前回は高井先生が長年にわたって発行・送付されている
「事務所報」という定期的な情報発信について書かせていただきましたが、
今日はそれの別な側面について書いてみたいと思います。
高井先生(高井・岡芹法律事務所)は過去にご縁を結ばれた方に対して、
四半期に一度、紙媒体の「事務所報」を継続的にお送りされています。
一人の方に対して年間に4通、翌年も、その次の年も、と続いていきますので、
これまでにお送りした分を合計するとかなりの数にのぼりそうです。
私も小さいながらも会社を経営している身として、この「事務所報」を
実現させるために必要となるであろう様々なコスト(時間や労力、金銭面)
について考えてしまいます。
それらについて直接お伺いしたわけではありませんので、あくまで私の想像では
ありますが、あれだけ幅広く充実した内容を準備されるのはそうたやすいことでは
ないでしょう。
さらにその内容を印刷し、郵送するところまでを考えると、全体では相当の
(有形無形の)コストがかかっていることと拝察いたします。
それは言葉を変えると、人のご縁を繋ぎ続けるために、
それだけのコストをかけられているということになりますし、
裏を返せば、それくらいのことをしてでも人とのお付き合いを
維持、継続させることには価値がある、ということでもありましょう。
高井先生からお話をお聞きすると、ありとあらゆる分野、年代の方と
お付き合いが続いていらっしゃることに驚かされるばかりですが、
以前、出張にご一緒させていただいた際に
長年にわたって関係性を維持している秘訣をお聞きしたとき、
まさに「事務所報のおかげだよ」といわれたことが深く印象に残っています。
そのお話を伺ったときに「去るものは日々に疎し」という言葉が思い出されました。
「親しかった者も遠く離れてしまうと、日に日に交情が薄れて
疎遠となってしまう」という意味ですが、この言葉が生まれた当時
(一説では南北朝時代の詩文集にあった句からとられたものだそうです)でさえ、
そうなのだとしたら、
これだけ情報流通のインフラが発達した現在では、
本人にそのつもりはなくても気がつけば「去るものは日々に疎し」となっていた
ということも日々、起こっていそうです。
毎日、たくさんの人と会い、電話、メール等のやり取りをし、
次々と新しい情報が入ってくるわけですから、
ほんの数日前の出来事であっても、油断するとすぐに記憶が曖昧に、
あやふやになってしまうことは、誰しも経験があるのではないでしょうか。
それは逆に考えると、私たち自身も他者から忘れ去られてしまいやすい
ということにつながります。
せっかく生まれたご縁を未来に繋ぎ、相手の方から忘れられないようにし、
さらには関係性を深めていくためにも、高井先生のように定期的な情報発信を
継続して行うことは、一つの方法論として参考にさせていただけるのではと
考える次第です。
前回は高井先生が長年にわたって発行・送付されている
「事務所報」という定期的な情報発信について書かせていただきましたが、
今日はそれの別な側面について書いてみたいと思います。
高井先生(高井・岡芹法律事務所)は過去にご縁を結ばれた方に対して、
四半期に一度、紙媒体の「事務所報」を継続的にお送りされています。
一人の方に対して年間に4通、翌年も、その次の年も、と続いていきますので、
これまでにお送りした分を合計するとかなりの数にのぼりそうです。
私も小さいながらも会社を経営している身として、この「事務所報」を
実現させるために必要となるであろう様々なコスト(時間や労力、金銭面)
について考えてしまいます。
それらについて直接お伺いしたわけではありませんので、あくまで私の想像では
ありますが、あれだけ幅広く充実した内容を準備されるのはそうたやすいことでは
ないでしょう。
さらにその内容を印刷し、郵送するところまでを考えると、全体では相当の
(有形無形の)コストがかかっていることと拝察いたします。
それは言葉を変えると、人のご縁を繋ぎ続けるために、
それだけのコストをかけられているということになりますし、
裏を返せば、それくらいのことをしてでも人とのお付き合いを
維持、継続させることには価値がある、ということでもありましょう。
高井先生からお話をお聞きすると、ありとあらゆる分野、年代の方と
お付き合いが続いていらっしゃることに驚かされるばかりですが、
以前、出張にご一緒させていただいた際に
長年にわたって関係性を維持している秘訣をお聞きしたとき、
まさに「事務所報のおかげだよ」といわれたことが深く印象に残っています。
そのお話を伺ったときに「去るものは日々に疎し」という言葉が思い出されました。
「親しかった者も遠く離れてしまうと、日に日に交情が薄れて
疎遠となってしまう」という意味ですが、この言葉が生まれた当時
(一説では南北朝時代の詩文集にあった句からとられたものだそうです)でさえ、
そうなのだとしたら、
これだけ情報流通のインフラが発達した現在では、
本人にそのつもりはなくても気がつけば「去るものは日々に疎し」となっていた
ということも日々、起こっていそうです。
毎日、たくさんの人と会い、電話、メール等のやり取りをし、
次々と新しい情報が入ってくるわけですから、
ほんの数日前の出来事であっても、油断するとすぐに記憶が曖昧に、
あやふやになってしまうことは、誰しも経験があるのではないでしょうか。
それは逆に考えると、私たち自身も他者から忘れ去られてしまいやすい
ということにつながります。
せっかく生まれたご縁を未来に繋ぎ、相手の方から忘れられないようにし、
さらには関係性を深めていくためにも、高井先生のように定期的な情報発信を
継続して行うことは、一つの方法論として参考にさせていただけるのではと
考える次第です。