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2023年2月10日
訃報

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※()内は花言葉
<上段>2015年1月28日(水)14:36 港区赤坂1丁目にて撮影
水仙(私のもとへ帰って)とプリムラ(永続する愛情)
<下段左>2015年1月28日(水)14:37 港区赤坂1丁目にて撮影
バラ(魅惑)
<下段右>2015年2月1日(日)7:38 渋谷区代々木5丁目にて撮影
ジャノメエリカ(博愛)

 

お客様は困っていること、分からないこと、気掛かりなこと、を必ず持ち合わせている。それらを聴いて、解を与える、方向性を提示するのも説明責任の一つである。誰しも完全無欠なことはないのであるから、不利益なことを早く話してもらい、そうすることで、防御・攻撃方法がより進化する、すなわちお客様にプラスになるということである。そして、それによってお客様が納得する、安堵する、ストレスが軽減する。これが、弁護士の仕事として大切なことである。

弁護士はお客様のために働かねばならない。しかし、顧客の立場だけを考えて弁護士は活動してはならない。弁護士は法的な立場から顧客の利益を考えるものである。即ち、弁護士はリーガルマインドがあってはじめて、弁護士たる仕事ができる。お客様のためにとは、「自分自身のリーガルマインドに沿って対処すること」である。

現代社会はリスクに満ちている。特に企業は、多くのリスクを抱えているのが必定で、これらの緻密な分析・検討なくしては経営が成り立たない。企業から依頼を受けた弁護士は、多かれ少なかれビジネス上の判断にも関わりを持たざるを得ない。しかし、リスクを考えて何事も違法と言いがちな弁護士が多い。リスクを取らない弁護士が多いということである。それはそれで、弁護士として存在する意味はあるが、お客様にとっては満足できない弁護士である。弁護士はリスクがあるのかを見極め、そのリスクを乗り越える工夫をしなければならないということである。それは、取れるリスクと取れないリスクを分別するということでもある。取れるリスクとは、状況を変化させて今あるリスクを失くすために、新しい条件を設定するなり、リカバリーショットを打つなりすることである。お客様は法的トラブルをかかえているが、弁護士がリスクを回避することのみに汲々としていては、お客様の発展はない。リスクを取ってこそ今以上に有利な立場になるからである。これを取らないということは、クライアントの満足を得られない。弁護士に依頼するからには今以上に優位に立ちたいというのがお客様の心理だから、リスクを取らない弁護士はそれに応えられないということである。故渡辺美智雄氏は官僚を前に「大事(だいじ)は『七分の道理、三分の無理』で成る。君たちは道理を徹底的に追求しろ」と檄を飛ばした。弁護士も、無理と思える現実のなかにも価値観の変容を察知する鋭敏な感覚を磨き、お客様のためにリスクを乗り越える気概を持つべきである。

「ハイリスク・ハイリターン」という言葉があるが、大きな危険を冒すほど大きな利益が期待できるという意味である。「ノーリスク・ノーリターン」では、競争には勝てない。なぜなら、リスクのない競争はあり得ないので、リスクをとらないのであればそもそも競争の場に上がってすらいない。競争社会の中で生き残っていこうと考えるのであれば、リスクを冒すのは、いわば当然のことだ。例えば、訴訟において敗訴しそうな時に依頼者に和解を促すのも、それに当たる。そして、依頼者が和解の勧めを受けなかったとしても、最終的には弁護士の信用を強めることとなるだろう。リスクを冒すときには、苦渋の決断を迫られることもあるが、闘いなくして進歩はあり得ず、競争社会で生き残ることもできない。ところが、今の若い世代は、ノーリスクを志向しているように思えてならない。昨今の大学生の就職活動の状況にも反映されているように思う。ノーリスク・ノーリターンでは、進歩も展望もないのであるが、ノーリスクを望めば、その進歩も展望もないというリスクがあることのパラドックスに気付いていないのである。

 

 

 

「ボスの条件」(5)引き際の見定め


 

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2015年1月18日(日)朝7:45 東京都港区芝公園 芝東照宮にて撮影
<梅の花>花言葉 「高潔」「上品」  (白)「気品」

 

※「労働新聞」2011年7月25日 第2834号「髙井伸夫弁護士の<人事労務の散歩道>」より転載

 

「ボスの条件」(5) 引き際の見定め

 

 

昭和の名横綱栃錦と大鵬が、横綱に昇進したときから常に引き際を頭に置いて精進したというエピソードは、よく知られているだろう。角界のトップに登りつめた横綱としての重責を一身に引き受ける強い覚悟があったからこそ、彼らは雄々しくそして輝いていたのだ。

 

企業においても、社長や幹部に就任したときに引き際を意識しておかないと、晩節をけがすことになる。引き際の見定めの基準の第一は、心身の健康が保たれているかということである。健康に不安のある者は、トップとしての激務に耐えられず責任を果たせない。第二は、トップやリーダーに就任したときに設定した目標が達成されたかということである。目標達成の目途がたったら、新しい目標を掲げる者にリーダーを引き継がなければならない。第三は、年齢である。いまの時勢からすれば、せいぜい75歳が限度で、できれば60歳前後で引き際を決断するのがトップの役割であろう。今年上半期の社長交代で、新社長の50歳代の比率が前年比5ポイント増という報道があったが(2011年7月8日付日経新聞)、これは企業がいかに激烈な競争にさらされていて、トップに若さと体力が要求されるかを物語るものだろう。

 

要するに、トップには新陳代謝をはかる義務がある。そうしてこそ企業は、社会の激しい変化についていける。「頭の良い者や力の強い者が勝ち残るわけではない、変化に対応する者だけが勝ち残る」というダーウィンのものとされる言葉は、企業のトップ人事についてもそのままあてはまる。

 

さて、新陳代謝をはかるためには、トップは後継者を選定し、育成していくことが必要になる。

 

トップにとって、後継者は見つけ難いものだが、時代の流れに対応するためには、無理をしてでも、後継者を見いだし、育成しなければならない。そして、トップの交代について、社会的な認知を受ける努力をしなければならないのである。

 

引き際は、前述のとおり「心身の健康」「目標達成」「年齢」の三要素をかけ合わせて、トップが自分自身で決心しなければならない。後継者が見当たらないときに、とかく交代を躊躇しがちであるが、後継者はトップの地位につけば意外に育つ場合が多い。それゆえ、さほど心配する必要はない。

 

仄聞した某社の例を、反面教師として紹介しよう。既に90歳台半ばである社長が、自分がかわいがっている者を社長に就任させるために、自らは代表権のある名誉会長に就任し、いわゆる情実人事を行った。新社長は経験も能力も不足しているため、社内では納得感が得られないという。一定規模以上の企業で人事が言わば私物化されるこうした例は、いまの時代には非常に珍しいが、これもトップが引き際を決断しないことが産んだ悲劇である。まわりの者は、社長の退任をなかなか進言できないものである。

 

そして引き際の重要性は、事業についても同様のことが言える。たとえば、企業が中国・アジア諸国等に進出して事業を始めたとしても、撤退を常に意識していなければならない。トップは、そこでの事業展開が自社にとってマイナスであることを直感した時点で速やかに引かなければ、取り返しのつかないことになる。これもトップの下すべき重要な決断のひとつなのである。

 

以上

 

 

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左上から時計回りに([ ]内は花言葉)
ボケの花[早熟]、コエビソウ[真の友情]
(2015年1月11日<日>7:30 東京都目黒区中目黒公園)
ニワナズナ[美しさに優る値打ち]、マーガレット[秘密の恋]
(2015年1月11日<日>8:00 渋谷区東1丁目)

 

 

 

※「労働新聞」2011年6月27日 第2830号「髙井伸夫弁護士の<人事労務の散歩道>」より転載

 

自己研鑚と組織の維持

 

「(日本の相次ぐ首相交代をさして)このような指導力では、震災や原子力発電所の事故など危機に対応することは不可能だ」「小国でも強い指導力があれば国は強くなる。逆に国が大きくても政治が弱ければ国は衰退する。その典型が日本だ」これは、中国の清華大学現代国際関係研究院・閻学通院長が、6月2日に北京市内で行われた講演で述べた言葉である(2011年6月3日付日本経済新聞)。

 

私は、この閻院長の指摘にひとことも反論できない。そして、「一国の政治は国民を映し出す鏡にすぎない」(スマイルズ『自助論』)というように、政治のレベルは国民のレベルそのものであるから、国民を埒外として政治家だけを批判することは、潔しとしない。

 

既に政界を引退された某有力元国会議員の秘書の方が、「中選挙区制になってから、国会議員間の競争がなくなり議員が勉強しなくなったように感じる」旨述べていたが、選挙制度の運用面はともかく、日本の政界も社会全体も、あるべき競争や切磋琢磨のなかから、ボスとなるべき人材が選りすぐられ登り詰めていく試練のプロセス・修羅場体験が忌避されていることは、深刻な事態として受け止めなければならない。さらに、海外留学・海外赴任に極めて消極的になった日本の風潮は、多様な価値観のなかで厳しい競争を勝ち抜く強靱さを、日本人から失わしめている。これからは、どの分野の仕事であれ、海外経験が一層重要になることは言うまでもない。

 

さて、ビジネスの世界で優秀な働きをされている方々に、良きボスの条件とは何か、ボスとしてどのようなことに心掛けてこられたかとお尋ねしたところ、「自分を磨き続ける」「自ら研鑽・勉強を怠らない」「博覧強記を目指す」など「研鑽」「勉強」にまつわる回答が目立っていたのは、予想していたとはいえ重要な点である。リーダーシップを発揮し活躍している人は、決して自分の地位に安住することなく切磋琢磨を好み、よく勉強している。

 

また、「人間としての徳」「部下の成長を願う」「部下の人間性の尊重」「部下の話をよく聞く」など、部下への配慮の重要性に関する回答も多かった。良きボスは、実力主義の厳しさを熟知し、常に研鑽を積み、部下には人間的な温かさを示して信頼関係を醸成し、組織としての機能を心掛けているのである。

 

かつての終身雇用を旨とした時代とは異なり、実力主義・成果主義になればなるほど、組織の一体感は阻害される。個として能力の高い社員を「ソバ粉社員」、調整活動だけに携わる社員を「つなぎ社員」と呼ぶなら、実力主義のもとではソバ粉社員が評価されるが、ソバ粉社員が多くなればなるほど、一方で組織にきしみが生じる。自らの力を過信して、同僚や同志や組織を無視する悪しき個人主義の蔓延が、その典型例である。

 

組織のきしみを克服するには、上に立つ者は、組織性を維持することに敢えて腐心しなければならない。それには、部下それぞれの専門的知識の統合されるべき方向性を示すリーダーシップと、部下の専門的知識と知恵を連携させるマネジメント力が強く要求されることになる。自己研鑽は、自分自身の能力や資質だけに向けられるべきものでなく、組織との調和を強く意識してなされなければならないのである。

以上

 

 

 

 

 

第1回 高井先生言行手控え


 

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2014年12月28日(日)10:38 東京都北区王子五丁目で撮影
バラ(花言葉(薄オレンジ):「無邪気」)

 

 

第1回 高井先生言行手控え

 

築地双六館館長
公益社団法人全国求人情報協会参与
吉田 修

 

 

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2002年(平成14年)12月28日
二子山部屋・横綱貴乃花の稽古見学
右から高井先生、ボビン・バジュラチャルヤ氏、私
(ボビン氏については高井先生の2011年9月6日付交遊録参照)

 

 

 

■高井先生との出会い

 

昨年末、高井先生より「これまで色々な場で様々な主張をしてきた。長年の付き合いの中で覚えていることをキーワードを含んだ文で寄稿してほしい」とのお願いがありました。高井先生には、およそ30年間、公私にわたってご指導をいただきました。このような雑文拙文であっても、少しでも先生へのご恩返しが出来ればと思いお引き受けした次第です。

 

高井先生は、私が長年勤めていましたリクルート社の顧問弁護士でいらっしゃいました。最初の出会いは、日本リクルートセンターがリクルートに社名変更した昭和59年の9月だったとお聞きした覚えがあります。

 

当時の田中寿夫常務から高井先生に「関連会社のリクルートフロムエーが詐欺商法の会社の求人広告の掲載を断ったところ、広告契約の債務不履行によって、人を採用できなかったことによる得べかりし利益等を求めた損害賠償訴訟が起こったので、是非対応をお願いしたい。」と申し上げたそうです。

 

この当時既に、高井先生は労務分野で最も著名な弁護士のお一人でした。特に、「反対尋問の名手」として評判が高く、裁判官が先生の反対尋問をわざわざ法廷に見学に来ていたそうです。これはなかなかあり得ないことです。

 

さて、高井先生は仕事を引き受けるにあたって、必ず依頼者の職場を実地見学されるということで、同社の本社を訪れ、社風、職場風土、経営幹部の人となりを肌感覚で把握されました。これに限らず、高井先生の当該事案の現場を踏まえ、そこから発想する現場主義(Here&Nowのリアリズム)はあらゆる場面で垣間見られます。先生の大胆で斬新な発想は、数多い現場のシーンと徹底したロジカルシンキング、そして卓越した記憶力が、灰色の脳細胞の中で生物学的化学反応を起こした賜物なのです。そう感じておられる読者の方も多いのではないかと思います。

 

私が最初に高井先生にお会いしたのは、昭和62年頃だと思います。お引き合わせいただいたのは、赤羽良剛さん(当時リクルート事業部次長、現ブレーン・フォーラム株式会社 代表取締役)でした。

(つづく)

 

 

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2014年12月28日(日)7:25 東京都目黒区中目黒公園で撮影
アエオニウム(花言葉:「永遠」)

 

 

② 弁護士の守秘義務

弁護士が、自分の言ったことに責任をもてない状況に陥った時、すなわち間違ったときに、どう対処するかも、お客様を維持するための重要なポイントとなる。

また、お客様が、お客様にとって不利な証拠(悪い情報)を出さないときは、どうしたらよいだろうか。

この点について、そもそも弁護士の任務とは何かを考えると、刑事訴訟においては刑訴法1条にて「事案の真相を明らかにし」とあることから、真実発見が目的とされているが、民事訴訟においては、当事者間の争いに決着をつけることが目的であるため、真実発見の要請は刑事訴訟より劣後する。そのため、お客様の代理人である弁護士は、弁護士職務基本規程46条にも「その権利及び利益を擁護するため、最善の弁護活動に努める」とある通り、お客様の利益のために最善をつくすことが求められているのである。

弁護士の仕事を進めるにあたっては、その事件の内容を丁寧に把握すること、そのために、お客様の話をよく聞き、資料をよく読み、事案によっては現場を見に行き、そして、相手方の書面をよく読むことが重要である。直接、話を聞くことや現場を見ることで、真実が見えてくることもある。

弁護士の仕事を進めるにあたっては、人の噂で相手方を評価してはならないし、もちろん事件の内容も人の噂で決めてはならない。伝聞の情報だけをもとに固定観念のみで考えを進めると、当該事件においての特殊性を見逃す危険すらある。ありのままの事実(証拠)を1つずつ積み上げていくことで、当該事件においての真実が見えてくるのである。

人の想像力は、自分がこれまで見聞きしてきたこと以上には広がらないものである。だからこそ、自分の持っている固定観念のみで物事を考えると、真実を見逃すおそれがある。想像力を豊かにするには、1つ1つのケースで、自分の目で見て確認するという地道な作業を繰り返すこと、この作業が積み重なることで、様々な視点が養われ、想像力が培われていくのである。

また、人が裁判を起こすのは単に経済的な必要からだけではなく、それ以上に、真実を発見したいという気持ちが重要な動機である場合もあることを忘れてはならない。

 

なお、お客様の信頼をうけて、弁護士が一生懸命取り組んだにもかかわらず、思わぬ結果になったことにつき、お客様から損害賠償の請求を受けた場合には、当方の言い分を丁寧に説明すればよい。裁判を起こされてしまったら、受けて立つ以外にない。

人は、自分にとって都合の悪い事情については自然と口が重くなる。それでもなお、事実を確認するためには、率直に尋ねることが秘訣である。悪い情報を聞くためには、まず良い情報を聞くことが呼び水となろう。弁護士は、きれい事・建前のみを語りがちなお客様から本音を引き出し、問題の本質を把握するために、さまざまな工夫をしなければならない。

私の取り組んできた方法は、まず①お客様に経過書を作成してもらう。箇条書きで、努めて叙情的にならないように求める。②相手方、当方それぞれにとって不利益な事実の一覧表を作成してもらう。事を起こす段階においては③後述する大義名分書(必要性を訴える理由書)の作成をお願いし、④相手方に提示する条件をまとめるよう求める。さらに⑤想定問答、⑥想定状況の作成も依頼する。想定状況とは予測されるリスクの一覧で、それを列挙してもらう。また、⑦スケジューリングの設定もお願いする。こうした緻密な点検・検証作業を通じて初めて、お客様が語ろうとしない事実を正しく認識し、危険をも予知できるのである。

 

 

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2014年12月28日(日)7:03 東京都港区南麻布一丁目で撮影
ガーベラ(花言葉:「希望」)

 

※「髙井伸夫弁護士の<人事労務 散歩道>」(『労働新聞』2011年5月30日号より転載)

 

「ボスの条件」(3)ボスになれる者となれぬ者

 

ボスでない者がボスのように振る舞うと、「あの人はbossy(いばり散らす)だ」というように、bossの形容詞が否定的な意味で用いられることがしばしばある。

 

こうした陰口を言われないように、組織のリーダーたるボスは、魅力ある存在でなければならない。その究極は「カリスマ」あるいは「大御所」であるが、ボスはそれらに及ばぬ「大物・傑物・怪物」や「小物」の世界で展開される存在である。

 

私はリーダーやボスの魅力の根源は「人格・識見・手腕・力量・多芸多趣味」であると説いているが、ボスはこれらを磨き、部下や同僚等に受け容れられる魅力ある存在になることが必要である。カリスマは、人間として生来的な魅力やオーラが傑出した者のみへの呼称だが、ボス程度であれば、生まれながらの資質は二の次で、リーダーシップやマネジメント力を向上させる後天的な努力によって担い得る。

 

リーダーシップでは先見性が最も重要な要素である。これは時代の流れに関心をもって勉強していれば自然に備わってくる。そして、マネジメント力の真髄は、相手の心を理解することである。「相手が自分に対して何を望んでいるか」を探求し、納得できる回答を得たとき、それを目指して邁進することが肝要である。独りよがりでは決して組織はマネジメントできない。マネジメント力は、他者との間に、より広く深い合意を形成してゆく手続なのである。

 

しかし、いくら努力してもリーダーシップもマネジメント力も身につけられず、際立った存在になれない者もいる。そういう者は、ヒラ社員のまま終わるか、たとえ管理職・役員になったとしても存在感を発揮できず、その他大勢のなかのひとりとして、謙虚に生きなければならない。不満を募らせ、ボスになった者を批判するだけの人生はむなしい。ボスになれなかった者がすんなりと諦めの境地に達することは稀であり、多くは生きる気概を失ってしまう。生きる目的を失わず、多かれ少なかれ青雲の志(=徳を修めて聖賢の人になろうとする志)を持ち続けるためにも、現役時代はもとより定年後の第二の人生でも、趣味の世界でもよいから生きがいを求めて努力すべきである。

 

さて、組織には世代交代という大テーマもある。社長や役員等の若返りが進まない企業は発展しない。後継問題は、ボス自身に後継者育成の気持ちがあるか、そして後継指名された者が十分な心構えと資質(能力・自立心・向上心・連帯心)を持っているかによって決まる。経営者には、ボスたりうる人材を見いだし、ミッションをわかりやすく伝え、育てる任務がある。

 

ところで、後継問題には、ボス候補同士の葛藤も伴う。後継候補が複数存在すると「両雄並び立たず」となり組織が維持できないから、上司による選択がなされる。複数を同時に重用することは、よほど力のあるボスにしかできない。負けた者は出ていくか、趣味等々別の世界で生きるしかない。企業が子会社を作りそこに役員を配置する意味は、この点にもある。

 

サル山のボスの交代劇では命がけの激しいバトルが展開され、負けたボスは群れを抜けて、ハナレザルになるともいう。ヒトの社会でも、本質的にはこれと同様のことが、常に繰り広げられているのである。

 

 

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2015年1月3日(土) 8:20
東京都港区虎ノ門ホテルオークラ東京にて撮影
水仙…花言葉「神秘」  梅の花…花言葉「気品」

 

 

新年おめでとうございます。
本年も何卒宜しくお願い申し上げます。
ブログ読者の皆々様にとってご多幸の一年となりますよう
こころよりお祈り申し上げます。

 

(8)信頼性

弁護士は信頼性があってこそ存在価値があり、営業の効果が上がる。その原点としては、お客様への責任、それに弁護士としての技能、職業倫理(プロ意識)が大切である。信頼性を高めるために、先に述べたように、弁護士は日夜研鑽しなければならない。信頼性は、まさに、「継続は力なり」で培われるものであって、一朝一夕に得られるものではないからだ。

 


① 謙虚さ

まず、信頼を得るために大切なことは、謙虚さである。

いかに仕事で結果を出し、多くの利益を生み、それを誇らしく感じているとしても、決して驕ったり、謙虚さを欠いて他人に威張ったりするようになってはいけない。

弁護士の中にはとかく自慢話をしたり威張ったりする人がいるが、それが目に余ると、お客様の信頼を失ってしまう。お客様の目には、自慢話は、自分をことさら大きく見せ、実力以上に評価されたいとする姿勢に映るからだ。弁護士は、自己評価を控えめにするのがクレバーだろう。

なぜ人が威張るかというと、謙虚さを失って自分を高いところにおいてしまうからである。人は皆、自負心・自尊心を持つ存在であり、そのこと自体は当然で、悪いことではないが、それがあまりに高じると自惚れや慢心になってしまうので、厳に慎むべきである。自分の今までの業績等を得々として話す人がいるが、それらはいずれも過去の事柄であり、自分の過去を自慢することにほかならない。つまり、過去の栄光にしがみついているような「終わった人」であるとお客様に認識されてしまうのだ。弁護士は、現状に甘んじることなく、研鑽し続けなければならないと自覚すべきである。

また、ときとして、傲慢な態度は自信のなさの裏返しという場合もある。中島敦(1909年~1942年)の代表作『山月記』には、こうある。

虎の姿になってしまった李徴は、山中で出会った旧友に切々と訴えた。「己(おのれ)は詩によって名を成そうと思いながら、進んで師に就いたり、求めて詩友と交って切磋琢磨に努めたりすることをしなかった。かといって、又、己(おのれ)は俗物の間に伍することも潔しとしなかった。共に、我が臆病な自尊心と、尊大な羞恥心との所為(せい)である。」「己(おのれ)の場合、この尊大な羞恥心が猛獣だった。虎だったのだ。」

 

「春風を以て人に接し、秋霜を以て自ら粛む」

これは江戸時代の儒学者佐藤一斎(1772年~1859年)の言葉だ(「言志後録」第33条:岬龍一郎編訳 佐藤一斎『〔現代語抄訳〕言志四録』PHP出版より)。他人に優しく、自分に厳しくあれ、という教えで、大変すてきな言葉であると思う。これもまた、自己研鑽の一面であるといえるだろう。

反対に、お客様でも人を利用する傾向がある人、騙す傾向がある人とは弁護士は付き合ってはならない。そのような人と付き合うと、弁護士本人の信頼に関わるからである。弁護士は、お客様と信頼関係を築かなければいけないが、そのような人とは信頼関係を築くのが難しいどころか、付き合えば自分の信頼まで失うような事態に巻き込まれかねない。

弁護士は専門家といわれる立場だから、「○○を援助してほしい」「○○をサポートしてほしい」と謙虚に依頼し、しかも感謝してくれるお客様と付き合うべきである。そのためには、弁護士に直感的にそういった人を見分けられる力が必要となるが、日頃から人と接する時に、その人の本質を見抜く眼力を養うことが肝要だろう。人は、言葉は偽れるが行動は偽れないため、偽りの言葉かどうか判断するためには、その人の行動を見れば良い。行動を見て判断する具体例としては、口約束を守るかどうかがわかり易い例としてよく挙げられる。簡単な口約束が実行されなければ、その人の話、ひいては人間性すら信頼することは難しい。私はどのような小さな口約束であっても、すぐに実行するよう心がけている。これは、私が常に相手のことを最大限考えていることの証のひとつとなるだろう。その他に、金銭関係において汚い人もあまり信用してはいけない。一見、素敵な人だと思うけど、いざ金銭関係になると汚い人がいるからである。それから、賭け事においてもまた同じである。賭け事にずるい人はどこまでもずるい。だから、賭け事でも人間の本性が出るだろう。

弁護士の立場を利用しようとする傾向のある人は、やたらと調子が良かったり、大げさに褒めたり、大きな話をしたりすることが概して多い。特に「○○を援助してほしい」という依頼を受けた場合には、要注意である。相手の話に乗せられることがないよう、慎重に人を判断する力を身につけたい。

 

 

 

 

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2014年11月23日(日)東京都港区芝公園にてイワツツジを撮影
花言葉:「愛の喜び」

 

(5)チームワーク

複数の弁護士でチームを組んで仕事をする際、チーム内で相談もせずに、独断で仕事を進めてしまう弁護士がまま見受けられる。他人とうまく連携を取りながら物事を推進する能力と創造力に欠けると、悪くすると上司にさえ報告を怠る。このような弁護士がいると、事務所としての組織は維持できなくなってしまう。なぜなら、情報が正しく共有されず、他の者は方向性を把握できず、結果としてお客様の信頼を失うことになるからである。ときとして、このような問題弁護士への対応力も、弁護士には求められるのだ。

また、部下に責任を押し付ける弁護士もいる。責任転嫁に終始する態度は、これもまた、お客様の信頼を失うことにつながるだろう。

ときには、「担当の弁護士を変えてくれ」とお客様から要請されることもある。それに応えることは、顧問契約を維持するために必要なことでもあるが、慎重に検討しなければならない。なぜなら、不信任を受けた弁護士が落胆するだけでなく、新しく担当する弁護士が若く経験の浅い者であれば、専門知識の咀嚼が十分ではないがために、お客様とのコミュニケーションをとりづらくなるということが想定されるからだ。

特に、お客様から、法律関係の最新情報に接しているであろう若い弁護士に変えてくれと言われたときの対応は、非常にリスキーである。その場合には、事務所の代表弁護士が対応した方がよいだろう。若い弁護士に任せることでお客様の信任が得られず、状況がさらに悪化しかねないからである。

弁護士が、チーム一丸となって取り組み、成果をあげるためには、チーム全体で目標をしっかりと共有することが必要である。そして、その目標を実現するために、弁護士それぞれが強い意思のもと自主的に勉強し、準備をし、努力をすることが大切である。

 

(6)人間性に訴えること

たとえば、裁判案件でご相談にみえたお客様が勝訴を求めているときに、弁護士として勝訴は不可能であると予測できたとしても、その仕事を引き受けることは、結果としてお客様を失うことにつながるだろうか。

こうした状況では、お客様の人間性を念頭において受任するかどうか判断しなければならない。お客様がどのような人間性なら引き受けられないのか、そして断る際はどのように断るのか。これが、お客様が増えるか、減るかのひとつの大きな分岐点になるであろう。

お客様が企業の場合、たとえば、企業の人事労務に関する資料(諸規程)を読むことで、その内容もさることながら、その企業の体質を知ることができる。そして、今後の助言の硬度、難度、波長の長短を、弁護士は自ら決めていかなければならない。

私は依頼者の人間性について、①正直者であるかどうか(狡猾な人間であるかどうか)、②気が弱いか気が強いか、③自己中心的であるかどうかの3つの視点から考える。これ以外の視点からも分析する人がいるが、それはそれでいいだろう。要するに、自分に合う視点が持てれば良いのである。いずれにしても依頼者の人間性を念頭に置くことが肝要である

 

(7)弁護士にとっての「発言」の意義

また、お客様からの要望に対して、「それは法的にいって無理です」「それは判例からみて無理な主張です」などと、否定のみで対応してはならない。法律の専門家として否定的な助言をするにあたっては、綿密に準備・調査をしたうえで、弁護士として独りよがりな助言にならないように自戒するべきである。否定的な発言をせざるをえない状況に陥った場合でも、「こうすれば大丈夫ですよ」というような肯定的な助言をする必要にせまられることもあるだろう。また、単に否定するのではなく、常に正義感に裏打ちされた理論展開をおこなうことが肝要である。お客様の態度を非難するのに一生懸命な弁護士もなかにはいる。これは、弁護士が偉ぶるための一番易しい方法にすぎない。

そうはいっても、違法な事態を招来する事柄に対する相談、あるいは、脱法的な事案についての相談に肯定的な対応をしてはいけない。そのようなことをしていれば、経営体自体が衰退していくことをお客様に気づかせることが大切である。これを怠れば、結局は自分自身の職業的利益を失うことにつながる。

弁護士の中には、あえて発言しないという弁護士がいる。団体交渉に同席したときでさえ、発言しないことさえある。そうなると、当然のことながら、依頼者からの信頼を失う。事前の打合せ時にはたくさん発言する弁護士が、いざ団体交渉の場において、相手方の主張に対する的確な発言ができないとなると、クライアントは深い失望に陥るだろう。

一方で、裁判において、とかく発言をしたがる弁護士もいる。これは、自己アピールのつもりなのか、特に依頼者の関係者が傍聴している場合などに多く見受けられる光景である。裁判が団体交渉と違うのは、法廷には、対峙する相手方だけでなく中立の立場の裁判官がいるために、圧迫感が小さくなり安心して発言できるという点である。しかし、裁判でもつまらない発言をすれば裁判官からも失笑を買い、心証を悪くする。弁護士は、当方を有利に導く意義のある発言をするためにも、いつも勉強しなくてはならないのである

以上

 

※ 本2014年のブログの更新は本日が最終です。次は新年1月9日(金)を予定しております。みなさまどうぞ良いお年をお迎えください。

 

 

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2014年12月7日(日)東京都大田区西馬込にてシコンノボタンを撮影
花言葉:「平静」「謙虚な輝き」

 

 

※「労働新聞」2011年4月25日 第2822号「髙井伸夫弁護士の<人事労務の散歩道>」より転載

 

「ボスの条件」(2)「補瀉(ほしゃ)の法則」―捨てる勇気

 

 

『日経ビジネス』誌で「企業の寿命30年」説が紹介されたのは、1983年のこと。それから30年近くが経ち、状況は一変した。企業が継続することは非常に難しい。

 

長寿企業が世間でなぜあがめられるかというと、どこの国・地方でも一番の長老が皆の尊敬を集めるのと同じで、長寿であるというだけで、半ば不可能を十分に現実のものとしているからである。これは「長寿がいかに難しいか」ということを意味する。企業も長い年月存在し続けるということ自体が非常に難しく珍しいことなのである。

 

私がよく知る(株)セラリカNODAは、創業180年を迎えようとする正真正銘の長寿企業である。同社は現在の福岡県八女市で1832年に産声を上げ、終始一貫して、植物・昆虫等から採取される生物系のロウの研究・開発・生産に取り組んできている。時代の流れとともに、社名も変わり、会社も福岡から東京、そして神奈川へと移ったが、同社は、常に時代の変化に対応した新製品の開発により、新しい市場を創造し続けているのである。同社の製品は食品からハイテクまでさまざまな分野で応用されており、特に、「石油の世紀から生物産業の時代への転換」という明確なビジョンを打ち出しながらリーダーシップを発揮し続ける現在の野田泰三社長の功績によるところが大きい。野田社長は、時代の流れを的確によみ、企業のDNAを守りながら、捨てるべきもの、取り入れるべきものを見極める力が卓越している。

 

既に本紙平成23年3月28日号本欄でも紹介したが、東洋医学の「補瀉(ほしゃ)の法則」は、身体に不足なものを補うと同時に余剰なものを排出する流れがあってはじめて人間の健康は維持できるという考え方である。この法則の真骨頂は、取り入れることと捨て去ることのバランスを重視している点である。

 

真のイノベーションは、新しいものを取り入れる(補う)と同時に、捨てることをしなければ決して達成できない。また、これと同様、企業や組織も、理念や事業内容、人材、設備等の新陳代謝・入替えがうまくいかないと、活性化されずに沈滞する。そうなると、陳腐化はとどめようがない。

 

ボスも管理職も、彼ら自身が「補瀉の法則」をよく身に付け、よく勉強して、自分を鍛えて、新しく取り込むべきもの、捨て去るべきものを意識して、果敢に時代の流れに即したバランスを保ち、生命力・エネルギーを発揮し続けなければ、よい指導、よい仕事、そしてよい社会的貢献もできないことになる。そして、ボスや管理職者についても、能力の劣る者は辞めさせて人の流れを良くすることが、企業・組織を活性化させる重要な「補瀉」である。

 

このように、企業の成長には、取り入れることばかりでなく、捨て去ることが重要であることに、「ボス」は気づかなければならない。いまの時代は、あらゆる分野でスピードが要求され、新陳代謝も一日・一刻きざみでなされなければ、競争に打ち勝つ最適のバランスを保つことはできない。企業トップも、個々の管理職も、一般従業員も、このことをそれぞれの立場で強く自覚しなければならないのである。

 

あなたは「取り入れ、そして捨てる勇気」を持っているだろうか。自問自答してみよう。

 

 

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2014年11月16日(日)東京都港区芝公園にて千日紅を撮影
花言葉:「色あせぬ愛」

 

※「労働新聞」2011年3月28日 第2818号「髙井伸夫弁護士の<人事労務の散歩道>より転載

 

「ボスの条件」(1)「補瀉(ほしゃ)の法則」―企業の有限性

 

宇宙物理学では、宇宙の終焉をビッグクランチ(big crunch)と言うようだが、生きとし生けるものが、誕生して成長・成熟して枯れて黄昏れて、そして死ぬという経過をたどるのと同じように、宇宙にも終わりがあることは、新約聖書「ヨハネ黙示録」のハルマゲドン(世界の破滅・終末)のごとく、直感的に理解できる。この直感を論証することが、宇宙物理学の使命であろう。人類はもちろん、宇宙の生命体には全て寿命があり、有限であるということを前提に存在する以上、宇宙もまた当然有限であろう。

 

寿命に抗おうとした秦の始皇帝(前259年~前210年)は、不老不死の妙薬を求めて蓬莱の国(日本)に徐福ら数百人(一説には3000人)を遣わしたというが、結局はその薬は発見されなかったというのも、人間そして宇宙は有限な存在であることを無視した企てであったと言うほかはない。

 

企業も人によって組織されるものゆえ、有限なる存在として「廃業」「倒産」を当然予測していなければならない。こうした厳しい現実を乗り越えて存在し続ける長寿企業・老舗は極めて稀であり、青雲の志(設立の趣意)を生かして社会に貢献し続ける非常に立派な企業として、賞賛される。生命力を維持し続けること自体、企業が社会に貢献する所以だからである。

 

「ボス」と呼ばれる者すべてが、とりわけ企業の有限性を強く意識して、活動し続けなければならない。その場しのぎの経営ではダメで、「企業は有限なる存在である」という厳しい前提のもと、社会という小宇宙に存在し続けるためには、自らの生命のあり様(よう)をどうすべきか絶えず考えることが、肝要・喫緊の課題なのである。我われ弁護士の世界でも、絶えずイノベーションを図らなければならないし、それがひいてはクライアントの生命力を保持することにつながるのであるが、立法についても絶えざる変革を迅速・果敢・的確に行う必要がある。

 

では、企業が生命力を維持し、社会性をもって小宇宙に生き続けるためには、何が必要か。それは、企業創立の使命を生かすべく絶えずイノベーションを続け、エネルギーを補完することである。時代の流れとニーズに即した事業展開ができて初めて、企業の存続は可能になる。しかし、ただ単に新規なものを追い求めるだけでは企業の寿命は保てないことを、私は強く指摘したい。「補う」ばかりではなく、時代に合わなくなったものを「捨てる」ことを断行しなければならない。

 

東洋医学ひいては東洋哲学の基礎には、生命体を維持するに「補瀉(ほしゃ)の法則」という考え方がある。これは、身体に不足しているものを補い、余剰なものを的確に排出する流れができていないと、身体に不調をきたし、生命力(自己成長力・自己治癒能力)を喪失するという条理であり、要は、人間の心身の健康は、「入り」と「出」のバランスのうえにあるということである。この点、西洋医学は、生命体の根源である自己成長力・自己治癒能力を軽視しがちであるから、およそ“古典医学”と言われてもやむを得ないであろう。

 

「補瀉の法則」は、企業論・組織論・指導者論にもあてはまる。現代の経営の神様とも言えるドラッカーの経営・経営者論も、同じことを論じているに過ぎないのである。

 

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