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2016年6月19日(日)8:15 東京家政学院付近でネビキミヤコグサを撮影
花言葉:「きまぐれな心」

 

 

第11回「教員の淘汰こそ必要」
(2015年11月23日より転載)

 

私は、青山学院大学の非常勤講師として1972年4月より13年間ほど手形小切手および工業所有権法の講座を持ち、曲がりなりにも大学で教える立場を経験した。また、新人弁護士時代に、のちに私立大学の総長となった方が、「自分の人生において大学と銀行の設立をめざしたい」と語られる場に立ち会い、教育の強い関心を持った。2000年4月からは日本私立大学協会(加盟大学411校/2015年10月現在)の法律顧問を務め、加盟各大学の理事長・学長らに向けて度々講演をしてきた。教育の現場に接する機会に多く恵まれた結果、自分なりの教育観を持つようになったといえる。

 

教育の目的は、大学・大学院での高度に専門的な研究者養成の領域は別として、心技体を鍛え、感性・理性・知性・心性(品性)を磨き続ける術を教えるのに加え、「夢・愛・誠」「真・善・美」等々、人としての価値基準を理解させ、より良き人生を歩むための基盤となる未来志向の力を身に付けさせることにあるだろう。つまり、教育者は、自立・自律した社会人として良き社会を形成し得る基礎力を教え子に育む使命を負っているのである。

 

教育現場には、教員、児童・生徒・学生、児童らの親、そして学校の運営管理者という様ざまな立場の者がいるが、もっとも重視すべきは、教育の質を上げることである。

 

教育の議論のなかで「先生が変われば生徒も変わる」「改革にはお金がかかる」という2つの命題をよく耳にする。スポーツや合唱の分野でも同様にいわれるこれらの指摘は、教員養成システムを改善して教員の質を上げるには多くの人員と予算を要するものの、教員の質が向上すれば生徒・学生らに必ず好影響があるという経験則である。私は機会あるごとに指摘しているが、「教員に教え方を教える」システムがわが国では未だに十分に構築されず、真の意味での「教育」の専門家の養成がおろそかにされているのであろう。

 

教育者に関する名言としてよく知られる「凡庸な教師はただしゃべる。よい教師は説明する。優れた教師は自らやってみせる。偉大な教師は心に火を点ける」―の例に倣えば、日本の教員は、ただしゃべるだけのレベルにとどまっている者が多過ぎるのではないか。一般に教員は、自らは生徒・学生らを評価するにもかかわらず自らが評価されることは拒む傾向が強く、また、仄聞することによれば、一般に日本の大学では、能力不足の教員も優秀な教員も同じように評価・処遇され、特段格差は付けられていないという。

 

今後、日本の経済状況が今より上向く可能性はまったくない。特に大学は少子高齢社会の下、経営の悪化は火をみるより明らかだ。とすれば、教員にも優勝劣敗の競争原理を適用し、大学には、企業間のM&Aの如く統廃合も含む「廃校の自由」が認められるべきであろう。

 

ただ、日本の教育には長所もある。貧富の差を問わず読み・書き・算盤の最低限の教育を必ず受けられる点だ。また、「音楽」「図工」と「給食」がすばらしいと教えてくれた米国人もいる。感受性の重視と食育への取組みに対する評価であろうか。

 

教育と知性の頂点にある大学および大学院の先生方には、日本の将来を担う若者たちが良き教育を受けて能力を最大限に発揮できるよう、率先垂範して他者からの評価に耐え得る強さを持ってほしいと願っている。

 

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2016年5月8日(日)8:20 千代田区永田町2にて紫陽花を撮影
花言葉:「移り気」

 

 

株式会社開倫塾
代表取締役社長 林 明夫

 

「雇用崩壊時代、労務も知らずに上司といえるか
―労務とは『上司と部下とのいい関係』を育む約束事―」


Q:高井伸夫先生の教えの一つに、「労務も知らずに上司といえるか」があるそうですね。

A:

(1)はい。高井先生が2009年にかんき出版刊の同名の御著書で予測なさった通り、大不況は2015年までどころか、2016年の現在も続いております。

 

(2)バブル崩壊後に始まった、一向に収まらないデフレが20年以上経った今も確実な終焉を迎えないため、超少子高齢化で増え続ける医療・介護・福祉の予算に充てるために必要不可欠な消費税の8% から10%への増税を再度見送る決定をせざるを得ない状況が続いています。

 

(3)この四半世紀に及ぶデフレに陥っているのは日本だけかと思いきや、今や世界中がデフレの状況に突入しつつあります。かつて、1873年から1896年までの約四半世紀、世界はデフレに陥りましたが、2015年から突入しつつあるデフレは四半世紀どころではなく、今世紀中ずっと続くのではないかと思われてなりません。

 

(4)デフレは需要不足であるにも関わらず生産過剰が原因で発生しますので、ものやサービスの価格はどんどん低下。売れ残りの在庫が山のように積み上げられる「売り手は地獄、買い手は天国」の時代になります。既存事業・既存店は対前年比売上減が毎年続きますので、「企業は原則倒産」という高井先生の教えが日本だけではなく、世界中でますます現実味を帯びてくると思われます。

 

Q:日本がバブル崩壊後に20年以上味わい、ようやく抜け出そうとしているデフレに、世界はこれから突入しようとしているのですか。これは大変なことですね。

A:

(1)はい。日本はバブル崩壊後、金融機関や巨大企業の整理統合が進み、四半世紀に及ぶ血の苦しみを経て、ようやく長い長いデフレから抜け出しつつありますが、確実とは言えず、いつ腰砕けになってもおかしくない状況にあります。

 

(2)世界は昨年2015年あたりからデフレに突入したのではないかと思われます。今般の世界的規模のデフレは四半世紀どころではなく、もしかしたら半世紀以上続くのではないかと思われます。

 

(3)このような世の中のしくみが根本から変わる時期にこそ、企業や非営利組織、政府や自治体を経営する上で最も大切なのが、変革期の人事労務といえます。

 

Q:それはどうしてですか。また、具体的にどうすればよいですか。

A:

(1)高井先生が教えてくださる通り、デフレの時代には「含み損社員」「リストラ」「派遣切り」「ワークシェアリング」「メンタルヘルス」など様々な課題が同時並行で多発するからです。「売り手に地獄、買い手に天国」のデフレの時代は「企業は原則倒産」で、昨日のように今日があり、今日のように明日があればよいと思う企業や事業所、NPOや自治体には明後日はないからです。

 

(2)イノベーション(刷新)と同時並行して、仕事のやり方や国外を含めた立地の変更は序の口で、廃業や撤退を含む事業の見直し、売却なども日常的に行わない限り、デフレは乗り切れません。

 

(3)現代はこれに加え、グローバル化が急速に進んでいますので、日本企業といえども多様な集団で活動する能力が求められます。日本への留学生の採用は当たり前、グローバル採用、グローバル人事労務なくして企業の存続はあり得ない時代はもうすぐそこの角までやってきています。

 

(4)とりわけ、人口爆発といわれるほど人口急増が予想されるアジア・アフリカのイスラム教徒の皆様と、どのように「いい関係」が築けるかが、企業や団体の命運を握ると確信します。

 

(5)人を用いる立場にいる人こそ、現代の日本はどのような時代なのか、現代の世界はどのような時代なのかという「時代認識」、とりわけ「現代についての時代認識」をしっかりと持ち、その中で人事労務のあるべき姿を考えなければ、働く人々と企業を守り抜くことはできません。

 

(6)その意味で、今年の8月に、日本政府が主催し、ケニアのナイロビで開かれるTICAD Ⅵ(ティカッド・シックス)、第6回アフリカ開発会議での議論には大いに注目すべきです。

 

Q:高井先生の言われる通り、現代はまさに「雇用崩壊時代」なのですね。

A:

(1)その通りです。私が法学部2年生の時に法思想史のサブゼミを担当してくださった慶應義塾大学法学部長の峯村光郎先生は、法哲学のみならず労働法の権威で、「労働法の目的は、国民経済における社会総労働力の保全および培養と労働基本権の保障である」と教えてくださいました。

 

(2)そうはいうものの、労働力の保全培養と労働基本権の保障だけでは済まされない、アジア・アフリカ諸国のイスラム理解をも含む「現代的課題」が山のように押し寄せてきているのが、デフレ時代・グローバル時代の経営といえます。

 

(3)経営トップや人事労務担当責任者だけではなく、「上司」とよばれる人は、「労務も知らずに上司といえるか」という高井先生の厳しい教えを自分の心の糧として学び続け、このデフレとグローバル化を、乗り切り、また、迎え撃たなければなりません。ご一緒に学び続けましょう。

 

2016年6月15日(水)

 

 

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2016年5月14日(土)10:51 上信越道横川SAにてデルフィニウムを撮影
花言葉:「清明」

 

 

第5回 注目すべきキャリア権
(2008年2月4日転載) 

 

 

今後の労働政策の中心

現代社会における「キャリア権」概念が、企業の人事労務関係・労使のみならず「働くこと」のあらゆる局面で検討されるべき重要なテーマであることは十分にお分かりいただけたと思う。「キャリア権」概念の今後の課題は、これを社会的にいかに認知させ法的にも実効性のあるものとして根づかせていくかということである。その前提として、今後は労働事象の万般において、「キャリア権」を十分に意識した判例理論の構築と労働法学説の再構築が必要となる。

 

人事権という概念は労働関係実定法には登場しないが、企業において組織法的展開が不可欠であるというところから実務上も判例上も認知されてきた経緯がある。このことは、キャリア権にも同様に当てはまるであろう。

 

実定法上は、雇用対策法等々にキャリア権の理念が登場し始めており、例えば募集採用における年齢制限を禁止している改正雇用対策法(2007年10月1日施行)の例外事由を定める施行規則1条の3第1項には、「長期勤続によるキャリア形成を図る観点から、若年等を期間の定めのない労働契約の対象として募集・採用する場面」(同3号のイ)等と明記されるなどしている。今後は、キャリア権は判例法あるいは学説等においても大いに認知され、労働関係の現代化を図る有力な武器として機能させるべきなのである。

 

▽「キャリア権」を肯定するシステムの構築を

「キャリア権」については、判例・学説・法制度・労働政策等が牽引役となって、「キャリア権」を肯定する社会的なシステムを構築しなければならない。さもなければ、「キャリア権」は個別企業からの忌避に遭い、決して実現し得ないだろう。まずは「キャリア権」を積極的に認定する方向に国が動き、一定のキャリアを構築した者には対価(然るべき給与)が保証されるシステムを構築しなければならない。厚生労働省の役割はこの点にこそあり、今の時代にあっては、労働組合問題等は二の次のテーマとなろう。即ち、個人の価値を増殖することにこそ、今後の労働政策の中心があるからである。

 

「キャリア権」を実効性あるものとするためには、「キャリア権」自体についての公認制度を定めなければならないと言える。この点、2007年11月16日に発表された厚生労働省「キャリア・コンサルタント制度のあり方に関する検討会」報告書(座長・諏訪康雄教授)は、働く者のキャリア形成の重要性を念頭に置き、専門職としてのキャリア・コンサルタント制度の構築を正面から提言している。

 

キャリア・コンサルタントとは、職業能力の向上や能力形成をめざす個人の抱える課題に対して、相談・支援を行う専門職である。2006年度末でキャリア・コンサルタントは4万3000人に達したというが、現状では、公的位置付けが与えられているとはいえ各養成機関による民間資格であり、玉石混交の感は免れないであろう。

 

同報告書は、キャリア・コンサルタントの「成果イメージ」を十分に描き切れていないとの指摘は聞かれるものの、統一的なキャリア・コンサルタント制度構築の意義を示したうえで、技能検定・能力評価制度的な統一的試験の導入を提言している。キャリア・コンサルタントに、「一定の能力水準にあることを公証するシステム」を用いることは、キャリア権概念を社会的に深化させ展開していくうえで極めて重要な具体策であろう。

 

非正規社員も対象に

▽企業と個人に求められる意識

キャリア権の社会的展開を考えるうえでは、次のことが因子になる。

 

第1に、企業の持つ風土・価値観等との、いわゆる相性(マッチング)の問題がある。個人も企業も、各々を取り巻く外部環境との互恵的関係を成立させなければ、「キャリア権」を認めたとしてもキャリアを通じた個人の幸せへはつながっていかない。

 

第2のテーマとしては、(1)個人に対しては「あなたは思想・信条・働き様・生き様等の働く価値観を他人に伝えられる明確な言語として保持しているか?」、(2)企業・組織に対しては「あなたの企業・組織は事業・ビジネスを行っていくうえでの価値観・こだわりを持っているか?」ということになろう。そして、個人は自己責任において、働く上でのWILL(夢・志)とCAN(強み・持ち味)を明確化せねばならず、企業は個人に求めるMUST(何をして欲しいか)の背景・必然性を人間社会および自然環境に対する価値貢献について明確にしなければならない。

 

▽安全配慮義務の上位概念

職人気質という言葉に代表されるように、日本人は昔から技を磨くことに熱心であった。これはまさにキャリア形成を意味している。企業の寿命が短くなってきた昨今、労働者のキャリア権の発揮のために企業は、社会人になってから学習の機会を求める労働者に、その機会を付与しなければならない。現在では、企業における夜学への通学の配慮が現実的課題として労務管理上しばしば登場しており、それを認めるべき方向に行きつつあることを労働専門家である者は誰しも気づいている。

 

「キャリア権」とは、安全配慮義務の上位概念である労働関係の保護義務が、本質的かつ具体的に展開された概念であると考えられる。労働者が職業能力を向上させキャリア形成をすることは、労働関係の本質的要素である人的・継続的な信頼関係を基礎として労働者に認められる利益である。このことは単に正社員だけの問題ではなく、非正規社員にも認められるべきテーマである。

 

企業は極力尊重すべき

本稿(上)で言及したとおり、「キャリア権」は労働権(憲法27条1項「勤労の権利と義務」)を踏まえた「職業選択の自由」(同22条1項)とも深く関係する。職業選択の自由のもともとの意義は、職業が生まれつき決まっていた身分制度を旨とする封建社会を否定する点にあるが、判例・学説によって企業と従業員間等でも保障されるべき権利となっている。そしてこの条文を現代的に読み替えるならば、その淵源は人間が仕事・職業を通じて人格形成を遂げることの重要性を明示した点に求められる。これこそが、職業選択の自由の根本的意義であると思われる。

 

そして、これをさらに推し進めれば、自由主義国家においては、自己責任でキャリア形成即ち人格形成を図っていかなければならないという当然の事柄を国民に示したということになろう。その結果、今後ますます企業は、従業員のキャリア権を極力尊重することになり、キャリアに対する配慮義務はいよいよ高まっていくことになろう。

 

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右上から時計回りに
2016年5月14日(土)10:50上信越道横川SAにてラベンダーを撮影 花言葉:「繊細」
同じく横川SAにてユリオプスデージーを撮影 花言葉:「円満な関係」
2016年5月20日(金)8:01芝公園にてヤマボウシ撮影 花言葉 :「友情」


 

第10回 美術の価値
(2015年10月26日より転載) 

 

秋といえば文化であり、とりわけ美術に親しみたくなる。

 

自らには備わっていないもの=美を求めて、人は美しいものに憧れを抱くのである。それが高じて美術収集家になる人もいる。私の場合、単に展覧会で鑑賞するだけではなく、世界各国旅した折に、その土地で気に入った絵画を100~150ドルほどの手頃な値段で購入することを楽しんでいる。

 

私が最初に絵に興味を持ったのは40年ほど前に池袋にあった古道具屋をある企業人から紹介されたことがきっかけだった。

 

その後、1989年に伊勢彦信氏らとともに日米美術協会を設立して活動したり、月刊誌『にっけいあーと』(現在は廃刊)に43回におよぶ連載「法律税金相談」を書いたりして(1990年4月~1993年10月)、自分なりのやり方で美と交わってきた。虚心坦懐に絵と向き合い、画家の世界にひたる楽しみは、何ものにも代え難い。芸術家の真骨頂は、魂を込めて何らかのメッセージを鑑賞者・大衆・社会に伝えることにこそある。風景画でも人物画でも抽象画でも変わりはない。画家の魂とメッセージが見る側にズシンと届き、受け止めた側の魂がこれに呼応したとき、両者の間で幸福なコラボレーションが成立したといえるだろう。

 

芸術家の表現活動が命がけである以上、見る側もそれを意識して鑑賞したいものだ。芸術家の命は果てても、すぐれた作品は残り続けるのである。

 

今年、没後15年を迎えた久住三郎(くずみ・さぶろう)君(1946~2000年)との思い出はたくさんある。私が孫田・高梨法律事務所のイソ弁時代に担当した顧問先企業が彼の実家で、まだ学生だった彼と面識を得た。優しく礼儀正しい青年だった。

 

彼は、慶應義塾大学法学部を中退して東京藝術大学美術部日本画家専攻に入学したという珍しい経歴を持つ。私は彼の人柄も作品も好きで、学生の頃から応援していた。彼は藝大で大学院、助手を経て、43歳でニューヨークに渡った。日本画家としてニューヨーク体験を持つ者は当時ほかにはいなかった。彼の作品は美しく静謐さをたたえるものだが、自身の内側からわき出る、やむにやまれぬ思いが形になったと感じさせる凛とした迫力を持っている。私は彼の魂とメッセージを私なりに受け止めたと思う。彼が初めての個展を開いたニューヨークの画廊「Vorpal Gallery」の主人は、彼の作品をボッティチェリの画風になぞらえたりもしていた。

 

現在私の手許にある作品「燃ゆ」(1998年)は、彼の絶筆だという。まさにこれからというときの、早すぎる別れだった。上野の森美術館・別館ギャラリーで催される「没後15年久住三郎」(11月17日~23日)で彼の作品にまた会えることは、この秋のうれしい再会である。

 

ところで、仕事で会社を訪問した折に、素敵な絵にふと気付くことがある。また逆に、私どもの事務所の絵の入替えに気付いてくださる方もいる。仕事の場であっても自然に絵画に接する機会を作るのは、メンタルヘルスのうえでも大切なことである。美とは均衡・バランスのとれたものであり、働く環境でも仕事自体でも、バランスを心がけることが総じて好結果をもたらす。緊張感とリラックス、厳しさと優しさ、競争的解決と協調的解決というように、相反する事象のバランスをとることが、私たちの日常で求められる仕事の美学なのかもしれない。

 

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2016年4月23日(土)13:44 熱海親水公園にてオステオスペルマムを撮影
花言葉:「無邪気、健やかな」 

 

 

株式会社開倫塾
代表取締役 林 明夫 

 

「仕事で人は成長する」

 

Q1:「仕事で人は成長する」という高井先生のお教えとはどのようなことでしょうか。

A:

(1)現代は知識が基盤になった「知識基盤社会」(knowledge-based society Knowledge Based Society,ナレッジ ベイスト ソサエティ)ですので、知識・情報・技術をうまく組み合わせて用いる能力が求められます。

 

(2)また、国境を越えてモノやサービス、お金、人が盛んに、激しく行き交う「グローバル社会」(Global Society)ですので、歴史・宗教・言語・習慣・風俗・思想・文化・価値観などが異なった「多様な集団で交流する能力」が求められます。

 

(3)更には、超少子高齢化、人口減少、国と地方の債務の巨大化、デフレによる大消費低迷、頻発する経済危機、台風や豪雨・大震災による歴史的な自然災害の頻発、気候変動、開発途上国における人口爆発、テロの恐怖、核兵器の存在など、人類や国家、地域社会が抱える課題が山積した「課題山積社会」ですので、「課題発見能力」「課題解決能力」とともに高い志を持ち続け「自律的に行動する能力」が求められます。

 

(4)仕事を通して製品やサービスを提供することの顧客・お客様にとっての意味・価値は、顧客・お客様の問題解決、突き詰めて考えれば、顧客にとっての価値を創造することにあります。

 

(5)そこで、

①「知識・情報・技術を相互作用的に用いる能力」

②「多様な集団で行動する能力」

③「自律的に行動する能力」

この現代社会の課題を解決する鍵となる3つの基本的能力は、顧客・お客様の問題解決、顧客にとっての価値を創造することを目指す仕事の場でこそ必要不可欠な能力といえます。

 

Q2:では、そのような能力をどのようにして身に着け、顧客の問題解決、顧客価値創造に貢献したらよいのでしょうか。

A:

(1)大いに学んで、成長する以外にありません。「仕事で人は成長する」という高井先生のお教えをよくかみしめ、顧客の問題解決、顧客価値創造のために、学び続ける以外にありません。

 

(2)例えば、私が、37年前に創業した開倫塾という学習塾では、顧客を塾生、保護者、地域社会と定義し、学校での成績向上と希望校入試合格のために学校で不足する教育を補う、徹底的に補うことを目指しております。

 

(3)その業務の第一は、授業による基本的な学習項目の「理解」(ああこれはこういうことなのかと、納得して腑に落ちる、よくわかること)です。

 

(4)開倫塾では、この授業における理解のために、毎回の授業の前には「授業の設計」を行い、その内容を授業の設計図「レッスンプラン」に書き込み、授業中に気付いたこと、授業後に授業を振り返り、反省して改善すべきと考えたことを、詳細にメモをし続けることを20年前から奨励しています。

 

(5)内容が練り上げられたわかりやすい授業は、塾生の理解の促進に極めて効果的です。顧客である塾生の「ここがよくわからない」という問題解決、顧客価値創造に直結します。

 

(6)このようにして作り上げたレッスンプランは、一人一人の先生にとっての「成長の記録」といえます。

 

Q3:このほかに「授業における理解」を促進する取り組み、先生として「仕事で人は成長する」取組みはありますか

A:

(1)開倫塾では、自分にとっての「教え方日本一」を目指すよう、すべての先生方に奨励しています。

 

(2)教育改革は、自分なりの教え方を工夫し、教え方日本一を目指す先生方が授業で熱心に教えることで成し遂げることができると考えます。

 

(3)この考えのもとに、開倫塾では、毎年5月の最終日曜日に、本社所在地であり、また、日本最古の学校、足利学校のある栃木県足利市において「全国模擬授業大会」を開催しています。「チョーク一本で教育改革を」を合言葉に、毎年、教え方日本一の先生と、教え方日本一の団体を選出し、表彰をさせていただいております。

 

(4)ちなみに、本年度「第11回全国模擬授業大会」は、5月29日(日)に足利工業大学付属高校をお借りし、午前10時から午後5時まで開催。

本年は、北海道から京都までの52名の腕に覚えのある先生方が出場し、36名の審査員と50余名の学生ボランティア審査員が審査に当たります。

英語・数学・国語・社会・理科の各教科で15分ずつ授業をし、教科ごとの予選を経て、各教科の優勝者5名が決勝戦に臨みます。

サイドイベントとして、各教科をすべて英語で授業する模擬授業大会も開催。今後、日本でも必要な英語による教科指導を奨励しています。

 

(5)この全国模擬授業大会は、年々参加者が増え、本年度は500名を超えると予想されています。また、全国各地でも同様の大会が開催され、本大会の審査委員長をお願いしている小川先生が塾長をお務めの愛知県野田塾では、6年前から「全国模擬授業大会IN名古屋」を盛大に開催。全国各地から参加者を得ております。

この「全国模擬授業大会」は、学習塾の先生のみならず、予備校、私立学校、大学、短大、専門学校の先生方にも少しずつですが知られ、留学生や公立学校の先生方にも参加いただくようになりました。

 

(6)授業の前に、レッスンプランに従って、一人で、また、同僚や先輩の先生方の前で行う模擬授業も、先生としての力量向上、先生としての成長に役立ちます。同時に、全国的な規模で、「教え方日本一を目指す」という同じ志を持つ先生方が集い、励まし合う「全国模擬授業大会」のような試みは、先生としての成長にとって最も役に立つ取り組みの一つと考えます。

 

Q4:学習塾以外で、「仕事で人は成長する」取り組みはありますか。

A:

(1)現在、顧問を仰せつかり、2004年から2010年まで社外取締役を務めた、栃木県宇都宮市に本社があり、ハノイとヤンゴン、ビエンチャンに現地法人のある、精密機械工業・手術用縫合針製造のマニー株式会社(東証一部)では、「世界一の製品を世界のスミズミに」を合言葉に、毎年、主力製品ごとに果たしてこの製品は世界一かどうかを徹底的に調査し、判定する「世界一か否か(いなか)会議」を開催しています。

 

(2)また、幹部社員の多くは、海外の現地法人の経営責任者として勤務の経験、「修羅場体験」をされています。

 

Q5:最後に一言どうぞ。

A:

福沢諭吉先生の「学問のすすめ」では、身分や貧富の差がつくのは学問をしたかどうかによるとの議論がありましたが、今日の社会では、顧客の問題解決、顧客価値創造をすることでお客様のお役に立つためには、仕事に必要なことを、その分野で最も熱心に学べる場で学び、成長する以外にない、「仕事で人は成長する」ことが肝要と考えます。

 

2016年5月25日7時18分

 

 

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右から時計回りに
2016年5月4日(水)13:03西早稲田1にて鈴蘭を撮影 花言葉:「再び幸せが訪れる」
2016年5月3日(火)8:14中目黒公園にてカーネーションを撮影 花言葉:「無垢で深い愛」
2016年5月3日(火)8:08中目黒公園にて昼咲月見草を撮影 花言葉:「無言の愛、自由な心」

 

 

第4回 注目すべきキャリア権(中)
(2008年1月28日転載) 

 

 

法政大学諏訪康雄教授が提唱されるキャリア権の概念が、前回紹介したように社会的にも法的にも急速に認知されてきている背景には、仕事に対する意識の変化がある。つまり以前は、とにかく就職すること・職業に就くこと自体が資産であると考える傾向が強かったが、現在では、自らが興味や関心をもって本気で取り組むことができる、即ち自己実現できる分野でのキャリア形成を目指し、人材としての価値をより高めようとする意欲が強くなってきている。ソフト化の時代には、組織内雇用そのものへの固執より個々人自身のキャリア展開が志向される傾向が強まるのである。

 

こうした変化は、企業にも社会全体にも成果主義的な評価が定着し、組織の中にあっても「個」としての能力が問われる時代になったことの反映である。どの世界での成果を上げて競争を勝ち抜くには非常な努力が必要となるが、「志」に支えられたパッションとも言えるような強い気持ちがなければ努力を継続して仕事をやり抜くことはできない。そしてこのパッションは、仕事への興味や関心や使命感等の内面にこそ支えられるものなのである。

 

人脈一覧表で内実探る

職業の選択にあたって、興味や関心を持てるか否かという基準が重視されるようになったことに伴い、キャリア権が一段とクローズアップされていくことは間違いない。仕事へのモチベーションが短距離走のエンジンであるとすれば、キャリアは長距離走のエンジンなのである。

 

日本のプロ野球選手のメジャーリーグ(MLB)への進出が顕著である。プロフェッショナルとしてのパッション、モチベーション、自己実現欲求からみても当然であり、日本のプロ野球界が選手のキャリア形成というものを軽視してきた結果とも言える。プロフェッショナル度が高い職業ほど、キャリア権は使用者のコントロールの枠組みをたやすく超えていく。併せて、本人のキャリア形成に関する客観的なアドバイザー機能が一層求められることになる。

 

例えばMLBの例で言うと、球団と選手との契約交渉には選手の代理人が必ず登場して、選手のキャリアアップをサポートする。松井秀喜や松坂大輔らの代理人は、本人の能力やチームへの貢献可能性を把握しMLB球団と条件交渉しつつ、彼らの語学習得や子ども教育への配慮までするという。これからは、日本のプロ野球のみならず日本の企業においても、MLBでの選手の例のようなキャリアのサポーター・アドバイザーの存在が必要になってくる。

 

また、キャリア権は企業における全ての労働関係の事象において展開されるべき基本的な論理である。諏訪先生が論文等で判例理論にも言及されながらキャリア権との関連性を解説されているのは「就労請求権」「配置・配置転換・出向・転籍」「年次有給休暇」等であるが、もちろんこれらにとどまらない。労働関係の基本的項目だけに限っても、(1)採用、(2)評価、(3)人事異動、(4)解雇等の局面でも問題となり得る。

 

(1)採用について

「採用」においては、①採用内定取消、②試用解約、③採用差別禁止等がキャリア権の問題と関連するが、ここでは採用の端緒である応募者からの提出書類に着目してみる。

 

日本の企業では、新卒採用と中途採用を問わず応募者に履歴書の提出のみ求めるのが通例であったが、近時では中途採用の場合には履歴書のほかに職務経歴書も提出させるのが普通になっている。職業キャリアを意識しての現象であり、職務経歴書の内容が採用・不採用を決するほどの重要な役割を担いつつある。そして職務経歴書にとどまらず、「人脈一覧表」の提出を求める企業もある。この試みは、経歴の中で「どのような人と交流・協働しながら、どのような価値貢献を果たし、結果としてどのような人の信頼を得たか」ということの重要性を意識するのみならず、応募者の職務経歴の真実性を探索する意味もある。要するに本人の単なる履歴ではなく、内実としての職務歴を承知しなければ、応募者の業績・人柄への信頼性の有無を正しく判断できない。採用内定取消等について詳述する紙幅はないが、それらはまさにキャリア権と直接にかかわりを持つものである。

 

「首切り」による断絶

 

(2)評価について

人事労務の基礎的概念である「評価の公正さ」如何は、キャリア権の侵害の有無という観点から判断されるべきである。

 

この点に関する海外の具体的事例として仄聞したのは、1980年代の西ドイツ(当時)の例である。従業員が円満退職で転職する際にはその者の職務経歴について、「どのよな仕事に就き、成績はどうであったか」等の証明書を元の企業が本人に交付し、次の企業では同じ職種でのキャリアが同様に認められる制度を国が保証していたという。次のキャリアを求めての転職が珍しくなくなっているわが国でも、こうした制度は検討に値するであろう。

 

その他の「評価」についても、キャリア権が機能している場面が数多くある。

 

(3)人事異動について

人事異動権の濫用について、現在の判例も学説も企業の業務上の必要性を判断する際に労働者の家庭事情等を斟酌するというパターンが定着している。しかしそれはあまりに矮小な世界である。人事異動権についても、労働者のキャリア権との対比において業務上の必要性の有無をまず論じるべきであるというのは、極めて正当な理論である。

 

米国等諸外国の例であるが、社内の空きポストが出ると、まずは社内で公示して社内からの希望者を募集することを企業側に義務付ける制度が確立しているという。これはキャリア権の発露の一場面として、わが国でも即実行可能なシステムであろう。この場合、本人の自己責任がキャリアアップの基本であるが、本人の希望を人事部門に自己申告させ、空き席の有無および人事部による適性判断でこれに応え得る人材と評価できる場合には、まさに自己実現への第一歩に近付くことになる。

 

(4)解雇について

解雇は「客観的に合理的な理由を欠き、社会通念上相当であると認められない場合」(労基法18条の2)は権利の濫用として無効になることも、キャリア権が大きく機能する事象であるといってよい。

 

日本人は解雇されることを「首を切られる」と慣用的に表現する。労働者にとって労働契約の解消がまさに「死」に値するという意味が込められているのだろう。そしてこれをキャリアの観点からみると、解雇によって本人のキャリアが今まで生きてきた組織内で断絶・中断されることはまさにキャリア発展を決定的に阻害する行為であり、実態を的確に示す表現であると言える。かくして組織を離脱することが「首切り」=キャリア断絶にならないような社会的仕組み作りが必要とされている。

 

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2016年5月3日(火)8時過ぎに中目黒公園にて撮影 上から時計回りに
椿 花言葉:「完全なる美しさ、至上の愛らしさ」
薔薇 花言葉:「嫉妬、友情」
ネモフィラ 花言葉:「どこでも成功」 アルメリア 花言葉:「思いやり」




第3回 注目すべきキャリア権(上)
(2008年1月21日転載) 

 


「知識労働者にとって仕事は生き甲斐である」(P・F・ドラッカー著『ネクスト・ソサエティ』)―この至言ほど、企業とそこで働く人びとに仕事の意味を示し、共感を得る言葉はないであろう。そして、このテーマを法的に説き起こしているとも言えるのが、「キャリア権」概念なのである。

 

キャリア(career)権は、労使関係論・雇用関係論はもちろん労働法学をも新たに基礎づける概念として、法政大学諏訪康雄先生が10年ほど前から構想されている画期的な権利概念である。現代では職業キャリアこそが働く者にとっての「資産」であるという視点から、キャリア権とは、職業をめぐる人間の自己実現の権利であり、「働く人びとが自分なりに職業生活を準備し、開始、展開することを基礎づける権利」であると定義されている(諏訪康雄「キャリア権の構想をめぐる一試論」日本労働研究雑誌468号<1999年>、「キャリア権は何をどう変えるか」同544号<05年>等参照)。

 

諏訪教授によれば、この権利は、理念としては憲法に根拠を求めることができるという。まずは憲法13条(幸福追求権)が最も根本的な基礎となり、さらには、22条1項(職業選択の自由)、25条(生存権)、26条(教育を受ける権利・学習権)、27条1項(勤労の権利と義務)等が根拠になるという。

 

素晴らしい着想と評価

実定法上も判例上も未だキャリア権という文言は登場しないものの、雇用対策法3条、職業能力開発促進法2条4号、男女雇用機会均等法2条、労働者派遣法25条等々では、キャリア権を念頭に置いた「職業生活」「職業生活設計」等の文言が用いられ、次第に具体的内容あるものとして展開されつつあるという。また、教育基本法3条、学校教育法21条10号等も職業キャリアを十分に意識した規定であるといえよう。

 

人事労務問題専門の弁護士として45年以上の経験を持つ私にとり、コロンブスの卵とでも言おうか、このいたってシンプルかつ明快なキャリア権概念には目から鱗が落ちる思いがした。

 

かつて、私は拙著「人事権の法的展開」(1987年有斐閣出版サービス刊)において、企業と労働者との労働契約関係を法律的に構成するには“組織法的な視点”が不可欠であるという理論を展開して人事権を構想した。これは当時は理解されにくかったかもしれないが、近年次第に認知されつつあると言ってもよいだろう。例えば、菅野和夫先生は「労働法(第7版補正2版)」66頁で、「労働契約による労働は企業という事業遂行の組織体の中で行われるので、使用者による労働者の組織的管理(いわゆる労務管理)が行われる。すなわち、使用者は、事業の効率的遂行のために労働の組織を編成し、そのなかに労働者を位置づけてその役割を定め、さらに労働の能力・意欲・能率を高めて組織を活性化するための諸種の施策を行う。これが、いわゆる人事権の中心的内容である」とし、組織法的視点の意義を説かれている。

 

キャリア権は、こうした構想に匹敵あるいは凌駕する素晴らしい着想であると評価し得る。総人口も労働力人口も既に減少局面に突入しているわが国においては、労働生産性を向上させることが喫緊の重大テーマである。企業における人事労務は、成果主義を前提としたうえで、改めて「集団主義」の意義を認め、連帯してチームワークで仕事をする利点を見直す必要に迫られている。個々の労働者の能力も組織としての業績も、相互に高め合いながら向上するためには、「組織法的理論」と「キャリア権」という2つの概念が共に必要不可欠となる。

 

思えば、私がキャリア権に直感的ともいえる大いなる納得感を抱いた遠因は、少年時代に読んだリンカーン伝にあるかもしれない。彼は大統領に選出されたとき、人事の推薦をしてきた者に向かって「あなたが推す人は卑しい顔をしているから登用できない」と極めて明快に回答したという。リンカーンは「責任ある仕事を為し遂げた経験は、必ずその人の容貌に表れる」と喝破し、“仕事が人を作る”という事実を端的に示した。

 

キャリア権概念は、仕事で得た経験知こそが、単なる財産に留まらず人格的な「資産」・法的保護に値する「資産」として評価されるべきであるとするが、この点こそが企業がキャリア権を意識しなければならない第一の理由であるといってよい。

 

諏訪先生に直接お会いしてキャリア権についてご教授賜り、私はそれまで自分が執筆等で展開してきた考え方への明解な理論付けを与えていただいたと感じ、得心がいった。

 

従属労働からの脱却

パスカルの言葉「人間は考える葦である」が名言として残っているのは、独創的に「新しく考えること」が非常に難しいからでもある。フットワークからヘッドワーク、そしてハートワークへと移行していく現代社会の状況をみるにつけ、単なる考える葦ではなく、それこそキャリア権という抽象的な概念ではあるが、それを認定して、様ざまな形で労働関係の規律を構想すべきであるという指摘は極めて優れたものである。

 

ところが、労働法学者は諏訪先生のこの素晴らしい着想に対し反応が鈍いというのが実情であるという。最近では幾人かの学者はこれに着目するようになったと伝えられるが、労働法学者の本流が、労働関係の根本的な価値であるキャリア権を無視あるいは冷笑し続けることは遺憾である。小生は、諏訪先生ご提唱のキャリア権の定立のために、ささやかなお手伝いをしたい。それは労働者の権利概念という小さな枠を超えて、日本の産業社会の発展に資するものと確信するがゆえである。

 

キャリア権が学会で注目されていないことは、使用者がキャリア権を忌み嫌う所以をともなっている。しかし、労働者の自立性を確立し、従属労働からの解放を目指すという労働法の根本理念の実現のためには、このキャリア権概念を認知していくことこそが、実は全勤労者のあるべき姿を実現する手法であり、そして、全勤労者の自立を促すことこそが、産業社会の生産性を高め、企業が社会的な役割を一層果たすことにつながるのである。キャリア権のこうした機能に着目すれば、使用者がキャリア権を積極的に肯定する努力をしてこそ初めて、日本の産業社会は新しい時代を迎えることができると言えるのである。

 

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2016年4月9日(土)12:19 長野県松本市島内にて野沢菜を撮影
花言葉:「活発、快活」




第9回 勉強
(2015年9月28日より転載)

 

戦後の日本の教育の最大の欠陥は、教える立場にある教員に対して、教え方を専門的に教授していないことにあると思う。教え方を知らない教員は、児童・生徒・学生に学び方を教えることができないために、児童らは学び方・勉強の仕方を知らないまま長じてしまう。このように日本の社会全体が勉強の仕方を真に学んでいないことが、日本人の進歩を停滞させている根本原因ではないだろうか。

 

折しも、日本の高校生は米国・中国・韓国と比べて自己評価が著しく低いという調査結果が報道され、非常に気になった(国立青少年教育振興機構・8月28日発表)。高校生の生活の中心は学業であることを考えれば、勉強をやり抜いたという実感と自信が持てない者が多いことが、自己肯定感が低い大きな要因であると思う。

 

私の経験でいうと、豊かな人生を送り、仕事でも賞味期限切れにならず第一線で活躍し続けている人は、とにかく勉強家である。もし勉強法を身に付けていなければ、学生も社会人もどのように勉強してよいか分からず、成長は望めないだろう。

 

私が実践している勉強法は、まず自分でテーマを定め、そのテーマに関する事項を徹底的に調べ上げ、考え、疑問点をつぶし、重要なキーワードを収集することから始める。そのうえで、多くの資料をもとに自分自身の思考をめぐらせ、独創的な発想を構築するのである。つまり、大部の資料郡から自分の感性・理解・判断に照らして良いと思う要素をすくい取って真似てみて(真似ぶ=学ぶ)、最終的には、手垢の付いていない斬新な独自の思考と表現を確定するために、何度も推敲を重ねて文章化する。この過程でいつも感じるのは、勉強とは自分を磨き自己革新を図り続けることにほかならないということである。

 

弁護士の場合、依頼者の利益を実現するためには、相手方の弁護士を凌駕する勉強を必死でこなさなければならない。加えて近年では、裁判例のデータベースはおろか、大きな事件では人工知能の強力な情報処理能力が証拠の探索等にフルに活用されることも珍しくなくなっているから、勉強の質も常にブラッシュアップする必要がある。

 

勉強の本質は、自分で考え抜いて理解し、トレーニングを重ねて知識・知恵を身に付けることだが、勉強法も内容も時代とともに変容を遂げるのは当然である。あらゆる仕事について常在戦場であるためには、時代の変化に即した勉強を続けなければならない。IT等の新しい知識や最新の社会の動向が分からなければ、進んで若い世代に教えを乞う謙虚な姿勢も重要になる。まさに下問を恥じず(『論語』公治長篇)の理念の実践である。

 

「我以外皆我師也」(我以外、皆、我が師なり)とは、『宮本武蔵』などで知られる作家吉川英治(1892-1962)の造語であるというが、こうした謙虚な心がけが勉強には大変重要であると思う。

 

私は、多種多様なテーマに関する自分の考えを文章化して論稿や書籍にまとめて発表することが、多少なりとも社会貢献につながると信じて、これを勉強の大きな目標としていた。勉強は怠け心との戦いでもある。どの様な仕事に就いても、自分なりの確固たる目標を定めてキャリアを向上させるべく勉強し続けることが、自分自身を日々新たにし社会に貢献する結果をもたらすことを、読者の皆さんに改めて強調したい。

 

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2016年4月9日(土)14:19 初狩PAにてシャガを撮影
花言葉:「反抗、友人が多い」



株式会社開倫塾
代表取締役 林 明夫

 

「数少ない統一ある刺激は、数多い散漫な刺激に勝る」

 

1.

(1)「企業は、原則、倒産。昨日のように今日があり、今日のように明日があると考える企業に、明後日は来ない。」

(2)この「企業は原則倒産」の高井先生のお教えに、勝るとも劣らないほど重要な高井先生のお教えが、「数少ない統一ある刺激は、数多い散漫な刺激に勝る」のお教えだ。

 

2.

(1)企業を取り巻く経営環境は、毎日毎日、目まぐるしく激しく動き続ける。

(2)テロや、原油価格の変動、株式相場や為替相場の変動に加え、熊本や大分の大地震のような大きな自然災害に見舞われることも多い。

(3)ほぼ完璧と思われていた自社の生産・販売体制も、製品の開発段階での検査担当者の手抜きでリコールや販売中止に襲われる。

(4)海外での営業担当者の同業他社との談合は、場合によっては100億円単位での課徴金で、会社全体の経常利益を吹き飛ばし赤字転落させる。担当者や監督責任者は数年間収監され、人生に汚点を残すと同時に、企業イメージを著しく失墜させるに至る。

 

3.

(1)今やらねばならないことを明確に決定し、優先順位を明確につけながら粛々と行動し続けるのが、経営最高責任者の役割だ。

(2)この時に大切なのは、目の前に生起する様々な経営課題にいちいち反応し、その場の思い付きで様々な指示命令を出し続けないことだ。

(3)明確な方針を決定し、関係する誰もが耳にした瞬間に理解できる物事の本質をわかりやすい表現で「ズバッ」と示すことだ。

 

4.

(1)あれもこれもと、次から次へと目まぐるしく出される指示ほど、現場を混乱させ、社員や経営幹部のやる気を阻害するものはない。トップの混乱が、売り上げ阻害要因にもなりかねない。

(2)これが「数少ない統一ある刺激は、数多い散漫な刺激に勝る」という高井先生のお教えの経営戦略的な意味だと私は考える。

(3)では、この「数少ない統一ある刺激」はどのように生み出せばよいのか。経営者としての感性をどのように練磨したらよいのか。

 

5.

(1)高井先生ほど、新しく生じるありとあらゆることへの強い関心をお持ちの方はいない。高井先生にお会いするたびに聞かれるのは、「何か新しいことはないかね、新しいニュースはないかね」というご質問だ。参考になると思ったことは、いちいち確認を取りながら、その場でメモをなさる。

(2)同時に、高井先生ほど、一度これと決めた評価の基準に基づき物事を判断なさる方はいない。景況の判断をするには人の動きがどうなっているかを知ることが重要で、そのために「タクシーの乗車率」を毎月ご覧になっておられたのも高井先生だ。

(3)新聞報道の基本に調査報道という手法があるが、高井先生の情報収集は新聞記者の調査報道そのものだ。真実は何かを自分の目で見、確かめ、物事の本質に迫る。メモをし続け、データを収集し、その結論を一言で言い表す。これが「数少ない統一ある刺激」を生み出す源泉だ。

 

6.

(1)高井先生ほど、美しいものをこよなく愛する方はいない。

(2)絵画、植物、小説、エッセイなどの美しい芸術作品、自然、文学作品は、感性を豊かにし、言語を研ぎ澄ます。

(3)特に、歴史小説や、日本や中国の古典を読み、親しむことは「数少ない統一ある刺激」を生み出すのに不可欠だ。

 

7.

(1)最後に、「あれもこれも」の「数多い散漫な刺激」を出し続けることに陥ることなく、物事に優先順位をつけるのに最も役に立つのが、高井先生おすすめの「想定問答集」だ。

(2)ありとあらゆる場合を想定し、最悪の事態に備えるときに最も役に立つのが「想定問答集」で、この作成は、法律の実務家だけではなく、経営者の基本動作でもある。

(3)私は、慶應義塾大学法学部法律学科2年生の時に、法思想史のゼミで、当時学部長をしていた峯村光郎先生から「法律を学ぶ法学徒は、いつも最悪の場合を予想して行動するように」と言われ続けた。

(4)弁護士をしながら司法試験の受験生を森圭司というペンネームで指導していた弟の故林俊夫も、いつも詳細極まる想定問答集を作成していたことを思い出す。

(5)この想定問答集こそが、高井先生が教えてくださった「数少ない統一ある刺激」を生み出すのに最も役に立つものの一つかもしれない。

 

以上、ご参考まで。

 

2016年4月26日(火)香港で記す

 

 

開倫塾のホームページ(www.kairin.co.jp)に林明夫のページがあります。

毎週、数回更新中です。

お時間のあるときに、是非、御高覧ください。

 

 

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2016年4月9日(土)14:19 長野県旧開智学校にて桜を撮影


 


第2回 格差問題の根本原因(下)
(2007年9月24日転載)


 

 

矛盾・軋轢を乗越えて

前号で指摘したとおり、自由主義社会はもち論およそどのような社会であっても、程度の差こそあれ「格差」は必ず存在する。そして、企業内における格差は、人の集団=組織につきものである矛盾・軋轢・相克・葛藤等を生み出す大きな要因となる。企業経営にとっては、これら“きしみ”を乗り越えて、いかに従業員全体に一体感を醸成し、企業理念・事業目的の実現に邁進する態勢を築くかが、人事労務上はもち論経営の最大のテーマであると言ってよい。それゆえ、企業は内なる「格差問題」に十分に意を用い、企業活力を削ぐような分裂を回避するシステムを構築しなければならないのである。

 

そこで、個々の「格差」の存在を前提とした上で、企業が活力を持ち続ける方策を探っていきたい。

 

企業組織の一体化を図るには、①「競争的解決」と②「協調的解決」という2つの対照的な選択肢がある。従来の日本企業の人事労務は、協調的解決を旨としてきた。その行き過ぎた現象が、年功序列主義やいわゆる護送船団方式である。これらは「協調」を重視する余り、競争を阻むこと自体をも目的化してしまい、組織に“ぬるま湯”状態を作り、日本社会の衰退の根本原因ともなった。その反動として、90年代半ば頃から、成果主義に代表される「競争的解決」が企業に導入されるようになった。成果主義は、個としての従業員らに仕事の成果を競わせ、積極的に格差をつけることで組織を活性化し、一体化を進めようとした。

 

しかし、企業活動には、従業員らが統一的意思のもとに団結して勝ち抜くことが必須であって、これは競争的解決である成果主義と必ずしも両立しない。組織が窮地に陥ったときに、「打って一丸となりこの難局を乗り切ろう!」と呼びかける経営者の言葉にこそ、企業の本質がある。つまり、「様ざまな対立の中で、肯定点を見出して前進し続けることが、新しい舞台に到達するための原点である」としたヘーゲルの言葉のように、競争的解決をとっても、結局は協調的解決を図らなければならないのだ。協調的解決を旨とした人事労務が破綻した今日、これからは競争的解決をも期さなければならないことは時代の必然であるとしても、双方の両立を目指す仕組みを実現しなければならない点に、特別の難しさがある。

 

その見直しのヒントは、日本の社会でかねて意識され発展してきた「どう道」の精神にあるように思う。武士道、柔道、剣道、華道、茶道等々に倣い、物事の在り方の本道を追究する姿勢を、企業における全ての分野に確立していくのである。この「どう道」という発想は、同質的かつ協調的な「和」を尊ぶ社会・組織に身を置きながらも、人間の成長の根源である「向上心」を存分に発揮させるための装置であると言える。そこには、同調性の中で道を究めるために技と精神性を磨き、他社とも競い切磋琢磨する姿がある。「どう道」とは、言わば「協調」と「競争」とが高次元で結ばれ一体となった世界である。そしてこの考え方は、競争的解決を旨とする現代社会でも十分通用するのである。企業においては、確固たる企業理念こそが、競争と協調を両立させる触媒となるであろう。

 

教育行政の無策が響く

さらに、いかなる職種・企業であれ、従業員各人に仕事に対する「誇り」と「志」を確立させなければならない。かつての日本人は、どのような職種に従事しようとも、自分の役割を立派に果たすことで企業や社会が成り立っているという誇りを持ち、自己実現していた。最澄の「一隅を照らす、これ即ち国宝なり」という思想が、無意識のうちに人々の行動規範に取り込まれていたのである。ところが今は、「誇り」や「志」は失われ、仕事を遂行する態度にも「その場しのぎ」「事なかれ」「成り行き任せ」の姿勢が蔓延している。

 

フリーターやニートと呼ばれる層が増えたのは、仕事に対する誇りを教えずに放置したわが国の教育行政の無策の結果であるといってよい。幼少期から、「一隅を照らす」の思想を実践し、仕事に対する誇りを持たせることこそが教育の原点であり、そうした教育カリキュラムを実施することが、絶対的に必要なのである。

 

また、マニュアル経営やシステム経営に偏った日本の企業研修の方法では、矛盾発券能力はもち論、問題発見能力・問題解決能力・実行力がない人物ばかりが生まれる。これは、「どう道」のレベルとは程遠い。それぞれの従業員に誇りと志を育成するとともに、それぞれの独自性と総体としての企業文化を育成していかなければ格差問題は到底解決できないであろう。

 

個々の能力に応じて格差が生じるのは当然であることは、「公平・公正な評価」の重要性が一層高まることを意味する。「公平」とは企業内の秩序として適切であるということであり、「公正」とは社会的秩序において合理性を失わないということである。もし評価が正しく行われないのであれば、格差に対する怨嗟の念が生じて、従業員らはやる気・意欲を失うであろう。これまでの日本は、年齢や勤続年数という安易な基準を用いて納得感を得ようとしてきた。しかし、グローバル化が進み、知的労働の比重が高まるにつれて、年功序列的な基準は日本の発展を妨げる問題として認識されてきている。

 

では、評価の在り方を再分析し、公平かつ公正な評価システムを構築するためにはどうすればよいのか。それには、①まず評価は主観であると割り切り、客観的な評価など有り得ないということを明確に意識する。②そのうえで、その主観が恣意に亘らない公平・公正なものであるための方途を考える。主観から恣意性を排除し、判断の公平さ・公正さを担保するためには、司法制度が大いに参考になるだろう。ⅰ「法治主義」に倣い、「就業規則」等の規定類の内容を整備し、遵守する、ⅱ裁判の「合議制」に倣い、複数の人間が評価を行う制度にする、ⅲ裁判の「三審制」に倣い、不服申し立ての制度を作る、ⅳ裁判の「公開原則」に倣い、評価の透明性を確保する。

 

こうした工夫によって公平・公正な評価が得られれば、格差があってもそれを納得して受け容れ、働き甲斐・生き甲斐を感じながら、より生き生きと働くことができるのである。また、評価を通じて仕事に対する誇りや自分の技能・技術に対する独自性や優位性を確立していくことは、個人の努力のみに依拠してはならない。企業内でも、キャリア教育を熱心に実践して、職業人としての誇りや、これを支える独自の企業文化を形成するために、仕事の上(on the job)で教え込む必要がある。企業経営に携わる者は、「教育」と「評価」に時間を割き、費用と手間を惜しまないことが従来以上に重大なテーマであるという意識を持つ必要がある。

 

競争的解決か協調的解決かということに始まり、職業に対する誇りと技能と技術を究める「どう道」の視点や、評価の問題、キャリア教育の重要性について述べてきたが、これらの精神を貫徹することを通じて、格差問題を克服できる方途が初めて緒につくことになるだろう。

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