「花」の最近のブログ記事

  20130503.JPG2013年5月1日(水) 静岡県熱海市 MOA美術館にてパンジーを撮影
花言葉:「物思い」「思慮深い」

 

 

前回に引き続き、全日本写真連盟 常任幹事 角耀様に、私が4月2日(火)に角様から写真撮影のご指導を受ける以前に撮影してきた写真を講評していただきます。

角様からご指導を受けながら、感じたことは、いままでの私の撮影のスタイルが、漫然とカメラを向けてシャッターを切るだけであったということです。

角様からは、いろいろと技術的なことも教えていただきましたが、機械に疎い私にとって、何よりも勉強になった点は、「ピントの合わせ方」です。「人が生き生きと映るようにするには、目にピントを合わせる。」「花を撮るときは、めしべ、おしべ、花の中心にピントを合わせる。」と教えていただきました。

そして、「ピントを合わせる」「光を意識する」ためには、被写体を、撮影者たる自分が、しっかりと見つめなければなりません。ファインダーをのぞいた瞬間、被写体への想い―それは愛情であったり、癒しであったり、活力みなぎる若さへの嫉妬であったり、花であれば、枯れゆく花への惜別の感情かもしれません―を自覚します。私が、花々を見るとき、癒され、こころを動かされるのは、花と自分との対話であり、自然との交流であり、宇宙との共鳴です。写真は、花と私の、対話、交流、共鳴という目に見えない、触れることもかなわない、微かなつながりを、かたちとして表わし、残してくれるのです。

これから、不定期で、私の撮影した写真を角様に講評していただき、75歳の手習いとして、カメラの世界に足を踏み入れたいと思っています。ブログ読者の皆様の写真撮影の参考にもなるでしょう。では、角先生、よろしくお願いいたします。

 

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<13>2012
年6月26日 東京都千代田区北の丸公園にて雨上がりの梔子を撮影(掲載:2013年3月1日付記事)

角先生からのコメント
花の位置(バランス)がいまいちです。めしべへピントをきっちりと合わせましょう。水滴は無くても自然のままの方がよいと思います。この場合の白い花の露出はなかなか難しいですがぴったりです。

 


<14>2012
年6月17日 東京都千代田区千鳥ヶ淵交差点付近にて紫陽花を撮影(掲載:2013年3月1日付記事)

角先生からのコメント
全体の花の位置関係をもっと整理し何を撮っているのかを明確にすると良いと思います。

 


<15>2012
年9月16日 東京都港区芝公園にて白い百日紅を撮影(掲載:2013年3月1日付記事)

角先生からのコメント
花への焦点がしっかり合うと、花の存在がもっと強くなります。ちょっとカメラを傾けてファインダーにとらえ写し込む工夫のチャレンジはとても良いです。

 


<16>2013
年3月3日 神奈川県川崎市麻生区 ホテルモリノ新百合丘にて凛凛花を撮影(掲載:2013年3月 8日付記事)

角先生からのコメント
気品を感じるように写していて安定感が有り良いです。

 

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<17>2011
年10月10日 千葉県若葉区小間子町 風戸農園付近にて撮影(掲載:2011年10月18日付記事)

角先生からのコメント
奥行きがあり情景からいろいろなイメージがわいてくる写真です。奥の家の屋根が切り取られているのは見る人にとって気になります。手ぶれに気をつけましょう。

 

 
<18>2012年10月20日 東京都渋谷区代々木公園にてコスモスを撮影(掲載:2013年3月 8日付記事)

角先生からのコメント
コスモスの咲き乱れている様子にカメラを向けたことは素晴らしい。構図として奥の日陰の黒は画面全体を引き締めてとても効果的です。左と下の花の無い部分をトリミングして切り取るとさらに主題がはっきりとしてきます。(写真を撮るときから構図を決めましょう)。

<トリミング例>

 

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<19>2012
年2月24日 東京都千代田区一番町付近にて椿を撮影(掲載:2013年3月 8日付記事)

角先生からのコメント
背景のボケを活用することができたらさらによくなります。花の上のスペースをちょっと作ってやるとよかったです。微笑みかけているような感じでとてもよい花の角度です。

 


<20>2011
年4月4日 東京都千代田区国立劇場にて撮影(掲載:2013年3月15日付記事)

角先生からのコメント
まさに春まっ盛りを感ずる写真です。空の部分のスペースと不思議な建物とのバランスがとてもよいです。

 

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<21>2013
年3月17日 静岡県静岡市清水区馬走 日本平ホテルのお庭付近にて大島桜を撮影(掲載:2013年3月22日付記事)

角先生からのコメント
雲と遠景の街の輝きが春の訪れを感じさせるのにとても効果的でとてもよいです。花の枝の先が町にかからないようにするとさらによいのでは。数センチ体を沈めると離れます。

 


<22>2013
年3月28日 東京都目黒区中目黒 中目黒公園にて源平花桃を撮影(掲載:2013年3月29日付記事) 

角先生からのコメント
白と赤の乱れ咲くさまをとらえとても面白い。左の端の(建物が無くなる)白い部分の背景をカットするような位置に移動して撮りたかった。

 


<23>2013
年3月9日 東京都港区麻布十番二丁目付近にて撮影(掲載:2013年3月29日付記事)

角先生からのコメント
カメラアングルをちょっと下にして手前の花を青空の中に入れ花をもう少し上にした構図にしたらよいのでは。咲き乱れている枝を見つけてカメラを向けシャッターを切ったことは素晴らしい。

 


<24>2012
年4月26日 東京都千代田区ニューオータニ前でハナミズキを撮影(掲載:2013年3月29日付記事)

角先生からのコメント
選んだ一輪の花の表情は面白いです。ピントは中心にピシッと合うとさらによくなります。左上の白い部分が強いので処理を考えたかった。

 

  


<角先生より最後に一言>

全体に、見落としてしまうような、被写体を見つけ出してカメラを向けシャッターを切っていることはとても素晴らしい。
カメラそのものの性能と思いますが、ピントを置く位置をきちっと決めそこに合わせて撮りましょう。
ファインダーの中を隅から隅まで良く見て、いらないと思われるものが写り込まないように気をつけましょう。
主役の花の後ろには背景があります。背景によって主役が引き立ちます。背景が強いと主役が死んでしまいます。写真を写すとき主役だけでなく脇役(背景を含む)も見て自分の撮っている位置や構図などを決めて撮りましょう。

 

 

 

角先生、ありがとうございました。 

先生からのコメントを拝読し、一枚の写真から、すべてをお見通しであることに感動いたしました。先生からお教えいただいたこと-具体的には、(1)構図、(2)ピント(主役を入れる)(3)ブラさない(固定する)-を念頭におきながら、私が4月2日以降に撮影した写真について、またの機会に、講評いただこうと思います。その時には、今回よりも、よい評価をいただけるよう、日々精進したいと思います。

 

なお、私が一番感動した写真は、北海道の美瑛にある「拓真館」で拝見した風景写真家の前田真三先生(1922年~1998年)の作品です。私が前田先生を存じ上げたのは、弊所ともお付き合いのある株式会社山下設計が毎年作成しているカレンダーの写真が、2004年までの数年間、1月から12月まで、毎月すべて前田先生の作品を採用していて、その作品に魅かれたのが始まりです。同社の代表取締役副社長 藤田秀夫様にお聞きしたところ、前田先生の作品を使ったカレンダーは非常に人気が高く、いまはもう在庫がなくなっているとのことでした。「拓真館」には、学校法人旭川大学の元事務局長 大石紘也様にご案内していただき訪問いたしましたが、一枚の写真を撮るにあたって、長時間にわたって緊張感を持続させ、自然、宇宙の営みが描き出す、うつろいゆく色彩の「光」を捉えた作品の数々に、心を奪われました。特に、「塔のある風景」が印象に残っています。

 

角様からの「被写体の人物の目にピントを合わせる」、「めしべ、おしべ、花の中心にピントを合わせる」というご教授も、光を意識するということにつながると思います。人も、花も、生き物です。光を求めて呼吸し、生きています。光を意識して写真を撮ることで、被写体のいのちの鼓動を、写真のなかに残すのです。被写体のいのちが果ててしまった後でも、写真のなかには、懸命に生きた在りし日の華やぎは失われません。

 

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 2013年4月17日(水)15:11 静岡県伊東市岡広町にてシャガを撮影
花言葉:「反抗」「抵抗」「決心」

 

 2011年4月1日にこのブログを開設してから、毎回の記事に、私が撮影した花の写真を掲載するようにしています。これらの写真は、毎朝の散歩や旅先で撮影しています。

 

 2月1日から「花」をテーマにブログ記事を連載していますので、花の写真を掲載する機会も多くなってきたのを受け、全日本写真連盟の常任幹事を務められており、当事務所の行事の折々に、写真を撮影してくださっている角耀(すみ・あきら)様に、花の写真の撮り方のコツを教えていただこうと、申し入れたところ、ご快諾いただき、4月2日(火)に、はじめて写真撮影のレクチャーを受けました。

 

 角様からご指導を受けて学んだことは、次回のブログで書きますが、今回のブログでは、4月2日(火)以前に私が撮影した写真、すなわち、角様からご指導を受ける前に撮影してきた写真を、角様に講評していただきます。では、角先生、よろしくお願いいたします。

 

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 <1>2013年1月27日 東京都八王子市南浅川町うかい竹亭にて山茶花を撮影(掲載:2013年2月 1日付記事)

 

角先生からのコメント
花にピントが合っていないのが残念。バランスとして花半分ぐらい下げる、そのことによってコントラスト差の調整もうまくいき花弁の色飛びも調整できます。写真として冬の暖かそうな陽ざしをいっぱいに受けた穏やかな雰囲気が伝わってとてもよいです。

  

<2>2012年12月2日 神奈川県横須賀市佐島「地魚料理 はまゆう」にて彼岸花を撮影(掲載:2013年2月 1日付記事)

角先生からのコメント
青空と、背景、その片隅に咲いている花を見つけ、撮ったことは素晴らしい。素材の空、背景、花の関係を工夫し、考えるとさらによくなると思います。せっかくの花が引き立っていないので、自分がもっと低く構えて花の背景を空にして地上のコンクリートを写らないようにするとかの工夫をしてみましょう。

 

<3>2013年2月3日 東京都渋谷区神宮前 表参道「にいがたチューリップロード」にてチューリップを撮影(掲載:2013年2月 8日付記事)

角先生からのコメント
鉢からあふれんばかりの生き生きとした花を少し上から捉えたところは面白い。花が真ん中に来るようにし(花の上のスペースをもうちょっと作る)、光のあたっている部分と影の部分が逆になっていたら(中心部分が日陰なので)斜光を受けてもっと立体感のある写真になったと思います。

 

<4>2011年8月21日 東京都台東区上野恩賜公園不忍池にて撮影(掲載:2011年8月23日付記事)

角先生からのコメント
 花の上のスペースを心もち空けてやると窮屈さが無くなります。日中のハスの花らしくしっかりと大胆に写しこんだところはとてもよいです。強い光の花と背景の日陰とのとらえ方はとても良いです。

 

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<5>2011年8月24日 中国 北京市郊外 北京語言大学にて撮影(掲載:2011年8月30日付記事)

角先生からのコメント
 咲いている空気感全体を表現していてよいです。広角で遠近感があり広さを感じます。この場合は水平をあえて斜めにすることは無い。きちっとカメラを水平にして写しましょう。また、中央の白い部分が強いのでほんのちょっと左によりその写りこみを少なくすると良いと思います。

 

<6>2013年2月8日 東京都目黒区中目黒 中目黒公園にて水仙を撮影(掲載:2013年2月15日付記事)

角先生からのコメント
 いくつもの花の重なりが団子状態になってしまいました。ぐるりと見てスイセンの花が引き立つ場所を選ぶようにすると良いです。冬の日差しの(斜光)とらえ方はよいです。

 

<7>2013年2月20日 静岡県伊東市岡広町付近にてブルーデイジーを撮影(掲載:2013年2月22日付記事)

角先生からのコメント
 バランス、背景の処理などとても良いです。残念ながらピントの合っている場所がいまいちでした。

 

<8>2013年2月11日 東京都文京区 小石川後楽園にて撮影(掲載:2013年2月22日付記事)

角先生からのコメント
 梅一輪と幹と枝振を大胆に写しこんだところはとても独創的です。特にこの様な場合、花のおしべにピントがピシッとあうと引き立ちます。

 

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<9>2013年2月20日 静岡県伊東市岡広町付近にて撮影(掲載:2013年2月22日付記事)

角先生からのコメント
 梅の花全体にピントをしっかりと合わせることで青空に凛と香る梅を感じることができます。このような写真を撮るのはポイントをどこに置くかとても難しいですね。

 

<10>2013年2月7日 静岡県熱海市 熱海梅園にて撮影(掲載:2013年2月22日付記事)

角先生からのコメント
 早春の光を受けた梅の花の一輪を写したねらいはとてもよいです。どの花にするか主になる花を明確にして写すとよいです。背景の白い部分はどうしても強くなってしまうのでどのような背景にするかをファインダーの中でよく確認して主題の花が引き立つような位置を選ぶと良いです。

 

<11>2013年2月10日 神奈川県小田原市本町 小田原だるま料理店にて撮影(掲載:2013年2月22日付記事)

角先生からのコメント
 ボケた背景の中に梅が有り全体からこの場所を想像することができる捉え方はとてもよいです。手前の花の露出をちょっと抑える(マイナス補正)とさらに良くなります。

 

<12>2013年2月23日 東京都文京区小石川3丁目付近にて撮影(掲載:2013年3月 1日付記事)

角先生からのコメント
 大胆なアピールで面白いです。背景の処理にボケの効果など一工夫があったらさらによくなるのでは。

 

 

 次回も引き続き、角先生に写真を講評していただきます。

「花」第7回:花の一生


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2013年3月28日(木)7:15
目黒区中目黒 中目黒公園にて源平花桃を撮影
花言葉:恋のとりこ、よい気立て


 

2月1日(金)付記事から、私が撮影してきた花の写真とともに、花について私が思い・感じ・考えてきたさまざまなことをつづっています。

 

 花は、こぼれおちそうな時間(とき)の経過のなかの、その一瞬一瞬で違う表情をみせ、その姿ははかなくも美しいものです。前回3月15日(金)付記事「さくら」でお話ししたとおり、人は、満開の花だけを賛美するのではなく、散りゆく花を愛おしく想い、いのちの尊さを感じます。

 

 そして、つぼみが徐々にほころぶ姿に自分自身の青年期の、満開の花の盛りをみて壮年期の、花が凋落を迎え散りゆく姿に老年期の姿を重ねて、自分自身の人生を振り返るのだと思います。西行(俗名・佐藤義清。1118年~1190年)が、常日頃から辞世句として詠っていた「ねかはくは 花のしたにて 春死なむ そのきさらきの 望月の頃」(山家集)がありますが(「きさらき(如月)の 望月の頃」とは、釈迦入滅の時節である陰暦2月15日、ちょうど満月の頃を意味し、新暦では3月下旬~4月上旬頃であり、ちょうど桜が満開の時期です)、西行は、桜が満開に咲く美しい情景を思い描きながら、そのなかで、みずからの残された人生、やがてくる死をみつめていたのではないでしょうか。なお、西行は1190年、陰暦の2月16日に入寂しましたので、この辞世句の彼の願望は現実のものとなりました。

 

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2013年3月9日(土)東京都港区麻布十番二丁目付近にて撮影

 

 「散る桜 残る桜も 散る桜」と誰かが詠いましたが、私も76歳を間もなく迎え、この歌が身に沁みるような思いがいたします。花曇りの空のもと、またたくまに花風に流されゆく零れ桜の姿に、年老いたわが身が抱える数々の病の疼きも相俟って、私が辿りゆく残された人生の行方を重ねてしまいます。しかし、私が散るのはいつになるかはわかりませんが、残された人生の中で仕事を続け、いささかなりとも社会に貢献し、散り際の花を、そっともう一花咲かせられればと願います。

 

 そして、散る花もあれば、咲く花もあります(これは、NHKBSプレミアムのBS時代劇「薄桜記」〔2012年7月13日~9月21日放映〕の台詞の一つでもあります)。桜が散ってしまったあとには、たとえば、ハナミズキが白やピンク、赤の花を満開に咲かせてくれます。

 

 ハナミズキといえば、私が、イセ文化基金理事長、イセ株式会社、イセアメリカ株式会社等々のイセグループ各社の会長を務められている伊勢彦信様とともに、ニューヨークで1989年4月に日米美術協会を立ち上げる際に、ご協力いただいたご縁でお知り合いになった、元米国三井リーシング社長の青木博様のニューヨークのハーツデールのOld Farm Lane(古い農家通り)に面したご自宅のお庭で、同年5月に見たハナミズキがとても美しかったのを憶えています。

 

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青木博様のご自宅のお庭のハナミズキ
二階の寝室の窓ごしから美しい花を見せてくれるとのことです

 

今回の記事を書くにあたり、青木様のご自宅のお庭に咲いていた美しいハナミズキの凛とした佇まいの光景とともに、青木様との遠い昔の思い出がふと甦ってまいりました。そこで、ご連絡をとりましたところ、3月2日(土)付で上記のハナミズキの写真を頂戴し、久しぶりに心の交流ができたことを大変嬉しく感じました。青木様は、現在、Japanese American Social Service Inc.という東部アメリカにすむ日本人援護団体のお仕事に従事されているとのことです。御令室様 壽子様は、2009年10月に山梨県の平山郁夫シルクロード美術館主催の「第1回絵手紙コンテスト」で、特別賞を受賞されたそうです。ご夫婦は、80歳をこえられたとのことですが、これからもご一緒にお健やかに、ますます充実した素晴らしい日々をお過ごしになられますようお祈りしております。また、壽子様の作品を一枚いただきたい旨と、次回、博様が訪日される際には是非ともお会いしたい旨、ご連絡いたしました。

 

 日米美術協会を立ち上げる際には、在ニューヨーク総領事大使閣下 英正道様にもご協力いただきました。英様は、当時、私と伊勢様が、日米美術協会には公的なご協力もいただかなくてはと思い、総領事館をアポイントもなしにお訪ねした際、応接室に通していただき、気さくに引き受けてくださいました。英様、青木様ご夫妻には、日米美術協会の発会式にもご出席いただき、司会は、当時JAL International Service Inc.の取締役会長でいらした藤松忠夫様にお願いし、英正道様には、主賓としてスピーチをしていただきました。当時親しくさせていただいたみなさまとは、ずいぶんと長い間ご無沙汰してしまっていますが、何かの機会に、またお会いしたいと願っております。

 

 なお、藤松様には、藤松様が「終の棲家にしたい」とおっしゃるほどのアリゾナ州のツーソンをご紹介いただき、「ローズ ベンタナ・キャニオンリゾート」というホテルに何度か(たしか2回だったと思います)宿泊したことがあります。同ホテルは、広いゴルフ場に面していて、大きなサボテンがたくさんあったのを憶えています。

 

 さて、青木様によると、ハナミズキはアメリカではドッグウッドと呼ばれ、ヴァージニア州の州花に指定されているそうです。私が青木様のご自宅を訪れた1989年の頃に比べて、お庭のハナミズキの勢いはなくなり、2本のうちの1本は大雪にやられ、昨2012年に百日紅に植え替えたそうです。しかし、最近、お庭の裏に流れる小川のなかに、小さなハナミズキの木が新たに育ち始めたそうで、これを水のなかからお庭に植え替えたとのことです。

 

 私の人生の盛りに出会ったあのハナミズキが残した新たないのちを、私が見ることは叶わないでしょうが、瞬く間に過ぎ去った私の人生など関係なく、ハナミズキは、いつの日か立派に成長し、見事な花を咲かせてくれるでしょう。

 

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2012年4月26日(木)東京都千代田区ニューオータニ前でハナミズキを撮影

 

 花が枯れたあとには、果実ができ、種ができます。その種がまた芽吹き、成長し、美しい花を咲かせてくれます。花の詩情豊かな一生が見せてくれる時々の表情に、美しいと感嘆するとき、わたしたちの誕生から死までのはかない一生のなかの、数々の幸せだった日々の情景や、悲しみの瞬間が、ふと呼び起こされるような思いがします。わたしたちは、花のように、つかの間の生を過ごし、たちまちに散ってしまいますが、四季はめぐり、わたしたちの子、孫たちによるあたらしい暦がはじまり、瑞々しい花を咲かせてくれるのでしょう。

 

~ 今回の記事執筆にあたり、青木博様、壽子様ご夫妻にいろいろとご教授をいただきました。ありがとうございました。

「花」第6回:さくら


 

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2013年3月13日(水)14:47
静岡県伊東市岡広町付近にてアザレアを撮影
花言葉:節制

 

 

2月1日(金)付記事から、私が撮影してきた花の写真とともに、花について私が思い・感じ・考えてきたさまざまなことをつづっています。もうすぐ花見のシーズンが到来しますが、私も、ひと雨ごとに近づく春を感じながら、毎朝の散歩でカメラを手に、満開の桜を、いまかいまかと待ち望んでいます。

 

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左:A.S技術士事務所 所長 角耀(すみ・あきら)様撮影の桜:2012年4月1日(日)新宿御苑にて(角耀様は、全日本写真連盟の監事を務められており、当事務所の行事の折々に、写真を撮影してくださっています。)

 

日本で「花」といえば桜を意味するほど、桜は日本を代表する花として親しまれてきました。桜の開花時期には、桜の木々のもとに人々が花見に集まりますし、この文化は、古くから山野に桜の花を訪ね求めて楽しむことを桜狩りと呼びます。単に「花」というだけで、平安時代後期以降の和歌では桜花を指すそうです。また、和歌だけでなく、日本画や陶芸等の美術作品にも、桜が多く描かれてきました(花と美術については、今後のブログで述べたいと思います)。

 

 

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これは、先日孫娘の誕生に際してプレゼントした、江戸時代末期から明治初期にかけて活躍した浮世絵師、二代目歌川国貞(1823年~1880年)の作品です。木々の緑と桜の紅、水辺の爽やかなせせらぎ、春の宵を楽しむ子どもたちの歓びの声が伝わってくるように感じます。

 

さて、アメリカ合衆国の首都ワシントンD.C.のポトマック河畔の桜並木の桜は、明治の終わりごろに、大統領ウィリアム・タフト夫人の希望により、1912年に尾崎行雄東京市長が贈呈したもので、送られた桜の苗木は、東京の荒川堤の五色桜を穂木にしたものだそうです。いまでも、毎年のごとく、日本の新聞やテレビで報道されますが、日米友好のシンボルとして、開花時期の頃には例年「ナショナル・チェリー・ブロッサム・フェスティバル(桜祭り)」が開催され、「桜の女王」をはじめ、小さな子供から大人まで参加する華やかでいかにもアメリカらしい楽しいパレードなどが繰り広げられ、多くの人々に親しまれているそうです。

 

また、中国の武漢大学桜花園の桜は、1938年に武漢を攻略した日本軍が慰問のために負傷者収容施設の側に植えたものだと伝えられているそうですが、1972年の日中国交正常化によせて、田中角栄首相が周恩来総理に贈った150本の桜のうちの50本が、同地に植えられているそうです。武漢大学桜花園の桜は、日本軍侵略の象徴でもあり、同時に、日中友好の象徴でもあるのです。戦前から植えられていた桜とあわせると、1000本余の桜が満開になるシーズンには、多くの観光客が訪れるとのことです。なお、1997年には、青森にあるみちのく銀行が武漢事務所を開設したのちに、武漢市東湖風景区管理局と共同で10ヘクタールに5000本もの桜を植栽したと聞きます。

 

このように、日本の象徴である桜は、各国との架け橋としての役割を果たすかのように、春になると各地で春空を美しく染めています。

 

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(2011年4月4日(月) 朝8:16 東京都千代田区国立劇場にて撮影)

 

さて、「三日見ぬ間の桜」という言葉どおり、桜はあっという間に散ってしまいます。第二次世界大戦以前の日本の軍歌に、「歩兵の本領」という歩兵を謳った歌で「万朶〔ばんだ。多くの花、という意味〕の桜か襟の色 花は吉野にあらし吹く 大和男子と生まれては 散兵戔の花と散れ」(歌い手によっては、吉野を「隅田」と歌う場合もあります)という歌詞があります。不利な戦況になったとしても、最後は歩兵の突撃によって敵陣を占領し勝利を挙げろ、いう意味だそうです。まさに「死に花を咲かせる(死ぬ間際にはなばなしいことがあって、名誉を死後に残す)」の世界ですが、桜と同じようにいのちをはかなく戦場で散らした当時の若い兵士たちを思うと心が痛みます。

 

また、桜の花が散りゆくさまについては、「いつのまに 散りはてぬらむ 桜花 面影にのみ 色を見せつつ(凡河内躬恒・後撰集)」等、数多くの和歌に詠まれてきました。一夜の雨、一陣の風に散ってしまう桜は、人生のはかなさを痛感させるような、胸打たれる思いがしますから、先人たちは桜の姿を自分自身に照らし合わせ、和歌を詠んだのでしょう。

 

桜のほかにも、たとえば、ジャスミンの香りをやわらかく、清々しくした印象の強い香りがする月下美人の花は、白い大輪で、夜に咲き始め翌朝までの一晩でしぼみ、散ってしまうことで有名です。また、月見草は、その名のとおり、月が現れる夕方から朝にかけて咲き、朝になるとしぼんでしまいます。このほかにも、ドラゴンフルーツの白い花も一日花ですし、赤やピンク、黄色等の派手な色合いのアメリカ合衆国ハワイ州の州花でもあるハイビスカスは、夜の9時ごろに開花し、夕方にはしぼんでしまいます。

 

※ 一般に月見草と呼ばれる花は、「富士には月見草がよく似合う」と太宰治が『富嶽百景』で紹介したオオマツヨイグサ(大待宵草)を指すそうです。「月見草」という名前がつく「ヒルザキツキミソウ」は、白からピンクに変わり、日中開花する園芸種であるそうです。

※ ハイビスカスは、昨今の品種改良で、数日間開花し続ける品種も生まれたそうです。

次回のブログでは、花のはかない一生について、お話ししたいと思います。

 

~ 今回の記事執筆にあたり、ランドブリーズ 渡辺憲司様、株式会社浦上蒼穹堂 代表取締役 浦上満様、フラワーショップ華曜日 荒川智彦様、積水ハウス株式会社 常任監査役 久保田芳郎様にいろいろとご教授をいただきました。ありがとうございました。

「花」第5回:季節を彩る花々(3)


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2013年3月3日(日)11:00
神奈川県川崎市麻生区 ホテルモリノ新百合丘にて凛凛花を撮影
 ※ 凛凛花はアネモネの新品種
   アネモネの花言葉:はかない恋、清純無垢、可能性

 

 

 2月1日(金)付記事より、私が撮影してきた花の写真とともに、花について私が思い・感じ・考えてきたさまざまなことをつづっています。今回は、前回前々回に引き続き、私の好きな花の香りと、花についての和歌、俳句も少し織り交ぜながら、秋、冬の花についてお話します。

 

  秋は、冴えわたる空と月、そして趣のある美しい草花の多い季節であると思います。たとえば、10月頃に開花する金木犀や銀木犀は、秋の到来を感じさせる甘く強い華やかな香りを放ちます(金木犀の方が、その香りがより強いそうです)。香りも印象的ですが、オレンジの金木犀、白の銀木犀の小さな花びらが、はらりはらりと散り、地面を鮮やかに染める様は正に秋の風物詩といえるでしょう。また、ドライブの道すがら、漢字で「秋桜」と書くコスモスの花が、秋風にたおやかに靡く風景をよく目にしました。コスモスは、花びらが星々のように美しく整然と並ぶ様子から、秩序、宇宙と同じ名前の由来を持つのだそうです(日本経済新聞2012年11月10日夕刊「あすへの話題」)。

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2011年10月10日(月)千葉県若葉区小間子町 風戸農園付近にて撮影
※ 風戸農園については、2011年10月18日(火)付記事【交友録その14】もご覧ください。

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2012年10月20日(土)東京都渋谷区代々木公園にてコスモスを撮影

 

  冬の寒々しい冬枯れの印象から花をイメージする方は少ないかもしれませんが、冬に美しい花をつける花もあります。晩秋から冬にかけての寒い時期に、華やかな色の花を咲かせる山茶花は、そのとりどりの色だけでなく香りも魅力的です。山茶花の花は、赤や、白、ピンクなど様々ですが、香りはそれぞれ違い、白はふんわりと淡く優しい香りで、赤やピンクの山茶花は白のものに比べるとやや濃い、ジャスミンのような甘い香りがするそうです。なお、山茶花は、日本原産の樹木であり、英名も「Sasanqua」で、「サザンカ」と読んで通じるのだそうです。山茶花の花びらが、艶のあるその濃い緑の葉の上に、1枚、また1枚と散るさまは、冬枯れのもの淋しい季節にあっては数少ない貴重な彩飾のひとつといえるでしょう。

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 2013年1月27日(日)東京都八王子市南浅川町うかい竹亭にて山茶花を撮影

 

 また、山茶花とよく似た花木に椿(中国で山茶花と書くと、椿を指すそうです)がありますが、椿の花は山茶花とは異なり、散るときには花首(はなくび)ごと落ち、そのさまは「落ち椿」と表現されます。そして、介錯を連想させることから、古来、武家社会では忌み嫌われ、武家屋敷には椿の木を植えられることは稀であったそうです。現在でも、武家の家系の家では、庭に椿の木を植えない家庭は多くあるそうです。しかし、茶の湯では、椿の花は冬の茶花の代表格でもあります。武士(もののふ)の茶人は、冬の茶事の折には床の花入れにどのような花を生けていたのだろうか、と思うことがあります。

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2012年2月24日(金)東京都千代田区一番町付近にて椿を撮影

 

 そして時はめぐり、また花の咲きほころぶ春が訪れます。春の花については先週、先々週のブログに書きましたが、早春(2月頃)、まだ寒い時期に満開を迎える椿寒桜(つばきかんざくら)は、私の好きな曲のひとつである1949年(昭和24年)に発売された藤山一郎さんと奈良光枝さんのデュエット曲『青い山脈』に登場します。

 

 戦後間もない昭和22年に発表された石坂洋次郎氏の青春小説を原作とする映画の主題歌であったこの曲は、「若く明るい歌声に 雪崩は消える 花も咲く 青い山脈 雪割桜(※椿寒桜の別名)」というフレーズにあるとおり、まだ極寒の2月頃、ちらちらと、ひとつ、ふたつとつぼみがほころびはじめる椿寒桜を、冬の(戦争の)時代の終わりと、戦後の希望に満ちた時代への幕開けを告げる花として歌われています。

 

 3回にわたって、季節ごとに咲く種々の花々について書くにあたり、いろいろと調べてみると、その花々の個性にあらためて魅了されます。花は、うつりゆく季節に寄り添うように、咲き、何気なくとも愛おしい日々の背景に、そっと彩りを添えてくれます。

 

 そして、花は、季節のうつりゆくさまとともに、芽吹き、成長し、開花し、そして満開に咲き誇り、くずれおちるように散り、朽ちていきます。花だけでなく、植物、動物、わたしたち人間、地球、宇宙に生き死ぬすべてのいのちも、いずれも生まれては消えていく、はかない存在です。

 

 「巡りくる 去年〔こぞ〕に変はらぬ 花の季節 うつろひゆくは わがこころなり」
(江口君子「追憶」より:『足利文林』第76号)

 

 春夏秋冬、朝な夕なの花の姿のなかに、時のうつろいをふと感じるとき、私は些かの感傷をもって、これまでの人生を思わずにいられません。

 

~ 今回の記事執筆にあたり、川口彩子様、石草流生け花 家元後継 奥平清祥様、冷泉流歌壇玉緒会 伊藤幸子様、草月流師範 栗生世津子様、ランドブリーズ 渡辺憲司様にいろいろとご教授をいただきました。ありがとうございました。

「花」第4回:季節を彩る花々(2)


IMGP3379.JPG2013年2月23日(土)13:55
東京都文京区小石川3丁目付近にて撮影
花言葉:愛、美

 

 2月1日(金)付記事より、私が撮影してきた花の写真とともに、花について私が思い・感じ・考えてきたさまざまなことをつづっています。花といえば、「花鳥風月」という言葉があるとおり、日本では、古来より、花のある美しい自然の風景や風情を重んじてきました。今回は、前回に引き続き、私の好きな花の香りと、花についての和歌、俳句も少し織り交ぜながら、季節ごとにお話します。

 

 真っ先に春を呼ぶ梅の花については、前回の記事でお話しましたが、梅の花に続いて、桃の花、杏子(あんず)の花、桜の花がつぎつぎにほころび、麗しい春の訪れを私たちに告げてくれます。

 

 関東では桜よりも少し早く咲く桃の花には、ほとんど香りがありません。桃の香りというと、桃の果実の甘く瑞々しい香りを思い浮かべてしまいますが、実際には全くしないとのことです。桃の鮮やかなピンク色を目にすると、かつて、地方に出張に赴く際によく通った、中央自動車道等の車窓からみえる山梨県南アルプス市の桃源郷の、富士山を背景に、桃の花々がのどかな春の空に映えた風景が懐かしく思い出されます。桃の花の控えめな美しさは「桃李不言下自成蹊」(桃李もの言わざれども下おのずから蹊を成す:桃や李〔すもも〕は言葉を発することはないが、美しい花と美味しい実の魅力にひかれて人々が集まるから、その下に自然と道ができる。桃や李は、徳のある者のたとえで、優れた人格を備えた人のまわりには、その人を慕って自然と人が集まってくる、という意味)の言葉があるとおりです。なお、この言葉は、成蹊大学の学名の由来となっていると聞きます。

 

 このように、君子を説くひとつの象徴となる桃の花は、同時に、女性らしい花でもあります。桃の花、実、葉について、その瑞々しさを女性にたとえた詩「桃夭」(若々しい桃、という意味)が中国最古の詩集『詩経』に収録され、古来中国から結婚式の席上好んで詠われてきたそうですし、日本でも、上巳(「桃の節句」)が、女の子の厄除けと健康祈願のならわしとして広く親しまれています。2月22日(金)に、今年12月6日(金)ホテルグランドパレスで開催を予定している当事務所の年末講演会の打ち合わせをホテルオークラ東京で行いましたが、本館ロビーでは雛祭りのお雛さまが飾られ、桃の花も活けられていました。私の娘や、孫の初節句を懐かしく思いだしました。

 

 ※ 「桃夭」(『漢詩名句辞典』鎌田正・米山寅太郎著、1980、大修館書店より抜粋)
   桃之夭夭 灼灼其華(桃の夭夭たる灼灼たり其の花)
   
~ 若々しい桃の木には、色あざやかに花が咲き乱れている
   
之子于帰 宜其室家(之の子 于に帰〔とつ〕ぐ 其の室家に宜しからん)
   
~ そのように美しい適齢期のこの娘がお嫁に行ったら、
      その家庭に調和して、立派にやってゆくことであろう。

 

ホテルオークラの桃の花.JPG2013年2月22日(金)15:30 ホテルオークラ東京本館にて撮影
左から株式会社クレース・プランナーズ代表取締役 正門律子様、私、
コントラバス奏者 大槻健太郎様

 

 

 ところで、私は、少年時代からロマンあふれる古代史に大いに関心を持ちつづけてきました。古代史にまつわる文献をよんでいると、花と人とのいにしえからの深いつながりを実感することがあります。たとえば、邪馬台国の有力候補地とされる奈良県桜井市の纏向(まきむく)遺跡で、2009年に確認された大型建物跡から、2000個を超す桃の種が見つかったそうです。桃は、古代中国の神仙思想(道教思想の基礎となった思想)で、不老長寿や秩序を象徴する女神、西王母(せいおうぼ)の食べ物とされ、邪気を祓う神聖な植物とされてきたそうです。日本には弥生時代に伝わり、弥生時代の遺跡で、祭祀に用いられたとみられる桃の種が広く出土されているそうです(参考:2010年9月17日付日本経済新聞)。花と古代史については、いつかまたブログで書きたいと考えています。なお、この思想にもとづいて、邪気の象徴である「鬼」を、桃から生まれた桃太郎が退治する「桃太郎」のおとぎ話ができたといわれているそうです。

 

 また、杏子の花といえば、「日本一のあんずの里」として世に名を馳せてきた長野県千曲市の倉科・森地区が有名です。例年4月上旬頃に開花し、遠くから見ても里全体がうっすらと色づいているのがわかるほどだそうです。今春には、できれば山梨県南アルプス市、長野県千曲市どちらも訪問したいと願っています。杏子の種は、種の中の核(仁)にせき止め、のどの痛み等の薬効があるとされ、「杏仁」と呼ばれ、漢方で用いられているそうです。中華料理のデザートである杏仁豆腐も、薬用の杏仁とは少し違うものの、同じように薬効があるとされているそうです。

 

 また、杏子の林を杏林(きょうりん)といい、「杏林」には医者という意味があります。これは、三国時代の呉(222年~280年)に生きた董奉(とうほう)という名医が、治療代をとらない代わりに、病気が治った人には、杏子の苗を植えさせたところ、いつしか杏子の木が茂る大きな林ができたという中国の故事「神仙伝」(西晋・東晋時代〔265年~420年〕に著されたとされています)に由来するもので、杏林大学の学名、杏林製薬の社名の由来になっていると聞きます。

 

 また、桜の花については、日本では「花」といえば特に桜の花を指すほど、日本を代表する花です。桜については、また別の機会に詳しく述べたいと思います。

 

 晩春の花としては、4月頃から咲き始める山吹の花が好きです。山吹といえば、太田道灌(1432年~1486年)の山吹にまつわる伝説が有名です。ある日道灌が鷹狩りに出かけた帰りに蓑を貸りるために貧しい民家に立ち寄りました。しかし、その家に住む少女が、蓑ではなく山吹の花を差し出したので、道灌は怒って帰りました。後日、家来から「七重八重 花は咲けども 山吹の みのひとつだに なきぞあやしき」(兼明親王、後拾遺集)という歌になぞらえたのではないか、との話があり、道灌は己の不知を恥じ、この日から歌道に精進するようになったそうです。この歌のとおり、山吹は、明るい黄色からオレンジの中間の色(これを山吹色と呼ぶそうです)の花を七重、八重に折り重なるように咲かせ、春の終わりをはなやかに彩ります。

 

 そして、春の宵は過ぎ逝き、惜別の感傷にひたりつつも、次の季節、夏がめぐりきます。夏の花でいえば、まず、5月頃に開花する橘(たちばな)の花は、「さつきまつ 花橘の 香をかげば 昔の人の 袖の香ぞする」(よみびとしらず・古今和歌集)という有名な和歌があるとおり、爽やかで清々しい柑橘類(シトラス)の香りがします。橘は、昔から日本に自生していた日本固有の木ですが、いまや自生地は少なくなり、絶滅危惧種となっているそうです。

 

 梅雨時、つまり旧暦の五月雨の頃の花でいえば、白から黄色に変化する花を咲かせる梔子(くちなし)の香りに魅力を感じます。梔子の学名の種名「jasminoides」は「ジャスミンのような」という意味があるそうで、その名のとおり、甘いジャスミンの香りよりも一層甘く、やや、ふくらみを持たせたような深い香りが印象的です。梔子の花言葉はいくつかあるようですが、そのなかのひとつである「喜びを運ぶ」という言葉がぴたりと合う素晴らしい芳香です。雨上がりには特に香りが増すそうで、「薄月夜 花くちなしの 匂いけり」という正岡子規の歌がありますが、雨続きで気持ちがふさぎがちな梅雨も、このような情景に出逢える季節と思えば、とても楽しみで待ち遠しい気分になるものです。

 

梔子.JPG

2012年6月26日(水)東京都千代田区北の丸公園にて
雨上がりの梔子を撮影

 

 また、梅雨を代表する花として、忘れてはならないのが紫陽花です。私にとってもっとも忘れがたい紫陽花の思い出は、箱根登山鉄道沿線に咲く見事な景色です。私は、1973年(昭和48年)1月に事務所を開設してからしばらく後、数年間、休日に、たびたび強羅に勉強に訪れていました。その行き帰りの箱根湯本から強羅にむかう車窓からは、左右の線路わきに寄り添うように咲き、五月雨に鮮やかに映える愛らしい姿を眺めることができました。その鮮やかな花景色は、穏やかなリズムで進む登山列車と一対になって、いまも瞼に焼き付いています。

 あじさい.JPG

2012年6月17日(日)東京都千代田区千鳥ヶ淵交差点付近にて撮影

 

 夏の茶事で茶花としてよく用いられる木槿(むくげ)の花も魅力的です。

夏7月頃から秋10月頃までの長い間、白、紫、赤などの美しい花をつけます。「デリケートな美」という花言葉にもあるように、一輪摘んで生けたとき、その花の姿はとても繊細な美しさで見る者を魅了します。そして一夜でしおれてしまう儚さに、「もののあはれ」の美を感じます。

 

槿.JPGのサムネール画像

2012年8月5日(木)東京都千代田区清水谷公園にて撮影

 

このブログでも、私が撮影した木槿の写真を何度か掲載しましたが、なかでも、2011年9月23日(金)から25日(日)にかけての高知での旅の道中で、9月24日(土)に大方町上川口にある「朝鮮国女の墓」を訪ねた際に咲いていた白とピンクの木槿は格別です(木槿は、韓国の国花であるそうです。詳しくは2011年10月4日付「歴訪記」記事をご覧ください)。

 

掲載用 坂高麗ザエモン.jpg また、この3月9日に、小生の10年来の知人が結婚されます。私は、東洋古美術の専門美術商「浦上蒼穹堂」で、結婚祝いにふさわしいものを浦上満様に手配していただき購入し、その知人にお贈りしました。茶の湯には、「一楽、二萩、三唐津」という言葉があります。その作品は、萩焼の坂高麗左衛門(先代〔12代〕坂倉新兵衛氏〔1949年~2011年〕)のもので、木槿の花が描かれています。文禄・慶長の役(1592年~1598年)の際、朝鮮半島から毛利輝元によって萩に連れてこられ、兄の李勺光と共に萩焼を創始した朝鮮人陶工の李敬(1586年~1643年)を初代とする坂高麗左衛門の作品に、朝鮮半島ゆかりの木槿が描かれていることに胸を打たれる想いがいたしました。

 

 木槿のほかにも、暑い夏の日には、1958年頃、武蔵野の奥の平屋建ての家の庭で百日紅(さるすべり)が鮮やかに咲き誇っていた光景が懐かしく思いだされます。夏のうだるような暑さのなかでも懸命に花を咲かせる姿が、青年であった私を勇気づけてくれたことを憶えています。「散れば咲き 散れば咲きして 百日紅」(加賀千代女)、「杉垣に 昼をこぼれて 百日紅」(夏目漱石)、「炎天の 地上花あり 百日紅」(高浜虚子)など、晩夏の季語として、多くの俳人、歌人に詠まれています。

 

 百日紅.JPG

2012年9月16日(日)東京都港区芝公園にて撮影
残暑厳しいなか咲く白い百日紅

 

 次回の記事では、秋、冬の花についてお話ししたいと思います。

 

~ 今回の記事執筆にあたり、川口彩子様、石草流生け花 家元後継 奥平清祥様、冷泉流歌壇玉緒会 伊藤幸子様、草月流師範 栗生世津子様株式会社エール 代表取締役社長 丹澤直紀様、株式会社光彩工芸 取締役 深沢信夫様、ランドブリーズ 渡辺憲司様にいろいろとご教授をいただきました。ありがとうございました。

「花」第3回:季節を彩る花々(1)


IMGP3363.JPG2013年2月20日(水)15:11
静岡県伊東市岡広町付近にてブルーデイジーを撮影
花言葉:純粋

 

 2月1日(金)付記事から、私が撮影してきた花の写真とともに、花について私が思い・感じ・考えてきたさまざまなことをつづっています。今回の記事から2回に分けて、四季折々の花々を思うとき、よみがえる私の懐かしい思い出話も織り交ぜながら、季節ごとの花々を紹介します。

 

 「春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪冴えて 冷(すず)しかりけり」   (道元禅師)

 

 これは、川端康成がノーベル文学賞の受賞記念講演「美しい日本の私」の冒頭で紹介した、あまりにも有名な歌です。日本の自然、四季の移り変わりの美しさを、世界に向けて端的に表現した名歌であると思います。なお、旧暦の春夏秋冬を新暦に直すと、春は2月~4月、夏は5月~7月、秋は8月~10月、冬は11月~1月頃となります。

 

 花鳥風月という言葉があるとおり、日本では、古来より花がある美しい自然の風情を重んじてきました。また、いけばなの世界では、たとえば桜の花であれば、開花前に生産者が枝を切り、温室に入れて温め、桜に春が来たと思わせて咲かせて、年明け早々の新春にその桜を活ける等、季節を少し先取りするそうです。これは、四季のある日本だからこその美意識でしょう。

 

 四季折々に、それぞれの魅力的な香りを放つ花々が咲きますが、なかでも厳しい冬を乗り越え、春、美しさを競うかのように匂い立たせながら咲く花々は、人々の心を躍らせるという点で格別でしょう。これは、数々の和歌にも詠まれており、たとえば、「霞立つ 春の山辺は 遠けれど 吹きくる風は 花の香ぞする(在原元方・古今和歌集103)」「冬ながら 空より花の ちりくるは 雲のあなたは 春にやあるらむ(清原深養父・古今和歌集330)」などがあります。

 

 前回の記事のとおり、早春に咲く淡紅色の沈丁花の強い香りには、私は愛着と懐かしさを感じます。私が幼いころ、敗戦を迎え、翌年に疎開先の三重県から名古屋に戻ったとき、庭に植えられていたのが沈丁花でした。戦争が終わって社会の様子が大きく変化するなかで、幼心にも不安と喜びが交錯する複雑な思いがありました。春先、街角でふとその沈丁花の匂いに出逢うとき、当時の遠い記憶が瞬時によみがえることがあります。

 

 そして、春の花といえば、梅の花でしょう。桃、杏子、桜などの花々に先駆けて、凛とした美しい花と、かぐわしい香をただよわせる梅の花は、いにしえより「花の兄」と称され、尊ばれてきました。

 

小石原植物園の梅.JPG

2013年2月11日(月)東京都文京区 
小石川後楽園にて撮影

 

梅は、よく知られているように中国原産で、奈良時代の遣唐使が中国から持ち帰ったのだそうです。「花見」といえば、いまは桜の花を愛でるものですが、奈良時代には中国から伝来したばかりの梅が観賞されていたそうです。

 

平安京の頃より御所の紫宸殿前に「右近の橘」と「左近の桜」が左右対称に植え置かれていることは広く知られているところです。しかし、実は当初、「左近」には「桜」ではなく「梅」が植えられ、当時は「花」といえば「梅の花」を指したのです。あらゆる面で国造りの手本としていた唐(中国)から伝わった、ぽうっと咲いて、ほのかに匂う梅のその楚々とした佇まいと香りを、大宮人はどれほど愛でたことでしょう。「万葉集」や「古今和歌集」の中で、「花」の和歌として「梅の花」が多く詠まれていることからも、そのことがうかがえます。

 

その後時代は移り、平安時代末期から鎌倉時代になると、「左近」には「梅」に変わり「桜」が植えられ、「花」イコール「桜」となっていき、「新古今和歌集」の頃には、王朝貴族たちは競って桜の花を詠みはじめました。そして、仁明天皇(810年~850年)が、御所には左近の桜と命じて以降、都人の間では桜が花の主座を占めるようになります。

  IMGP3359.JPG

2013年2月20日(水)15:01
静岡県伊東市岡広町付近にて撮影

 

 さて、梅の花の香りについては、「馥郁(ふくいく)たる梅の香り」という言葉があるとおり(馥郁とは「とてもよい香り」の意味)、ほんのりとしたその香りは多くの和歌で詠まれています。「大空は 梅のにほひに かすみつゝ 曇りも果てぬ 春の夜の月」(藤原定家・新古今集・40)等があります。梅の花の香りはほのかで淡いですが、菅原道真の有名な、「こちふかば 匂ひおこせよ 梅の花 あるじなしとて 春な忘れそ(拾遺・1006)」という歌が、そのかぐわしさをよくあらわしています。「梅の花よ、東風が吹いたら、その匂いを配所〔罪を得た人が流された土地の意〕の私のもとまで届けてください。主人がいないからといって、春であることを忘れないで。」といった意味の歌ですが、これは、菅原道真が、901年に大宰府へ左遷され、出立時に詠んだ歌であるとされています。私がこの歌を知ったのは中学校に入学した1950年(昭和25年)の古文の授業でしたが、自らの不遇を嘆く思いが、梅の香という優美さを主役として控えめに表現されているからこそ、品のある余韻があり、詠み手の心中にあるものが強く伝わってくるように感じます。詩歌の才に恵まれた道真ならではの作品だと思います。

 

 また、「鶯宿梅」という故事があるとおり、昔から梅花と鶯はよい取り合わせのたとえ、仲のよい間柄のたとえとして対のようにいわれています。

 

 ※ 「鴬宿梅」:『大鏡』によれば、村上天皇(926年~967年)の御代に御所の清涼殿の梅が枯死したため、村上天皇が代わりの梅を探されていたところ、西ノ京の紀貫之の娘(むすめ)・紀内侍(きのないし)の屋敷の庭に名梅が植えられていることを知り、村上天皇はその梅を所望しました。勅命により梅は御所に移されることとなり、紀内侍はその梅との別れを惜しみながら、「勅なれば いともかしこし 鶯の 宿はと問わば いかが答へむ」と詠みしたため、梅の枝に結びました。その和歌が村上天皇の目にとまり、紀内侍を憐れまれた村上天皇はその梅を元の庭にお返しになられました。この故事、あるいは、この梅のことを「鶯宿梅」と称するようになりました。

 

 なぜ鶯かというと、梅の開花と同じ早春に人里で鳴き始める習性があるからであり、鶯には、春告鳥という別名もあるそうです(鶯は、春の深まりとともに山へ帰って、巣造りを行うそうです)。また、「雪月花」と並称される、月の美しい夜に、まっ白い雪が紅梅や白梅の枝に降り積もった姿も、実に美しいものです。冒頭の川端康成がノーベル文学賞の受賞記念講演で、彼が、中唐の詩人 白居易(772年~846年)の歌「雪月花時最憶君」をもじった「雪月花の時、最も友を思う」という言葉を紹介しましたが、森羅万象、自然のすべての表情に感動を抱く日本人の美意識を表わした麗しい表現であると思います。

 

 雪の上に 照れる月夜に 梅の花 折りて贈らむ 愛しき児もがも  (大伴家持、万葉集)

 芝東照宮.JPG

2013年2月16日(土)8:16 東京都港区芝公園
芝東照宮にて撮影

 さて、梅は、花の観賞を目的とする「花梅」と、実の採取を目的とする「実梅」に分類されるそうですが、白、濃淡色のピンク、赤など色とりどりの梅の花の愛らしさ、美しさは、人々に憧れを抱かせます。

 

 熱海梅園の梅.JPG

2013年2月7日(木)12:48 静岡県熱海市
熱海梅園にて撮影

 

梅といえば、日本一早咲きといわれる熱海の梅花が思い出されます。私が1971年(昭和41年)の春に亡妻孝子との新婚旅行の旅先に選んだのが熱海の伊豆山温泉の「桃李境」でした。桃李境は、赤坂御所の設計で知られる建築家谷口吉郎氏による純和風建築で、1月中旬頃から梅が咲き誇り、その後も数種の桜が3月下頃まで楽しめる一万坪ほどのある広大な庭園で著名な老舗旅館でしたが、2007年でその歴史に幕を閉じ、跡地は、今年から東急ハーヴェストクラブ熱海伊豆山に生まれ変わるそうです。私は、2月10日(日)に、完成前のハーヴェストクラブを下見しました。熱海では、すでに梅は満開で、桜もちらほらとほころび始めていました。梅と桜の花びらの影に、亡き妻の姿をそっと重ねました。

 

東急ハーヴェスト.JPG 2013年2月10日(日)11:50 静岡県熱海市
東急ハーヴェストクラブ熱海伊豆山付近で撮影

 だるま.JPG

 2013年2月10日(日)12:31 神奈川県小田原市本町
小田原だるま料理店にて撮影

 

 梅のほかにも、桃の花、杏子の花、桜の花は、春を告げる代表的な花です。これらについては、次回以降のブログで書きたいと思います。

 ~ 今回の記事執筆にあたり、石草流生け花 家元後継 奥平清祥様、冷泉流歌壇玉緒会 伊藤幸子様、草月流師範 栗生世津子様、ランドブリーズ 渡辺憲司様にいろいろとご教授をいただきました。ありがとうございました。 

「花」第2回:蓮・睡蓮


IMGP3215.JPG

2013年2月3日(日)7:52
東京都渋谷区神宮前 表参道「にいがたチューリップロード」にてチューリップを撮影
花言葉:博愛、名声

 

前回の記事から、私が撮影してきた花の写真とともに、花について私が思い・感じ・考えてきたさまざまなことをつづっています。

 

不忍池.jpg

 東京都台東区上野恩賜公園不忍池にて撮影
2011年8月23日付ブログ記事に掲載)

 

 さて、私は、花のなかでも、とくに、静謐な美しさをたたえた蓮の花が好きです。蓮は、水底の泥中の根茎から柄をのばし、水の面(おも)に大きく浮葉(うきは)をひろげると朝露を玉のように転がし、暑い夏の盛りには花の香匂う薄紅色や紅白に色づいた多弁花を咲かせます。蓮といえば、上野の不忍池の蓮が、私にとって一番馴染みあるものですが、蓮は、原産地がインド亜大陸(インド半島)とその周辺で、インド、スリランカ、ベトナムの国花でもあるとのことです。

 

 私は1991年5月、94年12月、96年4月、2000年11月、2008年2月の計5回、ベトナムを訪問したことがあります。1991年5月に初めてベトナムを訪れたときのエピソードをひとつ、後に述べます。

 

インド蓮.jpgこれは、私の親しい友人である日本画家 山田真巳画伯がインドで撮影された蓮の写真です。山田真巳画伯は、1996年から2002年までインド ニューデリーで過ごされた方です。私が2011年11月にインドを訪問した際(これは私の2度目の渡印で、1度目は2005年2月でした)、デリーのチャーナキャプリーにある日本大使館に、彼の大きな屏風作品が飾られていました。なお、山田画伯によれば、インドの国花は蓮ですが、一般的にインドでよく見られるのは睡蓮のほうであるそうです(蓮と睡蓮の違いについては、後に述べます)。蓮の可憐で清楚な姿を見ると、かつて何度も訪れたベトナムやインドでの楽しく心温まる時間が思いだされます。

 

バリ蓮.JPGインドネシア・バリ島 Nikko Bali Resort & Spaの門前の池にて撮影

 

また、2007年12月~2008年1月の年末年始休暇でインドネシア・バリ島を訪れた際に滞在したNikko Bali Resort & Spa(JAL HOTEL系列)の門前の池に咲いていた蓮の花も印象的です。バリ島には、インド仏教とヒンドゥー教が習合したバリ・ヒンドゥーを信仰している人が多く住んでいます。Wikipediaによると、ヒンドゥー教では、美しく、清浄な蓮の花は、気高く凛としたその立ち姿とともに、俗世の欲にまみれず清らかに生きることの象徴とされており、またこのイメージはのちの仏教にも継承され、仏の智慧や慈悲の象徴として、極楽浄土の象徴花『蓮華(れんげ)』と呼称されてきたそうです。また、蓮は、古来より和歌の世界でも『はちす(蓮)』の古名で詠み親しまれてきました。

小夜ふけて 蓮(はちす)の浮葉の 露のうへに 玉とみるまで やどる月影

 『金槐和歌集』源実朝

 

 また、蓮とよく似た植物に睡蓮があります(植物学上では蓮は「ヤマモガシ目ハス科ハス属ハス」、睡蓮は「スイレン目スイレン科スイレン属」)。蓮は水面より上に茎葉(けいよう)を伸ばし、花も水面より伸びたところで開花しますが、睡蓮は、葉が水面に浮かび、花も同じように水面に浮かぶという違いがあるそうです。睡蓮の品種のひとつである夜咲睡蓮は、エジプトの国花であり、インターネットで調べたところ、この睡蓮の香りは酔いに効果があるとして、古代エジプトで夜毎に開かれるパーティーで、女性の髪飾りとして使われていたそうです。パーティーに睡蓮を準備するために広大な睡蓮畑を所有しなければなりませんでしたので、睡蓮が富の象徴とされていたとのことです。

 

 睡蓮には、未(羊)の刻、午後2時頃開花し、午後6時頃眠るように花弁を閉じることから「ひつじ草」と名付けられたとされる品種もあります(実際には朝から夕方まで花を咲かせるそうです)。ひつじ草は、今上天皇第一皇女である紀宮清子内親王殿下(現黒田清子様)の皇室でのお印で、清子様の婚礼の際、引き出物として用意された有田焼の磁器製ボンボニエール(お菓子入れ)の側面には、ひつじ草のデザインがあしらわれたそうです(2005年11月16日読売新聞)。

 

 さて、睡蓮といえば、印象派を代表するフランスの画家、クロード・モネ( 1840年~1926年)も睡蓮に憧れ、その連作は、彼の代名詞ともなっています。彼は、自宅の日本風庭園にある睡蓮の池をモチーフに、1899年から1926年に亡くなるまでの間に全部で200点以上の作品を残しました。上野の国立西洋美術館にある1916年作の睡蓮は、晩年のモネの睡蓮のなかでももっともすぐれたもののひとつとされています。また、静岡県熱海市にあるMOA美術館にも、1918年に描かれたモネの睡蓮の作品が展示されています。

◎ 国立西洋美術館蔵 1916年作「睡蓮」
◎ MOA美術館蔵 1918年作「睡蓮」

 

東大寺別当の北河原公敬氏は、蓮について、「泥の中で育ちながら、気品ある、香り高い花を咲かせます。…『どうせ汚れた世の中だから』と開き直って、成功のみを求めて貪るように生きるより、…一輪でもいいから美しく、かぐわしい自分の花を咲かせてほしい。」と述べられています(2012年10月22日付日本経済新聞夕刊)。

 

北京蓮.JPG

中国 北京市郊外 北京語言大学キャンパスにて撮影

(北京語言大学は、当事務所の中国業務グループ総代表兼北京代表処首席代表である萩原大吾弁護士が、2011年6月中旬より8月末まで中国語を習熟するべく勉学に励んだ大学です。私は、萩原君が在学中であった2011年8月24日(水)に同大学を訪問しました。詳しくは、2011年8月30日付ブログ記事をご覧ください。)

 

蓮も、睡蓮も、泥の中から成長し凛とした花を咲かせる清々しい姿が、いにしえから、世界各地で、人の心に心地よい風をそよがせてきました。蓮・睡蓮は、言葉を発しませんが、その姿を眺めていると、たしかに私たちに人間のあり方や生き方を問いかけてきているような気がします。

  

※ 先に書いたとおり、ベトナムの国花は、蓮の花です。

私が、1991年5月にベトナムを初めて訪れたときは、当時のハノイ国際空港は、国際空港とは名ばかりの貧相な空港でした。イミグレーションでは国際共通語である英語は使われておらずベトナム語・フランス語・ロシア語のみであり書類に書き込むにも戸惑いました。また、空港の設備が非常に粗雑な造りで、果ては空港内で使われているバスが日本で使われていた中古バスで、おそらく神戸市バスであったものと記憶しています。

ハノイ国際空港からハノイ市内のホテルに向かう小一時間、ハノイ国際空港があまりにも粗雑な造りであったことに落胆していた私の目に、車窓からたくさんの池に美しい蓮の花がいたるところに咲いているのが映り、そののどかな風景に感激しました。

その後、ハノイ工科大学にお邪魔して、副学長先生らとお会いした際に、池に蓮の花が咲く街道筋の風景についてお話したところ、副学長が、私が見たのは池ではなく爆弾の跡であるとおっしゃるので、とても驚きました。

私は、池だと思っていたものが爆弾の跡であると知り、30年にわたる戦争の痕跡をありありと見て、この状況に心が痛んだとお話ししました。すると、ベトナムの戦争の歴史は30年ではなく、「1030年です」との言葉が返ってきました。

30年にわたる戦争とは、1946年から1979年までに勃発した3つの戦争、インドシナ戦争(対フランス:1946年12月~1954年8月)、ベトナム戦争(対アメリカ:1960年12月~1975年4月)、中越戦争(対中国:1979年2月~同年3月)のことです。ベトナムはこれらの戦争にすべて勝利しています。そして、1000年の戦争は、中国との関係のものだそうです。

なお、ベトナムを越南といいますが、三国志に出てくる「呉・蜀・越」の「越」の南にいた人たちが、現在のベトナムに追いやられた後も、自分たちの国を越南と呼んだとする説もあるそうです。

私は、ベトナムの1030年というながきにわたる戦いを知り、ベトナムが、戦争という泥沼から生え、気高く咲く蓮の花そのものであることを思い知ったのです。

 

~ 今回の記事執筆にあたり、石草流生け花 家元後継 奥平清祥様、弊所上海代表処 元統括秘書 李国麗様、冷泉流歌壇玉緒会 伊藤幸子様、株式会社サンフローリスト 藤澤旭様山田真巳画伯草月流師範 栗生世津子様、ランドブリーズ 渡辺憲司様、株式会社ぷらう 代表取締役社長石川裕一様にいろいろとご教授をいただきました。ありがとうございました。

「花」第1回:はじめに


20130201.JPGのサムネール画像2013年1月27日(日)14:03
東京都八王子市南浅川町 うかい竹亭にてサザンカを撮影
花言葉:困難に打ち勝つ、ひたむきさ

 

 ここに一輪の花があります。物言わぬ花ですが、ただ存在するだけでまわりがぽおっと明るくなり、気持ちがやわらぐのを感じます。花とはそういうものです。

 

私が花の写真を撮るようになったのは、2011年4月にブログを始めるにあたり、文章だけではいかにも殺風景だろうから何か写真でも載せようかという軽い動機からでした。試しに花を撮ってみたところ、それまで日々忙殺されて忘れかけていた花の美しさ、愛おしさ、可憐さに改めてひかれるようになり、毎日の朝の散歩で花を撮り続けることが日課となったのです。そして、少しずつ花についての勉強も始めました。日々撮影した花の写真を一年をとおして見返すと、春夏秋冬の移り変わりを自然と感じ取ることができます。今回のブログから、十数回にわたって、私が撮影してきた花の写真を中心として、花について私が感じ・思い・考えてきたさまざまなことをつづります。

 

 『種の起源』で著名なイギリスの自然科学者のチャールズ・ロバート・ダーウィン(1809年~1882年)は、1879年に友人に宛てた手紙の中で、「花を咲かせる植物の化石が、なぜある時期に突然、登場するのか、わたしにはその理由がわかりません。…この謎がすっきり解明される日が待ち遠しく思えます」と綴っています。花を咲かせる植物を顕花植物と呼ぶそうですが、顕花植物がいつ地上に登場したのかは、現時点では正確には判明していないとのことです。ただ、1億3000万年前の地層で発見されたものが現時点で最古の化石であり、これ以前に花が地上に存在した証拠はみつかっていないそうです。顕花植物が誕生した時期は、現在でも謎に包まれているそうですが、赤や黄、オレンジ、ピンク、紫や白といった色彩や、それぞれの花のもつ香りは、地上に艶やかさをもたらしたに違いありません(参考:『137億年の物語』クリストファー・ロイド著、文芸春秋)。なお、花は植物の進化の過程であり、花の各器官は葉が変形したものであるそうです。この考えを最初に示したのは意外にもドイツの詩人、文学者のヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ(1749年~1832年)であり、彼は自然科学にも造詣が深く、1790年に著した『植物変態論』のなかでこの考えを展開していたそうです。

 

 さて、現代の遺伝学によれば、チンパンジーからヒトが枝分かれしたのは、700万年前から400万年前であるといわれています。顕花植物は、遅くとも1億3000万年前には存在していたとすると、ヒトが誕生したときには、すでに地球上では花が咲いていたことになります。なお、インターネットで調べたところ、ネアンデルタール人(約20万年前に出現し、2万数千年前に絶滅)の埋葬跡の周辺の土には、少なくとも8種類の花の花粉や花弁が含まれており、これがネアンデルタール人が死者に手向けた花であるとすれば(異論もあるようです)、これが最も古い花と人とのかかわりの記録ということになるそうです。

 

 IMGP2848.JPG

(2012年12月2日
神奈川県横須賀市佐島「地魚料理 はまゆう」にて彼岸花を撮影)

 

 このように、遠い祖先の時代から、花に囲まれて生活をしている私たちは、花がもつ美しさ、香り、花の四季折々の色鮮やかな彩りに、癒されています。春に咲く淡紅色の沈丁花、夏に咲く淡い桃色の蓮の花、秋に咲く赤・白・黄の色とりどりの彼岸花(秋の彼岸ごろから開花することが名前の由来だそうです。また、彼岸花の有毒性から、食べた後は「彼岸(死)」しかない、という由来であるとする別説もあるそうです)、冬に咲く真綿・薄紅・薄紫のシクラメンに至るまで、花はいつでも、見るたびに、ホッと安らぎを与えてくれます。布施明の「シクラメンのかほり」(作詞・作曲 小椋 佳)という歌が、私は好きです。実際にはシクラメンは、ほとんど香りがしないでしょうが、そんな指摘はヤボというものです。清楚なシクラメンの姿に、美しい恋の匂い立つような思い出を重ねる主人公には、ほのかな香りが確かに感じられたのではないでしょうか。

 

CIMG0527.JPG

(2011年4月2日 東京都千代田区国立劇場前にて桜を撮影)

 

 さて、私がいつごろから花に興味をもつようになったかは、定かではありません。戦前、小学2年生のときに、三重県桑名郡古浜村に疎開した時に目に映った、田園の鮮やかな紅紫色のレンゲや、川原に紫色のアザミが咲く原風景が、私の一番古い花の記憶です。そして、敗戦を迎え、疎開先から名古屋市へ戻ったとき、家の庭に植えられていた沈丁花の香りに愛着をもったのを覚えています。その後、1958年頃、武蔵野の奥の平屋建ての家に住み、小さな庭ではありましたが花木等を植え、夏に咲く百日紅(さるすべり)や、白い大手毬、小手毬、黄色い連翹(レンギョウ)、黄色や橙黄色のキレンゲツツジの花に目を楽しませたものでした。1985年7月に、今の住まいである東京都港区に引っ越した折には、庭に一本の桜を植えました。この桜は堂々と育ち、毎年、春の訪れとともに、私の人生の盛りを彩ってくれているかのように咲き満ちて、春の霞の大空を桜花(さくらばな)に染めています。こうして振り返ってみると、無趣味な私にとっても、花は生来の憧れであり続けたのです。

 

 ~ 今回の記事執筆にあたり、石草流生け花 家元後継 奥平清祥様、冷泉流歌壇玉緒会 伊藤幸子様、フラワーショップ華曜日 荒川智彦様に、ご教授をいただきました。ありがとうございました。

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