「花」の最近のブログ記事

「花」最終回「花と宇宙」+付録


20131227.JPGのサムネール画像

2013年12月10日(火)7:25
目黒区立中目黒公園内にて石蕗(つわぶき)を撮影
花言葉:「謙譲」「困難に傷つけられない」

 

 

花はその種類や品種それぞれで開花時間が異なります。朝顔、昼顔、夕顔などがその代表例でしょう。花の開花時間の違いを利用して考案されたものにヨーロッパの博物学者、植物学者であるカール・フォン・リンネ(1707年~1778年)による花時計があります。リンネは、Wikipediaによると、動植物についての情報を整理して分類表を作り、その著書『自然の体系』(1735年)において、それぞれの種の特徴を記述し、類似する生物との相違点を記したことで、「分類学の父」と称されているそうです。

 

花の開花時間は、温度と光の条件で決まるため、天候によって多少のずれがあるそうですが、ほぼ一定しており、花時計は時計回りに開花時間が早いものから遅いものをぐるりと円周に植え込むことで作ることができます(公園や広場などにある文字盤に花を美しく植え込んだものも「花時計」と呼びますが、ここでの花時計は植物の開花時間の差を利用して作るものです)。

 

植物は、太陽の光、すなわち宇宙のエネルギーを使って生命活動を行います。たとえば、ヒマワリは「太陽の花」と呼ばれ、太陽の方を向いて咲くといわれますが、これは植物全般に共通することだそうです。また、午後8~9時くらいから咲き始め翌朝には萎むドラゴンフルーツの花は、夜咲きで、新月の日と満月の日に開花することが多いそうです。月下美人も同様です。これには科学的な根拠はないそうですが、月に関しても、植物が宇宙のエネルギーを感じて花を咲かせているようにも思います。「幸福の木」として知られるドラセナ属のドラセナ・フレグランスは、その強い生命力から、ハワイでは家の前に幸福の木を置いておくとよいことがある、と言い伝えられているそうです。ほんとうに幸運が訪れるかはわかりませんが、夢のある話です(なお、ドラセナ・フレグランスは、室内で育てても、あまり花を咲かせることはないそうですが、ある程度大きく育ったものは、名前のとおり甘く強く香る白い小さな花を咲かせるそうです)。

 

ひまわりといえば、私にとっては、2002年8月に、北京から、大同市の雲崗石窟を訪れた際、車窓から見た一面、ひまわりの咲いた景色がわすれられません。また、1965年(昭和40年)のアメリカ・イタリア合作の映画『ドクトル・ジバコ』(原作はロシアの作家・ボリス・パステルナーク)のなかの、第一次世界大戦中、戦場の病院で主人公の男女が心を寄せ合うも、それぞれのお互いの家族の元へと帰っていく別れ際、たくさんのヒマワリが病院の窓際に飾られているシーンが印象的です。

 

さて、2013年7月6日(土)午後9時に、NHKスペシャルにて「足元の小宇宙~生命を見つめる植物写真家」という番組が放送されました。植物写真家の埴沙萠(はに・しゃぼう)さんが、私たちのまわりの自然の中にひしめく数え切れないほどの小さな植物のいのちの躍動を、レンズを通して捉えていました。余分な水分を排出したり、湿度の変化によって踊りだしたり…かすかな気候の変化や宇宙の状態を、言葉を発さない植物がそれを感じ取り、美しい花を咲かせることは、植物が辿ってきた、長い地球、宇宙の歴史を私たちに伝えてくるようで、愛おしさとともに畏怖の感情すら湧いてきます。

 

街角の清楚ないろどりの花々からふと目を上げれば、愛しい人たちが還っていた果てしもなく遠く高く続く天、宇宙が広がっています。わたしたちが、花を愛でるとき、癒しを感じるのは、わたしたちが宇宙のなかに生きていることを自覚し、宇宙の調和を感じることができるからではないでしょうか。人間のいのちのエネルギーは、宇宙の調和のなかで、力を得たり、与えたりしながら、バランスをたもっているのでしょう。宮沢賢治が、動物や植物と会話をしていたという話がありますが、賢治の宇宙、自然描写にとくに優れていたあの筆力は、宇宙との交流でそのエネルギーを感じていたからではないでしょうか。

 

宇宙が織りなす永遠の循環の時のなかで、わたしも、この循環を意識し、宇宙にいのちをゆだねると、宇宙とわたしとは、一体になり、走り続けてきた人生のなかで、わたしに積もり重なった疲れや悲しみが、ふと癒されるのです。

 

天にありては星。地にありては花。人にありては愛。
これ世に美しきものの最たらずや
高山樗牛(1871年~1902年)

 

 

~計19回にわたって掲載してまいりました「花」も今回をもっていったん終了し、来年1月16日(金)からは「弁護士の営業」をテーマに連載を開始します。連載では、私の50年間にわたる弁護士生活を振り返りながら、私の考える営業のコツを提示し、営業のあり方を検討していきたいと思います。これは、弁護士の方に読んでいただくだけではなく、一般企業に勤められている方、あるいは営業に直接携わっておられない方にもぜひ読んでいただきたいと思っております。ご期待ください。

なお、「花」のブログは、今後いつかまた再開することもあります。その際には、皆さまからのご意見を反映し、より良いブログを作りたいと思っております。この度の計19回の「花」ブログについて、ご意見、ご感想をお寄せいただきますようお願い申し上げます。

 

本年も1年間、当ブログをお読みいただきありがとうございました
輝かしい新春をお迎えくださいますよう、心よりお祈り申し上げます。

 

 

 

 

付録 草月流 師範 栗生紗世先生より

 

「いけばな」は一般的には室町時代の立花(たてばな)が起源とされています。立花とは、神が降りてくると言われている常緑樹の枝を高く立て、花を添えるいけ方です。その後、立花は安土桃山から江戸時代へ、よりダイナミックに豪華に発展していきます。

一方、それとは対照的に茶道の「茶花」もこの時代にわび・さびの世界の中で発展していきます。明治以降、政府が婦女子教育の一環として「いけばな」を推奨するようになると、今までの男性中心だった「いけばな」の担い手が一般の女性に移ることになりました。そして現在「いけばな」は「IKEBANA」として、国際語にもなっていて、日本の伝統文化のひとつとして世界中で注目されています。

ここで少しヨーロッパのフラワーアレンジ(お花屋さんで売っているカゴなどに入ったアレンジ)と「いけばな」の違いをお話ししたいと思います。まずは西洋庭園と日本庭園の違いを思って頂ければわかりやすいと思います。前者の多くは、はっきりしたフォルムの木や花をシンメトリーに配しています。一方、日本庭園はどこから見ても、全て違う表情になるよう、木も枝ぶりを活かし、石などもアンシンメトリーに配しています。「いけばな」も同じく、その枝の線の流れを活かし、大きく空間を取り、そこに風を感じさせるようにいけます。空間を埋めていくフラワーアレンジとは全く異なものと言えます。つまりそこには「風情」「風流」という日本独特の美意識が盛り込まれているわけです。

また、日本の場合、花と言えば梅・桃・桜など花木を指すことが多く、ヨーロッパでは花と言えば花の顔そのものを指すのも、不思議な違いです。そのことからも、枝ぶりを活かす「いけばな」と、花の顔をたくさん前面に見せるフラワーアレンジとの美意識の違いがわかります。

私が「いけばな」を始めて、今年で40年になります。ここ20年は「いけばな」を仕事(「教える仕事」と「いける仕事」)としてきました。

 

◎ 「教える仕事」

市ヶ谷教室と麻布十番教室、企業の華道部、単発の講習会などで指導しています。

教室運営も、時代とともに、月謝制からワンレッスン制(1回\3400)へ。開講時間も22時までに延長し、できるだけ出席しやすいよう考慮しています。習い事をする時間が減少している昨今、なかなか厳しい状況ですが、海外に出る機会も増え、改めて日本の文化を学んでみたいというニーズの手応えも感じています。「花のある暮らし」を実現するためにも、是非気軽に入門して頂きたいと願っています。

 

◎ 「いける仕事」

レストランや企業の受付などに定期的にいけています。「いけばな」があると、その空間が実にイキイキと輝きます。レストランではお客様への最高のおもてなしになります。企業では、その企業の格が間違いなく上がります。ご依頼頂けましたら幸いに存じます。

 

◎ 世界に誇る日本の「いけばな」

私の夢は、色々な所でIKEBNAに出会える日本(少なくとも東京)にすることです。

ほとんど毎日どこかでいけていますが、不思議にも飽きることが全くなく、毎回新鮮なのです。数ある流派の中でも草月流は古典を伝承していくと言うよりも、「いけばな」で自分を表現するという流派ですので、私に合っているのでしょう。皆さまが思い描く「いけばな」のイメージとは、かなり違うのではないでしようか?とてもダイナミックでクリエイティブでエキサイティングな世界なのです。

 

草月流  栗生紗世

栗生先生への各種お問い合せ(市ヶ谷教室、麻布教室、出張いけばな、単発の講習会等々)は下記のとおりです。

電話  03-3366-2078   メール  sayo@marronborn.com

 

 

 

「花」第13回:花のうた+付録


20131129.JPGのサムネール画像

2013年11月24日(日)16:17
静岡県浜松市西区舘山寺町 はままつフラワーパークにて
フォックスフェイスを撮影
花言葉 「偽りの言葉」

 

 

花は 花は 花は咲く いつか生まれる君に
花は 花は 花は咲く わたしは何を残しただろう

花は 花は 花は咲く いつか生まれる君に
花は 花は 花は咲く いつか恋する君のために

(NHK「明日へ」復興支援ソング『花は咲く』)

 

これは、東日本大震災の被災地・被災者の復興を応援するために制作されたチャリティーソングで、NHKが震災後の2011年から行っている震災支援プロジェクト「NHK東日本大震災プロジェクト」のテーマソングとして使用されている曲です。作詞は岩井俊二氏、作曲・編曲:菅野よう子氏です。

 

人は人生のさまざまな時期に、折に触れて、そばでそっと咲いていた花々の姿に、その時の幸福感、愛情、失意、悲しみ等のさまざまな想いを重ねます。白百合を見ると、亡妻孝子と亡娘真理子とのカトリック麻布教会での別れを思い出すと前回(11月1日「花」第12回:花ことば(2))のブログでもお話しましたが、人それぞれの想いを映し出す花は、美しく、そして人々をそっと励まします。

いまでは指輪も まわるほど
やせてやつれた おまえのうわさ
くちなしの花の 花のかおりが
旅路のはてまで ついてくる
くちなしの白い花
おまえのような 花だった

 

「くちなしの花」(作詞:水木かおる、作曲:遠藤実、1973年)は、離別した女性をくちなしの花にたとえ、遠く離れても、くちなしの花の香りによって、別れた女性を思わずにはいられない切ない男の心境が詠われています。

くちなしの花の香りは、「花」第4回:季節を彩る花々(2)(2013年3月1日付)の当ブログ記事でも触れたとおり、甘いジャスミンの香りよりも一層甘く、やや、ふくらみを持たせたような深い香りが印象的です。

くちなしの花の深く甘やかな香りが、女性と過ごした甘い日々と情を交わした相手への思いの深さとをたとえているようにも思えます。人は生きていくなかで、誰かを愛し、別れのときを迎えます。ともに過ごした日々が甘く幸せであればあるほど、その別れの切なさはいやますものです。死別の悲しみは、失った人が決して戻ってくることがないことから癒えがたいものですが、この「くちなしの花」の生きながらの別れもまた、いまは風の噂で痩せてやつれたときく女性を遠く離れて思うことしかできないやるせなさに、胸が締めつけられるような思いがいたします。

 

このように人の生きざまや心映えを花にたとえた歌はこれまでも数多くありました。たとえば、「花 ~すべての人の心に花を」(作詞・作曲:嘉納昌吉、1980年)という歌もあります。

花は花として わらいもできる
人は人として 涙も流す
それが自然の うたなのさ
心の中に 心の中に 花を咲かそうよ

 

花は、自然の中で強い風雨や日照りにあい、思うように咲けないこともあります。人もまた、自然の中で生きるものとして、ままならぬことに見舞われることがあります。しかし、それでもまた、芽吹き咲こうとするのが花なのです。

そのような自然の中で生きる花の姿に、人は自らを重ね合わせることによって大自然―宇宙と一体となり、大きな流れの中で生きる自らを見つめ、悲しみと向き合うことができるようになるのではないかと思うのです。

 

また、花は、種類によって咲く時期が様々であることから、歌詞の中に花を詠み込むことで、季節やその情景を効果的に表現することができるでしょう。

リンゴの花が咲くころに 帰ってくるよと約束してた
あなたの便りが風に飛ぶ あなたの便りが風に飛ぶ
 

「リンゴの花咲くころ」(作詞:橋本淳、作曲:すぎやまこういち、1967年)という歌は、リンゴの花が咲く時期である5月になっても恋人が帰ってこない哀しみを詠ったものですが、白く小さなリンゴの花が健気に咲くさまはより一層憐憫の情を誘います。

このように、人は、花の生きざまそのものあるいはそれを詠いこんだ歌に触れることで、ときに癒され、勇気をもらい、希望や夢を抱くことができるのだと思います。

 

少し前に日本でも「ガーデニング」ということばが一般名詞となり、多くの愛好家が生まれましたが、このように何気ない日常で私たちの目を引く花の多くは、個人宅のお庭やベランダで丹精込めて育てられている花々ではないでしょうか。

確かに首都圏に住む私たちのまわりでも、道路の中央分離帯には夾竹桃、歩道沿いにはツツジが咲き、大きな公園は管理事務所や自治体が協力して美しい花を咲かせています。春には河川に沿って桜が咲き誇るのも、関係者の日頃の努力の賜物かと思います。

しかし郊外の小さな公園などは、土木事務所や公園管理事務所の委託を受けた地元の町内会が、ボランティアで美しい花壇を作っている例が多いのです。

また横浜市や名古屋市の公立小学校には、日頃お世話になっている子ども110番の家や地域の方にプランターに植えた花苗を贈る行事があります。校庭のまわりをコスモスが取り囲む小学校もあります。幼稚園・保育園や小学校に球根を送る運動をしている非営利団体もあります。おしなべて義務教育の現場では、花を身近に感じられるような努力が続けられています。

このように、日本ではまだまだ花に関しては民間の団体や教育現場、個人の努力に負うところが大きく、私見ながら環境省、観光庁といった、大きな影響力を持つ国や官公庁の働きかけは十分とは感じられません。

 

その時々で折々の花に支えられ、生かされてきた私だからこそ、家族、企業、特に地方公共団体、国には“花いっぱい運動”を広めて頂きたいと希うのです。

 

 

 

 

付録 朧谷 壽 先生との懇談

 

先日京都にて、同志社女子大学名誉教授・朧谷壽先生と懇談の機会を頂きました。その際ご一緒した積水ハウス株式会社の常任監査役・久保田芳郎様が、この懇談の様子をご寄稿くださいましたのでご紹介します。

--------------------------------------------------------------------------------

本年10月6日(日)、京都グランビアホテル・六本木楼外楼において、同志社女子大学名誉教授・朧谷壽先生と昼食をご一緒する機会を頂きました。

出席者は、朧谷先生、高井先生、私・久保田の3名です。

朧谷先生は、平安朝史、特に政治・文化・邸宅研究を専門とされています。午後1時より、3名でランチを頂きながらご専門のお話を交え、楽しく懇談いたしました。

 

先ずは、朧谷先生が2007年8月13日にご担当された、今上陛下へのご進講のお話が興味深いものでした。

時間はご進講が30分、ご質問をお受けするのが10分ほどとのことです。昔の天皇の院政(上皇政治)等についてお話されると大変熱心にお聴きになられ、天皇陛下からはご質問があったそうです。

 

現在、朧谷先生は「第73代・堀河天皇」についてご執筆中で、間もなく完成とのこと(ミネルヴァ書房からご出版の予定)。

堀河天皇(1079~1107)は8歳で即位されるも、父・白河上皇の院政下で苦労された方です。

堀河天皇は29歳(当時は数え年)の若さで崩御されたため、その子・鳥羽天皇が即位されたのはまだ5歳の時。それゆえ白河院政はなおも続き、次の75代崇徳天皇まで3代続いたそうです。

高井先生もこの本の出版が待ち遠しく、校正前に一読させてほしい、とお願いされたほどでした。

 

その高井先生が、「特にすぐれた天皇は?」と質問されると、詳細は伝わらないけれど「15代・応神天皇かと…」とお答えがありました。母上が神功皇后(ヤマトタケルの第2子である仲哀天皇の后)という説のある方で、さらには皇太子が後の仁徳天皇(16代)ゆえ、さぞかし崇高なかたであられたかと。

また髙井先生は、蘇我氏に滅ぼされた物部氏に関心を持っておられ、その延長で邪馬台国は二カ所あったのでは、という説をご披露されたところ、朧谷先生も、「大いにあり得ます。昔から夏と冬の二つの都を持つという事例は、いくつもあります。長安と洛陽、北京と承徳のように。ですから大和と九州にあっても不思議ではない」と。もちろん想像の域を出ない訳ですが…。

この話題に触発される形で、天照大神は男性では? 万世一系は天皇家だけか? 等々興味深いお話が次々と飛び出しました。

 

また、平安時代に宮家にお仕えした才女達、特に清少納言と紫式部の確執も面白いお話でした。感性の強い女性・清少納言は冷静に事実を見つめ描写するのには長けていたが、『源氏物語』のように多くの登場人物が複雑に入り込む内容のものは書けなかったのではというお話です。紫式部に『枕草子』は書けるが、清少納言に『源氏物語』は書けなかっただろうと。

王朝女流作家の共通点は、地方官吏の、それも教養のある家庭の子女であったということ。テレビもラジオもインターネットも無い時代に、宮中に入った彼女らは、さらにそこで情報を得て知識に磨きをかけたのです。

 

更に、高井先生からは、冷泉家(近衛中将に代々任官された羽林家と呼ばれる家柄の公家、藤原道長の子・藤原長家の子孫にあたる)の宝物の調査が終わったことについてのご質問が。

「明治4年に天皇が京都から東京(江戸城)へ移られる時、冷泉家はお留守居役を命じられたのです。当時は各宮家がこぞって東京へ移られたのに。和菓子の虎屋までが。

しかし、そのお陰で冷泉家は関東大震災にも、終戦間際の東京大空襲にも見舞われず、今のお宝が残っているのです。」というお答えが。

因みに、天皇家御所有のお宝は、現在皇居の三の丸尚蔵館に保存されていますが、これらは国宝級のものでも国宝には指定されず、御物(ぎょぶつ)と呼ぶのだそうです。

そして、明治時代の歴史認識としては足利氏はあくまで逆賊であり、それゆえ明治28年創建の平安神宮の祭り・時代祭に足利氏は登場しない、更には足利義満・義政、また利休という文化人も登場しない背景がそこにあるというお話を披露されました。

 

引き続き、高井先生からの「平安時代にわが世の春を謳歌した藤原家のその後は?」というご質問には、

「鎌倉時代以降、彼らは日常では氏名の藤原を名のらず家名で通したのです。例えば近衛、九条、一条、冷泉、烏丸のように。そして彼らは第二次世界大戦後に家名を氏名にしたのです。」とのことでした。

 

歴史の裏側を垣間見た楽しさで、あっという間に2時間が過ぎてしまいました。

 

 

――高井より――

なお、両3年のうちに、朧谷壽先生には弊所の年末講演会の講師をお願いしたいと存じます。

演題は“『紫式部』『清少納言』『伊勢』『赤染衛門』など、中世の女流作家について”、いきいきとしたお話を伺えればと願っております。

 

「花」第12回:花ことば(2)+付録


 

IMG_2510.JPG

 

2013年10月21日(月)日本時間12:05
中国 上海市新天地の路地にて日々草を撮影
花言葉:「楽しい思い出」

 

花々が芽吹き始める早春の2月1日(金)から「花」をテーマに連載してまいりましたが、気づけば季節はめぐり、秋風に花々がゆらぎ、散りゆく花々や木々の葉の姿が、まもなく訪れる冬を感じさせる頃となりました。

 

前回10月17日(金)付け記事に引き続き花ことばについてお話します。

 

花ことばの発祥は、17世紀頃のトルコであるとされているそうです。これが、ヨーロッパ中に広がり、各国それぞれが、その花のイメージなどから花ことばを作り出してきたそうです。現在行われているような花ことばの慣行は、とりわけ19世紀の西欧社会で盛んになったということです。

 

花ことばは、日本には、明治初期頃、イギリスを中心に西洋から伝わったとされており、日本では、花に携わる人々が、その花に合った言葉を考えるなどして広がっていったそうです(参考:NHKホームページ「ことばの宝箱」より)。華やかな大輪の花、つつましくひかえめな花は、それぞれの個性にあった花ことばを持っています。

 

また、目にする機会が少ないためにすぐには思い浮びにくい、高山に咲く花たちにも花ことばはつけられているそうです。たとえば「コマクサ」は、標高2000m~3000m付近、他の植物が生育できないような厳しい環境に生きることから「高山植物の女王」と称されており、その花ことばは「高嶺の花」です。過酷な条件の高山で生き、それゆえに、万人が目にすることの少ない、この花ならではの花ことばといえましょう。

 

コマクサは、まるで小さなシャンデリアのような独特の形をした花で、名前の由来はその形が「駒(馬)」の顔に似ていることから来ているそうです。学名の「Makino」は、多数の新種を発見し命名した、日本の植物学者の父ともいわれる牧野富太郎氏(1862年~1957年)が命名したものです。コマクサは、主に大雪山系(北海道)、白馬岳、蓮華岳(ともに長野県と富山県にまたがる)、燕岳(長野県)にて群落が見られるとのことです。

 

 

さて、ヨーロッパから伝わった花ことばという文化が、日本に伝わり、東西問わず人々がそれを受け入れられたという歴史は、人々が花に対して共通の感情を持っている証左でもあると思います。この点については、私が出会った『花ことば-起原と歴史を探る』〔八坂書房、2004〕という本の中で熊本県立大学文学部教授 樋口康夫先生が「ある民族の直感の集合が世界共通の認識となる場合もあろう。現在、世界に見られる『花ことば』はそうして得られた人々の努力と知識の集積の結果ではないのだろうか」と述べられています。

 

たとえば、私は、紅のバラからは、燃えあがる情熱を感じますが、調べてみると、「死ぬほど恋いこがれています」という激しい愛の花ことばが付けられています。ある花の花ことばを知ると、妙な納得感を得るのは、民族を問わず、世界各国の人々が、ある花のイメージを霊感的に共有しているのではないでしょうか。これは、花と人との対話であり、自然との交流であり、宇宙との共鳴であると思います。

 20131031-01.JPG

 

2013年5月6日(月)朝7:12

東京都渋谷区代々木公園にて撮影

 

私は白百合を見ると、亡妻孝子と亡娘真理子とのカトリック麻布教会での別れを思い出します。白百合は聖母マリアの象徴、「マリアの花」とよばれ、純潔や美徳のシンボルとされているそうです(花ことばも「純潔」「無垢」等です)。また、「ゆり」は、ゆらゆら揺れるその様から「揺る」に由来があるともいいます。細い茎に大きな花がついており、香り高く、清楚であるだけでなく、その姿が風になびく姿も、なにか神々しさを感じます。

 

あの日、白百合が一本、また一本と、献花に訪れた方々の手から棺に乗せられるとき、人々の彼女らへの愛が、白百合をとおして宇宙へと立ち上っていく思いがいたしました。実際に、亡娘真理子のカトリック麻布教会での告別式の日に空には、虹が出ていました。

 

彼女らをうしなった悲しみは、どれほどの時が流れても癒えることがありません。しかし、一方で、あの別れの日の純白の百合が、私のまっ暗闇の心の奥深くで光を束ねるように凛と咲き、虚空の世界、宇宙に旅立った彼女らと、たしかにつながっているようにも思えるのです。

 

20131031-02.jpg 

2013年7月18日(木)午前6:55 東京都目黒区中目黒公園にて撮影

 

~今回の記事執筆にあたって、ホリスティックサロン Lily セラピスト 小田島 彩子様石草流生け花 家元後継 奥平清祥様にご協力いただきました。ありがとうございました。

 

 

付録 佐賀・武雄市図書館を訪問

 

私は本年9月5日(木)、佐賀・武雄市図書館を訪問しました。その際ご同行頂いた橋口電機株式会社の代表取締役副社長・橋口佳代子さまに、この度の訪問についてご寄稿いただきましたのでご紹介します。

――――――――――――――――――――――――――――――――――

武雄市図書館(佐賀県武雄市武雄町大字武雄5304番地1)に髙井先生をご案内しました。

 

この図書館は、佐賀県武雄市が運営をカルチュア・コンビニエンス・クラブ(CCC)に委託して本年4月に改装オープンしました。

日本広しといえども、100頁近いガイドブックを出版している図書館は、そう多くはないと思います(『たけお散歩 武雄市図書館公式ガイドブック』2013.7.31発行、定価500円)。髙井先生をお連れした当日も、行政視察を含め混み合っており、千客万来、約300台の駐車場も満杯でした。本年4月のリニューアル開館から3ヵ月で26万人の入館者数を記録しており、1日当たりの平均来館者数は約2900人(前年度比4倍)、図書貸し出し数も平均で1644冊(同約2倍)に達しています。年単位で見れば、毎年11月上旬に開催される、あの有名な佐賀のバルーンフェスタを超す勢いだと思います。

 

武雄市図書館には現図書館長の杉原豊秋様と、前図書館長で武雄市教育委員会の中野優様がいらっしゃって、このお二人からも詳細な説明を頂きました。

武雄市とCCCが手を取り、両者の費用負担を軽減するためのモデルを共創しているとのこと。武雄市図書館のセールスポイントは、20万冊以上の蔵書に加え、雑誌や本を“買える”コーナーがあることです。レンタルショップ「TSUTAYA(ツタヤ)」が組み込まれており、購入もできるのです。またカフェダイニング「スターバックスコーヒー」も併設され、図書館カードに代わるポイントカード(Tポイントが貯まる)も利用できます。開館時間は従来よりも3時間延ばし、午前9時~午後9時までに。年間約30日あった休館日も「年中無休」になりました。図書館の年間運営コストも、指定管理で総額約1億2000万円から約1000万円削減する見込みとのことです。

 

確かにスターバックスコーヒーからの眺めは抜群で、心が洗われます。カフェは楽しさや人と語れる雰囲気をかもし出し、若者や子連れの母親達が集まりやすくなりました。店内でワイワイガヤガヤと語らっていても、館内に流れる大きめのBGMで打ち消され、気にならないような工夫がされています。また、読書専用スペースや学習室に入ると途端に音が聞こえなくなります。これらを設計だけで達成しているといいますから驚きです。

総じて来館者の利便性にワンストップで応えたことが、飛躍的な集客数につながっているようです。

加えて、そもそも武雄は元々鍋島藩だったが、代々の藩主が勉強好きで、この図書館にふさわしい地盤を備えていたのでしょうというお話が印象的でした。

 

併せて、武雄市図書館を囲むロケーションについてお話しようと思います。

図書館のある武雄市は、佐賀県の西部にある人口5万人の市です。市の中心地の街には開湯以来1300年経つ武雄温泉があり、今でも古い大衆浴場や格式のある温泉旅館があります。

伝説によると、神功皇后(ヤマトタケルの第2子である仲哀天皇の后)が凱旋の途、太刀の柄(つか)で岩を一突きしたところ、たちどころに湯が湧き出たと言われており、よって昔は柄崎温泉、また、蓬莱山の麓に湧くことから蓬莱泉とも呼ばれていたそうです。

いま一つ、動物による開湯のいいつたえもあり、足を痛めた一羽の白鷺が米守の谷あいの岩間から湧き出ている温泉を見つけ、毎日その温泉に足を浸しているうちに傷が癒えたのが始まりとも伝えられます。

 

温泉街から車で5分ほどの場所には御船山という特徴的な小山があります。

かつては自然の要塞として城が築かれ、また、江戸時代には第28代武雄領主の鍋島茂義(1800~1862)の別荘として、敷地15万坪の御船山楽園が作られました。御船山は、今も、武雄のシンボルとして地元から愛され、春は桜が咲き誇り、観光客で賑わいます。武雄市図書館はその御船山を背景にゆったりとたたずんでいます。

近隣には有田焼の有田町、美肌の湯の嬉野温泉もあります。

 

武雄市図書館にご興味がおありの方、ぜひ武雄市にお越しください。

図書館はもちろんのこと、”図書館以上の魅力”を味わっていただけることと思います。

「花」第11回:花ことば(1)+付録


20171017.JPG

2013年10月13日(日)10:35
ミャンマー・ネピドーにある
ミャンマー連邦共和国国家計画・経済開発省前にてプルメリアを撮影
花言葉:「気品」

 

 

2月1日(金)付記事より、私が撮影してきた花の写真とともに、花について私が思い・感じ・考えてきたさまざまなことをつづっています。

 

花にまつわる文化として「花ことば」があります。

ヨーロッパでは、花に想いを託して、花を贈り、同時に花ことばを相手に伝えるという習慣があったそうです。なかなか言いだせないような言葉を、あるいは、どんな言葉をもってしても伝えきれない愛しい人への想いを、花という存在に託して代弁してもらったのでしょう。

花ことばではないですが、日本においても、花に想いを代弁してもらう文化は和歌に多くみられます。「この花の一節(ひとよ)のうちに百種(ももくさ)の言ぞ隠れるおほろかにすな」(藤原広嗣、万葉集)という和歌がありますが、これは、ある男性が、桜の一枝を女性に渡して「この花(桜の花)の一枝には、私の想いがすべて秘されています。けっしておろそかにしないでください。」と詠んだ和歌だそうです。伝えたい想いを、ぐっと心の奥に秘めて、桜の花に置き換えて詠んだこの和歌は、まさに「秘すれば花なり」の世界でしょう。

 

フランスでは5月1日に、愛する人にスズラン(muguetミュゲ)を贈るという習慣があるそうです。この歴史は思いのほか古く、1561年5月1日に、シャルル9世が、幸福をもたらすとしてスズランの花束を贈られ、とてもお気に召し、それをきっかけに、毎年、宮廷のご婦人達に贈るようになったということです。

スズランを贈る習慣は19世紀末になると一般庶民にも広まり始め、20世紀にはパリ近郊の人々が森へスズランを探しに行くようになったということです。そして、摘んだスズランの花は、誰でも自由に販売して構わないというのですから驚きです。売るための特別な許可も要らず、さらに、所得の申請をせずとも大目に見られるのだそうです。

いまのフランスでも、5月1日になると街中でスズランの花束が売られるそうですが、インターネットに書かれていたある記事によりますと、今は多少の規制があり、①森で摘んだ根のついていないスズランであること、②花屋から100メートル以上離れた場所であること、が条件になっているそうです。また、赤十字では、この日のスズランの売り上げが2番目に大きな収入源であるのそうですから、いかにポピュラーなイベントになっているかを物語るエピソードです。

 

日本でも春になると、時々花屋の店先にスズランのブーケを見かけますが、切花として扱う店は決して多くはないように思います。スズランの花言葉は「意識しない美しさ」、「純粋」、「幸福の再来」「幸福が帰る」などです。来年の5月頃に、朝の散歩でスズランを見かけたときにはその繊細な香りを確かめたいと思います。

 

また、米国のバレンタイン・デイでは、老若男女を問わず誰からでも好きな人、愛しい人に対し、一輪の真紅のバラの花などを贈るそうです。それは、たとえば、夫婦や恋人同士では愛情表現のひとつとして、片思いの男女であれば愛の告白に、子や孫は大好きな両親や祖父母へ、生徒は学校の担任教師や校長先生へ、それぞれの立場で愛情や日頃の感謝の意を表すことのできる日なのでしょう。

 

20131017-01.JPGのサムネール画像

2013年5月6日 朝7:01
東京都渋谷区代々木公園にてバラを撮影

 

このように、花は、古来より、世界各国で、人々の想い、愛を、人々のかわりに伝えてきました。男性から女性、女性から男性、親子、友人・同僚同士でも、お祝い事や送迎会などの、なにかの折に、ブーケ・花束を手渡すことは多いでしょう。母の日には子どもから母親に日頃の感謝の気持ちを表すためにカーネーションが贈られます。結婚式の披露宴では、両親への御礼として花を贈る新郎新婦も多いです。誕生日祝い、出産祝い、古希祝い、快気祝い等のパーソナルな祝い花もあれば、ビジネスの場では開店・開業祝い、昇進祝い、退官祝い、出版記念等に花が贈られます。

祝い花には、胡蝶蘭が贈られることが多いそうです。その理由はいろいろとあるそうですが、環境がよければ3~5カ月以上、ときには3年から5年以上も咲き続けるという花持ちのよさが理由のひとつであるそうです。また、胡蝶蘭のたたずまいは、気品があり、格調高い凛とした印象を受けますから、お祝いの花としてふさわしいと考えられてきたのでしょう(胡蝶蘭については、2013年6月7日付け記事でも述べましましたので、ご覧ください)。

 

20131017-02.JPG

2013年3月9日(土)法政大学外濠校舎6階薩埵ホールにておこなわれた
諏訪康雄先生の最終講義に際して高井より諏訪先生にお贈りした胡蝶蘭

 

花の力を借りると、普段なかなか伝えにくい照れくさい言葉や思いを伝えられるものですし、受け取った人にパッと最高の笑顔がはじけるものです。花は、人と人との間の、心の壁を低くしたり、とりはらったりする力を持っていると思います。花は、花を受け取った人の心を明るく爽やかにし、人と人との交流に、潤いある彩りを添え、ぬくもりを与えてくれるように感じます。

さて、花ことばの発祥は、17世紀頃のトルコであるとされているそうです。花ことばについては、次回またお話します。

 

~今回の記事執筆にあたって、ホリスティックサロン Lily セラピスト 小田島 彩子様、冷泉流歌壇玉緒会 伊藤幸子様にご協力いただきました。ありがとうございました。

 

 

付録 竣工式
 

8月29日(木)に、長野県安曇野市にある株式会社安曇野ミネラルウォーター(http://azumino-mineralwater.jp/index.html)の工場を訪問しました。

今回の安曇野訪問は、同社の会長・新井喜源氏のご招待を受け、新工場の竣工式に参加するのが目的でした。

看板.JPGのサムネール画像のサムネール画像のサムネール画像

 

同社の社長である新井泰憲氏は、2011年11月に、高井・岡芹法律事務所主催の「インド 社会・経済視察団」のメンバーとして、私と共にインドを訪問しました。

◎詳しくは、2011年12月20日 付【歴訪記その9】インドをご覧ください。/weblog/2011/12/9.html

同工場は、38,000平米という広大な敷地に建てられた第一工場で、現時点での生産能力は月産500万本(各2リットルボトル)だそうです。

同社の水ビジネスについては、私も構想段階からアドバイスをしています。構想から2年、生みの苦しみに悩まされたそうですが、この度、無事に竣工式を迎えました。

 

竣工式は、関係業者や販売先等、50名ほどの来賓を迎え行われました。竣工式での新井泰憲社長の挨拶を抜粋してご紹介いたします。

―――――――――――――――――――――――――――――――――――

弊社の親会社たる信州レジャー興業は、我がグループの創始者である新井清一が、旧穂高町の高山勇町長様の誘致を受け、穂高有明に50万平米の開発を請け負ったときに設立された会社でございます。当社グループでは、安曇野の恵まれた自然環境、美しい景観を守りながら、サンクラブ穂高を建設し、別荘・住宅地を造成するなど、秩序ある開発を進めて参りました。

この度も、安曇野市の宮澤宗弘(むねひろ)様をはじめとする市の担当者様のご指導を受けながら、「適正土地利用条例」「地下水保全涵養及び適正利用条例」を適切に順守しながら、開発を進めて参りました。

また、長野県の担当職員様とも入念な協議を重ねた結果、弊社事業は、県が承認する「経営革新計画」及び「企業立地計画促進」という2つの承認をいただくことが出来ました。

今後とも、地域の秩序ある発展のために、微力を尽くさせていただく所存でございます。工場竣工は、第1の関門であって、通過点であるととらえております。今、この瞬間から気持ちも新たに、次は初出荷に向けて、弊社社員一同、より一層の努力を重ねて業務に励んでまいる所存でございます。

販売の実現に向けては、まず、顧客の皆様が何を求められているのか、徹底的に考えることを最初の課題と考えております。

―――――――――――――――――――――――――――――――――――

数十年に渡り安曇野市で事業を展開出来たことの感謝の気持ちとして、安曇野ミネラルウォーター社から、安曇野市福祉課に金一封が贈呈されました。

 

 

安曇野風景.JPG

安曇野ミネラルウォーター工場より見える、有明山の風景
撮影:新井泰憲社長

 

聞くところによると、水を販売するにあたっては、背景の物語の良さも大きなポイントだそうです。その点、こちらの工場は、雄大かつ牧歌的な田園風景に恵まれているうえに、安曇野には安曇族(※)の言い伝えも人気があるそうで、物語には事欠かない立地であると感じました。

式の終了後には、新井泰憲社長自ら、来賓の皆様を工場内にお招きし、設備の説明をされました。

 

工場案内.JPG

今後は3~5ラインを増設予定とのこと。同社のますますのご発展を期待・祈念しつつ、会場を後にしました。

 

(※)安曇族とは 

安曇野市が海に面していない山国たる長野県の中央に位置しているにもかかわらず、この地に古くから伝わる山車の多くは、なんと船の形をしているそうです。このことから、安曇野に暮らす人々の祖先は、海人(あま)族(縄文から弥生時代にかけて、南方よりやってきた渡来人)であったとの言い伝えがあります。この祖先のルーツを巡る「安曇族サミット」という催し物も行われています。

安曇野の地を開拓したといわれている安曇氏(あづみし)について調べたところ、安曇氏はすぐれた航海術と稲作技術を持ち、海人族の中でも最も有力な氏族だったそうです。

そもそも安曇氏の発祥地は安曇野ではなく、安曇野から遠く離れた福岡県福岡市東区志賀島(同島はいわゆる金印が発見された所です)にある「志賀海神社(しかうみじんじゃ)」(=祭神は“大綿津見(おおわたつみ)神”つまり海神)とされているそうですが、代表的な定住の地は丹後、但馬、若狭であり、しだいに海岸だけでなく内陸へ勢力を広げ、その痕跡とも考えられる地名を各地に残しました。たとえば滋賀県の「安曇川」や愛知県の「渥美半島」、それにも増して明瞭なのが長野県の「安曇郡」となるわけです。(北上した目的は、おそらくは蝦夷(えぞ)族の征伐であったとのことです)。

◎ 参考:農林水産省HP
http://www.maff.go.jp/kanto/nouson/sekkei/kokuei/chushin/rekishi/01_1.html)

◎ 参考:安曇野市HP「安曇野のお船祭り」
https://www.city.azumino.nagano.jp/mizu_monogatari/story/matsuri/index.html

◎ 安曇野市観光協会http://www.azumino-e-tabi.net/modules/xpressme/?p=776

 

◆◆海部氏の系図 ―安曇族に因んで 

私は最近、古代史の研究と称して古代史関連の書物を紐解く時間を持つようにしていますが、先日『古代海部氏の系図<新版>』(金久与一著、学生社)を読む機会があり、安曇氏と繋がる記述があったのでご紹介します。 

――「海部家では多年、皇室に遠慮して丹波降臨説を銘記した系図、天皇系と親戚になる系図を固く秘蔵し、公開しなかったのである。」

その海部氏の「勘注系図」(「本系図」に細かく注記を施したもの)によれば、『丹波国造本記』(『先代旧事本紀』巻十「国造本紀」:平安時代の編纂)には火闌命(ほのすせりのみこと=海幸彦)、彦火明命(ひこほあかりのみこと)、火明命(ほあかりのみこと=山幸彦)の3兄弟のことが記され、『古事記』上巻の最後では、火明命(山幸彦)の孫にあたる人物が神武天皇との記載があります。そして、「勘注系図」冒頭の記載に戻れば、海部氏の祖先は、古代の海洋系豪族の安曇氏と同一の祖先“建位起命(たけいたてのみこと)”なる人物をもつことが分かったのです。

20130927.JPG

2013年9月10日(火)12:01  秋田県鹿角市八幡平湯瀬
『和心の宿 姫の湯』 前にてヒマワリを撮影
花言葉:「私の目はあなただけを見つめる」

 

先週に引き続き、花の香りについてお話します。

 

 花の香りやその成分は、近代医療が発達する以前、人間の健康のために欠かせない役割を担ってきたそうです。いまでいうところの、芳香療法(アロマセラピー)のルーツともいえますが、世界各国、各地で採取される植物のなかに、人々は多種多様な薬理効果を発見し、薬の代わりとして幅広く活用してきた歴史があるのだそうです。

 

 中世ヨーロッパでは芳香植物の栽培と利用は主に修道院の仕事であり、植物成分を水や植物油・アルコールに浸出して用いていました。現代では、10世紀に発明されたといわれる「水蒸気蒸留法」によって植物の中にある成分を抽出するのが主流で、その抽出物は「精油」と称されています。なお、精油は、日本でも古くから作られ、800年代には京都で精油の技術が確立したといわれているそうで、江戸時代には庶民の間にも浸透し、明治時代には、ニホンハッカの精油の輸出も行われていたそうです(参考:ユニリーバ・ジャパン「Dove」ビューティーコラム)。

 

 アロマテラピーというと、つい最近、日本に入ってきて女性を中心に流行している、というイメージが強いですが、古くから精油が作られていた事実は、ちょっとした驚きではないでしょうか。

 

 数ある精油の中でも、特に人々を魅了するのは、やはりバラとジャスミンでしょう。前者は「精油の女王」、後者は「精油の王」と呼ばれるほど高貴で素晴らしい香りです。バラの精油は、バラ200輪に対し、たった1滴しか取ることができないそうで、しかも太陽が当たると精油分が気化してしまうという特徴があるため、早朝に摘み取った花のみを使用するそうです。そのため、精油自体の価値も非常に高く、大変高価なのだそうです。

 

 バラの精油の働きは、抑うつ、悲観などの感情をほぐし、神経の緊張とストレスを和らげるそうです。これは、香りを嗅ぐことで、幸福感をもたらすホルモンであるドーパミンが放出されることによる効果だということです。また、体に対する働きとしては、鈍化した血液循環を活発にし、心臓の充血を緩和させ、毛細血管を強化することによって、心臓を強壮する作用を発揮するともいわれています(参考:『アロマテラピーのための84の精油』ワンダ・セラー著 フレグランスジャーナル社 )。

 

 ジャスミンの花は、香りが最も強くなる夜間に摘み取られるそうです。バラ同様、1滴の精油を抽出するのに膨大な量を要するため、希少性が高く、やはり高価です。心に対する働きは、バラと同じように、神経を沈静させると共に、情緒を加温させ、積極的な自信を生み出すといわれています。とくに「人を助ける仕事」をしている人々に恩恵をもたらし、エネルギーを蘇らせ、全般的に活気をとりもどさせるといわれています。体に対しては、出産に役立ちます。子宮の収縮を強めて分娩を促し、同時に苦痛を和らげてくれるといわれているそうで、実際に多くの助産院や産科でこのような花の香りは補助的に利用されているのだそうです。また、呼吸器系にも有益といわれ、気管支の鎮痙や鎮咳にも適しているそうです。

 

このように、花の香りは、嗅覚を通じて脳へ届き、その結果として、私たちの心や体に多くの素晴らしい作用をもたらしてくれます。また、植物油に精油を入れ、皮膚から吸収させることで、毛細血管へ運ばれ、「身体への有効性」も注目されているようです。花の魅力を追求していくことで、このような奥深い一面が隠れていることを知り、花の世界に、ますます興味が広がりました。

 

~今回の記事執筆にあたって、ホリスティックサロン Lily セラピスト 小田島 彩子様、ランドブリーズ渡辺憲司様にご協力いただきました。ありがとうございました。

 

20130920.JPG

2013年9月10日(火)12:01  秋田県鹿角市八幡平湯瀬
『和心の宿 姫の湯』 前にてコスモスを撮影
花言葉:「乙女の真心」

 

 

花は、さまざまな色、姿、佇まいで、香り、私たちを楽しませます。

これらの多様性は、植物の生存戦略から来るものですが(詳しくは5月17日付記事をご覧ください)、花の香りについても同様で、花は、花粉を媒介してくれる昆虫を呼び寄せるために香りを出します。

私が特に好きな花の香りは、梅です。梅の香りについては3月1日付のブログで詳しく書きましたが、「馥郁たる梅の香り」という言葉があるとおり、梅は、そのほんのりとしたかぐわしい香りを漂わせてくれます。『もう一枝あれかし』(あさのあつこ著)にもありましたが、姿を見ずとも、香りを愛でることができる梅は、夜が似つかわしい気がいたします。

 

 20130920-1.jpg

2013年2月11日(月)東京都文京区 7:26 小石川後楽園にて撮影

 

さて、花の香りがどこから来るのかというと、花の種類によって異なり、ユリは花弁から、梅の花は花弁だけでなく、蜜からも香りが出ているのだそうです。

ユリの香りについて述べると、ユリの開花時期は品種や栽培法によって異なりますが、主に4月~8月で、その甘い香りは、人によって好みが分かれるものの、さまざまなブランドからユリの香りをイメージした香水が発売されていますから(たとえば、エスティーローダの「プレジャースインテンス」等)、人々を魅了する香りには間違いありません。

 

20130920-2.jpg2013年7月7日(日)10:07 栃木県大田原町常敬寺にて撮影

 

ユリといえば、江戸時代後期に来日したフィリップ・フランツ・フォン・シーボルト(1796年~1866年)は、日本に大変興味を持ち、庶民の日用品等をはじめさまざまな分野のものを収集したことで有名ですが(その数は1万点にものぼると推察されているそうです)、日本の花の多様性にも感嘆し、各種花々の種子や球根をヨーロッパに持ち帰ったそうです。生きた植物は多くが航海中に失われましたが、それでもシーボルトは2000株近い日本植物を運び出すことに成功し、それらのなかでも代表的なものがユリとのことです。

 

20130920-3.jpg2012年12月16日(日)12:57 
千葉県山武郡九十九里町片貝 九十九里ハーブガーデンにて撮影

 

ユリは、カサブランカ等が有名ですが、実はいずれも日本産であり、シーボルトによってヨーロッパにもたらされたテッポウユリやカノコユリ、ヤマユリ、タメトモユリ、タモトユリ等をもとに様々な交配が行われた結果、誕生した品種だそうで、交配親のユリのいずれの特徴も兼ね備えているといわれています。

テッポウユリは、4月~6月にかけて、純白の花を横向きに付けますが、昼間はかすかな香りしかしないものの、夜になると香りは次第に強くなり、芳醇な花の香りを放ちはじめ、暗がりの中でも芳香によってその存在を明確に特定できるほどだそうです(参考:『シーボルト日本植物誌』<大場秀章〔監修・解説〕、筑摩書房>、マイライフ手帳@ニュース2008年4月17日付記事、カネボウ化粧品株式会社HP「花の香り研究」)。なお、キリスト教圏では、聖母マリアの花とされる白ユリの品種「マドンナ・リリー」が、テッポウユリがヨーロッパにもたらされるやいなや、これに取って代わったのだそうです。なお、白ユリについては別の機会にまた述べたいと思います。

ヤマユリは、幕末から昭和初期にかけて、大量にヨーロッパに輸出するために乱獲され、栽培が難しいヤマユリはいまではあまり見かけなくなってしまったそうです。

ほかにも、アジアからヨーロッパに紹介された草花で驚かれたものは、ヒマラヤの青いケシがあります。青い花は少ないため、憧れの品種改良の目的となったそうです。

また、シーボルトの鳴滝塾跡(長崎市鳴滝)に建つ銅像のまわりは、青い紫陽花で囲まれているそうです。シーボルトは、紫陽花の花がお気に入りであったそうで、ヨーロッパに持ち帰った際、彼が愛してやまなかった楠本瀧(おタキさん)の名前から、紫陽花を「オタクサ」として紹介したのだそうです。シーボルトが紹介した「Hydrangea Otaksa(オタクサ)」という品種は、ハイドランジャ(セイヨウアジサイ)の品種改良の基となったそうです。

シーボルトとおタキさん、紫陽花にまつわるエピソードは、長崎では紫陽花を「おたくさ」と読むほどなじみ深く、毎年5月下旬から6月中旬にかけて、「ながさき紫陽花(おたくさ)祭り」が開催され、期間中は約5000株の紫陽花が長崎市各所を彩るのだそうです。なお、ユリもまた、クリスチャンの多い長崎では、聖母マリアの花として、身近な花であるとのことです。

 

 20130920-4.jpg

2012年6月17日(日)東京都千代田区千鳥ヶ淵交差点付近にて撮影

 

また、トロイア遺跡を発掘したヨハン・ルートヴィヒ・ハインリヒ・ユリウス・シュリーマン(1822年~1890年)は、1865年6月に日本を訪れた際、「家々の奥の方にはかならず、花が咲いていて、低く刈り込まれた木でふちどられた小さな庭が見える。日本人はみんな園芸愛好家である。日本の住宅はおしなべて清潔さのお手本になるだろう。」と述べています(『シュリーマン旅行記-清国・日本』石井和子訳、1998、講談社学術文庫)。

このように、日本を訪れた海外の偉人たちが、色、姿、香りが繊細な種々の日本の花々に魅了されてきました。日本の四季のある豊かな自然にそっと寄り添い咲く花々を、愛したのでしょう。

 

2月1日にこのブログで「花」をテーマに連載を始めましたが、気づけば夏は過ぎ、いまは秋風がもの寂しく吹く季節がきました。私が毎朝の散歩で出会う、季節に寄り添うように咲く花々を見るたびに、時の流れの速さを痛感し、そして、いままでの人生で積み重ねてきた哀しみ、虚しさを突如感じることがあります。なにをもってしても埋められない、こころの空白感とでもいいましょうか。

しかし、花が芽吹き、力強く咲き、そして瞬く間に散るその姿をみると、大自然の、宇宙の永劫の営みを感じます。私という存在も、花とおなじく、宇宙のなかの一粒の塵に過ぎない小さなものです。私の思い煩いなど、宇宙という大いなるものの運行の流れに委ねるものであると悟ると、こころの空白感が、すっと満たされる気がいたします。

さて、花の香りやその成分は、近代医療が発達する以前、人間の健康のために欠かせない役割をも担ってきたそうです。これについては、次回のブログでお話します。

 

~今回の記事執筆にあたって、ランドブリーズ渡辺憲司様、ホリスティックサロン Lily セラピスト 小田島彩子様、コネックス・インターナショナル株式会社代表取締役 松浦和光様にご協力いただきました。ありがとうございました。

 

 

付録 「メンタルヘルスと鍼治療」(上)

厚生労働省が平成25年6月21日に発表した「平成24年度 『脳・心臓疾患と精神障害の労災補償状況』まとめ」によれば、精神障害の労働災害の支給決定件数は475件(前年度比150件の増)で、過去最多であり、労災請求件数も1257件で、前年度比15件の減とはなったものの、依然高水準で推移しています。

平成19年度の労災申請から、24年度に至るまで、精神面を原因とする件数が、身体面を原因とする件数を上回る状況が続いており、メンタルヘルス問題が、働く日本人の国民病ともいえる由々しき事態となっています。また、メンタルヘルスは、再発するリスクの高い病気でもあります。

メンタルヘルスの治療法として、「鍼」を使ったものも、古来より確立しているとお話しくださったのは、私が、ほぼ毎週、診療していただいている、ツチヤ鍼療所 所長 土屋喬先生です。

ツチヤ鍼療所 静岡県伊東市岡広町1-6 TEL & FAX 0557-37-3219

http://www.geocities.jp/tonkai_tsuchiya/

土屋先生に、「メンタルヘルスと鍼治療」というテーマでブログにご寄稿いただきたい、とお話したところ、平成24年9月9日に、先生が東邦大学医学部大森病院の教室で、全国の先生を集めて講演された際の講演録をいただきましたので、先生のご了承を得て、下記にご紹介します。

------------------------------------------------------------

先般NHKテレビで長時間に亘って放映された番組、アメリカで開発された物理療法とでも申しましょうか、鬱病治療の最前線をご覧になった先生方もおられるかと存じます。適切な表現では無いかもしれませんが、私の印象です。

一つは電子レンジの様なものを頭にくくり付けて治療する、二つ目は脳内に針の様なものを埋め込み、胸部に発信装置を取り付け、持続的な刺激を脳に送り続けるという方法です。
この方法により、薬剤の効かなかった抑うつ状態に対し、かなりの有効例をみるに至ったということです。しかし、鍼灸治療につきましては、鬱病に対しても、その治療方法が古来より残されております。

30~40年程前、電機針が出現しました。禁忌として頭部及び、脊髄の通電ということでした。私はその当時の禁忌を無視して、頭部の穴位に通電し、統合失調症の若い女性を治癒しました。勿論、頭部のツボに通電するという事は、私なりに安全である事を確認した上で取った方法であります。根拠については、別の機会に譲るとして、荒削りで結構ですので、是非早く体得して頂きたい。

私は現在に至るまで、それなりに改良を加えましたが、私のこの方法は、鬱病のみならず、躁病、統合失調症、性格障害症、薬物依存症等多岐に亘るメンタル疾患に対して、極めて有効である事を30数年の臨床経験により確信いたしており、また、治療による事故も一例も無く、その安全性も確認いたしております。アメリカの方法は、厚生省の認可が下りるまで、安全性のチェック等で、10年かかるといわれております。私の方法は鍼治療ですので即、実施できます。

今日にも自死する患者さんがいるかもしれません、この講座を受けられた先生方、私は、全てさらけ出しますので、荒削りで結構ですので、即、実践して臨床の場に活用される事を、願います。

------------------------------------------------------------

(付録 次回は「メンタルヘルスと鍼治療」(下)【鍼灸治療の実践と症例】です)

20130906.JPG

2013年8月30日(金)朝7:08
東京都港区芝公園にて日々草を撮影
花言葉:楽しい追憶

 

 6月22日(土)正午より、東京都港区東麻布にある中国飯店「冨麗華」2階宴会場にて、「花の懇親会」を開催しました。これは、当ブログで現在連載中の「花」をテーマにした記事について、いろいろとご教授を賜っている方々をお招きし、「花」にまつわるお話で楽しいひとときを過ごす、という趣旨で私が開催したものです。

 

 ご出席いただいた方々は下記の16名です。

 

株式会社ぷらう 代表取締役社長 石川 裕一 様
金綱社会保険労務士事務所 特定社会保険労務士 金綱 久夫 先生
ホリスティックサロン Lily セラピスト 川口 彩子様と、お嬢様(2歳6ヵ月:大変愛らしくて素直な性格でした)
草月流 師範 栗生 世津子 様
蔡 国華 画伯
全日本写真連盟 常任幹事 角 耀 様
Colline(コリーヌ) 取締役 鈴木 祥史様
NT経営研究所 寺山 智雄様
高井・岡芹法律事務所 顧問 知久 信義
トランペッター 西崎佳代子様
株式会社隆祥房 代表取締役 西村彰高様
株式会社光彩工芸 創業者 深沢信夫 様
株式会社千總 東京店 相談役 村上哲次様
一般社団法人盲導犬総合支援センター 事務局長 森田恭信様
ランドブリーズ 渡辺 賢司 様

 (あいうえお順)

 

20130906ー02.jpg

  会は、私のご挨拶から始まり、深沢信夫様に乾杯のご発声をいただいた後、お食事をいただきながら、皆さまより事前にお持ちよりいただいた「花」の写真をプロジェクターで映しだし、その花に基づくさまざまなエピソードをご紹介いただく、という流れで進行しました。 

 20130906ー01.jpg

 最後に、トランペッター西崎佳代子様による演奏(「愛の挨拶」「ノクターン」「オペラ アイーダより凱旋行進曲」)の3曲をご演奏いただきました。

 

  仕事一筋で生きてきた私にとっては、いままでの多忙な日々のなかでは、花をゆっくりと愛で、花の癒しを感じる時間などありませんでした。「花」ブログ冒頭でも書きましたが、このような私が花に興味を持つようになったのは、2011年4月にブログを始めるにあたり、文章だけではいかにも殺風景だろうから何か写真でも載せようかという動機からでした。試しに花を撮ってみたところ、それまで日々忙殺されて忘れかけていた花の美しさ、愛おしさ、可憐さに改めてひかれるようになったのです。そして、花がきっかけで、今回の懇親会を開催でき、そして、新たなご縁をいただくこともできました。これも花のもつパワーのひとつであると感じながら、会は盛況裡に終わりました。

 

 

 

付録

先般、ITビジネスと障がい者雇用を推進する株式会社アイエスエフネットの特例子会社である株式会社アイエスエフネットハーモニーを訪問しました。
アイエスエフネットグループは、障がい者ばかりではなく、生活保護者の雇用など就労困難者の雇用創造に注力された事業展開を行っているグループです。

  

 株式会社アイエスエフネット(代表取締役 渡邉幸義 氏)
  <グループホームページ> http://www.isfnet.co.jp/
 〒107-0052 東京都港区赤坂8-4-14 青山タワープレイス8F
 TEL:03-5786-2300(代表)

 

お話をお伺いすると、現在障がい者雇用における法定雇用は2%になり、数多くの企業がこの法定雇用を遵守のための採用をおこなっているようですが、なかなか解決しにくいものとなっているようです。また、精神障がい者の雇用の義務化など、この障がい者雇用率の上昇が予測されています。

現在企業担当者が悩むポイントとして、よくあげられるのが下記3点です。

① 軽度身体障がい者の採用が思わしくない
② 障がい者に関する知識不足から、精神・知的障がいの方にどのように接するべきかの術がない
③ 精神・知的障がいの方の業務スキル、相応する業務がわからない

 

上記未解決のまま社内理解も思うほどはなく、なかなか進捗しない現状があります。
このような問題点について、全国で障がい者雇用ソリューションを展開している希少な企業がこのアイエスエフネットです。
展開する“ソーシャルオフィス“というソリューションメニューが障がい者雇用に悩まれている企業の中で注目を集めているようです。

ポイントは以下の通りです。

・企業用にトレーニングされた障がい者の紹介
・障がい者のおこなう業務の創出
・自社内、自社外、地方拠点など就労場所の構築・提供
・社内の障がい者に関する理解浸透

このような総合的にも部分的にも解決できる内容となっています。

特例子会社株式会社アイエスエフネットハーモニーにおいては各社人事担当が頭を悩ませる精神障がい者の雇用・メンタル不全の問題にも早くから取り組み、その結果、設立5年7か月を迎えて精神障がい者の離職率は0%(全国平均は40%)という驚異の現場定着率を可能にするサポートの仕組みを実践しています。

 

今後、皆さまにこれら障がい者雇用の現場見学会を企画し、ご案内したいとのことですので、障がい者雇用に悩まれている経営者の皆様は是非アイエスエフネットの現場に足を運んで頂ければと思います。これまたは『百聞は一見に如かず』です。

 

(株式会社アイエスエフネット 取締役副社長  加藤寛様に
記事作成のご協力をいただきました。
ありがとうございました。)

「花」(番外編)胡蝶蘭(後半)


  前回に引き続き、胡蝶蘭についてお話します。

  806.jpg

高井・岡芹法律事務所の胡蝶蘭

 

 高井・岡芹法律事務所では、一昨年にいただいた胡蝶蘭が、一度枯れた後、昨2012年4月に2度目の花を咲かせ、また枯れて、その後また新芽が出て、今年の3月末頃より3回目の花を咲かせておりまして、現在も満開に咲いております。

 

 この胡蝶蘭よりももっと長持ちしているのが、丸ビルにある、小生とおつきあいのある株式会社新規開拓のオフィスの胡蝶蘭です。胡蝶蘭が何度も咲き、そして咲き続け、3年が経つそうです。その手入れの方法について、代表である朝倉千恵子様からご寄稿いただきましたので、ご紹介します(朝倉千恵子様は、2011年8月23日付「交友録その7」でご紹介いたしましたので、あわせてご覧ください)。

 


 

 わが社は、2010年2月10日に東京本社を丸ビルに移しました。

  その際に、お客様からお祝いとして胡蝶蘭をたくさん頂きましたが、その胡蝶蘭が3年経った今も見事に花を咲かせているのです。

 shinki-03.JPG

 

 「必ずまた綺麗な花を咲かせたい」「絶対に枯らせないようにする」という強い思いが胡蝶蘭に伝わっているのでしょうか。正直、胡蝶蘭が二度も三度も咲くとは思ってもみませんでした。

 shinki-04.jpg

 花があるうちは美しい胡蝶蘭ですが、花が落ち、針金と茎だけになってしまった胡蝶蘭は可哀想なほど見る影がなくなります。どの企業様に訪問してもお祝いで頂いた直後は物凄く美しいのですが、花が終わってしまったタイミングではその後の取り扱いに非常にお困りの様子。かといってお送り下さった方のお気持ちを考えると花が終わったからと簡単に捨てることも心苦しい。

 

 

 

 わが社も実は過去に頂いた胡蝶蘭には、頭を悩ませ、胡蝶蘭を栽培している方に、その後のお世話をお願いしたりしていました。

 

 今回は一部の胡蝶蘭は里子に出したのですが、全ての胡蝶蘭をお送りせず、自らの手(自分達)で見守り、育てていくことにしたのです。しばらくして、水やりを継続しているとつぼみを発見。何と新たな芽がドンドン出始めたのです。きっと、お願いだからもっともっと長く咲いて。もっと、長くもってほしい枯れないで・・・という強い思いが・・・、管理し、懸命に育てているスタッフの「気」が・・・、その思いと愛情が、胡蝶蘭に伝わっているのだと感じるのです。

 

 そんな当社には3年という間を通して培ってきた胡蝶蘭の育て方、新規開拓のオリジナルマニュアルのようなものがあります。懸命に育てている社員川上由佳の胡蝶蘭の育て方のまとめをご紹介します。

 

 

 <株式会社新規開拓 胡蝶蘭の育て方マニュアル>

 shinki-01.JPG

 

1.水やり頻度

・基本1日に朝1回、紙コップ1杯程度
・冬は2日に1回の時もあり
・夏はコップ2杯でも良い時もあり
・水ゴケが手で触って乾いている場合少し多めに水をあげる
  ※湿り過ぎると、根腐れをするため注意
・葉っぱを触り、やわらかくふにゃふにゃしている状態の場合は水が足りない合図

 

2.葉っぱの手入れ

・葉っぱが黄色く枯れたらその部分はすぐにカット
・特に根に近い部分は枯れやすいため黄色を残さず取る
・花が取れ、茎が枯れたら枯れた部分だけを切る
・根元からは 切らない、根元から切ってしまうと根元までの間に生きている、これから咲こうとしている芽がある可能性が高い。
・葉っぱについた埃や、水あかはおしぼりでふく

 
3.置き場所

・室温22~26℃
・東向きの会議室、日の出の光が当たる位置に置く
(日光が当たる場所が適しているようです)
・長時間陽が当たり過ぎると葉っぱが焼けるため気をつける
・レイアウト、バランスを考えて都度、社長が置き位置を変更してくださっている

 

4.その他

・針金で茎を 固定せず、自由に咲かせている
・「いつも綺麗に咲いてくれてありがとう」の気持ちで会議室に入る

 

 shinki-02.jpg

 植物も、本当に正直です。愛情をもって育てればすくすく育ち、反面、義務的な気持ちで水やりをしたり、「勝手に育て」とばかりほったらかしにすると、たちまち枯れてしまう・・・。

 まさに育てる人の「本気」「根気」「やる気」次第。「本気」「根気」「やる気」。「気」とは思いの強さ。「気」の力は本当に大きいです。

 

 

 

 わが社に長年ある観葉植物。

 あまりにも大きく育ち天井までくっついてしまったユッカ。そのユッカ(青年の木)の茎をカットし、水栽培で根っこを育て、再度、鉢に植え替えるとまたまた大きく育つ。「病は気から」という言葉がありますが、植物へも「気=強い思い」は伝わるようです。

 

 わが社の会議室で見事に咲いているこの胡蝶蘭はいつまで咲いてくれるでしょう?今も満開の胡蝶蘭が窓辺にズラリ・・・。面倒をマメに見てくれている社員に感謝します。

朝倉千恵子 拝

「花」(番外編)胡蝶蘭(前半)


001.jpg中国飯店グループ代表取締役 中條富造様からいただいた胡蝶蘭
(2013年1月26日撮影)

※ 中條富造様には、昨2012年12月7日(金)の第41回年末講演会にて、ご令室様・玲子様、ご令息・誠一様らと「G線上のアリア(バッハ)」、「白鳥(サン・サーンス)」等4曲をご演奏いただきました。

 

 祝い花としてよく知られる胡蝶蘭ですが、その理由はいろいろとあり、花持ちのよさが理由のひとつであるそうです。また、胡蝶蘭のたたずまいは、気品があり、格調高い凛とした印象を受けますから、お祝いの花としてふさわしいと考えられてきたのでしょう。

 

 環境がよければ3~5カ月以上咲き続け、手入れをしっかりと行えば何度も花を咲かせるはずの胡蝶蘭ですが、全国の生花店のホームページを見てみると、開花保証期間が1ヵ月から1ヵ月半程に設定されているようです。正直なところ、これを知り、生花店の勉強不足や、きめ細やかさの欠如を感じてしまいました。いろいろと流通上の問題はあるにせよ、「魚三層倍、呉服五層倍、花八層倍、薬九層倍、百姓十層倍、坊主丸儲け、按摩掴み取り」等という言葉のとおり、後ろ指を指されても仕方がないのではないでしょうか。

 

 002.jpg

 東京ドームで本年2月16日(土)~24日(日)まで開催された
「世界らん展日本大賞2013」にて種々の蘭を撮影

  

 生花店が、本来、胡蝶蘭がもつ、長きにわたり花を咲かせ、一度枯れても、何度も花を咲かせるその息の長い美しさを、花の愛好者に提供できるよう、まさに「気」を入れた手入れを行ってほしいと思います。

 

 

<まさに「気」を入れた手入れを>

 

 「気」とは何かということは、このブログで2011年6月17日~10月7日までの計17回、いろいろと私が思うことを書きましたが、端的にいえば、「気」とは宇宙の力、すなわち、宇宙の啓示、采配の力であると思っています。

 

 花が、咲いて、そして散り、そしてまた芽吹いて、咲き、散っていくさまを目にするとき、私は、自然、宇宙が織りなす永遠の循環のときを感じます。花に限らず、動物、そして人も、この循環のなかで、宇宙にいのちをゆだね、宇宙に活かされている存在です。生花店が、利益を上げるためだけに花を扱うのではなく、まさに「気」を入れた手入れを施し、美しい花と、それに彩られた感謝、いたわり、愛情というあたたかなこころを、わたしたちに届けてくれることを願っています。

 

 次回は胡蝶蘭の手入れ方法についてお話します。

IMGP0436.JPG

2013年5月10日(金)午前7:05
東京都渋谷区代々木公園にてツツジを撮影
花言葉:「自制心」「節制」

 

 

2月1日(金)付記事より、花をテーマに様々なことをつづっています。

 

日課としている朝の散歩で目に映るのは、まさに百花繚乱、色とりどりの花々の咲く光景です。花々の咲きほころぶ姿に、心浮き立ちますが、そもそも、花の魅力とはなんでしょうか。

 

1 花の「色」

花について勉強すればするほど、その世界の奥深さに魅了されます。まず、花は、鮮やかな色で人目を引き付けます。それゆえ、花の色彩に魅了された多くの研究者たちにより、人工的に花の色を変える試みが、品種改良や遺伝子組み換え技術等を用いて行われてきました。

 

青いバ002.jpgラは、ギリシャ神話やアラビアンナイトでは、「不在」を象徴し、ロシアのおとぎ話では、魔女に青いバラを贈ると願いをかなえてもらえるとあり、物語や詩のなかで、神秘、秘密、愛、永遠の夢などの象徴として伝えられてきたそうです(後述の「サントリーブルーアプローズ」案内パンフレットより)。

 

青いバラを人工的に作り出すことは、以前は不可能だといわれていたそうですが、他の花から色素を作る酵素のDNAを組み入れる試みで生産が成功し(ただし、元の花と同じ発色は難しいそうです)、2004年にサントリーホールディングス株式会社が青いバラの開発の成功を発表しました。「青色色素が花びらに存在する、世界初の青いバラの誕生」と大きな反響を呼び、2008年に生産販売に必要な認可を取得、2009年から「サントリーブルーローズ アプローズ」(花言葉「夢 かなう」)として発売されています。

001.jpg 

も、早速、一輪購入しました。色は、思っていたよりも青くなく、どちらかというと紫にちかい印象を受けましたが、特筆すべきはその香りです。届いた箱を開けた途端に、豊潤な香りがふわりと漂い、その名前(アプローズは英語で「喝采」の意味)にふさわしい華やかさを感じました。

 

最近では、千葉大学と石原産業株式会社とが共同で、青色系のダリア(2011年)、胡蝶蘭(2012年)の開発に成功しているそうです(2013年2月10日付日本経済新聞)。

 

また、先日、ふと街の花屋を眺めていましたら、見たこともない黒色のバラが売られていました。よくよく観察して見ると、花は赤黒く、葉は青黒く、けれど全体的にはやはり「黒」といっていいバラでした。珍しく思い、店員に、この花の名前を尋ねたところ、「まだ新しい商品で、名前は無い」とのことでした。興味が沸いてインターネットで調べてみると、上述の青いバラ同様、実現は不可能といわれていたそうですが、青バラが成功したことにより、実現可能といわれるようになったそうです。

 

しかし、黒色を出すには、青、赤、黄色の色素が揃わなければならず、現時点では完全にはまだ成功していないということです。現在商品化されている黒バラ(「ブラックバカラ」など)は、黒く見えても、実は濃厚な赤色のバラなのです。しかしながら、花屋で私が見た「まだ名の無い黒バラ」は「ブラックバカラ」に比して、もっとずっと黒く見えるバラでした。このバラには、一体どんな名前がつくことでしょう。昨今の開発技術を鑑みれば、真紅とは異なる、本当のブラックローズが誕生する日もきっとそう遠くないと思います。

 

 

2 姿、佇まい

さて、花は、色はもちろんのこと、複雑な形の花弁などの姿、佇まいで、私たちを楽しませます。種々の花々のかたちの各々の特徴は、実は、植物の生存戦略から来るものであるそうです。

 

たとえば、サトイモ科のカラーは、白くて大きな筒状の花弁(この花弁は、正確には「仏炎苞〔ぶつえんほう〕」と呼ばれるそうです)を持っています。これは、花粉を運ぶ昆虫を内部に長くとどめておくことで、受粉率を高めるための構造といわれているそうです。また、ハチドリなどの鳥類を惹きつける花は、赤やオレンジなどの華やかな色をもつ傾向にあります。チョウやハナバチを媒介とし繁殖する植物は、エンドウやヒマワリのように、大きく目立つ複雑な花をつけます。植物は動くことができませんから、他者(昆虫や動物)の力を借りて花粉や種を輸送してもらうために、彼らを誘惑する様々な美しい姿をもつ花をつけるようになったのだそうです。

 

 003.JPG

2011年11月28日(月)朝6:53 東京都港区芝公園にてカラーを撮影
花言葉『素敵な美しさ』(掲載:2011年12月2日付け記事)

 

また、世の中には食虫植物と呼ばれる、葉や茎などが捕虫器官となって昆虫等をおびき寄せ、捕えて消化吸収する能力をもつ植物があります。しかし、花が虫をおびき寄せるのは、花粉媒介を昆虫などにさせるためであり、花を使って虫を捕える食虫植物は存在しないのだそうです。

 

 『137億年の物語』(クリストファー・ロイド著、文芸春秋)には、このような記述があります。「植物が花を咲かせるようになったのは、古来の植物が試行錯誤の末にたどり着いた『友を持つことに全力を注げ』という教えに従った結果である。草や木は、花のおかげで、ほかの生物を呼び集め、それらに子孫を地球上の隅々にまで運んでもらえるようになった。花バチやガやチョウなどの飛翔昆虫が出現した時期が、花が誕生した時期と重なっているのも、偶然ではないだろう。」

 

 花の美しさは、虫や鳥等に、子孫を地球上の隅々にまで運んでもらうためにあります。動物による花粉媒介は、虫媒花、鳥媒花、コウモリ媒、カタツムリ媒など多岐にわたるそうです。花の美しさのおかげで、世界中の生物がつながるのです。虫や鳥が、花々の種を各地に運び、遠く離れた地で同じ花を咲かせることを思うと、花々、虫、鳥、動物、そしてわたしたち人間の生きとし生けるもの、すべての「いのち」は、宇宙の営みのなかで一体であるのだと実感します。

 

 初初しくつぼみをほころばせた春の木々の花も、すっかり散り去り、いまは、五月晴れの清澄な陽の光が、緑の木々をまぶしく照らします。先9日に、76歳を迎え、人生の残された日々を憂う私に構うことなく、自然、宇宙は、自身の運行を営んでいきます。季節のうつろいを肌で感じるとき、すべてのいのちは、宇宙という大いなるものの借りものにすぎないと、感ぜずにいられません。

 

 次回は花の香りについてお話します。

ご利用案内

内容につきましては、私の雑感等も含まれますので、真実性や正確性を保証するものではない旨ご了解下さい。

→ リンクポリシー・著作権

カレンダー

2024年3月
« 1月    
 123
45678910
11121314151617
18192021222324
25262728293031

最近の投稿

カテゴリー

月別アーカイブ

プロフィール

高井・岡芹法律事務所会長
弁護士 高井伸夫
https://www.law-pro.jp/

Nobuo Takai

バナーを作成