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2023年2月10日
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「リーダーについて」その1


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2012年9月29日(土)午前7:20
 東京都千代田区北の丸公園にて彼岸花を撮影
 花言葉:「悲しい思い出」「情熱」「独立」

 

 

本ブログ記事から、「リーダーについて」をテーマに連載を開始します。

 

あらゆる種類の組織、グループにおいて、その規模を問わず、上に立つ人に必要とされるものはリーダーとしての資質です。

 

組織に起こるさまざまな危機は、組織外から舞い込むだけでなく、組織内部の問題により表出する場合も多く見受けられます。たとえば、既存の社内ルールを改良しようとすれば、その変化を批判し、抵抗する人も現れるでしょう。そして、しがらみや軋轢により、組織全体の業務の効率が悪くなり、その結果、思いもよらない事態に発展してしまうトラブルも少なくありません。このようなとき、組織の方向性を示し、先導するリーダーが必要になるのです。

 

リーダーとしての資質がなければ、多種多様な思い方・感じ方・考え方をする人たちをまとめあげることはできませんし、一人一人の能力を効果的に発揮させることはできません。哲学者ニーチェ(1844年~1900年)の「偉大とは方向性を指示することなり」という言葉は、リーダーとしての資質の重要性を端的に表している名言でしょう。

 

現実には、誰もがリーダーとしての資質を生まれながらに備えているわけではありません。しかし、努力によって後天的に補える可能性があります。リーダーとしての資質にはいくつかの要素がありますが、そのうち最も大切なものは先見性です。これは、つねに時代の流れに関心をもって勉強を継続すれば、自然と身に付けることができます。

 

また、規模の大小を問わず、プロジェクト等のリーダーをつとめる場面では、みずからに高い目標を設定し、その達成を図りながら精進することで、自らのリーダーシップスタイルの得意・不得意点を発見することが重要です。リーダーとしての資質を磨くためには、決してひとりよがりに陥らずに、実践-修正-実践を繰り返していく努力が求められるのです。

 

 本連載「リーダーについて」は、50年間にわたる経営側の人事・労務問題の専門弁護士としての経験もふまえ、感じ・考えたことの一部です。ブログ読者の皆さまに、リーダーのあり方について考えていただくための一助になれば幸いです。

(リライト 加藤・宮本)

7月13日(金)より、計9回にわたって自己研鑽をテーマにブログ記事を連載してまいりましたが、今回の記事をもって一旦終了いたします。

 

 ブログ読者の皆さまから、本ブログコメント欄やFACEBOOK等にて、多くのご意見・ご感想をお寄せいただきましたので、今回の記事では、その中からいくつかをご紹介させていただきます。

 

  「自己研鑽(その4)」に寄せられた 
  株式会社新規開拓 代表取締役社長 朝倉千恵子様からのコメント

 

若さの秘訣カキクケコを以前、昭和11年生まれの経営トップから学びました。
二部上場会社の社長様でした。
今から13年前に教わった事です。

若さの秘訣カキクケコ

カ・・・感動

キ・・・興味

ク・・・工夫

ケ・・・健康

コ・・・恋

 何事にも好奇心を持つこと

 これが一番の若さの秘訣だと思います。

 

 

 「存続こそ企業の社会的責任」に寄せられた 
 プルデンシャル生命保険株式会社 大橋一夫様からのコメント

 

「個人の集合体」という色彩の濃い会社に所属しておりますので、(これにつきましては、地域・所属先によっても考え方が異なっています。)会社の存続・組織の存続を考えたことはありませんでした。

 定年を意識するような年齢になってくると、自らの存続という意味において、次世代への引継ぎが不可欠であると思います。

 そのためには、リストラ・人員削減という状況にならぬよう、またなったとしても、その状況に打ち勝っていける次世代の人材を育てていかねばなりません。

 現時点での自らの確立と将来への継承という両面を見据えた行動が必要になってきています。 

 

 

自己研鑽【その9】


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2012年9月17日(月)朝7:11
東京都目黒区 中目黒公園にてジニア(百日草)を撮影
花言葉:別れた友への思い

 

 

 7月13日付ブログ記事から、「自己研鑽」をテーマに連載をしております。自己研鑽のためには、より高い目標を掲げて努力を重ね続ける姿勢がなによりも重要ですが、目標に向かって頑固一徹に突き進むのではなく、適宜、息抜きをしたり、レクリエーションの習慣を身につけたりする工夫も必要です。

 

 

【蓄積した身体と心の疲労をリセットする】

 適度な息抜きやレクリエーションは、第一に、身体と心の蓄積した疲労をリセットし、仕事の質をあげるという効果があります。息抜きなしに取り組みつづけると、気づかぬうちに、疲労のため頭の働きが鈍りますから、かえって非効率的です。

 

 散歩や軽い運動など身体を動かすことは、手軽に楽しめるレクリエーションのひとつです。爽やかな汗を流したあと、頭がすっきりとする感覚があるように、運動は、頭脳の働きを活性化させます。そうすると、沈思黙考していては浮かばないアイディアが舞い降りることもありますから、身体の健康のためだけでなく、行き詰まった時の打開策のひとつとしても、運動は有効です。

 

 ちなみに、先日の日経新聞夕刊に掲載されていた「丸の内キャリア塾」の講演録には、グローバルに活躍するコンサルタントによる話として、身体を動かすことがグローバル思考のための方法のひとつとして紹介されていて、興味深く読みました。

 


 

(グローバル思考の方法の)2つ目は、「動くこと」です。行き詰まったら離れる。机の前でだらだらと4~5時間を過ごすより、別の仕事をしながら、短い時間で繰り返し取り組むほうが効果的です。特に難しい案件は何回も考えることで、慣れてできるようになるものです。
  中でも歩くことは効果があります。人間は歩く動物です。5分間でもいいから、ノートやインターネットを見ないで、歩きながら考えると、思考を深めることができます。

 


2012年8月23日付 日本経済新聞(夕刊)掲載「丸の内キャリア塾」第68回セミナー「ビジネスに効く思考法~二刀流思考のすすめ~」グローバル思考を取り入れて新しい時代を生き抜く 講師:キャメル ヤマモト氏(山本成一氏)(デロイト トーマツ コンサルティング ヒューマンキャピタルグループ ディレクター)

 

 

 

【無用の用】

 第二に、一つの事柄だけに打ち込むと、新しい着想が出にくく、発想が凝り固まってしまいがちですが、息抜きやレクリエーションには、その傾向を打破できるという効果があります。

 

 私が本業の弁護士業務の傍らおこなってきたおもな取り組みは、「講演」「執筆」であり、息抜きは「旅行」「歩く」などです。たとえば、旅行では、異なる考え方・思い方・感じ方や、その背景にある自然環境や文化におのずと触れますから、自分の凝り固まっていた発想をリフレッシュできます。

 

 このような本業以外の取り組みや息抜きは、自分の仕事や学業には一見関係がないため、時間の無駄であると感じることもあるでしょう。しかし、中国の古典『荘子』にある「有用の用を知れども、無用の用を知ることなし」という一文のとおり、役に立たないと思っていたものが、ひじょうに大きな役割を果たすことがあります。自分の仕事や学業の世界だけに閉じこもっていては出会えないような事柄や人物との触れ合いは、新たな気づきに繋がり、人格・識見・手腕・力量を発展させるのです。

 

 以上のとおり、息抜きやレクリエーション、さらには本業を俯瞰するような別の角度からの取り組みには、さまざまな効果があります。これらを「時間の無駄」であると言い切ってしまう人は、上手にそれをおこなう人に後れをとってしまいます。息抜きやレクリエーションを習慣づけることも、深みのある成長を遂げるための自己研鑽のひとつでしょう。

(リライト 加藤・宮本)

 <7月13日付ブログ記事から、「自己研鑽」をテーマに連載をしておりましたが、今回の記事をもちましていったん終了し、次回からは「リーダーについて」をテーマに連載いたします。>

自己研鑽【その8】


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2012年9月12日(水)朝7:09
東京都千代田区北の丸公園にて 八重槿(ヤエムクゲ)を撮影
花言葉:「繊細な美」

 

 7月13日付ブログ記事から、「自己研鑽」をテーマに連載をしております。

 

 自己研鑽は終わることのない道程です。より高い目標を掲げて努力を重ね続ける姿勢がなによりも重要ですが、その途上で、困難や障害にぶつかるのは当然のことです。

 

 できれば困難や障害はなるべく避けてゴールにたどり着きたいと思う人がいるかもしれませんが、私は、むしろ進んでこれらを経験すべきであると思います。なぜなら、つらく、苦しい問題に遭遇しても、自分の考え方・感じ方をフルに活用し、それを克服していくことが、成長のために必要であるからです。いわば、「修羅場を体験する」ということです。

 

「若いときの苦労は買うてでもせよ」あるいは「艱難汝を玉にす」という先人の教えは、まさに物事の真理です。

 

 自らの努力と奮闘で困難を克服することにより、それまで抱いていた不安感・恐怖心はいつのまにか雲散霧消し、精神的に成長して、自信が生まれます。そして、さらに大きな目標に向かって邁進するようになるでしょう。

 

 では、どうしたら困難に挑戦する勇気が持てるでしょうか。私は、困難にであったときに、「ありがとう」と言うことをお勧めします。人は、本能的に危険を回避して、ある意味、易きに流れる存在ともいえますから、「ありがとう」の言葉には違和感があるかもしれません。しかし、前述のとおり、困難とは、自分自身を練磨・成長させてくれるチャンスでもあります。それが舞い込んできた幸運に感謝して、苦しみの対岸には、必ず大きな喜びが待ち受けていることを信じて、真正面から困難と向き合ってください。

 

 そして、無事に困難を乗り越えたあとは、自らを省みることも大切です。

 たとえば、タイトに設定された納期を無事厳守できたとしても、もっとスムーズに、スピーディーに、より質の高い仕事を成し遂げる方法があったのではないか等について、振り返ってみるのです。こうした作業によって、初めて気づく事柄もあるはずです。これを次に活かすことで、他人とは一線を画する成長が期待できるでしょう。

 

(リライト 加藤・宮本)

高井先生は、事あるごとに、

「経営者は自分の言葉で語らなければならない」

と言われます。

 

自分自身の内側から発せられる言葉には力が宿り、

説得力や影響力が生まれるけれども、

どこかで聞いたような受け売りの言葉には

言霊が宿らず、力もこもらない、

ということなのだと理解しています。

 

また講演の最中には「当意即妙」という言葉も

よく使われます。

 

話をされるうちに、どんどん枝葉が伸びてきて、

気がついたら、その枝葉が幹となり、

やがて一つの大きな話になっていた、

というようなことも再三再四、ありました。

 

そうやって新しく生まれ出てくる

「当意即妙の話」

もまた、

「自分独自の言葉」

といってよいでしょう。

 

その場の思いつきで語った言葉に

「思いつきであるがゆえに

 かえって強い説得力が宿る」

ことに幾度も不思議な思いをしたものです。

 

そのようなわけで、

「自分の言葉で話す」「当意即妙で語る」

といったことができるようになるためには

何が必要か、

私なりに考えてみたのが以下の項目です。

 

 

▼圧倒的な知識量、情報量

▼偏りのない多様な情報源

▼多面的、多角的に物事を捉える力

▼高い論理構成能力

▼論理構成を的確に表現するための

 豊富な語彙、言い回し

▼切れすぎる論理が人を傷つけぬようにするための

 場を同じくする人への気配り、心配り

▼即座に話を紡ぎだす瞬発力、反射神経

▼安心感を与える笑顔!

 

などなど、たくさんあって大変ですが。

これらを同時に所有&発動させるわけですから、

意識して行おうと思っても、絶対に不可能です。

 

ジャグリングを行う大道芸人のように

身体レベルで自家薬籠中の物としておかなければ、

肝心要のときに活用できません。

 

 

つまり結論としては、

「自分の言葉で語る」

「絶妙な当意即妙」

といった業(ワザ)を可能にするのは

「長年の修養」

ということに至りました。

 

残念ながら安易な模倣で身につけることは

許されない、

ということのようです。

 

 

けれども物は考えようで、

反対に、このような能力を一旦身につけることさえ

できれば、あとは

縦横無尽、融通無碍、臨機応変、自由自在に

自らの言葉を操ることができるようになるでしょう。

 

 

このように語れるようになると、

一つ一つが自分の内側から立ち上ってくる話であるから

聴く者に傾聴をもたらし、

説得力も生まれる、

そんな風に思われます。

 

 

私がそのような世界に出るためには、

まだまだまだまだ、修練が必要なようですが。

自己研鑽【その7】


IMGP2248.JPG2012年8月25日(土)朝6:58
東京都港区芝公園にて夏菫(ナツスミレ)を撮影
花言葉「温和、控えめな美点」

 

礼儀正しくて風格があり、前向きな人、自分の意見が言える人

 

 7月13日付ブログ記事から、「自己研鑽」をテーマに連載をしております。仕事をとおして自己研鑽を積むことの重要性は、誰しも実感として理解しているでしょう。そして、身近に目標となる先輩や上司がいるとすれば、自分がどのような方向で努力を重ねるべきか具体的にイメージしやすいと思います。

 

もし、特に目指したい人物像がないのであれば、「礼儀正しく風格がある」「前向き」「自分の意見を言える」という3点を念頭において、日々の業務に取り組むことをおすすめします。これらは、仕事の場ではもとより、一般に人としての存在感を示すための基本であるといえます。

私の経験では、この3点を身につけている人は、自ずとよき出会いと豊かな人間関係に恵まれます。そして、よき出会いが切磋琢磨の場ともなり、一層の自己研鑽につながっています。

 

ちなみに、私が、1993年5月27日から2007年7月26日まで、14年間(全127回)にわたり経営者向けに主宰していたセミナー「社長フォーラム」の講演録ダイジェスト版をみてみますと、2001年4月19日の回で、私はおよそ以下のように述べています。

 

 

 

人材の引き抜き・ヘッドハンティングを業としている会社の要人に会った時、「どんな人物を探しているのか」と聞いてみた。

 

 第1にポライト(礼儀正しい)でないといけない。これからの時代は「紳士的」という言葉をちょっと超える人物であることが必要だ。しかも風格を感じさせないといけない。軽い人間はダメだという。

 

 第2はポジティブ(前向き)でないといけない。テレビの解説者でいつも悲観論で終始している人がいるが、あれはダメ。弁護士でも「それは違法」、「それは問題がある」、「それは難しい」とばかり言っている人がいる。弁護士でも公認会計士でも「難しい」と言うのが一番営業的に効果があるわけだが、前向きでないといけない。

 

 第3は、人の意見をよく聞いて自分の意見を言う。私は人の話を聞く工夫をしてきた。前にも話したが「気掛かりなことは何ですか」と聞く。人の意見を聞く時に言わせる方法は「気掛かりなこと」と「あなたが考えている次の一手」を聞くこと。そして自分の意見を言うこと。これが大切。

 

 「新聞にはこう書いてあった」、「○○さんはこう言っていた」、「本にはこう書いてある」など、他人の意見の紹介ばかりするのではダメ。自分の意見を言わないといけない。受け売りか自分の意見かは、聞けば誰でもすぐにわかる。

 

~2004年2月に出版した『《高井伸夫の社長フォーラム》100講座記念~一講一話・語録100選」(中央会・経営教育センター:非売品)101頁より~

 

 

 

 私が今から11年前に述べたこれらの指摘は、あるいは、当時より現在のほうがより重要性を増しているかもしれません。

 社会でも職場でもグローバル化・多様化が急激にすすみ、好むと好まざるとにかかわらず、さまざまな価値観をもった人たちが互いに協力しあって業績をあげることが求められています。これは、政治でも外交でも然りです。

 

 自己研鑽は終わることのない道程です。より高い目標を掲げて努力を重ね続ける姿勢が、性別を問わず、年齢を問わず、国籍を問わず、何よりも重要なのです。

(リライト 加藤・宮本)

自己研鑽(その6)


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2012年8月22日(水)朝7:20東京都千代田区北の丸公園にて
「メコノプシス(別名・ヒマラヤの青いケシ)」を撮影
花言葉:「底知れぬ魅力を湛えた」

 

 7月13日付ブログ記事から、「自己研鑽」をテーマに連載をしております。成長していくためには、勉強することが大前提にあることは度々お話ししてきまたが、学ぶ姿勢に加えて、謙虚さをもつことも非常に大切です。

 

 いかに仕事で結果を出し、多くの利益を出し、それを誇らしく感じたとしても、決して驕ったり、謙虚さを欠いて他人に威張ったりするようになってはいけません。

 

 なぜ人が威張るかというと、謙虚さを失って自分を高いところにおいてしまうからです。人は皆、自負心・自尊心を持つ存在であり、そのこと自体は当然で、悪いことではありませんが、それがあまりに高じて自惚れや慢心になってしまうことは、厳に慎むべきであると思います。自分の学歴や、いままでの業績等を得々として話す人がいますが、それらはいずれも過去の事柄であり、自分の過去を自慢することにほかなりません。つまり、過去の栄光にしがみついているような「終わった人」であると他人に認識されてしまいます。人は現状に甘んじることなく、研鑽し続けなければならないと自覚すべきでしょう。

 

 また、ときとして、傲慢な態度は自信のなさの裏返しという場合もあります。中島敦(1909年~1942年)の代表作『山月記』で、虎の姿になってしまった李徴は、山中で出会った旧友に切々と訴えました。「己(おのれ)は詩によって名を成そうと思いながら、進んで師に就いたり、求めて詩友と交って切磋琢磨に努めたりすることをしなかった。かといって、又、己(おのれ)は俗物の間に伍することも潔しとしなかった。共に、我が臆病な自尊心と、尊大な羞恥心との所為(せい)である。」「己(おのれ)の場合、この尊大な羞恥心が猛獣だった。虎だったのだ。」

 

 私の経験からいって、人の成長は他人との交流によるところが大きいと思います。一人で勉強を重ねても、思考方法は限られますし、ワンパターンの感受性しか身につかないでしょう。一人で沈思黙考し、「考える・思う・感じる」ことを繰り返しても、一定以上の成果はなかなか上げられません。なぜなら、新しい思想は、より多くの人と意見を交わし交流するなかで初めて生まれるからです。慢心は、謙虚に他人の意見を聞き入れる姿勢を失わせてしまい、威張る行為は、人との円滑な交流を阻害してしまいます。その結果、自分の成長を他人に促進してもらうチャンスをつぶしてしまうのです。

 

 「春風を以て人に接し、秋霜を以て自ら粛む」

 これは江戸時代の儒学者佐藤一斎(1772年~1859年)の言葉です(「言志後録」第33条:岬龍一郎編訳 佐藤一斎『〔現代語抄訳〕言志四録』PHP出版より)。他人に優しく、自分に厳しくあれ、という教えで、大変すてきな言葉であると思います。これもまた、自己研鑽の一面であるといえるでしょう。

 

(リライト 加藤・宮本)

高井先生から「石にも目がある」という言葉を

何度か伺ったことがあります。

 

何十年も前、勤務弁護士として事務所に所属し、

多くの仕事を任され、自由闊達に活動されていたとき、

事務所の所長弁護士から教わった言葉だそうです。

 

 

石工はノミ一丁で、たいした力もかけずに大きな石を割って

いきます。それは「石の目」めがけてノミを振るうからです。

 

このような例えをもって、固い石を割るのと同じように、

どれほど難題に見える問題であっても、まず核心を見極めるに

よって解きほぐし、最終的には解決できる、

 

そんなことを伝えられたかったのでしょう。

 

 

日々、私たちが行なっている仕事も、「核心」と、

その周縁部にあるさまざまな要素が錯綜し、渾然一体となって

構成されているように思われます。

 

大きな案件になればなるほど、無数の条件が複雑に絡まり合い、

解を見出すことが困難になり、途方に暮れることもしばしばです。

 

ちょうど、難解に見える数学の問題を解く時のように。

 

 

けれども一見、難しそうな数学の問題も、いったん突破口さえ

開かれれば、あとは容易に解き進められるもの。

 

方程式を力技で解こうとする。あるいは難しい幾何の問題を

補助線を引くことなしに解こうとする。

 

それではいつまでたっても解の糸口すら掴めません。

まずは問題の突破口、核心、石の目を探すことが大切です。

 

 

重たい問題が眼前に現れたとき、手を付けられるところから

はじめるとかえって問題解決を困難にすることがあります。

 

どこから手をつけて良いのかわからない問題が現れたとき、

つい、打ちやすいところに安易にノミを振り下ろしたり、

やみくもに手当たり次第、振り回しそうになったりします。

 

それではおそらく、大きな石は割れず、小さな破片という

新たな厄介事を増やすだけ。

 

労多くして、功少なし、ということになるでしょう。

 

 

混乱、混沌の中に身をおいた時、いつも頭の中に

浮かんでくるのは、高井先生から教わった

 

「石にも目がある」

 

という言葉なのです。

自己研鑽(その5)


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2012年8月6日(月)朝7:00
東京都港区芝公園にて向日葵を撮影
花言葉:あこがれ

 

 7月13日付けブログ記事から、「自己研鑽」をテーマに連載をしております。先週8月3日付け記事にて、よい出会いを得られれば、人生の質が高まり、自分の成長につながる、といったお話をいたしました。今回は、人との付き合い方についてお話ししたいと思います。

 

 私は、徳川将軍に二代(秀忠、家光)にわたって仕えた柳生家の家訓「小才は縁に出会って縁に気づかず、中才は縁に気づいて活かせず、大才は袖すりあう縁も活かす」という言葉が好きで、大切にしてまいりました。人間という言葉は「人の間」と書きますが、この言葉のとおり、人と人の間にこそ人間の存在意義があります。人はひとりでは生きていけません。相互に思い合い、助け合える人の存在がなければ、人生は寂しいものになりますし、仕事のうえでも発展は望めません(なお、「縁」をテーマにした記事は、全8回にわたって本ブログで連載いたしましたので、そちらもあわせてご覧ください)。

 

 さて、人間関係についていえば、人は、同じような境遇、考え方の人が自然に寄り集まるようになっています。まさに「類は友を呼ぶ」の世界ですが、同じ考え方・感じ方・思い方をする人ばかりが集まっていては、新しい着想や発想が出にくく、新たな気づきを得ることが難しくなる傾向があると思います。そこで、ときには、「類は友を呼ぶ」の世界を打破してみることが大切であると思います。

 

 私が、多様性に関してよく講演でお話ししてきたエピソードとして、リンゴの苗木の話があります。かつて私は、青森県黒石市にあった株式会社黒石植物園を訪ね、リンゴの苗木について色々教えてもらったことがあります。「同じ品種の苗木ばかりを並べて植えてはいけない。異品種の苗木も混ぜて植えることが、苗木を丈夫に上手に育てるコツです。」と教えていただきました。まさに人間でも同様であると思います。つまり、深みのある成長を遂げるためには、自分とは異質な人と付き合うことが鍵なのです。

 

 異質な人とは、異業種の人、世代の違う人、異性、人生の生き方・目標・性格の違う人、等が挙げられます。異質な人と付き合うと、考え方・思い方・感じ方が、自分とは随分違うことにハッとすると思います。こうした人と付き合い、議論をすることで、自然と発展性や柔軟性を身につけることができるでしょうし、新たな気づきが生まれやすくなります。

 

 自分とは異なる要素を持つ優れた人物と交流を深めることこそが、自分の感受性、思想性を高めるもっとも効率的かつ有効な手段です。限られた範囲の人たちとの交際だけでは、刺激が乏しくなり、だんだんと感性のみずみずしさが失われていきます。これは自戒を込めての言葉です。みなさんも、一度、自分のアドレス帳を開いて、いま自分に異質な人とのお付き合いがどれだけあるかを確認してみてはいかがでしょうか。

 

(リライト 加藤・宮本)

自己研鑽(その4)


IMGP2158.JPGのサムネール画像2012年7月28日(土) 午前10:45
東京都千代田区三番町にてアサガオを撮影
花言葉:「愛情の絆」「結束」

 

 7月13日付けブログ記事から、「自己研鑽」をテーマに連載をしております。今回は、感性を磨く「好奇心」についてお話ししたいと思います。

 

 あなたが、いまの仕事は退屈だと感じるならば、あるいは、それは仕事のせいではなく、あなた自身の感性について考えたほうがよいというシグナルかもしれません。

 

 感性を磨くためには、なによりもまず好奇心を持つことが大切です。好奇心を持つことによって、その対象に注意が向いて興味が湧き、その結果、五感が磨かれます。五感が磨かれると、ちょっとした事柄にも意味や価値を見いだせるようになるし、ほかの人と同じ体験をしていても、ひと味違った感性を身につけることができます。ところが、好奇心が無いと、感性が鈍化してしまい、どんなに楽しい事柄が目の前に現れても、それに反応できなくなってしまいます。

 

 このブログでも度々紹介している寺田寅彦(1878年~1935年)は、自身の研究の仕事について、「ただ空で考えるだけでは題目(テーマ)はなかなか出て来ないが、何か一つつつき始めるとその途中に無数の目当てができすぎて困るくらいである。そういう事でも、興味があるからやるというよりは、やるから興味が出来る場合がどうも多いようである。」と述べています(『寺田寅彦随筆集第一巻』小宮豊隆編、岩波文庫、1947年)。

 

 この寺田寅彦の言葉も、そのとおりであると思います。寺田が幅広い分野において多くの研究論文や執筆を残すことができた飽くなき探求心の源は、人が「やる」第一歩を踏み出させてくれる好奇心にあったのでしょう。

 

 また、人への好奇心を持つと、その時点から人脈がどんどん広がります。昨年9月 6日付ブログ記事『交友録(その9)』でご紹介したネパール人のボビン君との出会いも、赤坂の料亭でアルバイトをしていた彼に、私が好奇心から話しかけたことがきっかけでした(詳しくは同記事をお読みください)。

 

 人は各々千差万別で、趣味・嗜好、考え方・感じ方・思い方がそれぞれ異なります。よい出会いを得られれば、人生の質が高まり、自分の成長につながるでしょう。そして、一つの縁がまたつぎの縁を呼び、縁は繋がっていきます。それには最初のきっかけが必要ですが、そのきっかけをつくるために必要なのは、やはり好奇心を持つことなのです。

 

(リライト 加藤・宮本)

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