2013年12月10日(火)7:25
目黒区立中目黒公園内にて石蕗(つわぶき)を撮影
花言葉:「謙譲」「困難に傷つけられない」
花はその種類や品種それぞれで開花時間が異なります。朝顔、昼顔、夕顔などがその代表例でしょう。花の開花時間の違いを利用して考案されたものにヨーロッパの博物学者、植物学者であるカール・フォン・リンネ(1707年~1778年)による花時計があります。リンネは、Wikipediaによると、動植物についての情報を整理して分類表を作り、その著書『自然の体系』(1735年)において、それぞれの種の特徴を記述し、類似する生物との相違点を記したことで、「分類学の父」と称されているそうです。
花の開花時間は、温度と光の条件で決まるため、天候によって多少のずれがあるそうですが、ほぼ一定しており、花時計は時計回りに開花時間が早いものから遅いものをぐるりと円周に植え込むことで作ることができます(公園や広場などにある文字盤に花を美しく植え込んだものも「花時計」と呼びますが、ここでの花時計は植物の開花時間の差を利用して作るものです)。
植物は、太陽の光、すなわち宇宙のエネルギーを使って生命活動を行います。たとえば、ヒマワリは「太陽の花」と呼ばれ、太陽の方を向いて咲くといわれますが、これは植物全般に共通することだそうです。また、午後8~9時くらいから咲き始め翌朝には萎むドラゴンフルーツの花は、夜咲きで、新月の日と満月の日に開花することが多いそうです。月下美人も同様です。これには科学的な根拠はないそうですが、月に関しても、植物が宇宙のエネルギーを感じて花を咲かせているようにも思います。「幸福の木」として知られるドラセナ属のドラセナ・フレグランスは、その強い生命力から、ハワイでは家の前に幸福の木を置いておくとよいことがある、と言い伝えられているそうです。ほんとうに幸運が訪れるかはわかりませんが、夢のある話です(なお、ドラセナ・フレグランスは、室内で育てても、あまり花を咲かせることはないそうですが、ある程度大きく育ったものは、名前のとおり甘く強く香る白い小さな花を咲かせるそうです)。
ひまわりといえば、私にとっては、2002年8月に、北京から、大同市の雲崗石窟を訪れた際、車窓から見た一面、ひまわりの咲いた景色がわすれられません。また、1965年(昭和40年)のアメリカ・イタリア合作の映画『ドクトル・ジバコ』(原作はロシアの作家・ボリス・パステルナーク)のなかの、第一次世界大戦中、戦場の病院で主人公の男女が心を寄せ合うも、それぞれのお互いの家族の元へと帰っていく別れ際、たくさんのヒマワリが病院の窓際に飾られているシーンが印象的です。
さて、2013年7月6日(土)午後9時に、NHKスペシャルにて「足元の小宇宙~生命を見つめる植物写真家」という番組が放送されました。植物写真家の埴沙萠(はに・しゃぼう)さんが、私たちのまわりの自然の中にひしめく数え切れないほどの小さな植物のいのちの躍動を、レンズを通して捉えていました。余分な水分を排出したり、湿度の変化によって踊りだしたり…かすかな気候の変化や宇宙の状態を、言葉を発さない植物がそれを感じ取り、美しい花を咲かせることは、植物が辿ってきた、長い地球、宇宙の歴史を私たちに伝えてくるようで、愛おしさとともに畏怖の感情すら湧いてきます。
街角の清楚ないろどりの花々からふと目を上げれば、愛しい人たちが還っていた果てしもなく遠く高く続く天、宇宙が広がっています。わたしたちが、花を愛でるとき、癒しを感じるのは、わたしたちが宇宙のなかに生きていることを自覚し、宇宙の調和を感じることができるからではないでしょうか。人間のいのちのエネルギーは、宇宙の調和のなかで、力を得たり、与えたりしながら、バランスをたもっているのでしょう。宮沢賢治が、動物や植物と会話をしていたという話がありますが、賢治の宇宙、自然描写にとくに優れていたあの筆力は、宇宙との交流でそのエネルギーを感じていたからではないでしょうか。
宇宙が織りなす永遠の循環の時のなかで、わたしも、この循環を意識し、宇宙にいのちをゆだねると、宇宙とわたしとは、一体になり、走り続けてきた人生のなかで、わたしに積もり重なった疲れや悲しみが、ふと癒されるのです。
天にありては星。地にありては花。人にありては愛。
これ世に美しきものの最たらずや
高山樗牛(1871年~1902年)
~計19回にわたって掲載してまいりました「花」も今回をもっていったん終了し、来年1月16日(金)からは「弁護士の営業」をテーマに連載を開始します。連載では、私の50年間にわたる弁護士生活を振り返りながら、私の考える営業のコツを提示し、営業のあり方を検討していきたいと思います。これは、弁護士の方に読んでいただくだけではなく、一般企業に勤められている方、あるいは営業に直接携わっておられない方にもぜひ読んでいただきたいと思っております。ご期待ください。
なお、「花」のブログは、今後いつかまた再開することもあります。その際には、皆さまからのご意見を反映し、より良いブログを作りたいと思っております。この度の計19回の「花」ブログについて、ご意見、ご感想をお寄せいただきますようお願い申し上げます。
本年も1年間、当ブログをお読みいただきありがとうございました
輝かしい新春をお迎えくださいますよう、心よりお祈り申し上げます。
付録 草月流 師範 栗生紗世先生より
「いけばな」は一般的には室町時代の立花(たてばな)が起源とされています。立花とは、神が降りてくると言われている常緑樹の枝を高く立て、花を添えるいけ方です。その後、立花は安土桃山から江戸時代へ、よりダイナミックに豪華に発展していきます。
一方、それとは対照的に茶道の「茶花」もこの時代にわび・さびの世界の中で発展していきます。明治以降、政府が婦女子教育の一環として「いけばな」を推奨するようになると、今までの男性中心だった「いけばな」の担い手が一般の女性に移ることになりました。そして現在「いけばな」は「IKEBANA」として、国際語にもなっていて、日本の伝統文化のひとつとして世界中で注目されています。
ここで少しヨーロッパのフラワーアレンジ(お花屋さんで売っているカゴなどに入ったアレンジ)と「いけばな」の違いをお話ししたいと思います。まずは西洋庭園と日本庭園の違いを思って頂ければわかりやすいと思います。前者の多くは、はっきりしたフォルムの木や花をシンメトリーに配しています。一方、日本庭園はどこから見ても、全て違う表情になるよう、木も枝ぶりを活かし、石などもアンシンメトリーに配しています。「いけばな」も同じく、その枝の線の流れを活かし、大きく空間を取り、そこに風を感じさせるようにいけます。空間を埋めていくフラワーアレンジとは全く異なものと言えます。つまりそこには「風情」「風流」という日本独特の美意識が盛り込まれているわけです。
また、日本の場合、花と言えば梅・桃・桜など花木を指すことが多く、ヨーロッパでは花と言えば花の顔そのものを指すのも、不思議な違いです。そのことからも、枝ぶりを活かす「いけばな」と、花の顔をたくさん前面に見せるフラワーアレンジとの美意識の違いがわかります。
私が「いけばな」を始めて、今年で40年になります。ここ20年は「いけばな」を仕事(「教える仕事」と「いける仕事」)としてきました。
◎ 「教える仕事」
市ヶ谷教室と麻布十番教室、企業の華道部、単発の講習会などで指導しています。
教室運営も、時代とともに、月謝制からワンレッスン制(1回\3400)へ。開講時間も22時までに延長し、できるだけ出席しやすいよう考慮しています。習い事をする時間が減少している昨今、なかなか厳しい状況ですが、海外に出る機会も増え、改めて日本の文化を学んでみたいというニーズの手応えも感じています。「花のある暮らし」を実現するためにも、是非気軽に入門して頂きたいと願っています。
◎ 「いける仕事」
レストランや企業の受付などに定期的にいけています。「いけばな」があると、その空間が実にイキイキと輝きます。レストランではお客様への最高のおもてなしになります。企業では、その企業の格が間違いなく上がります。ご依頼頂けましたら幸いに存じます。
◎ 世界に誇る日本の「いけばな」
私の夢は、色々な所でIKEBNAに出会える日本(少なくとも東京)にすることです。
ほとんど毎日どこかでいけていますが、不思議にも飽きることが全くなく、毎回新鮮なのです。数ある流派の中でも草月流は古典を伝承していくと言うよりも、「いけばな」で自分を表現するという流派ですので、私に合っているのでしょう。皆さまが思い描く「いけばな」のイメージとは、かなり違うのではないでしようか?とてもダイナミックでクリエイティブでエキサイティングな世界なのです。
草月流 栗生紗世
栗生先生への各種お問い合せ(市ヶ谷教室、麻布教室、出張いけばな、単発の講習会等々)は下記のとおりです。
電話 03-3366-2078 メール sayo@marronborn.com