『労働新聞』高井伸夫弁護士の愚考閑話録の最近のブログ記事

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右から時計回り
平成28年1月9日(土)11:14 千代田区九段南3にて梅を撮影 花言葉:「高潔、忠実、忍耐」
平成28年1月11日(月)7:44 芝公園にて菜の花を撮影 花言葉:「快活、明るさ」
平成28年1月9日(土)14:49 熱海鶴吉にて桜を撮影 花言葉:「精神の美」 

 

「春が来た」

日本気象協会のHPによると、1月10日に梅の開花が観測されたそうですが、これは平年より16日も早い開花だということです。私自身、気象協会の発表よりも1日早い1月9日午前11時頃、事務所の近所で梅の花が咲いているのを見つけました。1月8日に東京で初霜があったというニュースをテレビで見かけましたので、初霜の翌日にはもう春が訪れたということです。

また、1月11日の午前7時半過ぎに芝公園に出かけたところ、菜の花が咲いていました。成人式の日に菜の花が咲いているのは初めて見ましたし、まして梅の花が満開に咲いていることも今まで体験したことがなかったので、とても驚きました。

暖冬のせいで、今年は春が来るのが早いようです。花々たちも一足早い春の到来に驚いているのではないでしょうか。 

 

 

第3回 マーケティングの意義
(『労働新聞』平成27年3月23日より転載) 


もう20年ほど前のこと、私よりかなり年長の弁護士から、「高井君、弁護士はね、歩いているだけで仕事が来るようでなければダメだよ」と半ば冗談混じりにいわれ、ユニークな表現に感心した記憶がある。時を経て、今では弁護士の世界も競争が激化し、営業に真剣に取り組まなければならない時代になっている。まして国内外の生存競争にさらされ続けている一般企業においては、営業の重要性はなお一層高まっているだろう。

 

ところで、営業とは何であろうか。営業活動は、法的にいえば、申込みと承諾という2つの意思表示の合致による合意の形成を目的とする行為である。私は常々、「営業は偶然と奇跡の連続である」と表現しているが、実は、偶然と奇跡にのみ頼る営業は営業とはいえない。真の営業とは、偶然を必然にし、奇跡を平常にするための普段からの努力と創意工夫をいうのだ。それこそが営業力なのである。

 

ここで私たちは、販売・営業にとってのマーケティングの有用性と必要性を説くドラッカーの有名な言葉を、思い起こさなければならない。即ち、「マーケティングの理想は、販売を不要にすることである。マーケティングが目指すものは、顧客を理解し、製品とサービスを顧客に合わせ、おのずから売れるようにすることである」(『マネジメント〔エッセンシャル版〕』17頁)

 

種々の資料によれば、マーケティングとは日本語に置き換えるのは難しいほど多様な意味を含むようだが、私なりの理解で表現するなら、マーケティングとは“需要の予測”である。自分が売りたい製品やサービスに自信を持つことは結構だが、顧客が求めるものでなければ売れるはずがない。自分本位ではなく、顧客の側の視点で需要を的確に分析し必要とされるものを提供すれば、売り込まなくとも売れるとドラッカーは指摘しているのである。つまり、顧客の価値観を一度自分の価値観に置き換えて合意形成の端緒をつかみ、顧客のニーズおよび価値観に合う提案をすることこそが営業の真髄なのだ。

 

年長弁護士の言葉の真意も、ここにあったと思う。激しい売り込みや自己宣伝をしなくとも、信頼される人間性と高度な専門的能力を備えて社会的に評価される結果を出していれば、顧客の価値観に適い、自然と依頼は来ると諭されたのだろう。

 

経営も営業も、根本は合意の形成である。こちらからの販売・営業活動について、相手がすでに承諾の意思を持っているか、何が承諾の意思につながるかを知ることが、マーケティングの始まりである。殊に現在は、インターネットが高度に発達した情報化社会である。事業体として需要に関する情報を的確に収集・分析・研究して、いかに顧客との合意形成を生み出すかに経営の浮沈がかかっている。

 

そして、マーケティングの意義は、営業職に限らず他の職種・仕事にも応用できるものである。相手の意図や価値観、仕事のゴールを見定めずにやみくもに働いても、無駄な時間を要するだけで仕事としての成果は上がらない。そうなると、歩合制の仕事であれば長時間労働が常態化し、最悪の場合は過労死に至る危険がある。一般の雇用関係でも、サービス残業に傾きがちとなるだろう。各々が自分の持ち場で常にマーケティングと合意の形成を意識することにより、働き方は劇的に変わる。まさに、「彼(かれ)を知り己(おのれ)を知れば、百戦して殆(あやう)からず」なのである。

 

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右上から
2015年12月19日(土)7:11 青葉区青葉台1にてマムを撮影 花言葉:「高貴、高潔」
2015年12月5日(土)9:35 千代田区六番町6にて山茶花を撮影 花言葉:「困難に打ち克つ」
2015年11月29日(日)7:56 芝東照宮にて冬桜を撮影 花言葉:「冷静」 

 

 

第2回 必要性と大義名分
(『労働新聞』平成27年2月23日より転載) 


朝日新聞に昨年10月から106年ぶりに再掲載されている夏目漱石「三四郎」の連載を、毎回読んでいる。大学入学を機に東京での下宿生活を始めた頃の私自身のことなども思い起こされ、感慨深い。連載第47回(2014年12月8日)の欄外コラムには、本文とは関係なくゲーテ(1749~1832年)の「法律は有力なり。必要は更に一層有力なり」(当時の邦訳)という言葉が紹介されていた。これは、彼の代表作「ファウスト」第2部5797節からの引用であるという(現在の訳は「掟の力は強いが、現実の否応なしの力はもっと強いのだ」等)。この大作は、彼が20代の頃から83歳で亡くなる直前まで書き継がれたというから、その意思の強さと無尽蔵の創作意欲には恐れ入る。法律家でもあったゲーテによるこの警句を明治時代の訳を前提に私なりに解釈すると、前段の「有力」とは人々を動かすという意味で、後段は、法律よりも必要性が人を動かすというような意味だと思う。「法律」は命令と禁止の世界であるが、「必要性」は、してもよい・しなくてもよいという本人の選択に委ねられた世界である。したがって、内発的・自発的な意思を基盤とする「必要性」のほうが、「法律」よりも人間を動かす強い起爆剤となる。必要性に突き動かされるとき、そこに道は開けるのだ。

 

労働法の分野ではどうだろう。かつて民間による人材派遣業は、職業安定法44条が禁じる労働者供給事業に当たるとして処罰の対象とされていた。しかし、1970年代半ば以降には、技術革新の進展やサービス経済の発達、女性労働者の増加、そして企業が人件費負担に耐えられなくなった等の社会経済の変化を背景に、労働力の需要・供給双方からの必要性に基づき、実態として人材派遣業は増加していった(思えばここに制度的格差問題の萌芽があった)。こうしたニーズの高まりを受けて、一定の業務については労働者派遣事業が適法化され、派遣労働者の保護を図る労働者派遣法が新しく制定されたのである(1985年6月)。

 

また、必要性といえば、いわゆる整理解雇の4要素のひとつ「人員削減の必要性」も挙げなければならない。人員削減の実施が企業経営上の十分な必要性に基づいていること、ないし「企業の合理的な運営上やむをえない措置」(「東洋酸素事件」東京高判昭54・10・29)と認められるときに、人員削減の必要性があるとされるが(菅野和夫『労働法』第10版567頁)、私が企業経営者の皆さんに説明するときには、単なる必要性では不十分であり、「大義名分」がなければならないと指摘している。なぜなら、単なる必要性では、人員削減に向けて大方の人を十分に説得できないからである。経営者自身が、人員削減措置を講じた先に実現したいと考える未来に向けた構想までも含めて具体的に明示しなければ、反対派を説得しきれない。大義名分とは、「道義」「道理」「道徳」をも包含する理念であり、法律よりも高次元で、単なる必要性よりも強い概念なのである。

 

こう考えると、大義名分の内容とともに、大義名分を語る者自身が絶えず自己刷新し続ける存在であることが極めて重要であると思えてくる。日々漫然と生きている者には、大義名分を語る資格がない。自分自身を常に更新する必要性を敏感に感じ取り、“自己革命”を起こすような努力なしには、他者を説得し動かすことなど到底できない。

 

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2015年11月22日(日)8:03 早稲田鶴巻町507にてホットリップスを撮影
花言葉:「知恵、尊重」 

 

 

第1回 下学上達(かがくじょうたつ)
(『労働新聞』平成27年1月26日より転載) 


私の関心事はいろいろあるが、その最たるものは古代史と絵画である。仕事で手詰まりになったときほど、こうした専門外の分野に触れて思考をいったん解放しリフレッシュする効用を、強く実感したものだった。また、ジャンルを問わず手当たり次第に小説を乱読することも、私の大切な趣味のひとつである。一切の先入観を持たずに作家の創造した世界に没入し、時空を超えて心を自由に遊ばせる感覚は、読書から得られる最高かつ唯一無二の愉しみであるといってよいだろう。

 

最近では、帚木蓬生(ははきぎ・ほうせい)氏の作品群を堪能し、そして学んだ。例えば、日本の2~3世紀の古代史を扱った小説『日御子(ひみこ)』には、倭国(日本)の伊都国から漢(中国)への朝貢に通訳として加わった日本人男性が、現地の役人から論語の「下学上達」という言葉を教えてもらう場面が描かれていた。「下学(かがく)して上達(じょうたつ)す」と読み、その意味は「日常の身近なところから学んで、次第に深遠な学問に進んで行くこと」(『広辞苑』)、「自分より身分・年齡・学識などの低い者からもきいて学び、どんな卑近なこともおろそかにしないで、一日一日上達していく」(諸橋轍次著『中国古典名言事典』)などとされている。この小説で初めて知った言葉である。

 

普通に考えると、「下を見ずに上を向いて生きなさい」というように、向上心を刺激する教えのほうが一般的かもしれないが、孔子は、まずは地に足をつけて学びを着実に蓄積することで道を究めなさい、それが天にも通ずる道なのだといっているのであろう。

 

私の専門分野である人事・労務問題にも、「下学上達」の心構えが求められる。基本書や裁判例を熱心に勉強して法理論を頭では理解していても、組織を構成する千差万別の価値観を持つ多数の人々に対応する段になると、当然のことながらまったく勝手が違うものだ。人事・労務はヒトの問題を扱う領域であるだけに、日頃から視野を広くもって、小さなことでも深く一生懸命に勉強し、例えば関連する些細な言葉でも突き詰めて調べて考えるような「下学上達」の姿勢がなければ、関係者を納得させられるだけの説得力や迫力が出てこない。

 

経営状態の悪化に伴い、やむなく賃金の引下げあるいは人員削減を実施しなければならなくなった経営者から、法律相談を受けたとしよう。弱り切った経営者を前に、法律の条文や「合理性」「必要性」「相当性」「手続の妥当性」などの硬い言葉だけを羅列しても、問題解決にはつながらない。経営者が一番悩み、気がかりに思っている本音を引き出し、相手の心に響く表現で問題点を明らかにしていく手腕が必要とされるのである。そして、反対派の人々に対しても、企業存続こそ経営者の社会的責任であると正攻法で説き、「やむなし」と思ってもらえるだけの大義名分を語る能力がなければならない。こうした手腕や能力は一朝一夕には身につかないものだ。しかし、日頃から「下学上達」を実践していれば自ずと体得できる。

 

「生活から切り離された知識は活きてこない」とは、外山滋比古先生(英文学者・エッセイスト)の名言だが(『週刊文春』対談記事など)、これも「下学上達」と相通ずる指摘だと思う。人事・労務問題に携わる方々は、身近な細かい事柄を疎かにせずに「下学」し、「上達」してもらいたい。

 

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