<上海高井倶楽部連載リレーコラム 日本人と中国人 『コンシェルジュ上海』>の最近のブログ記事

 

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2016年2月13日(土)8:25頃 渋谷区広尾1にて撮影
右上から
ボケ 花言葉:「早熟、先駆者」
キンセンカ 花言葉:「慈愛、用心深い」
黄梅 花言葉:「控えめな美、期待」

 

 

2004年9月から2005年9月にかけて、上海のフリーペーパー「コンシェルジュ上海」に小生が連載として書いたものです。10年の年月が経ちましたが、原文通り転載しました。当時としては斬新な内容であったかと思いますが、多くが今でも通用する要諦であると考えております。

例をあげれば、日本企業は中国企業との取引において、全部疑うか、完全に信じてしまうかと二者択一に偏ることが多く、あいかわらず、「中国人は信用できない」とぼやく企業があとを絶ちません。過度に疑うことなく、また、過度に信じることなく、冷静な対応が健全な取引が継続する鍵となることは今も昔も同様です。

 

 

『日本人と中国人 最終回』

 

■ 昨年9月より連載開始した「中国人と日本人」が今月で最終回を迎える。上海高井倶楽部の理事をはじめとするリレーコラムの最後を飾るべく、高井伸夫法律事務所の高井伸夫氏が再登場。再三にわたり言及してきた中国人の個人主義に触れながら、日中の人事労務施策の違いについて指摘、成功へのアドバイスをする。

 

人材『引き留め策』が基本の中国『淘汰策』が基本の日本

読者の皆さんは、中国と日本の企業の人事労務施策の違いは何だとお考えだろうか。私は、中国では人材の『引き留め策』が基本であり、日本では人材の『淘汰策』が基本である点に求められると思う。日本では解雇等が法律上制約されているため、企業は人材の淘汰をいかに実現するかというレベルで汲々としているのに対し、中国では淘汰が容易に実現できるため、企業はその先の、いかに優秀な人材を引き留めるかという段階で知恵を絞っているのである。

中国で人材の淘汰が容易である背景として、まず労働者の多くが期間雇用者である点が挙げられる。中国では終身雇用ではなく、期間雇用の連鎖が労働契約関係の中心となるから、期間の到来をもって雇止め(更新拒否)することは、法律上何ら理由を要しない。これは、一見、労働者に対し冷たい扱いのようにも思えるが、そうではない。余剰労働人口が多い中国では、より多くの人材に勤労の喜びを体験させることが必要だからである。

翻って、日本企業では終身雇用制が長年にわたって採用されてきたため、人材の淘汰が極めて難しい。裁判所も終身雇用的な思考が基本であり、期間雇用者の雇止めを安易に行なえば労使紛争が起き、裁判所は労働者側を擁護する趣旨の判断をする傾向がある。これが日本企業の成長性を弱めている一因でもあったわけだが、最近では日本社会の個人主義化の進行や企業のグローバル化を背景に、労働者に対する過保護的状況を反省する雰囲気が生じつつあると言ってよい。

 

労働契約に見て取れる中国人の個人主義

さて、私はかねてより個人主義の本質を「権利の極大化と義務の極小化にある」と指摘してきたが、中国での労働契約関係にもそれが見て取れる。彼らは企業への忠誠心よりも自らの利益を優先するから、転職は当然の権利と考えられている。その結果、転職数が多く労働市場が形成されている。換言すれば、中国では人材の能力に対する評価システムが日本以上に先進的で、厳格に機能しているのである。

また、中国ではホワイトカラーとブルーカラーとが区別されているため、日本人経営者が中国人ホワイトカラーに指示を出してもそれがブルーカラーにまで浸透しないことも珍しくない。そこで、日系企業が中国の地に根付いて生産・販売・サービス業を行なっていくためのアイデアとして、次の2点の実行をおすすめしたい。

①日本の賃金体系ではあまり馴染がないが『職種別賃金制度』を積極的に取り入れる。

②人材の生産性を高め、より良いサービスを提供できるよう、日本人幹部が工場や現場でブルーカラーと共に汗を流し作業に従事する。社長室などに閉じ籠もり指示しているだけでは、生産性の向上は到底図れまい。

価値観の違いなどもあり、日本人は、中国人と共に働くことに総じて不慣れである。この点を克服するためには、的確な指導・助言をしてくれる良き中国人コンサルタントを見つけることが重要である。論語(衛霊公)にも『工欲善其事、必先利其器』という言葉があるように、良い仕事をするためには、まずはそれに相応しい立派な道具を揃えなければならないのである。残念なことに、日系企業には、コンサルタント費用の支出に消極的な傾向がある。しかし、彼我の価値観の相違を乗り越え、現地で良い仕事を成し遂げるためには、優秀な中国人コンサルタントとの契約は『投資』と心得て、賃金体系構築の面でも、生産・販売・サービス高度化の面でも、彼らの指導・助言を大いに取り入れる必要があろう。これが、現地企業を確実に成長させるための第一歩なのである。

 

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右から
2016年2月1日(月)7:46 芝公園にて椿を撮影 花言葉:「控えめな美、慎み深い」
2016年1月24日(日)8:13 千代田区三番町にてカルーナを撮影 花言葉:「連理の枝、自立」
2016年1月24日(日)7:12 港区永坂上遊び場にて梅を撮影 花言葉:「高潔、忍耐」

 

1月26日の朝、北の丸公園に散歩に行ったところ、地面一面に霜がびっしり生えていて、歩くたびに霜が崩れる音がしました。霜自体はもっと前からできていたと思いますが、2、3日前の寒波の影響で増えたのでしょう。まさに冬本番を感じさせる激しい霜でした。

 

 

2004年9月から2005年9月にかけて、上海のフリーペーパー「コンシェルジュ上海」に小生が連載として書いたものです。10年の年月が経ちましたが、原文通り転載しました。当時としては斬新な内容であったかと思いますが、多くが今でも通用する要諦であると考えております。

例をあげれば、日本企業は中国企業との取引において、全部疑うか、完全に信じてしまうかと二者択一に偏ることが多く、あいかわらず、「中国人は信用できない」とぼやく企業があとを絶ちません。過度に疑うことなく、また、過度に信じることなく、冷静な対応が健全な取引が継続する鍵となることは今も昔も同様です。

また、中国では個人主義も強まることすらあれど、集団主義的な要素は殆ど見受けられません。10年前と比べ、中国の台頭が顕著になった今、巨大市場を有する中国と、冷静かつフェアに付き合っていくために本稿が何らかの参考になれば幸いです。


『日本人と中国人 第3回』


■ 中国の法律に対する観念に対して、高井伸夫氏が弁護士の立場から言及する。法治主義国家体制が整いつつある中国において、従来の交渉の仕方で油断をしていると思わぬ落とし穴があることを、事例をもとに解説している。日系企業が中国で成功するためにはどうするべきなのか。

 

「中国は人治主義の国である」と盛んに言われている。これは決して誤った観念ではないが、頭ごなしに人治主義国家とのみ決めつけ、法治主義国家体制の整備に邁進している中国の実情を意識せず蔑ろにすると、我々はとんでもない大怪我をする羽目になる。

 

法治化する中国

中国は個人主義の国であり、その結果、家族主義、地方保護主義、人治主義へと展開している。しかし経済発展につれて社会的な格差の問題、利害の対立等が発生し葛藤が激化する。そこで、当然中国社会においても『秩序付け』が必要となり、その結果、人治主義の中国も次第に法治主義の色彩を取り入れざるを得なくなってきている。

 

中国には現在約12万人の弁護士がいると言われているが、毎年、国家司法試験により約2万人前後の新人弁護士が誕生している。そして中国の弁護士は日本人弁護士に比べ、概ね豊かな生活をしているように見受けられる。つまり、中国国内においてそれだけ法律に対する需要・ニーズがあるということであり、ここにも法治主義化しつつある現実を見て取れる。

 

日本企業が中国へ進出する際には、さまざまな障害にぶつかるが、中国の法律・規則・条例を遵守する姿勢なくして日本企業は存続することはできないという現実をまず知るべきである。中国政府担当者に賄賂を渡すなどして懇意な関係になり、法が要求する条件を満たさない企業を設立する例などを仄聞するが、その担当者が異動あるいは退職した途端、当該違法行為の摘発がなされ、多額の罰金を請求され、ひいては営業許可証取消処分を課せられてしまう。つまり、賄賂を渡して許可を得るということは、中国政府に取りつぶされる理由を与えているということになる。賄賂は『諸刃の剣』であることを十二分に認識しなければならない。このような、法の要件を満たさない違法行為の摘発事例は中国のWTO加盟によりますます加速されている。言い換えれば、人脈、あるいは袖の下のみを頼りにして、企業活動を展開することはもはやできない時代となってきているということである。

 

法規遵守が最適な対処

さて、アメリカ人も中国人と同様に個人主義の民族であるが、アメリカでは、民事上の不法行為に対して厳しい賠償責任が課せられることがある。不法行為の悪性が強い場合には制裁的意味の損害賠償を加算する『懲罰的損害賠償』が認められており、そうなると実損害の何倍もの賠償責任を負わされるという。また、刑事責任では終身刑というような生やさしいものではなく、250年、300年間もの懲役が科せられる。個人主義が強ければ強いほど、社会の秩序付けのために懲罰を厳しくせざるを得ないという現実があることを我々は忘れてはならない。中国においても刑罰は極めて厳しく、死刑を執行された者の数は年間3000人にのぼると言われているが、日本の実情が数人にすぎないことと対比すれば歴然としている。

 

今後日本企業は、活発に発展を続ける中国国内市場に活路を求めていかなければならないが、日本企業の中国市場への進出度が強くなればなるほど、バッシングは一層強まることであろう。日本製品の品質の良さ、品位の高さは世界的に評価されており、結局これは中国人・中国社会にも受け入れられていくが、一方ではそれを良しとしない勢力も生まれ、感情的な展開をみることにもなろう。

 

日本・日本企業バッシング、日本製品ボイコットは、アジアにおける国家覇権争いおよびこれまでの日中間の歴史に起因する独特の要素であるが、日系企業は「自らが背負っている宿命」としてそれらに適切に対処していかなければならない。そこに言う適切な対処のうち最も重要なことが『中国の法規を遵守する』ということなのである。我々日本人は、中国社会が成熟した法治主義国家に向けて1日1日成長している現実を肝に銘じ、身を慎んで法律・法規を守る企業活動、良心的経営を行なわなければならないのである。

 

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2015年12月30日(水)東京大学御殿下記念館にて水仙を撮影
花言葉:「うぬぼれ、自己愛」

 

 

2004年9月から2005年9月にかけて、上海のフリーペーパー「コンシェルジュ上海」に小生が連載として書いたものです。10年の年月が経ちましたが、原文通り転載しました。当時としては斬新な内容であったかと思いますが、多くが今でも通用する要諦であると考えております。

例をあげれば、日本企業は中国企業との取引において、全部疑うか、完全に信じてしまうかと二者択一に偏ることが多く、あいかわらず、「中国人は信用できない」とぼやく企業があとを絶ちません。過度に疑うことなく、また、過度に信じることなく、冷静な対応が健全な取引が継続する鍵となることは今も昔も同様です。

また、中国では個人主義も強まることすらあれど、集団主義的な要素は殆ど見受けられません。10年前と比べ、中国の台頭が顕著になった今、巨大市場を有する中国と、冷静かつフェアに付き合っていくために本稿が何らかの参考になれば幸いです。

 

 

『日本人と中国人 第2回』

 

■ 昨年9月号では、日本人と中国人の民族性の違いによる理解不足が原因で、多くのトラブルが起きていると示唆した弁護士・高井伸夫氏。今回は、ともすると眉をひそめたくなるような中国人の「変わり身の早さ」が、現代のソフト化社会には、日本人よりも適応していると言及する。日中関係が緊迫している昨今だからこそ一読し、相互理解を深めたい。

 

「中国人は目前の利益を優先する判断をするのに対し、日本人は長期的なビジョンのもとに判断する」とよく言われるが、実はそのことは、中国人の強みであり日本人の弱みとなりつつある。現代は、農業社会という第一次産業、工業社会という第二次産業、商業・サービス社会という第三次産業を経て、ソフト化・頭脳労働の社会になった。世俗的にいえばIT産業の時代である。

 

ソフト化社会に適応する中国人

農業社会は足腰の時代であり、工業社会は原始工業社会が手工業という言葉で表現されているがごとく、手が武器であった。そして、商業・サービス社会は、「いらっしゃいませ」「ありがとうございました」という挨拶に始まり、契約・取引ということを中心にした物の交換社会である。そこでは口による意思疎通が武器となる。そして、第四次産業であるソフト化産業は頭脳労働が武器となる時代である。こういう時代になればなるほど、実は「変わり身の早さ」ということが極めて大切になる。さらに直接的に言えば「飛び乗り・飛び降りの精神」がなければならない。孫子の言葉の中にも「兵形象水(兵の形は水にかたどる)」という格言があるが、これは、「水には一定の形がないように、戦い方も不変の体制はあり得ない。敵の情況に合わせて 臨機応変の対策を執ってこそ勝利を握ることができる」という意味である。ソフト化社会においてこそ、この臨機応変の変わり身の早さが最大の武器となるのである。

 

この点、中国人は目前の利益を極めて強く意識し価値判断の基準とする。まさにソフト化社会に相応しい変わり身の早さである。すなわち、「考えること、思うこと、感じること」が頭脳労働であるが、新しいことを考え、新しいことを思い、新しいことを感ずる、そしてそれを商品化する。このことを「新しいビジネスモデルの構築」と言うが、新しいことを考え、思い、感じることは、スピードと変化を絶えず行わなければならないということである。スローな社会では新しさは生まれないし、変化することに躊躇すれば、新しさを求めることに抵抗することになる。ここに中国人の特性は、ソフト化社会において花開くことになるだろう。

 

要するに、日本の社会は、農業社会、工業社会という物作りの世界において優秀さを発揮してきた。そこでは、年に一毛作という一年を周期とした思考が許されたし、また工場で商品を生産するということは、工場・敷地を手当てするとか設備を整えるということについても、また商品の変更についても長期間のレンジで考えていかなければならなかった。つまり、長期的なビジョンに立って物を作っていくということが、実は物作りにおける原点なのである。ところが、さきほど述べたようにソフト化社会においては、当然のことながら変化、新しさを求める。それはスピードを持っているということである。そこでは、中国人の特性が勝利することになろう。したがって、日本企業がその研究・開発拠点を中国国内に設置して、中国人による研究・開発を進めるのも極めて自然な流れであろう。日本の産業が喘いでいるのは、実はソフト化社会に乗り遅れている日本人ということになるのである。日本が物作りに注力したいという思いはITに不向きな民族性から言って相当なことではあるが、それは経済の上部構造ではなく下部構造を占めるにすぎないということも自覚しなければならない。

 

今春、プロ野球球団に名乗りを上げたのは、農業系企業でもなければ製造系企業でもなく、IT産業に所属しているソフトバンクと楽天であった。このことがいかにITを勝ち抜くことが大切かを示しているのであるが、日本人と中国人との特性の違い、すなわち冒頭に述べた、「中国人は目前の利益を優先する判断をするのに対し、日本人は長期的なビジョンの下に判断する」ことから考えて、IT時代には日本は中国に遅れを取ることになるだろう。

 

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2015年12月7日(月)7:34 中目黒公園にて楓を撮影
花言葉:「大切な思い出、美しい変化」 

 

 

2004年9月から2005年9月にかけて、上海のフリーペーパー「コンシェルジュ上海」に小生が連載として書いたものです。10年の年月が経ちましたが、原文通り転載しました。当時としては斬新な内容であったかと思いますが、多くが今でも通用する要諦であると考えております。

例をあげれば、日本企業は中国企業との取引において、全部疑うか、完全に信じてしまうかと二者択一に偏ることが多く、あいかわらず、「中国人は信用できない」とぼやく企業があとを絶ちません。過度に疑うことなく、また、過度に信じることなく、冷静な対応が健全な取引が継続する鍵となることは今も昔も同様です。

また、中国では個人主義も強まることすらあれど、集団主義的な要素は殆ど見受けられません。10年前と比べ、中国の台頭が顕著になった今、巨大市場を有する中国と、冷静かつフェアに付き合っていくために本稿が何らかの参考になれば幸いです。

 

 

『日本人と中国人 第1回』

 

■ 日本、中国両国間の国民性や文化の相違を把握し、理解と友好を深めるため、日中各分野で活躍する知識人、経済人が指南する連載リレーコラム。第1回目は弁護士の高井伸夫氏。氏は、日本で弁護士業務や執筆活動の傍ら、02年に上海高井倶楽部を発足、日中友好に尽力を尽くしている。

 

中国に進出した日本人・日本企業の多くが、「中国人は信用できない。中国人に騙された。裏切られた」とぼやいているのをよく耳にする。しかし、私は中国人が必ずしもそのような民族ではないということを日本人・日本企業に説き続けている。そもそも、日本人がこのような認識をもつに至ったのは、日本人と中国人の民族性の根本的な違いを理解しないことが大きな原因であると言えるだろう。

 

中国人はひとにぎりのバラバラな砂

孫文先生(1866~1925)は『三民主義』の中で、「中国人はひとにぎりのバラバラな砂である」との論説を紹介した。つまり、乾いた砂は決してくっつかず、石にも岩にもなり得ないということである。一方、日本最初の憲法である聖徳太子の17条憲法第1条には、「和を以て貴(たつと)しと為す。忤(さから)ふこと無きを宗とせよ」の一節がある。島国日本は、天皇制を軸に国に対する信頼と国民同士の結束を営々と強め、結果として集団主義が形成されてきた。ところが、大陸国家の中国は古来より異民族との葛藤が絶えざる課題であった。王朝も絶えず変転し、漢民族が異民族に支配される時代も多かった。モンゴル民族による元王朝(1271~1368)や、満州族による清王朝(1636~1912)がその代表である。このような中国の地理的・歴史的プロセスから、漢民族は「国民」という概念をもち得ず、「人民」という概念をもつに至り、ここに中国人が個人主義となった所以があるのである。

 

個人主義の中国、集団主義の日本

しかし、個人主義はなにも中国人特有のものではない。他民族の支配を受けやすい大陸国家、即ちヨーロッパ諸国や、移民で結成されたアメリカもまた同様である。このように、世界の民族の大部分が個人主義であるのに対し、島国であるが故に他民族からの侵略を受けることなく、日本国土を脈々と支配し続けてきた日本民族は、世界の中でも珍しく集団主義の国なのである。

日本の契約書の中には必ずと言って良いほど「甲と乙は、信義に基づき誠実にこの契約を履行する。そしてこの契約に定めのない事項が生じたとき、又は、この契約各条項の解釈につき疑義の生じたときは、甲乙各誠意を以て協議し、解決する」の一条項を加える。ところが、中国人は個人主義という民族性から、権利の極大化と義務の極小化を図ることがすべての局面において大前提となる。よく日本人は、「中国人と契約しても契約を守ってもらえない。代金を支払ってもらえない」と嘆いている。しかし、代金を極力支払わないということは彼らが義務の極小化に努めた結果であり、民族性に適ったごく当たり前の言動と言えるのである。そこで、日本人経営者や財務担当者は、この点において抜かりのないよう慎重を期し、結果として契約書は詳細でかつ多義的解釈を許さないものでなければならないことになる。

さらに、日本企業の商品・サービスが、中国において日本と同様に受け入れられる為には、それらが揺るぎない価値を有するものであることが不可欠となる。つまり、中国人の権利の極大化に役立つものでなければならないということである。義務の最小化を前提とする中国人に対し、現金を提供してまでも、その製品・サービスを受けたいと動機付けでき、義務の極小化ということを忘れさせることが必要となる。

個人主義は中国社会のシステムや習慣の中にも度々見られる。例えば、中国人が自動車を我勝ちに走らせることは権利の極大化に、交通ルールが守られないことは義務の極小化に拠るものと言ってよい。また、個人主義の延長線上に家族主義、地方保護主義、さらには人治主義があるのである。紹介手数料も結論的に言えば個人主義に拠るものと言えるだろう。中でも個人主義がよく反映されているものは、夫婦別姓であろう。日本では民法750条において、夫婦同姓が義務付けられているが、中国では結婚しても夫婦の姓は同一とはならない。

このように、我々日本人の多くが頭を抱える中国人との様々なトラブル、葛藤の多くは、民族性の違いについての我々の理解不足に端を発しているといえるのである。

 

 

上海高井倶楽部

02年、高井伸夫氏により発足。上海に赴任・駐在、または、それを計画中の日本人が成功できるよう3か月に1度研究会を開催し、先輩・同輩・後輩間で知恵と知識を共有するとともに、後進にも提供する相互扶助的な非営利組織を構築することを目的とする倶楽部。理事に大手企業総経理や医師・研究家がいる。

 

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