2017年5月14日(日)11:51 千葉市若葉区の風戸農園にてオオツルボを撮影
花言葉:「辛抱強さ、多感な心」
最終回 資本主義からの脱皮の第一歩(下)
(平成28年12月26日)
「経済」という言葉は、中国の古典にある「経世済民」(世を経〔おさ〕め、民の苦しみを済〔すく〕う)に由来することは、よく知られている。然るに現実はどうか?資本主義経済の下、過度な自由競争によって生じた如何ともし難い格差問題が、世界に蔓延している。格差を緩和するには、国民全体が平等・博愛・共助の精神によって助け合うしかないのであり、その一例が、前回述べたベーシックインカム等の導入である。
平等・博愛・共助を体現する条文を身近な法律でみると、たとえば民法90条(公序良俗)、労働契約法5条(使用者の労働者に対する安全配慮義務)、障害者雇用促進法第2章の2(障害者に対する雇用の分野における差別の禁止、使用者の配慮義務等)、同法指針等々が挙げられる。
日本を含む先進諸国の経済成長は鈍化し、拡大路線を進められなくなっている現在、日本社会は成長至上主義を断念し、成熟、定常化の方向に舵を切らざるを得ない。そして、フロンティアがなくなり、成長が限界に達したとなれば、垂直指向ではなくあらゆる物事を水平指向で考えなければならないのである。水平指向の社会では、量ではなく質の進化が追求され、機会の平等の拡充、そして公明・公平・公正が特に重視される。具体的には、①貧富の差を小さくするための政策の実施、②男性優位の社会から女性活躍の社会へ、③水・食料等の生きるための必需品の質を平均化・充実化し、国民に公平に行き渡るための施策の実施等である。
日本資本主義の父といわれる渋沢栄一(1840~1931)は、『論語と算盤』を著し、「富みながら、かつ仁義を行い得る例はたくさんにある」とした。渋沢は論語を規範とする企業経営を実践したのだ。企業が社会に貢献して利益を出す存在であるなら、社会貢献を忘れて「われ勝ちに私利私欲を計るに汲々として」利益のみに狂奔しては、企業の本来的使命を忘れたことになる。企業が使命を果たし永続するために必要とされるのは、論語に代表される倫理観・道徳観であり、法令遵守のみならず倫理・道徳に適った運営をして企業活動の公明・公平・公正を実現しなければならない。
今年は、6月にEU離脱を是とする英国における国民投票結果、11月に米国大統領選挙におけるトランプ氏の当選という世界中が驚く事象が起こった。ここから導き出されるのは、物事の本質をより追究するには、見える世界よりも「見えない世界」に迫る努力こそが重要であるという教訓である。英国と米国での事態を予想できなかった世界中のジャーナリズムは、見える世界を表層的に論じるだけで満足していたことになる。見えない世界が今後どんどん広くかつ威力を持つようになると、様ざまな分野において専門家の予想が外れることも多くなるだろう。
かのアインシュタインは、「宗教抜きの科学は足が不自由も同然であり、科学抜きの宗教は目が不自由も同然である」といったが、天才科学者が見えない世界を大切に思っていたことに私は深く感動する。
日本は社会主義の国だと揶揄されてもいるが、和をもって尊しとする国民性ゆえに諸外国に比べて格差が小さい。日本は、自分たちの経験も踏まえて、仁義・道徳・倫理を大切にする新しい経済体制を世界に発信すべきである。それには、さらに強力な思いやりのある社会主義化を進めていかなければならない。それでこそ、真の意味の経世済民の実現につながるのである。