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2018年1月25日、愛知県安城市にある、ニチバン株式会社の先端技術棟の竣工式が行われ、出席いたしました。神事が滞りなく終わり同社名誉会長 小林幸雄様と小生がご挨拶をいたしました。

 

以下当日式典に出席された皆様へお配りした小生からご挨拶文を転記させていただきます。

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式典でご挨拶する高井

ニチバン「先端技術棟」竣工にあたって、ひとことお祝い申し上げます。

「先端技術棟」の竣工、まことにおめでとうございます。

1967年(昭和42年)1月に稼働した安城工場は、「ニチバン」の主力商品のひとつであるセロテープ®等の製造を担ってきたとのことですが、その安城工場が、今日(こんにち)、操業51年目に新たな歴史を刻み始めている現場にお招きいただき、感無量でございます。

安城工場も、まさに「ニチバン」と苦楽をともにしてきた生き証人であると思います。 

 

私は、長年にわたり、ニチバンの法律顧問を務めさせていただいてきております。この間、もっとも強く記憶に残っておりますのは、倒産の危機に瀕したニチバンの再建に1976年(昭和51年)より手腕を大いにふるわれた小林幸雄会長(当時)を支え、関係者の皆さんとともに、組合との紛争の解決に全力をあげたことです。

会社再建のために労使協調を願いつつ諸施策を実行された小林会長のもと、裁判では負けに負けましたが、1979年(昭和54年)6月7日の東京地方裁判所・渡邊壯裁判長による決定は特に印象深く、裁判官が会社の経営方針に理解を示したものでした。裁判で30回以上の反対尋問をおこなった佐藤組合委員長とのやり取りも真摯なもので、これらはのちの会社再建を予見させるものでした。

 

労使問題で一時は苦境に立ったニチバンの見事な再建は、経営陣のリーダーシップのもと志ある社員の皆さんが一丸となり、堅実経営に徹してきたからこそであると思います。

そして、今般は社会の流れをとらえてメディカル事業生産拠点を再編され、安城事業所に、医薬品専門工場と研究所を新設されるという新たなステージを迎えられています。ここに、みなさんの長年の努力の結晶として安城事業所が更なる飛躍を遂げる基盤ができたのです。

思えば、ニチバンでもっとも論理的な方々が集まっているのは安城事業所でしょう。安城事業所の「先端技術棟」が次の時代への飛躍を確実にするにために、「地域の大学」、たとえば豊橋技術科学大学などと提携し、あるいは本日「ご来臨のお取引先・金融機関」とも、より強固な提携をして地盤を固め、「イノベーション」を図って新製品の開発と生産の拠点になることを期待します。

 

すでに私たちの社会で大きな存在感を示しはじめたAIですが、2030年には、人間のように自律的に考えて意思決定をする「汎用AI」が実現し、2045年には、現在の平均的労働者のほとんどが代替可能になるそうです。そして、厳しい予測によれば、残るのは1割ほどの、「クリエイティブ」「マネジメント」「ホスピタリティ」の3分野に携わる人々であるという説さえあるといいます。

ニチバン、という堅実で先見性のある企業と従業員の皆さんが、AIと共存共栄して成長を続けるべく、安城事業所の現在の200人ほどの従業員数が、医薬品専門工場および研究所の誕生に伴い、300人体制となり、大きな人的資源を得るにふさわしい「新製品開発」に邁進していただきたいというのが、私からの率直なお願いです。

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式典を途中退席いたしました後は、株式会社ファッズの本社を訪問いたしました。

同社は三河を中心に「新時代」「備長扇屋」の2つのブランドを主軸に、大型飲食店のロードサイド(注:幹線道路など通行量の多い道路の沿線)を中心とした店舗展開をしている飲食店です。同社代表取締役社長の佐野直史様に本社をご案内いただきました。佐野様がオフィスに戻られると、社員の皆様がごく自然に大きな声で「お疲れ様」「ご苦労様」といった挨拶をされました。社長をはじめ社員の皆さんが、元気いっぱいお仕事をしておられ、活気にあふれたオフィスでした。

佐野様と高井

(写真左は佐野直史様、右が高井)

その後は、株式会社エイチ・アイ・エスが経営を引き継いだ、蒲郡にあるラグーナテンボスにお邪魔いたしました。

小生は、昨年(2017年)5月23日にハウステンボスを訪問しておりますが、(詳細は、こちらをご参照ください「ハウステンボス訪問記」)ラグーナテンボスは、ハウステンボスと同様、「変なホテル」も併設され、さながら姉妹施設のようでした。ラグーナテンボスへの来場者数は、現在年間85万人だそうです。四期連続黒字で、皆様大変張り切ってお仕事をしておられ、 入場者100万人を目指しておられるとのことでございます。ホテルに温泉など、豪華な施設もあり、敷地の大きさから、年間来場者数が200万人~300万人程度でも十分受け入れ可能と感じました。ラグーナテンボスがある蒲郡市の人口は約8万人(注:2015年)だそうですが、隣の岡崎市は約38万人(注:2015年)とお聞きしました。テーマパークが発展するか否かは、一企業のみならず、行政の責任者による話題作りが重要です。小生は、名古屋市の出身で、少年時代には、蒲郡に海水浴に行った思い出もあるため、行政と企業が一体となって蒲郡が再生されることを願わずにはいられません。

変なホテルにて

(ラグーナテンボスの変なホテルにて撮影)

 

見学後は、株式会社ラグーナテンボス 執行役員 管理本部長 倉田恵太様、総務部付きグループリーダー 三浦和博様はじめ管理職の皆様に豊橋駅まで送りいただきました。

 

温泉地は活況ですかと尋ねると、三谷温泉はとても元気ですとのお返事がありましたから、蒲郡市は、まだまだ発展の余地があるかと思います。

 

そんなことで、1月25日は、珍しく会社を3社訪問いたしました。

 

以上

 

2017年10月20「馬路村訪問記」


2017年10月20日 馬路村訪問記

 

 

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2017年10月20日(土)、高知県安芸郡馬路村を訪問しました。高知県を訪れたのは2年ぶりです。

当事務所の亀梨伸夫参与と有限会社コマ・コーポレーションの成采準代表取締役に案内をしていただき、馬路村農協の事務所にお邪魔して、東谷望史組合長にお話を伺ってきました。

 

村の成り立ち

馬路村は高知県の東部に位置しており、山々に囲まれて木の香りが豊かに香る気持ちの良い土地でした。

昭和・平成の数回の合併を拒否して現在までやってきたこともあり、人口はわずか898人(2017年3月時点)で、その4割程度が65歳以上の高齢者であるとのことです。

 

馬路村は、もともとは林業が盛んな村でしたが、それが衰退したことから柚子の栽培に転じ、今では柚子の生産地として有名になりました。

現在、馬路村では、柚子を使用した様々な商品を開発・販売しています。その売り上げはピーク時には33億円にも上ったそうですが、昨今は競合相手が全国各地に多数出てきたため、若干減少し、29億円程度の売り上げとなっているそうです。

有名な商品として、「ごっくん馬路村」(清涼飲料水)や「ぽん酢しょうゆ」があります。ぽん酢しょうゆは31年前に発売され、今では東京の高級スーパーにも並べられるようになりました。

最近では、メタボ抑制作用効果もあるという柚子種子油を使用したサプリメントを高知大学医学部と共同で開発し、販売を始めるなど、新たな試みを続けています。

 

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また、近年、馬路村には、日本全国のみならず海外からも1年で300組余りの観光客が訪れるそうです。けっしてアクセスが良いとはいえない、この山奥の村に来るのにはかなりの手間がかかりますが、それだけ馬路村が魅力溢れる土地であるということでしょう。

 

地域の再興を目指して

安倍内閣は、第二次政権以降、東京一極集中の是正を日本経済活性化の柱の一つとして挙げ、新たに地方創生を担当する国務大臣を設置するなど、地方の活性化に力を入れてきました。

これを受けて、多数の地方自治体や地方振興団体がコンサルタントを雇い活性化を目指しましたが、馬路村は農協組合長の東谷氏の先導のもと、行政と協力をして自力で再興を図って、見事に成功を収めたのです。

民間の企業が村に参入しようとしたこともあったそうですが、それを跳ね除けて村の人々だけで頑張ってきたとのことで、これは本当に素晴らしいことだと思います。

東谷氏は、馬路村で生まれ育ち、それ故、村への愛着も人一倍あるという方ですが、東谷氏の元に集まった人たちもやはり同じように馬路村に愛着を持っている人ばかりなのでしょう。

馬路村の成功例を見て、外部の人間に頼るのではなく、村を知り尽くして、村への愛情を持っている住人が自らの力で乗り越えていという強い決意を持ってこそ、地方創生は為し得るのだと思いました。

 

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さて、今回の滞在で私も「ごっくん馬路村」やその他の商品をいくつか購入しましたが、これが大変美味しく、商品の開発から商品名の考案までほとんど全てを自力で行ったという馬路村の皆さんの努力に改めて敬服しました。

近日中に再度訪問する予定ですので、また村の皆さんにお会いできることを楽しみにしています。

2017年12月1日尾鷲訪問


◆尾鷲訪問記
伊藤 綾 様(小畑孝廣音楽事務所・ジャズボーカリスト)

2017年12月1日、天気は晴れ。ぽかぽか陽気の中、高井先生の速水林業様の視察に同行させていただきました。速水林業様は、2000年2月、日本で初めてFSC(森林管理協議会)の認証を国内で初めて取得されたそうです。

名古屋10:01発  12:19 紀伊長島着、特急ワイドビュー南紀3号で高井先生、そして高井先生のパーソナルトレーナーでもあり、株式会社ストレッチ屋さん代表取締役、川合利幸様と合流。

「電車に乗る前に、お弁当を4つ買ってきてください。できれば、それぞれ種類の違うものをお願いします。」

 高井先生からのミッション。なかなか地元名古屋で駅弁を買う事はないので、名古屋名物が入ったお弁当には、どんなものがあるのか調査開始。

味噌カツ、天むす、ひつまぶしは想定内でしたが、あんかけパスタは想定外。バラエティーに富んでいるお弁当を買っていざ、電車へ。

名古屋から約2時間20分。初めて乗ったワイドビュー南紀3号。のどかな風景の中、がたんごとんと、走ります。席を立つと、ふらつくほど揺れがはげしかったです。 

それまで住宅街を走っていた電車が、田んぼや畑など自然の多い景色になってきて。気が付けば山の中。20分ほどした頃、紀伊長島駅に到着。 

速水社長が迎えに来てくださり、三重県紀北牟婁郡紀北町にある事務所へ。一歩足を踏み入れた瞬間、ヒノキのいい香りが漂います。 

ひのきの香りのする事務所

(写真:速水林業 事務所)

林業の現状、プラス面とマイナス面、課題、今後の展望について、お話を聞かせていただきました。例えばプラス面だと若手人材が増加していること、公共建築の木造化など。 

マイナス面は、価格の下落や、森林についてしっかり教育されているヨーロッパとの違い。日本人が気にするのは産地と価格のみ。言われてみれば、今まで森林について学ぶ機会はなかった事に気づきました。 

例えば法隆寺向けの材木。人の一生の長さをはるかに超える300年後に、きっちり納めるためには、しっかりした計画や管理が大切となります。壮大なスケールのお話に、ロマンを感じました。

「少し、森の中を歩きませんか?」

銀杏の葉が辺り一面を覆い、まるで金の絨毯のような道を散策。風が吹くとざわざわと木々の揺れる音がして、はらはらと葉っぱが落ちてきます。青い空。ヒノキの緑や銀杏の黄色。自然の織りなす芸術。日常の喧騒から離れて、静けさに包まれた時、非常にゆったりとした気持ちになりました。

ぬた場

(写真:森の中で見つけたぬた場)

山の中は鹿やイノシシが出るそう。ぬた場と呼ばれる、動物たちの水浴び場の近くにはイノシシのものと思われる足跡がたくさんありました。万が一動物に遭遇した時のために、速水社長が仕込み杖を手に歩いていたのが印象的です。

鹿やイノシシが里に下りてくる。テレビのニュースで、最近よく見かけますが、森の中では動物がいるのが当たり前のこと。日常にはない危険もあるのだなと感じました。

黒鯛釣りが趣味の私。月に一度、速水林業様の近くにある海山フィッシングセンターには、よく釣りに来ています。今回同行させていただいたことで、海だけでなく、山、森林の魅力についても肌で感じる事ができました。

ご案内下さった速水社長、同行させていただいた高井先生、川合社長。貴重なお時間をありがとうございます。

尾鷲の森でフィトンチッドをたっぷり吸い込んだので、今まで以上に、いい歌が歌えそうです。

 

(以上です)

◆尾鷲訪問記
川合 利幸 様(株式会社ストレッチ屋さん 代表取締役)

 

この旅は私にとってはまさに「社会見学」でした。

普段とは全く違う環境で、自分とは全く違う業界のことを学べてとても面白かったというのが感想です。

林業のことに関して驚きの連続で「へぇー」ということばかりでした。

特に印象に残っているのは、

「日本は環境保護に関して劣っている」

「日本の林業はビジネス的に厳しい状況にある」

「林業はとてつもない長い時間軸で行う必要がある」

「サミットでの速水様のご活躍」

「速水様のご交友関係の広さ」

「動物はミネラル分のある土壌を探して遠くからやってくる」

「猪は人を襲う場合もある」

また、このような機会がありましたら是非参加させてください。

海

(写真 尾鷲の美しい海岸線)

(以上です)

◆尾鷲訪問記に寄せて 高井 伸夫

 

このたびは、三重県・尾鷲にある速水林業様にお邪魔した。

速水さんと知り合ったのは、氏のご著書『日本林業を立て直す-速水林業の挑戦』(日本経済新聞出版社・2012年)がきっかけであった。拝読して感銘を受け、お手紙を出してご縁をいただいたことに始まる。氏には、これまでも林業について様々なことを学ばせていただいたのであるが、やはり現地を拝見して、それを確かなものにしたいとの思いでお邪魔したのである。

当日はまさに快晴、森林を散策するにはもってこいの日本晴れの日であった。「森林浴」の気持ちの良さは、川合利幸君、伊藤綾さんのご報告の通りである。こんなにも気持ちを安らかに解放させ、自分のからだの「感覚」が喜んでいることを意識させてくれるとは、想像以上のことであった。「森林浴」の健康効果はすでに様々に言われているところ、今回の旅で確信を得た次第である。

もっと森が身近にあればと思う。購入できるものなのだろうかと思い立ち、氏に質問したところ、こうした森林を、例えば1ha購入することは決して雲の上の話ではないという。(30万円ほどから、日本の典型的な銘木であるヒノキが鬱蒼と茂っているところでも100万円ほどとのこと。)東京近郊でも、足利、飯能、小田原等々、森林浴が楽しめそうな森林があるとのことで、大いに関心を持った。

古来、インドには人生を4つの時期に分ける「四住期」という考え方があり、その第三番めを「林住期」と呼ぶ。孫が生まれる頃になったら、すべての財産を捨てて森林に住むのだ。森林が放つ空気の中、自然と向き合って自身を静かに見つめ直し、後半生こそ真に人間らしい生きがいを求めて生きる時期、と言うべきであろうか。

もちろん年齢にとらわれない生き方が大事であり、一律に定義すべきものではないだろう。しかし、言い得て妙、と改めて感じ入った旅でもあった。

高井

(写真 速水林業の森を歩く高井伸夫)

 

(以上です)

 

11月2日~5日「台湾旅行記


高井・岡芹法律事務所
上海代表処 中国律師 段 霊娜


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11月2日

飛行機がそろそろ台湾・松山空港に着陸しようとするとき、私は、これまで見てきた台湾に関する新聞や教科書、そして旅行雑誌等の写真等から得た情報を基に、台湾はどのような場所なのだろうかと想像していました。松山空港から出た瞬間に、猛烈な日差しに出迎えられ、11月の台湾はまだまだ蒸し暑いと感じたことが、台湾の第一印象でした。

 

松山空港で高井先生と合流した後、ガイドさんに連れられてホテルへ出発しました。ガイドは李さんという方で、今回の台湾訪問団には同姓の李さんが参加していたことから、自分のことを李(スモモ)と呼んでほしいと話をするなど、非常に明るく活発で親切な人でした。

 

ホテルで暫く休憩した後、全員で小籠包を味わうため、「鼎泰豊」に移動しました。小籠包といえば、私の故郷「常州」は小籠包の発祥地と言われています。今回訪れた「鼎泰豊」は台北市の信義路に位置し、「鼎泰豊」本店として歴史のある場所でした。常州流の小籠包との違いとしては、まず小皿に入れた調味料です。常州の場合、小皿にお酢と生姜を一緒に入れるのですが、「鼎泰豊」ではお酢とお醤油を半分ずつ入れて、生姜は別の小皿に入れるようです。そして、小籠包の中身に驚きました。常州では、伝統的な豚肉が入っていることが多いのですが、「鼎泰豊」の小龍包は種類豊富でした。鶏肉、魚等のしょっぱい味だけではなく、あんこ、チョコレートといった甘味系まであって、お客さんを飽きさせない工夫を感じました。そして最後はやはり皮の勝負です。常州の場合、小籠包の皮が台湾よりもっと厚くて弾力がある一方、「鼎泰豊」の小籠包の皮は薄くてすごく柔らかく、それぞれ長所があると感じました。

 

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美味しい小籠包を食べた後、有名な故宮博物館へ見学に行きました。台湾の故宮博物館というと、「翡翠白菜」と「肉形石」が代表的な展示です。しかし、私を最も驚かせた宝物は、中国の有名な画家である張大千氏が創作した「廬山図」です。「廬山図」は張大千氏が83歳の頃に描いたもので、完成までほぼ1年半を要した作品です。10メートル以上の大きさの絵の前に立ち、同じく中国人画家の徐悲鴻氏が贈った「500年に1人の画家」という賛辞は正しいということを深く感じました。

 

夕食は寰瀛法律事務所の劉志鵬先生、黄馨慧先生にご招待いただき、金沢大学の陳一教授とともに台湾料理をいただきました。劉先生は丁寧に台湾の名物料理を紹介してくださり、笑いながら高井先生との思い出話を語ってくださるなど、高井先生との縁を大切にされていることがうかがえました。

 

11月3日

3日の朝、雨がちょっと降ってきました。最初に観光したのは林安泰古厝です。林安泰古厝は台北市に現存する建物の中で最も古い古厝(古民家)の一つです。専門家と学者たちの努力により再配置計画が策定され、濱江公園に移して保存されています。李(スモモ)さんの紹介によると、古厝の外観は南方の建築様式で、自由自在の理念を持って庭園を造られたそうです。世界遺産として知られる中国蘇州市の庭園と比べて、林安泰古厝の限りない空間の中で、生活、養生、教育、観賞等の機能を備えていて、かつ「小中見大」を感じられた園林でした。

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林安泰古厝を観光した後、我々は国立歴史博物館と台北植物園を訪問しました。時間の都合で、国立歴史博物館は1階のみの見学でしたが、国立歴史博物館のパンフレットにとても感動しました。台湾で有名な女性詩人の席慕容氏が国立歴史博物館のために、詩を作っていたのです。

「人生を博物館のようにすごせますか?今生、再び貴方と会い、櫃の外にいる貴方、私はもうその中。冷たいガラスで隔てて、貴方が来るのを望んでいる私は錯愕の間に、貴方は何か聞こえた、もちろん信じられないよ。きっと信じられないよ。ここにあるすべての絹、すべての帛、すべての三彩と泥塑、櫃の中のすべての彫刻と紋飾よ。全部が貴方にあげたい愛、全部が百千万劫に遭遇した不死の私の霊魂」

歴史は流れています。現在はガラスの外に立っている私がいつの間にか櫃の中にいるのでしょう。

 

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午後は、1時間かけて、九份に行きました。「千と千尋の神隠し」で一躍有名になった街ですが、残念ながらあいにくの豪雨で、なかなかゆっくり観光することができませんでした。この日の最後は台北市の代表的建築物「台北101」を観光し、あっというまに1日が過ぎました。

 

11月4日

朝6時半頃ホテルから出発して、新幹線に乗り、台南の高雄に行きました。高雄国家体育場が今回の目的地でした。体育場を入る前に、70歳くらいのご夫婦と雑談した際、旦那さんが訪問団の一員である王建寧先生と同郷ということに驚きました。旦那さんも10数歳の頃に家族と一緒に台湾に来て、それから大陸へ戻ったのは1度だけということでした。ご高齢にもかかわらず、もう一回故郷に帰りたいという気持ちに感動しました。

高雄国家体育場の建築を担当した伊東豊雄氏のご配慮で、我々は体育場の内部まで見学することができました。あの日の日差し、日差しに緑が映えた景色、訪問団の鮒谷氏と包先生が一緒に体育場を駆け回る姿が非常に強く印象に残っています。

 

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本日最後の日程は、烏山頭ダムの観光でした。嘉南平野の農業灌漑を主目的として建設された烏山頭ダムは、完成に10年を要しました。上空からは緑の珊瑚のように見えるため、通称「珊瑚湖」と呼ばれています。現地の農民たちは建築者の八田與一技師に感謝の意を表するため、銅像を作り、彼の偉大な功績を称えています。観光中、黄色い菊の花をもって八田技師に献花する外国語学校の日本人教師の姿を見ました。皆さんが八田技師のことをずっと忘れていないのです。

 

11月5日

台湾旅行の最終日、私はホテルの周辺を散策し、「温州麺」という小さな店に入り、普通の台湾人と一緒に並んで麺を食べました。「また台湾に行きたい」、私はそう思っています。

 

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以上

2017年10月22日「カメリア会桜ヶ丘訪問記」

 

 

高井会長弁護士20171022カメリア桜ヶ丘訪問.jpg

 

2017年10月22日、湖山医療福祉グループが運営する特別養護老人ホーム カメリア桜ヶ丘を訪問しました。

 

カメリア会の湖山泰成理事長は、社会奉仕のために高齢者施設等の運営を始めたといいます。現在では17都道府県に199箇所の施設を展開し、年間利用者数延べ380万人、職員は9,000人を超す大規模グループとなりました。湖山理事長は、交通費以外は無給で仕事に取り組んでおられるそうで、その福祉精神の深さに、私は非常に感銘を受けました。

 

さて、訪問日当日、職員の皆さんはお忙しいさなかにもかかわらず、暖かく迎えてくださいました。

 

私が一番驚いたのは、何といっても施設の清潔さでした。

一般的に、医療等の施設においては、どうしても臭いが多少は気になるものですが、カメリア会桜ヶ丘はそういったものが全くありませんでした。

 

院内には、各居室の中央に「なかまち」というスペースが設けられ、そこは、カフェでもあり、同時に買い物、映画やコンサートの鑑賞もできるようになっています。

買い物スペースにはカートが設置され、施設内にいながら外出しているような気分を味わえるという工夫も凝らされており、こういった環境であれば、長期滞在の入居者の方々も閉塞感を感じることなく毎日を気分よく過ごせるのではないでしょうか。

 

伺った話によると、湖山医療福祉グループでは人材育成に力を入れていて、介護福祉士実務者研修を行うことのできる「KOYAMA College」を開設して、授業料を全額免除として、職員が国家資格を取得するための手助けをしているとのこと。職員の方々がキャリアプランを明確に思い描き、充実感をもって働いていることも、施設の雰囲気を明るくする大きな要因なのだと思います。

 

湖山医療福祉グループは経営方針として以下の五箇条を挙げられています。

 

個を大切にし、心を満たす医療・福祉の実現

よろこびと感動の共有

地域社会との対話と交歓

安定と健全な発展

誇れる職場の創設

 

今のような運営を続けられていれば、この方針を体現する貴重な施設として、カメリア会はより一層の発展を遂げていくであろうと私は確信しております。

 

以上

2017年9月14日~16日「上海訪問記」


9月14日(木)~16日(土)に、上海を訪問してまいりました。旅行の様子を、ご同行いただいた小松茂生様にご執筆いただきましたので、掲載致します。

 

9月14日(木) 

9:25 羽田国際空港発 11:30上海虹橋国際空港着        

上海代表処首席代表五十嵐充弁護士に空港まで迎えに来ていただき、昼食会場である、レストラン老吉士へ移動しました。

13:00~昼食会 「老吉士」 

高井先生のブログ上の連載「時流を探る~高井伸夫の一問一答」(/weblog/cat63/)の取材インタビューを兼ねた食事会が開催されました。劉佳歯科医師をゲストにお迎えして、予防医療や虫歯の話を伺いました。詳しくは後日公開されますブログをご参照ください。(※公開されたらリンクを設定いたします)

 

14:30にホテルに一度チェックインし、14:45に、田中信孝様(無印良品(上海)商業有限公司董事営業総監)がホテルまでお出迎えくださいました。

 

15:00 無印良品上海淮海755店見学                  

田中様等のご案内で、無印良品の店舗を見学いたしました。豊富な品揃えとセンスの良さを感じ、中国もいよいよ洗練されてきたと実感いたしました。

おかし

(写真は立ち寄ったレストランで食べた可愛いデザート)

18:00~夕食会 「翰林(大上海代广店)」

上野陽子様(万弼士文档信息管理(昆山)有限公司副総経理兼上海分公司総経理)、増子聡様(迪睿合電子材料(上海)有限公司管理部門総監)、俵坂浩光様(長生人寿保険有限公司団険一部部門総経理)、大久保雅章様(东装窗饰(上海)有限公司副総経理生産部長)をお招きして、夕食会を開催いたしました。

 

9月15日(金)        

10:00 上海住友商事有限公司 今福陽久様(文書法務部長)、大草太郎様(文書法務部第一科科長(ニューヨーク州弁護士))、張琛様(文書法務部第二科科長) 表敬訪問                   

張様は、2003年4月から2011年5月まで高井・岡芹法律事務所上海代表処に勤務してくださっていた方です。高井先生とは、張様が上海代表処退所後もときたまお会いし交友が続いているようです。

 王子製紙より

(写真は王子製紙国際貿易(上海)有限公司からの上海の街並み)

この日は、14:00~(公財)茨城県上海事務所副所長海野仁男様を表敬訪問し、15:00~王子製紙国際貿易(上海)有限公司董事長総経理笹垣一様へ表敬訪問、16:30~世達志不動産投資顧問(上海)有限公司/世達志(武漢)商務咨詢有限公司董事総経理松岡貴士様を表敬訪問させていただきました。全体的にみて日本企業が退潮傾向にあることを知りました。

 

18:00~夕食会「悦(大上海代广店)」                      

坂井哲也様(時事通信社)、菊池賢司様(常陽銀行股份有限公司上海代表処首席代表)、石野健夫様(日立(中国)有限公司集団人力資源業務伙伴中心経理)、林成彬様(卡西欧(カシオ)(中国)貿易有限公司総経理)、荒木治夫様(同卡西欧(中国)総経理助理卡西欧(広州)財務部上級部長)をお招きしての夕食会でした。親睦をかねての食事会でしたが、皆様と楽しくお食事をさせていただきました。高井・岡芹法律事務所からは、五十嵐充弁護士、沈佳歓律師、段霊娜カウンセルが参加いたしました。

 

9月16日(土) 

葉才富運転手が見送ってくださいました。

9:00上海浦東国際空港発 13:00成田国際空港着の飛行機で帰国いたしました。

 

以下、上海訪問の感想をまとめました。

  • 私は、2007年に上海へ訪問して以来10年ぶりの上海でした。まず驚いたのは、道路がきれいになり、上海の街全体が整理されていたことです。東京と同じくらい道端にごみが落ちていない上海を見るのははじめてでした。上海の道路と言えば、かつては未舗装の田舎道、というイメージでした。
  • 上海は自転車シェアリングサービスがさかんで、スマートフォンで自転車をレンタルして乗り捨てることが可能です。この自転車が、至るところにおいてあり、歩道の3分の2がふさがれていました。自転車の上に自転車が積み上げられていたり、人が歩くスペースは歩道の3分の1ほどしかなく、印象的でした。
  • また、上海代表処が入るビルのすぐそばの道路わきで魚をさばいているのを見ました。道路が舗装され近代化されていく一方で、道路わきで魚の調理が行われている、生活感溢れる場面も肌で感じた3日間でした。

路上で

 (写真は上海代表処が入るビルのすぐそばの一コマ)

以上

9月30日(土)11時45分より、中国飯店「麗穂」にて会食会を開催いたしました。「麗穂」は、2017年7月29日に名古屋市中村区ミッドランドスクエア41階にオープンしたばかりのお店です。「麗穂」HPご参照ください。

http://www.chuugokuhanten.com/store/reiho.html

 

中部地区に縁のある方をお招きいたしました。当日ご参加いただいた方は以下8名の方がたです。(あいうえお順)

・石田 志保 様(株式会社ヴィヴィ 花宴hanano-en 代表)

・伊藤 綾 様(小畑孝廣音楽事務所内TEAM357所属 ジャズボーカル、ジャズドラマー)

・井上 武 様(ラブリークイーン株式会社 会長)

・井上 富紀子 様(LFC株式会社 取締役)

・佐野 直史 様(株式会社ファッズ 代表取締役社長)

・杉山 貞之 様(株式会社スギヤマ薬品 代表取締役社長)

・速水 亨 様(速水林業 代表)

・横山 巧 様

 

 

参加いただいたゲストの方の感想を一部ご紹介させていただきます。

・伊藤 綾 様(小畑孝廣音楽事務所内TEAM357所属 ジャズボーカル、ジャズドラマー)

久しぶりに先生にお会いできたこと。 本にサインをいただけたこと。

おいしい料理を食べられたこと。 ご活躍の方々とご縁をいただけたこと本当にありがとうございます。 (略)

今後も歌う場が広がっていくよう、 そして、地元の名古屋を盛り上げていけるよう精進して参ります。

 

・井上 武 様(ラブリークイーン株式会社 会長)

・井上 富紀子 様(LFC株式会社 取締役)

昨日は、名古屋での昼食会にお招きいただき有難うございました。5年ぶりくらいにお目に掛かりましたが、80歳になっても、とてもお元気でパワーを頂きました。

お会いした皆様も、各界でご活躍の方ばかりでとても楽しい時間でした。

特に、速水林業の速水さんの話は夢があって楽しい話でした。上場を目指している佐野様や、500億企業に成長された杉山様の話しも興味ありました。

 

※井上様は当日のご様子を自身のfacebookでもレポートしてくださいました。https://www.facebook.com/inouetakeshi0517

 

・佐野 直史 様(株式会社ファッズ 代表取締役社長)

先日は名古屋での食事会にお誘い頂きありがとうございます。色んな方とお会い出来たこと嬉しく思います。

 

・杉山 貞之 様(株式会社スギヤマ薬品 代表取締役社長)

先日は「麗穂」におきましてお食事会にご招待頂きまして誠にありがとうございました。 「麗穂」の美味しいお料理をご馳走になりながら、高井先生の鋭い洞察力を感じるお話しを聴けましたこと、そして社長塾の頃にお世話になりました井上様、鋭い視点を持つ速水様、 佐野様、女性経営者として活躍されている石田様、先生の旧友でございます横山先生、音楽家の伊藤先生と多種多彩な方々と交流できたこと感謝申し上げます。

以上

 

こんにちは。

株式会社新規開拓の阿部由里と申します。今年の5月、縁あって私の地元山形県庄内地方の旅を、高井伸夫先生、有限会社セカンドステージ代表取締役 鮒谷周史様、弊社代表の朝倉千恵子と一緒に過ごさせて頂きました。
とても楽しく充実した庄内時間を満喫いたしました。

朝一番の便で庄内空港到着。まずは腹ごしらえ!東京でも美味しいブランド豚で有名な平田牧場経営の喫茶店「HIRABOKU CAFÉ」平牧三元豚ソーセージがまるごと入ったチーズヒラボクドック。コーヒーよりもビールにあう味でした。

 

庄内の旅は庄交ハイヤーさんにお願いして移動。腹ごしらえも終わって、まず最初に訪れたのが

【鶴岡市立加茂水族館】

小学生の頃、遠足で訪れた頃は、正直、ごく普通のありふれた地元の水族館で、入館者も減ってきていましたが、「クラゲドリーム館」で全国的に有名になり、今では夏休みや週末など全国各地から沢山の人が訪れる人気スポットになりました。可愛いアシカのショータイムも楽しみました。

クラゲの前で

 

【藤沢周平記念館】

「阿部さんの地元か、一度行ってみたいんだよなぁ」帰省のタイミングで藤沢周平記念館を訪れて、高井先生に熱烈なファンとお聞きしていたので、藤沢氏の冊子をお土産でお渡しさせて頂きました。そのときの会話がきっかけで、今回の旅も実現しました。藤沢周平記念館

まさか高井先生と一緒に庄内を訪れることができるなんて!と朝倉と私も(そして鮒谷さんも一緒!)驚きと嬉しさと、どんな旅になるか・・・とワクワクしながら予定を立てていきました。

ちょうど菖蒲が綺麗に咲いている時期。記念館の周辺は遊歩道になっていて、ゆったりとした時間が流れています。

 

【大松庵】

地元でもお蕎麦が美味しと有名なお店。店舗は、元々鶴岡市内にあった慈善家・鈴木今右エ門の屋敷を移築したもので、古民家風でとても趣ある雰囲気です。手打ち蕎麦はもちろんですが、庄内名物「麦切り」も是非、食べて頂きたくて追加オーダーしました。

https://www.tsuruokakanko.com/cate/p0358.html

うどんとひやむぎの中間のような、庄内独自の麺で、ツルッとしたのど越しで美味しいです。

 

【藤沢周平氏生誕の地Ⅰ】

旅の最後は藤沢周平氏生誕の地を訪れました。

内川

小説「蝉しぐれ」に登場する「五間川」牧文四郎がお福と幼子を刺客から守るために暗闇の中を舟で逃がした川がここだと言われています。地元では「内川」と呼ばれています。

【小菅隆次氏の自宅訪問】

この度、大変貴重なご縁と出逢いを頂きました。小菅さんは甥にあたる方で、藤沢周平氏ととても近しい人物。今回の鶴岡訪問にあたり、ご自宅にお邪魔させていただき「小菅留治さん」(藤沢氏の本名)との思い出やエピソードをお聴きしました。

藤沢周平直筆

ご自宅には藤沢氏直筆の書がありました。大事に保管しているものを見せてくださいました。ご存命のとき、毎年届いていた年賀状。手書きで優しい柔らかい文字でした。

直筆年賀状

この日は当時、ご近所に住んでいた佐藤久雄様も同席いただき、色々お話しをしてくださいました。学校の勉強を藤沢氏に教えてもらった思い出があるそうです。

【藤沢周平氏生誕の地Ⅱ】

記念碑

この周辺は鶴岡市高坂地区といいます。当時あった家は既に取り壊されていて、更地の状態でしたが、藤沢氏を忍んで全国からファンの方が訪ねてきて、何かあったほうがいいのでは。せっかく訪ねて来てくださるんだから、、、とこの石碑を建てられたそうです。

(中央:小菅隆次さん、右から2番目、佐藤久雄さん)

 

生前、藤沢氏は目立つことや派手に振る舞うことを嫌い、記念碑などをつくることはやめてくれと常々言われていたそうです。

 

【高坂部落藩公民館】

地元の公民館には、貴重な資料や書籍が保管されています。

地元に原版や初版書籍など、今ではなかなか見ることができない当時の作品が大事に陳列されていました。高井先生が色々質問すると、小菅さんも1つ1つ丁寧に教えてくださいました。

藤沢周平文庫

ファンの方であれは、これだけ作品がそろっていたら、物凄く嬉しいし、気持ちが高揚すると思います。(終始、このような姿で食い入るように閲覧しておりました)

文庫を見る三人

【曹洞宗洞春院】位牌

こちらの寺院には藤沢氏の位牌と遺影が安置されています。作品ができると必ず寄贈しており、寺院と公民館にそれぞれ今でも保管されています。大変貴重な資料を拝見できました。

位牌と遺影のある場所も案内してくださいました。写真も撮って大丈夫ですから。と、お声かけいただき、手を合わせてから一枚撮らせて頂きました。

 

鶴岡庄内の旅の最後まで、地元の方々の優しい温かい心遣いに触れることができました。また甥であり、藤沢周平著書保存会会長の小菅隆次さんと佐藤久雄さんがずっと同行してくださって、地元の方々にご紹介をいただきご縁を繋いでくださいました。皆さん優しい笑顔であったかいおもてなしの心で迎えてくださり、旅の最後は胸がいっぱいになりました。

高井先生は日帰りで、夕方の最終便で鮒谷さんと一緒に東京へ戻りました。

地元庄内の魅力を十分にお伝えできただろうか。大好きな藤沢周平氏生誕の地を一緒に訪問できたことは、数か月経った今でも、大切な思い出です。

高井先生、鮒谷さん、鶴岡市高坂の皆さん 大変お世話になりました。

ありがとうございました。

 

 

 

 

2017年8月12日~14日「函館旅行記」

 

 

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8月12日(土)

11時40分函館空港到着。

13時15分のシャトルバスまでしばらく時間があったので、空港3階のレストランで海鮮どんぶりを食べましたが、期待していたほどの味ではなかった、というのが正直な感想です。

その後シャトルバスに乗って、15時頃大沼プリンスホテルに着きました。ホテルがある七飯町は緑豊かなところでしたが、雨が降っていたせいか、少し涼しく感じました。

 

16時に鹿部町に行き、鱈子を発見しました。案内して下さった道南タクシーの運転手さんが教えて下さったのですが、函館の鱈子は特級品だそうです。道の駅でお土産に一箱購入しました。

道場水産を訪れたところ、そこでも鱈子が製造されていました。ここで作られる鱈子は日本全国でも1、2を争う良質・高級な商品だそうです。

福岡県産の明太子は有名ですが、明太子に使われるスケトウダラの鱈子は北海道でしか取れないため、鹿部町の鱈子を加工して作られているそうです。

その後、鹿部町の大寿司というお寿司屋さんで鱈子を食しました。やはり、旨みが凝縮されていて、とても美味しかったです。

 

18時20分に北海道出身の事務所員お薦めの、大沼にあるラッキーピエロというハンバーガーのお店に行き、チャイニーズチキンバーガーの卵入りを食べました。このお店は、日経新聞のご当地バーガーランキングで1位になったそうです。

 

ホテルに戻ったのは20時頃です。静かなホテルでしたが、ちょうど私が戻った頃、中国からの旅行客が団体でお風呂に入るとのことだったので、残念ながら大きなお風呂には入れず、部屋のお風呂で汗を落としました。

 

 

8月13日(日)

10時頃、降り続いていた雨がいったん止みましたが、空模様は優れず。いつでも振り出しそうな天気でした。

高いところから函館市内を見わたそうと7時にシャトルバスに乗ってまず函館空港に向かい、函館空港からタクシーで山を登りました。しかし残念ながら小雨が降っており、かつ霧がかかっていたので、全くと言って良いほど何も見えませんでした。

諦めきれず、函館山の2合目までタクシーで行ったのですが、結局ここでも雨と雲とで視界が開けず、景色を見ることはできませんでした。

 

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仕方なく下って、村岡画廊にお邪魔しました。藍染の作品などをみせてもらい、店主の村岡武司さんと色々なお話をさせていただきました。

 

11時過ぎに五稜郭タワーに行きました。エレベーターで90mを一気に上り、上から見下ろしたところ、その名の通り、実に見事な星形になっていて感心しました。飾られていた写真を見ると、春には土手に植えられた桜が一斉に咲き、また違った景色となるようです。

五稜郭が造られた当時は、大砲の弾が沿岸から3キロメートルまで届いたため、五稜郭は沿岸から5キロメートル離れたところに造られたそうです。こういった話を聞くと、日本人には匠の精神が満ち満ちているということを改めて感じます。

 

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その後、「やきだんご 銀月」というお団子の店に行き、お団子を購入しました。地元では知らない人がいないという程の名店だそうです。

事務所の所員が卒業した函館短大を見て、12時半に函館空港まで戻ってきました。

タクシーで金寿司というお寿司屋さんで、お寿司をちょっとつまんだ後、7、8の画廊と骨董商をめぐろうとしたのですが、生憎お盆休みの、しかも日曜日だったため、そのほとんどが休みでした。

しかし、画廊・骨董商巡りのために函館市内をタクシーで回ったので、市内の空気をかなり理解することが出来ました。函館市は人口が減少していて斜陽化しつつあるようですが、お盆休みなど観光シーズンには観光客が多く集まり、街並みに活気が溢れるようです。

 

この日は朝10時まで雨が降り、いったん上がったものの午後4時からまた降り出すという天気であったため、当初予定していた伊達市在住の画家さんのところへ訪ねていく気には、とてもなれませんでした。

その代わりに、函館市が運営している函館市立北方民族資料館に向かいました。この資料館には、アイヌ民族に関する資料を中心として様々なものが展示されていました。私は、アイヌ民族自体についての知識はあったのですが、彼らが実際に身に付けていた服飾品や祭祀や生活に使用していた品を見たことがなかったので、「この資料館を見学できただけで函館に来た価値があったなぁ」と思えるほど非常に興味深かったです。

 

続いて旧イギリス総領事館を見に行きました。いわゆる一般的なイギリス式の庭園で新鮮味はありませんでしたが、明治から昭和初期にかけて函館が世界的にもメジャーな都市であったことが窺われました。

 

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8月14日(月)

いよいよ旅行最終日となりました。帰る前に、見学も兼ねて朝市に行き、この日もお寿司をいただきました。函館は魚介が新鮮で、お寿司がとても美味しいのです。

この日も曇り空で時々雨が降るというすっきりしない天気でした。最後まで雨に祟られた3日間でしたが、函館では8月中旬は紫陽花が盛りの季節ということで、雨に美しく映えていたのが印象的でした。

 

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以上

2017年6月24日~25日「萩旅行記」

 

6月24日(土)25日(日)に、松下村塾があったことで有名な山口県萩市に行ってきました。

旅行の様子を、ご同行いただいた有限会社セカンドステージの鮒谷周史代表取締役にご執筆いただきましたので、掲載致します。

 

【6月24日(土)】

■ 7時55分羽田発の飛行機にて出発。9時30分山口宇部空港に到着。

萩近鉄タクシーの運転手さんに空港に迎えに来ていただき、 途中、道の駅にて小休止を入れながら1時間20分ほどかけて萩市に到着しました。

 

                                  立ち寄った萩市内の珈琲専門店「異人館」の前で

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萩の街並みは、世界大戦時に空襲がなかったことや、条例により派手な色遣いや建物の高さが制限されていることから、現在でも江戸時代の城下町の雰囲気を残しています。

下の写真のセブンイレブンを始め、萩市内のマクドナルドやユニクロは、一般的に使用されている看板とは異なった、街並みに調和するような色で統一されていました。

 

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■ 萩市は高杉晋作の生誕の地、木戸孝允、田中義一の生家など、明治の偉人の生家が近隣(非常に狭いエリア)に集中しています。

 

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偉人ゆかりの地を巡った後は、土産物屋で竹久夢二の風呂敷を2枚購入。

萩市には椿の原生林があるので、それにちなみ、椿の大ぶりの風呂敷を選びました。

 

■ 11時40分に割烹千代着。

「cyonmage」という地ビール(山口萩ビール株式会社)をいただきました。

 

運転手さんから伺ったお話によると、ロシアのプーチン大統領が山口を訪問した際には、東洋美人という日本酒を贈ったとのことです。

参考URL:株式会社澄川醸造場 http://y-shuzo.com/hp/sumikawa.html

 

■ 12時45分に高井先生一押しのお菓子、萩銘菓夏蜜柑丸漬けの光國本店に立ち寄り、高井先生は「萩の薫」をお買い求めになられました。

 

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■ 12時55分、山口県立萩美術館・浦上記念館へ 。

 

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この美術館は色鍋島の展示で、浦上敏朗さんという方がコレクションを寄贈されて 1996年に開館した美術館です。

 

その昔(6年ほど前)に高井先生と鮒谷が訪れた、足利にある栗田美術館は古伊万里の美術館。

豪華絢爛で西洋的な派手さのあるコレクションでした。

また、栗田美術館はその建物も、鹿島建設が美術館建設の営業をその後行うためのモデルとして建設しただけあって、凝った造りとなっていました。

 

対して、浦上記念館は、日本的で落ち着いて、繊細な展示が主でしたが、栗田美術館よりもはるかに賑わっていました。

 

※私のメルマガバックナンバー2893号(2011年8月)に栗田美術館の記載がありました。http://www.2nd-stage.jp/backnumber/digest/2011/08/2893.html

 

■ 13時50分、笠山椿原生林へ。

ここは、さまざまな種類の椿が群生しているそうです。

あいにく、花の咲く季節ではありませんでしたが、 海べりの道をしばらく行くと笠山椿原生林に到着しました。

 

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「伊豆大島の椿との比較をしたいな」 とは高井先生談。

自然の緑の香りがしました。

 

■ 14時20分、松陰神社、松下村塾へ。

かの有名な吉田松陰が、ここで教えたのは実際にはわずか1年ほどだそうです。

同塾は、明治の志士を数多く輩出し、その大半は明治維新の前後に亡くなりましたが、幾人かは明治政府樹立後も活躍しました。

松陰の実家は貧しい農家だったとのこと。

 

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NHK大河ドラマ「花燃ゆ」の集客効果は放送終了後、すでに失われているようです。

 

■ 14時50分に世界のお酒セレクトショップSAKAYA (豊田酒販株式会社) にて、お土産に東洋美人の壱番纏を 3,600円で購入しました。

安倍首相からこのお酒を贈呈されたプーチン大統領は、「フルーティー」とコメントしたそうです。

 

■ 15時15分に旅館「常茂恵」に到着。

萩の旅館で一番良い旅館で、非常に気持ちの良い接客をする仲居さんがいらっしゃいました。

同旅館には萩焼の展示室もありました。

 

常茂恵の会食の際、常茂恵の女将が、広島県宮島の生まれで、嫁いできて現女将となっておられることをお聞きしました。

その流れで高井先生の縁戚が宮島の岩惣という旅館の先代女将であったという話になり、 高井先生と鮒谷とで、来年桜の季節にその旅館に伺うことが決まりました。

 

また、会食でその他に印象的だったのは、田中義一のお孫さんで日本製鋼株式会社に勤められていた田中素夫さんは、高井先生と同い年。

もう亡くなられたのだけれども、 常茂恵の女将厚東さんも面識があったそうで、「もっちゃん」と呼ばれていたことでした。

女将さんといえば余談ですが、浅草おかみさん会の会長の冨永照子さんは、高井先生が以前、日本経済新聞の夕刊に連載していた「仕事人のための接待学」を読まれ、それを忠実に実行したことにより、今や全国おかみさん会の会長になられたといいます。

全国おかみさん会は平成27年11月「ふるさと創生にっぽんおかみさん会」にバージョンアップされました。

 

【6月25日(日)】

■ 6時50分から朝食を開始。

ビュッフェ形式ではなかったのが良かったです。ご飯は山口県産のコシヒカリ。

特徴的なのは、アウボカーサオリーブオイルという希少なオリーブオイルを調味料として用意いただいていたことです。和食で量も多すぎず、少なすぎず、それぞれ工夫された料理でありました。

 

■ 7時40分、旅館発。 本日も雨。

山陰地方は、「弁当を忘れても傘を忘れるな」と言われるほど気候が変わりやすいところであるけれども、この1か月はずっと晴天続きで、我々が訪れた昨日は久しぶりに雨が降ったとのこと。

山口宇部空港に向かう際、途中から雨足が強くなってきましたが、タクシーの運転手さんの心遣いで快適に旅程を全うすることができました。

 

■ 9時45分発のスターフライヤー便で羽田に戻りました。

 

2017年6月26日記
有限会社セカンドステージ
代表取締役 鮒谷 周史

 

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