病気の最近のブログ記事

 

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(2011年11月1日(火)朝7:01 東京都港区 芝公園にて撮影)

 

 

10月14日(金)付、21日(金)付、28日(金)付記事の計3回にわたって匡正堂葛飾 齋藤整骨院院長齋藤博保先生についての記事を掲載してまいりましたが、今回はその「番外編」として、齋藤先生が10月19日(水)、20日(木)に榛名の森カントリー倶楽部にて行われた平成23年度全日本ミッドシニアパブリックアマチュアゴルフ選手権の全日本決勝戦に出場された際の「奮闘記」を齋藤先生にご寄稿いただきましたので、ご紹介いたします。

 

 

榛名の森写真.jpg榛名の森カントリー倶楽部 http://www.harunanomori.jp/

 

 

 

 

<齋藤博保の『たかがゴルフ、されどゴルフ奮闘記』>

 

 

【第一日目 10月19日(水)】

10月19日(水)、朝6時に目を覚ますと、朝靄を透し、湖面に映し出された逆さ榛名富士が夢の中から出迎えてくれました。国民宿舎の温泉場は、ホテルの最上階にあり、紅く染まった榛名富士を眺


 

めながらとっぷり湯につかり、今日の初戦の試合にそなえ身体を温めた後、いざ出陣。

 

 

 

紅葉と落葉の山道をいっきにくだり、榛名の森カントリークラブにスタート1時間前に到着。外国人のスタッフが出迎えてくれた。そう言えば、かつてこのコースはジャック・ニクラウスの設計の県下でも有数の名門コースとのうわさを聞いたことがある。さすがバブル景気に作られた趣が感じられた。

 

<榛名の森カントリー倶楽部のコース>

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どうやら経営者は代わったようだが、正常営業されている様だ。コースもさほど長くはないが山の傾斜をうまく造成された戦略性高いコースとなっている。

特にニクラウスの特徴でもある多くのバンカー配置とグリーンの大きくうねったアンジュレーションは難物である。

 

軽い練習とストレッチ後グリーンで念入りのパット練習。グリーンの速さは約11フィート。この速さは少しの傾斜の所へボールを垂直にポンと落とすと勝手にコロコロと勢いをつけながら下り降りる速度である。つまり,打ち方によってフック、スライス、ラインは倍以上ふくらませても下へ下へと転がってしまいます。隣の人間のつぶやき「こんなグリーンじゃ3パットや4パットは当たり前だ」と耳に入って来た。そんなつぶやきは絶対に心にとどめてはいけないのだが…

 

さて競技委員に呼ばれ打順通りに並び、ルール説明とお互いの使用ボールの確認。スタート前の一番緊張の一瞬である。これ迄何回か全日本の試合に臨んで来たが、今回のように最終組最終打順は初めての経験である。おまけに同組の連中はシード選手(予選免除)か常にトップクラスの名の売れた面々。その中で小生は新参者、これだけで相当なプレッシャーを感じざるを得ない環境である。いよいよスタート。三人共判を押したようにフェアウェイ中央をとらえている。

 

たのむからボールがティーに素直にのってくれと大きく一息入れうまく乗せられた。目をつぶり大きくもう一息大きく素振りをし、本番である。アドレスから一気に振り抜いた。緊張の為か身体が回転不足の為か、ややボールが左方向に飛び出した。左のラフに落ちたボールは右傾斜によってフェアウェイの真中にしかも他の3人のボールをオーバードライブ。同伴者のナイスショットの言葉にホッとしながらスタートをきった。

 

昨日の練習ラウンドではノンプレッシャーの中で気楽に出来、36.38。トータル74の上出来で廻り,侮っていた。今日はうって変わってドライバーはいいのだがアイアンとパターがうまくいかない。くそ、くそと思いながら43回、目標の30台を大きくオーバー。他の選手は皆30台である。

 

この試合に挑む前に小生なりに目標をたてていた。今の自分の実力では全体の真中と思っていた。一応20位を目標としていたのである。ところが最初のつまずきで、もしかしたら最下位…とか何ともやり切れない気持ちで残りハーフのスタート。

 

マイナス思考が頭の中をかけめぐっている中シード選手の一言、「齋藤さんとは前に一度廻ったことがあるね」でマイナス思考からプラス思考にスイッチが切り換えられた。つまり、この強者達と一緒にラウンド出来る境遇は自分に与えられたチャンスであり恵みなんだと思えた。よし,この日を楽しむ事にしよう。あとは野となれ山となれだ。

 

そして午後のスタートを切った。1人は30台であとの二人は自分のスコアーと同じ40回。まあまあである。その日の競技終了後電子掲示板にスコアと順位が写し出される。20位から大きく下位の38位である。明日の試合の出来で下手をすれば…などふたたびマイナス思考がよぎる。

 

アマチュアの試合の場合二日間で決着がつく。明日(10月20日)の為に17時近くまで、練習グリーンでパットの練習の後、ホテルに帰り夕食後温泉につかりながら今日(10月19日)の試合の反省。あれ程継続は力なりと信じ何千回何万回クラブを振り続け、用意周到だったはずがたった1回のミスがどうして出る、と自問自責の思いである。

 

高井先生からの激励の言葉、「初めは静かにスタート、後から気合を入れがんばってくれ」と、応援をいただいた。そんなことを考えている中ようやく頭が冷静になり、そういえば自分で先生のブログの中に載せて頂いた言葉の中に「ただ技術向上だけの鍛錬のみではただの組上げ作業でしかなく真の技術とはいえない。」「本当の技術とは『心』が入っている事だ」と思い出し、これだと思った。

練習ラウンドを含めるとすでにコースまで、4往復している道すがら、榛名神社を横目にしながら何の躊躇もなく通り過ぎていた。「よし、明朝早く神社を参拝してから試合に挑もう」と決心し早めに寝た。

 

 

【第二日目 10月20日(木) 榛名神社へ】

10月20日(木)早朝、窓ガラスを透して朝焼けにくっきり浮かぶ榛名富士と湖面に浮かぶ姿が霊気をおびて見えた。思わず2拍1礼!

 

6時30分にホテルを出発し、8分で神社の鳥居をくぐった。石畳の廻廊は少し朝露に濡れ、黒く光り重々しく感じた。所どころに七福神だろうか大きな青銅かなにかで出来た様な像が鎮座し、いかにも本殿に導いているかの極くであったが、7、8分経っても中々行きつかず時間的に不安になって来た。ここまで来て引き返すことはできない、と更に進むと、徐々に急な坂と石階段は続く。

 

早朝の為か誰1人いない辺りは朝靄の中に、右手に蛇行する渓流、断崖から細い滝と深山特有の霊験灼かな(あらたかな)雰囲気を醸し出している。

 

それにしても結構な道のりである。この辺りでおさい銭でも川に投げ入れ帰ろうかと思ったが思い直しとうとう山の七合目位まで登ったところでひときわ急な石階段が7、80段あり、いかにもこれが最後だからがんばれといわんばかりで立ちはだかる。よし、と掛声と共に一気に登りつめたところにやや小広くなった場所に社務所があるが本殿らしきものはない。よく見ると更に細く急な石階段があり、上を望むとどうやらそこが本殿らしい。早朝ということで未だ立入禁止の縄が張ってある。仕方なくその階段に向かってお賽銭を投げ、2拍2礼。

 

そして、「気の恵み」を頂き、下山しようと振り向いた瞬間(ここからは信じ難い事なのでどう解釈されても結構です),石門の陰に白い布のようなものが一瞬横切ったように目に写り、巫女さんかと思い、折角来たのだからお札でも頂けないかと追いかけ、声を掛けようとしたが姿がない。社務所にでも入ったのかと思い、大きな声でおはようございますと声を掛けても応答はなかった。気のせいかと思いつつ下山しました。今でも確かに見たのだが…とうその様な事件があった。巫女さんに会えなかったことが今でも心残りであった。

 

 

【第二日目 10月20日(木) 試合の結果―20位入賞】

さていよいよ2日目最終日。新たな組合わせは3人でいずれも関東人。しかも関東の決勝で一緒だった選手。気さくな人間で馬が合いそうです。もう1人は千葉県八千代出身で気むずかしそうなので無視。

 

“今日は気楽に廻りましょう”とこちらから挨拶。自分のペースに!スタート、中盤までグリーン中央ねらいで、とにかくパーオン無難にパープレイ池越え150ヤード。昨日は7番アイアンで、やや大きめのクラブ選択。思わず力がゆるみ、池ポチャで手痛いダボ。今日は8番アイアンで思い切り振り抜いた。ピンに一直線2.5m下りスライス。

 

よしチャンス到来、打ち出しラインを決め、いざ、と構えた時、なんとしても決めたいとの思いで榛名神社での「気の恵み」を頂いたことを思い出し、無の境地に入り、自然に手が動いた。しまった、少しふくらませ過ぎか、左に抜けそうなボールは右に急カーブ。カップの真中から沈んだ。ヨォーシと思わず声を上げガッツポーズ。心の中で神にありがとうとつぶやく。

 

その後無難にパーが続き午前ハーフ35ストローク。その時点で全選手中最小ストロークで上がった。結局午後は大崩れなく最終18番、グリーンをはずし、アプローチややティポット気味からピン迄40ヤード。むずかしい場面だ、ここでワンストロークオーバーは痛い。慎重になり過ぎてピン手前約8ヤードオン。これをはずすと41回。なんとしても沈めたい。ギャラリーの見ている中慎重に慎重にラインを読む。約5cmのフックライン。もう一度天を仰ぎ、心の中で榛名神社に向かって2拍1礼!もうこれで入らなければ仕方がない、すべて自分の実力だといい聞かせ、アドレスに入りボールの一点をにらみつけた。不思議に雑念が消え、手が自然に動いた。やや強いか、勢いよくボールはカップに向い、カップの向こう側に当たって沈んだ。瞬間ギャラリーから拍手。ゆっくりボールを拾い上げ一礼。これはギャラリーではなく神への一礼である。

 

風呂から上がり早速掲示板の自分の位置を探した。なんと20位である。1日目のシード選手が「齊藤さんよく後半がんばったね!」の一言に、ありがとうといって胸を撫で下ろした。

 

家に帰宅するとすでにインターネットで順位を確認していた連中が、「よく後半もり返し、公言していた20位でよかったね!」と。

 

“いやー、神様のおかげさ”…158分の1の割合で、まさかと思った20位158ストロークのたった1打のミスが違った結果を生む。たかがゴルフ、されどゴルフ。何か気付かされた様な思いです。

 

 

【高井より】

一日目は38位と、目標である20位から大きく順位を離されていた齋藤先生ですが、「ただ技術向上だけの鍛錬のみではただの組上げ作業でしかなく真の技術とはいえない。本当の技術とは『心』が入っている事だ」と当ブログでも語っていただいた齋藤先生の治療における信念をゴルフの場でも思い出され、また榛名神社とそれを囲む榛名富士の大自然の「気」の恵みをいただきながら、結果目標通り20位でフィニッシュできたことは本当に喜ばしいことであると思います。齋藤先生、お疲れ様でございました!

 

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(2011年10月26日 朝6:54 東京都千代田区 日比谷公園にて撮影)

 

 

 

 

さて、今回も前回、前々回に引き続き匡正堂葛飾 齋藤整骨院院長齋藤博保先生についてご紹介いたします。

 

 

齋藤整骨院には、齋藤先生直筆の筆で書いた標語が5つあります。


・  【食動睡】
食べる動く眠る は人が健康に生きる上での大原則
バランスのとれた正しい食事でとりこまれた
エネルギーを完全燃焼する為の運動
疲れ切つた身体を癒し精神の疲労を取る睡眠
この三つのサイクルを正しく行い 元気な身体作りを心掛けましょう

前回述べた「コンピューター病」に関連して、齋藤先生は、田舎に暮らす人ほど、動物的感覚である【食動睡】の健康への原則が比較的守られ、身体全体に自然と柔らかさを感じる一方で、システム化された都会人に近くなるほどに動物的感覚が薄れ、身体も固く不自然さを感じるということをおっしゃっています。人が知恵を絞る目的の一つは、「便利」と「ゆとり」を追求することですが、コンピューター進化の時代に、「便利」と「ゆとり」が調和することが必要である、と説かれています。齋藤先生は、ゴルフがお好きですが(ゴルフについては後述します)、世界10数カ国をゴルフクラブをかついで旅をされてきました。その際、コンピューターとはまったく縁のない国に行って、人々の暮らしを垣間見た時、「不便」の中にも「ゆとり」と「平和」を感じられたそうです。

 

・  【元気で長生き 世の為 家族の為 我身の為】
元気であることは一番の幸せであり喜びである
元気であることは迷惑かけずお金をかけず手間かけず

齋藤先生の口癖は「『男は88歳まで、女は95歳まで』ぴんぴん元気でなければならない。一般的に寿命は男性が女性より少し短命のようですが、その年齢までは日頃の健康管理で十分元気で生きられます。元気で長生きは『世の為(国の予算が助かる)』『家族の為(介護する人が苦労しない)』『我が身の為(自分も楽しい)』」」ということを治療三楽として、標語にされています。最近は、この年齢を「『男は95歳、女は100歳までぴんぴん』に改めなければならない」とつぶやいておられます(これについては後述します)。

 

・  【膝は第二の命です】
足が悪くなってしまうと人体全ての機能が止まってしまいます
そして色々な臓器に病気が発生します
先づ足元から元気にしましょう

齋藤先生は、昨年独立開業40周年を迎えられた時、「健脚達磨」という達磨を作られました。これは、健脚作りの治療技術をさらに研鑽し、1人でも多くの患者さんに転んでも転んでも立ち上がれるような健脚となって幸せな老後を送っていただけるように、との齋藤先生の想いから作られたものです。
人間の脚は、およそ身長の2分の1を占めています。それらは人間という動物が生きる上で最も重要な部分として与えられ備わったものであり、移動、行動のほかに脚が止まるということは体内循環である基本的「流れ」がとまり、色々な諸病のもとになるそうです。 

 

・  【健康とは健全なる精神と健全なる肉体に宿る】
健康的な生命維持の自浄能力を発揮させる為には、強く正しい免疫力と自然治癒力を如何に引き出すかである

・  <頭が重い 首がこる 目がかすむ 肩肘手首が痛い 背中の一点がこる ストレスが溜っている 目が廻る 目にクマが出来る 片頭痛がする 涙目でうっとうしい 手がふるえる 目がいつも充血している いつも眠い 天井を見上げると手がシビレる 顔色が悪い>
これ等の症状はパソコン・携帯電話など長時間の操作による病的症状です。人間は所詮動物です
跳んだり走ったり新鮮な空気を胸いっぱい吸い込んで生活をエンジョイすることが健康的に過ごす基本です
背筋の調整で症状改善を心掛けましょう 

 

齊籐先生の治療は、適応年齢も0歳~100歳迄と幅広く一事が万事、結果を出しつつ安全性の高い治療を行っておられます。葛飾 齋藤整骨院では、今までおそらく100万人を超える患者さんを見られてきたということですが、これまで失敗したご記憶は殆どないそうです。

 

齋藤整骨院は、原則水曜日と祝日のみがお休みです。齋藤先生は火曜日もお休みにされておられるので、火・水と、週休二日制を実施されています。お弟子さんが何人もお見えになりますが、来院者が多いので、齋藤先生直々の治療を受けられるのは、全体の約3分の1の来院者だけになってしまいます。1日の来院者数は平均実に100名前後ですが、時には驚くなかれ、150名を超えることがあります。まさに人気抜群で、前回述べたとおり、北は北海道、南は沖縄まで、全国各地から患者さんが来訪されるということです。

 

 

なお、自由診療で行われています。交通事故には保険医療も行われているのですが、一般には保健医療は行っておられません。そして、患者さんの負担額は大体初診6000円~8000円、再診2500円~3500円、80歳以上は2000円、高校生・中学生は1300円、小学生・幼児は700円と比較的安く治療を受けることが出来ます。

 

齋藤整骨院には、高齢者が沢山来院されていますが、それは、高齢者については治療費が極めて安価だからです。その結果として、齊藤先生は『男88歳、女は95歳』を『男は95歳、女は100歳までぴんぴん』に改めなければならない、と呟いておられることは先に述べた通りです。齋藤先生が『男95歳まで、女100歳まで元気である』というように、その年齢を上げた理由は、高齢化が進んでいるということが挙げられます。高齢化社会の為、寝たきり老人が増えてきているのが社会問題になっていますが、「自宅介護での家族の苦労は計り知れない」と、いち早く数年前から元気な老人づくりに取り組んでおられるのです。本当にありがたいことです。

 

高齢化社会についていえば、高齢者にかかる医療費の問題として、国の負担がどんどん増額されています。このことは、日本の「医学」が間違った方向に進んでいるのではないかと考えさせられます。日本の医学は「古典医学」とか「コテンコテン医学」とか揶揄されている状況にあります。また、「医学」のみならず、「医療」「治療」の在り方を本質的に見直さなければならないのではないでしょうか。また、「医学部」だけでなく「医療学部」「治療学部」を設立する必要があるのだと思います。

 

 

さて、齊藤先生の趣味は多彩です。特に一番はゴルフでしょう。68歳にもかかわらず、本年9月軽井沢で行われた東日本ミッドシニアパブリックアマチュアゴルフ選手権競技地区決勝にて8位の成績をおさめられ、全日本進出となり、今月10月19日、20日に開催された榛名の森カントリークラブ(群馬県高崎市)の「第8回全日本ミッドシニアパブリックアマチュアゴルフ選手権」に出場され、全日本で第20位の成績をあげられたということです。(※全日本大会の様子は,齋藤先生の「奮闘記」として,当ブログ内でご紹介する予定です。)

 

「自分は長患いするのではなく、突然ぽっくりいくのではないか」と、ときたま先生がお話しになられますが、まさに先生は心身ともに健康を旨としておられるということです。

 

齊藤先生直筆の標語にある通り、足腰を鍛え、エネルギーを完全燃焼するための運動に励まれ、そして夜分には早々と深い眠りにつかれるそうです。このように、極めて元気に治療に当たっておられます。


匡正堂葛飾HP http://匡正堂.jp/

匡正堂HP http://kyoseido.jp/(匡正堂のネットワークはアメリカハワイを含めて全国に20カ所あります)


 

【最後に】

齋藤先生に本ブログ記事を執筆するとのお話を申し上げたところ、下記のお言葉をくださいました。

 

〈小生は11人兄弟のほぼ真ん中として育ちました。大家族の真ん中ということであまり存在感はなかったと思いますが、そんな中でも幼少期のころから父の仕事に強くあこがれておりました。子どもながら上、下に気を使いつつの少年期を過ごしたことによって、私なりに常に真ん中の考え方、ハングリー精神が養われたように思います。11人兄弟の内男6人女1人が家伝を継承しておりますが、小生が兄弟の中心となりまとめ役を買っております。父、母、兄2人は他界いたしましたが、今でも独立開業している兄弟が弟子を引きつれ、総勢40名程でゴルフコンペを年2回和気藹々で行い親睦を計っております。

年を重ねて小生が思うに、大切なのは自分に課された役目を人の為に、そして今迄私を理解し、応援してくれた兄弟を大切にして参りたいと思う次第です。

 

最後にこの度名誉なことに高井先生をはじめ多くの方々に大変高評価をいただき有難いというよりは、まだまだ未熟なる自分にはお恥ずかしいと思っております。小生には、授けられた仕事以外なんの取り柄もない人間です。つくづく思うに自分に課せられた役目に生かされているように、自分に出来ることをただただ生涯やり抜き、悔いの残らないように生きられたら、と願っております。〉と、実力はさることながら、人間性も、謙虚で優れていらっしゃいます。

 

また、齋藤先生の「手にかかる」と病気が治る、その理由とは、先生の「手」に「気」がこもっていて、それが患者に伝わるということであると思います。齋藤先生に「手」についてどうお考えであるかお聞きしてみたところ、下記のようにご回答いただきました。

 

「人間の最大の特徴としての手の器用さはほかの動物の及ぶところではなく医療のあらゆる分野においてもその器用さは活用されています。痛み、苦しみの場所に無意識に手をあてがうことから『手当』と云うように、治療の第1歩が始まります。手は単なる治療道具としてでなく、五感(五官)に通じ人との触れ合いを通じて様々な相手の感情、異和感を感じとる。それと共に、『気』の交流となり、治療のもっとも大切な道具といえます。又、鍛錬のみの手の技術は相手を心底から得心させることは出来ず、ただの組上げ作業でしかなくなってしまいます。手に『気』を入れ『心気』のこもった手技による患者さんへの治療反応ははっきり表われます。」 

 

このように、齋藤先生はまさに研鑽、修行の方で、私は医学・医療に携わる人も皆、研鑽、修行を積まなければならないと思います。単なる知識の習得だけではだめだということです。研鑽、修行を積むことで、すなわち「気」を得ることで、初めて医学・医療を実践できるのではないかと思います。なぜなら、「気」というものは単に個人の体内のみに留まるのではなくて、体外に全方向へと発信されるエネルギーであり、また受信者との関係において双方向にも作用するものであるがゆえに、本来的に相手を意識してはじめて、機能するものです。ですから、医学・医療関係者に「気」がなければ、病気の患者、すなわち「気」が病んでいる人、弱まっている人の「気」「いのち」のエネルギーを高めていくことができないのではないでしょうか。

 

 

 齋藤先生より、「気」についてお聞きした所、下記のようにご回答いただきました。

 

〈私は、「気」なるものは森羅万象大宇宙全てに存在するもので、人間は勿論、全ての事物は「気」によって生かされ、それぞれに必ず「心」が存在していると信じています。心と心が通じ合うことが「気」のめぐり合いではないでしょうか。「気」の表現は日本民族特有のものと思われますが、平時において「気」に気付かず、「気」に関する言葉や表現を知らず知らずのうちに沢山使っているのです。 

 

私の場合も、患者さんに対して「気」を使うことは必然なことです。「気」とは、「心の使い方、心の置きどころ」と思うのです。「気」については色々な書物、達人の教えにもあります。いずれもお互いの「気」が交流し、シンクロ(同調)したときに通ずると解いています。良い「気」、悪い「気」など、自分の心の中での使い方によって善気にも邪気にもなります。 

 

これまで、私を訪ねて数え切れない人が来院されました。もしこれからも、私を必要とする人と巡り合えることが出来たら、その人の為に誠心誠意尽くしてまいるつもりであり、これこそ「『気』の巡り合いのパワーである」と感謝するところです。〉 

 


齋藤先生の治療を受けると「すっきりした」といった感想を持たれる方が多いそうですが、私は、29年に亘り先生のご治療を受けていますから、もう「すっきりした」とか「調子がよくなった」といった感想を持つこともなくなってしまいました。しかし、それは、先生の治療法、先生の「手」から出る「気」と私の「気」とが交流し、一体感を持つに至ったからであると思います。

 

私が66歳のとき、2003年4月に、一度目の脳梗塞を発症しましたが、それから8年、74歳になりましたが、こうして生きていることが出来ています。それは、齋藤先生をはじめとする医者・治療家の先生方のおかげでもあるし、10月14日付記事「齋藤先生(その1)」で述べた、「時も薬なり」という齋藤先生の名言の通り、私の長い闘病生活の中で、時間が解決してくれた部分もあるのかもしれません。


この「時も薬なり」の言葉の所以は、時の経過と共に細胞が「死滅と再生」を繰り返している、ということだと思います。そして、老化現象によって、この「死滅と再生」の時間が次第に長くなります。そして、再生のスピードが死滅のスピードよりはるかに劣ることになると死を迎えることになります。老化現象などについては、私の思うところを今後当ブログにて取り纏める予定ではありますが、私も74歳の高齢になりましたので、死滅のスピードよりも再生のスピードの方が遅れてきてしまっているのではないかと思います。しかし、私も今後も齋藤先生の治療を受けながら、先生の「気」と一体感を持ちながら、残された人生の中で仕事を続け、いささかなりとも社会に貢献していきたいと存じております。

 


 

 

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(2011年10月19日(水)朝7:01 東京都中央区 築地川祝橋公園にて撮影)

 

 

 

さて、今回も前回に引き続き匡正堂 葛飾齋藤整骨院院長齋藤博保先生についてご紹介いたします。

 

「匡正術(筋療法)」

齋藤先生の治療方法の根本は、「背筋をただす」「骨格を整える」ということであります。これは、柔術は殺すにあらず活かすにあり、活かすということは古来漢方に言われるところの経絡に活の術を与え、肉体に「気」即ち「活の気」を入れることであるとする匡正堂齋藤家秘伝の技「気絡流柔術」が、昭和8年、3代目の齋藤正先生(齋藤博保先生のお父上)へと継承され、「気絡流柔術」をさらに民間治療である柔道整復術に取り入れて、鍼やお灸を用いない、独自の脊椎及び筋を基本とした「匡正術(筋療法)」であります。

 

「匡正術(筋療法)」により「筋」(すじ)すなわち中枢神経系の脊髄神経が通る背筋の異常部位を、特殊な手技法で匡正すると、末梢にけがをしていても、その部分が良くなるそうです。背骨は32本~34本の椎骨(ついこつ)で構成されています。背骨の中を通る脊髄神経は椎骨の間から末梢神経に繋がっています。「匡正術(筋療法)」は、たとえば手の親指をけがした場合、胸椎の何番目を直すと親指が治る、という技術なのです。背骨から出るネットワークは、全ての器官へと通じているのだそうです。

 

さて、ぎっくり腰の場合だと、齊藤先生の手にかかれば、呆気なく快方に向かいます。ぎっくり腰が発生した直後であれば、瞬時に治すことができるといわれています。すなわち、先生に早期にかかればかかるほど、治療が早期に終わるということです。1回で治ってしまう人も沢山いるのだそうです。また、いわゆるむちうち病も同じで、齊藤先生が後に述べる「むちうち症についての分析」(※1)と「むちうち症の原傷部分」(※2)を見据えて、背中のある一点をバシっと押すと、首の障害が消失するのだそうです。私は幸か不幸か、ぎっくり腰になったことも、むちうち症になったこともありませんから、具体的な話はできません。しかし、これらの疾病で色々な障害をもっている人が齊藤先生の手にかかれば、甚だしければ一日で快方に向かうということです。そして、むちうち症の場合は、首に巻く装具をただちに外されてしまうということです。

 

 

(※1)齋藤先生のむちうち症についての分析

〈むち打ち症(傷)につきましては、事故の状況により、傷病パターンが違って参ります。一般的な事故(停車中に後部より追跡された状況)によるむち打ち症の分析はまず乗車中に姿勢から判断することが大事なことです。 

 

現在一般的治療法としては首のみの傷害として保険適用範囲内で治療が施され、完治されないまま社会復帰に至っているのが現状です。 

そんな中、当院には治療の後遺症に悩む患者さんの来院が後を断ちません。つまり完治されていないのです。 

又、整骨を生業とする我々は、整形外科医に劣ると評価されていることから、事故後初診で来院することはほとんどなく、保険会社もまず医師の診断からという偏見が原因であると考えます。つまり当院に来院する患者さんの殆どが自賠責保険も適用されない状況で来院され、治療費が自費となってしまいます。 

 

当院では278回の根本的治療をし、患者さんが納得され治癒に至ります。私は当初から保険システム(医療システム)に問題があると感じていました。対症療法によるその場かぎりの治療ではなく、むちうち症においても根本的治療の理念に基づかなければよい結果は得られません。 

人が車に乗っている状況、車と体との接点と衝突時の運動量の方向によっての人体への影響から考えなければなりません。まず乗車時の姿勢は椅子に腰掛けた状況となっています。椅子に接する部分は尻(瞖部)、腰、背中となり肩部、首、頭は宙に浮いた状態なのです。この状況の時に本人が身構える間もなく脱力(気が抜けた状態)の時、つまりダルマ落としの様な外力が加わったときがむちうち症の発生機序(ものごとが動いたり成り立っていたりすることの背景にある仕組み。機構。)となります。 

 

ダルマ落としのような衝撃を受けた座席は前方に押し出され、その時人体は宙に浮いた状態の頭部の重みによって腰は前方に引き上げられ、肩部、首、頭部は極端に後方へ振られます。この一連の動きの様相がむちを振られた時と同じ波動運動を呈することになります。 

この様に腰から振られたむちうち現象で一番負荷がかかるところは実は腰、首への可動椎に挟まれた胸椎であり、その部分に筋違い現象が発生することを突きとめたのです。むちうち症での損傷では首の怪我と決めつけられ、X線検査などでも頸椎を主体とした診断になっています。又、首の振り子運動からくる筋肉痛の極度の痛みの自覚症状も要因になっていると思われます。〉 

  

 

 

(※2)むちうち症の原傷部分

(1-2)「むちうち」の画像.JPG〈私の診断としては、腰部(2)は前方頭部(3)は後方に働く介達外力の中で不動椎に近い、胸椎中央部に強い圧力が加わり、胸椎47番に匡正治療で云う筋違いが発生するが、これがむち打ち症を引き起こす原傷となります。つまり早期治癒の根本治療は背筋の治療から始めることが肝要となります。又、治療熟達者においては、背筋の歪み具合で事故後の当たる角度まで判断できるのであります。〉

 

 


そんなことから、北は北海道から南は沖縄までの患者さんが遠路はるばる齊藤先生の治療を受けに来るそうです。極端に言えば、歩けない人が先生の治療後、即座に改善が確認され、そして治療を受ける度に歩く時間と距離が延びるということになるそうです。そして、歩けない人が歩き始めたとき、その本人が時に涙するというお話しを齊籐先生から度々お聞きします。当然のことでしょう。

 

齋藤先生は、末梢部で痛みが発生すると、末梢部からの神経の伝達で、末梢部位の根本にあたる中枢神経部にフィードバック現象が起こるとおっしゃっています。肝臓が悪いと脇腹が痛かったり、胃が悪いと背中が痛かったりするのと同じような症状だそうです。「匡正術(筋療法)」によって背筋を直し、背骨を直すと、間に通っている神経が解放され、自然治癒力が急速に働き、正常になるのだそうです。齋藤先生は、このことを好転反応として「麻痺」が「しびれ」にかわり、「しびれ」が「鈍痛」にかわり、「鈍痛」が「痛み」にかわり、「痛み」にかわったらつまり快方に向かっている、という治療法であると、説明されています。そして、この「痛み」は四肢の指先から次第に脱けていくと更に説明されています。

 

つまり、「匡正術(筋療法)」によって骨格が整えられると、神経が正常に働き、そして血液の循環が相対的によくなり、「気」がよくめぐる、ということではないかと思います。血液の循環が良くなるということは、酸素が細胞の隅々にまで行き渡るということではないでしょうか。そして、血液の流れが良くなるということは、身体の「気」が、滞ることなくよく流れるということでもあると思います。私が1週間に1度か2度背骨を匡正してもらうから骨格が整えられ神経が休まることにこそ、私の一応の健康が保持されている理由があるのではないかと思います。

 

「病は気から」とよく言いますが、東洋医学では、気が滞った状態を放っておくと、ストレスに弱くなり、ますます気が滞りやすくなり、気と一緒に体内をめぐっている血のめぐりまで悪くなることがあると言われているそうです。

 

齋藤先生は、「戸が外れたような状態で何の医療行為を行っても、スムーズに治らない。」ということをよくおっしゃいますが、この意味は、「まずは戸を正常にかけることが大事なことで、その『かける』作業が筋を治すということです。」とのことです。「つまり水の流れのように、汚れた川をきれいにするために、家の前に流れているところだけ掃除をしていても、上流から流れてくる汚れは取れません。まずは、最上流である源泉からきれいにすること、それが根本治療です。」ともおっしゃっています。

 

こういった齋藤先生のお言葉から分かることは、先生の治療に対する考え方は、滞った身体に何の治療をしても意味がなく、血流が良くなり気がよく巡ることで、病気が治るという考え方だと思います。「神は血気に宿る」という名言がありますが、齋藤先生はそれにそった治療法をされているのだと思います。血流を良くして、気の流れを良くすることが、結局、人間としてのエネルギーや自然治癒力を強めるのではないかと思います。そして、そのエネルギーが強まれば、健康へと近づくのではないかと思います。

 

 

齊籐先生は従来からの病気だけでなく、新しい現代病にも取り組んでおられ、その根本治療を推進されています。

 

具体的に一つご紹介申し上げれば、コンピューター病です。大型コンピューターがパソコン時代として世に廻り始めた時、すでにコンピュター病と命名し治療の必要性を感じ、治療科目に加えられていました。

 

コンピューター病については、2001年と2010年に弊所で発行している「Management Law Letter」(事務所発行の冊子です)にご寄稿いただきました。肩こり、腰痛などの「コンピューター病」も、すべて、先に述べたフィードバック現象によるものだそうです。目の使い過ぎ、不快な暑さ寒さ、様々な雑音、ストレス等が病気のもととなり、背筋のどこかに反応としてコリのような変性が起こるのだそうです。

 

長時間のパソコン操作姿勢による運動不足は、人間の動物的生体機能の基本的法則である「動と静」のバランスを崩し自然の体内循環の変調を来すことで、諸々の病を引き起こす原因になるそうです。

 

齋藤先生は、コンピューターによる時代変革は、無限とも思える進化をつづけており、その産業システムの速さに、本質的なヒト機能がついていけない現象が、コンピューター病であるとお考えになられています。コンピューター病は、30代を越えると症状が重傷化する傾向にあり、頭痛、眼病、ストレートネック、頸肩腕症候群、背腰痛、下肢循環不全症、不眠症、不元気症候群、ノイローゼ、コンピューターアレルギー、ストレス等その症状も様々です。またこれらの病はほとんどが慢性病的になっているのが特徴なのだそうです。

 

このように病症が急増する原因としては、30代以上になると会社業務に責任もあり、中間管理職等々の特有のストレスがかかる立場にあること、また体力的に回復力も低下し始め疲労が蓄積していることが原因と思われるとの見解を齊籐先生は持っておられます。

 

対策としては、コンピューター操作時間の二分の一は必ず運動するのが望ましく、時折大自然の中に身を浸して森林浴をすると樹木の香気やマイナスイオンを浴び精神的な安らぎと爽快な気分が得られ、ストレス解消に最適であると、対処方法を説示されておられます。

 

ヒトは動物であり、自ら動くことによってヒト本来の本質である生命体を維持することができるのです。そして、人体の生体機能は、コンピューター以上の情報機能を持っているとも言われます。反面、それだけにデリケートな面もあると言えます。コンピューターの持つ素晴らしい機能によって人の身体のバランスが損なわれることなく、健康的に操作でき、また地球全体にとってもバランスのとれた、平和な道具となって欲しいとの願望を抱きながら、日常的なこのコンピューター病の克服に齊籐先生は取り組んでおられ、根本治療を施されています。

 

齊籐先生はメンタルヘルスが必要である患者にも、もちろんチャレンジされ続けています。文藝春秋11月特別号に掲載されている、私の知人である田中辰巳氏の「社長がウツになりまして…その傾向と対策」という記事をお読み下さい。社長といえど、うつ病に罹る時代なのです。メンタルヘルス問題について以前齋藤先生にアドバイスを伺ったところ、「その人自身が抱えているプライバシーにも係わる悩みの全てを話してくれれば、心に青空を少し見させ、希望を持たせることが出来る。そして、背筋を匡正することで、直すことは可能です」と伺いました。この精神治療法は、心の内側の悩み・苦しみを全て語らせると言うことでありますが、それは心理カウンセラーの手法と同じであると私は感じました。ですが、心理カウンセラーでは、齋藤先生のように、背筋を匡正することは出来ないため、成果は不十分だとも思います。

 

また、齋藤先生の手にかかれば、不治の病といわれているがんさえも、軽快するのではないかと思っています。私の肉親ががんに冒され、亡くなった経緯からして齊藤先生に多いに期待しています。

 

来週も齋藤先生についての記事を投稿する予定です。

 

20111013.JPG

 

 

(2011年10月9日(日)15:45 
静岡県田方郡函南町 南箱根ダイヤランドにて撮影)

 

 

 

今回から何回かにわたって、「病気」をテーマにブログ記事を執筆しようと考えております。私自身、ここ十年足らずの内に様々な病により苦しんでおりますが、全国の病院、医者、治療家にかかっている中で、多くの先生方が、検査や薬に頼るだけでなく、人間の自然治癒力、人間の持っている力を最大限に生かす方向で治療をしていくという考え方をお持ちであることを知り、大変感銘を受けています。そして、「病気」についてお教えいただいてきたこと、私が感じてきたこと、思ったこと、考えてきたことを本ブログにて取りまとめたいと思います。

 

さて、私が74歳の今でも健康そうに見えて仕事に励むことが出来ているのは、実は、匡正堂 葛飾齋藤整骨院院長齋藤博保先生の治療によるところが大きいと感じています。齋藤先生とは30年ほど前の私が45歳の1982年8月に初めてお会いして以来、空白期間もあるものの、治療を受け続けています。私は、週に1度か2度、背中を押して背筋を矯正し身体を整えるという根本的治療を受けていて、これによって、どうにかこうにか、肉体を維持しております。

 

齋藤博保先生についての交友録もご覧ください。

/weblog/2011/08/82878136.html

 

 

【私の病歴、後遺症(瘢痕)】

「どうにかこうにか」と申し上げる理由は、私の病歴をご紹介すればお分かりになるかと思います。私の病歴は、まず66歳のとき、2003年4月に、一度目の脳梗塞を発症しました。その際は、右半身が不随となりました。様々な治療を試みた結果、外見的には後遺症が残ったとは見えないまでに回復いたしました。2006年4月、二度目の脳梗塞を発症しました。この際は、言語障害となりました。ある程度は回復いたしましたが、いくらか語彙も減り、自分で歯がゆい思いをすることも間々ございます。3度目の発症を防ぐために、注意事項を守り、処方された薬を服用しながら、長年意識して生活を送っています。

 

現在では、脳梗塞を罹患していたとは誰にも思われないような身体にまで戻りましたが、これは、齋藤先生らのご指導のもと、健康を第一として生活をしているからではないかと思っています。

 

私の脳梗塞の後遺症が原因で起きた大きな病気は、何と言っても耳の病気です。2008年11月に左耳の突発性難聴を発症後、次第に悪化し、2010年5月には右耳の聴覚過敏症、2010年10月頃には同じく右耳の耳管開放症も相次いで発症しました。症状としては、左耳は聞こえなくなった上、右耳には音割れ・声割れが激しく、両耳に耳鳴り、閉塞感もあります。

 

これらの耳の病気が、脳梗塞の後遺症が影響した病気(齋藤先生は「瘢痕」と呼ばれます)であると診断して下さった最初の治療家が齋藤先生でした。「瘢痕」については、齋藤先生が持論として分かり易い説明をしてくださいました。

 

「真っ新な白紙の上(健康体)に黒いインク(病)を落としてしまいインク消し(治療)で一生懸命復元しようとしたものの黄ばみ、痕跡(後遺症)は多少なりとも残ってしまいます。ましては一度黒いインクを落とし汚した事実は変えることは出来ずまったく元の白紙には戻すことが出来ないと云うことです。」 

 

「しかしながらその後も後遺症を改善する余地はあります。まず第1の条件は、本人がなんとしてもこの病を克服したいという強い信念を持ち続けること、自分が治りたいという意思を強く持てば持つほど、アドレナリンがでて、自然治癒力が働くとのこと、そして、その人の年令、性別、性質、体質、生活環境、気候等さまざまな条件を見定め、その人本来のもつ自然治癒力への適正な助勢治療によって残された後遺症の更なる改善はみこまれ、更に人の自然治癒力という現象の一環として最大の力は、垣間なく行われている細胞の死滅と再生という循環が繰り返される中で後遺症の元となる組織も死滅と再生を繰り返しています。それは先に述べた諸条件に見合った治癒力となって症状は改善されていると信じています。」 

 

そして、結論として私の今日現在の症状は、その自然治癒力という現象の一環の過程にあるということで、私の難聴などの改善率は年令的、症状度合、体力、気候等の諸条件の中で現在約60%の改善だということで、最終的には15%の永久残留の可能性は覚悟しなければならないということでした。

 

齋藤先生はこのように、独特・判断力の嗅覚をもって、そして治療にも「アイディア」をもって治療して下さいます。齋藤先生が60歳を過ぎてからは、往診はしていただいていませんでしたが、私の聴覚過敏症が激しくなった昨年の春以降には、再び治療をお願いするようになりました。昨年の4月頃、私のその時の症状は回復段階であるとはいえ、脳梗塞特有の後遺症で、歩行困難というほどではないですが歩行に自信が持てず(階段を下りるときに不安感がつきまといました)、文字も上手に書けない、右耳は過敏反応で紙のこすれる音も敏感に感じるほどで、当然テレビは無声映画の状況という生活状態の時に、齋藤先生に往診をお願いしたのです。

 

治療第1日目から、「私が必ず治しますから私の治療方針に従ってください」といわれ、筋(すじ)治療が開始されました。齋藤先生はその時点で、今までのリハビリでの行き詰まりを見抜いていて、一刻も早く私の残された治癒力を引き出すためのアイディア(ひらめき)を感じていたようです。例えば、具体的には、早速、齋藤先生は私の左耳(突発性難聴を発症している方)のために、「聴診器」を用いて診断されました。すなわち、普通はお医者さんが音を聞くために耳に入れる部分を私の左右の耳に入れた上聴診器の集音部分を手でもって響かせて、私の耳が本当に聞こえなくなったのかをテストしたのです。そして、聞こえないとされた左耳もかすかに聞こえるということが分かったのでした。このように、齋藤先生は特異な治療法を工夫し、施しながら、患者を善導される方なのです。そして、齋藤先生の治療開始から1カ月後、毎日散歩を勧められ、公園めぐりが日課となり、今年の3月下旬からはこのブログにのせる花の写真を毎日撮影する等、病状の回復も目に見えて速くなってきました。

 

さて、本年9月にある病院をお訪ねし、色々な検査をしていただきました。

その病院の私の担当の先生は、都内の大学病院の神経内科でご勤務の後、現在は一般内科をされております。

その先生より私の検査結果をご報告いただきましたが、私の脳について以下のコメントを頂きました。

 

「今回の検査で私が一番驚いたのはこの脳CTです。左脳の側頭葉から前頭葉にかけての脳梗塞の跡が目立っているのですが、普通、高井先生ほどの脳梗塞を起こしたら現在も右片麻痺や言語障害が残存していても不思議ではないのですが、それが無いことに一番驚いています。あと、右の側頭葉の一部に中等度の脳梗塞の跡があります。恐らく高井先生の脳CTを見た医師はその脳の持ち主が高井先生とはわからないのではないでしょうか?私から見ると、高井先生はスーパーマンです。お仕事への熱意というのが残存した脳細胞をフル回転させているのでしょうか?凄いことだと思います。大変感激しました(私の医師人生で最も感動的な出来事のひとつに今回遭遇しました)。  

 

その後、追加のコメントが次のようにございました。

 

「大学病院の放射線の助教授の先生と脳外科の元助教授の先生に高井先生の脳CTを見ていただいたのですが、脳外科元助教授の先生のコメントとしては私の見解同様に言語障害などの後遺症があっても良いほどの脳梗塞があるとの見解でした。よって、現在先生が仕事をバリバリとこなしていることは本当に天に感謝しなくてはならないほど幸運なことだと思います。 

また、放射線の助教授の先生のコメントでは、高井先生の脳は海馬と呼ばれる部分が非常に良く残存しており、海馬は短期記憶などに重要な場所ですので、現在の高井先生の分析力などが高いレベルで維持されていることは、この海馬がきちんと残存していることによるものだということでした。」

 

私が2度の脳梗塞を乗り越え、ここまでどうにかこうにかやってこれたことも、上記のような検査結果を出せたことも、齋藤先生の治療のおかげがあってのことだと考えています。もっとも、齋藤先生はよく「時も薬なり」とおっしゃいますので、長い闘病生活の中で、時間が解決してくれた部分もあるのかもしれません。

 

次回以降は齋藤先生の理念、治療法等について具体的にご紹介します。

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