- 今、話題のテーマについて各界で活躍している方々と対談をする一問一答形式のブログの第22回目です。
- 第22回目は、シンガーソングライター・自営業 ボビン・マン・バジュラチャルヤ様です。
■ ■ ■ ■ 時流を探る~高井伸夫の一問一答 (第22回)■ ■ ■
シンガーソングライター・自営業
ボビン・マン・バジュラチャルヤ 様
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[ボビン・マン・バジュラチャルヤ様 プロフィール]
生年月日:1976年4月17日、出身地:パタン、カトマンズ盆地、ネパール
ヒマラヤのふもと、カトマンズ盆地の南に位置する古都パタンの大乗仏教お坊さんと金属職人を営む家系のもと生まれる。
1996年10月、アルバム『Heroes Of Dream』を発表。2000年2月日本での初アルバム、『SAMSARA bobin』をMONSOONRECORDよりリリース。2001年春、日本で2枚目となるアルバム『bobin and the mantra』をリリース。2002年7月に台湾の音楽フェスティバル『HO_HAI_YAN』に出演。ネパールに帰国。2003年春、台湾でアルバム『Soul Rhythm』リリース。当アルバムが台湾の金曲賞にノミネートされる。2003秋、2004年夏に台湾ツアーを行う。2004年冬、音楽活動の拠点を日本におくために来日。2005年春、アルバム、『Songs Of Love』をリリースし、Earth Day Main Stage、Fuji Rock Festival、Risining Sun Rock Festivalなど日本の大型音楽フェスティバルに出演する。2007年6月、日本で代表曲"Slow Burning"を収録したアルバム『Rainbow Vibaration bobin』を発表。
2007年ネパールで伯父が営む工場で音楽関係のTシャツ生産を開始。同年、日本で(株)スローバーニンを設立。その後、2010年2月まで日本を拠点に音楽活動と会社運営に励む。結婚を経て、子育てはネパールでしたいとの思いから2010年3月ネパールに帰国。地元パタンで現地生産のみのセレクトショップ、アパート、フリースペースを含んだ独自の店、『Melting Pot』を開店。
2015年のネパール地震後、カトマンズの中心街タメルにTシャツ屋を移転。ネパールに住みながら、定期的に日本での音楽ツアーを行う。ネパールでも音楽活動中。2017年9月カトマンズ・タメルに新たにTシャツ屋を2店舗オープンさせ、現在に至る。

(写真は左からボビン様、高井、角様)
ボビン君との出会いは、2002年8月に知人と訪れた赤坂の沖縄現代料理店「紅い花」で、皿洗いのアルバイトをしている当時25歳の彼に声をかけたことがきっかけです。私は、同年11月20日から24日にかけて25名からなる「桃源郷を訪ねる訪問団」の団長としてネパールを訪問する予定があり、ボビン君がネパール・カトマンズ出身と聞き、秋にネパールを訪問予定である旨お話しました。すると彼は「10月にはネパールに帰国するので、11月20日にはカトマンズの空港でお待ちしています」という言葉を返してくれ、実際にカトマンズ空港で我々一団を出迎えてくれたのです。その後も親交を続け、シンガーソングライターとして活躍する彼をささやかながら応援させていただいております。
ボビン君についての過去のブログご参照ください。【交友録 その9】9月第1週<8月28日(日)~9月3日(土)>
[今回のインタビュアーは以下の通りです]
取材日:2017年8月8日(火)於:中国飯店市ヶ谷店
高井
ネパールの地方選挙は終わったんですか。
ボビン様
地方選挙が3回に分かれてしまったんですが、僕のところは、もう終わって、20年ぶりに市長も決まりました。ただ、まだ1州(One State)が終わっていないので、そこが終わらないと完全に終わったとは言えません。
高井
地方選挙はまだ終わってないとして、国の選挙はいつやるんですか。
ボビン様
国の選挙は、もうちょっと先だと思います。今、やっと憲法ができました。それでもインドの圧力がいろいろとかかっています。実際、この20年の間に、1,000万人ぐらいのインド人がネパールの国籍を取得していると言われています。ネパールの人口が今、3,000万人ですね。その3分の1はインド人です。
高井
ネパールはインドの影響が大きいようですが、お隣のブータンはどうなんですか。
ボビン様
ブータンは、割と安定しています。ブータンの国王は、Gross Domestic Happiness(国民総幸福量)を提唱して「ブータン」のブランド化に成功しました。ブータンはインドに政治的影響を受けつつも、自身のアイディンティティーを確立させていて、政策がスマートだと感じます。
インドは、領土問題などで中国と揉めていて、中国とインドの間にあるブータンとネパールをコントロール化においておきたいんです。インドのモディは、過激ヒンズー教でネパールがヒンズー王国になるんだったら、王制を復活させてもいいという気持ちがあると思います。モディだけでなく、インドにはRAWというシンクタンクがありますが、RAWも、ネパールと合併してもしなくてもいいから、自分のコントロールできるリーダーをネパールに作りたいと思っています。
高井
ネパールにインドの言いなりになるリーダーがいるんですか。
ボビン様
いっぱいいます、それがネパールの問題なんです。国民はすごく頑張っているんですが、政府がインドの顔色を窺っている。ネパールは90年代に王制が弱くなってから、だんだん、だんだん政策もでたらめになっていったように感じます。
高井
2015年に地震がありましたが、観光への影響はどうですか。
ボビン様
地震の前に少し、観光客の数が増えていたんですが、地震の後、当然激減しました。4月に地震があって、8月まで全然駄目で9月からは徐々に良くなったんですよ。地震の後のネパールを見たいということで観光客が増えたんですが、9月末からインドに国境を封鎖されてしまってしばらく全くダメでした。それからやっとよくなりはじめて、今年はこれからシーズンに入るので、どれくらい来るのかまだ分かりませんが、ホテルは空室がなくなっていると聞きます。
角様
地震でお寺とか随分つぶれちゃったと言いますが復興は進んでいるんですか。
ボビン様
お寺を修復する伝統的な職人も、まだまだたくさんいますのでお寺は復活できると思います。地震があってもネパールでは暴動が一切起きなかったんですよ。そういう点でも焦ってる人は誰もいないですね。復興は、ゆっくりですけど進んでます。
高井
ネパールではバーや何か盛んですか? クラブやキャバレー等はどうですか。
ボビン様
昔みたいな、踊るところは、だんだん減っています。もっと若者が集まるライブハウスのようなところは、たくさんあります。ジャズのフェスティバルとか、ブルーズのフェスなど。
僕も1つ「Shanti Utsav(シャンティ ウトサブ)」というイベントを主催しています。シャンティは平和で、ウトサブは祝うという意味です。心の平和を祝うというテーマです。イベントでは友人である日本人のキャンドル・ジュン氏と一緒にキャンドルアートをやったりしています。
カトマンズにはストリートチルドレンがいるのですが、彼らに職業訓練として竹細工を教えたり、キャンドル・ジュン氏が、キャンドルを教えたりして、販売するにまで至っています。そのキャンドルを7世紀のお寺に灯して、中庭で僕らが音楽をやったりしています。次のイベントは11月中旬を予定していますが、過去には北海道のアイヌのミュージシャンOKI(オキ)氏を呼んでライブを開催したりしました。OKI氏はアイヌの楽器「トンコリ」の奏者で、古くからの友人だった縁でお招きしたんです。
高井
音楽活動に、ストリートチルドレンへの職業訓練。ボビン君の本業、ビジネスは何をやってるんですか。
ボビン様
僕は日本にいるときから、音楽活動とTシャツの販売の両方をやっています。音楽活動の方は、実は今年も日本でフジロックに出る予定だったんですよ。ネパールのタメルという町に2つのTシャツのお店を3月にオープンする予定だったんですが、ビルが完成してなくて、延びて、延びて、延びて、9月になってしまった。それで、7月末のフジロックに行けなくなって、キャンセルしたんですよ。
日本でのTシャツの販売のビジネスは、東日本大震災が起こる前までは、どんどん伸びていてすごく良かったんです。今は駄目ですね。地震後は、ネパール自体への注文がどんどん減ってるんです。日本人の最近の傾向として、あんまり洋服にお金かけなくなっちゃったっていうのが一番の理由だと思います。ただ、高級で高額な洋服は売れているらしいんです。昨日お会いした方は、5万円~10万円くらいの高級なシャツを作っているて、イタリアで5万~10万ぐらいのシャツを作っているんです。それをネパールで作れないかなという相談をしました。100%麻で、ビジネスマンが夏に着られる服。日本で作ると10万円を超えてしまうので、イタリアのシャツに勝てないんですね。そういうマーケットは健在していますが、僕らが売るのは、シャツ1枚8,000円とか、1万円。その価格帯は、需要がものすごい低下しました。高級品を作るか、もう、3,000円、4,000円のを作るか・・・。実は、ある方とネパールで繊維が作れないか、相談しているところなんです。
高井
ネパールで作る繊維とは、何の繊維ですか。
ボビン様
麻とイラクサです。イラクサというのは、雑草なんですが、ネパールでは、昔から紐を作ったり、洋服にしたり、食べたりしてるんです。すごく栄養があって、ちょっとねちょねちょしていて、煮てから食べるんですよ。そのイラクサから繊維が作れないかと。今は繊維を中国から輸入して、それで生地を織ったりしているんですが、コストが合わないんです。
角様
繊維を作るっていうのは、技術を導入するっていうことですか?
ボビン様
そうですね、おそらく工場を造るなどで10億円規模のプロジェクトになるので、結局、政府の協力がないと、個人ではちょっと大変です。権利関係とか、手続き等、今調べているところです。伯父が25年くらい前から縫製工場を経営していますが、今、繊維をネパールで生産できれば色々と一番スムーズにいく段階なんですね。ただ、今のネパールで作る繊維は古いスタイルのままなので粗いんです。
角様
麻やイラグサはネパールでたくさん生産されているんですか。
ボビン様
ネパールは、麻、イラクサの産地です。うちは縫製工場なので、やっぱり、麻の布で何かしたいというのが一番のメインです。ネパールでは、麻の栽培は禁止されていますが、実情は政府がコントロールできないぐらいあちこち至るところで栽培されています。5年ほど前の報道ですが、南ネパールの麻、種類がヒマラヤとは少し違って薬にも使える麻が、ネパールから60億円分もインドに密輸されてるそうです。医薬会社が、原料として使うために密輸してるらしいんです。毎年60億円分も密輸されてるんだったら、ちゃんと合法化して税金を取ったほうが、もっといいんじゃないのかという意見の記事でしたが、その状況はいまだに続いてるんです。
高井
音楽活動と、Tシャツのビジネスの他は何かやっていますか。
ボビン様
実は、ネパールの山間部に6,000坪ぐらいの土地を買ったんです。まだ車道がなくて、車道から5分くらい歩いて登らないといけないんですが、水源もあります。そこでトウモロコシの種をまいた1週間後に地震がきて、農場に2軒あった家が潰れちゃったんです。ぺしゃんこに。しばらく落ち込みました。それでその後フルーツの木を100本くらい植えたんです。今度帰国したら、車道を造ろうと思っています。車が入れるようになったら、自分たちの食べ物だけでも作ろうかなと思っています。他にもショウガとか、そういう乾燥できるもの作って、輸出できたら輸出もしようかなと思っています。来年ぐらいには農業の会社を1つ設立しようかなと思ってるんです。
高井
ネパールの将来は明るいと思いますか。
ボビン様
将来は明るいと思っています。ネパール人はネパールが好きなので、政治が安定していけばと願っています。ネパールはいろんな文化が混ざって、いろんな人種が混ざっています。地震のちょっと前は中国人観光客が多かった。今は南米系、メキシコ人とか、ベネズエラ人や、ベトナム人も増えてるんです。常に誰かしらネパールを訪問・観光しています。
ネパールは、シンプルな政策を取ればいいなと思っています。フリーポートみたいに、シンガポールみたいにすればいいんですけれど、それはインドにとっては都合が悪いので、政治家は斟酌しています。国民自体は、一回ネパールに来てみたらわかると思いますが、すごくリラックスしてます。パタンにも、おしゃれなカフェや宿ができて、町の雰囲気はすごくいいですよ。ネパールの発展には、日本とかヨーロッパとは異なる文化的な発展が、もっと重要になってくるかもしれないですね。まあ、未来は明るいと思いますよ。
高井
最後に、ネパールに日本人が行って、一番興味がある所どこでしょうか。
ボビン様
やっぱり、山、自然ですね。去年、標高5,000メートルのところにあるティリチョ・レイクという湖を見に行ったんです。自然は、もう涙が出るほどきれいです。ぜひ見に来ていただきたいです。
以上