「自己研鑽」の最近のブログ記事

7月13日(金)より、計9回にわたって自己研鑽をテーマにブログ記事を連載してまいりましたが、今回の記事をもって一旦終了いたします。

 

 ブログ読者の皆さまから、本ブログコメント欄やFACEBOOK等にて、多くのご意見・ご感想をお寄せいただきましたので、今回の記事では、その中からいくつかをご紹介させていただきます。

 

  「自己研鑽(その4)」に寄せられた 
  株式会社新規開拓 代表取締役社長 朝倉千恵子様からのコメント

 

若さの秘訣カキクケコを以前、昭和11年生まれの経営トップから学びました。
二部上場会社の社長様でした。
今から13年前に教わった事です。

若さの秘訣カキクケコ

カ・・・感動

キ・・・興味

ク・・・工夫

ケ・・・健康

コ・・・恋

 何事にも好奇心を持つこと

 これが一番の若さの秘訣だと思います。

 

 

 「存続こそ企業の社会的責任」に寄せられた 
 プルデンシャル生命保険株式会社 大橋一夫様からのコメント

 

「個人の集合体」という色彩の濃い会社に所属しておりますので、(これにつきましては、地域・所属先によっても考え方が異なっています。)会社の存続・組織の存続を考えたことはありませんでした。

 定年を意識するような年齢になってくると、自らの存続という意味において、次世代への引継ぎが不可欠であると思います。

 そのためには、リストラ・人員削減という状況にならぬよう、またなったとしても、その状況に打ち勝っていける次世代の人材を育てていかねばなりません。

 現時点での自らの確立と将来への継承という両面を見据えた行動が必要になってきています。 

 

 

自己研鑽【その9】


20120921.JPG

2012年9月17日(月)朝7:11
東京都目黒区 中目黒公園にてジニア(百日草)を撮影
花言葉:別れた友への思い

 

 

 7月13日付ブログ記事から、「自己研鑽」をテーマに連載をしております。自己研鑽のためには、より高い目標を掲げて努力を重ね続ける姿勢がなによりも重要ですが、目標に向かって頑固一徹に突き進むのではなく、適宜、息抜きをしたり、レクリエーションの習慣を身につけたりする工夫も必要です。

 

 

【蓄積した身体と心の疲労をリセットする】

 適度な息抜きやレクリエーションは、第一に、身体と心の蓄積した疲労をリセットし、仕事の質をあげるという効果があります。息抜きなしに取り組みつづけると、気づかぬうちに、疲労のため頭の働きが鈍りますから、かえって非効率的です。

 

 散歩や軽い運動など身体を動かすことは、手軽に楽しめるレクリエーションのひとつです。爽やかな汗を流したあと、頭がすっきりとする感覚があるように、運動は、頭脳の働きを活性化させます。そうすると、沈思黙考していては浮かばないアイディアが舞い降りることもありますから、身体の健康のためだけでなく、行き詰まった時の打開策のひとつとしても、運動は有効です。

 

 ちなみに、先日の日経新聞夕刊に掲載されていた「丸の内キャリア塾」の講演録には、グローバルに活躍するコンサルタントによる話として、身体を動かすことがグローバル思考のための方法のひとつとして紹介されていて、興味深く読みました。

 


 

(グローバル思考の方法の)2つ目は、「動くこと」です。行き詰まったら離れる。机の前でだらだらと4~5時間を過ごすより、別の仕事をしながら、短い時間で繰り返し取り組むほうが効果的です。特に難しい案件は何回も考えることで、慣れてできるようになるものです。
  中でも歩くことは効果があります。人間は歩く動物です。5分間でもいいから、ノートやインターネットを見ないで、歩きながら考えると、思考を深めることができます。

 


2012年8月23日付 日本経済新聞(夕刊)掲載「丸の内キャリア塾」第68回セミナー「ビジネスに効く思考法~二刀流思考のすすめ~」グローバル思考を取り入れて新しい時代を生き抜く 講師:キャメル ヤマモト氏(山本成一氏)(デロイト トーマツ コンサルティング ヒューマンキャピタルグループ ディレクター)

 

 

 

【無用の用】

 第二に、一つの事柄だけに打ち込むと、新しい着想が出にくく、発想が凝り固まってしまいがちですが、息抜きやレクリエーションには、その傾向を打破できるという効果があります。

 

 私が本業の弁護士業務の傍らおこなってきたおもな取り組みは、「講演」「執筆」であり、息抜きは「旅行」「歩く」などです。たとえば、旅行では、異なる考え方・思い方・感じ方や、その背景にある自然環境や文化におのずと触れますから、自分の凝り固まっていた発想をリフレッシュできます。

 

 このような本業以外の取り組みや息抜きは、自分の仕事や学業には一見関係がないため、時間の無駄であると感じることもあるでしょう。しかし、中国の古典『荘子』にある「有用の用を知れども、無用の用を知ることなし」という一文のとおり、役に立たないと思っていたものが、ひじょうに大きな役割を果たすことがあります。自分の仕事や学業の世界だけに閉じこもっていては出会えないような事柄や人物との触れ合いは、新たな気づきに繋がり、人格・識見・手腕・力量を発展させるのです。

 

 以上のとおり、息抜きやレクリエーション、さらには本業を俯瞰するような別の角度からの取り組みには、さまざまな効果があります。これらを「時間の無駄」であると言い切ってしまう人は、上手にそれをおこなう人に後れをとってしまいます。息抜きやレクリエーションを習慣づけることも、深みのある成長を遂げるための自己研鑽のひとつでしょう。

(リライト 加藤・宮本)

 <7月13日付ブログ記事から、「自己研鑽」をテーマに連載をしておりましたが、今回の記事をもちましていったん終了し、次回からは「リーダーについて」をテーマに連載いたします。>

自己研鑽【その8】


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2012年9月12日(水)朝7:09
東京都千代田区北の丸公園にて 八重槿(ヤエムクゲ)を撮影
花言葉:「繊細な美」

 

 7月13日付ブログ記事から、「自己研鑽」をテーマに連載をしております。

 

 自己研鑽は終わることのない道程です。より高い目標を掲げて努力を重ね続ける姿勢がなによりも重要ですが、その途上で、困難や障害にぶつかるのは当然のことです。

 

 できれば困難や障害はなるべく避けてゴールにたどり着きたいと思う人がいるかもしれませんが、私は、むしろ進んでこれらを経験すべきであると思います。なぜなら、つらく、苦しい問題に遭遇しても、自分の考え方・感じ方をフルに活用し、それを克服していくことが、成長のために必要であるからです。いわば、「修羅場を体験する」ということです。

 

「若いときの苦労は買うてでもせよ」あるいは「艱難汝を玉にす」という先人の教えは、まさに物事の真理です。

 

 自らの努力と奮闘で困難を克服することにより、それまで抱いていた不安感・恐怖心はいつのまにか雲散霧消し、精神的に成長して、自信が生まれます。そして、さらに大きな目標に向かって邁進するようになるでしょう。

 

 では、どうしたら困難に挑戦する勇気が持てるでしょうか。私は、困難にであったときに、「ありがとう」と言うことをお勧めします。人は、本能的に危険を回避して、ある意味、易きに流れる存在ともいえますから、「ありがとう」の言葉には違和感があるかもしれません。しかし、前述のとおり、困難とは、自分自身を練磨・成長させてくれるチャンスでもあります。それが舞い込んできた幸運に感謝して、苦しみの対岸には、必ず大きな喜びが待ち受けていることを信じて、真正面から困難と向き合ってください。

 

 そして、無事に困難を乗り越えたあとは、自らを省みることも大切です。

 たとえば、タイトに設定された納期を無事厳守できたとしても、もっとスムーズに、スピーディーに、より質の高い仕事を成し遂げる方法があったのではないか等について、振り返ってみるのです。こうした作業によって、初めて気づく事柄もあるはずです。これを次に活かすことで、他人とは一線を画する成長が期待できるでしょう。

 

(リライト 加藤・宮本)

自己研鑽【その7】


IMGP2248.JPG2012年8月25日(土)朝6:58
東京都港区芝公園にて夏菫(ナツスミレ)を撮影
花言葉「温和、控えめな美点」

 

礼儀正しくて風格があり、前向きな人、自分の意見が言える人

 

 7月13日付ブログ記事から、「自己研鑽」をテーマに連載をしております。仕事をとおして自己研鑽を積むことの重要性は、誰しも実感として理解しているでしょう。そして、身近に目標となる先輩や上司がいるとすれば、自分がどのような方向で努力を重ねるべきか具体的にイメージしやすいと思います。

 

もし、特に目指したい人物像がないのであれば、「礼儀正しく風格がある」「前向き」「自分の意見を言える」という3点を念頭において、日々の業務に取り組むことをおすすめします。これらは、仕事の場ではもとより、一般に人としての存在感を示すための基本であるといえます。

私の経験では、この3点を身につけている人は、自ずとよき出会いと豊かな人間関係に恵まれます。そして、よき出会いが切磋琢磨の場ともなり、一層の自己研鑽につながっています。

 

ちなみに、私が、1993年5月27日から2007年7月26日まで、14年間(全127回)にわたり経営者向けに主宰していたセミナー「社長フォーラム」の講演録ダイジェスト版をみてみますと、2001年4月19日の回で、私はおよそ以下のように述べています。

 

 

 

人材の引き抜き・ヘッドハンティングを業としている会社の要人に会った時、「どんな人物を探しているのか」と聞いてみた。

 

 第1にポライト(礼儀正しい)でないといけない。これからの時代は「紳士的」という言葉をちょっと超える人物であることが必要だ。しかも風格を感じさせないといけない。軽い人間はダメだという。

 

 第2はポジティブ(前向き)でないといけない。テレビの解説者でいつも悲観論で終始している人がいるが、あれはダメ。弁護士でも「それは違法」、「それは問題がある」、「それは難しい」とばかり言っている人がいる。弁護士でも公認会計士でも「難しい」と言うのが一番営業的に効果があるわけだが、前向きでないといけない。

 

 第3は、人の意見をよく聞いて自分の意見を言う。私は人の話を聞く工夫をしてきた。前にも話したが「気掛かりなことは何ですか」と聞く。人の意見を聞く時に言わせる方法は「気掛かりなこと」と「あなたが考えている次の一手」を聞くこと。そして自分の意見を言うこと。これが大切。

 

 「新聞にはこう書いてあった」、「○○さんはこう言っていた」、「本にはこう書いてある」など、他人の意見の紹介ばかりするのではダメ。自分の意見を言わないといけない。受け売りか自分の意見かは、聞けば誰でもすぐにわかる。

 

~2004年2月に出版した『《高井伸夫の社長フォーラム》100講座記念~一講一話・語録100選」(中央会・経営教育センター:非売品)101頁より~

 

 

 

 私が今から11年前に述べたこれらの指摘は、あるいは、当時より現在のほうがより重要性を増しているかもしれません。

 社会でも職場でもグローバル化・多様化が急激にすすみ、好むと好まざるとにかかわらず、さまざまな価値観をもった人たちが互いに協力しあって業績をあげることが求められています。これは、政治でも外交でも然りです。

 

 自己研鑽は終わることのない道程です。より高い目標を掲げて努力を重ね続ける姿勢が、性別を問わず、年齢を問わず、国籍を問わず、何よりも重要なのです。

(リライト 加藤・宮本)

自己研鑽(その6)


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2012年8月22日(水)朝7:20東京都千代田区北の丸公園にて
「メコノプシス(別名・ヒマラヤの青いケシ)」を撮影
花言葉:「底知れぬ魅力を湛えた」

 

 7月13日付ブログ記事から、「自己研鑽」をテーマに連載をしております。成長していくためには、勉強することが大前提にあることは度々お話ししてきまたが、学ぶ姿勢に加えて、謙虚さをもつことも非常に大切です。

 

 いかに仕事で結果を出し、多くの利益を出し、それを誇らしく感じたとしても、決して驕ったり、謙虚さを欠いて他人に威張ったりするようになってはいけません。

 

 なぜ人が威張るかというと、謙虚さを失って自分を高いところにおいてしまうからです。人は皆、自負心・自尊心を持つ存在であり、そのこと自体は当然で、悪いことではありませんが、それがあまりに高じて自惚れや慢心になってしまうことは、厳に慎むべきであると思います。自分の学歴や、いままでの業績等を得々として話す人がいますが、それらはいずれも過去の事柄であり、自分の過去を自慢することにほかなりません。つまり、過去の栄光にしがみついているような「終わった人」であると他人に認識されてしまいます。人は現状に甘んじることなく、研鑽し続けなければならないと自覚すべきでしょう。

 

 また、ときとして、傲慢な態度は自信のなさの裏返しという場合もあります。中島敦(1909年~1942年)の代表作『山月記』で、虎の姿になってしまった李徴は、山中で出会った旧友に切々と訴えました。「己(おのれ)は詩によって名を成そうと思いながら、進んで師に就いたり、求めて詩友と交って切磋琢磨に努めたりすることをしなかった。かといって、又、己(おのれ)は俗物の間に伍することも潔しとしなかった。共に、我が臆病な自尊心と、尊大な羞恥心との所為(せい)である。」「己(おのれ)の場合、この尊大な羞恥心が猛獣だった。虎だったのだ。」

 

 私の経験からいって、人の成長は他人との交流によるところが大きいと思います。一人で勉強を重ねても、思考方法は限られますし、ワンパターンの感受性しか身につかないでしょう。一人で沈思黙考し、「考える・思う・感じる」ことを繰り返しても、一定以上の成果はなかなか上げられません。なぜなら、新しい思想は、より多くの人と意見を交わし交流するなかで初めて生まれるからです。慢心は、謙虚に他人の意見を聞き入れる姿勢を失わせてしまい、威張る行為は、人との円滑な交流を阻害してしまいます。その結果、自分の成長を他人に促進してもらうチャンスをつぶしてしまうのです。

 

 「春風を以て人に接し、秋霜を以て自ら粛む」

 これは江戸時代の儒学者佐藤一斎(1772年~1859年)の言葉です(「言志後録」第33条:岬龍一郎編訳 佐藤一斎『〔現代語抄訳〕言志四録』PHP出版より)。他人に優しく、自分に厳しくあれ、という教えで、大変すてきな言葉であると思います。これもまた、自己研鑽の一面であるといえるでしょう。

 

(リライト 加藤・宮本)

自己研鑽(その5)


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2012年8月6日(月)朝7:00
東京都港区芝公園にて向日葵を撮影
花言葉:あこがれ

 

 7月13日付けブログ記事から、「自己研鑽」をテーマに連載をしております。先週8月3日付け記事にて、よい出会いを得られれば、人生の質が高まり、自分の成長につながる、といったお話をいたしました。今回は、人との付き合い方についてお話ししたいと思います。

 

 私は、徳川将軍に二代(秀忠、家光)にわたって仕えた柳生家の家訓「小才は縁に出会って縁に気づかず、中才は縁に気づいて活かせず、大才は袖すりあう縁も活かす」という言葉が好きで、大切にしてまいりました。人間という言葉は「人の間」と書きますが、この言葉のとおり、人と人の間にこそ人間の存在意義があります。人はひとりでは生きていけません。相互に思い合い、助け合える人の存在がなければ、人生は寂しいものになりますし、仕事のうえでも発展は望めません(なお、「縁」をテーマにした記事は、全8回にわたって本ブログで連載いたしましたので、そちらもあわせてご覧ください)。

 

 さて、人間関係についていえば、人は、同じような境遇、考え方の人が自然に寄り集まるようになっています。まさに「類は友を呼ぶ」の世界ですが、同じ考え方・感じ方・思い方をする人ばかりが集まっていては、新しい着想や発想が出にくく、新たな気づきを得ることが難しくなる傾向があると思います。そこで、ときには、「類は友を呼ぶ」の世界を打破してみることが大切であると思います。

 

 私が、多様性に関してよく講演でお話ししてきたエピソードとして、リンゴの苗木の話があります。かつて私は、青森県黒石市にあった株式会社黒石植物園を訪ね、リンゴの苗木について色々教えてもらったことがあります。「同じ品種の苗木ばかりを並べて植えてはいけない。異品種の苗木も混ぜて植えることが、苗木を丈夫に上手に育てるコツです。」と教えていただきました。まさに人間でも同様であると思います。つまり、深みのある成長を遂げるためには、自分とは異質な人と付き合うことが鍵なのです。

 

 異質な人とは、異業種の人、世代の違う人、異性、人生の生き方・目標・性格の違う人、等が挙げられます。異質な人と付き合うと、考え方・思い方・感じ方が、自分とは随分違うことにハッとすると思います。こうした人と付き合い、議論をすることで、自然と発展性や柔軟性を身につけることができるでしょうし、新たな気づきが生まれやすくなります。

 

 自分とは異なる要素を持つ優れた人物と交流を深めることこそが、自分の感受性、思想性を高めるもっとも効率的かつ有効な手段です。限られた範囲の人たちとの交際だけでは、刺激が乏しくなり、だんだんと感性のみずみずしさが失われていきます。これは自戒を込めての言葉です。みなさんも、一度、自分のアドレス帳を開いて、いま自分に異質な人とのお付き合いがどれだけあるかを確認してみてはいかがでしょうか。

 

(リライト 加藤・宮本)

自己研鑽(その4)


IMGP2158.JPGのサムネール画像2012年7月28日(土) 午前10:45
東京都千代田区三番町にてアサガオを撮影
花言葉:「愛情の絆」「結束」

 

 7月13日付けブログ記事から、「自己研鑽」をテーマに連載をしております。今回は、感性を磨く「好奇心」についてお話ししたいと思います。

 

 あなたが、いまの仕事は退屈だと感じるならば、あるいは、それは仕事のせいではなく、あなた自身の感性について考えたほうがよいというシグナルかもしれません。

 

 感性を磨くためには、なによりもまず好奇心を持つことが大切です。好奇心を持つことによって、その対象に注意が向いて興味が湧き、その結果、五感が磨かれます。五感が磨かれると、ちょっとした事柄にも意味や価値を見いだせるようになるし、ほかの人と同じ体験をしていても、ひと味違った感性を身につけることができます。ところが、好奇心が無いと、感性が鈍化してしまい、どんなに楽しい事柄が目の前に現れても、それに反応できなくなってしまいます。

 

 このブログでも度々紹介している寺田寅彦(1878年~1935年)は、自身の研究の仕事について、「ただ空で考えるだけでは題目(テーマ)はなかなか出て来ないが、何か一つつつき始めるとその途中に無数の目当てができすぎて困るくらいである。そういう事でも、興味があるからやるというよりは、やるから興味が出来る場合がどうも多いようである。」と述べています(『寺田寅彦随筆集第一巻』小宮豊隆編、岩波文庫、1947年)。

 

 この寺田寅彦の言葉も、そのとおりであると思います。寺田が幅広い分野において多くの研究論文や執筆を残すことができた飽くなき探求心の源は、人が「やる」第一歩を踏み出させてくれる好奇心にあったのでしょう。

 

 また、人への好奇心を持つと、その時点から人脈がどんどん広がります。昨年9月 6日付ブログ記事『交友録(その9)』でご紹介したネパール人のボビン君との出会いも、赤坂の料亭でアルバイトをしていた彼に、私が好奇心から話しかけたことがきっかけでした(詳しくは同記事をお読みください)。

 

 人は各々千差万別で、趣味・嗜好、考え方・感じ方・思い方がそれぞれ異なります。よい出会いを得られれば、人生の質が高まり、自分の成長につながるでしょう。そして、一つの縁がまたつぎの縁を呼び、縁は繋がっていきます。それには最初のきっかけが必要ですが、そのきっかけをつくるために必要なのは、やはり好奇心を持つことなのです。

 

(リライト 加藤・宮本)

「自己研鑽」(その3)


20120727.JPG
2012年7月25日(水)午前7:30
東京都千代田区三番町付近にてミニバラを撮影
花言葉:「無意識の美」

 

 今回も引き続き、「自己研鑽」をテーマにお話ししたいと思います。

  さて、前々回のブログ記事で、勉強のひとつの方法として、私が取り組んできた継続的な執筆活動について述べましたが、文章を書く際になによりも大切なことは、「推敲」を重ねて文章を練り上げることであると思います。

 

 推敲とは、「詩文を作るのに字句をさまざまに考え練ること」(広辞苑〔第5版〕)ですが、これは中国唐代の詩人賈島(779年~843年)が、「僧推月下門」という句を思いついた際、門を「推(おす)」ではなく「敲(たたく)」にするべきかどうか迷い、韓愈(768年~824年)に問い、「敲」の字に決めた、というよく知られた故事に由来します(『唐詩紀事』巻四十)。賈島のような詩人や作家に限らず、文章を書く人はみな、推敲に重きを置きます。

 

 一度書いた文章は、推敲することで輝きを増していきます。まさに、「玉磨かざれば光なし」であるということです。なお、校閲(文書・原稿などに目をとおして正誤・適否を確かめること)、校正(文字の誤りをくらべ正すこと)も、推敲と似ています。どちらも推敲とあわせて行うべきです。

 

 推敲してみると分かることですが、これで完璧と思っていた文章でも、完璧どころか間違っていることはよくあります。間違いを修正するために辞書を引いたり、文章表現を工夫したりしているうちに、文章が上手になると同時に多角的な思考をするようになり、国語力を身につけることができますから、自分の成長に繋がります。これこそが、推敲がもたらす一番の効用であると思います。

 

 自分の思い・感じ・考えたことを文章化し、文字にしてそれらを検証し、推敲を重ね表現の的確さの確認をするという一連の作業を経て初めて、自分の思いや考えは、形となって自分のなかに定着すると思います。そして、ビジネスに限らずどんなシーンにおいても、自分の思いや考えを、的確な言葉を使い、論理的な文章を書く力を身につけることは、基本です。幸いにも、いまはメールのやりとりが増え、文章を書く機会が増えていますから、書きっぱなしにせずに、推敲の習慣をつけて、研鑽を重ね、文章力を向上させていただきたいと思います。

 

(リライト 宮本・加藤)

自己研鑽(その2)


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2012年7月14日(土)午後12:05
東京都千代田区麹町一丁目にて西洋風蝶草(クレオメ)を撮影
花言葉:「秘密のひととき」

 

 先週7月13日付けブログ記事にて、「充実した人生を過ごすには、生涯勉強し、研鑽しなければ結果が得られにくい」と述べ、勉強の一つの方法として執筆活動についてお話しいたしました。今回も引き続き、「自己研鑽」をテーマにお話ししたいと思います。

 

 私たちが勉強を開始するときに端緒となるのは、多くの場合、さまざまな書籍や雑誌に触れることです。しかし、あれこれ忙殺されていると、読書はなかなかできません。

 

本来、読書の醍醐味は、作者あるいは執筆者の作り出した世界をじっくり味わうことにあると思います。しかし、限られた時間のなかでこれを実行するのは容易ではありませんから、そもそもどの書籍、雑誌を読めばよいか、判断・選別する工夫が必要になってくるでしょう。私は、時間のないときには、まず目次をみて、記事毎のリード文に惹かれるかどうかをひとつの基準にしています。読書によって多角的・多面的な視野をもつためには、1冊に時間をかけて読むよりも、より多くのジャンル、より多くの文章に触れることが重要である場合もあるのです。

 

 読書の時間ができたとしても、結局は自分の仕事に関係するテーマの本を選んでしまうことが多いかもしれません。

 

この点、私の読書歴を振り返りますと、ブログのテーマでもある「無用の用」を大切にして、さまざまなジャンルの書籍を読んできたように思います。そのなかでも、時代小説、たとえば吉川英治(1892年~1962年)、藤沢周平(1927年~1997年)、山本一力(1948年~)、宇江佐真理(1949年~)などの作品を好んで読みました。一見、仕事に関係がないようにみえますが、名作と呼ばれる小説は、人間の洞察、描写が出色であり、これが大いに勉強になるのです。書籍や雑誌を読むことは、それを執筆した人の魂に触れることと同義であると思います。

 

 たとえば、吉川英治著『宮本武蔵』の最終章は「魚歌水心」と題され、次のような文章で締めくくられています。

 

「波騒(なみざい)は世の常である。波にまかせて、泳ぎ上手に、雑魚(ざこ)は歌い雑魚は躍る。けれど、誰か知ろう、百尺下の水の心を。水のふかさを。」(吉川英治歴史時代文庫21『宮本武蔵(八)』、講談社、1990年、369頁)

 

「魚歌水心」という言葉は、出典を探してみてもわからなかったので、あるいは吉川の造語かもしれません。私は、『宮本武蔵』の最後の文章とあいまってこの言葉に感銘を受け、書家にお願いして書いていただいたという思い出があります(詳しくは2011年12月6日付ブログ記事をご覧ください)。

 

 書籍や雑誌を読むと、執筆者の魂に触れることによって自分の魂も揺り動かされ、さらには、執筆者の考えに同意したり、もしくは抵抗したりして、あれこれ思考を巡らす過程を経ることができます。そして、それによって、自分自身の心・魂が練られていき、成長に繋がるものであると思います。

 

 このように、読書はいつの時代も変わらない自己啓発手段です。読書の 時間を持てずにいる方は、この機会に是非、読書をする時間を一日に少しでも設けていただきたいと思います。

 

(リライト 加藤・宮本)

自己研鑽(その1)


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2012年7月11日(水)朝7:30
東京都千代田区九段南三丁目にてランタナ(和名・七変化)を撮影
花言葉:「協力」「厳格」「心変わり」等

 

 前回7月6日(金)付のブログ記事で、私が当事務所報「Management Law Letter」1997年5月号に書いた巻頭言「いかに企業構成員に上昇感を与えるかの課題に取り組む」をご紹介いたしました。そのなかで、「変化の時代を迎えて、誰しも勉強しなければそれに対応しきれない、また、萎縮し続ける社会の中でそれを乗り切ることはできない」と述べ、勉強のひとつの方法として、私が取り組んできた継続的な執筆活動をあげました。

 

 本の出版や雑誌への寄稿などは、自分には縁のない別世界の話だと思う人も多いかもしれませんが、いまの時代はブログなど、無料で自分の意見を社会に発信できる便利なツールがあります。書籍の出版でも、ブログでも、しっかりと資料にあたり、根気よく勉強をしたうえで原稿をまとめ、そしてなにより、継続して書き続けることが大切です。そうすれば、思いもしなかったような新しい着想が浮かぶこともありますから、自分の成長につながります。また、あなたが今執筆を行える場がブログだけであったとしても、自分の思い・感じ・考えたことを日々まとめた集積は、いつの日か大いに役に立つでしょう。まさに、継続は力なりです。

 

 さて、継続性の大敵は、なんといっても「怠け心」です。人は本能的に楽なことを求め、苦しいことやつらいことは避けようとするものです。これが怠け心の正体なのです。

 

 この怠け心を克服するには、試練をゲームのように楽しむ気構えが効果的です。ゲームにはルールがありますが、ルールを守る経緯で生じる試練を克服することこそが、ゲームの醍醐味であると思います。つまり、ルールとは、試練が姿を変えたものであるといえるのではないでしょうか。このように、ゲーム感覚を、実生活に取り入れてみることも一つの手立てです。

 

 執筆活動に限らず、どんなかたちでも、勉強を継続的におこない、新しい知識、能力を身につけ、優れた人材となるという強い意志がなければ、これからに時代は到底生き残ることはできないでしょう。私は、江戸時代の儒学者佐藤一斎(1772年~1859年)の「少(しょう)にして学べば、すなわち壮にして為すことあり。壮にして学べば、すなわち老いて衰えず。老いて学べば、すなわち死して朽ちず。」(少年のときに学んでおけば、壮年になってから役に立ち、何事かを為すことができる。壮年のときに学んでおけば、老年になっても気力が衰えることはない)という言葉を大切にしてまいりました(「言志晩録」第60条:岬龍一郎編訳 佐藤一斎『〔現代語抄訳〕言志晩録』PHP出版より)。

 

充実した人生を過ごすには、生涯勉強し、研鑽しなければ結果が得られにくいということを、改めて、皆さんに伝えたいと思います。

 

(リライト 加藤・宮本)

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