『労働新聞』高井伸夫弁護士の四時評論の最近のブログ記事

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2016年12月4日(日)14:42 千代田区九段南3にてビオラを撮影
花言葉:「誠実、信頼」

 

 

第18回人材グローバル化(4)
(2008年10月27日) 

 

 

この10月1日に松下電器産業がパナソニックに社名を変更した。同社が目指すのは、真の「Global Panasonic」の実現であるという(同社2007年度決算説明会〔2008年4月28日〕配布資料より)。同社は売上高に占める海外比率が50%程度であり、ライバル社と比べて国内依存度が高いことを弱点として、その克服を成長戦略の一つに掲げた。この社名変更はそこから脱却しようとする姿勢を象徴的に表している。同社は、グローバル化しなければ生き残れないとの判断に立ち未来像を描いていたのだ。

日本企業にグローバル化が必要なのは、諸外国の経済的発展が著しい中で、日本が人口減少から逃れられないからである。日本の総人口1億2700万人余は、2046年には1億人を割り込み、日本全体が“過疎化”し、“うつ状態”に陥るのは明らかである。

 

「海外人事部」の設置へ

そうした中で日本人が活性化し生きていくためには、発展している海外に市場を求め、自らを磨きあげてグローバル化を進展しなければならない。国としても、企業がグローバル化のために求める、より具体的な実学をベースとした最新の知見を集約する研究機関を持つべき時期にきている。海外事情について調査・研究の余裕のない中小企業でも海外進出できるための情報インフラの整備を主たる目的とする部署を置くべきである。

加えて、企業側のより進んだ対応としては、日本人への人事部とは別の組織として「海外会社人事部」を作らなければならない。なぜなら、現地では、労働法・労働慣習に沿って現地人の人事的な枠組みを決める必要があるからである。例えば、幹部に登用した場合の役割・権限・責任・報酬等について、大企業といえども未整備なところが多い。人材の選抜と定着が難しく、現地マネジメントの悩みになっている。いかに小規模の企業でも、小さいなりにグローバル対応の人事部署を設けることが必要となるのである。

経営的には対症療法的な取組みだけでなく、経営体質自体を強化する観点からの継続的取組みが必要となる。その一環としての海外人事部には、国内人事部と同等の権限を付与する必要がある。海外の占める割合が大きくなるにつれ、将来的に国内人事部以上により大きい権限を付与することになろう。

要するに、日本的な感覚だけで現地スタッフの配置・選抜・教育等を行ってはならず、それぞれの海外拠点に相応しい人事対応がなされなければならない。基本的な思想は、年功要素を排除し、能力重視型あるいは成果重視型の制度を打ち立てることである。グローバルに人材を扱う際の統一価値観であり、統一価値観はこれしかない。

企業における現地化にはいろいろな要素があるが、現地化としては人の問題に行き着く。社長たる者、専務たる者、総務、人事、経理、販売等々要職に就く者の現地化を進めなければならない。経営理念のしっかりした企業ほど、海外の現地雇用の社員に日本人と差異なく接していると感じられる。ただし、文化的な背景や社会性の違いなど働く者のモチベーションにかかわる部分等の心理的な面では、日本人の感覚とは異なるケースが多いので、この点留意する必要がある。それらにきちんと対処しながら、日本の本社と情報を共有し、かつ現地雇用の社員に将来展望をもってもらうという観点からすれば、早い段階で漸次現地社員に経営を委ねる必要があるが、本稿1~3回でも述べたとおり容易ではない。

しかし、終局的にはソニー、日産や日本板硝子のように、外国人社長が日本本社のトップに就任することも厭わないスタンスを持つことが、単なる理想論でなく現実的課題としてこれから次々と登場するであろう。

さて幹部候補となる優秀人材の採用と引留め策は、現地雇用の社員がキャリアを明確に描けるかどうか、特に優秀な者にとって、経営トップになれる夢を描くことができるかどうかにかかっている。中国でいえば、残念ながら日系企業ではその夢を果たせる可能性はまずない。そのため従業員は自身について明確な将来像を描けず、日本の企業は欧米の企業に比して劣位に置かれてしまうのである。

 

現地主義を貫く方法

日本企業は未だ終身雇用制を基調とした労務管理であるため一旦採用した者を囲い込む傾向があるから、雇用の流動性を旨とする多民族の行動・資質を理解し難いという弱点がある。

要するに、本人の資質が向上し労働価値が高まれば、当然のことながら転職し易くなる。ここにこそ、実は働く者の「学習権」「キャリア権」(本紙2665~2667号掲載拙稿「注目すべき『キャリア権』」参照)の本質があるといってよい。自分を磨き上げることによって、より広い活躍の場を得て、より高い報酬を得ることができる。これは、グローバル化に伴う当然の現象のみならず、国内企業も「学習権」「キャリア権」を意識して人事制度を改めなければならない時代に来ていることを示している。

企業が従業員に対して教育機会を提供し、実行していく姿勢をみせることが必要不可欠であると意識しなければ、企業はグローバル化を達成し得ない。企業自らの現在の成長だけではなく、将来にわたっての成長をもたらす優秀な人材を引き留めることができなくなるのである。

企業のグローバル化とは、競争が一層激しくなるがゆえに、「絶えざるイノベーション」につながっていくことが肝要である。そのために企業は、新商品・新経営システム・人事等の新諸制度・新事業を創出しなければならない。とすれば、本社の所在地は、企業としてのイノベーションを最も良く実現し得るのはどこかという視点から、全世界の都市を候補として検討される必要が生じるだろう。グローバル化の行き着くところ、企業グループが成長し続けるための本社の海外移転が、現地主義を貫く具体的な検討課題として現実性を帯びてくるに違いない。つまり、真のグローバル化とは、このテーマを真剣な態度で検討する姿勢を持つかどうかにかかっているのである。

それにはまず確固たるグローバル戦略を打ち立て、地域ごとに独自の経営組織を構築し、調和のとれた事業計画を推進する母体を作ることが大切である。

本社を日本国内に限定する拘りや先入観がなくなり、海外への本社移転を、身近な感覚で捉えられるようになると、人事労務のあり方も根本的に変質しよう。そのとき日本企業は“三種の神器”~「終身雇用」「年功序列」「企業内組合」の呪縛から解放されることになるだろう。

では、日本企業の近い将来の新三種の神器とは何か?これについては多くの議論を重ねていく必要があるが、目指すべき方向性としては、①「キャリア権の尊重(個人の職業キャリアと人材教育の重視)」、②「ダイバーシティ(性・年齢・国籍によらない雇用の多様性)」、③「日本的成果主義(プロセスと成果の評価)」ではないかと思われる。少なくとも、これらを充足できない企業は脱落する。

 

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2016年11月12日(土)7:26 目黒区青葉台3にてプリンセス・ドゥ・モナコを撮影
花言葉:「淑やか、温かい心」 


 

第17回人材グローバル化(3)
(2008年10月20日) 

 

 

孫文(1866~1925)は著作『三民主義』の中で「中国人はひとにぎりの砂である」との論説を紹介している。つまり、乾いた砂粒は独立していて決してくっつかず、石にも、まして岩にもなり得ない。

一方、わが国では聖徳太子の「十七条憲法」(604年伝)1条が「以和爲貴(和を以って貴しとなす)」とし、国家君が代が「さざれ石の岩の巌となりて苔のむすまで」と謳うように、「和」「協調」が何より重んじられてきた。これらは国民性・民族性の違いと言うほかはなく、互いの特徴として認め合うしかない。日本人の中にはとかく「中国人に騙された、裏切られた」と嘆きあるいは怒る者もいるが、それは違う。基本的に、個人主義と集団主義の相克に過ぎないのである。そして、残念ながら世界では日本だけが集団主義であると言っても過言ではなく、個人主義は中国のみならず諸外国にほぼ共通する文化である。即ち、日本は万世一系の天皇のもとに「和」や「集団」を重んじる風土が形成されたが、諸外国の王朝・政府は革命で覆ることが半ば当然であり、人民は「公」を信頼し得ないとして個人主義とならざるを得なかったのである。そのため、日本は自らを変質させなければ、グローバル化対応を果たせないという宿命を負っている。

個人主義の内容を分かりやすくいえば、「権利の極大化・義務の極小化・責任転嫁」と表現できる。個人主義の国では、誰もが自らの利益を絶えず追求する“常在戦場”の精神に基づき、権利を可能な限り小さくし、いかに責任を負わないようにするかが行動基準になる。したがって、日常的買い物でも値段を高めに吹っかけ(権利の極大化)、買い手はそれを値切ることが義務なのである(義務の極小化)。

また、日本の契約書は「この契約に定めのない事項が生じたとき、又は、この契約各条項の解釈につき疑義の生じたときは、信義誠実の原則に基づいて協議・解決する」旨の条項を置いているが、中国ではこうした曖昧な文言は意味をなさない。中国人・中国企業との契約は、アメリカ的に細大漏らさず規定しなければ、彼らにとって信義誠実の原則=「権利の極大化・義務の極小化・責任転嫁」の行動原理に基づき対応され、当方は想定外の損害を受ける。

 

書面が必要な労働契約

これらを、日本人の感覚のみをもって中国を「とんでもない国!」と批判すること自体が、世界を知らない平和ボケ以外のなにものでもない。「衣食住足りて礼節を知る」(管子)というが、新興国の礼節に関する部分は、国民の一人ひとりが豊かになり国際的地位が高まることによって初めて備わっていくものなのである。それを興隆期に求めても、ないものねだりというほかはない。現地人のいささか気になる行為等をも包容する姿勢こそ大切である。

労働契約の面でも、中国の労働契約法10条は、労働契約締結の際に書面を取り交わさなければならない旨定めているが、これは前述の民族性に基礎を置くものである。日本では徐々に書面化が進んでいるとはいえ、口頭でも労働契約は成立し得る。

また、人事労務との関連で言うと、集団主義である日本は基本的には集団管理でよいが、個人主義である中国では大衆の統御が極めて困難であり、個人管理を徹底しなければならない。これが中国の人事労務の一番のコツである。それゆえ、中国人の就業規則が日本のような曖昧な文言では実効性がなく、微細に亘り規定する必要がある。例えば、規律違反に対する罰金規定では、対象となる行為と金額が具体的かつ詳細に列挙されているのが一般なのである。

なお、個人主義の人事管理の弊害の一つは、部下に自分より能力のある者を迎えたがらず、迎えたとなると功績を貶め、“足を引っ張る”傾向がある。このことを念頭に置いて人事管理を進めなければならないこともまた、個人主義の国民に対する態度として極めて肝要である。

 

国外追放や入国拒否も

こうした彼我の様々な差異を理解し、現地でも日本国内でも国籍に拘らない働きのできる人材を得るためには、①ダイバーシティの理解、②柔軟な価値観、③人権を重んじる振る舞いを念頭においたグローバル教育が重要となる。異なった考え方・思い方・感じ方・価値観を持つ多様な人材が交流する中で、発展的かつ創造的な成果が生み出されるのである。多様性の概念=ダイバーシティ(diversity)は、企業の現場でも業績の向上につながるものとして評価されている。

香港の地下鉄工事(1975年)を請け負った日本の建設会社担当者の当時の経験談を紹介しよう。この工事は英国人・広東人・韓国人・日本人の4つの異なる民族が協力して完成した。始めはお互いの言葉が通じなかったため摩擦もなかったが、少しずつ言葉が分かりはじめコミュニケーションが可能になってくるとケンカがみられるようになり、人間関係上の葛藤が凄まじかったという。しかし、彼らはケンカや衝突を経ることによって相互理解を深め工事は安全に進んだ。

①日本企業は人を見抜く目利きとなることを心掛け、ダイバーシティ概念を理解できる人材を見出し、教育・評価し、海外に派遣することが第一に肝要である。②そしてそれには、価値観において硬直的な人物は不適であり、フレキシブルな思考を展開できる人材が必要である。特に、日本から派遣するトップおよびナンバー2には、国内で成功した人よりも、多様な文化に喜んで対応できる人を選ぶべきである。

さらに、これらの大前提とも言えるのが、③現地の国民の人権を重んじる日本人派遣員の意識・姿勢・振る舞い、つまり人間としての真摯さである。例えば、中国の日本人派遣員の中には、国外追放を命じられる者や再入国を拒否される者もいる。それは現地の反政府的団体に関与した等の政治的理由だけでなく、現地女性とふしだらな行為に及んだことを理由とするビジネスマンの例も非常に多い。そのような人物を擁する企業に属する者が、中国の人権問題を云々すること自体、論外である。

グローバル化の意義を深く理解し、人権を尊重する所作・振る舞いを身に付けさせることは、グローバル化対応教育の重要な一章なのである。

また、グローバル化教育は日本人だけでなく現地人に対しても重要であり、上記①~③は彼らにも同様に求められる。そして、日本での定期的・継続的な研修や、日本と現地で人材交流(転勤・出向・出張等)を行い、人の往来を実行することも教育効果が大きい。さらに、日本本社で海外子会社などを統括する部門の長やスタッフ・サポート部隊に、海外から優秀なスタッフを招致し実をあげるとともに、将来の海外子会社の幹部候補として育成することも取り組むべき課題であろう。

グローバル化を図るには、尖兵としての日本人派遣員は、現地人に対する教育的役割を一層強調しなければならないのである。

 

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『去る10月12日に、株式会社労働新聞社と高井・岡芹法律事務所の共催で、
特別セミナー「AI(人工知能)が拓く未来 ~人事労務分野への影響を探り可能性を考える~」
を開催致しました。次回よりAI特別セミナーの概要、および講師の方のご感想を全5回に分けてご紹介致します。

去る10月12日に、株式会社労働新聞社と高井・岡芹法律事務所の共催で、特別セミナー「AI(人工知能)が拓く未来 ~人事労務分野への影響を探り可能性を考える~」を開催致しました。

次回よりAI特別セミナーの概要、および講師の方のご感想を全5回に分けてご紹介致します。

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2016年10月29日(土)10:51 白浜野島崎にて撮影

 

 

第16回人材グローバル化(2)
(2008年10月13日) 

 


今回は小生が中国での実体験に基づいて、現地の情報収集の重要性を指摘する観点から感じていることを述べてみたい。

 

まず群れから飛び出す

前回、日本人の群れたがる習性を批判的に紹介したが、日本人には「群れざるを得ない」事情がある事も否めない。なぜなら、日本人は欧米では人種的に差別され、中国等アジアでは対抗意識を抱かれるため、それらに伍していくためには自己防衛的な意味で集団の力で活動せざるを得ないのである。この点、米国に「日本人村」がなくなったのは、ひとつの進化であるといってよい。日本人は個々が切磋琢磨した結果、有能であると認知されてきたからこそ、集団になる意味が薄れ、「村」がなくなった。一方、韓国人村や中国人村はまだ存在するのであり、彼らは未だ日本人ほど認知されていないということになる。

しかし、いかに自らを守るために「群れざるを得ない」側面があったとしても、勇気をもってそこから飛び出し現地の人々と積極的に交わらなければ、更なる成長を遂げることはできない。例えば中国で日本人幹部だけで経営方針を決めたり、人事労務問題を処理すること自体、現地の人々に違和感・不信の念を持たれ信頼を得られない。その結果、士気の低下や労働生産性の低下をもたらすのである。

私が上海で主催している勉強会「上海高井倶楽部」は、非営利の相互扶助組織で、日中のビジネスの架け橋たらんとして2002年11月に立ち上げたものである。会員は在上海の日本企業百数十社だけでなく、多くの中国人にも会員や理事としてご参加いただいている。日本人が中国人との真の信頼関係を作り上げるためには、おごりや慢心を捨て、謙虚に中国人に学ぶ姿勢を持つことが重要であるし、また、日本人だけでは結局「群れる」ことになり会の発展性がないからである。こうした交流の仕組みを作り、現地の人々との交わりを日本人に体験してもらう「場」を提供することも、この会の趣旨である。会の費用は私の事務所がいくらか負担するボランティア組織であるが、日本人が「群れる」ことを回避するための、現地社会に対する貢献活動のひとつである。

現地の人々と交流すると彼らから大いに尊敬され、いろいろな重要な情報を得ることが可能となるものだが、これは実際に体験してみなければ分からない。現地の人との交流は心掛けひとつで容易に実行できるグローバル化の第一歩なのである。

コミュニケーション能力というと、「TOEFLのスコア××点以上」という話になりがちであるが、人間同士の交流は、まずは相手に好意好感を持ってもらう人間性を表現することから始まることを忘れてはならない。

相手に好感を持ってもらえるほどの語学力とは、単なる挨拶や日常会話レベルでは不十分で、電話で当意即妙の会話をして笑いを誘うことができる程度の能力をいう。中国人と自然に交わり、冗談をいい合い、雑談・歓談することによって互いの心の絆は強くなっていくのである。現地の企業内で日本人だけで固まっていては、どうしても現地の人とコミュニケーションの本質である意思疎通を欠き、全社一体となって企業活動を展開するような経営の一体感の形成ができなくなってしまう。

中国人は個人主義であるがゆえにとかく情報を公開せず、社会的には透明性が低い。こうした、事実を隠し正確に伝えないという中国社会の傾向からすると、情報の希薄化・途絶化は企業活動にとって極めてリスキーな状態をもたらすことになる。

 

日本総領事館に足運ぶ

さて、内販を進めるに当たってはクライアントに好意好感を持ってもらうことが必要だが、とりわけ政府の要職の方にそうした感情を抱いてもらうことが肝要であり、そのことが従業員や企業を取り巻く利害関係者に、安心感・安堵感を与えることにつながる。十分なコミュニケーション能力が必要となる。

現地の人々との交流を深めて現地に溶け込むことに加え、さらには政治的背景を築くことは、日本人企業として非常に重要なことである。特に新興国には民主主義が十分に発達していないところがあるから、現地政府の人と親しくなって交際し、こちらを理解してもらい、政治的背景を築くことが重要である。

それは何も難しいことではなく、例えば現地政府の行う講演会等に出席し、名刺を交換し、御礼状を出すというささやかなことが端緒となる。より効果的なのは、質問をして適切な回答を得た場合に感謝の意を表すべく御礼状を出すことである。さらに折に触れ懇談会の席を設けてごく少人数でお話を聞くことになれば、現地政府との間で理解が深まり好感を持ってもらえるようになる。中国で日本企業が日本人だけで経営し、中国人や地方政府と交流する機会を得ようと努力しないならば、結局は中国人従業員の信頼を得られない。

また、情報という観点からいえば、現地の日本総領事館等政府機関の重要性も見逃してはならない。実際に足を運ぶ人はなぜか少ない。前述の「上海高井倶楽部」では、総領事館等の方にも折りに触れ勉強会にご出講いただく等の活動も行っており、会員から好評を博している。

以上のように、私がグローバル化のための留意点として現地で特に実感している①日本人同士で群れないこと、②真の意味でのコミュニケーション能力を磨く、③現地における政府関係者との交流の重要性、という3テーマを中国において日本企業が疎かにしていると、次の3つのリスクが発生するだろう。

 

人事労務情報が途絶も

第1に、中国人からの人事労務上・経営上の肝心な情報が希薄化ないし途絶化する。その結果、経営が日常的に様々な危険にさらされ脆弱になる。第2に現地の人の積極的な協力が得られず、企業内で一体感の形成ができない。経営者にコミュニケーション能力がなく、現地政府の理解を得ていないということ自体が、中国人のビジネスマン・労働者に潜在的不安感を抱かせることに繋がるからである。第3にその結果として労働者の定着率が悪くなり、積極的な協力が得られず、結局は生産性が上がらないという結果を招く。

(社)日本能率協会(JMA)の報告書「中国における日系企業の経営のあり方」(2008年4月)の調査結果によれば、上海の日経企業にとって現在の最も重要な経営課題は「優秀な中国人幹部の採用、定着と育成」(100%)であり、人材マネジメントの最も重要な課題は「優秀な人材の採用・定着」(80%)であるという。つまり中国における企業経営はリーダーシップ・マネジメントにかかっているということである。

何はともあれ、日本企業が海外に進出し、現地化に成功して現地で確かな経営を行うためには、現地の正確な情報収集が何よりも必要である。要するに、彼を知って初めて、市場・ビジネス戦場でフルに企業の能力を発揮できるからである。

 

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2016年10月23日(日)8:07 港区麻布十番1にてカランコエを撮影
花言葉:「幸福を告げる、おおらかな心」



第15回 人材グローバル化(1)
(2008年10月6日) 

 

 

アジア各国のグローバル化が猛スピードで進むいま、日本に時間的余裕はない―。高井伸夫弁護士は、欧米人と比べ人種的に劣位に立つ日本人がグローバル化を成し遂げるには、世界にはない繊細な商品、サービスを提供し続けることが不可欠とした。

 

私は弁護士として1973年に独立して東京に事務所を構えたが、さらに99年には中国上海、06年には北京にも事務所を開設し、ほとんど毎月中国に出張している。海外にも拠点を置くようになって一層強く感じているのが、グローバル化に視点を置く人材が、致命的に不足しているということである。

一般に、グローバル化における基本的要件・留意点は、①人材の多様性の許容・異文化への理解、②語学力を含むコミュニケーション能力の獲得と経営の現地化、③人事労務業務のグローバル対応―等々と言われている。

しかし、この問題は、そもそも日本人に「多様化」ができるかどうかという大前提から議論を始めなければならないと私は常々考えている。なぜなら、日本人は、国土が島国であるという地理的位置、単一の民族でひとつの言語を用いていること、そして連綿たる歴史や文化等を背景に、集団的かつ排他的行動をとりがちで、同一性価値観から脱皮しにくくなっている。これに天皇制や鎖国的心情からくる「妙な優越感と劣等感からくる変な自信」がないまぜになり、日本人は残念ながら集団主義であり、どうしても異なった価値観・思考・態度をなかなか容認しない。

 

劣位におかれる日本人

近世の歴史をみれば、明治以降、政治・軍事・経済面では西洋に拡大したが、日本人一般の世界はまだ本質的には西洋にまで至っていない。言葉・歴史・文化なども世界的な目で見るようになっていない。グローバル時代といえども、日本人伝来の価値観・視野は日本のままにとどまっている。シンガポール、インド、マレーシアなど旧植民地国の視野が広がっているのと対照的だ。このように、日本人は、グローバル化を図っても現地人に溶け込んで仕事をすることが得手ではないと思われる。

加えて日本人は黄色人種であるがゆえに現地化できない宿命を背負った民族でもある。グローバル化にはコミュニケーション能力が絶対的に必要で、日本人がこの点それほど劣っているわけではなく、この人種的問題こそ日本人が多様化や現地化を推進できない大きなハンディと思われてならない。

つまり、中国・ベトナム・インド等アジア各国で私がいつも痛感するのは、白人の如何ともし難い優位性である。アジアの人々では口ではいかに欧米人を悪しざまに言おうとも、実際には白人を崇拝し最大件の敬意を表し、服する。そして、日本人はアジアでは白人に対して劣位な立場に置かれるのが常である。アジア各国の人々は日本人に対する対抗意識を持ちがちで、ひどい者は反日感情を持つに至り、さらには日本人を屈服させようとする意欲すら持つ。黄色人種である日本人は現地の人が服する存在ではなく、それゆえに企業経営の実態を現地人に委ね得ず、真の意味で企業経営の現地化ができない。

こうしたアジアの人々の「白人崇拝の心理」及び「黄色人種である日本人に対する対抗心」の根本原因は何だろうか。ひとつは人種差別的な意味ではなく、欧米文化を享受する場においては、欧米人が生来有している彫刻的な美しさや雰囲気が、アジア人よりもカッコよくてさまになると感じられることが深層心理にあるからだろう。例えばジーンズの着こなしの違いやラスベガスとマカオのカジノでの光景の違いを見ても、如何ともし難い。洋装は欧米人の体型に合うもので、音楽やバレエ・ダンス等彼ら自身が育んだ文化や娯楽は、彼らを堂々と立派に見せる。また、もはや実際上の国際語となっている英語を母国語としていあるいは母国語同様に用いている彼らに、仕事のうえで服する気持ちが働くことも自然の成り行きかもしれない。

このように、白人の優位性は是認してしまうが、同じ黄色人種である日本人には優位に立たれるのを忌避するアジアの人々の心理的なレベルの問題として、日本人にとって、グローバル化は容易ではないことを肝に銘じて、現地化等に取り組まなければならない。つまり、日本人が現地で尊敬を集めグローバル化に成功するためには、勤勉で正直でよく働くという資質、さらには精神性の高さをも訴えなければならない。さらに他の国では決して真似できないような繊細できめ細やかな特質を持った商品やサービスを、世界の市場に向けて提供し続けなければならない。

このようにグローバル化がいかに困難な事業であったとしても、日本企業にとってグローバル化は必然である。なぜなら、日本の社会は人口減により年々市場が縮小するのは不可避であり、人材も市場もグローバル規模で考えざるを得ない。

 

全人間性備えた行動を

グローバル化は、大企業だけでなく中小・零細・微粒子企業にとっても生き残りを続けるために絶対的に必要である。むしろ大企業に圧倒される小規模企業こそ、海外に活路を見出さなければならない。

そこで、グローバル化に適する人材を確保することが課題となるのだが、小規模企業は限られた経営資源の中で人材育成しなければならないことになるため、経営者自身がグローバル化の実体験者として、海外で生活し現地の状況をよく知ることが必要不可欠になる。

グローバル化するとなれば、企業は様々な国籍の人材を擁して様々な国に市場を求めざるを得ず、それを可能にするには、第1に、日本人経営者に多様な価値観を許容し尊ぶ姿勢がなければならない。まず、アジアの歴史から学ぶことだ。その成果としてリーダーシップもマネジメント力の発揮の仕方も良い方向に向かう。多様な価値観を持つ人材を統御していくのはそうした地道な努力なしには不可能である。アジア各国のグローバル化が猛スピードで進む今、日本には時間的余裕はあまりない。

それでは、こうした多様な価値観を生かしながら複雑な組織を率いるに当たって、リーダーに最も強く求められる資質は何か。良心と善意と人間性である。良心と善意に基づく行動は、国籍・民族問わず全ての人間を納得せしめるのである。

ハートワークが旨とする「真・善・美」、良心・善意・成長というキーワードは普遍的であるが、さらにその上位にあるヒューマンワークは、人間らしさを基調とし、全人間性・全人格をかけて「夢・愛・誠」を育み続ける働きであり、これこそが人類共通のものである。これらのキーワードで示される価値観基準で日本人が行動するようになれば、グローバル化において新たな展望が開けるであろう。

 

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2016年10月2日(日)8:47 千代田区六番町にて彼岸花を撮影
花言葉:「あきらめ、独立」

 

 

第14回 管理監督者性の本質(終)
(2008年8月18日)

 

 

管理監督者問題の本質についての論稿を終えるに当たり、今後のあるべき労働法制をも念頭に置いた提言を行いたい。

都市銀行・金融機関の管理監督者についての行政通達(昭52・2・28基発104号の2、同基発105号)が、労働基準法41条2号の管理監督者にスタッフ職も含まれることを是認した時点で、労基法は死文化し破綻が決定的になったと言ってよい。

なぜなら、社会の変化によって労働の態様が多様化した結果、労基法の規定では現実の雇用社会に対応できないことを、行政自ら認めざるを得なかったからである。即ち、通達によってスタッフ職の管理監督者性を肯定したのは弥縫策にすぎず、適法な抜本的解決を図るには法改正によるしかない。

なお、管理監督者についての新しい規定を策定するに当たっては、グローバルな視点を忘れてはならない。そうでなければ世界から取り残され敗退していくことが目に見えている。

 

良心と善意が考課対象 

本稿第1回で引用したとおり、ドラッガーは管理監督者の要件を「人間としての真摯さ」と「教育的役割」としており、私もこれに賛同するものである。そこで、管理監督者の権限と責任を一体化した概念を構築し、それを受ける形で待遇を考えるという例を提唱したい。

(ア)まず、この概念の基本は、時代の潮流であるハートワークを旨として「真摯さ」と「役割」を合体させたものでなければならない。即ち、管理監督者に求められるのは、裏切らない・ごまかさない・嘘をつかない態度であり、せこい・狡(こす)いなどと言われない公正な姿勢である。そして部下である一般社員よりも高度の「誠実さ=忠実度」、そして指揮統率を担う役割に相応しい積極性・責任感が求められる。

これらの権限を受ける形での新しい概念を構築して「考課表」を作成・実施し、この結果により待遇を考えることになる。ここでもハートワークを旨とするから、考課要素は「良心管理」「善意管理」「成長管理」を念頭に作成されることになる。

(イ)その名称はともかく、管理監督者の待遇として「役割手当」(仮称)を法的に導入する。自己犠牲の精神で業務に勤しんでいる管理監督者には、温かい理解と愛情を以って報いる必要があるからである。

「役割手当」の構成は、大きくは(1)管理監督者としての平均的な「時間外見合い分」と(2)「責任手当」の二本立てとする。

「責任手当」の内容としては、前述の権限と責任の内容を踏まえて、①「指揮統率する役割」、次に②「教育的役割」が挙げられる。そして 、「教育的役割」の中には、(a)部下に目標を掲げさせる役割、(b)部下に気付かせる役割(コーチング)、(c)部下を評価する役割がある。さらに第3の要素として③「顧客満足度への役割」が挙げられよう。顧客の意向の変化の兆しをいち早く捉えて最前線の情報として咀嚼し、店舗・事業所等のヒト・モノ・カネ・組織のイノベーションに向けて対応を献策する。

このように「責任手当」のウエート付けを正当に行うことによって管理監督者としての意識を持たせ、管理監督者として機能させていく。

なお、管理監督者としての存在性と意欲を喚起すべく法的にこれらを整備しても、管理監督者に就任した者が能力不足等不適格者として降格されれば、心が病み、あるいは時に絶望するに違いない。そうすると、管理監督者への昇格は任命制ではなく「志願制」を認め、さらには「異議権」や「同意権」を認めることが必要となろう。そもそも、広く手を挙げさせる志願制を導入すれば、「キャリア権」にもつながる(拙稿「注目すべき『キャリア権』」本紙2655~2667号参照)。

ある者を管理監督者にする場合に、本人が「異議権」を行使することを認めると、会社は異議を申し立てられたら書面で回答する義務を負う。異議を申し立てる方も、書面で行わなければならないことになる。そうなると、管理監督者に昇進させるに当たって、使用者側は予め慎重な吟味が必要になる。後日になって異議の理由を付加することはできない。

 

インターバル制に注目

また、本人の同意を必要とすると、その場合にも同意を拒むには然るべき理由を書面によって明らかにさせる。そして拒否されても命令できるかどうかについて「同意権の濫用」という法的問題となる。同意権の濫用は、今までは集団的労使関係で論じられてきたものであるが、個人との関係では論じられておらず、企業等の組織法的視点から今後探求する必要がある。

なお、「異議権」「同意権」等は厚生労働省が推進している「ワークライフバランス」論にもつながる。「私生活を大事にする人は、同意権の下に人間としての機能を発揮することができる」のである。「ワークライフバランス」の思想が強まるに連れて、「異議権」「同意権」は必要不可欠な労働者の権利として認知されていくであろう。

さて、意欲的に業務に勤しむ者であればあるほど、経営者も管理監督者も、仕事から完全に離れる時間を作るのは難しい。なぜなら、ハートワークの時代においては、常に、変化とその対応に戸惑う心の動きの中で仕事をしなければならないから、非労働時間といえどもハートワークを完全には停止し得ず、「常在戦場」であることがこれに拍車をかける。こうした状況を乗り越えて上手に仕事とプライベートの切り替えを実行できれば、本人の能力開発にもつながる。その結果、ハートワークの時代における人材としての賞味期限を延ばすことにつながる。

一方、新たな労働時間制においては報酬を以って補償するという方向だけではなく、インターバル時間を積極的に導入すべきである。ハートワークになればなるほど、心身、特に心は破綻する危険があるからである。

実際には、このシステムは現実の労使関係において、タクシー等自動車運転手の拘束時間と休息期間が告示によって定められている他には未だ成果らしいものはないが、非常に重要なテーマである。

例えば、民放労連はこの制度について30年ほど前から主張しており、同労連冊子「2008年春闘方針」にも、「1日の勤務終了から次の勤務開始まで最低12時間のインターバルをとることをルール化させます」という項目を掲げている。

ところで、実態を詳細に調査したわけではないが、およそ弁護士等の専門家集団の事務所では、労基法どおりに時間外割増賃金を支払っている事務所は皆無であると言ってよいだろう。少なくとも、私は寡聞にして知らない。

そうしたなかで、勤務弁護士の労働時間の長さを踏まえた働きの成果を、各経営者たるボスがいかに判断・評価し賃金に反映させているかと言えば、各人の「勤務度の濃淡」を評価の基準の大きな要素としているのである。弁護士事務所に限定して言っても、一般にはそうした方式によるしか支払うことはできず、このことは何も使用者側弁護士のみならず、労働者側弁護士の事務所も同様である。要するに、報酬にこだわらないことが弁護士としての誇りでもあると言ってよい。

本稿第1回の結びでも述べたように、このことは単に資格者だけの問題ではなく、プロ人材全てに通ずることである。厚生労働省はこれをなぜ勇気を以って認めないのか。その事なかれ主義の姿勢には、遺憾という程度を超えて、情けなささえ感ずる。行政とは本来、日本の未来を切り拓くという思想のもとに国の根本的なあり方を論ずるべきである。

企業においては、お金に吝(しわ)い存在に対して、経営者はもち論のこと管理監督者さらにはおよそ同僚社員・一般社員も違和感を抱き反発し、さらには疲労感、ときには苦痛感・嫌悪感さえ持ち、要するに“嫌われ者”として扱うということが、人間関係の根本であることを知らなければならないのである。いかに仕事上数字を上げる者でも、周りから忌み嫌われる者は、部下から尊敬され目標とされるべき管理監督者像とは著しくかけ離れている。こうしたことが、行き着くところ管理監督者の選抜基準となり、評価基準ともなっているのである。

 

経営者へ「自戒」求める 

この稿を閉じるに当たり、ご参考までに私の指導方法を書いておこう。私は、日々、全ての弁護士が起案した全書面、その他秘書等所員が作成した全資料について、目を通して赤を入れる(補正を加える)のが常である。このことを通じ所員の指導教育方針の基礎としている。

そして、週1回、それぞれの弁護士が作成した「週間総括報告書」をもとにして、若手弁護士と打ち合せを行う。それは早朝のわずか10分間程度のことに過ぎないが、困難な案件や成果を確認する。各弁護士は、報告書を作成する過程で自分の案件を顧みることが習慣化すると言ってよい。

この習慣こそが、若手弁護士に、反省点をもとにした改善への努力を自覚させ、各人の業務の姿勢・仕事ぶりに良い影響を及ぼし、成長の糧になっている。それぞれの管理監督者は、工夫して後継者を育てることに熱意を持たなければならない。

管理監督者に自己犠牲を求める以上、経営者は、管理監督者がいてこそハートワークが成り立つことを肝に銘じ、愛情をもって彼らに接しなければならない。自らがまさに自己犠牲の精神で社業に勤しまなければならないのである。

同時に、従業員の成長ということを掲げ、そのことを日常的に心掛けていかなければならない。管理監督者にもそのような資質を求める以上、経営者はハートワークにおいてより優れた者でなければならない所以はそこにあり、利益追求主義であってはならない根本である。これは何も企業であるがゆえではなく、およそ人間として当然のことなのである。「名ばかり管理職」ではなく、「名もある管理職」が企業で存分に活躍できるよう経営者の自戒が強く求められている。

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2016年10月5日(水)8:26 麻布十番2にてセンニチコウを撮影
花言葉:「色あせぬ愛、不朽」

 

 

第13回 管理監督者性問題の本質(4)
(2008年8月11日) 

 

 

妥当性ある待遇とは

 

  ③待遇面についての判断

「管理監督者」のスペックとして、「待遇」がなぜ意識されるかについて述べなければならない。なぜなら、管理監督者性の判断はその「職務内容、権限及び責任」を明確にすることで足りるという反論もあり得るし、またそう考えることもごく自然であるからである。しかも行政通達や裁判例が掲げる管理監督者性の要件のうち、「職務内容、権限及び責任」「勤務態様」は、条文上の定義「事業の種類にかかわらず監督若しくは管理の地位にある者」(労働基準法41条2号)の内容として理解できるが、「待遇」については条文上何も規定されていない。

確かに「待遇」は管理監督者性の条文上の要件ではないが、管理監督者の職務・権限と密接なかかわりを有するので、極めて重要な要素となるのである。管理監督者としての待遇を受けていることは、それに見合う責任を負うことを意味し、責任を負うということは「職務と権限」を実態のあるものとして、管理監督者自身が意識することを意味するからである。

管理監督者の待遇問題で実際に問題になるのは、一般社員の残業手当を含む賃金よりも一部の管理監督者の賃金の方が低いケースがままあることを、どのように解釈し評価するかだ。

前回コメントした「日本マクドナルド事件」(東京地判平20・1・28)で裁判所は「店長全体の10%に当たるC評価の店長の年額賃金は、下位の職位であるファーストアシスタントマネージャーの平均年収より低額である」こと等をもって、「店長の賃金は、労働基準法の労働時間の規定の適用を排除される管理監督者に対する待遇としては十分であるといい難い」とした。こうした逆転現象は、管理職手当自体が抑制されていることや、優秀な一般社員の基準内賃金に残業手当が加算された結果起こるもので、賃金体系そのものに根本原因があると言える。

同事件のような訴訟が頻発しているが、それは賃金や報酬のあり方の妥当性の問題に帰結する。本来、管理監督者には一般の従業員と明らかに異なる権限と責任に相応しい賃金を支払い、一般従業員の賃金を切り下げるという方向で、日本企業の賃金体系を改める必要がある。

しかし、一方で、日本の企業は、管理監督者への昇進をもって固定給を一挙に引き上げることはできないシステムになっていることも理解しなければならない。企業は、①グローバル化のもとの激烈な競争に勝つためには人件費総額を抑制せざるを得ない、②急速に進む人口減少のなかで優秀人材の争奪戦に勝つには一般職の従業員の賃金を高くせざるを得ないという2つの事情があり、結果的に経営者の報酬も諸外国に比べて低く、管理監督者の賃金が相対的に低下せざるを得ないのである。

また、管理監督者と一般従業員に大きな格差をつけるような賃金体系を導入することは、日本の集団主義という民族性に照らして不可能と言ってよい。欧米並みの格差をつけようとしても、結局は各方面に気を遣い平準化されてしまう。その結果、現実の経営において管理監督者を優遇的に取り扱うことを甚だ困難にしている。

そのこともあり、本稿第1回から繰り返し述べているように自己犠牲の精神を有するものしか現実に管理監督者に選べないし、管理監督者になるにはその覚悟が求められるのである。

なお、この問題については、昇進における「同意権」等についての提言を次回行いたい。

私は各企業に管理監督者性の判断、助言をするに当たって、管理監督者全体の1~2割の者の賃金が一般社員の賃金を下回ることがあっても、それをよしとすることを念頭に置きながらも、管理監督者の賃金額のあり方の基本は、一般社員の少なくとも10%増しでなければならないと説いている。

もちろんこれは原則的な扱いではあるが、このことを通じて管理監督者が「名ばかり」の存在と言われないよう配慮することにもつながるのである。

管理監督者は職責上一般社員に比べ大きなストレスを受ける存在であるから、一般社員より余りにも低い賃金が通常である賃金体系では、やる気を失い働く意欲を喪失することはもち論である。法的にも標準的残業時間に伴う残業代を超えた管理監督者手当が支払わなければならないことは理の当然である。

問題は、管理監督者手当は個別に設定し難く、金額の決定に当たっては、平均実残業時間数をもとにしてそれに責任手当をも加算すべきであるという、慎重で真摯な態度が経営者側に求められる所以がある。それでもなお、所定残業時刻を待ってすぐ退出する者と、月100時間を超すような長時間残業をする者とが管理監督者に混在すればアンバランスが生ずるが、それは制度上やむを得ないと判断するしかない。

しかし、管理監督者である上位者がなぜこうした賃金のアンバランスな状況を受け容れているかと言えば、昇進こそ次への更なる昇進・ステップアップへの現実的可能性を生むからである。昇進は自己実現に向けての大きなステップとして体感することができ、更なる挑戦の始まりとして達成感と高揚感を味わえるからである。

 

賃金問題解決に向けて

それでは私が実務の感覚で考案した管理監督者性判断の一基準をここに紹介する。

行政通達や裁判例の示す管理監督者性の判断基準は数値等具体的なものではないため、現場の悩みは大きい。そこで、店長ひいては事業所長の業務遂行の程度を計り、管理監督者性が認められるかどうか、認められるとしてその賃金問題をいかに解決すべきか検討するために、私は、その統率する部下の賃金総額を基準とする次のような算定を各企業にお願いしている。

即ち、①アルバイトに関するあつれき・矛盾・葛藤等は、社員と比較して経験則上2分の1~3分の1程度であるから、管理監督者のアルバイトに対する気の遣い方も同様であるとの判断に基づき、アルバイト各人の賃金についてまずは2分の1~3分の1とした金額を出す。②そのうえで、当該事業所でのアルバイト人数分を合算する。社員もいればその賃金額はそのまま加算して、当該事業所の基準となる賃金総額とする。③そして、この賃金総額を当該企業の一般社員の平均賃金で割って社員何人分に当たるかを算出し、当該事業所の店長ないし事業所長が統率している規模をカウントするのである。

この算定方式により割り出された店長・事業所長の部下の数が、本社の管理監督者が扱っている平均の社員数の同数もしくはそれを超えた場合は、管理監督者性を認めるべきであると助言している。例えば、本社の課長が平均で社員5人を統括しているとすれば、店長としては社員5人分以上の賃金を管掌しているとなれば、管理監督者として評価すべきことになる。

このような現場の具体的感覚を裁判所に提言し続けることが、弁護士の役割の1つでもあろう。

 

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2016年8月28日(日)12:02 千葉市若葉区の風戸農園にて初雪草を撮影
花言葉:「好奇心、穏やかな生活」 

 

 

第12回 管理監督者問題の本質(4)
(2008年8月4日転載)

 

 

裁量性欠くとは言えず

「日本マクドナルド事件」(東京地判平20・1・28)は、店長職にある者が自らは管理監督者(労働基準法41条2号)に該当しないとして、会社に対して時間外割増賃金等を請求した事案であり、裁判所は「被告(=会社・筆者注)における店長は、その職務の内容、権限及び責任の観点からしても、その待遇の観点からしても、管理監督者に当たるとは認められない」として、過去2年分の時間外割増賃金等約755万円の支払いを会社に命じたものである。

管理監督者問題の「まとめ」を述べるにあたり、まずは、本判決は企業の実態を必ずしも捉えておらず適切でないとして、判決骨子とそれに対するコメントを述べたい。

企業では現場主義で経営しなければ生き残れないというのが今や常識であるが、現在の中央集権的な本社機構では現場の細かい事象まで監督できないのは明白である。事業所の数が増え、グローバル化によって把握する地域が広がるという状況のもとではなおさらである。

本判決は、基本的には本稿第2回・第3回でも言及した行政通達(昭和22・9・13発基17号、昭63・3・14基発150号)に則って店長の管理監督者性を、①職務内容・権限・責任、②勤務態様、③待遇の面から判断している。これらについて、ひとつずつコメントしていきたい。

 

①職務内容・権限・責任についての判断

本判決は「店長は…労務管理に関し、経営者と一体的立場にあったとはいい難い」「店長の職務、権限は店舗内の事項に限られるのであって、企業経営上の必要から、経営者との一体的な立場において、労働基準法の労働時間等の枠を超えて事業活動することを要請されてもやむを得ないものといえ(る)ような重要な職務と権限を付与されているとは認められない」とする。

しかし、この裁判所の認識は(a)統一的協同体としての企業における現実の役割および(b)企業における現実の現場の重要性を正しく認識していないと言わざるを得ない。

(a)企業における現実の現場の役割

店長の権限が労務管理も含めて店舗内の事項に限られるのは至極当然のことであり、その上位組織が管轄している事柄については希望を伝えたり要請することならいざ知らず、くちばしを入れることなど組織の常識としてあり得ないし、あってはならないことである。もちろん、小なりといえども、店長は気掛かりなこと等を上層部に具申することはできるし、そうあらねばならない。

また、企業は統一的協働体でなければならないから、その意味において店長の権限は無限定とはなり得ず、裁量性に限界があるのは当然である。ことに大規模企業になればなるほど、企業としての信用を保持するためにも、店舗ごと・事業所ごとの運用に均一性を持たせる必要もある。問題は、より裁量性があれば店長・事業所長の働く意欲が一層強まるということであるが、他にも裁量性を大いに発揮すべき分野があるから、このことを以って裁量性を欠くとは必ずしも言い得ない。

つまり、しかるべき事業所であればあるほど、日々問題・難題が次々と生ずるから、当該企業の規則・運営方針に基づいて直ちに処理していかざるを得ず、それには店長・事業所長の幅広い裁量がなければ現実に迅速な展開はできない。店長・事業所長の腕次第という世界が現実に展開するのである。

(b)現実の現場の重要性

企業において現実に現場を知るのは店長等の各拠点の責任者であり、彼らは経営と一体であるがゆえに上位組織に対して報告・具申・助言等を行うべき立場にある。

企業は、本社だけで現場の細かい事象まで監督できないのは明白であり、現場主義でなければ成長はおろか生き残れないのは、常識であることは前述のとおりである。大規模企業・グローバル企業であればあるほど、現場の意見を尊重せざるを得ず、現場責任者の役割はより一層重要になってきている。現場を知り、現場のことを集約して本社により的確な情報を提供できるのは彼らしかいない。

このように、労務管理も含めた経営に関する事項の全てにわたり、何らかの形で店長の意見が貴重なものとして斟酌されているのは実態であるから、その意味で店長は経営と一体である管理監督者であり、極めて重要な立場にあると言える。裁判所は、企業におけるこうした現実の現場の意義を強く意識しなければならない。

なお、企業経営にとって「一国一城」と評価できるような重要な拠点の事業所長である店長には、この面でも一定の役割と権限を付与して然るべき裁量権を認めれば、経営に参画している認識が生まれる。そうすれば日々やりがいを感じて仕事に取り組むはずだ。そして所定の成果を上げれば、店長の責任の大きさとその功績の程度に応じて待遇する仕組みにすればよい。

即ち、いずれの企業であれ、然るべき事業所の店長・事業所長であれば、管理監督者性を認めるべきなのである。

 

②勤務態様についての判断

本判決は、「…被告(=会社)の勤務体制上の必要性から、…法定労働時間を超える長時間の時間外労働を余儀なくされるのであるから、かかる勤務実態からすると、労働時間に関する自由裁量性があったとは認められない」とする。

しかし、官民問わず、上司ほど長時間にわたって労働をすることが本来あるべき姿であり、例えば現代においては、社長といえども“重役出勤”するなど論外であることは言うまでもないし、一般上司においても同様である。

より本質的に言えば、現場重視という経営の本道からして、店長等の現場責任者は単なるマネージャーではなくプレーイングマネージャー化してきたことは広く企業一般の流れであるが、そうなればシフト勤務にも就かざるを得なくなる。

そしてそこで着実かつ瞬時に問題を覚知し、これに対する解を与えるのが現場責任者である事業所長としての店長の重要な役割となっている。そのような状況において日々どのような勤務に就くかは自らを律して決めるべきであることは言うまでもなく、まさに臨機応変の勤務姿勢が店長・事業所長には求められるのである。

 

実態とかい離した認識

このように、自分自身の1日の時間の配分即ち自らを差配すること、さらには部下の一日の時間の配分・差配等々、まさに店長は手腕・力量・裁量を発揮すべき重要な分野を当然抱えているのである。

事実、管理監督者の労働時間について、裁判所が言うような自由裁量が認められている企業など、現実にはほとんどないだろう。この点も、裁判所は実態と乖離した認識をしていると言わざるを得ず、勉強不足との謗りを免れまい。

 

 

来週9月15日(金)から、新連載「時流を探る~高井伸夫の一問一答」がスタートします。
話題のテーマについて、各界でご活躍されている方々と高井等の対談を一問一答形式で掲載しますので、ぜひご覧ください。

 

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2016年7月16日(土)7:27 中目黒公園にて韮を撮影
花言葉:「多幸、星への願い」 

 

 

第11回 管理監督者問題の本質(3)
(2008年7月28日転載)

 

 

前回、大井方子氏の論文「数字で見る管理職像の変化」を引用したように、スタッフ職の数はいわゆる管理監督者の数よりはるかに多い。ところが、スタッフ職を管理監督者並みに扱うべきであるという解釈は、行政通達(昭63・3・14基発150号)があるのみで、法文上の根拠はない。言わば鵺(ぬえ)的な存在であると言ってよい。

これを直視し法律上どのように扱うべきかを考えることが、管理監督者問題の改革への出発点となるのである。スタッフ職と同心円上のものとして専門職概念があるが、それは今日的に「プロ人材」と呼ばれている。スタッフ職の論を進めるにあたり、企業における「プロ人材」の増加および需要の高まりについて、まずは論ずる。

 

経営者を動かす役割も

「プロ人材」とは、並みの一般人には到達し得ないひときわ優れた専門的能力・技術を身につけた者を指す。その域を目指す並みの人材は大勢いるが、真のプロ人材は実際問題として極めて少数の人間に限られる。スタッフ職との関連で言っても、スタッフ職の中でプロ人材と呼べるものは極く僅かにすぎない。

このような有能な人材を輩出するためには、企業は候補者としての人材を多数擁していなければならない。真のプロ人材は、まさに時間を超越した自己啓発・切磋琢磨の中から生まれるのが真実だからである。しかし、有効な組織体を構成するための人員確保の必要性から、企業はプロ人材たらんとする中程度レベルの人材をも数多く抱え込む必要がある。

リクルートワークス研究所の「ワーキングパーソン調査2004」をもとに、リクルート社はプロフェッショナル人材の規模推計を行っている。推計によれば、言わば「自称」も含めたプロ人材は2002年において合計568万人で、その比率は雇用者の11.6%を占め、産業別ではサービス業が最も多く、プロ人材の約4割の(216万人)に及ぶ。そしてビジネス・プロフェッショナル(=ホワイトカラー系プロフェッショナル)人材は380万人でプロ人材の67%を占める。2015年には、プロ人材は612万人と2002年より44万人増加し、割合は12.6%に上昇すると予測されている。

サービス経済化・ソフト経済化・グローバル化・産業の高度化・競争の激化等に伴って、ますますプロフェッショナルな人材が産業界から渇望されることがこの調査から分かる。これまでは専門的職業人とは医師・弁護士のような特別な資格を有し専門知識を駆使して仕事をする者を指すのが一般であったが、今では特に資格が要求されないビジネスの世界でもプロ人材が要求され、一部がスタッフ職として活躍するようになった。

ところで、スタッフ(staff)とは元々は軍用語であり、staffには参謀・幕僚という語訳があてられている。軍における参謀とは、自らは上司部下のラインから外れ指揮官の補佐をするstaffであり指揮官にのみ責任を負う。参謀もスタッフ職も、上役になり代わり戦略構築や行動計画等の立案をして貢献するという点では、組織において同様の役割を担っている。しかし、企業におけるスタッフ職は、助言のみならず、それぞれの役割に伴う機能を果たす責任をも担う点で、軍の参謀より幅広い概念と言えよう。

高度情報化・グローバル化・競争激化等が甚だしく進行する今の社会では、現場からの情報がこれまでより遥かに重要になっているので、企業経営には参謀、参謀補佐、そしてその補佐…等々の役割が必要になり、スタッフ職が増えてきているという実態があると言ってよい。

フットワークの時代にはヘッドワークやハートワークの機能等を重視する必要がなかったから、経営は経営者の専門領域であり、その意を受けた経営補助者としての管理監督者が多数の一般社員を統率し社員を単一的な価値観で労働せしめていた。

ところが、ヘッドワークそしてハートワークの時代には、経営者は、個々の従業員がハートワーク等を十分に発揮しながら職業倫理・企業理念に叶う言動を自ずと取るような状況・環境を創り出し、社員それぞれの個性を活かした「考え方・思い方・感じ方」を発揮させることこそが重要になってくる。したがって、経営者のリーダシップ・マネジメント力は労働者を拘束する方向ではなく、労働者に個性を発揮させる方向に向けて、ハートワークがよく機能する「多様性が尊ばれる世界」にしていかなければならないのである。その結果として、経営者個人の発想による経営判断の重みはフットワークの時代に比べて相対的に低下するが、その結果、トップダウン方式ではなく、末端社員個々人の自律的な活動を一体化してこそ、企業としての体を成すことになる。

そして従来は経営者に強く求められていた具体的な指示命令が次第に抽象化され、より幅広く従業員にも自律的・自覚的な言動が求められるため、このプロセスにおいて、経営者を動かすスタッフ職が重要視される。かくして、スタッフ職にはその資質や発想や言動において経営者的かつ事業家的感覚を有し、逞しく新しいアイデアを産み出す人材が求められるのであり、企業はそうした人材が多ければ多いほど活性化し、競争に勝ち抜いていけることになる。

経営者はそうした人材を見出す“目利き”でなければならない。と同時に、スタッフ職の成果を的確に取捨選択するために、彼ら個々の様々な思いや意見をも洞察する能力と包容力ある姿勢が求められるのである。

 

立法的解決以外になし

スタッフ職の急増という背景で、今の社会では労働基準法の管理監督者の規定では如何ともし難くなっているが、それにも拘らず、学者はもとより弁護士もまた判例もスタッフ職について詳しく論じていない。スタッフ職の問題は、立法的に解釈する以外に道はない。

従来の企業組織はピラミッド型で、一定の上位層にある者は管理監督の役割を担うという認識があった。しかし、組織そのものがフラット化し、またグローバル化してきたことで、会社の機能スパンも広がりトップ以外の経営者もスタッフ(staff)化した。即ち、経営者は、現場に下りて独自の発想をすることを行動の基盤にしなければならなくなったのである。この状況下では一握りの経営者だけでは、多種多様な情報を集めそれを解析するというのが実質的に不可能になってきている。それが執行役員(スタッフオフィサー職)の存在理由でもあろう。

スタッフ職のようにマネジメントに関与せず、経営につながる職務に専念する役割の者を、今の労基法は全く想定していない。用語はともかく、「経営者」・「スタッフオフィサー職(上位のスタッフ職)」・「スタッフ職(一般のスタッフ職)」・「管理監督者」・「一般職」等々という区分で、法律を再構築して規定しなおすことを、具体的一案として提言するものである。

 

 

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2016年7月16日(土)7:22 中目黒公園にてクロコスミアを撮影
花言葉:「楽しい思い出、陽気」

 

 

第10回 管理監督者問題の本質(2)
(2008年7月21日転載) 

 

 

スタッフ職増加の背景

労働基準法が制定されたのは、今から60年も前の1947年(昭和22年)のことである。したがって、元々は当時主流であった肉体労働・フットワークを前提とする価値観に基づく規定であったことは言うまでもない。そのため、時代の変化に応じた度重なる法改正も弥縫策に過ぎず、フットワークからヘッドワークへ、そしてハートワークへと激しく移行していた産業社会・社会の質的変化(例えば製造業の著しい衰退)に対応しきれなかったというのが実情であり、事態と法理との乖離は必然の結果である。

このことは、管理監督者問題についても同様である。元来、労基法41条2号が労働時間規制の適用除外者として定める管理監督者は、ライン管理職が想定されていたが、事業構造の変化および事業内容の高度化・専門化に伴って、今では本社の企画・調査等に携わるいわゆる「スタッフ職」「スタッフ管理職」が急増してきていることは、周知のとおりである。

こうした変化に対応して、スタッフ職でも処遇如何で同規定の該当者である旨の行政通達をやむなく出さざるを得なくなっている(昭63・3・14基発150号)。

スタッフ職の問題は、特に自律的な労働時間制度(いわゆるホワイトカラー・エグゼンプション)につながる重要な議論であるが、この通達をめぐっての裁判例は今のところ見受けられない。ここに、スタッフ職に関する考察を展開したい。

いささか古い数字になるが、1979年から2004年にかけての期間、わが国におけるライン管理職の人数はほぼ50万人と一定であったが、スタッフ職を含む広義の管理職の人数は同じ期間で1・5倍増え、340万人に達したという(大井方子氏「数字で見る管理職の変化」『日本労働研究雑誌』2005年12月№545掲載)。

こうしたスタッフ職の増加は、実際には、ホワイトカラー人口および高学歴者数の増加やIT等の発達に伴う仕事内容の激変によって、管理職ポストが総じて不足してきたという背景があった(総務省統計局「労働局調査」、厚生労働省白書「労働経済の分析」昭和56年版ほか参照)。

つまり、人数に比して管理職ポストが減少したとしても、企業は雇用に当たり従業員に対して年齢にふさわしい処遇をせざるを得ない実際上の大きな要請もあって、30~40歳でも平社員のまま留まらせると社会的評価が極端に下がり、その結果働きがいを失わせることになる。このため管理監督者のみならずスタッフ職の著しい乱造の必要性が生まれ、真にそれらに相応しい者に限らず管理監督者の扱いをしていかなければならなくなったのである。

その結果、当然のことながら管理監督者等の賃金の低下をもたらした。石を投げれば全てがスタッフ職も含めたいわゆる管理監督者であるというような企業組織も存在するが、それにはこうした背景があると言ってよい。

これは平等社会の帰結でもあるし、そうしてこそ企業にとっては、生きがい・働きがいを見つける労務管理の真の目的を実現することができる。

こうした実情はあったが、ますます進行する業務の専門化に対応するために、スタッフ職を名実ともに充実させなければ企業の存続・発展はあり得ないという厳然たる事実が、スタッフ職の肥大化が進行してきたことの主要な理由である。

 

構造変化と「心の時代」

業務が専門化する中では、企業は、「専門職概念」を通常の管理監督者に比してより上位の概念として構想・構築しなければ、優秀人材を集めることはできず、企業としての生命すら失われてしまう。そして、この専門職は、単に人を管理監督する能力に長けた能力だけでは不十分で、本人が現場に身を置き現場の情報を収集したうえで、これに応え得る専門知識と技能に長けたプレーイング・マネージャーでなければならなくなったのである。

前回紹介したように、P・F・ドラッカーは管理監督者の備えるべき重要な要素として「人間としての真摯さ」と「教育的役割」を指摘したが、これはライン管理職を念頭に置くものであった。とすれば、スタッフ職には、この教育的役割を超越する“プロフェッショナルとしてのスキル”“専門知識・専門技能”が求められることになるのは当然のことである。

フットワークを中心とする産業が基軸であった時代にできた労働基準法は、ヘッドワークの時代に移り産業構造と相容れない法律になったが、ハートワークの時代にはこの乖離はいよいよ甚だしくなる。

ヘッドワークの時代には頭脳労働・ソフト産業が中心となり、研究・開発・企画等の仕事が重視されてきた。その結果として、労働時間制は「みなし労働時間制」や「裁量労働制」という新しい法制度を弥縫策として作らざるを得なくなった。

そして、社会のIT化・ソフト化により個々人の考える・思う・感ずる能力が重要になるがゆえに、人間としての自立と成長が求められ、その行き着く結果として、「ハート化」「心の時代」が招来・到来するのである。

そして、この「ハート化」の目標は「真・善・美」「人間としての良心」等々の世界にあるから、個々人が良心に目覚め、善意で気働きをし、それらを通じて成長への希求を一層強く求めることが、企業経営の根幹を支える要素となるのである。

 

確立されない評価基準

実は、企業においては既にこれらを念頭に置く組織が芽生え始めたどころか急速に成長し続けている。例えば、コンプライアンス部門の設立、職業倫理・企業倫理の重視を実現する組織、さらには企業による社会貢献・顧客満足度の向上を目指す組織の組成等々、それぞれの部署・担当者の定着等である。

さらに、人材競争・人材難の時代を迎えて、持てる人材の成長に大きな責任を課せられる人材開発部も企業において重要な地位を占めつつある。

ヘッドワークの所産は才能・能力によるが、その才能・能力は偏差値等その他諸々の測定概念でかなり明確になり得るが、ハートワークはその能力格差を捉える基準がなく、それを基盤にした確固たる評価基準が未だに確立されていない。つまり、ハートワーク時代には、心の在り方・持ち様という流動的で絶えざる変化に的確に対応できる能力、即ち捉え難い人間性を前提とするものなのである。

スタッフ職に求められる専門職としての能力も、まさにこうした社会と産業構造の変化に応じて変容し、需要が高まると言ってよいが、そこでは労働時間の長さ如何によって能力と成果の良し悪しを測定する基準とすることが、決定的にできなくなっているのである。

 

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2016年7月10日(日)7:31 中目黒公園にてグラジオラスを撮影
花言葉:「忘却、勝利」

 

 

 

第9回 管理監督者問題の本質(1)
(2008年7月14日転載) 

 

 

世間の耳目を集めた「日本マクドナルド事件」判決(東京地判平20・1・28)の影響もあり、近時様ざまな分野において管理監督者問題が議論されている。しかし、「名ばかり管理職」という余りにも印象的なフレーズのせいか、残業代の支払いの有無だけが大々的に取り上げられ過ぎている。本稿では、3回にわたって、本質的な視点から管理監督者問題の分析を試みたい。

まず、管理監督者とは何かという問題から説き起こす必要がある。条文には管理職という文言はなく、管理監督者とある。一般的に用いられる管理職とは、管理監督者の通称であろう。

条文の定義としては、労働基準法上の労働時間規制の適用除外を定める同法41条2号で「事業の種類にかかわらず監督若しくは管理の地位にある者」と規定、また労働組合の自主性を図るために一部の者を組合員資格から除外する規定である労働組合法2条1号で「役員、雇用解雇昇進又は異動に関して直接の権限を持つ監督的地位にある労働者、使用者の労働関係についての計画と方針とに関する機密の事項に接し、そのためにその職務上の義務と責任とが当該労働組合の組合員としての誠意と責任とにてい触する監督的地位にある労働者その他使用者の利益を代表する者」としている。

 

人間としての真摯さを

多人数の集合体である企業は、構成員各々が共感・協調して機能しなければ組織体(互助と牽制とその上に立っての成長を期すことに本質があるもの)としての業務を遂行し得ず、企業としての価値がない。個々の多種多様な人材を統合し、一定の成果を上げるための共感・協調を実現して協働体制を構築するなかで必要とされたのが、経営者と管理監督者なのである。

合理性を企業の背景として通すこと=「理を管する」ことがそうした協調・協働体制の基盤であろう。集団はとかく情緒的支配に刹那的に流れていく。それをセーブし、理性的コントロールを行うのが、管理監督者の役割である。その一方で、集団を動かすには情緒的・感性的な側面もなければならない。理に頼り過ぎては無味乾燥のものとなり、およそ人に対して感動を与え得ないからである。

構成員の共感・協調を育むためには、管理監督者は率先垂範して業務を遂行することから始めて部下らを教育・指導し、育てる必要がある。

ドラッカーは言う。「経営管理者であるということは、親であり教師であるということに近い。そのような場合、仕事上の真摯さだけでは十分ではない。人間としての真摯さこそ、決定的に重要である」と。さらに「最も一般化した経営管理者についての定義は間違っているばかりか破壊的である」「誰が経営管理者であるかは、役割と期待される貢献によってにのみ定義される、何よりも経営管理者を他の人から区別するものは、教育的な役割の有無である」と喝破する(傍線は筆者/P・F・ドラッカー『現代の経営(下)210~223頁『第27章優れた経営管理者の要件』参照』)。

ここで注目すべきは、ドラッカーが、「地位」「給与」よりも「人間としての真摯さ」「教育的役割」こそが、管理監督者たる所以であるとしている点である。彼は、管理監督者は単に仕事ができるだけでは足りず、情熱をもって部下に対する育成、即ち教育・指導等々が決め手であるということを言いたかったのであろう。要するに、教育的機能を果たしてこそ、管理監督者たる素地を具有すると言ってよいのである。

さらに、人には「人の上に立ちたい」という本能があるが(それは向上心のひとつの表れであろう)、それは下の者に慕われてこそ初めて可能になる。上の者が下の者を引き立ててくれるという要素があってのことであり、それは、ドラッガーの言う教育的役割と同義である。

下の者から慕われるためには、上の者が下の者の面倒を見る等、まずは「自己犠牲」を厭わない姿勢を持つことが必要である。自己犠牲を具体的に言えば、第一に組織において成果を上げ組織として成長を図り続けること、次にそれにかかわりを持ち自分を支えてくれる個々人の成長を図ることである。そうして、自己犠牲を払っている者は昇進させ部下を持たせるが、その一方、自己犠牲を厭う者に対しては昇進させないどころか降格させ、ついには淘汰していかなければならないのである。

また、報酬についても、部下よりも控えめの報酬でもよしとする姿勢でなければならない。要するに、自己犠牲のうえに初めてリーダーシップ、ひいては信望が生まれるのである。

 

戦って勝てる組織とは

企業体のトップである社長は、素晴らしい業績を上げてこそ初めて然るべき報酬を得る資格を獲得する。それゆえに、業績を上げられない経営者・管理監督者は、淘汰されなければならないことになる。ここにこそ、「人事管理」の本当の意味があるのである。

これらの一般論を具体的に展開すれば、産業構造の変革により業務がソフト化し、グローバルな競争の激化にさらされている企業において、管理監督者は従来以上にマネジメント的視点を持つことが要求される。加えて、個々人の自主性が重んじられる社会的風潮を背景に、管理監督者には下の者に対して取り締まり的な高姿勢ではなく、人間的に接する姿勢が求められるのであり、監督的機能よりも管理的機能を果たす方が重要になってきているのである。

「日本マクドナルド事件」は、ファーストフード店の店長が労基法上の管理監督者に該当するかどうかが争われた事例であり、一般企業とは多少状況を異にするであろうが、管理監督者と労働時間制の問題は、各企業において日常的に見受けられるテーマである。それは、実は管理監督者の処遇は極めて低いことに起因すると言ってよい。

確かに、管理監督者がそれ相応の処遇を受けていないという側面は否めない。しかし、企業という組織体は上位の者の自己犠牲の上に成り立っているという先の論述とともに、企業は競争に勝たねばならない宿命を負っている。その結果として管理監督者の賃金が割り食っていることのみに議論を収斂させるのではなく、組織に貢献したいという心意気とタフな精神力が、今後管理監督者の要件として強調される必要がある。管理監督者が賃金と処遇でしか繋がっていない企業は、戦って勝てる組織でなく、敗退の途を辿ることは必定である。

 

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