弁護士の営業の最近のブログ記事

 

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2014年12月28日(日)7:25 東京都目黒区中目黒公園で撮影
アエオニウム(花言葉:「永遠」)

 

 

② 弁護士の守秘義務

弁護士が、自分の言ったことに責任をもてない状況に陥った時、すなわち間違ったときに、どう対処するかも、お客様を維持するための重要なポイントとなる。

また、お客様が、お客様にとって不利な証拠(悪い情報)を出さないときは、どうしたらよいだろうか。

この点について、そもそも弁護士の任務とは何かを考えると、刑事訴訟においては刑訴法1条にて「事案の真相を明らかにし」とあることから、真実発見が目的とされているが、民事訴訟においては、当事者間の争いに決着をつけることが目的であるため、真実発見の要請は刑事訴訟より劣後する。そのため、お客様の代理人である弁護士は、弁護士職務基本規程46条にも「その権利及び利益を擁護するため、最善の弁護活動に努める」とある通り、お客様の利益のために最善をつくすことが求められているのである。

弁護士の仕事を進めるにあたっては、その事件の内容を丁寧に把握すること、そのために、お客様の話をよく聞き、資料をよく読み、事案によっては現場を見に行き、そして、相手方の書面をよく読むことが重要である。直接、話を聞くことや現場を見ることで、真実が見えてくることもある。

弁護士の仕事を進めるにあたっては、人の噂で相手方を評価してはならないし、もちろん事件の内容も人の噂で決めてはならない。伝聞の情報だけをもとに固定観念のみで考えを進めると、当該事件においての特殊性を見逃す危険すらある。ありのままの事実(証拠)を1つずつ積み上げていくことで、当該事件においての真実が見えてくるのである。

人の想像力は、自分がこれまで見聞きしてきたこと以上には広がらないものである。だからこそ、自分の持っている固定観念のみで物事を考えると、真実を見逃すおそれがある。想像力を豊かにするには、1つ1つのケースで、自分の目で見て確認するという地道な作業を繰り返すこと、この作業が積み重なることで、様々な視点が養われ、想像力が培われていくのである。

また、人が裁判を起こすのは単に経済的な必要からだけではなく、それ以上に、真実を発見したいという気持ちが重要な動機である場合もあることを忘れてはならない。

 

なお、お客様の信頼をうけて、弁護士が一生懸命取り組んだにもかかわらず、思わぬ結果になったことにつき、お客様から損害賠償の請求を受けた場合には、当方の言い分を丁寧に説明すればよい。裁判を起こされてしまったら、受けて立つ以外にない。

人は、自分にとって都合の悪い事情については自然と口が重くなる。それでもなお、事実を確認するためには、率直に尋ねることが秘訣である。悪い情報を聞くためには、まず良い情報を聞くことが呼び水となろう。弁護士は、きれい事・建前のみを語りがちなお客様から本音を引き出し、問題の本質を把握するために、さまざまな工夫をしなければならない。

私の取り組んできた方法は、まず①お客様に経過書を作成してもらう。箇条書きで、努めて叙情的にならないように求める。②相手方、当方それぞれにとって不利益な事実の一覧表を作成してもらう。事を起こす段階においては③後述する大義名分書(必要性を訴える理由書)の作成をお願いし、④相手方に提示する条件をまとめるよう求める。さらに⑤想定問答、⑥想定状況の作成も依頼する。想定状況とは予測されるリスクの一覧で、それを列挙してもらう。また、⑦スケジューリングの設定もお願いする。こうした緻密な点検・検証作業を通じて初めて、お客様が語ろうとしない事実を正しく認識し、危険をも予知できるのである。

 

 

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2015年1月3日(土) 8:20
東京都港区虎ノ門ホテルオークラ東京にて撮影
水仙…花言葉「神秘」  梅の花…花言葉「気品」

 

 

新年おめでとうございます。
本年も何卒宜しくお願い申し上げます。
ブログ読者の皆々様にとってご多幸の一年となりますよう
こころよりお祈り申し上げます。

 

(8)信頼性

弁護士は信頼性があってこそ存在価値があり、営業の効果が上がる。その原点としては、お客様への責任、それに弁護士としての技能、職業倫理(プロ意識)が大切である。信頼性を高めるために、先に述べたように、弁護士は日夜研鑽しなければならない。信頼性は、まさに、「継続は力なり」で培われるものであって、一朝一夕に得られるものではないからだ。

 


① 謙虚さ

まず、信頼を得るために大切なことは、謙虚さである。

いかに仕事で結果を出し、多くの利益を生み、それを誇らしく感じているとしても、決して驕ったり、謙虚さを欠いて他人に威張ったりするようになってはいけない。

弁護士の中にはとかく自慢話をしたり威張ったりする人がいるが、それが目に余ると、お客様の信頼を失ってしまう。お客様の目には、自慢話は、自分をことさら大きく見せ、実力以上に評価されたいとする姿勢に映るからだ。弁護士は、自己評価を控えめにするのがクレバーだろう。

なぜ人が威張るかというと、謙虚さを失って自分を高いところにおいてしまうからである。人は皆、自負心・自尊心を持つ存在であり、そのこと自体は当然で、悪いことではないが、それがあまりに高じると自惚れや慢心になってしまうので、厳に慎むべきである。自分の今までの業績等を得々として話す人がいるが、それらはいずれも過去の事柄であり、自分の過去を自慢することにほかならない。つまり、過去の栄光にしがみついているような「終わった人」であるとお客様に認識されてしまうのだ。弁護士は、現状に甘んじることなく、研鑽し続けなければならないと自覚すべきである。

また、ときとして、傲慢な態度は自信のなさの裏返しという場合もある。中島敦(1909年~1942年)の代表作『山月記』には、こうある。

虎の姿になってしまった李徴は、山中で出会った旧友に切々と訴えた。「己(おのれ)は詩によって名を成そうと思いながら、進んで師に就いたり、求めて詩友と交って切磋琢磨に努めたりすることをしなかった。かといって、又、己(おのれ)は俗物の間に伍することも潔しとしなかった。共に、我が臆病な自尊心と、尊大な羞恥心との所為(せい)である。」「己(おのれ)の場合、この尊大な羞恥心が猛獣だった。虎だったのだ。」

 

「春風を以て人に接し、秋霜を以て自ら粛む」

これは江戸時代の儒学者佐藤一斎(1772年~1859年)の言葉だ(「言志後録」第33条:岬龍一郎編訳 佐藤一斎『〔現代語抄訳〕言志四録』PHP出版より)。他人に優しく、自分に厳しくあれ、という教えで、大変すてきな言葉であると思う。これもまた、自己研鑽の一面であるといえるだろう。

反対に、お客様でも人を利用する傾向がある人、騙す傾向がある人とは弁護士は付き合ってはならない。そのような人と付き合うと、弁護士本人の信頼に関わるからである。弁護士は、お客様と信頼関係を築かなければいけないが、そのような人とは信頼関係を築くのが難しいどころか、付き合えば自分の信頼まで失うような事態に巻き込まれかねない。

弁護士は専門家といわれる立場だから、「○○を援助してほしい」「○○をサポートしてほしい」と謙虚に依頼し、しかも感謝してくれるお客様と付き合うべきである。そのためには、弁護士に直感的にそういった人を見分けられる力が必要となるが、日頃から人と接する時に、その人の本質を見抜く眼力を養うことが肝要だろう。人は、言葉は偽れるが行動は偽れないため、偽りの言葉かどうか判断するためには、その人の行動を見れば良い。行動を見て判断する具体例としては、口約束を守るかどうかがわかり易い例としてよく挙げられる。簡単な口約束が実行されなければ、その人の話、ひいては人間性すら信頼することは難しい。私はどのような小さな口約束であっても、すぐに実行するよう心がけている。これは、私が常に相手のことを最大限考えていることの証のひとつとなるだろう。その他に、金銭関係において汚い人もあまり信用してはいけない。一見、素敵な人だと思うけど、いざ金銭関係になると汚い人がいるからである。それから、賭け事においてもまた同じである。賭け事にずるい人はどこまでもずるい。だから、賭け事でも人間の本性が出るだろう。

弁護士の立場を利用しようとする傾向のある人は、やたらと調子が良かったり、大げさに褒めたり、大きな話をしたりすることが概して多い。特に「○○を援助してほしい」という依頼を受けた場合には、要注意である。相手の話に乗せられることがないよう、慎重に人を判断する力を身につけたい。

 

 

 

 

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2014年11月23日(日)東京都港区芝公園にてイワツツジを撮影
花言葉:「愛の喜び」

 

(5)チームワーク

複数の弁護士でチームを組んで仕事をする際、チーム内で相談もせずに、独断で仕事を進めてしまう弁護士がまま見受けられる。他人とうまく連携を取りながら物事を推進する能力と創造力に欠けると、悪くすると上司にさえ報告を怠る。このような弁護士がいると、事務所としての組織は維持できなくなってしまう。なぜなら、情報が正しく共有されず、他の者は方向性を把握できず、結果としてお客様の信頼を失うことになるからである。ときとして、このような問題弁護士への対応力も、弁護士には求められるのだ。

また、部下に責任を押し付ける弁護士もいる。責任転嫁に終始する態度は、これもまた、お客様の信頼を失うことにつながるだろう。

ときには、「担当の弁護士を変えてくれ」とお客様から要請されることもある。それに応えることは、顧問契約を維持するために必要なことでもあるが、慎重に検討しなければならない。なぜなら、不信任を受けた弁護士が落胆するだけでなく、新しく担当する弁護士が若く経験の浅い者であれば、専門知識の咀嚼が十分ではないがために、お客様とのコミュニケーションをとりづらくなるということが想定されるからだ。

特に、お客様から、法律関係の最新情報に接しているであろう若い弁護士に変えてくれと言われたときの対応は、非常にリスキーである。その場合には、事務所の代表弁護士が対応した方がよいだろう。若い弁護士に任せることでお客様の信任が得られず、状況がさらに悪化しかねないからである。

弁護士が、チーム一丸となって取り組み、成果をあげるためには、チーム全体で目標をしっかりと共有することが必要である。そして、その目標を実現するために、弁護士それぞれが強い意思のもと自主的に勉強し、準備をし、努力をすることが大切である。

 

(6)人間性に訴えること

たとえば、裁判案件でご相談にみえたお客様が勝訴を求めているときに、弁護士として勝訴は不可能であると予測できたとしても、その仕事を引き受けることは、結果としてお客様を失うことにつながるだろうか。

こうした状況では、お客様の人間性を念頭において受任するかどうか判断しなければならない。お客様がどのような人間性なら引き受けられないのか、そして断る際はどのように断るのか。これが、お客様が増えるか、減るかのひとつの大きな分岐点になるであろう。

お客様が企業の場合、たとえば、企業の人事労務に関する資料(諸規程)を読むことで、その内容もさることながら、その企業の体質を知ることができる。そして、今後の助言の硬度、難度、波長の長短を、弁護士は自ら決めていかなければならない。

私は依頼者の人間性について、①正直者であるかどうか(狡猾な人間であるかどうか)、②気が弱いか気が強いか、③自己中心的であるかどうかの3つの視点から考える。これ以外の視点からも分析する人がいるが、それはそれでいいだろう。要するに、自分に合う視点が持てれば良いのである。いずれにしても依頼者の人間性を念頭に置くことが肝要である

 

(7)弁護士にとっての「発言」の意義

また、お客様からの要望に対して、「それは法的にいって無理です」「それは判例からみて無理な主張です」などと、否定のみで対応してはならない。法律の専門家として否定的な助言をするにあたっては、綿密に準備・調査をしたうえで、弁護士として独りよがりな助言にならないように自戒するべきである。否定的な発言をせざるをえない状況に陥った場合でも、「こうすれば大丈夫ですよ」というような肯定的な助言をする必要にせまられることもあるだろう。また、単に否定するのではなく、常に正義感に裏打ちされた理論展開をおこなうことが肝要である。お客様の態度を非難するのに一生懸命な弁護士もなかにはいる。これは、弁護士が偉ぶるための一番易しい方法にすぎない。

そうはいっても、違法な事態を招来する事柄に対する相談、あるいは、脱法的な事案についての相談に肯定的な対応をしてはいけない。そのようなことをしていれば、経営体自体が衰退していくことをお客様に気づかせることが大切である。これを怠れば、結局は自分自身の職業的利益を失うことにつながる。

弁護士の中には、あえて発言しないという弁護士がいる。団体交渉に同席したときでさえ、発言しないことさえある。そうなると、当然のことながら、依頼者からの信頼を失う。事前の打合せ時にはたくさん発言する弁護士が、いざ団体交渉の場において、相手方の主張に対する的確な発言ができないとなると、クライアントは深い失望に陥るだろう。

一方で、裁判において、とかく発言をしたがる弁護士もいる。これは、自己アピールのつもりなのか、特に依頼者の関係者が傍聴している場合などに多く見受けられる光景である。裁判が団体交渉と違うのは、法廷には、対峙する相手方だけでなく中立の立場の裁判官がいるために、圧迫感が小さくなり安心して発言できるという点である。しかし、裁判でもつまらない発言をすれば裁判官からも失笑を買い、心証を悪くする。弁護士は、当方を有利に導く意義のある発言をするためにも、いつも勉強しなくてはならないのである

以上

 

※ 本2014年のブログの更新は本日が最終です。次は新年1月9日(金)を予定しております。みなさまどうぞ良いお年をお迎えください。

 

 

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2014年11月16日(日)東京都港区芝公園にてウィンターコスモスを撮影
花言葉:「調和」

 

 

 

「はじめに」

頼りがいのある弁護士とは、どのようなものだろうか。私が考えるに、それは、バランス感覚にすぐれ、緻密かつ経験豊富で、困難な局面に際しても動ぜず、適宜、的確な指針を示すことができる弁護士である。

では、お客様が「お宅の事務所に依頼したい、担当の弁護士はこの人にしてほしい」と言うときは、何がそうさせているのだろうか。

仕事の依頼の端緒は口コミや紹介などの例が多いであろうが、顧問契約を締結してもらい、関係が長く続いていくかどうかは、相性や直感のような感性レベルの要素のウエイトが、意外に大きいのではないかと思う。要するに、法的な相談案件はもちろん、日常会話のコミュニケーションも良好であり、加えて、信頼できると思われる弁護士でなければならないということだ。

法律自体は本質的に厳格で冷徹なものでなければならないが、そうであればあるほど、法律の専門家には、専門知識のない人に対しても、その人の理解度に応じた表現で説明する能力と真摯さが求められる。条文の知識や法理論をひけらかすような態度ではなく、平易な表現を用い、依頼者の気持ちに寄り添う工夫ができなければ、真の意味でのプロフェッショナルとはいえないだろう。

法律事務所を訪れる人の多くは、トラブルを抱えて不安な気持ちでいっぱいである。相談者のそうした不安感を取り除き、相手によくわかるように相談者の置かれている法的状況を分析・説明し、解決の可能性・方向性を示し、安心感を持たせる乃至は厳しい状況を正しく認識してもらうことがプロの仕事であり、リピーターとなってもらうための全てである。お客様に「担当はこの弁護士にして欲しい」と言わせるのは、「限りない努力」「深みのある勉強・専門性」「充実した人間性」であると私は考える。

 

(1)「正義」という価値観

企業をおもな顧客とする弁護士にとっては、顧問契約を結んでくださるお客様が、最も有り難いお客様である。顧問契約により企業との関係性が深まり諸事情を了知していれば、相談案件を早く的確に理解できることから、、弁護士自身にとっては時間を効率的に使う上からも重要であるし、また、企業にとっては顧問弁護士を置くことで、コンプライアンス強化に役立っているだろう。

企業が弁護士にまず望むことは、紛争予防や紛争への対応以前に、業界への知見や新法の知識等である。したがって、常日頃から、企業のトップや役員、法務担当者に対して、情報の収集、文書の管理、保管、事実関係の整理などについての勧告、法的視点からの助言をしておくことが必要である。

企業の顧問弁護士として最も大事なことは、お客様企業に、「正義」に適った施策と行動を常に意識してもらうことである。これは、弁護士の仕事は、一義的には理論的な裏付け―理論武装を必要とするものだが、その理論は何より正義感に裏打ちされたものでなければならないことと軌を一にする。日頃から互いに「正義」を重んじる共通の価値観がなければ、議論が噛み合わなくなってしまう。

 

(2)継続的な勉強

弁護士は法律の専門家であるから、自分の専門とする法律について日々新しい事例や裁判例の知識を蓄積し、それらが法律などの改正につながっていくことにつき精通していることは基本であるが、お客様である企業にもそれぞれ専門分野があり、その業界も日々動き、新しい事例や事柄が急速に増えていく。だからこそ、その業界の知見にも精通し、両分野の側面から考えることができなければ、最善の解決を果たすことはできない。

また、企業が、新しい業務に挑戦する際、他の企業と業務提携や合併などで幅を広げる際、さらには海外に店舗や工場を展開する際には、弁護士が関連する知識をもち、スムーズにリードしていくことができなければ仕事にならない。法律以外の専門知識、例えばM&Aの知識であったり、海外進出についてはその国の言語やコミュニケーション、現地の事情に精通し、現地での協力体制等を構築したりすることで、新しい分野の仕事につながっていくのである。

このように、お客様の必要とする知識に精通し、お客様と同じレベルで話ができ、また、お客様の足りない知識についてリードしてお客様の進むべき道筋を示すことができるからこそ、お客様は弁護士を信頼し、協力を求め、仕事を依頼するのである。永続的に顧問契約を締結していただくためには、弁護士がたゆまぬ努力をし続ける、つまり、予習・反省をし続けなければならない。

予習とは、一の矢、二の矢を検討するということであろう。お客様からのどんな質問にも答えることが必要だからである。一の矢、二の矢が的確にできなかった場合、反省をし、次の場面では三の矢、四の矢までをも用意しておかなければならない。用意周到にしてこそ、弁護士の説得力が上がるからである。説得力を欠かないよう的確に答え続けるためには、日々勉強をし続けなければならない。

 

(3)謙虚な学びの姿勢

そして、弁護士たるもの、成功したと思ってあぐらをかいていてはだめで、どんなときでも反省をしなければならない。なぜなら、どんなに成功したとしても、100%の成功というものはなく、必ず反省材料があるからである。反省を繰り返す、それが精進というものである。失敗のなかにも成功の芽があるから、悲観してはならない。必ず反省を繰り返すことが、より進化した弁護士になるために必要なことである。

予習・反省をし続け、勉強を継続しなければならない具体例としては、たとえば、株主総会のリハーサル等では、弁護士も出席を求められ、意見を述べなければならない場面がある。株主の質問権等については会社法に規定されているが、弁護士は的確な回答をしなければならないことはいうまでもない。そして、株主総会の内容は毎年変わるから、質問内容も変わっていくという前提で取り組まなければならない。そのためには、日々の勉強が欠かせない。株主総会は企業の一番大事な儀式であるから、お客様の信頼を勝ち取るためには失敗は許されないのだ。

競争相手の弁護士は皆努力をし、深みをつけるために勉強をしている。努力もしない、勉強もしない弁護士では、競争の土俵にすら上がっていないのである。

今後の“学び”について述べると、外国語を使えることで仕事の幅が大きく変わってくるであろう。例えば英語力を磨くために、所属弁護士が定期的に英語レッスンを受講できる体制をつくり、継続していくということも一つの方法である。

また、専門分野を勉強するために、研究会に参加することも勉強になるであろう。

常に学ぶ、教えて頂くという姿勢は忘れてはならないことである。

 

(4)実践と継続

とはいえ、勉強の結果は、何はともあれ実践につなげることが大切である。教科書を読むとか、先輩の話を聞くとか様々な勉強方法があるが、それらは一義的なもので、勘所あるいはノウハウを習得することはできない。トラブルというものは、同じ事実関係であることはないし、どこを強調するかでその取り扱いは違ってくる。ましてや、法的なトラブルとなれば、法的な視点をどこに定めるかによって、まったく異なった見方が生じてくるものである。勘所、ノウハウを習得するには、この視点の選定が大切になるが、それらは実践を通してではないと習得することはできないからである。

また、勉強を一日でも怠けたら、成長が止まるどころか退歩してしまうというのが私の実感である。私は、今、耳が悪いため講演による勉強はできないが、ものを考えたり、文章にしたりすることで勉強し続けている。

この「弁護士の営業」というブログを続けることも、その一環であり勉強である。「弁護士の営業」の文章をまとめるに当たって、毎日意識して新聞や雑誌、書籍に触れ、少しずつではあるがより完成に導くことにしている。

本を読み勉強をし、人の話を聞いて「ああ、これが営業のコツだな」と思ったことを、つねづねメモし文章にしていったことを、この「弁護士の営業」というブログにまとめているのである。

私は一日として勉強を怠らないが、その所以は、成長し続けたいと思っているからである。「継続は力なり」である。

成長をするためには、「克己心」「鍛錬」「研鑽」、そして、「精進」というプロセスが必要となるが、人間は得てして「克己心」に欠けるものである。人間は完全ではなくて、良い資質とともに悪い資質もある。自分の欲望を抑え、悪い資質を減らして良い資質を伸ばす心の強さが「克己心」なのだ。この「克己心」があってこそ、「精進」という言葉に至り、それが「継続は力なり」へとつながるのである。

 

 

 

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2014年10月19日(日)東京都港区芝公園にてガーベラを撮影
花言葉:「燃える神秘の愛」「常に前進」

 

 

(10)心技体

心技体とは、「精神力(心)」「技術(技)」「体力(体)」のことであるが、私は66歳まで健康そのものだった。しかし、その66歳の時に1回目の脳梗塞を発症し、69歳の時に2回目の脳梗塞を発症した。そして、71歳の時に突発性難聴になり、現在は左の耳が聴こえず、右の耳は聴覚過敏症に侵されている。ようするに私は、病気に体が侵されており「体」が欠損しているのである。「技」とは私にとっては思考能力であるが、減退している。また、当然のことながら「心」も萎えてきている、というのが正直なところである。

以前、月刊ローヤ―ズマガジンで自分の人生の一端を述べたが(2011年7月)、弁護士の河合弘之君の書いた三一書房の「弁護士という職業」に当時の私のことが書いてあるが(1982年5月発行)、その中に『偽証しない、させない』という言葉を述べた。時には誘惑もあったが、私はこの言葉を貫いたのである。

私は、自身が信条として何十年も前に述べた事を実現するための努力を、71歳まで継続していた。具体的に言えば、既に述べた『偽証しない、させない』に加えて、『土日も働く』『国内旅行に行っても、海外旅行に行っても、飛行機の中で仕事をする』ということである。当時はそれを心意気として奮闘していたので、少しばかり弁護士としての華があったのではないかと思う。

ところで、「華がある」「オーラがある」「求心力がある」という言葉があるが、それらの本質は何だろうか。色々考えたが、結局は「幸せ感」ということになるだろう。「華がある」は、「美しくて、だれでも持っていたいと思うもの」と辞典では解釈されているが、その根本は「幸せ感」のように思う。私たちが女優や男優に酔っているときは、実は彼らが持つ「幸せ感」に酔っているのではないだろうか。弁護士たるもの、多かれ少なかれ、華があり、オーラがあり、求心力がなければならないし、それは多い方がいいに決まっている。なぜなら、クライアントは皆悩みをもっている。それゆえに幸せ感を与えることが大切だからだ。これが弁護士の営業の根本なのである。

以前、お客様から、「高井先生に相談をしに行った帰りは、事務所の入り口まで着く間に少し安心になり、市ヶ谷の駅に着くまでにまた少し安心になり、やがて会社の入り口に着くころにはすっかり安心している。段々と安心する度合いが強まっていくことが分かる」と言っていただいたことがある。これがまさに「幸せ感」を与えるということであろう。

お客様に幸せ感を与えるには、仕事に取り組む際に「思いを入れる」「心を入れる」ことが大切である。目の前の仕事を単なる作業と捉えて取り組んではならない。お客様のためにという姿勢で取り組まなければならないのだ。

ところで「思い」と「心」がどう違うかといえば、これは、私が労働の質的側面に着目して提唱している考え方であるが、「思い」はヘッドワークに、「心」はヒューマンワークに通じる点が異なるのである。主に手足を使う「フットワーク・ハンドワーク」の時代から、頭脳を使う知的活動がメーンとされる「ヘッドワーク」の時代に移り、現代は心を用いることが重要となる「ハートワーク」の時代となっている。豊かな想像力と良好なコミュニケーションによって相手の立場を十分に理解し、信頼関係に基づくつながりを形成することが求められているのだ。しかしさらに今後は、人間性が問われることとなる「ヒューマンワーク」の時代が訪れると予測している。

「ヒューマンワーク」とは、マニュアル経営と対峙する概念であり、人間性の原点に立ち返り、心身を限界まで尽くして、人として有する全機能をフルに働かせる労働を意味している。自分の限界に立ち向かうことで、自己の長所・短所と真正面から向き合う契機となり、人間としての本当の成長につながるのだ。無我夢中・一心不乱に人間の理想である「夢・愛・誠」を求め続ける働きこそが、民族や国籍をも超越した人類に普遍的な「ワーク」となる。これが「ヒューマンワーク」の行き着くところであり、労働においてはお客様が求めていることを提供し、「単なる」満足ではなく、「大いに」満足させることにつながり、お客様に幸せを実感させることとなる。即ち、心を入れて取り組むことが必要となるのである。

弁護士の営業の根本は、依頼者の法的トラブルをできるだけ早期に、かつ依頼者が満足を得られるような形で解決することである。そのためには説得の技術が必要だ。その説得の技術についていろいろ述べてきたが、結局は依頼者の得心を得ることなのである。すなわち依頼者が解決に向けて歩きだすことである。それが和解であれ、裁判の結果であれ同じである。それには、弁護士の依頼者への提案に対する意見から彼の本音を探るということである。いろいろと形を変えて提案しても本音がわからない時には、選択的提案をするといいだろう。A案かB案か、またはA案かB案かC案か、2つ3つに絞って質問しそれについての意見を表明してもらうことで、彼の本音の意見がにじみ出るものである。にじみ出たところに依頼者の得心へのきっかけがある。もちろん選択には「困難や代償は伴う。でも選択は人生の可能性を開く」(シーナ・アイエンガー、コロンビア大ビジネススクール教授、2012年8月4日朝日新聞beより)。このきっかけから提案を繰り返しながらきっかけの幅を広くし、依頼者の得心に近づけばいい。それは時間の経過とともにおのずから環境の条件が変わるから可能である。

弁護士として必要なことは、理性的であっても、温かく情が深い人間であるということである。それは、包容力とも言いかえることができるが、要は人の欠点を認める心が必要だということだ。相手を殺してはならないのである。どんな非情な相手であっても、相手を生き永らえさせなければならないのだ。こういった気持ちをもって対処しなければならない。

 

 

(11)良心

弁護士は血の通った人間でなければならない。人間愛に満ちていなければならない。人間愛とは、「人間が好きだ」ということから始まる。そして、それは他人を受けいれることから始まるのである。

弁護士の良心とは何だろうか?前述した『偽証しない、させない』という信条も良心の一つではあるが、そのほかには何があるだろうか?良心と職業倫理とは同一である、という説もあるが、その同一性は何によるものだろうか?『偽証しない、させない』という弁護士の良心があるなら、弁護するのに値しないとする事案の弁護をすることは弁護士として許されないのではないだろうか?欠陥がない人間はいないというが、逆にいえば評価すべきことを評価するのが弁護士なのではないだろうか。

隣人に対する大きな意味での愛情、包容といった基本的な資質と不断の自己陶冶の姿勢さえあれば、まさに弁護士の仕事は天職として意義ある仕事であり、精神的にも十分な満足が得られる仕事なのである。

併せて、「目的のために手段を選ばず」という言葉があるが、今はそのようなやり方では成り立たない。良心に背くようなやり方では、最終的な解決に導くことはできないので、目的のための最善の手段を選ぶことも忘れてはならないのだ。

 

 

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2014年10月11日(土)
東京都目黒区中目黒公園にてカモミールを撮影
花言葉 「逆境で生まれる力」

 

 


①判断力・決断力

 

弁護士が決断をする際に重要となるのは、予断と偏見があってはならないということである。予断と偏見があるということは、自分の視点、視座、そして価値観がいびつだということである。これらがいびつだと、営業をはじめとして全てのことに悪影響を及ぼすので、弁護士は務まらないのである。

法の適用が杓子定規であったり、硬直的であったり、固定観念にとらわれたりしてはおよそ有害無益である。多面的でしかも複雑な諸要素を巧みに看取し、法を包摂した人間行動の指針を見出すためには、極めて微妙にして細心、しかし柔軟性もある大胆な決断が要求されるのである。

弁護士の与える助言等は法律家としての大局観によるものであるため、必ずしも依頼者の意向と合致する訳ではないが、法律にもとづいて大局的な判断をすることこそ弁護士の役割である。この弁護士としての大局観というものは、弁護士一人ひとり、裁判や相談時に培われ打ち立てられていくものである。「これは、勝ち筋であろうか?負け筋であろうか?」と大局的に判断することに始まるのである。他にも、色々な手続きの中で培われる大局観がある。要するに、些細なことにこだわらず大きな視点から全体を見てどちらの言い分が正しいかを判断するということである。

私の弁護士としての大局観を培ったのは、人を見極めようと努めた経験であろう。相手が嘘つきであるかどうか、暴力的な言動に出ていないか、おおらかな所があるか、あまりにも細か過ぎて、そして牽強付会でないか、さらには、金銭的にやましいところがないかどうかといったことを見極めようとしたのである。また、最終的に裁判官という存在を意識することも重要だろう。

その他にも大局観を養うために必要なことは、当方の弱点は何かを見極めることである。弁護士として必要なのは、弱点を見極めた上でそれを補強することである。そして相手の弱点を覚知して常に意識し、それを当方の力点とすることである。

将棋棋士の羽生善治氏は、将棋を指す上で必要な要素は、まず直観と読みで、3番目の要素として大局観があると述べている。しかし、私にとっては、まず大局観があって、その後に直観があって、読みがあるというような感じである。しかし、順番はともかくとして、大局観は生来生まれ持った先天的なものが大きいであろう。もちろん後天的に会得する人もいるだろうが、ごく少数だろうと思う。

弁護士は勇気を要求される。助言を決断する勇気である。それはいかなる助言であっても万全ではなく、絶えず問題点、欠点をはらんでいるからである。そこで勇気に加えて気配りが必要となる。

そして、クライアントの意向と合致しない(クライアントに不利な)ことを発言することは勇気がいるが、それが一旦クライアントの反感を招くにしろ、クライアントに迎合的な発言ばかりしていては法律家として役に立たない。クライアントの意向に合わない発言をしても、最終的にクライアントに納得してもらえるようにするのが優れた弁護士である。

 


②記憶力

 

弁護士に必要な能力の一つに、記憶力がある。特に事実関係について、事案の当事者がふと漏らした関係ないと思われる一言でも、後に事案の解決に大きくかかわることがある。だからといって、弁護士であるものが全員記憶力に優れているという保証はない。記憶力というのは元来個人差があるものだし、年齢によっても、差が出るものである。また、どんなに記憶力のある人でも、あまりに古いことだと記憶を失うことがある。

そこで、私は思いついたことをすぐメモするようにしている。メモをすれば、覚え続けることはできなくても、メモを見て思い出すことができるのである。このように、弁護士には記憶力が求められる。もし、記憶力が足りないのであれば、メモ等のツールを駆使して補わなければ、弁護士は務まらない。

そして、記憶を失った場合でも、実は諦めてはならない。考え続けているとふっと思い出すこともあるし、何かのことがきっかけで連想的に当時のことを思い出すこともあるからだ。

 

 


③石にも目がある・閃き

 

弁護士活動の基本は、勝つべき事件については一日も早く勝つ体制に持ち込むことであり、私はそれを目指して「石にも目がある」という教訓を実践してきた。

私は、弁護士登録をした1963(昭和38)年4月、「孫田・高梨法律事務所」に入所し、孫田秀春先生に師事した。孫田先生から教えていただいたことは数多くあるが、そのうちの一つに、この「石にも目がある」という教えがあった。硬い石でも弱い点、筋目を突けば割れる、という剣聖塚原ト伝が剣術の極意を悟ったエピソードであり、これは自分の手に余る大きな仕事もどこかに必ず「目」(弱点・筋目)があり、そこを狙い突破口を開けばよいという意味である。見えるものだけに拘泥せず、弁護士活動も「目」を発見して核心を捉える能力、瞬時に「目」を見出す能力が必要なのである。

「目」を見出すことは、「閃き」と言いかえることができるだろう。同じ問題をひたすら考え続けていると、何かの瞬間に思いつくことがある。これが「閃き」であるが、それは素人には感じることができないものであり、着眼点を明示するということである。閃きのない弁護士は、お客様から「わかりきったことしか言わない」「相談した意味がなかった」と言われてしまうだろう。

 

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2014年8月2日(土)6:43 東京都目黒区青葉台一丁目付近にて
ひまわりを撮影
花言葉「あこがれ」

 

④シンクロ

シンクロとは、英語の synchronize「同期する、タイミングをあわせる、同時に起こる」 に由来する言葉である。

医者が患者の病気を治すには、患者と医者が一体となるシンクロ状態にならなければならないと言われているが、それは弁護士とお客様の関係においても同様である。

弁護士とお客様とがシンクロ状態となるような良好な関係を築けていない場合、法的問題の解決にあたっては欠かすことができないが、お客様にとってはできれば口にしたくはない不利な情報を弁護士が聞き出すことができないのである。そのため、お客様の望むかたちでの問題の解決ができなくなる等の様々な弊害が起こりうる。弁護士とお客様とがシンクロし、手を携え、最良の解決をともに目指すためには、弁護士はお客様との間にあたたかい信頼関係を醸成するように努めなければならないだろう。

 

信頼関係を醸成するには、お客様も弁護士に感謝する人でないといけない。感謝するとは、「やってくれて当たり前」ではなく、「お願いします」という態度を示すことである。弁護士はお客様のために尽力するが、お客様が「サポートを依頼する」という態度で協力してもらえなければベストは尽くせない。

何故なら、そもそも弁護士とお客様の関係は、法律の知識・経験があるかないかに基づいているからだ。お客様は法律を知らないからこそ、弁護士に依頼する。法律に関しては、「教えを請う」という立場なのだ。それなのに己を過信し「感謝」という発想がない場合、無知であるにも関わらず法律に関することを弁護士に相談せずにあれこれと勝手に判断することになりかねない。そうなれば裁判で不利になる可能性があるのはもちろんのこと、そもそも法律の知識をサポートして欲しいから弁護士に依頼しているにもかかわらず、弁護士は役目を果たせないこととなる。

 

逆の立場でも同様のことが言える。弁護士が依頼者をバカにするなど言語道断である。これでは弁護士として果たすべき役目を理解していないため、お客様との信頼関係など築けるはずがない。弁護士がベストを尽くすためには、お互いの信頼関係が必要であり、信頼関係の構築は相手を信頼して尊重することから始まる。だからこそ、弁護士もお客様を尊重し、お客様も弁護士に感謝する人であることが必要となる。当然のことながら、自分自身が弁護士としてお客様から感謝されるに値する人物でなければならないことは言うまでもない。

以上

 

 

 

 

 

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2014年7月13日(日)東京都港区芝公園にてシモツケを撮影
花言葉: 整然とした愛

 

 

 

 

②元気、覇気、活気

次に、円滑なコミュニケーションには、弁護士が「元気」であり、「覇気」があり、「活気」があることが要求される。

 

元気とは、自分自身が健康で、自分の「気」を周囲に及ぼしていることであると思う。「健全なる精神は健全なる肉体に宿る」という言葉があるとおり、健康な人が周囲に与えるイメージはとても爽やかである。

なお、「健康」「健全」「健やか」の「健」という字は、人間が心身ともに健やかな状態にある姿が語源となっているそうだ。「廴」は人が足を投げ出してくつろいでいる姿であり、気持ちがとても伸びやかであることを表しており、「聿」は手に筆をもった様子で、背筋がぴんとして姿勢のよい状態を意味しているそうだ。自分がお客様の立場だったら、どんよりと縮こまったような姿勢の弁護士より、ぴんと背筋を伸ばした弁護士に信頼感をもつのは当然ではないか。お客様からの信頼感が、弁護士のコミュニケーションの潤滑油になることは言うまでもない。

 

また、「覇気」、「活気」とは、弁護士一人だけでなく、事務所全体に元気があるという意味である。「覇気」、「活気」があるためには、事務所全体の目標が「良心」・「本心」に基づいたものであることが第一の前提になると思う。営利ばかりを求めるのではなく、お客様の立場になって、弁護士法第1条にある「基本的人権を擁護し、社会正義を実現する」という究極の目標のもと、その実現に向けて真摯に努力しつづけることが求められる。弁護士や秘書、所員一同が一丸となって、各人が正しく目標を設定し、真摯に仕事に取り組むことが、事務所に「覇気」、「活気」をもたらすのである。

 

③感情移入

お客様へ感情移入することも弁護士にとって大切なことだ。簡単に言えば、「分かった、分かった」と相手に伝えることである。詳しく言うと、お客様の分からないこと、困っていること、悩んでることを的確に理解し、そのことについて「分かった、分かった」、即ち理解したと伝えることである。

しかし、お客様の言ってることが分からない場合、あるいは、同意出来ない場合も多々あるだろう。そのときにこそ、感情移入によって相手を説得出来る。自分の感じ方、思い方、考え方を正しく相手に伝え、相手を納得させることこそが感情移入なのである。

 

 

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2014年7月6日(日)7:25 東京都港区芝公園にてユリを撮影
花言葉:「威厳」「純潔」等 

 

 

4月25日の投稿後、都合によりしばらくの間お休みさせていただいた「弁護士の営業」ブログですが、今回から少しずつ再開させていただこうと思っています。

皆様のご感想・ご意見お待ちしておりますので、どうぞ宜しくお願いします。

 

 

弁護士という職業はお客様があって初めて成り立つものである。そのため、弁護士には、お客様とのコミュニケーション能力、人間関係を円滑に構築できる力が要求される。コミュニケーション能力が高ければ高いほど、弁護士はお客様が困っていることや分からないこと、気掛かりなことを上手に引き出すことができるし、それが問題の本質を把握することにも繋がるのである。

 

①挨拶

まず、お客様との人間関係を円滑に構築するために大切なこととして「挨拶」がある。

挨拶は、人間関係の基本である。中国古典『礼記』には、「挨拶はお酒を造る麹(こうじ)のようなもの」という記述がある。醸造に麹が不可欠であるように、挨拶は人間関係の構築に欠かすことのできないものなのだ。

挨拶の漢字の由来をひも解いてみると、「挨」は「聞く」「押す」、「拶」には「押し返す」「引き出す」という意味があるそうだ。つまり、「心を開いて、相手のよい部分を引き出す」ということが挨拶の本来の役目なのである。挨拶は、人間関係の入口であり、第一関門であると心得る必要がある。

 

近ごろは、この挨拶が出来ない人が増えてきていると聞く。しかし、挨拶がまともに出来ない弁護士が対応していては、お客様は不快に思い、その弁護士に不信感を抱くに違いない。挨拶とは、先にも述べた通り「心を開いて、相手のよい部分を引き出す」ものであるから、「挨拶は先にすることをもってよしとする」ということに気づかなくてはならない。

弁護士がお客様に対して挨拶を先に行えば、お客様は心を開いてくれるだろう。お客様が弁護士に対して心を開けば、お客様にとって都合の悪い事情やお客様の本音を引き出すことができるようになる。

 

次に大切なのは、「握手」である。握手とは、人間が二足歩行するようになり「手」が自由に使えることから始まったとされる。人間がまだ四肢で歩いていた頃、まぶしい太陽に照らされてびっくりして前足を地上から少し離したことから人間の「手」が始まると考えられるが、手を使って握手をするということは、お互いが人間同士だと確認する“手続き”だと言える。

 

加えて、握手によって相手に体温が伝わることで、相手が安堵する効果もある。例えば、握手をしながら選挙活動をする政治家に、なんとなく親しみを感じることがあるだろう。これは、弁護士にとっても大切なことだ。時折相手と握手をすることで、相手を安堵させることができる。さらに、お互いの目を見てしっかり確かめ合うことができれば、より強固な意思疎通をはかることができるであろう。まさに、触れあいが大事である。挨拶をする、次に目線を交わす、さらには納得・共感させるというように、コミュニケーションの段階を高めていくことで、信頼度が深まっていくのである。

 

 

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2014年4月21日(月)7:32 東京都文京区4丁目にて藤を撮影
花言葉:「歓迎」「陶酔」 

 

 

[3]明快さ

弁護士トークというものはあり得ない。法律第○条…ばかりを論じていては、専門家としても尊敬されなくなるだろう。弁護士は法律を易しい言葉でクライアントに説明する必要がある。そして、クライアントが求めているものは何か、法律論を踏まえつつも、さらには法律論を超えたところに本当に知りたいポイントがあるのか等々、想像力をも十分に働かせなければならない。

 

そのうえで、自分が受任できる相談内容かどうか、受任できるとして見通しはどうかなど、クライアントが納得できるように明瞭に伝えるのである。たとえ仕事を受けないことになったとしても、どのような局面においても次につながる信頼関係の端緒を作る努力をすることは、弁護士の営業の面でも非常に重要である。

 

また、クライアントが話したいことや、こちらの質問に対する答えを最後まで話してもらう(途中で話の腰を折らない)ことも大切である。そして、クライアントの関心事、質問に対して的確な応答をする。裏付け資料は必ず用意し、書面にして出すことが一番良い。加えて、基本的なことであるが、クライアントと接するときには姿勢を良くし、晴れやかな顔、自信のある表情で応対し、安心感を与えることである。弁護士だけでなく、ビジネスの場では、自分自身をいかに売り込むかが課題となる。話の内容が貧相で情熱がない、当意即妙な受け答えができない、不安げな顔、おぼつかない表情では、クライアントには魅力的な弁護士として映らないだろう。

 

ところで、クライアントに明快に説明するためには、昨今ビジネスマンの必須スキルとしても注目されている「地頭」「地力」が求められる。「地頭」「地力」とは、本来の頭の良さ、本来の実力であるため、もともとは生来的に身に付いているものであるが、勉強や、また、鍛錬や経験、特に修羅場を潜り抜けた経験などを通して、後天的に身に付けることもできる。「地頭力」は、知識に頼らず思考することで回答を導き出す力とも説明され、変化が激しい現代において、経験のない場面に遭遇しても解決の方策を導き出すことができる力として注目されているのである。

 

これは、経験にもつながる話であるが、若手のうちに経験がないから引き受けられないと仕事を断っていては、どれだけ経っても経験は積み重ならない。初めは誰しも経験のないところから始めるのであり、弁護士として経験したことのないことも、これまでの自身の経験や知識、先輩等から教えを受けたことや勉強していくことを繋ぎ合わせて解決の方策を導き出していく際に「地頭力」が発揮されるのである。

以上

 

以上、弁護士業における営業について、私の50年余りの弁護士歴の中で得た所感を、8回にわたって綴ってまいりましたが、いかがだったでしょうか。

突然で申し訳ございませんが、私、この程、体調が芳しくないため、誠に勝手ながら、今回をもちまして「弁護士の営業」ブログを一時中断させていただきます。

この続きにつきましては、体調が回復しましたら、いずれまた記す予定でおりますので、気長にお待ちいただければ幸いにございます。

それでは、またお目にかかれます日を楽しみにしております。

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