A '15.7.12(日)11:07東京都千代田区九段南3にてバラ(花言葉:純潔)
B '15.7.20(月)7:51東京都目黒区中目黒公園にて向日葵(花言葉:崇拝・熱愛)
C '15.7.20(月)7:53東京都目黒区中目黒公園にて芙蓉(花言葉:繊細な美)
前回から、2011年5月~2012年4月にかけて、計12回、『月刊公論』(財界通信社)にて私が連載いたしました「高井伸夫のリーダーの条件」を転載しています。
私の半世紀にわたる経営側の人事・労務問題の専門弁護士としての経験もふまえ、リーダーのあり方について述べた連載です。
これからは、自分一人の信念で周囲をひっぱっていくというリーダーの時代ではありません。優れたリーダーには必ず、”股肱(ここう)の臣、頼れる参謀”が付いているものです。もはや”孤高の人”では、リーダーにはなり得ないのです。
ブログ読者の皆さまに、現代におけるリーダーシップ論を考えていただく一助となれば幸いです。
「リーダーに不可欠 カリスマ性 全員を心服させる魅力」
(『月刊公論』2011年6月号より転載)
■「好ましい不思議さ」を彩る人 人格、識見、手腕、力量が条件
今のような知的社会、そして、国内外の競争が激化している時代には、それぞれの分野で専門性を高めなければ生き残れません。専門性の最終的な目標は、その分野でのカリスマになることでしょう。私は、事務所の弁護士には意気込みだけでもカリスマを目指して欲しいと願い、日頃より専門性を高める指導しています。こうした各人の心掛けが、クライアントへのリーガルサービスに、より良く反映されると確信しています。
先日、「カリスマ性のある有名人は誰だと思いますか」と、事務所の数人の者に尋ねてみたところ、皆、首をかしげるばかりで、意見を出すのに四苦八苦していました。政治家の例を出すまでもなく、今の日本はカリスマなき時代なのでしょう。
リーダーシップとカリスマ性は全く違います。
たとえ指導者に優れたリーダーシップが備わっているとしても、全体の30%の者は絶えず不平不満を言うのが普通です。こうした状況では、その指導者は大物・怪物・傑物の域を出ず、カリスマではありません。不満分子に、不平を言う権利さえも意識させず、ほぼ全員を心服させる力が、カリスマ性なのです。人格・識見・手腕・力量を存分に発揮して、100人中99人が賛同し心服すれば、カリスマになります。そして、企業のトップが人を心服させる力を備えていれば、結果として、リーダーシップもマネジメント力も円滑に機能することになります。
ドラッカーは、企業のリーダーにカリスマ性は不要と説いているようですが(『プロフェッショナルの条件』183頁等)、私は、リーダーシップやマネジメント力が非常に弱体化している今の時代だからこそ、誰しもそれぞれの分野において、まして社長は、これからいよいよカリスマ性の体得を目指し、チャレンジしなければならないと思います。
■ 「あの人はいつ寝ているのか」
私の思うカリスマ性の要素をあえて挙げるとすれば、次のとおりです。
- 皆が憧れるような素晴らしい実績をあげていること。
―普通の人にはとてもできそうにないことを成し遂げていることは、心服させる大きな要素です。 - 決して平凡ではなく、好ましい「不思議さ」に彩られていること。
―「あの人はいったいいつ寝ているのか?」というような、素朴な不思議さでもよいのです。 - 人格・識見・手腕・力量・多芸多趣味に秀でていること。
―これは、「不思議さ」の源です。 - 人の話をよく聞き、当意即妙で自在な話ができること。
―社長は、メモを見ながらスピーチをするようではいけません。そして、話題が豊富で、その場の流れを的確にとらえた話ができなければなりません。自分の頭で考え、相手の話を咀嚼して、それをさらに一段と広く深く気づかせるひと言、あるいは相手をほめてさらにプラスアルファする独創性が求められるのです。 - 人の心を見抜く力と卓越した判断力があること。
―大衆の心を見抜く力は、天性のものといってよいでしょう。とすれば、天賦の才に恵まれない者は、カリスマたらんとしてチャレンジし続けても如何ともし難いことになりますが、この点は、心理学を学ぶことでいくぶん挽回できるでしょう。 - 実行力があること。
―判断力が備わっているだけではダメで、実行力がなければ、人は心服しません。 - 口頭でも書面でも、明確な方向性を示して意思表示できること。
―話すときは、大きな声で歯切れよく断言することが肝要です。 - 潔いこと。
―うまくいったときは全員の努力の賜物であり、うまくいかなかったときは「オレの責任だ」と言える潔さは、カリスマ性の原点でしょう。 - 美醜という意味ではなく、魅力的な外見で、華(=大衆を魅了する力)があること。
―これもカリスマ性のとても重要な要素でしょう。 - 悪役になったときに上手にしのぐこと。
―カリスマは目立つ存在ですから、時局の変化によって、一気に悪役に仕立てられることもあります。それをしのぎきれなかったら、カリスマ凋落ということになります。
私がカリスマ性を感じた人物は、3人いらっしゃいます。
実際にお会いしたことがある方では渡邉恒雄氏(読売新聞主筆)そして、間近でお見かけした方では、中曽根康弘氏(元内閣総理大臣)、テレビでお見かけしたなかでは、吉永小百合さんです。
脱線気味になりますが、渡邉恒雄氏のことからお話しましょう。
私は、この3月3日~5日、九州・佐賀市にある矢山クリニックに行きました(このクリニックの主宰者である矢山利彦先生は、日本の最高の医師としての実力の持ち主であるとも評されています)。その治療が終わった直後、佐賀にて、2000年に政界を引退された山下徳夫先生とお会いし、食事会となりました。
実は、佐賀に到着した3月3日、佐賀伊万里の山下先生に挨拶すべく、携帯電話にご連絡をしました。しかし、案に相違して、山下先生は東京にいらしたのですが、私が佐賀にいることがわかると、東京からとんぼ帰りされ、3月5日正午に、わざわざ矢山クリニックまで私を迎えにきてくださったのです。山下先生は御年91歳です。
今回の山下先生との久方ぶりの再会で思い出したのが、2006年4月24日、ホテルオークラの日本料理「山里」にて、山下先生が渡邉恒雄氏をご紹介くださったことでした。そのときの渡邉氏との話題はいろいろありましたが、もっとも鮮明に覚えているのは、渡邉氏が手帳をご覧になりながら、読売ジャイアンツの投手の勝ち星を予想して、たとえば「彼は13勝する」等、星勘定されながら、「今シーズンは優勝だ!」と、楽しそうにおっしゃったことです。しかし巨人はシーズン当初1位を走っていたものの、終わってみれば4位に沈んでしまいました。要するに、渡邉氏の予想は当たらなかったのです。
投手の勝ち星を手帳に書き込み胸算用されている姿は、見方によれば、児戯に類することかもしれません。しかし、巨人の会長として、プロ野球ファンとしては、当然のことです。渡邉氏は天真爛漫な方なのです。まさに、人格・識見・手腕・力量、そして、多芸多趣味の要素を、全て備えている方と言ってよいでしょう。山下先生ともども、また渡邉氏にお会いして、プロ野球談義や巨人の優勝の見込みなど楽しいお話をご一緒できれば、これほどうれしいことはありません。
中曽根康弘氏は、二度ほどお見かけしたことがあります。そのうち一度は、伊東のサザンクロスゴルフ場の朝食会場で、奥様ともどもご家族の皆さんで朝食をとられていたところでした。確か、中曽根氏が大勲位菊花大綬章を授章された1997年4月29日のあとのことです。
中曽根氏はスピーチが本当にお上手であるということが、第一の印象です。聞いていて、感心してうなってしまうほどの雄弁家・達弁家です。中曽根氏は、私が前に挙げたカリスマの要素「④人の話をよく聞き、当意即妙で自在な話ができること」を、難なく実行できてしまう方です。
そして、何より私が感銘を受けたのは、中曽根氏が、昭和42~43年頃か、学生運動の華やかなりし頃、新聞の一般読者からの投稿欄に、中曽根氏が投稿されたことです。確か、10~20行ほどの簡潔なものでしたが、学生運動の状況を踏まえて、「そのために政治家は雇われている」というような内容の名文だったことを覚えています。
吉永小百合さんは、女優さんという文化・芸術の分野で活躍されている方ですが、人間としての内面的な素晴らしさが外見に表出していると感じさせ、人を心服させる静かで強い力を持っていらっしゃるのではないかと想像します。吉永さんには、まだお目にかかったことはありません。私の事務所が顧客をお招きして300~400人規模で行う毎年恒例の「年末講演会」にご出講いただけないかと、東映アニメーション株式会社相談役泊懋様を通して何度かチャレンジしたのですが、まだ実現できていません。吉永さんに是非お引き受けいただきたいという願いを、私は持ち続けています。
今後、このお三方を凌駕するようなカリスマにお会いできればうれしいかぎりですが、残念ながら、今の時代ではそれは叶わぬ夢なのかもしれません。