高井伸夫の人物交遊譚の最近のブログ記事

株式会社ABC Cooking Studio元取締役安藤武久さんを偲んで

2017年2月28日に、株式会社ABC Cooking Studio元取締役安藤武久さん(81歳)がお亡くなりになられた。3月1日にお通夜、翌日2日に葬儀が名古屋で執り行われ、小生は出席できなかったが、葬儀には同社より大勢の社員が参列されたそうだ。葬儀はご家族中心で行われたとのことであり、喪主のご挨拶以外は特に弔辞もなくご家族や親しい人たちに見守られながらの旅立ちだったそうだ。

安藤さんは愛知県名古屋市出身、1935年4月3日生まれで、1995年頃にABC Cooking Studioに入社された。前職は、新潟県三条市にある金物台所用品メーカーの役員としてABC Cooking Studioに対する製品販売を担当されていたが、そこで、横井啓之代表(当時)と出会い、人柄や経営能力に関し意気投合し、横井氏からの懇請もあって、ABC Cooking Studioへ入社することとなったそうだ。当初は同社の本部が静岡市にあり、安藤さんは静岡市の本社で総務部長として勤務され、後に取締役となり経営全般に携われた。同社はその後東京へ本社を移転しているが、安藤さんも静岡から東京へ引っ越しをし、単身赴任されていたそうだ。2010年に同社を退任、退任後、カナダで一時期を過ごされた。日本に帰国されてからは、名古屋の自宅近くの熱田神宮でボランティア活動などをされていたそうだ。

小生は、2005年4月からABC Cooking Studioの法律顧問を務めているが、安藤さんとは、同社の法律顧問になった当初からご縁をいただいていた。当時、同社の一部の社員が独立して同様の事業を展開し始めたことに関して相談があったのだが、安藤さんは、横井氏や、同社の創業メンバーの一人である志村なるみ氏をしっかりとサポートされ、縁の下の力持ちのような存在であった。この件は、小生が法律家としてアドバイスを行い無事に解決したが、以後も同社の労務管理体制の整備をお手伝いさせていただいて現在に至る。

横井氏と安藤さんとは二回り以上年が離れており、同社社員には若手が多く、安藤さんは父親のような存在でもあったそうだ。

安藤さんが亡くなった後に、横井氏に会ったが、当時横井氏と安藤さんが一緒にいると、安藤さんが社長に間違われることが多かったと笑っておっしゃっていた。同社が発展していく過程で、安藤さんによって社会的信頼を得られた、当時の同社にとって得難い方であったと語っていた。

(写真は、左から横井啓之様、安藤武久様:名鉄百貨店本店スタジオ リニューアル2015年4月1日オープン後に撮影)

横井さんと安藤さん

 

同社は女性専用料理教室を展開し(2014年4月から男性も受講できるサービスを展開している)、女性が多数活躍している企業であるが、2005年当時、3800人いた従業員のうち男性社員はたったの8名だけであった。安藤さんは面倒見がよく、ランチには必ず女性スタッフ数名を連れていったそうだ。バレンタインデーには、女性スタッフからたくさんチョコをもらい、お返しする相手を忘れないようにするためか、安藤さんは「みんな、自分の名前付箋をチョコに貼っておけ」と机の上にチョコを並べて言ったという。羨まし限りであるが社員から慕われていた安藤さんらしい発言である。会社を辞めてからは、「立つ鳥跡を濁さず」のごとく、社員との交流をあえて断っていたとも伺った。小生は退職後にカナダに行く理由を、想い人がいるからと聞いたが、真偽の程は定かではない。

小生も安藤さんと同じ名古屋出身であるが、安藤さんから名古屋の大須にある芝居小屋近くで幼少期を過ごしたと聞いた。これは亡くなった後に安藤さんを知る方々に訪ねたが、誰一人として知らない事実であった。安藤さんとは世代も近く、戦中・戦後の混乱期を同じ名古屋で過ごしていた、同郷の士として交流があったと感じている。小生は仕事柄多くの人と出会ったが、安藤さんは、仕事熱心で勤勉実直の人として、また、おおらかで明るい魅力的な人として、印象に残っている。

2010年に退任される際にご挨拶したのが安藤さんとお会いした最後であったが、ABC Cooking Studioの成長を支えた立役者がひっそりとこの世を去ったことが寂しくてならない。

 以上

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2017年3月12日(日)13:09 東京大学医学部付属病院付近で沈丁花を撮影
花言葉:「不滅、永遠」



一般社団法人日本ソムリエ協会名誉顧問 熱田貴さんとのご縁

 

先日2月3日に久しぶりに、一般社団法人日本ソムリエ協会名誉顧問である熱田貴さんにお会いした。同氏の経営する「レストラン東京グリンツィング」が本年2月末日で閉店になるとのことでなんとも残念な話である。

 

熱田貴さんは昭和13年7月千葉県佐原市に生まれ、海外に憧れて船乗りになろうと思い、愛知県の国立高浜海員学校に入学されたそうだ。その後、株式会社日之出汽船に入社され、昭和32年から昭和38年まで客室乗務員として、南米・北米を回られた。ワインとの出会いは、先輩に連れられて行った南米チリのバルパライソの港町だそうだ。今から40年以上前、まだ日本人にとってワインは馴染みがなく、高級フランス料理と一緒に飲む憧れの飲み物であった時代である。南米チリで、初めてワインを飲みその魅力に魅かれた熱田さんは以後、訪れる港町でおいしいワインを飲み、ワインについて勉強されたという。

 

昭和39年からは船を降り、ホテルニューオータニ料飲部に勤務されたが、同ホテルでボルドーのサンテミリオン地区にある、シャトー・ドゥ・レスクールのオーナーであるピエール・シャリオール氏と運命的な出会いをし、シャリオール氏の勧めもあって、熱田さんはワイン修行の旅に出ることとなる。昭和44年から47年までフランス・ボルドー、ドイツ・ベルンカステル、オーストリア・ウィーンでワインについて研鑽をつまれ、イギリス・エジンバラではスコッチウィスキーについても学ばれたそうだ。帰国後、再びホテルニューオータニに勤務され、日本でワインをポピュラーにすることを目指してソムリエとして活躍され、平成3年に「レストラン東京グリンツィング」( 東京都千代田区麹町2丁目5−3)をオープンさせた。レストランの名前は、オーストリアで最も有名なホイリゲ(葡萄栽培農家が自家製ワインを飲ませてくれる居酒屋街)のグリンツィング村に由来するという。熱田さんのワインの原点である、ジョッキにワインを注ぎ、好きな食べ物を取り分けてワイワイ騒ぎながらごくごくとワインを飲む。そんな居酒屋のようなお店をやりたいとの思いが込められているそうだ。

 

小生と熱田さんとのご縁は、神戸にあった学校法人塩原学園の塩原一正さんが契機となっている。小生は学校法人塩原学園の法律顧問をしていた時期があり、塩原さんとは、事務所の記録によると昭和59年1月からご縁をいただいている。少々話がそれるが、塩原さんとは、昨年9月30日に神戸で久しぶりに再会しており、その様子は、「時流を探る~高井伸夫の一問一答(第7回)元トッパン・フォームズ代表取締役社長福田泰弘様」をご参照いただきたい。

 

塩原さんは神戸で学校法人塩原学園のほか、日本ソムリエスクールの校長を務められていた。熱田さんと初めてお会いしたのは、塩原さんに連れられて「レストラン東京グリンツィング」へ行った平成4年9月のことである。その後熱田さんとは2~3度お会いしたが、塩原さんと一緒に上海のホテルのエレベーターの中で偶然お会いしたこともあった。

 

レストラン東京グリンツィングを閉めた後はどうされるのか、熱田さんに伺ったところ、まだまだ日本にワインを広めるため活動されるという。直木賞命名の由来の直木三十五さんの孫の植村鞆音さんと一緒に東京でレストランを開業する準備をされ、北海道余市ではワイン作りにチャレンジされるというから驚いた。聞けば、熱田さんは余市にある、2015年1月設立の一般農業法人 株式会社NIKI Hillsヴィレッジの監査役を務められているが、同農業法人は、「余市・仁木地区を余市川ワインバレーと呼べるような土壌をつくること」を目指しているという。同法人は、2015年夏から、すでに葡萄の栽培に着手しており、白ワインは2016年秋に初出荷され、赤ワインは2018年の夏頃に初出荷を目指しているそうだ

 

余市といえば、小生は画家中村善策氏の小さな絵画「余市川の畔」を持っているが、青々とした草木に包まれた余市川と河畔の街並みを描いた鮮やかな絵画である。同地はニッカウヰスキーの創業地として名が知られているが、古くからリンゴをはじめ果樹栽培が盛んだったそうだ。小生は絵画に描かれたような同地へ、気候の良い時期に訪問したいと思っている。

 

熱田さんは日本ソムリエ協会の2代目の会長を務められ、日本にソムリエ文化を根付かせた方と言えるだろう。余市でのワインバレーを作る構想は壮大な事業だが、日本のワイン文化発展のため熱田さんのさらなる活躍に期待したい。

 

以上

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2017年1月29日(日)8:13 千代田区大手町1にて寒桜を撮影
花言葉:「気まぐれ」

 

 

朝日新聞記者 高橋美佐子さんと小生のご縁

 

朝日新聞の夕刊紙面で2016年12月12日から28日まで全12回にわたり連載されていた「人生の贈りもの~わたしの半生 作家落合恵子氏」の記事を拝読していて、担当者欄に高橋美佐子さんの名前を見つけた。

この連載は、落合恵子さんが高橋さんに対して心を開いている様子が感じられる見事な内容であった。高橋さんを知る者のひとりとしてうれしかった。

事務所の記録をみると、小生が高橋さんと初めてお目にかかったのは、2006年5月のことである。

 

小生は株式会社ABCCookingStudioの法律顧問をしているが、おそらく2006年5月に、同社の創始者である志村なるみさんが朝日新聞から取材を受けられ、その担当記者であった高橋美佐子さんを志村さんからご紹介いただいたのであろう。高橋さんは溌剌とした爽やかなお人柄であり、そして、読者に何を伝えるべきか真摯に取材対象となる方に向き合い、使命感をもって仕事をしておられるという印象を受けた。

高橋さんは、朝日新聞入社後、長野支局、横浜支局を経験し、2000年から東京本社の社会部へ配属され、その頃、首都圏で働く20代~30代のOLをターゲットにした連載企画「口紅のささやき」などを担当しておられたそうだ。小生が初めてお会いした2006年ごろは、朝日労組本部広報部長も務めておられた。その後、名古屋本社報道センター社会グループ、東京本社文化くらし報道センターで生活面キャップを務められた。

(なお、2008年4月に小生が立ち上げた勉強会「キャリア権研究会」に、小生から高橋さんにお願いして、2年間にわたりご参加いただいたということもあった。)

2009年10月~11月にかけて、当時の夕刊一面の連載「にっぽん人脈記」に、「排泄と尊厳」というタイトルで署名入りの連載記事を書かれたことも、大変印象深いお仕事として記憶に残っている。介護問題とも密接に関連し、人間にとっての根源的かつ重要なテーマに正面から挑んだ力作であったと思う。また、取材班のひとりとして参画された2010年末の朝刊一面などの年間連載「孤族の国」では、単身世帯が急増する日本社会の実情に迫っておられた。高橋さんは、社会で弱い立場にある人の抱える問題を、独自の視点で丁寧に取材して読者に伝えることを、自らの信条とされているのではないだろうか。

2012年には東京本社デジタル編集局デスクに異動され、テレビ朝日CS2「ニュースの深層」でキャスターを務められ、2013年4月には、『週刊朝日』副編集長として朝日新聞出版へ出向された。異動のご連絡を受けた際には、放送や雑誌という新分野に果敢に挑戦される高橋さんを頼もしく思った。朝日新聞出版時代には、2年連続で東京大学情報学環境部「メディア論」(後期)にて講義を担当されるなど、活躍の場を拡げ、2015年に古巣ともいえる東京本社文化くらし報道部に異動され、現在は再び記者として活躍しておられる。

 

高橋さんは、同じく朝日新聞で記者をされている上野創(はじめ)さんと、上野さんが26歳でがんを発症された1997年に結婚された。高橋さんのご紹介で、小生は上野さんにお会いしたことがあるが、柔和な優しい雰囲気の好青年であった。再発や4度の手術を経て社会復帰を立派に果たされるまでには大変なご苦労があったことは、ご著書『がんと向き合って』にも綴られている。上野さんとともに歩み、上野さんを勇気づけた高橋さん。すばらしいおふたりだと思う。民間療法だといわれるかもしれないが、小生から、真夏に裸足で海岸の砂地を歩くこと、特に熱い砂地を歩くと良いとアドバイスをしたこともある。

高橋さんの妹さんは、ソプラノ歌手の高橋美千子さんである。高橋さんにご紹介いただき、2011年12月2日に開催した弊所年末講演会のコンサートでは、美千子さんに素晴らしい歌声を披露していただいた。アメージング・グレイスやアヴェ・マリアを歌い上げる美千子さんの美声がコンサート会場内に響き渡り、圧巻であった。

 

高橋美佐子さんは、現在は朝日新聞文化くらし報道部生活グループで記者をされている。様々な経験を経た彼女がこれから何をどのように伝えていくのか、今後も応援していきたいと思っている。

 

以上

 

 

青山俊董先生「泥があるから花は咲く」(幻冬舎)出版に寄せて

 

曹洞宗の大教師である青山俊董先生が、『泥があるから花は咲く』という本を出版されたことを12月9日の東京新聞の広告で知った。泥があるから花は咲く画像

私は、青山先生に何度かお会いしたことがある。初めてお会いしたのは、過去に弊所に在籍していた手塚成章氏が出家して、青山俊董先生の元でご指導をいただいたということから、2000年(平成12年)12月1日、弊所の年末講演会で青山先生にご講演いただくことになりご挨拶させていただいた。同講演会では、「いかに生きるべきか」と題してご講演いただいたのである。その後、年末講演会の御礼もかねて、名古屋の愛知尼僧堂にご挨拶に伺った。長野県塩尻市片丘の無量寺へは、2度ほどご挨拶にお伺いしたが2011年(平成23年)9月27日にお訪ねした際には無量寺から車で15分ほどのところにある、塩尻駅前のホテル中村屋で食事をご一緒させていただいた。

 

青山先生は日本の古代史についても博識で、色々なお話をしていただいたが、一番印象に残っているのは、邪馬台国と大和は同じ言葉だという話だ。邪馬台国は新羅語で、大和は百済語だったという話であった。そしてまた、無量寺にお邪魔した際に、非常に草木を愛しておられる印象も受けた。その他にも、お弟子さんが沢山お見えになることに驚いたのを覚えている。瀬戸内寂聴氏よりも位が上だとお聞きしていたが、まさにそれに相応しく、懐が深く広い人で、日本で最初に女性として大教師として迎らえたのも当然であろう。

 

冒頭の『泥があるから花は咲く』は、そんな青山先生が人生の意味について先生らしい言葉で語っているとのことなので、早速購入を手配した。青山先生の著作はたくさんあるが、その集大成として今から読むのを楽しみにしている。

 

以上

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右上から時計回りに 全て2016年10月29日(土)に撮影
10:33 グラジオラス 花言葉:「用心、思い出」
10:49 ハマユウ 花言葉:「清潔、どこか遠くへ」
11:12 ケイトウ 花言葉:「おしゃれ、風変わり」


 

~株式会社新規開拓代表取締役社長朝倉千恵子様が韓国ソウル大学で日本を代表してご講演されました~

 

兼ねてより親しくさせていただいている、株式会社新規開拓代表取締役社長朝倉千恵子様が、この10月25日に、韓国のソウル大学にて、日本の女性経営者で初めて、「日本で活躍する女性社長、成功の条件 ~ 勝ち残る企業・人財の条件 ~」というテーマで講演された。

今回、このような機会を作って下さったのは、朝倉様が主宰している卒業生2,000名を超える女性限定の塾「トップセールスレディ育成塾」の34期生である木下良美様よりご縁をいただいた株式会社ユナイテッド・ブックス 代表取締役社長 神澤 享裕様とのこと。

神澤様は、韓国で20年以上ビジネスを続けてきており、ビジネス誌の出版会社としてはナンバー1だそうで、全ての出版を合わせても、韓国で5本の指に入る業績を誇られるという。

今年の2月、神澤様との会食時に、朝倉様より「韓国で講演をやりたい」旨お伝えしたところ、その後、韓国国内で奔走して下さり、ソウル大学 大学院 教授 金 顯哲様をご紹介いただき、講演が実現したとのことだ。

神澤様曰く、「韓国は元々儒教の国であり、礼儀礼節をとても重んじている国。本来大切にしてきた礼儀礼節が、家庭から崩れていってしまっているような現状がある」とのことだが、このことも講演実現の背景にあるに違いない。笑いあり、感動あり、訓練ありの講演会に終わったそうだ。

更には、今から遡ること約10年前、朝倉様は、講談社より自身の著作を韓国語に翻訳出版されていたことも、今回ソウル大学での講演実現を後押ししたに違いない。

朝倉様は2011年11月中国(上海)での講演にて、「礼儀礼節に国境はない」と感じられたそうですが、今回のご登壇も、正に国境を越えたソウル大学の皆様に、「礼儀礼節が如何に大切なのか」を伝える良い機会になったということでしょう。

こういった国際貢献活動をする企業が増えることが今後の日本にとっておおいに必要なのではないでしょうか。同社及び朝倉様の今後の活躍を応援したいと思います。

参考:株式会社新規開拓 朝倉様のブログ「10月25日(火)ソウル大学大学院 講演会」

http://s.ameblo.jp/shinkikaitaku-asakura/entry-12213903520.html

 

~草間彌生氏の平成28年度文化勲章受章ニュースに際して思い出したこと~

 

私はずいぶん以前に、草間彌生氏に直接お会いしたことがある。

今ほど有名になられる前であったが、当時、マネジャーの高桑君と一緒に事務所に来所され(1989年12月)51枚の版画を購入した。その後も時たま個展の案内状をいただいたが、それ以来お付き合いはないので、全く私の世界からは遠い人になってしまっている。

当時の草間さんの絵を見ると、内なる欲求を絵にぶつけていたような気がしてならない。購入した作品のうちの何枚かは私の友人のご子息やご令嬢の結婚のお祝いとしてお贈りした。大変価値の高い美術品が、数点、私の手許を離れたことになるが、私がまだ美術品に十分目覚めていない時に購入した作品だったので、当時は惜しむ気持ちはなかったのである。

本年10月28日付けのニュースで、草間氏が文化勲章を受章されたと聞き、心からのお祝いの気持ちを抱くとともに、昔のことを思い出した次第である。私にとっての大ニュースであった。

 

以上

 

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