇用は将来的に不可避といえる。増やさないと回答した経営者は時代認識を欠いていると言わざるを得ない。今こと強い危機感を持ち、高齢者の雇用機会の確保、開発に取り組まなければ企業の永続発展はやがておぼつかなくなるであろう。

 他方、高齢者自身の意識はどうであろうか。総理府が行った「勤労意識に関する調査」では、6割弱が65歳位まで、あるいは働ける限りずっとと回答している。まさに類稀な勤勉性であると言えるが、働く理由もまた多様である。図は各年齢層毎に就業理由を尋ねたものだが、生活を維持するためというのは当然としても、年齢の上昇と共に健康維持や生きがい、社会参加へとそのウエートが変化している。また、複数回答で聞いた「熟年ライフに関する調査」でも生計費を得るためという回答が60歳代前半層では60.1%であるのに、60歳代後半層では34.7%である。

 これらの結果は高齢者の雇用の在り方を考える際の重要な視点となる。すなわち必ずしも高齢者を一律に処遇する必要はなく、本人の思考に応じて、正規雇用や賃金の多寡に拘らない柔軟な就業機会を創出する余地が十分にあるということである。働く理由は、実は個人差であって年齢差ではない。体力の衰え等に配慮する必要はあろうが、ことさらに年齢で区別することはなく、むしろ当然のごとく高齢者が職場にいるという状態を実現する方策がもっと検討されてよい。

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