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(8月21日(日)午後17:10 東京都台東区上野恩賜公園不忍池にて蓮の花を撮影)

 

 

 

株式会社 新規開拓 代表取締役社長 朝倉 千恵子様

 8月17日(水)午後17時10分から18時まで、株式会社新規開拓(東京都千代田区丸の内)へお邪魔しました。同社の代表取締役社長である朝倉千恵子様と共著で、この10月に三笠書房から、経営と営業に関連する本を上梓する予定であるので、そのタイトル等の打ち合わせをするためです。

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(株式会社新規開拓 代表取締役社長 朝倉千恵子様)

 

 朝倉様は、いつもロングスカートを美しく颯爽と着こなしていらっしゃるイ メージがあります。しかし、その朝倉様には、波乱万丈な過去がありました。小学校教員として勤められ、結婚、出産、離婚を経て、35歳の時に人生の転換期を迎えていた朝倉様は、焦って生活力を付けようとして株の業界で失敗してしまい、多額の借金を背負うことになり、無一文の状態になってしまったことが あるとのことです。その時、「もう一度教育業界に身を置きたい」と思い、唯一面接に応じてくれた「地獄の特訓」で有名な社員教育研究所に入社されました。35歳、中途採用、営業経験ゼロからのスタートだったのですが、礼儀、挨拶を徹底した営業スタイルで、何と3年後にトップセールス・パーソンになられたそうです。

 その当時、社員数230名、総売り上げが23億円の規模の会社で、朝倉様は一人で1億円を売り上げたというのですから、その並はずれた営業力には脱帽です。その後、独立の道を選ばれ、平成15年に「有限会社朝倉千恵子事務所」、16年に現在の「株式会社新規開拓」を設立されました。新規開拓では、全国の企業での社員研修や営業指導、講演などを実施されています。その内容は、「即、営業成績に繋がる」と、多数の大企業からも高く評価されています。「人は仕事によって磨かれ、仕事によって鍛えられる。沢山の経験を積み、成長していく。失敗を恐れないでチャレンジしてほしい。」とセミナー等で朝倉様は受講生に活を入れるそうです。どん底とも言える状況から、多くの企業から信頼を受ける企業の代表とまでにご成長される朝倉様の人生が、「仕事を通じた成長」そのものであり、このお言葉をしっかりと裏付けていると思います。
 

 新規開拓は少数精鋭で、現在15名のスタッフで切り盛りされていますが、その内の12人が女性です。これからは男性社員も増やしていきたいと朝倉様はおっしゃっていました。当初、朝倉様が女性社員を中心に会社を構成された意図は、必死に働くお母様の後ろ姿を見て「働く女性の応援団長に成りたい」という強い想いがあったそうです。

 

 2003年より、女性たちの自立支援を目指し女性限定の公開コース「トップセールスレディ育成塾」を開催されていて、卒業生は1200名を超え、働く女性たちの応援団としても支持されているのは、「仕事の世界には男性も女性もなく、ウーマンではなく、ヒューマン。ところが、女性が女性に逃げてしまっている。これは非常にもったいないこと。難しい仕事、困難な仕事ほど、思いきってチャレンジすることが成長、成功のきっかけ」と話される朝倉様の想いが受講する皆様に伝わっているからでしょう。

 

 この 「トップセールスレディ育成塾」は、とても高額です。受講料は20時間で27万900円とのことですが、これに 宿泊費、遠方から来た受講生は交通費も含め、多い方だと70万円位をかけて受講する方もいらっしゃるそうです。全受講生の9割以上が30万円以上をかけて朝倉様の講義を聞きに来るのだそうです。そして、この不況にも拘らず、この塾は着実に成果をおさめられています。

 

 新規開拓のオフィスは、東京駅前丸の内ビルディングの中でも一番素敵な事務所を占めていると思います。17日は立派な応接室に案内されて打ち合わせをさせていただきましたが、その部屋は東京駅に面している心地よい部屋でした。「このオフィスに移ってから1年半になりますが(その前は帝国ホテルタワーに事務所を構えていらっしゃいました)、ずっと蘭が咲き続けています」と朝倉様がおっしゃるので目をやると、3度か4度花を咲かせてきたような胡蝶蘭が咲いていました。伺えば、もうすでに3度花を咲かせたそうです。

 

 朝倉様は、度々セミナーで「観葉植物が枯れている会社に未来はない!」と熱弁されているそうです。朝倉様は、「観葉植物は本当に正直。愛情を持って育てればすくすく育ち、義務的な気持ちだったり、放っておくとたちまちに枯れてしまいます。愛情と根気、細かい気配り、心配りが必要です。部下教育も同じ。」と、セミナー等で、度々、部下の指導育成を観葉植物にたとえられているそうです。このような朝倉様の人財(朝倉様は敢えて『人材』ではなく『人財』という表記を使われます)育成に対するこだわりは、小学校教師時代の「落ちこぼれを作らない」「教育には根気がいる」ということを身を持って体験されたご経験が生きているのだと思います。

 

 毎朝毎朝、日光に当たって、新しい空気にいささかそよいで、新規開拓のスタッフの皆様の愛情、根気、細かい気配り、心配りに、胡蝶蘭が応えてくれているのだと思います。

 

 さて、出版の打ち合わせは順調に進みました。私は来年5月に75歳を迎えることになり、様々な取り纏めをしていますが、出版もその一つであります。朝倉様との共著は、先に述べた通り、三笠書房から出版されるもので、私を「怪物弁護士」、朝倉様を「カリスマセールスリーダー」として、本音を語り合った企画にしようとされるものです。上梓した暁には、本ブログでもご紹介いたします。
 
 

 

 株式会社新規開拓HP  http://www.shinkikaitaku.jp/
 

 朝倉 千恵子様のブログ「熱血社長一日一分ビジネスパワーブログ」
    http://ameblo.jp/shinkikaitaku-asakura/
 

 「トップセールスレディ育成塾」HP http://www.tsl-lady.com/
 

 

 来週 は、8月第4週(今週)にお会いした方々をご紹介したいと思います。

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(2011年8月16日午前6:37 東京都目黒区 中目黒公園にて撮影)

 

 

 (1)株式会社源麹研究所 代表取締役社長 山元 正博 様

 

 8月8日(月)、霧島高原ビール株式会社(鹿児島県霧島市溝辺町麓)の山元正博会長をお訪ねしました。山元様は、株式会社源麹研究所の代表取締役社長でもいらっしゃいますが、スロヴァキア共和国の名誉総領事でもあって、スロヴァキア名誉総領事館も設置されていました。スロバキア名誉総領事館を拝命しているということは、国の光、鹿児島県の光として、観光客を呼ぶにふさわしい材料であると思いました。

 

 山元様は、東京大学農学部をご卒業された後、麹一筋でお仕事をされてきたそうです。山元様は、私の「社長フォーラム」(1993年5月~2007年7月、計127回にわたって東京にて開催)に鹿児島からよくご出席くださっていた方で、この度私が鹿児島に赴くにあたり、久々にお会いし、ご挨拶したものです。

 

 日本の焼酎の代表的な商品として「チンタラリ」というものがありますが、これは霧島高原ビール株式会社のものであって、山元様が作られたものです。霧島高原ビール株式会社から直に購入すると15,750円ですが、巷では25,000円以上で売られていて、私も以前そのくらいの金額で知人から購入した記憶があります。これは、「チンタラリ」は1日3本の限定製造で、貴重な銘柄であるからです。「チンタラリ」のボトルに使っている瓶は大変美しいガラスで、これは一個ずつ青森県十和田市奥入瀬で作成している手作りのものだそうです。今度奥入瀬に行った際には、この「チンタラリ」の瓶を作っている会社を訪問させていただきたいと思います。

 

 なお、プラハに訪問する場合は、今後は山元様を通じていただくと、最大限の便宜を図っていただけると仰ってくださいました。私は、耳の故障で、本当に不快な思いをしながらも、様々な人に出会い、色々な場所に赴くことを楽しんでおります。この不快な思いがもう少し軽減したら、東ヨーロッパ、プラハへお邪魔したいと思っています。その際には、山元様のご高配を是非お願いしたいと存じております。

 

 また、お酒の話をブログで投稿するときには、焼酎・泡盛についてもお話ししますが、そのときには、山元様に再登場していただくことにもなるでしょう。

 

 霧島高原ビール株式会社HP http://gen-khb.co.jp/

 源麹研究所HP http://www.genkoji.com/index.htm

 

 

 

(2)匡正堂(きょうせいどう)葛飾 齋藤整骨院 院長 齋藤 博保先生

 

 8月12日(金)午後17時頃より、東京都葛飾区柴又にある齋藤博保先生の整骨院にて治療を受けました。前回治療のためお邪魔させていただいたのは、昨年4月24日(土)ですので、約1年3カ月ぶりのものでした。

 

 齋藤先生とは、1982年8月に初めてお会いして以来、29年来のお付き合いをさせていただいています。私は親しみを込めて、先生のことを「葛飾の齋藤先生」とお呼びしています。

 

 齋藤先生が掲げられている「匡正堂」は、江戸時代末期の1830年、初代の漢方医であった齋藤玄悦先生までさかのぼります。2代目の齋藤周治先生は、古来より伝わる活法殺法術の厳しい修行の中から、柔術は殺すにあらず活かすにあると学び、その結果、活かすということは古来漢方に言われるところの経絡に活の術を与え、肉体に「気」即ち「活の気」を入れることと悟り、齋藤家秘伝の技としてこれを「気絡流柔術」と名付けました。この術は、3代目の齋藤正先生(齋藤博保先生のお父上)へと継承され、「気絡流柔術」をさらに民間治療である柔道整復術に取り入れて、鍼やお灸を用いない、独自の脊椎及び筋を基本とした「匡正術」を生み出しました。

 

 4代目である齋藤博保先生は、この「匡正術」を社会に認知してもらうことを目指して、地道な治療活動を続けていらっしゃいます。近年、高齢化社会問題を受けて、齋藤先生は「元気な老人作り」を目指し、その一環として60歳代からの健康管理に特に力を入れられているそうです。待合室には、「元気で長生きは世の為、家族の為、我が身の為、足は第2の命です」と標語を掲げておられ、待合室には80歳、90歳の患者さんの笑いが絶えないといった成果を上げられているそうです。また、最近では、数十年前にすでに先生が「パソコン病」と命名した、コンピューターにまつわる病の20代の方も多くなっているそうです。性別では、女性のほうが多いとのことで、1日の来院者数は100名前後ですが、時に150名を超えることがあります。

 

 齋藤先生は、1965年に家業整骨業に継承入門をされました。1967年に日本柔道整復師(国家資格)を取得、1971年に匡正堂の屋号を背負い現在の齋藤整骨院を開業されました。齋藤先生は、11人兄弟の4番目ですが、お父上のカバン持ちをしたのも1番、開業したのも1番だったとのことです。現在では、匡正堂グループは海外ホノルルの整骨院を含め20院、40人のお弟子さんを抱え、匡正堂グループの理事長を務められています。匡正堂全体として、これまでのべ100万人を診てこられ、齋藤先生は、そのうち20万人の患者さんを診られたそうです。

 

 さて、匡正堂のスタッフの方々は大変礼儀正しく、また勉強熱心でいらっしゃいます。お弟子さんは、10年間勤めて一定の技能レベルに達したら、分家させるそうです。そのとき、開業資金はお弟子さんには一銭も負担させず、お給料も出し、貸付金(400万~500万円)を自然に返済する方式にするとのことです。腕の良い人は、3年~4年で家を建てるまでになるそうです。

  

 このように、「責任」と「貸し」ということを意識していると、お弟子さんの心構えとして適度な緊張感と向上心が芽生え、治療に専念することで、お客様が自然と増えるのだそうです。先生は、お客様や有名人を追いかけないことをモットーにされていますが、故人では、たとえば福田赳夫先生など、多くの著名人が先生の治療を受けられています。

 

 齋藤先生の本業の腕前の素晴らしさは、私が身をもって体験しておりますが、お仕事以外にも、多彩なご趣味をお持ちです。私が知る限りでも、「ゴルフ」「ガーデニング」「難しいご本の読書」「自動車」などがあります。

 

 先生は、今年68歳になられましたが、ゴルフはシングルプレイヤーで抜群にお上手です。毎年、「関東シニアオープン」(出場資格55歳以上)に出場され、昨年は「日本シニアオープン」(出場資格 プロ50歳以上・アマ55歳以上)に出場されたほどの腕前です。このほかにも、30代からのアマチュアゴルファーが集う大会などにも、若い世代に伍して出場されています。

 

 先生のゴルフ好きは本当にケタ外れで、世界中の有名コースを奥様とご一緒に回られています。有名なところには既に行き尽くしてしまい、昨年の暮れからは、一番ポピュラーなハワイ島のコースに行かれたとのことです。

 

 先生は、難しいご本を読むこともご趣味のひとつとされています。最近では「『孟子』は人を強くする」(佐久協著)を読まれていて、その前は新渡戸稲造の「武士道」を読破されたそうです。昨年4月24日(土)にお伺いした時は、「『白鯨(ハーマン・メルヴィル著)』を読み終わったところなので、これから聖路加国際病院理事長 日野原重明先生のご著書を読むところです」と仰っていました。その豊富な読書量には、感心いたします。

 

 また、先生はクルマが大好きです。クルマ好きの人とであれば、初対面の人とでも、3時間も4時間も楽しくお話しをされています。

 

 このように、多彩なご趣味をおもちの齋藤先生は、次なる趣味として、川の近くに池を作り鯉を飼うという夢をお持ちであるとも伺っております。現在、入札で入手された鯉を60㎝にまで育てられているそうですが、この鯉は、もっと成長すれば1mになるそうです。齋藤先生は、68歳になられてもなお、夢を追い続けていらっしゃるのです。

 

 要するに、私もモットーとする「無用の用」を体現されている方であるということです。

 

匡正堂葛飾HP http://匡正堂.jp/

匡正堂HP http://kyoseido.jp/

 

 

(3)株式会社 開倫塾 代表取締役社長 林 明夫 様

 

 8月13日(土)、栃木県佐野市にある一乃館において夏休みをとることになりました。この夏休みと一乃館についての詳細は、来週に更新する予定の「歴訪記」で述べたいと思いますが、この夏休みの設定をしていただいたのは、開倫塾の塾長林明夫様でした。

 

 62校舎(栃木県、群馬県、茨城県に教室を展開され、埼玉県・東京都に進出予定で、早ければ、来年の今頃には東京に塾を新設されるとのことでした。)、塾生7040名(2010年度ピーク時塾生数)、教職員数400名の北関東屈指の学習塾である開倫塾の塾長でいらっしゃる林明夫様は、慶應義塾大学法学部法律学科を卒業後、司法試験の受験のために、予備校や学習塾の講師、家庭教師をしながら同大学の司法研究室生として研究生活を送っていらっしゃいましたが、29歳の時に司法試験の受験を断念された際、大学時代に刑事政策の研究会(宮沢浩一先生のゼミ)で刑務所や少年院などの矯正施設を何か所か視察し、その際に、刑務所長や刑務官の先生から「ちゃんと勉強さえしていれば、このようなところに来なくてもいい人がほとんどなのに…」とお話しされたことを思い出されたそうです。

 

 そこで、少しでも世の中や子どもたちのためになることができればと、足利市の南端に8畳と4畳半の2間ある家をお借りになり、1979年に開倫塾を創業されました。開倫塾では、学校で受けた授業の補習と希望校に向けての受験勉強の他にも様々な社会的活動をされていますが、その理由の一つは、このような創業に至る経緯のためとのことです。

 

 私が初めて林様にお会いした1994年当時は、開倫塾は生徒数3000名程度の学習塾でいらっしゃいましたが、先にご紹介しましたとおり、この少子化の中で、今では7000名以上の生徒を集めるに至りました。

 

 このように、林様の開倫塾が、少子化の中で順調に生徒数を増やされていることは、林様がカリキュラムの更新に精力的に取り組んでおられ、OECD(経済協力開発機構。ヨーロッパ諸国を中心に日・米を含め30ヶ国の先進国が加盟する国際機関)の教育政策と、文部科学省の教育政策を研究された上で、時代の流れを先取りしてこられたからです。

 

 林様は、開倫塾の経営で大変ご多忙の中、CRT栃木放送(ラジオ)で毎週土曜日午前9:15~から、21世紀の知識社会に対応できる「自己学習能力の育成」の方法について、林様が日本や世界を歩きながら考えた内容をお話しされる「林明夫の歩きながら考える」という番組を25年間も担当していらっしゃいます。この番組は、社会人をも対象として、効果の上がる勉強方法をご教授されている世界で唯一の番組とのことです。また、月に何回もの大学や大学院その他での講演や、執筆活動等も行われています。

 

 上記のご活動に加えて、公益社団法人経済同友会(東京)や、東京、栃木、群馬の経済団体の政策提言等のための委員会に数多く所属されていらっしゃり(その内の多くで役員を務められています)、年間200日以上も会合に出席されるそうです。出席される会合は、国際会議(各地域開催のダボス会議、OECD IMHE<高等教育管理>プログラムのメンバーでいらっしゃるため、その関連会議 等々)や、経済同友会の視察など、海外で行われるものも多く、世界を股にかけてご活動されています。

 

 多数の学会や研究会にも参加されています。今ご紹介したのは林様のご活動の氷山の一角に過ぎず、すべてをご紹介するには、紙幅がいくらあっても足りません。過密なスケジュールで大変ご多忙な日々をお過ごしでいらっしゃいます。

 

 しかし、忙しさのあまりに一つ一つが疎かになるわけではなく、「1つ1つの組織にはそれぞれのミッションがあります。そのミッションを達成するために、その場で全力を出すのが私の考えです。」とのことに私は感服いたしています。

 

 尽すべきは尽す精神で、常に全力疾走で、かつ大変な勉強家の林様が経営される開倫塾は、経営品質向上活動への取り組みが高く評価され、2002年度には栃木県経営品質賞中小企業部門県知事賞を受賞されました。教育界で経営品質賞の受賞は日本で初めてという快挙でした。また2009年には、公益財団法人 日本生産性本部 サービス産業生産性協議会のイノベーションや生産性向上に役立つ先進的な取り組み(ベストプラクティス)を行っている企業・団体を表彰・公表する「ハイ・サービス 日本300選」を受賞されています。

 

 かくのごとく、私の知る限り、林様は、日本一の勉強家であって、そしてイノベーションを推進、実践している方です。林様の車はもう60万キロを走破されているというお話を伺い、真に行動的な方であるという印象を改めて受けました。私が以前乗っていた車は25万キロで、周りの方々に「売りなさい」と勧められて売ってしまいましたが、60万キロというのは驚異的な数字です。今後は林様は100万キロを目指されるとのことでした。

 

 開倫塾 ホームページ http://www.kairin.co.jp/

 「開倫塾 塾長 林 明夫のページ」http://www.kairin.co.jp/akio/index2.htm

 

 

 来週は、8月第3週(今週)にお会いした方々をご紹介したいと思います。

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(2011年8月5日午後13時22分

北海道札幌市北海道大学内ポプラ並木に隣接したミックスフラワーを撮影)

 

 

 

(1)社団法人 日中協会 理事長 白西 紳一郎 様

 8月3日(水)午前8時30分から、社団法人日中協会(会長は衆議院議員の野田 毅様)の第59回理事会が東京都千代田区ホテルニューオータニで行われ、私も9時30分まで出席いたしました。

 

 同協会の理事長である白西紳一郎様は、1965年に京都大学文学部東洋史学科を卒業され、1967年から、日本国際貿易促進協会に勤められました。そして、1975年の日中協会設立に伴い、監事に就任され、2000年には理事長に就任されました。1967年以来中国には400回を超える訪問をなさったそうです。このご経歴からお分かりになるかと存じますが、日中友好にかける想いは青年時代から非常に強く「日中友好」に生涯をかけられてきており、また元来ムードメーカー、盛り上げ役と自負されておられます。そして、現在71歳でいらっしゃいますが、大変ゴルフがお好きな健康的な方です。

 

 私は白西様にお誘いをうけて2000年7月から日中協会の理事に就任しています。それは、私が中国の上海に日本高井・岡芹律師事務所上海代表処を1999年5月に設立していたからであります。ちなみに私はその後2006年、北京代表処も設立しております。

 

 さて、中国に進出した日本人・日本企業の多くが「中国人は信用できない」だとか「中国人にだまされた」などとぼやいていたり怨んだりしているのをよく耳にしますが、そのような認識をもつに至る理由は、日本人と中国人との思考が全く違うことを理解していないからだと思います。

 

 かつて孫文先生(1866~1925)は、『三民主義』(岩波文庫,1957)の中で、「中国人は一握りのバラバラな砂である」との論説を紹介されました。一方、日本人はまさに集団主義であります。日本最初の憲法である聖徳太子の17条憲法第1条には、「和を以って貴(たつと)しと為す。忤(さから)ふこと無きを宗とせよ」の一節がありますが、このことは日本人が集団主義を形成してきた根源となっています。ちなみに個人主義的な国民性は何も中国人に特有のものではなく、大陸国家、例えばヨーロッパ諸国の民族やアメリカ人等にも共通して言えることでしょう。

 

 しかし、文化の違う日中が交錯あるいは交流したとき、そこから新たな文化も生まれ得ることに、私たちは心を留めなければなりません。

 

 奈良時代の文人、阿倍仲麻呂は、8世紀初頭,西暦717年に、弱冠19歳にして遣唐使として入唐し、優れた才能を玄宗皇帝に認められ、王都・長安(現在は陝西省の省都・西安)で唐朝の要職を歴任し、ベトナム(越南)の支配人(安南都護府節度使)になりました。阿倍仲麻呂は彼の地で生涯を終えましたが、しかし、日本のことを忘れがたく、有名な和歌を残しています。それは、「天の原 ふりさけみれば 春日なる 三笠の山に いでし月かも」という詩です(753年,55歳の時に作られたとする説が有力です)。長きに渡り中国で仕事をしながら、そして重要な仕事を任されながらも、なお望郷の念が止みがたかったのでしょう。

 

 

 日中文化の懸け橋となった阿倍仲麻呂のお話をいたしましたが、上海と北京に事務所をもつ私は、彼の何十分の一でもいいから努力を重ね、日中文化、日中ビジネスの懸け橋となりたいと思っております。経営的には赤字が続いていますが、これを良しとせず、最善の努力をしながら、社会貢献活動という意味合いも充実させていきたいとして、私は本日に至るまで一生懸命努力しております。

 

 

 

(2)企画集団 知性コミュニケーションズ 代表 小石原昭先生

 

 8月3日(水)の18:30頃から21時まで、小石原昭先生と東京都新宿区神楽坂にあるL'Alliance(ラリアンス)にてお食事をしました。ラリアンスは、一店舗での年間売上が8億円(8000万円ではありません)にのぼり、フランス料理店として東京一・日本一の売上を誇っています。

 

 L'Alliance HP http://www.lalliance.jp/

 

 小石原先生は、1951年に河出書房に入社され、1954年に27歳の若さで若者向け新総合雑誌『知性』を企画、同誌の編集長となられました。1957年に河出書房が倒産後も、先生が中心となって同年に知性社(現・株式会社 知性アイディアセンター)を創立されました。爾来、日本最初のPRジャーナリズムを創造・発展させてこられ、文化人・知識人をシンクタンクとして新しい情報産業を創成されてきた方です。私は、先生とは1988年2月に初めてお会いし、爾来お付き合いをさせていただいております。

 

 先生は60年に亘る編集者人生の中で様々な人にお会いし、そしてその出会いに感謝の念を大いに持たれていたことに、大変感銘を受けました。いつもながらのお食事会では、色々な興味深いお話をお聞きしましたが、印象深かったお話を二、三、ご紹介させていただきます。

 

 第一に、小石原先生は84歳であるにも関わらず、何しろ大変な美食家でいらっしゃいます。様々な食事処にお出かけになられておられますが、何十年もの間昼食・夕食を外食なされておられます。そのような生活をされてきたにも関わらず、健康そのものです。勿論、健康には万全な気配りをされて いますが…。

 

 かつては、フランス料理が大好きでいらっしゃり、それは5年位続いたそうですが、今では99%といっていいほど、和食をお召し上がりになられているそうです。蕎麦、寿司、鰻等々美味しい料理をいただきながら、年中無休で働き続けていらっしゃるというお話をいつもながらお聞きしました。このお話は,7月26日付「2011年7月第4週<17日(日)~23日(土)>の交友録 その3」でご紹介した「自己欲するところの美味いものを食いつづけようとする意欲は、一概に贅沢などという平凡な一語に動かされてはならない。平凡な輩がいうところの『贅沢食い』をつづけ、心身の健康をつくり、人一倍優れた仕事が出来得るならば、美食は経済の本旨に逆らうものでないのではないか。」という魯山人の言葉の趣旨と同じであると思います。

 

 

 第二に、人は高齢になればなるほど、半ば当然と言っていいくらい物忘れが強くなるものですが、先生は正に頭脳明晰、記憶力抜群の方でいらっしゃいます。先生は昔の話を日時・場所・時間、その話から派生するエピソードまでもしっかり記憶されている驚くべき方です。私は往々にして、お話しさせて頂くのですが、昭和史・平成史の本を書かれたらどうですか、皆さんびっくりして感激なさると思いますよ、と何度もお勧めするのですが、頷いて下さいません。先生は名文家ですから、読者に感銘を与えるのは容易なことでしょう。

 

 例えば、ヤクルトの故・松園尚巳様についてのお話をしました。私も松園様とは2度ほどヤクルト社長室でお会いしたことがございますが、先生と松園様は松園様が他界された1994年まで、54年にわたるお付き合いをされていました。文藝春秋2011年3月特別号に、先生は松園様との思い出を「鰤」というタイトルのエッセイで発表されています。エッセイは、お正月に毎年鰤を送ってくださっていた松園様が他界された後も、秘書が『オーナー(松園様)のご遺志ですから』と鰤を贈り続けて下さるというエピソードで、松園様の「他界されてもなお発揮されるオーナーシップ」には感銘をうけました。

 

 私は、松園様からお聞きした当時のエピソードとして、ブラジルで丸ごと1軒の大邸宅を買って、また、「ブラジルのピカソ」と呼ばれたマナブ間部(マナブ・マベ)氏のことも松園様からお聞きしました。また、その大邸宅にあったステンドグラスだけを日本で売って元をとったというお話もお聞きしたと申し 上げたら、「丸ごと1軒だけではなく教会までも買った」とか、私のぼんやりした記憶を甦らせていただきました。要するに、私はステンドグラスを売って一軒家の代金の元をとったという話しか記憶していないのですが、小石原先生は詳細に覚えておられたのです。

 

 先生とともに、年に数回お食事をさせていただくことが楽しみであるのはいうまでもありません。私のワイフの高井孝子の弔辞も、先生に書いていただきました。先生が弔辞のなかで私に贈ってくださった言葉「愛する人を喪(うしな)っても、愛する幸せを知らないよりはいいと思います」(日野原重明先生)は、いまも私のささえです。

 

 知性コミュニケーションズHP http://www.chisei.co.jp/

 

 

 

(3)堺屋 太一 先生

 8月4日(木)14時45分から約30分程、堺屋太一先生に、先生の事務所でお会いさせていただきました。堺屋先生にお会いしたのは今回が初めてのことでしたが、先生は1935年生まれで、私は1937年生まれですから、ほぼ同年代で、同じく東京大学卒業でいらっしゃったこともあって、お話も弾みました。

 

 堺屋先生は東京大学経済学部卒業とともに通商産業省(現・経済産業省)に入省され、1978年に退官されるまでの間、1970年の大阪での日本万博博覧会の開催を実現され、また沖縄観光開発などを推進されました。その後はテレビ、雑誌等で幅広い執筆・講演活動をおこなわれ、また1998年から2000年まで小渕内閣、森内閣において経済企画庁長官を務められました。学者としても東京大学先端科学技術研究センター客員教授、早稲田大学大学院ファイナンス研究科教授、関西学院大学専門職大学院経営戦略研究科客員教授などを歴任されています。小説家としても著名な方で、ご著作は、第一次ベビーブーム世代を「団塊の世代」と位置づけ、現代日本の社会学に影響を与えた『団塊の世代』(文藝春秋、1980)、1982年のNHK大河ドラマの原作となった歴史小説『峠の群像』等、多岐多数に上ります。私も少しは著作をしておりますが、小説を書く筆力はとてもなく、いつもながら感嘆しています。

 

 さて、堺屋先生の奥様は美術展覧会で数々の受賞歴がある画家の池口史子様です。先生の事務所には、各部屋にそれぞれ違った趣の絵画が飾られていますが、先生の書斎の先生が座る椅子の奥には奥さまの絵画が飾られていました。そして先生は絵画はこよなくお好きでいらっしゃるようでした。奥さまの絵はオーストラリアの風景を描いたものではないかと拝察したのは、私の知人で以前オーストラリアにお住まいで、現地の風景を描かれたことのある長野県飯山市にご自宅兼アトリエをお持ちの画家の山田真巳様の絵に通ずるものがあったからです。お二人の絵は、それぞれの個性があり、池口様の絵は鮮やかな色遣いによって大自然の「動」を、山田様は落ち着いたどこか寂しげな色合いで大自然の「静」を、それぞれ表現されているようにも思えました。

 

 さて、堺屋先生は大変な勉強家で、現在,公務員改革と地域主権の道州制の導入に熱心に取り組まれているというお話しを頂きました。私はかねてから、国家公務員、地方公務員あわせて100万人を削減すべきだと申し上げてきました。民営企業に勤める人の賃金はどんどん下がり、非常に貧しくなっているにも拘らず、公務員は非常に高い賃金を、年功序列型で今なお自然と昇給しながら受け取っているようなシステムでは、日本はとても持ちこたえられないと存じていましたが、堺屋先生はまさにこれを公務員の出身であるにもかかわらず、実現されようと意気込んでおられたのです。

 

 さて当日堺屋先生には、2つのことをお願いしました。 

 

 1つ目に、小生がこの3年間主催してきた「キャリア権研究会」についてお言葉を頂きたいということで、キャリア権研究会がこの6月に報告書を作成して、キャリア権の普及の段階になってきたということを踏まえ、堺屋先生にしかるべきときにご講演をお願いさせて頂くかもしれないということを申し上げました。(キャリア権研究会については、7月19日付「2011年7月第3週<10日(日)~16日(土)>の交友録 その2」をご覧ください)

 

 2つ目は、「貴水」についてです。これは当事務所発行の事務所報2011年新緑号と、5月20日付のブログ記事「原子力発電に代わる新発電方式の提案」を印刷したものをお渡しし、研究施設をご紹介いただきたいたい旨をお願いしたところ、「この紹介は大変難しく、日本の研究所では理解されず、適確な答えが見つからないでしょう」とのことでした。「私もそう思います」ということで、お願いは実現できませんでしたが、今後、何かしかるべき研究施設を思いつかれたら是非紹介して頂きたいとお願いしました。

 

 今後キャリア権と貴水を通じた新発電方式の研究などを通じて、今後何かと先生にご指導を頂ければと存じております。

 

 

 

 来週は、8月第2週(今週)にお会いした方々をご紹介したいと思います。

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(2011年7月31日 朝6:58 東京都千代田区日比谷公園にてインパチェンスを撮影)

 

 

(1) 株式会社木村興農社 代表取締役 木村 秋則 先生

 7月24日(日)11時45分から12時40分まで青森空港の和食処ひばにて木村秋則先生にお会いしました。

 木村先生には、来年2012年12月7日(金)に弊所が開催する年末講演会にご出講をお願いしたところ、ご快諾をいただいたので、今回青森に赴いた際に空港でお会いした次第です。

 先生は、自然の力のみを利用した自然栽培農法を20年余にわたり、実践されていて、特に不可能といわれてきたリンゴの無農薬栽培を成し遂げ(もともとリンゴは通常十数回の農薬散布が必要なほど病害虫に弱いそうです)、ニュートンやライト兄弟よりも偉大な奇跡を成し遂げた方とも言われています。2006年12月7日NHK「プロフェッショナル 仕事の流儀」で先生の特集が放映され、りんごの無農薬栽培を成功させるために試行錯誤、苦闘されてきた先生のエピソードは、視聴者の大きな反響を呼んだそうです。

 このNHKの番組を基に出版された先生のご著書「奇跡のリンゴ」(幻冬舎、2008)を私も購入し拝読しました。リンゴの持つ本来の生命力を信じ続け、そして成功を収められたエピソードは、リンゴに限らず、私たち人間も、自らの「生命力」「生きる力」について見つめなおし、中医学やホメオパシーなどの代替療法を取り入れ、ホリスティック医学(生命ある人間のからだを環境も含めた丸ごと全体としてとらえ、いのちのエネルギーを高めていく)の確立をしなければならない時期にあると感じました。(ホリスティック医学については、7月12日付の「7月第2週 2日(日)~9日(土)の交友録」もご覧ください。)

 先生は、自然保護の観点から様々な事柄に取り組んでおられる方です。また、この不況下にも関わらず、年間200回もの講演を引き受けておられ、お会いした前日の23日も八戸で講演されて青森県弘前市にご帰宅の途上、空港で落ち合ってお会いさせていただいた次第です。

 実際にお会いしてみて、津軽弁丸出しの素晴らしい話術の持ち主で、かつ非常に明朗闊達な方という印象を受け、年末講演会では必ずや素晴らしい講演をして下さるに違いないと確信致しました。私からは、「僅か1時間ほどの講演ですが宜しくお願いします」と申し上げ、今後、年に1~2回のペースでお会いさせていただき、講演に備えていただくことになりました。

 先生にご講演いただく2012年12月7日(金)の年末講演会には、皆様もふるってご参加のほどよろしくお願い致します。木村秋則先生の講演を大いに楽しみにしましょう。

株式会社木村興農社HP  http://www.akinorikimura.net/

(2)   双日株式会社 社長 加瀬 豊様・執行役員 西原 茂様・秘書部上級主任 五十嵐 なみ穂様

 7月26日(火)夕方18時30分より21時近くまで、加瀬 豊様、西原 茂様、五十嵐 なみ穂様とリーダーシップセミナーの取材のため東京・芝とうふ屋うかい(東京都港区芝公園)にてご歓談させていただきました。

 加瀬様とは、1988年に加瀬様が日商岩井株式会社で人事部人事チームチームリーダーを務められていた当時にタイ支店でお会いしたのですが、最近のご活躍ぶりを改めて嬉しく思い、今般、リーダーシップについてご教授をお願いした次第です。

 西原様と五十嵐様は、今回初めてお会いしましたが、西原様は、頭脳明晰という印象で、加瀬社長から信頼を寄せられていらっしゃることが分かりました。五十嵐様はベテラン20年選手の秘書さんでいらっしゃいますが、若々しさがみなぎっていらっしゃいました。私は、故・速水 優様とは日商岩井株式会社の代表取締役社長でいらっしゃった当時にご面識がございました(後に第28代日本銀行総裁になられました)が、五十嵐様はその当時から秘書として勤められているとのことでした。

 さて、取材のお話をしますと、予め「リーダーシップ」についてご質問した5つの項目につき、それぞれがご回答をご用意して来て下さっており、それぞれ実務に即した忌憚のないご意見を述べられました。結論的に言えば、「リーダーシップはそれぞれの個性にあったものを確立しなければならない」ということでございましたが、当然のことながら、その必須条件、ポイント、スペック等々を語って下さりました。

 「リーダーシップ」は、私が人生の最後の課題としてチャレンジする75歳からの講演の基本テーマです。私が75歳となる来年の5月9日から100回を期して、全国で講演を行う予定であり、その目的は言うまでもなく、日本人の後継者に日本人によるリーダーシップはどうあるべきかを語ることにあります。ドラッカー論とか何とか論によらずに、日本人の手による、そして、日本の思想家による、更には東洋の思想に基づく、リーダーシップ(統率)論を展開したいという思いからであります。

 あまり偏頗な考え方にならず、おおらかな形で論稿をまとめ、100回達成の時点で本を上梓したいという思いにかられているため、その100回記念が77歳になるか78歳になるか分かりませんが、レジュメを毎日少しずつ更新しながら、より立派なものにしていきたいと考えています。

 そのリーダーシップセミナーのトライアル版は今月5日に札幌において開催するのを皮切りに月1回のペースで開催していき、来年5月からは月に1回に限らず、100回を目指して精力的に開催していきたいと考えています。

(3)    株式会社ティーワイリミテッド 代表取締役社長 依田巽様ご夫妻

 7月30日(土)19:00頃から、西麻布の「椿」というイタリアンレストランの一番奥のコーナーで依田巽様ご夫妻とお食事を共にしました。

 依田巽様とは、1975年頃サンスイでお会いしました。サンスイは労使紛争が激しい企業でしたが、依田様はアメリカで仕事をされることが多く、直接の関わりはありませんでした。ある日、たまたまサンスイ本社で会合があった時に、依田様が丁度帰国されており、その際に初めてお会いしたといういきさつでした。その後、正式な仕事の絡みで面識を得たのは、1995年、依田様がエイベックス・ディー・ディー株式会社(現エイベックス・グループ・ホールディングス株式会社)代表取締役会長兼社長でいらっしゃった時のことです。以来親しくして頂いていますが、一番印象的なのは、1996年4月27日から5月3日まで、私が団長を務めたミャンマー社会経済使節団として、ミャンマーを訪問した時です。そのとき依田様ご夫妻もご出席されていました。

 私は弁護士になってアジアをほとんど巡回しました。行っていないのはラオスとボルネオとスリランカのみであり、殆どの国にお邪魔しました。ミャンマーにもその後少なくとも3回、計4回、ひょっとしたら計5回もお邪魔しています。一方、依田様は現在、東京国際映画祭のチェアマンとして世界を股にかけて大活躍されている方です。

 7月30日(土)のお食事会では、3時間近くにわたって歓談させていただき、主に依田様の人生の歩み、それからミャンマーでの思い出、リーダーシップ等々のテーマで話が弾みましたが、とりわけ依田様ご夫妻がお元気であったことが嬉しく存じました。依田様の奥様とはミャンマーで一緒だった以降何かのきっかけでお見かけしたことが一度あっただけであって、久し振りに親しくお話しをさせて頂きました。

 依田様はお仕事柄殆ど外食で、奥様は一人で食事をするのにももう馴れてしまったなどと仰ってはいましたが、私は折々依田様にお会いしますので、奥様をも交え何人かの方をお誘いして、ご懇談の機会を折々設けさせていただくことをお約束し、夜10時近くにお開きになりました。

 

 来週は、8月第1週(今週)にお会いした方々のご紹介をしたいと思います。

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(2011年7月23日 朝6時45分 東京都千代田区 ホテルニューオータニにてアンスリウムを撮影)

 

(1)  曹洞宗大本山 總持寺祖院 監院 今村 源宗先生
 7月19日(火)朝9:30過ぎ、輪島市門前町にある、曹洞宗大本山總持寺祖院を訪ね、監院である今村源宗先生にお会いしました。

【大本山總持寺祖院について】
 今から約7百年前元亨元年(1321年) 瑩山紹瑾(けいざん じょうきん)禅師によって開創され、その後寺運益々隆盛を極め全国にその末寺1万6千余を数えるに至りました。ところが、明治31年4月13日不幸にして災禍により七堂伽藍の大部分を焼失しました。 これを機に布教伝道の中心を横浜市鶴見(大本山總持寺)に移しました。 その後、祖廟として次々に堂宇が再建され、山内約2万坪の境内には焼失をまぬがれた伝燈院、慈雲閣、経蔵などのほかに七堂伽藍も再建されました。 山水古木と調和し、風光幽玄な曹洞宗大本山の面影をしのばせ、一大聖地として現在に至っています。また、「仏殿」に通じる「紫雲台」という場所には、歴代の住職が、横浜市鶴見の總持寺の歴代の住職も含め、全員祀られているそうです。 

 私は、塩尻市無量寺の青山俊董先生に、9月27日(火)にお会いする予定であるということを今村先生にお伝えしましたところ、今村先生もよく青山先生をご存じでいらっしゃるとのことで、親しくお話しを伺いました。

 また、本寺には、多くの文化財が保管されており、山岡鉄舟先生の立派な襖四枚に書かれた書(「鐡樹 枝を抽(ぬき)んじ 石樹 花を開く」」も展示されています。「鉄の樹木が枝を伸ばして、石の樹木に花が咲く」という意味で、人情や煩悩に左右されない坐禅人の心を書いているそうです。私が、今週23日(土)に、山岡鉄舟先生が明治16年に建立した全生庵(東京都台東区谷中)を訪問し、全生庵第七世現住職の平井正修先生にお会いする予定である旨もお話ししました。

 このように、和やかにご歓談させていただきましたが、このブログにも、いつか「神・仏」というテーマで記事を載せたいと思っています。(そのためにはいくつかの神社・仏閣へお邪魔し、神主様、住職様等にお会いし、取材に行かなくてはなりませんので、いつ投稿できるかは分かりません。)
 
 このテーマを思いついた皮切りとして、今村先生に再びお会いして、取材をさせていただきたいとお願い申し上げましたところ、快諾していただきました。そして、今村先生より同日付の誠にご達筆なお手紙が7月21日に届きました。お手紙には、「人生百般何事も学び得る種はあるものですが、人に学ぶということが第一番の『縁』と存じます」という有難いお言葉が添えられていました。

 
 大本山總持寺祖院HP http://www.wannet.jp/noto-soin/index.html
 

(2)   株式会社良品計画 代表取締役会長 松井 忠三様・珠江様ご夫妻

 7月19日夜7:00頃から、松井 忠三様と奥様の珠江様等5名と共に、「Restaurant L'asse レストラン ラッセ」(東京都目黒区目黒1-4-15 ヴェローナ目黒B1)というイタリアンレストランでご歓談させていただきました。このレストランは、松井様等が5月12日に開店されたレストランで、松井様よりご案内を受けた際は、早速然るべき私の友人と共にお邪魔する旨をお電話で申し上げていたのですが、この度はご夫妻にご招待を受けて、会食となったものです。
  
 松井会長とは、2002年に初めてお会いし、その後2004年6月には良品計画の顧問弁護士として採用していただき、色々とご相談いただく間柄でございます。また、奥様の松井珠江様(旧姓 小林珠江様)は、現在はご退任されましたが、元々は株式会社西友の役員を務められていた方です。私は週刊労働新聞において「環境・資源問題を克服する人材育成」というコラムを連載(2000年1月17日号から同年12月25日号まで計47回)しており、その第30回(8月21日号)から第33回(9月11日号)にかけて、当時、西友の環境対策室長でいらっしゃった珠江様にお会いし、取材をさせていただきました。

 松井会長は、良品計画をよく導かれ、立派な企業として業績を回復されたリーダーシップを発揮された方です。私は、リーダーシップセミナーをまずはトライアル第一回として8月5日(金)札幌にて開催し、来年5月からは、後輩に私の考え方をお伝えするために、全国をめぐり全100回の講演を行う予定でおります。松井会長がリーダーシップを発揮され、その結果、良品計画がV字回復され、実績を挙げられていることは、私のリーダーシップセミナー講演にあたり、非常に参考にさせていただく実例であると感じております。

 株式会社 良品計画 HP http://ryohin-keikaku.jp/
 

(3)   美術評論家 JT-ART-OFFICE 代表 勅使河原 純 先生
 7月23日(土)午前11:50頃、勅使河原純先生にお会いしました。勅使河原先生とは、30年ほど前の菱田春草の論文を出版するにあたってご相談を受けたことがご縁で、細々ながらご縁が繋がってまいりました。当時先生は、世田谷美術館の学芸員でいらっしゃいましたが、後に美術館副館長になられ、そして現在は美術評論家をされています。

 昨年末、先生が事務所にされている東京都武蔵野市の小さなマンションをお尋ねしてから、再びお付き合いを密にすることになりました。その時に、若手の天才作家についてお話が出ましたが、先生の事務所JT-ART-OFFICEが主催されている平成趣味人倶楽部が、7月23日に、「魯山人の会」の企画として「料亭・福田家 夏の茶懐石」(魯山人のゆかりの料亭「福田家」にて、北大路魯山人の様々な茶碗やお皿等々の食器を使い、懐石料理を味わう食事会)を開催されるとの話もこの時に伺いました。

 私は、魯山人の後継である河村又次郎さんのお窯元(其中窯)にお邪魔させていただいたことが何度かありました。その窯は、かつて魯山人が使った旧星岡窯で、北鎌倉(鎌倉市山崎)に所在する切り通しを過ぎれば、そこは小宇宙ともいえる場所でありました。なお田んぼが残っており、北条氏の庵が2、3軒建っていたように記憶しています。

 勅使河原先生に「魯山人の会」に私も発起人として出席してほしいとご要請を受けた際は、もちろん快諾させていただいた次第です。

 今回は20名程が参加されていましたが、圧倒的に女性の参加者が多かったです。魯山人を愛する、美術を愛する参加者の皆様が無邪気に会話を楽しむ和気あいあいとした雰囲気の中で、2時間ほど過ごさせていただきました。また、「福田家」の立派なお部屋で会食をしたのは実に久しぶりでしたが、そのようなひと時を過ごせたことをうれしく感じました。

 魯山人の食器で食事をすることは贅沢であると言われますが、「自己欲するところの美味いものを食いつづけようとする意欲は、一概に贅沢などという平凡な一語に動かされてはならない。平凡な輩がいうところの『贅沢食い』をつづけ、心身の健康をつくり、人一倍優れた仕事が出来得るならば、美食は経済の本旨に逆らうものでないのではないか。」という魯山人のお言葉を、勅使河原先生が会の冒頭でお話になりました。まさにその通りに舌鼓をうって、贅沢で健康的なひと時を過ごさせていただきました。

 JT-ART-OFFICE HP http://www.jt-art-office.com/ 

 

(4)   Fr.ガブリエル橋口佐五衛門神父
(コンベンツアル聖フランシスコ修道会カトリック赤羽教会神父)

 7月23日(土)18:30から橋口佐五衛門神父をお迎えし、松井忠三会長ご夫妻等計6名と共に、レストラン ラッセで会食会を開きました。橋口神父は84歳のご高齢ですがお元気にお過ごしでいらっしゃいました。橋口神父は、私の亡妻の高井孝子が最も崇敬していた神父でいらっしゃいます。孝子は、イスラエルのガリラヤ湖が一望できる標高125mの山上の垂訓の丘の上に建つ「山上垂訓教会」にて、濱尾文郎枢機卿からキリスト教の洗礼を受けましたが、その際に陪席をして頂いたのが橋口神父でした。久しぶりにお会いして皆様ともども歓談させて頂きましたが、橋口神父はなお頭脳明晰な方でありました。

 

Restaurant L'asse HP http://ameblo.jp/restaurantlasse/
 
 ラッセのレストラン情報は上記HPからご覧いただけます。席数は22席と、 比較的小ぶりのレストランですが、「良心」を持ってサービスをご提供し続けることで、立派なご事業としてご成功・ご発展されることを祈念しております。私もささやかながら引き続きサポートさせていただきたいと考えております。

来週は、7月第5週(今週)にお会いした方々のご紹介をしたいと思います。

 

 

20110719.JPG【2011年7月第3週<10日(日)~16日(土)>の交友録】

 

 

(2011年7月16日 朝6:30 佐賀県佐賀市 鍋島直正公の茶室「隔林亭」のある神野公園にて睡蓮を撮影)

 

(1)  環境問題評論家 船瀬 俊介 先生 

船瀬俊介先生には,東京都渋谷区の国立オリンピック記念青少年総合センターにて開催された「バイオレゾナンス(振動医学という最新の医学のこと)医学会全国大会」にて、7月10日(日)夕方17:30頃ご挨拶させていただきました。後にご紹介させていただく矢山利彦先生と,船瀬先生は同じ高校のご出身で,矢山先生にご紹介していただいたのです。
 船瀬先生は,環境および消費者評論家として様々なテーマに取組んでいらっしゃり、40冊以上ものご著作をご出版されています。『巨大地震が原発を襲う』(地湧社,2007)は,当ブログでも「東日本大震災」記事で幾度も取り上げさせていただきました(例えば,第10回5月13日付記事「福島第一原発事故~所感統括」)。
 船瀬先生は,「顔立ちがイラクのサダム・フセイン元大統領に似ているので,よく『フセイン』と呼ばれますが,そんな人物ではありませんよ」とお話しされていました。
 私は,船瀬先生の志(マインド)が高くていらっしゃるから,そんなことは勿論感じません,批判を浴びることを恐れることはないです,と申し上げたかったのですが,先生が謙虚なお人柄でいらっしゃることを同時に感じとって(先生が着席されていた位置などから),そのように申し上げることは思いとどまった次第です。

船瀬俊介先生 公式HP http://funase.jp-j.com/
バイオレゾナンス医学会HP http://www.bio-resonanz.jp/

 

 

(2)   法政大学大学院政策創造研究科 諏訪 康雄教授
 ―キャリア権研究会報告書完成を記念したささやかな食事会にて
 7月12日(火)18:30頃から,諏訪康雄教授,あすか人事コンサルティング代表 太田正孝様(元株式会社ヘイコンサルティンググループ副社長),株式会社リクルートHRC審査ユニットエグゼクティブマネジャー吉田修様等とともに,私が主宰者を務める「キャリア権研究会」の報告書の完成を記念したささやかな食事会を開催しました。
 「キャリア権」とは,一般になじみのない権利ですが,当研究会では,「働く人1人ひとりが,その意欲と能力に応じて,自己の望む仕事を選択し,職業生活を通じて幸福を追求する権利」と定義しています。
 キャリア権は、諏訪先生が初めて提唱された概念です(「キャリア権の構想をめぐる一試論」『日本労働研究雑誌』468号・1999年7月号掲載)。日本の学会では、明治以来、憲法、民法、刑法はもとより、労働法その他諸法の分野においても、新しい法的概念が構築されたことはなかったと言っても過言ではありませんが、キャリア権は、諏訪先生が創造された概念なのです。
 この権利が認知されることがあれば,日本の産業ひいては日本の社会が「興隆し世界を牽引する」力を発揮するものとして非常に重要であるという認識のもとに,諏訪先生はじめ12人の研究会メンバーが2008年4月から2010年5月までの約2年間,全9回にわたって熱心に議論し,この度報告書が出来上がったものです。
 当ブログの読者の方で,「キャリア権」に興味・関心がおありでしたら,お気軽にお申し出ください。この報告書をお渡ししたいと存じております。

(法政大学HPより)諏訪康雄教授のプロフィールページ
http://chiikizukuri.gr.jp/pop_suwa.html

 

 

(3)  Y.H.C.矢山クリニック院長 矢山 利彦先生

 7月13日(水)夜10:30頃にY.H.C.矢山クリニックに到着しました。矢山先生が待っていてくださって第一回の診察を受けました。深夜まで診察していただいて本当に嬉しい限りでした。
 矢山クリニックには,3月3日以来お世話になっており,これで診察を受けるのは4回目になります。矢山クリニックでは,東洋医学と西洋医学、歯科と医科を統合して診断・治療を行い、人間がもつ生命エネルギーが最大限に高められるようにすることを基本方針とされています。また、食物、栄養補助食品、水、住環境についてもアドバイスを行い、全体的な治療を目指されているクリニックです。
 私は,矢山クリニックを「癒し」のクリニックとして評価させていただいています。クリニックの玄関を出ると、小さな木立があり、その先に田舎道があって疎水(多布施川)に面し、公園につながっています。南面の敷地であって、多布施川では少年少女が水遊びをし、泳いでいました。勿論田園の中だから緑にも包まれていて大変良いところです。
 7年前に新築された新病棟は木造建築で、しかも壁は珪藻土が用いられています。勿論、大地の気を浴びるにするに値する医療施設です。私はこれだけの医療施設を備えた矢山先生に敬服しています。
 16日(土)昼の12:00に辞去するまで,私は、クリニックの方針に従って、素足で病棟の中を歩き続けました。それは言うまでもなく、床の木の感触を楽しむとともに大地の気を取り入れようとするものです。改めて8月度に伺う予定です。

バイオレゾナンス医学会HP http://www.bio-resonanz.jp/
Y.H.C.矢山クリニックHP http://www.yayamaclinic.com/

(4)  外交評論家 宮本信生大使
 ―吉野ヶ里遺跡を訪問して
 7月14日(木)18:00頃に,佐賀県神埼市と吉野ヶ里市にまたがる吉野ヶ里遺跡をほんの少し見学しました。非常に広大な敷地で,よほどの健脚でないと回りきれないと思いました。吉野ヶ里遺跡を紹介した文献は多くありますが,私が一番分かりやすいと感じたのは,駐キューバ、駐チェコ大使を経て外交評論家となられた宮本信生大使の「邪馬台国女王 卑弥呼の生涯」(文芸社,2011)という本です。
 詳細に調査の上,抒情的に書かれた小説でしたので,邪馬台国と,卑弥呼が,どのような姿で存在していたのかをイメージできる作品でした。
 私は,中学生のころから,沢山の古代史の本を読んできましたが,最近では,アメリカのFBI超能力捜査官として知られるジョー・マクモニーグルの「謎の邪馬台国を発見」(権藤正勝著,学研パブリッシング,2010)という本がありましたが,それと共に説得力がありました。
 日本の古代歴史に夢をはせてきた私にとって,邪馬台国,さらには卑弥呼は永遠の謎でありましょうが,これを究めようとされた宮本信生大使にお会いしたいものだなあ,と思った次第です。「念ずれば叶う」ということで,いつかお会いできることを願っています。

吉野ヶ里歴史公園HP http://www.yoshinogari.jp/

 

 来週以降も,交友録を更新してまいりたいと考えております。来週は,7月第4週(今週)にお会いした方々のご紹介をしたいと思います。

 

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(2011年7月10日午前9時44分 鹿児島県霧島市にて撮影)

 

 

今回から、本ブログのテーマである「交友録」として、週に1度、前の週に私がお会いした素敵な方々をご紹介していきたいと考えております。

 

 

 

【2011年7月第2週<2日(日)~9日(土)>の交友録】

 

 

(1)   JNC株式会社(元新日本チッソ株式会社)
取締役 最高顧問 後藤 舜吉様

後藤様とは、今から48年前の昭和38年(1963年)に初めてお会いして以降、必ずしも音信が十分ではありませんでしたが、東京都新宿区神楽坂にて、7月6日(水)18:30頃からお会いし、久しぶりにご歓談させていただきました。美術に造詣が深いことには、びっくり仰天しました。今後とも折に触れてお会いしたいと思っています。
お話しをしているうちに、私の青春時代の1コマであった、熊本県水俣市の湯の児温泉の旅館(山海館)に再度訪ねてみたいと、改めて思いました(湯の児温泉、山海館については、地震第2回4月5日付記事もご覧下さい)。

(2)   帯津 良一先生

7月7日(木)18:00頃から小一時間、東京都豊島区西池袋のホテルメトロポリタンにある帯津三敬塾クリニックにて、院長の帯津良一先生にお会いしました。
帯津先生は、都立駒込病院外科医長を経て、1982年に帯津三敬病院を開設され、西洋医学に、中医学やホメオパシーなどの代替療法を取り入れ、ホリスティック医学の確立を目指していらっしゃいます(ホリスティック医学とは、からだの部分を診るのではなく、生命ある人間のからだを環境も含めた丸ごと全体としてとらえ、医者と患者が一緒になっていのちのエネルギーを高めていくことです)。
今回初めてお会いしご挨拶させていただき、ご歓談させていただきました。帯津先生にお会いして感じたことは、非常に巧みな話術をお持ちだということです。今後も引き続き、その話術のもとにお話を伺うことになると思います。

帯津三敬塾クリニック ホームページ http://obitsu.com/

(3)  サイ気療研究会 鎌田 毅成先生

7月9日(土)13:00過ぎに、鹿児島県鹿児島市加治屋町にて、サイ気療研究会 鎌田毅成先生にお会いしました。
鎌田先生は、元々経営コンサルタント及び人材紹介業を営まれていた方ですが、1998年4月に財団法人天風会鎌倉支部に入会され、その後は気療による病気の治療に専念されているそうです。
現代医学による治療とは大きく異なる「気による治療(気療)」を行われていて、私も9日に3時間ほど治療していただきましたが、私の身体の改善に大いに期待しています。今後折々、お邪魔する予定です。

サイ気療研究会ホームページ http://www.psykiryou.com/


 

(4)  最福寺法主 池口 惠観先生

7月9日(土)17:30過ぎ、鹿児島県鹿児島市平川町にある高野山真言宗の最福寺にて、池口惠観先生にお会いしました。先生にお会いしたのはこれで3度目ですが、今回は池口先生ご夫妻と夕食もご一緒させていただきました。池口先生は、高野山真言宗大僧正で、最福寺の法主を務められています。
極めてリーダーシップに富み、社会に大いに認められている方です。また、池口先生は、来年4月に北朝鮮を訪問されるご予定とのことで、私も、偶然のことながら、4月下旬または5月上旬に同好の士と共に訪問することを企画しております。

最福寺 ホームページ http://www.saifukuji.or.jp/index.html 

 

 

来週からも、交友録を更新してまいりたいと考えております。来週は、7月第3週(今週)にお会いした方々のご紹介をしたいと思います。

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