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2017年9月10日(日)10:53 北区豊島8にてエンジェルストランペットを撮影
花言葉:「魅力、愛嬌」

 

 

第9回 対人影響力の極み

 

株式会社日本総合研究所
リサーチ・コンサルティング部門
青木昌一

 

1.人を巻き込む力

「極み」

とてもインパクトのある言葉ですが、人と人との関係に関しての「極み」を高井先生とのお付き合いを通じて垣間見た気がしています。

企業再建に向けて高井先生のご指導を仰いでいる頃、私が先生の圧倒的な存在感に触れて信者になってしまっていたことは、この連載をお読みいただいている方なら既にお気づき頂けたと思います。

高井先生は当時、「弁護士は一人で仕事をするスタイルをとる人が多いからリーダーシップに長けた人が少ないんだよ。」と仰っていました。私が日本総研に入って様々な専門職の方と接する機会が増え、これは弁護士に限らず専門職の世界、とりわけ高度な専門性を必要とする職種の方々の特徴であると実感しています。一方で高井先生ご自身はというと、強烈なリーダーシップを発揮してクライアントを引っ張って行ってしまいます。

いかに高井先生といえども、ひとりの人間の作業としてできることは極々限られています。それでも多くの会社の支援し、再生させてこられたというのは、ひとえに周り人の巻き込み方に極めて秀でていらっしゃったことで、クライアントの中の多くの人の力を引き出されて大きな力を発揮させていたからだと考えています。

以前、リーダーシップとは「方向を指し示すこと」だと高井先生が仰っていたことをご紹介しましたが、さらに人を巻き込み組織化する能力もリーダーシップの重要な要素なのだと考えています。

ハーバード大学の有名な経営学者であるジョン・コッターは変革型リーダーの重要な要素として「危機感を高める」ことができる。これが企業を変革する際の第一のステップであるとしています。その上で次に「周りを巻き込み組織化する」ということを言っています。

これは私の勝手な推測ですが、高井先生は当時コッターのこの主張を恐らくご存知なかったのではないかと思います。しかし、数々の困難な案件をこなされる中で人を巻き込む力を身につけられたのではないかと考えています。

 

2.勉強会

私が日本総研に入社し、コンサルタントとして歩み始めた頃から、高井先生に様々な勉強会に声をかけられ出席させていただくようになりました。スタイルも様々で「シンクタンクについて考えよう」といったテーマで、人材マネジメントにかかわる方々がごく少数集まるスタイルだったり、年2回の定例的な会に最初のメンバーが知り合いの方々を誘い出席者が増えていきホテルのミーティングルーム集うというスタイルもありました。そこでひとつのテーマに関して各出席者が自らの意見や経験談を紹介し、みんなで議論するようなもの。また、ある時はこのテーマに関しては我が国の第一人者という方をお招きし、基調となるお話を聞きし、出席者が質疑応答をしながらおいしい料理を楽しむ食事会ということもありました。

それらの勉強会に出席されている方々も実に多様多彩な方々でした。大きな会社の役員の方や人事担当者、起業家としてビジネスを立ち上げている方、ジャーナリスト、教育家、会計士や弁護士、医師、コンサルタント 等々。

そこになぜ私がいるのかはいまだによくわからないのですが、実に様々な分野で活躍されていて、すごい方ばかりです。そういう場にいらっしゃる方というのは何かしらそれまでの人生の中で高井先生と知り合われた方ばかりです。高井先生がこのような人と人との縁を極めて大切にされていたことがよく分かります。

 

3.人への影響力

このようなスタイルで広がった高井先生の人脈が実際のところどのくらいなのかは私にも想像がつきません。

ですが、例えばビジネスの種について何か分からないこと、困ったことが発生した場合に高井先生を通じて連絡を取り合ったり、場合によっては出席者同士が新たな人脈として協力し機能し始めるといったこともあります。

私の周りでも高井先生から大きな影響を受けた方はいらっしゃいます。

この連載の第一回でご紹介した西洋環境開発時代の先輩であり直属上司だった課長。西洋環境開発の再建に向けて数えきれないほど多くの回数の高井先生とのミーティングに私は一緒に参加しました。この方がそのまま勢いがついて法曹への道を志すようになり、40歳を過ぎて司法試験に見事合格されました。

現在は紀尾井坂テーミス総合法律事務所で活躍されている西本弁護士がその人です。年に数回今でもご一緒する。。。実態は遊んでもらっているのですが、弁護士を志した理由についてきちんとお話を伺ったことはありません。しかし、当時間近で西本弁護士を見ていて間違いなく高井先生の影響を受けて司法試験に挑戦されたことは疑いようがありません。高井先生と知り合うことがなければ恐らく弁護士としての西本さんはいなかっただろうと思うのです。

さらに私が西洋環境開発の人事部員として最後の頃に北海道の関連会社に出向していた後輩が人事部に異動してきました。一緒に仕事をしていた期間は2年ほどでしたが、この後輩も現在は帯広で弁護士として活躍しています。この後輩の場合、高井先生と直接の面識がないわけではありませんが、さほどでもありません。どちらかと言うと西本弁護士の姿を間近に見て司法試験への挑戦を始めました。そして見事に弁護士として活躍している訳です。つまりは間接的に高井先生の影響を受けた一人と言えるのでしょう。

以上

第9回 対人影響力の極み 

 

「極み」 

とてもインパクトのある言葉ですが、人と人との関係に関しての「極み」を高井先生とのお付き合いを通じて垣間見た気がしています。 

企業再建に向けて高井先生のご指導を仰いでいる頃、私が先生の圧倒的な存在感に触れて信者になってしまっていたことは、この連載をお読みいただいている方なら既にお気づき頂けたと思います。 

高井先生は当時、「弁護士は一人で仕事をするスタイルをとる人が多いからリーダーシップに長けた人が少ないんだよ。」と仰っていました。私が日本総研に入って様々な専門職の方と接する機会が増え、これは弁護士に限らず専門職の世界、とりわけ高度な専門性を必要とする職種の方々の特徴であると実感しています。一方で高井先生ご自身はというと、強烈なリーダーシップを発揮してクライアントを引っ張って行ってしまいます。 

いかに高井先生といえども、ひとりの人間の作業としてできることは極々限られています。それでも多くの会社の支援し、再生させてこられたというのは、ひとえに周り人の巻き込み方に極めて秀でていらっしゃったことで、クライアントの中の多くの人の力を引き出されて大きな力を発揮させていたからだと考えています。

以前、リーダーシップとは「方向を指し示すこと」だと高井先生が仰っていたことをご紹介しましたが、さらに人を巻き込み組織化する能力もリーダーシップの重要な要素なのだと考えています。

ハーバード大学の有名な経営学者であるジョン・コッターは変革型リーダーの重要な要素として「危機感を高める」ことができる。これが企業を変革する際の第一のステップであるとしています。その上で次に「周りを巻き込み組織化する」ということを言っています。

これは私の勝手な推測ですが、高井先生は当時コッターのこの主張を恐らくご存知なかったのではないかと思います。しかし、数々の困難な案件をこなされる中で人を巻き込む力を身につけられたのではないかと考えています。

   

2.勉強会

私が日本総研に入社し、コンサルタントとして歩み始めた頃から、高井先生に様々な勉強会に声をかけられ出席させていただくようになりました。スタイルも様々で「シンクタンクについて考えよう」といったテーマで、人材マネジメントにかかわる方々がごく少数集まるスタイルだったり、年2回の定例的な会に最初のメンバーが知り合いの方々を誘い出席者が増えていきホテルのミーティングルーム集うというスタイルもありました。そこでひとつのテーマに関して各出席者が自らの意見や経験談を紹介し、みんなで議論するようなもの。また、ある時はこのテーマに関しては我が国の第一人者という方をお招きし、基調となるお話を聞きし、出席者が質疑応答をしながらおいしい料理を楽しむ食事会ということもありました。

それらの勉強会に出席されている方々も実に多様多彩な方々でした。大きな会社の役員の方や人事担当者、起業家としてビジネスを立ち上げている方、ジャーナリスト、教育家、会計士や弁護士、医師、コンサルタント 等々。

そこになぜ私がいるのかはいまだによくわからないのですが、実に様々な分野で活躍されていて、すごい方ばかりです。そういう場にいらっしゃる方というのは何かしらそれまでの人生の中で高井先生と知り合われた方ばかりです。高井先生がこのような人と人との縁を極めて大切にされていたことがよく分かります。

 

3.人への影響力

このようなスタイルで広がった高井先生の人脈が実際のところどのくらいなのかは私にも想像がつきません。

ですが、例えばビジネスの種について何か分からないこと、困ったことが発生した場合に高井先生を通じて連絡を取り合ったり、場合によっては出席者同士が新たな人脈として協力し機能し始めるといったこともあります。

私の周りでも高井先生から大きな影響を受けた方はいらっしゃいます。

この連載の第一回でご紹介した西洋環境開発時代の先輩であり直属上司だった課長。西洋環境開発の再建に向けて数えきれないほど多くの回数の高井先生とのミーティングに私は一緒に参加しました。この方がそのまま勢いがついて法曹への道を志すようになり、40歳を過ぎて司法試験に見事合格されました。

現在は紀尾井坂テーミス総合法律事務所で活躍されている西本弁護士がその人です。年に数回今でもご一緒する。。。実態は遊んでもらっているのですが、弁護士を志した理由についてきちんとお話を伺ったことはありません。しかし、当時間近で西本弁護士を見ていて間違いなく高井先生の影響を受けて司法試験に挑戦されたことは疑いようがありません。高井先生と知り合うことがなければ恐らく弁護士としての西本さんはいなかっただろうと思うのです。

さらに私が西洋環境開発の人事部員として最後の頃に北海道の関連会社に出向していた後輩が人事部に異動してきました。一緒に仕事をしていた期間は2年ほどでしたが、この後輩も現在は帯広で弁護士として活躍しています。この後輩の場合、高井先生と直接の面識がないわけではありませんが、さほどでもありません。どちらかと言うと西本弁護士の姿を間近に見て司法試験への挑戦を始めました。そして見事に弁護士として活躍している訳です。つまりは間接的に高井先生の影響を受けた一人と言えるのでしょう。

 

以上

  • 今、話題のテーマについて各界で活躍している方々と対談をする一問一答形式のブログの第21回目です。
  • 第21回目は 墨田区長 山本亨様です。

 


 

■ ■ ■ ■ 時流を探る~高井伸夫の一問一答 (第21回)■ ■ ■ 

墨田区長 山本亨様

■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■


墨田区長 山本亨様 プロフィール]山本亨様

昭和36年9月25日生まれ、墨田区向島出身。

昭和59年3月 青山学院大学経済学部経済学科卒業

昭和63年4月1日 都議会議員秘書着任(平成17年7月退任)

平成19年5月1日 墨田区議会議員就任(2期)

平成27年4月27日 墨田区長就任。

座右の銘は「背私向公」、趣味特技は剣道(教士七段)

 

 

[今回のインタビュアーは以下の通りです]

  • 高井伸夫
  • 高島さつき(秘書)

取材日:2017年7月19日(水)於:墨田区役所

 


高井

墨田区の人口は伸びていますか。

 

山本様

おかげさまで伸びていまして、人口がいま26万7千人です。ひところは、例えば区のイベントでは“22万人のメッセージ”というキャッチコピーを使っていましたが、22万人を割っていた時期がありました。20年くらい前です。そこから徐々に増えていって、現在26万7千人です。昨年策定した墨田区の基本計画では、10年後には人口が27万5千人と想定していますが、もう少し前倒しで達成できるのではと考えています。

 

高井

人口が増えた要因は何ですか。ベッドタウンが増えたのですか。

 

山本様

下町の“ものづくり”の工場だったところがなくなって、跡地にマンションが建っています。東京スカイツリーが5年ほど前に開業して、その近隣エリアが大手町まで13分とか、実は非常にアクセスがいいところであると再認識されました。スカイツリーができるちょっと前から、いい状況になっています。

 

高井

工業地区だったところが住宅地やマンションになっているのですね。商業地区はどうなんですか。

 

山本様

墨田区には商店街が40くらいあります。これは墨田区に限らないと思いますが、後継者がなかなかいません。墨田区は、13.77平方キロメートルと、23区のなかでも下から6番目に小さい区なのですが、大規模な商業施設ができていますので、そうした店舗と、専門の魚屋さんや八百屋さん、お肉屋さんなど、意欲あるお店も多くありますが、後継者がいない現状におかれている皆さんが競うのは厳しいと思います。

 

高井

墨田区の観光面について教えてください。

 

山本様

もともと墨田区には、大相撲が国技館で年間3場所開催され、隅田川花火大会などの伝統行事があり、江戸東京博物館やスカイツリーなどの観光スポットもあります。

さらに、昨年11月にはすみだ北斎美術館がオープンしました。平成2年頃から、作品の寄付を受けたり、区が購入したりして葛飾北斎の作品を1500点ほど取得して、なんとか建設したいということで、前任の山﨑区長さんが努力されていたんですが、区が美術館を持つことの難しさがありまして、昨年11月22日に私の代でオープンさせていただきました。これが好調で、8か月ですでに27万人のお客様をお迎えしています。

来年の1月には、日本刀の刀剣博物館がオープンします。これは渋谷区代々木にあったのですが、刀剣美術保存協会の皆さんの協力を得て、両国にある旧安田庭園内に移転されます。その他にも、大手町にあった逓信総合博物館が東京ソラマチの8階に郵政博物館として生まれ変わり、渋谷にあった、たばこと塩の博物館もスカイツリーにほど近い、横川に移転されました。

今まで、これらは連携や関連性をもった運営は、されていませんでした。他にも、相撲博物館や花火の資料館がありますが、これから連携をとってネットワークを創り上げるなどいろいろと盛り上げていきたいと思っています。また、ハード面、いわゆる施設だけつくるのでなくて、両国地域の歴史や、江戸時代から脈々と流れる下町の伝統なども伝えていきたいと思っています。

 

高井

観光地区としては材料が有り余るということですね。オリンピックは影響はありますか。

 

山本様

3年後の東京オリンピックでは、国技館がボクシング競技会場になります。墨田区から会場が一つ選ばれたということで、これをきっかけに、区民を挙げて盛り上げていきたいですし、おもてなしの心をもって、国内外のお客様に墨田区はいいところだなと思ってもらえるように、ソフトパワーも備えていきたいと思っています。

区の基本計画に掲げる10年先の墨田区の将来像は、ちょっと大げさにいうと、国際文化観光都市として、レガシーをもって街の発展につなげていきたいと思っています。

 

高井

墨田区は、ものづくりは今でも盛んですか。行政としてどのようにかかわっていますか。

 

山本様

墨田区では、墨田区のものづくり事業者が作ったそれぞれの商品を、“すみだモダン” として認証して、販路につなげる活動をしています。ものづくりは盛んで、ガラス製品、皮製品、羽子板づくりや人形づくり等、伝統工芸にかかわる皆さんは、事業継承がうまくできています。墨田区伝統工芸保存会には若い人も参加しています。伝統工芸以外も盛んで、精密機械や部品類、ニットも有名です。

伝統工芸に携わる方々は、まっすぐ地道に努力をされている方で、自分が、自分がという人でもなく墨田の独特の職人気質の皆さんです。工場を経営している人もそうです。先進、先端技術をしっかり持っていて、地道に努力されている人が多いです。それをどう紹介して、情報発信していくのか、といった点は区が担当しなければいけないところです。

 

高井

墨田区はどういった取り組みをしているのですか。

 

山本様

東京都の事業を活用し、区内で新たな“ものづくり”を創出する拠点を整備する事業者に、整備費として2000万円を上限に補助しています。ニットだったりガラスだったり、機械工場だったり、水耕栽培だったり、印刷だったり、墨田区内では、8か所の拠点が整備されています。東京都の産業労働局との連携ですが、工場を建て替えたり、改装したりして、“新ものづくりの拠点”を整備する事業者の、ものづくりを支援しています。

また、先ほどご紹介した“すみだモダン”ブランド認証事業のほか、区内での事業承継を円滑に行うための支援事業などによって、すみだの“ものづくり”を様々な面からサポートしています。

 

高井

23区の中で墨田区はそういう支援の予算は多いんですか。

 

山本様

墨田区よりもっと面積も広く予算規模も大きい区はあると思いますが、産業支援とか、産業振興という点において、うまく効率的に支援ができていると思っています。額が大きいかどうかはなかなか比較はできません。

 

高井

成果は上がっていますか。

 

山本様

8か所の新ものづくり創出拠点は視察の方が来られるなど、いろんな面で取り上げられていると思います。各事業者の皆さんも、ご自身の事業に活かしたり、異業種との連携をしたりと拡がりを見せています。ただこの事業は5年目なので、これから実を結んでいくと思います。

 

高井

最後に、墨田区の子ども子育て支援について教えてください。墨田区は、子どもの数は多いんですか。

 

山本様

人口が伸びている一番大きい要因は、20代30代の方々の転入です。特別区民税の規模が200億円くらいですが、この3年で、8億、4億、4億と増えていますので、いわゆる納税世代、お子さんがいて働く世代の方に住んでいただいて税収も上がっています。その一方で保育園も待機児童が増えているという状況です。どこも23区は似たような傾向がありますが。

たとえば、墨田区の今年度の一般会計が年間1111億円ですが、すでに保育園の運営費だけで年間100億円かかっています。待機児童を解消しようとして、保育園をつくればつくるほど、運営費が10億円単位で増えていきます。保育園以外にも、幼稚園への支援、子育て支援総合センターの運営等、子育てに関するものも含めると、現状で予算の10分の1以上を子育て支援に充てています。

 

高井

300人規模の大規模保育園を作る計画はありませんか。

 

山本様

限られた土地を有効活用してつくるので、どうしても規模は限られてしまいますが、比較的大きい保育園では、定員150人というところもあります。限られた財政の中でできる限りの対応をしていきたいと思っています。

 

高井

分かりました。今日は時間をとっていただき、ありがとうございました。

 

以上

 


 

[次回以降のご案内]

次回の「時流を探る~高井伸夫の一問一答」のゲストはシンガーソングライター・自営業 ボビン・マン・バジュラチャルヤ様です。更新は10月10日(火)の予定です。次々回は世田谷区長 保坂展人様です。更新は10月25日(水)の予定です。

 

こんにちは。

株式会社新規開拓の阿部由里と申します。今年の5月、縁あって私の地元山形県庄内地方の旅を、高井伸夫先生、有限会社セカンドステージ代表取締役 鮒谷周史様、弊社代表の朝倉千恵子と一緒に過ごさせて頂きました。
とても楽しく充実した庄内時間を満喫いたしました。

朝一番の便で庄内空港到着。まずは腹ごしらえ!東京でも美味しいブランド豚で有名な平田牧場経営の喫茶店「HIRABOKU CAFÉ」平牧三元豚ソーセージがまるごと入ったチーズヒラボクドック。コーヒーよりもビールにあう味でした。

 

庄内の旅は庄交ハイヤーさんにお願いして移動。腹ごしらえも終わって、まず最初に訪れたのが

【鶴岡市立加茂水族館】

小学生の頃、遠足で訪れた頃は、正直、ごく普通のありふれた地元の水族館で、入館者も減ってきていましたが、「クラゲドリーム館」で全国的に有名になり、今では夏休みや週末など全国各地から沢山の人が訪れる人気スポットになりました。可愛いアシカのショータイムも楽しみました。

クラゲの前で

 

【藤沢周平記念館】

「阿部さんの地元か、一度行ってみたいんだよなぁ」帰省のタイミングで藤沢周平記念館を訪れて、高井先生に熱烈なファンとお聞きしていたので、藤沢氏の冊子をお土産でお渡しさせて頂きました。そのときの会話がきっかけで、今回の旅も実現しました。藤沢周平記念館

まさか高井先生と一緒に庄内を訪れることができるなんて!と朝倉と私も(そして鮒谷さんも一緒!)驚きと嬉しさと、どんな旅になるか・・・とワクワクしながら予定を立てていきました。

ちょうど菖蒲が綺麗に咲いている時期。記念館の周辺は遊歩道になっていて、ゆったりとした時間が流れています。

 

【大松庵】

地元でもお蕎麦が美味しと有名なお店。店舗は、元々鶴岡市内にあった慈善家・鈴木今右エ門の屋敷を移築したもので、古民家風でとても趣ある雰囲気です。手打ち蕎麦はもちろんですが、庄内名物「麦切り」も是非、食べて頂きたくて追加オーダーしました。

https://www.tsuruokakanko.com/cate/p0358.html

うどんとひやむぎの中間のような、庄内独自の麺で、ツルッとしたのど越しで美味しいです。

 

【藤沢周平氏生誕の地Ⅰ】

旅の最後は藤沢周平氏生誕の地を訪れました。

内川

小説「蝉しぐれ」に登場する「五間川」牧文四郎がお福と幼子を刺客から守るために暗闇の中を舟で逃がした川がここだと言われています。地元では「内川」と呼ばれています。

【小菅隆次氏の自宅訪問】

この度、大変貴重なご縁と出逢いを頂きました。小菅さんは甥にあたる方で、藤沢周平氏ととても近しい人物。今回の鶴岡訪問にあたり、ご自宅にお邪魔させていただき「小菅留治さん」(藤沢氏の本名)との思い出やエピソードをお聴きしました。

藤沢周平直筆

ご自宅には藤沢氏直筆の書がありました。大事に保管しているものを見せてくださいました。ご存命のとき、毎年届いていた年賀状。手書きで優しい柔らかい文字でした。

直筆年賀状

この日は当時、ご近所に住んでいた佐藤久雄様も同席いただき、色々お話しをしてくださいました。学校の勉強を藤沢氏に教えてもらった思い出があるそうです。

【藤沢周平氏生誕の地Ⅱ】

記念碑

この周辺は鶴岡市高坂地区といいます。当時あった家は既に取り壊されていて、更地の状態でしたが、藤沢氏を忍んで全国からファンの方が訪ねてきて、何かあったほうがいいのでは。せっかく訪ねて来てくださるんだから、、、とこの石碑を建てられたそうです。

(中央:小菅隆次さん、右から2番目、佐藤久雄さん)

 

生前、藤沢氏は目立つことや派手に振る舞うことを嫌い、記念碑などをつくることはやめてくれと常々言われていたそうです。

 

【高坂部落藩公民館】

地元の公民館には、貴重な資料や書籍が保管されています。

地元に原版や初版書籍など、今ではなかなか見ることができない当時の作品が大事に陳列されていました。高井先生が色々質問すると、小菅さんも1つ1つ丁寧に教えてくださいました。

藤沢周平文庫

ファンの方であれは、これだけ作品がそろっていたら、物凄く嬉しいし、気持ちが高揚すると思います。(終始、このような姿で食い入るように閲覧しておりました)

文庫を見る三人

【曹洞宗洞春院】位牌

こちらの寺院には藤沢氏の位牌と遺影が安置されています。作品ができると必ず寄贈しており、寺院と公民館にそれぞれ今でも保管されています。大変貴重な資料を拝見できました。

位牌と遺影のある場所も案内してくださいました。写真も撮って大丈夫ですから。と、お声かけいただき、手を合わせてから一枚撮らせて頂きました。

 

鶴岡庄内の旅の最後まで、地元の方々の優しい温かい心遣いに触れることができました。また甥であり、藤沢周平著書保存会会長の小菅隆次さんと佐藤久雄さんがずっと同行してくださって、地元の方々にご紹介をいただきご縁を繋いでくださいました。皆さん優しい笑顔であったかいおもてなしの心で迎えてくださり、旅の最後は胸がいっぱいになりました。

高井先生は日帰りで、夕方の最終便で鮒谷さんと一緒に東京へ戻りました。

地元庄内の魅力を十分にお伝えできただろうか。大好きな藤沢周平氏生誕の地を一緒に訪問できたことは、数か月経った今でも、大切な思い出です。

高井先生、鮒谷さん、鶴岡市高坂の皆さん 大変お世話になりました。

ありがとうございました。

 

 

 

 

<イッピン>
道場水産「たらこ」―北海道茅部郡鹿部町

 

 

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この夏、北海道・道南地方を旅し、鹿部町に立ち寄った。駒ヶ岳山麓と内浦湾(地元の方は噴火湾と呼ぶ)に挟まれるようにたたずむ、水産が主産業の町である。

 

当地で、「道場水産」さんの「たらこ」に出会った。
たらこの加工場を多く有する鹿部町の中にあってそのおいしさは折り紙付き、全国で1,2を争う逸品と聞いた。

噴火湾は古くから「宝の海」と呼ばれ、季節ごとに様々な魚が来遊するが、特に冬に産卵のためにやって来るスケソウダラの日本有数の漁場なのだという。このスケソウダラの卵のみを使用して作られるのが、道場水産の「たらこ」である。

その最大の特徴は、皮が非常に薄く、かぶりついても簡単に噛み切れる食感の良さである。それでいてきめ細かい粒がぎっしりと詰まり、一粒一粒のうまみとともにさらさらと喉を通ってゆくのだ。

道場水産では、その日水揚げされたスケソウダラの生の卵をその日のうちに仕入れ、低塩水でまろやかな塩味に漬け込む。低塩だから素材本来の味を失わず、健康志向にもかなう。甘みを含む上質な塩にこだわり、その日の卵の状態によって塩分濃度を微妙に調節するという徹底ぶりと、たらこへの愛情こそが、日本1,2といわれるブランド力を築いているのであろう。

 

もうひとつ、「原料としてのたらこ」の話を聞いた。鹿部町から送られたたらこが、福岡の「明太子」になるのだという。原料の良さが、「明太子」というもう一つの逸品を創出しているのだ。

最良の素材を、最良の状態で加工し、最良の商品を生み出す。加工だけでも、もちろん原料提供だけでも成り立たない。個々のたゆまぬ技の追求と、世に送り出す創意工夫が相俟ってこそ、それぞれの「イッピン」が生まれるのであろう。

 

鹿部土産の「たらこ」を手に、町の大(おお)寿(ず)司(し)さんで「たらこ」を食した。実に美味、「イッピン」に間違いなかった。

 

以上

  • 今、話題のテーマについて各界で活躍している方々と対談をする一問一答形式のブログの第20回目です。
  • 第20回目は FINEST株式会社 代表取締役 徳永美佳様です。

 


 

■ ■ ■ ■ 時流を探る~高井伸夫の一問一答 (第20回)■ ■ ■ 

FINEST株式会社 代表取締役 徳永美佳様

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[FINEST株式会社 代表取締役 徳永美佳様プロフィール]

徳永美佳様お写真FINEST株式会社 代表取締役社長、一般社団法人ビジネスカラー検定協会 会長 

元ANA全日本空輸株式会社の客室乗務員。チーフパーサー、グループスーパーバイザー職を務め、客室本部(地上職)勤務ではスターアライアンス、政府チャーター、新機種導入時の客室乗務員の編成担当などを担当。JAL系の研修会社ザ・アールの研修講師、みずほ証券調査部長秘書を歴任、その後独立し、個人事務所finestを設立。2013年8月に株式会社FINEST設立。

2015年12月には一般社団法人ビジネスカラー検定協会を立ち上げ、「ビジネスカラー能力検定」の普及に努めている。

 

 

 

 

 

 

 

[今回のインタビュアーは以下の通りです]

横倉様

  • FINEST株式会社 教育研修部 チーフ講師 横倉容子 様

    FINEST株式会社チーフ講師。的確なアドバイスとメリハリのある指導が好評。ANA空輸株式会社で客室乗務員職として乗務し、その後インテリアコーディネーター、整理収納アドバイザー資格を取得。店舗研修では接遇指導に加えVMDの視点からも指導を行い、資格を活かして指導を行っている。

  • 高井伸夫  
  • 高島さつき(秘書)

 

 

 


高井

御社の研修の特徴、強みを教えて下さい。

 

徳永様

新入社員研修もそうですが、中小企業、100人以下の企業に対する研修に強みがあります。100人以下の規模だと全ての階層では行われていなかったり、そもそも研修自体を全く実施していない企業様も多いんです。「研修なんて必要ないよ」「なんで今さらマナーなんだ」と言っている現場の人を相手に、カリキュラムを作り上げて、研修を実施して、マナーの大切さを伝えてきました。そこには様々な苦労がありましたが、今ではその経験と知識の豊富さが弊社の大きな強みとなっています。

 

高井

御社のHPに、BCMブレインマネージメントカード研修というのがありますが、これは御社独自の研修でしょうか。

 

徳永様

これは、立ち上げ当初からある研修で、弊社が作り上げたコミュニケーションツールです。最初、一人で講師をやり始めたころに、心理学を学び、様々なソーシャルタイプ分けの研究をしていくなかで、どのツールも最後の落としどころが一緒だなと感じていました。またソーシャルタイプ分けの作業では、様々なキーワードを選んでもらうのですが、ネガティブなキーワードがあることは避けたかった。例えば「威圧的」とか、「権威主義」というキーワードを他人に選ばれてしまうのは嫌だろうなと思っていました。それで、そういった言葉を全部排除したものを作ろうと意識して、独自のコミュニケーションツールが出来上がりました。

外国人の方、特に中国人の方を対象にBMCカードを使いだして、カードに中国語のテプラ貼って対応していたのですが、英語のカードを作れば、さらにいろんな国の方に分かってもらえると思い、英語のカードをつくることにしました。その際に、英語のニュアンスと日本語のニュアンスが違うなと思うものは、キーワードを変えたりしました。そのほかにも、よりソーシャルタイプ分けのヒントになるようにキーワードを作り替えるなど、創業時から少しずつ改良を加えています。ソーシャルタイプ分けについては、同じようなのがたくさんありますが、弊社のBMCはより実践的で分かりやすく、皆さんが前向きに自信をもって使っていただけるものになっています。

 

高井

一番売れているコースは何ですか。

 

徳永様

そうですね。ビジネスマナーはスタンダードなので、コンスタントに人気ですが、最近は接遇マナーの問い合わせが多いです。この接遇マナーの中に「江戸しぐさ」を取り入れているのですが、これにはいろいろな意見はありますが、弊社では江戸しぐさをもとに、古き良き日本の素晴らしい部分が残っている、思いやり・おもてなしの心、所作を「幸せしぐさ」とネーミングしています。この「幸せしぐさ」の接遇マナー研修がすごく人気です。

高井

ビジネスマナー研修、「幸せしぐさ」の接遇マナー研修、3番目は何ですか。

 

横倉様

弊社の特色を活かした「CAのおもてなし研修」も人気研修のひとつです。

 

徳永様

弊社の講師全員が全日空出身者ということもあって、その特色を活かそうと発案したものです。会議室に飛行機のように椅子を並べて、最初はお客様役になっていただき、色々な事例の対応を体感していただきます。CAは、どんな目線で、どう対応しているのか、具体的に種明かしをしていく。その後実際にCA役になってもらい、学んだおもてなしを実践していきます。当初は接客をする人を対象に始めたものですが、事務職の人にも好評で、チームワークの大切さなども学べます。CAになりたいという、CAの予備校に通っているような学生も受講して合格につながっています。

 

高井

日本のマナーを世界に広げるとはどういうことですか。

 

徳永様

弊社のコースの一つに、日本で働く外国人向けのマナー講座があります。日本で働く外国人の方からは、日本のやり方・しきたり、日本人の心をすごく求められています。研修では、日本の地域的な環境や気遣いについて、日本人が何でこうやっているのかをお話しして、理解を深めていく。外国人の方は、受講中にダイレクトに意見を言います。NGなことにはNG、納得いかない、と言ってくれるので研修の中で討論ができます。外国人とマナーについて徹底的に話し合うのは楽しいですし、彼らも、そこで落としどころを見つけてくれる、そういう場を提供することが必要だと感じています。

 

高井

御社の企業理念は何ですか。

 

徳永様

「ありがとう」です。「ありがとう」には、いろいろな「ありがとう」があります。ある作家さんの講演会で、講演の題字を書道で書く機会がありました。その講演会で、難のない人生「無難な人生」と難がある人生「有難い人生」という話があって、難があっての「有難い」を知りました。ちょうど当時、私自身、「難」が多かった時代で、今でも多いですが、自分に「難」が多い時だったからこそ、何か心に響くものがありました。それもあって、「ありがとう」を企業理念にしています。研修も理念である「ありがとう」と言ってもらえるものを目指しています。講師たちは、自分の研修の出来・不出来だけに一喜一憂してしまいがちですが、研修のアンケート結果を見ると、受講者から「ありがとう」が多かったりする。自分の研修の出来ももちろん大切ですが、「ありがとう」をもらっているなら合格点という思いがあります。

 

高井

ありがとうと言われる研修。研修終了後もお付き合いは続くのですか。

 

徳永様

100人程度の規模感の企業様が多いので、非常に距離も近く気軽にお悩みを相談していただけます。例えば、受講者の様子を知っているので、次の配属をどこにしたらいいとか、相談を受けることがあります。

 

横倉様

全部を頼りにされることが多いというか、困ったら徳永さんにお願いしましょうという企業様もありますね。

 

徳永様

弊社は、研修の一人一人のフィードバックも細かくするので、そうすると、例えば遠くに配属しても大丈夫かなとか、あの上司とは合うかなとか、そういう相談もあります。社長からはそういった報告を、「役員会で話してくれ」と言われることもあります。

 

高井

起業したことで、女性特有というガラスの天井を意識したことはありますか。

 

徳永様

実は、私は感じたことがないんです。起業して、いろいろ仕事が取れなかったり、ばかにされたりすることはありましたが、すべては自分の実力なので、女性ならではのガラスの天井を感じたことはありません。この話を、横倉としていたのですが、おそらく組織の中にいると感じるものなのだろうという結論になりました。組織の中だと、同じ実力で、こうやって頑張ってきても、女性だからということで、ガラスの天井を感じることがあるのかもしれません。起業してしまえば、かえって感じないものなのではないでしょうか。

女性特有ということであれば、逆に天井ではなく子育てや家事というベースの部分で、仕事との両立は非常に難しいと感じました。私の場合、実家も岩手で親族も傍にいないこともあり、頼れる身内がいない中で両立している見本となる女性起業家が見つからないのが一番辛かったことです。結局は子供達自身の理解と協力、親族以外の周囲の助けがありここまでやって来れました。今では自分が見本になれればと思い、頑張っております。

 

高井

ところで、徳永様は「書道家徳永青玲」としてもウィリアム王子に書を送るなど、活躍されています。書を始めたきっかけ、活動内容について教えてください。

 

徳永様

7歳から書道を始めました。公民館でおばあちゃんに教えてもらい、年を取ったら自分もこんなふうになりたいと思っていました。そして師範の資格を取ろうと思い、CAになった後も夜学などで学びました。

私は、岩手出身なのですが、震災の後、どうやったら地元の人を励ますことができるかを考えていました。地元の人の励ましの言葉なんて要りません、という声もあるなかで、例えば「ハッピー」を、「羽が飛ぶ」で「羽飛(ハッピー)」と読む。こういう書だったら、「頑張れ」と言うのでもなく楽しめるかなと。それで、書に色も入れていきました。色彩心理で、「青だったら地球規模の愛ですよ」とかいうのを、ちょっとずつ始めて、それで読んでくれる人もいたりして。そんな活動をしているうちに、今度は、外国人の方から、自分の名前を漢字にしてくれという依頼が来るようになりました。まさかウィリアム王子の書を書く日が来るとは思ってもいなくて。

千本ノックと言って、「書彩」、英単語を全部で1000個書く取り組みを始めています。今は、560個くらいまで書いています。拙い書ですが、喜んでくださる人がいて今後も続けていきます。

以上

 

 

第31回 経営理念と賃金ダウン(中)
(2009年7月20日転載)

 

将来の考え方を修正へ

「企業においては、社会情勢や当該企業を取り巻く経営環境等の変化に伴い、企業体質の改善や経営の一層の効率化、合理化をする必要に迫られ、その結果、賃金の低下を含む労働条件の変更をせざるを得ない事態となることがあることはいうまでもなく、そのような就業規則の変更も、やむを得ない合理的なものとしてその効力を認めるべきときもあり得るところである。特に、当該企業の存続自体が危ぶまれたり、経営危機による雇用調整が予想されるなどといった状況にあるときは、都道条件の変更による人件費抑制の必要性が極端に高い上、労働者の被る不利益という観点からみても、失職したときのことを思えばなお受忍すべきものと判断せざるを得ないことがあるので、各事情の総合考慮の結果次第では、変更の合理性があると評価することができる場合があるといわなければならない」(傍線は筆者)これは、「みちのく銀行事件」最高裁判決(平12・9・7)の判示するところである。

かつては、今よりも雇用の場の確保が容易であったため、経営合理化・リストラ策としては、賃金ダウンよりも整理解雇を先行しなければ従業員等の納得は得られないと一般に考えられていたし、また、裁判例も同様の立場であったと言ってよい。例えば、整理解雇が不可避の状況下で、犠牲の大きい人員整理を回避する手段として賃金減額を実施した旨の会社の主張に対して、裁判所は「賃金調整を有効とすることの根拠とすることはできない」と判示し、賃金ダウンの効力を否定したのである(チェース・マンハッタン銀行事件=東京地判平6・9・14)。

これに対して、「みちのく銀行事件」最高裁判決は、就業規則による労働条件の不利益変更について、基本的に「秋北バス事件」(最大判昭43・12・5)以降の最高裁判例の流れを汲みつつも、右に引用したように、社会情勢や経営環境等によっては、整理解雇をせずに、労働契約の最も基本的要素である賃金の引き下げをも容認せざるを得ないことを、最高裁として明確に指摘したのであり、この点大きな意義がある。これは、労働条件の不利益変更という一般論にとどまらず、従業員等が賃金ダウンを受忍すべきものと判断せざるを得ない場合があることを最高裁が明言した初めての例である。

 

人員整理と同一線上で

最高裁が、「賃金の低下」は「失職したときのことを思えばなお受忍すべき」ことがあると敢えて指摘したように、現在は雇用の場の確保が極めて困難になっている以上、賃金ダウンも人員整理と同一に論じなければならなくなったのである。

かかる最高裁判決が2000年(平成12年)の時点で出された理由は、日本経済が、高度成長時代から1973年のオイルショック以降突入した低成長時代を経て、さらには衰退期を迎え、賃金ダウンの時代となることを、日本における賢者の組織である最高裁が予感していたからにほかならない。そして、前回俯瞰したとおり、この時期に始まった賃金ダウンの社会的状況をみれば、まさに最高裁の卓見と言うべきなのである。

本判決が踏襲した「第四銀行事件」(最判平9・2・28)および本判決によれば、労働条件の不利益変更に関する最高裁判例の判断の枠組みは次のとおりである。

(1)就業規則による一方的な労働条件の不利益変更は原則としてできないが、労働条件の集合的処理、特にその統一的かつ画一的な決定を建前とする就業規則の性質からいって、当該条項に合理性がある場合には個々の労働者においてこれに同意しないことを理由として適用を拒むことはできない(企業の組織法性が雇用関係という債権契約性を凌駕する場面である:筆者注)、(2)特に賃金・退職金など労働者にとって重要な権利・労働条件に関し実質的な不利益を及ぼす就業規則の作成または変更については、当該条項がそのような不利益を労働者に法的に受任させるだけの高度の必要性に基づいた合理的な内容である場合において効力を生ずる、(3)その合理性の有無の判断は、①就業規則の変更によって労働者が被る不利益の程度、②使用者側の変更の必要性の内容・程度、③変更後の就業規則の内容自体の相当性、④代償措置その他関連する他の労働条件の改善状況、⑤労働組合等との交渉の経緯、⑥他の労働組合または他の従業員の対応、⑦同種事項に関するわが国社会における一般状況―等を総合考慮して判断すべきであるとされている。

 

労使の対立を統合する

右判例理論が、不利益変更の合理性の有無を判断する具体的基準として①~⑦の項目を掲げた所以は、賃金を引き下げざるを得ない状況で企業の組織性を維持すべく「公明・公平・公正」を期するためには、どのような基準を念頭に置くべきかを説示したものである。

この点、いみじくもドラッカーが、(イ)賃金とは生産性や競争状況等の経済的な要因によって客観的に決定されるべきものであり、賃金の決定は本来は団体交渉・労使関係に馴染まない、(ロ)賃金を団体交渉の俎上に乗せるなら、労使に共通の価値基準が存在しない限り交渉は非難と反目に終わる―等と指摘するとおりであり(ドラッカー著『企業とは何か』参照)、まさに賃金の支給・需給の場面において利害が対立する労使を統合するためには、「総合考慮」という手法を用いるしかないことを、最高裁は判断基準の項目を詳細に示すことで明らかにしたと言ってよいだろう。

そして、この判例理論は、08年3月1日に施行された労働契約法10条に、基準となる項目を「労働者の受ける不利益の程度」「労働条件の変更の必要性」「変更後の就業規則の内容の相当性」「労働組合等との交渉の状況」の4点に整理した形で受け継がれているのである。

なお、判例は、前述のとおり賃金・退職金などの不利益変更については「高度の必要性」が要求されるとしており、賃金ダウンに当たっていかなる場合に経営上の高度の必要性が認められるかという問題がある。この点、当該企業が倒産の危機に直面していることおよび人員整理の必要性に迫られていることが「高度の必要性」の認められる典型例であるが、この他に、いわゆる成果主義型賃金体系の導入に伴って一部の者の賃金が下がることについて、東京高裁と大阪高裁が、労働生産性を高め当該企業の競争力を強化するための制度改定に「高度の必要性」があると認めていることに留意したい(ノイズ研究所事件=東京高判兵士18・6・22、ハクスイテック事件=大阪高判平13・8・30)。

 

大義名分書と想定問答

苦渋の選択として最後の最後に賃金ダウンを実行するに当たっては、窮状打破のために賃金ダウンが経営上高度に必要な施策であり、賃金ダウンの先に拓けるべき企業の将来像を、説得力ある「大義名分」で示すことが何よりも重要になってくる。

「大義名分」には企業の存続を図ることに向けた経営理念が十分に示され、精緻でかつ情感がこもっていなければならず、また前述のとおり判例上賃金ダウンには「高度の必要性」が求められることから、賃金ダウンの大義名分書は一般の労働条件の変更の場合より、一層緻密で説得的でなければならないといえる。

具体例を示すと、まず、(a)当該企業の沿革的背景、(b)現在の経営の窮状、(c)窮状打開に向けた諸施策の実行による経営努力の経緯と状況、(d)同業他社の状況、(e)労使交渉の経緯等を詳述したうえで、実行しようとしている賃金ダウンを含む人事制度改定が当該企業の存続を約束する施策であることを強く謳い、前述の最高裁判例が掲げる7つの基準にも適う「合理的な内容」であることを、デジタルな資料も駆使しながら説得的に論じるのである。さらに、そこに驕りがあってはならない。あくまで、従業員の「諦念」「納得」がなければ企業存続は叶わないという姿勢を貫かなければ、従業員の理解を得ることはできないからである。

賃金ダウンに当たっては、こうして大義名分書を明示することこそが書面による重要なコミュニケーションであり、さらには、想定問答の作成こそが高騰による必須のコミュニケーションの素材ということになる。賃金ダウンの大義名分書は、想定問答を作成することによってより内容が補完されるし、また、想定問答の作成は、従業員等を説得する立場である経営側自らの納得感を強め、自信を生むことにつながるのである。

想定問答としては、例えば、「10%賃金カットの根拠を示して欲しい」「経営責任はどうなるのか」「経営悪化は分かるが人件費以外に切り込むべきところがあるのではないか」「暫定的な施策ではなく賃金制度の改革により賃金が下がるのはなぜか」「賃金の引き下げで職場の士気がさらに削がれ、経営不振に陥ることについて社長はどのように考えているのか」―等々の設問を想定して、回答例を構築するのである。

しかし、賃金ダウンという逼迫した経営状況の中では、十分に練られた大義名分書や想定問答であったとしても、経営者が将来に向けての実績を示すことは極めて難しい。

そのため、本欄前回でも論じたとおり、経営者は日頃から豪奢に流れず、自らが経営活動において重視する姿勢・価値観・目的等(=経営理念)を従業員等に明確に示し、賃金の問題や評価基準にも経営理念を落とし込んでおく必要がある。さらには人間性の面においても信頼される存在となっていることが、最も重要な課題となってくるのである。

 

2017年8月12日~14日「函館旅行記」

 

 

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8月12日(土)

11時40分函館空港到着。

13時15分のシャトルバスまでしばらく時間があったので、空港3階のレストランで海鮮どんぶりを食べましたが、期待していたほどの味ではなかった、というのが正直な感想です。

その後シャトルバスに乗って、15時頃大沼プリンスホテルに着きました。ホテルがある七飯町は緑豊かなところでしたが、雨が降っていたせいか、少し涼しく感じました。

 

16時に鹿部町に行き、鱈子を発見しました。案内して下さった道南タクシーの運転手さんが教えて下さったのですが、函館の鱈子は特級品だそうです。道の駅でお土産に一箱購入しました。

道場水産を訪れたところ、そこでも鱈子が製造されていました。ここで作られる鱈子は日本全国でも1、2を争う良質・高級な商品だそうです。

福岡県産の明太子は有名ですが、明太子に使われるスケトウダラの鱈子は北海道でしか取れないため、鹿部町の鱈子を加工して作られているそうです。

その後、鹿部町の大寿司というお寿司屋さんで鱈子を食しました。やはり、旨みが凝縮されていて、とても美味しかったです。

 

18時20分に北海道出身の事務所員お薦めの、大沼にあるラッキーピエロというハンバーガーのお店に行き、チャイニーズチキンバーガーの卵入りを食べました。このお店は、日経新聞のご当地バーガーランキングで1位になったそうです。

 

ホテルに戻ったのは20時頃です。静かなホテルでしたが、ちょうど私が戻った頃、中国からの旅行客が団体でお風呂に入るとのことだったので、残念ながら大きなお風呂には入れず、部屋のお風呂で汗を落としました。

 

 

8月13日(日)

10時頃、降り続いていた雨がいったん止みましたが、空模様は優れず。いつでも振り出しそうな天気でした。

高いところから函館市内を見わたそうと7時にシャトルバスに乗ってまず函館空港に向かい、函館空港からタクシーで山を登りました。しかし残念ながら小雨が降っており、かつ霧がかかっていたので、全くと言って良いほど何も見えませんでした。

諦めきれず、函館山の2合目までタクシーで行ったのですが、結局ここでも雨と雲とで視界が開けず、景色を見ることはできませんでした。

 

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仕方なく下って、村岡画廊にお邪魔しました。藍染の作品などをみせてもらい、店主の村岡武司さんと色々なお話をさせていただきました。

 

11時過ぎに五稜郭タワーに行きました。エレベーターで90mを一気に上り、上から見下ろしたところ、その名の通り、実に見事な星形になっていて感心しました。飾られていた写真を見ると、春には土手に植えられた桜が一斉に咲き、また違った景色となるようです。

五稜郭が造られた当時は、大砲の弾が沿岸から3キロメートルまで届いたため、五稜郭は沿岸から5キロメートル離れたところに造られたそうです。こういった話を聞くと、日本人には匠の精神が満ち満ちているということを改めて感じます。

 

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その後、「やきだんご 銀月」というお団子の店に行き、お団子を購入しました。地元では知らない人がいないという程の名店だそうです。

事務所の所員が卒業した函館短大を見て、12時半に函館空港まで戻ってきました。

タクシーで金寿司というお寿司屋さんで、お寿司をちょっとつまんだ後、7、8の画廊と骨董商をめぐろうとしたのですが、生憎お盆休みの、しかも日曜日だったため、そのほとんどが休みでした。

しかし、画廊・骨董商巡りのために函館市内をタクシーで回ったので、市内の空気をかなり理解することが出来ました。函館市は人口が減少していて斜陽化しつつあるようですが、お盆休みなど観光シーズンには観光客が多く集まり、街並みに活気が溢れるようです。

 

この日は朝10時まで雨が降り、いったん上がったものの午後4時からまた降り出すという天気であったため、当初予定していた伊達市在住の画家さんのところへ訪ねていく気には、とてもなれませんでした。

その代わりに、函館市が運営している函館市立北方民族資料館に向かいました。この資料館には、アイヌ民族に関する資料を中心として様々なものが展示されていました。私は、アイヌ民族自体についての知識はあったのですが、彼らが実際に身に付けていた服飾品や祭祀や生活に使用していた品を見たことがなかったので、「この資料館を見学できただけで函館に来た価値があったなぁ」と思えるほど非常に興味深かったです。

 

続いて旧イギリス総領事館を見に行きました。いわゆる一般的なイギリス式の庭園で新鮮味はありませんでしたが、明治から昭和初期にかけて函館が世界的にもメジャーな都市であったことが窺われました。

 

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8月14日(月)

いよいよ旅行最終日となりました。帰る前に、見学も兼ねて朝市に行き、この日もお寿司をいただきました。函館は魚介が新鮮で、お寿司がとても美味しいのです。

この日も曇り空で時々雨が降るというすっきりしない天気でした。最後まで雨に祟られた3日間でしたが、函館では8月中旬は紫陽花が盛りの季節ということで、雨に美しく映えていたのが印象的でした。

 

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以上

  • 今、話題のテーマについて各界で活躍している方々と対談をする一問一答形式のブログの第19回目です。
  • 第19回目は 株式会社サイバーエージェント人事本部事業推進室長野島義隆様です。

 


 

■ ■ ■ ■ 時流を探る~高井伸夫の一問一答 (第19回)■ ■ ■ 

株式会社サイバーエージェント
人事本部事業推進室 室長  野島 義隆 様 

■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■


野島様[株式会社サイバーエージェント 
人事本部事業推進室 
室長 野島義隆様プロフィール]

1973年神奈川県鎌倉市生まれ。

 ベンチャー企業の立ち上げを経験後、2003年サイバーエージェントに入社。インターネット広告事業本部営業局長を経て、2013年新規事業子会社の取締役に就任。2013年に人事本部へ異動後、2015年より現職。

 


[今回のインタビュアーは以下の通りです]

  • 高井伸夫 
  • 宮本雅子(秘書) 

 

 


 

高井

御社の業績はいかがでしょうか。

 

野島様

7月に第3四半期決算発表をさせていただきましたが、年間の予算計画に対して堅調に推移しております(注2017年7月末現在)。注力事業であるインターネットテレビサービスであるAbemaTVのダウンロード数も順調に伸びていて、今(同上)開局1年4ヶ月で2,000万ダウンロードを超えました。利用者もだいぶ増えてきて、手探りから手応えを感じている状態です。

 

高井

インターネットとテレビの融合という企画にチャレンジし始めて、融合はどんどん進んでいるのでしょうか。テレビ事業の資金源はゲーム事業ですか?

 

野島様

おかげさまで一定の手ごたえを感じています。若者のテレビ離れに対しスマートフォンで動画視聴が進めば「新しい視聴習慣の創造」を実現できるのではと思っています。実際は若者中心ではありますがその他の世代にも使われていて、月間900万人以上(同上)の利用者の方に使っていただいております。

積極投資は広告やゲームといった既存事業が支えている形になっております。ゲーム事業はスマートフォンゲームが堅調に推移しております。また、広告事業も動画広告中心に好調に伸びております。海外拠点も増やしさらに拡大中です。AbemaTV以外のメディア事業も市川海老蔵さんなどに活用していただいているアメーバブログや若い世代に人気のマッチングサービスなどが伸びてきております。

 

高井

ところで、御社ではAIは活用されていますか?

 

野島様

社内にAI研究機関である「AI Lab(エーアイラボ)」があります。現在大阪大学、東京大学、米イェール大学、東京工業大学、理化学研究所など複数の機関と産学連携を行っております。また、事業としてはAIを活用したチャットボット(注1)事業である「AIメッセンジャー」を展開しております。

人事領域でのAI活用については、現在人材科学センターと人事システム室を設置し活用の検討をしている状態です。

(注1)チャットボット:人工知能を活用した「自動会話プログラム」

 

高井

御社ではインターンシップがかなり活発ですね。

 

野島様

そうですね。サイバーエージェントのことをもっと知ってほしい、事業の現場をリアルに体験してほしいということで積極的にやらせていただいております。

インターンの種類もいくつかあって、ワンディ(1日)か、3日間が多いですが、長期インターンも実施しています。広告をやりたい、ゲームをやりたいなど分野で選ぶ方と、経営者とか新規事業の立ち上げをやりたいなどキャリア軸でのコースの両方があるんですけど、どちらにも、まんべんなく集まっています。

 

高井

インターンの面接ではどういった人を採るのですか。

 

野島様

まずは弊社のビジョンである「21世紀を代表する会社を創る」に共感していただける方です。一緒に会社を創っていく方を求めているのでその考えに賛同していただけるかが重要です。

また、素直で良い人を多く採用するようにしています。インターネット業界は変化の多い業界です。頑固で変化に対応できない人はうまくいかないことがあります。採用基準ということではないのですが人事で活躍している人材の特徴を話したことがあります。野心があり、行動力があり、成果が出せるかどうか。野心と行動力、この二つができている人は多いのですが、最後に成果を出すところにこだわれるかが重要ですね。最後、球際(注2)で成果を出すところまで頑張らなきゃいけない時も多く出てくるので。

(注2)球際:野球やサッカーで,ボールを勝負どころぎりぎりで打ったり捕球したり,あるいは蹴ったりすること。


高井

御社の平均年齢と社員の男女比について教えてください。

 

野島様

平均年齢は31歳強です。私が入社した時は平均年齢27歳ぐらいだったので、少し上がりました。男女比は、男性7対女性3ぐらいです。ビジネス職は、女性比率が高いのです。エンジニアの職種は、ほぼ9割近くが男性です。執行役員は10人中1人のみ女性ですが、マネージメントをする管理職は20%くらいが女性です。女性で2年目から管理職になる人もいます。

 

高井

女性が多いということで気を付けていることはありますか。

 

野島様

あまりマネージメントとしては変わらないですかね。あるとすれば、女性はライフイベントがあるので、目標設定のところで短期的に一番頑張れるところを引き出せるようにしています。

 

高井

今の若者がゆとり世代という感覚はありますか。

 

野島様

感じることは少ないですね。面接の際に、何がやりたいですかって聞くと、「裁量権がある仕事がしたいです」「新規事業をやりたいです」という人が多いのでよく言われるようないわゆるゆとり世代の人は当社には少ないのかもしれないですね。

 

高井

新規事業と裁量権がある仕事がしたいと。若手での実績はありますか。

 

野島様

内定者が入社までの間にアルバイトをしていた時に社長に抜擢されたことがあります。毎日日記のようにスマートフォンに写真をアップしていく写真共有アプリを本人が趣味で作っていたところ、それを会社化しました。その会社は、今、業態を変えて、スマートフォンのマーケティング会社になったものの、大きく成果を出しています。このように入社年次の若い世代が事業責任者や子会社社長に抜擢される事例は数多くあり、若手の活躍土壌としてはチャレンジしやすい環境だと思っています。

 

 

高井

それは素晴らしいですね。他に例はありますか。

 

野島様

女性が2年目からマネージメントに登用されることがあったり、20代のうちにサイバーエージェントの取締役に抜擢されることもあります。若手の抜擢機会は、会社全体にもチャレンジを実現できるという意識が増え、実際実現する機会も増えて行く良いサイクルになっていると思います。

 

宮本

会社としての大きな目標、掲げていらっしゃる社是というのは何があるんですか。

 

野島様

社是というものはありませんが、ビジョンとして、「21世紀を代表する会社を創る」というものがあります。このビジョンができて、会社の雰囲気も変わったと思います。私が入社したころは、目標が複数あり、何を目指せばよいのかわかりませんでした。そこで1つのビジョンに絞ったことで、みんながビジョンに向かって個性ある様々な発想を持ち始めました。

 

宮本

野島様にとっての21世紀を代表するっていうのは、どういうことになりますか。

 

野島様

この質問は学生にも面接で聞かれることが多いんです(笑)。私の個人的な意見になりますが、みなさんの想像する20世紀を代表する会社であるトヨタやソニーのように、世界的に圧倒的な成果を出し、かつその企業自体が多くの方に愛されているという2つが成り立たないといけないと思っています。これからも世界中で使われるようなサービスを提供し、みなさんに応援してもらえるような会社をつくらなきゃいけないと思っています。

 

高井

社会貢献、社会のため、国家のため、企業のためとよく言いますが、何をやったら社会のため、国家のため、企業のためになるのか、どうしても利益を上げることに目が行きがちですが、それを具体化することが愛されることにつながる。社員がこうなればいいとそれぞれ思うことを実現していくということ、21世紀を代表する会社、21世紀に誇れる会社になるというのは素晴らしいと思います。頑張ってください。

以上

 

 

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2017年7月29日(土)7:28 中目黒公園にてアガパンサスの蕾を撮影
花言葉:「恋の訪れ、知的な装い」

 

 

第8回 リストラの攻防


株式会社日本総合研究所
リサーチ・コンサルティング部門
青木昌一

 

1.初めての高井先生の著書

ご案内の通り、これまで高井先生は数多くの著書を出版されています。私がそれらの著書の中で最初に読ませていただいたのは「リストラの攻防」(1994年民事法研究会)でした。

前職西洋環境開発がいよいよ尋常ではない状態だということで、密かに管理部門で再建策を練らなければならなくなりました。そのことが当時の人事部長から私の上司であり先輩であった課長と私の二人に知らされ、人員を減らすことまで含めて検討しなければならないところまで逼迫していることを告げられました。

ですが、本連載の第一回目に書いた小さな関係会社撤退に関しては高井先生の指導を受け、なんとか対応しきれたものの、本体および他の関係会社をどうすれば良いのかさっぱり分かりません。そのとき「これを読むと良いよ。」と教えてくださったのが、最初に高井先生をご紹介下さった西武百貨店の人事部の課長でした。

その本が「リストラの攻防」でした。このブログの読者の方の中にはご存知の方も多いと思いますが、この本、並みの本ではありません。

 

2.大きな衝撃

まず、タイトル。

「リストラ」などという言葉がタイトルに入っている本など、当時は見たことがありません。このタイトルだけで十分衝撃的でした。

さらにカバーが真っ黒。これから学ぼうとする中身を暗示するような黒いカバーでおおわれています。

そこには後々高井先生から口を酸っぱくして叩き込まれた「短期集中、中央突破」で企業の苦境を脱するための人的リストラの方策が記されていました。

今も高井先生は「原則倒産の時代」であるとおっしゃいます。この本は誰しもが今所属している会社に倒産の危機が訪れる可能性があることを前提に企業人、とりわけ企業経営者や企業の幹部、人事担当者に向けて書かれています。

特に印象深かったのは、リストラを進める際に「神棚にお参りをしなさい」といった趣旨のことが書いてあることでした。そこまで腹をくくる必要があることなのか。私にとっては大きな驚きであり、覚悟をするきっかけにもなりました。

そして内容はというと、率直に言って、最初は意味が分かりませんでした。もちろん言葉は理解できます。ですが、そこに書いてある、しかもかなり平易な言葉で分かりやすく書いてある文章なのに、私の脳みそが勝手に拒否反応を示すのです。「そんなこと無理、とてもできる訳がない。」そうした潜在意識が邪魔をするのです。

後で考えると、もちろん限られたページですからすべてを書き記してあるわけではありません。しかし、逼迫した企業が何をすべきかは、その方策と具体的な方法が丁寧に紹介されているのでした。

 

3.人事権の法的展開

「リストラの攻防」に加えてもう一冊、先生の著書の中で人事担当者としての私が極めて実務的に参考にさせていただいた本があります。それが「人事権の法的展開」(1987年有斐閣)です。

これは当時頻繁に訪ねていた西武百貨店の人事部の方から1995年頃にたまたま

二冊あるからあげるよと頂いたものです。

この本は出版が有斐閣というということからもお分かりいただけるように、極めて専門的な書籍です。労働判例を紹介しつつ、法的な論点を挙げながら高井先生が解説をされている本格的な労働法務の本です。

労働法務と書きましたが、労働関係の問題は法律通りにはいかない部分が数多くあります。とくに解雇関係の問題は民法や労働基準法通りに定められている通りで良いと思ったら大変な問題になりかねません。

そのあたりの法律家でも恐らく分かりにくいと思われることを、丁寧に解説されています。人事担当をしていた当時、この本を読み込みいろいろな問題を想定しながら問題解決の方策を練る、そういうことで大変役に立った本でした。私にとっては人事実務の教科書でした。

西洋環境開発で人事部から異動になったとき、人事部の本棚に置きっぱなしにしておいたために手元に残っておらず、また、すでに絶版になってしまっていたために20年間目にすることができなくなってしまいました。

コンサルタントの仕事をするようになり、労務的な相談を受けたときに、「あの本があれば、似たような事案が紹介されていたよなあ」と思ったことが幾度もありました。

余談になりますが、それがこの4月にたまたまAmazonで検索してみると古書ですが、入手できることが分かり一も二もなくクリックをしました。

こうして改めて「人事権の法的展開」を読んでみると、紹介されている判例は、30年前の本ですから古くはなっています。しかし、その内容は今でも十分に参考になるものです。その一方で昭和50年前後の裁判では今ではとても考えられないようなことが起きていたことがよく分かります。

企業で人事労務を担当されている方には古書でもぜひ入手して参考にしていただきたい一冊です。

以上

 

~アメリカ留学生活の所感~


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2017年7月9日(日)5:26 山中湖付近で撮影

 

 

~アメリカ留学生活の所感~

 

日向小夏

 

大学入学に当たり渡米してから、衝撃ばかりだった。十年間インターナショナルスクールで培ってきた遠い大陸の知識と、その実態があまりにもかけ離れていたからである。以下では、私が体験し、感じた「アメリカ人」という民族の特殊さを述べていこうと思う。

 

1.メディアに対する信頼の低さ

 

昨年、アメリカは大統領選挙で盛り上がりを見せていた。4年前のオバマ氏が勝利した選挙も見ていたが、とにかくアメリカ人はマスメディアに対する信頼度が低い。放送の内容、そして両候補が画面に映る時間などにも敏感で、偏ったメディアを嫌う傾向がある。特に20代の若者にその傾向が顕著で、彼らの間では国などの影響が少なく、言いたい放題言うことができるネットニュースが人気だ。中でも人気が高いのは、週に一度30分ほどその週に起きた政治ニュースについて語る「Last Week Tonight」というチャンネルだ。多いときは数千万回もの再生数をたたき出しているこのオンラインニュースチャンネルを筆頭に、今後、メディアはネット上での成長を遂げて行くだろう。

一方、日本では他の先進国に比べてマスメディアに対する信頼が著しく高い。話のソースを聞くと、「テレビで言っていた」と説明する人も少なくない。しかし、メディアに対する信頼が高いほど、世論誘導に流されやすくなる点には注意が必要だ。情報社会である現代では、メディアの情報を鵜呑みにせず、自分で考え、何が正しくて何が正しくないかを判断しなければならないと思った。

 

2.信頼しない信頼関係

 

アメリカ人は、フランクで友好的だとよく言われている。それを否定するつもりはない。アメリカでは挨拶も明るく、知らない人でも目を合わせただけで笑顔を見せてくれる気さくな人が多い。しかしそれと同時に、アメリカ人の交流関係は広く浅いというのも、よく言われることだ。実際にアメリカで知り合った人たちは、初対面から仲良く接することはできるが、深くその人物を知ることができないのがほとんどだ。

同じくアメリカの大学に通う日本人留学生の友達に、どうやったらアメリカ人と信頼関係を築けるか聞いたことがある。彼は「そもそも信頼関係なんてない」と答え、私はその時一見適当に放ったようにみえる友人の言葉に納得した。様々な背景を持つ人間が集まる場所だからこそ、本当に互いを理解するのが難しく、警戒心を解けずいつまでたっても友人に対して壁を作っているのかもしれない。アメリカ人はコミュニケーションにおいて、育ちも文化も言語も何もかも違う相手に対し、どのような言葉が適切でどのような言葉が適切でないか常に慎重に言葉を選んでいるような気がする。全てが自己責任な個人主義の社会が故に、信頼が深まりにくい環境となってしまった可能性も十分あり得るだろう。

 

3.ポリティカル・コレクトネス(PC)に敏感すぎる世間

 

日本ではあまり浸透していないが、アメリカやヨーロッパなどではポリティカル・コレクトネス(Political Correctness)という言葉がある。これは、政治的、社会的に公平で差別や偏見が含まれない表現を指す。例えば英語にはヒストリー(History)という言葉がある。歴史を意味する単語だが、近年はこの言葉すらも差別的な表現でないのかと議論されている。Historyは彼の(His)、ストーリー(story)の二つの単語から成り立っているため、まるで女性が築いてきた歴史が含まれていないようだと抗議の声が上がっているのだ。他にも似たように使い慣れた不適切な言葉に対する言語改革が求められている。しかしPCに敏感になり過ぎていることが多々あることも事実で、発信が窮屈に感じることがある。

 

以上が私の体感した「アメリカ人」という民族の特徴だ。時に偏重的でもあるが、ネットリテラシーの高さなどを含め、日本人に足りないものを多く痛感した。日本人は内に籠りがちだが、積極的に外の世界に出て行き、他国・他民族の優れている点を学ばなければ、これからますますグローバル化し、情報化していく時代を乗り切ることはできないだろう。

 

以上

 

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