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2023年2月10日
訃報

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 9月4日(日)午前9時45分から10時40分までの間、東京国立博物館(東京都台東区上野公園)へ赴きました。2つの展覧会を見るためで、「空海と密教美術展」と、「特別展『孫文と梅屋庄吉 100年前の中国と日本』」を見学しました。

 

1.空海と密教美術展

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(2011年9月4日(日) 午前9:40 東京国立博物館にて「空海と密教美術展」の案内看板を撮影)

 

 「空海と密教美術展」は、実は8月21日(日)に一度赴いたのですが、あまりの人だかりで混雑していた上、雨が降っており、高齢の私にとって博物館の入口から展示場まで雨の中歩くのが億劫でありましたので、またの機会にと諦め、今回再度赴いたのでした。

 

 9月4日(日)もあいにくの雨でしたが、小雨であった上、前回に比べると入場者が少なく思えたので入館しました。しかし、実際に入館してみると、午前10時前であるというのに、老若男女の人々が溢れかえり、かなりの混雑で、驚きました。この人々が全員、空海・密教の世界を理解しているとは到底思えませんでしたが、理解しないまでも関心を持っているのでしょう。

 

 私が空海や密教の世界について意識したのは、学校の歴史等の授業で色々学んだ随分以前のことになりますが、現実にこの世界に近づいたと感じたのは、鹿児島県にある最福寺を訪問した時でしょう。最福寺に初めてお邪魔したのは2009年2月です。それから2年半後の本年7月9日に、2度目の訪問をいたしました(7月12日付【交友録その1】にて、最福寺法主 池口惠観先生についてご紹介いたしましたので、そちらもご覧ください)。

 

 さて、空海と密教美術展に入館し、暫く見て回った後、パンフレットを購入しました。2500円でしたが、決して高いものと感じませんでした。なぜなら、最福寺にお邪魔して以来、密教に限らず宗教、信仰に興味を持ち始め、今後本ブログで「神・仏」をテーマに自分なりの感じること・思うこと・考えたことを取り纏めたいと考えているからです。そのためには「空海」の世界は避けて通れないと思っているからです。阿倍仲麻呂、空海、最澄といった学僧(もちろん名もない学僧も含めて)が中国にわたり、仏教その他の年代の文化に接し、日本にその仏教、文化を持ち込みました。彼らは、中国で異言語をマスターし、仏教という世界を理解しマスターするという大変な困難、障壁を乗り越えるために多大な努力をし、日本文化の発展に寄与しました。彼らの努力が、今日の日本文化を築き上げる基礎となり、そして仏教の影響力は日本人の魂にしみわたっているものであると思います(8月9日付【交友録その5】にて、日中協会の白西紳一郎様をご紹介した中で、阿倍仲麻呂についてや私の日中友好への想い等を述べておりますので、そちらもご覧ください)。

 

 「空海と密教美術展」は9月25日(日)まで開催されているとのことです。皆さまもお足を運ばれてはいかがでしょうか。

 

 「空海と密教美術展」HP http://kukai2011.jp/

 

 

 

 

2.特別展「孫文と梅屋庄吉 100年前の中国と日本」

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(特別展「孫文と梅屋庄吉 100年前の中国と日本」パンフレット)

9月4日は「特別展『孫文と梅屋庄吉 100年前の中国と日本』」の最終日で、私としてはタイミング良く訪れることが出来たことが大変うれしく感じました。この展覧会に関心を持った理由は、私は来年5月に75歳を迎えますが、その記念として「中国民主化への底流」という本を出版したいと考えており、展覧会にて、現在の中国の民主化の歩みである孫文先生(1866年~1925年)について理解を深めることは、この執筆にあたり大いに参考になると思ったからです。

 

孫文先生について関心を持ち始めたのは、中山陵(江蘇省南京市東部の紫金山に位置する孫文先生の陵墓)を見学した時のことです。初めて中山陵を見学したのは、1997年11月に上海から南京に赴いたときで、次は上海高井倶楽部の皆様と2005年4月に見学した時です。中山陵には孫文先生の陵墓があり、祭堂の三つの入り口の上には「民族」「民権」「民生」という孫文の唱えた三民主義のスローガンがそれぞれ掲げられていました。珍しいことに墓室の天井には台湾の国旗である青天白日旗の模様が描かれていました。陵墓はフランスのナポレオンの陵墓を参考に造られたものであるとのことで、大変立派なものでした。毎日多数の中国の人々が中山陵に訪れ、孫文先生を偲び、大いなる敬意を表しているとのことです。

 

孫文先生はいつからか「孫中山」と号すようになりましたが、この「中山」の由来は、孫文先生が日本亡命中の1913年から1916年の間、東京都千代田区日比谷公園付近に住んでいたそうですが、公園の界隈にあった中山忠能公爵(明治天皇のご生母・中山慶子様の父)邸の「中山」の表札を見て、「中山」という名字が気に入り、その後「孫中山」と号すようになったという逸話があるそうです。非常に日本に好意的な方であったということです。中国では、「孫文」ではなく、「孫中山」の呼称が一般的とのことです。ちなみに北京でも上海でも台北でも、そしてその他の都市でも「中山」という名前がついた公園や道路があります。

 

梅屋庄吉様(1868年~1934年)は、香港で「梅屋照相館(写真館)」を営み、その後、映画産業に乗り出し、日活の創設に関わるなど、日本における映像事業の黎明期に活躍し日本の映画産業の地盤を築きつつ、孫文先生の志に共感し、物心両面にわたって手厚く庇護していたということでした。その額は、現在の貨幣価値で約一兆円になるということです。梅屋様は、「孫文トワレトノ盟約ハ一切口外シテハナラズ」と遺言に残したとのことです。

 

ご遺族は、その言葉を守り、梅屋様が残した資料は、近年まで世に出ることはなく、今回の展覧会はその貴重な資料が公開されており、大変勉強になりました。例えば、梅屋様が愛用された,つむぎの羽織です。裏地には孫文先生による「賢母」の文字が書かれていました。「賢母」という文字には、孫文先生が親身になってお世話をしてもらった梅屋庄吉様のご夫人、トク様への特別な思いも込められているといわれているそうです。また、孫文先生の妻として生きた宋慶齢(そうけいれい。宋家三姉妹の次女、中華人民共和国名誉主席)がトク様に宛てた直筆の手紙なども展示されていました。

 

孫文先生の言説の中では、「三民主義」(岩波書店)にある「中国人は砂の民である」という言葉が一番説得力があると思います。それだけに中国の政権は民を石にし、岩にする努力が日本人の政権以上に大変であるといつも思っています。民を石にし、岩にしてこそ、世界に伍する中国になるからです。

 

・  特別展「孫文と梅屋庄吉 100年前の中国と日本」HP

http://www.tnm.jp/modules/r_free_page/index.php?id=1398

良心と法律の「気」②


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(2011年9月8日(木)午前6:51 新潟市西蒲区 岩室温泉「著莪の里 ゆめや」にて彼岸花を撮影)

 

 前回のブログで、憲法にある「良心」を論じ、また法律条項の中には抽象的な概念に頼らざるを得ないこと、例えば公共の福祉、権利濫用、信義誠実の原則、公序良俗、といった概念について、「気」の世界から私の考えを述べました。そして、「抽象的概念」であるということは、結局は人間の「判断力」「バランス感覚」に頼らざるを得ない側面があること、人間の価値判断の基準作りには限界があるところから一見して合理的であるか否かについて割り切れないところがあることを意味しているというお話をいたしました。即ち、人間の合理性というものは、限界があるということで、それを補完するために、人間の「総合判断力」「バランス感覚」に敬意を表して、それに頼らざるを得ないということを意味しているのです。その判断力等の原点は何かと言えば、「気」であり、さかのぼれば「志」、「良心」であり、さらにさかのぼれば「魂」であるということでしょう。それらの根本は、「人間愛」、「人間尊重」ということになるのでしょう。

 

 「愛」、すなわち心をうけとるということですが、愛「情」という言葉にあるように、真っ青な心、すなわち純粋な心で相手に対応することが人間として求められているということなのでしょう。

 

 

【魂の変化と法律の変遷】

 

 さて、思想の発展、殊に、法思想の発展は、人間そのものをどのように見極めるかという感じ方、思い方、考え方の進展にほかなりません。そして、感じ方、思い方、考え方というものは、結局は人間が「良心」に支配されているものであり、さらに言えば「魂」に統御されているということになるでしょう。

 

 「魂」とは、広辞苑第4版(三省堂)によると、「(1)動物の肉体に宿って心の働きをつかさどると考えられるもの。(2)精神、気力、思慮分別、才略。(3)素質、天分。」とあります。漢和辞典を調べてみると、「人の生命のもとになる、もやもやとして、きまった形のないもの。」との説明があります。「魂」は、このように、ぼんやりとした概念ではありますが、人の「気」の核である「良心」の、更に核となっているもので、それは人間性そのものを問い、尊重する精神、ということになるのではないでしょうか。「霊性」という言葉と「魂」とは同義と思われますが、そのことからもそのようにいえるでしょう。

 

 さて、前回は主に憲法と民法のお話をいたしましたが、法律はこれだけでなく、沢山の法律でできていることは言うまでもありません。本年7月15日現在の法令データ(官報掲載法令)によると、憲法・法律あわせて1,848 の法令があり、政令・勅令、府令・省令を合わせると計7,592 の法令があります。

 

 そして、法律はどんどん進化し、細分化しています。これは、社会の変転とともに法律があるからです。それは、実は、国民のあるいは大衆の意識、「気」が多岐にわたり複雑化していることを意味するといってよいでしょう。ある期間持続する、やや漠然とした心身の状態を「気分」といいます。すなわち「気分」とは「気」の発露であるかと思いますが、「気・気分」が変われば法律も変わるということです。要するに、国民大衆の「気・気分」の変化が新しい法律を作成する源泉となっているといってよいでしょう。

 

 二宮尊徳の名言と言われている、「経済を忘れた文化は戯言である。文化を忘れた経済は罪悪である。」という言葉がありますが、この言葉は、経済の世界だけでなく、法律の世界でも、十分展開できるでしょう。即ち、「文化を忘れた法律は罪悪である。」ということになります。文化とは、その時代時代を築きあげた大衆の「気・気分」、「良心」、「魂」そのものでありますが、これに反した法律は、時代遅れであります。また、「法律を離れた文化もありえない」ということになります。法律は世論(大衆)の支持によって成立し、それゆえに「気・気分」の変化によって変遷していくということで、最高裁判所判例すら応々変更されるのも、社会情勢・社会状況の変化、すなわち、大衆の「気・気分」、「良心」、「魂」が変化していくからです。大衆の「気・気分」、「良心」、「魂」は、文化(新たに誕生する文化と、時代遅れとして忘れられていく文化)にも直結し、法律にも直結すべきであるということでしょう。それゆえ法律は改正を繰り返し、新たに制定され、また細分化されていくのです。

 

 さて、憲法は、国家の骨格を定める法規です。法律は、憲法の条項を細分化したものであるといわなければなりません。そして、「気・気分」を意識することが、法律の在り方を決めることになるということでしょう。国民意識、更にいえば「気・気分」が変遷していくことに伴って、法律も変遷していくということなのです。

 

 人間にある「気・気分」というのは、ぼやっとした曖昧なものです。非常に浮動的な存在です。それだけに、何か骨格を定め、「気・気分」というものを具現化するものを作らないと、人間集団が成り立ちません。ここに「ルール」「基準作り」が生まれる所以があり、そのルールの中で最上位のものが憲法であり、それに次ぐものとして法律が生まれるのです。「気・気分」を具現化する、すなわち形にすることが大切なのです。

 

 

【刑罰は動的な性格】

 

 例えば、刑法では、応報刑主義だけでなく、教育刑主義という考え方も現れました。教育刑主義は、リスト(1851年~1919年)の目的刑主義(刑罰は、それ自体として意味があるものではなく、社会を防衛するなど一定の目的をもって科せられるものとする考え方)に始まり、リープマン(1869年~1928年)によって教育刑主義の考え方が主張されました。応報刑主義とは、刑罰の本質を犯罪という悪に対する応報と考える立場(例えば、ハンムラビ法典196・197条の「目には目を、歯には歯を」の考え方がその古典ではないでしょうか)ですが、教育刑主義とは、刑罰の目的を、犯罪人の社会復帰のための教育であるとする考え方です(有斐閣法律用語辞典第3版、2006)。つまり、刑罰は、犯罪に対する非難としてくわえられるという意味で応報であることだけではなく、刑罰は犯罪人の社会復帰を実現させるべきものでもあるという考え方が発展してきたということです。そして、教育刑主義は、かねてより議論の多い死刑廃止論の論拠の一つともされているところです。私が大学で教えを請うた団藤重光先生は、「刑法綱要総論 改訂版 付・第一追補」(創文社、1978)の中で、刑罰は、「本人の改悛状況や、社会情勢の変化などにより、仮釈放や恩赦などによる緩和が必要になって来ることがすくなくな」く、「根本的に動的な性格をもつものである」と述べられています。その意味で、刑罰の動的な性格に「もっとも不適切なのは死刑だといわなければならない」と、死刑廃止論に傾いた発言をされています。

 

 団藤先生の述べられる「刑罰が動的な性格」の所以は、国民意識、つまり大衆の「気・気分」が変化し、「良心」が変わり、「魂」が変化していくことにより刑罰の裏付けとなる事態も変化するからでしょう。それを、団藤先生は、「社会情勢の変化」という言葉を使って説明しているものでしょう。

 

 

【大衆の「気・気分」「良心」「魂」の変化を促す法律】

 

 さて、ダイバーシティ(diversity:多様性)という概念があります。この概念は、もともとアメリカで提唱されたものです。1964年に人種・宗教・性などによる差別を禁止する「公民権法」が成立しましたが、これを受けて、米企業や組織では差別で「提訴されないようにする」ことを目的とした消極的な姿勢で施策を行ってきました。しかし、女性やマイノリティ(社会的少数者。アメリカではヒスパニックの人々等)の職場進出が急速に進むことで、差別を禁止する施策は積極的な姿勢に変化していき、さらにその解釈が発展し、企業における人種・性別・年齢・国籍などの差別を解消し構成員に機会均等を保障し、個人差を認知し、資質の差異等を是認してこそ次なる進歩・発展に繋がると前向きに捉えようという「ダイバーシティ」という概念が生まれました。このような歴史的背景は、差別を禁止し人間を尊重する公民権法という、まさに人間性を発揮すべき法律により、大衆の「気・気分」「良心」「魂」の変化を一層促したことの一つの具体例であると思います。

 

【参考】http://www.jmam.co.jp/column/column09/1188147_1531.html

 

 

【信教の自由と「狂気」】

 

 さて、憲法第20条第1項前段には「信教の自由は、何人に対してもこれを保障する」とあります。明治憲法下では、信教の自由は「安寧秩序ヲ妨ケス及臣民タルノ義務ニ背カサル限ニ於テ」(第28条)保障されていましたが、実際には「神道は宗教に非ず」として、準国教化する動きがあるなど、信教の自由が制限される状態にありました。しかし、日本国憲法では、これを不可侵の権利として、一切の限定なしで国民に対して認めています。信仰とは人間の「気・気分」「良心」「魂」そのものであり、それは抑圧するべきものではないということが憲法によって保障されたものであるのだと思います。

 

 しかしながら、信教の自由にも限界が考えられ、すなわち制約が必要な場合があります。多くの判例が信教の自由の限界について判断していますが、事案の多くは、度の過ぎた信仰が引き起こしたものです。「狂信」、すなわち「狂『気』」が引き起こしたものです。「狂気」は、他者の「気」を乱し、社会全体の「気」を乱してしまうものですから、時として制約が必要になるということでしょう(もちろん、信教の自由という基本的人権、すなわち人間の「魂」そのものを制約するには、「やむにやまれぬ利益」を実現するための必要最小限のものでなければなりません。)。

 

 孔子(紀元前551年~紀元前479年)、釈迦(紀元前463年?~紀元前383年?)が紀元前500年頃に誕生し、そして紀元前後に即ち2011年前にキリストが登場したことに伴い、東西ともに精神革命をもたらしました。この革命は、人間の「気」「良心」「魂」等の変化でありました。法律の変遷も同じように、人間の「気」「良心」「魂」等が変化していることの表れだと私は考えています。

 

 さて、法の変遷と「気」との関係を、全ての分野について述べるだけの紙幅はありません。ですから、次回は、「良心と法律の『気』」第3回(最終回)として、私の専門である労働法の世界について述べようと思います。

 

 

【お知らせ】

 

 6月17日より、今回の「良心と法律の『気』(2)」を含めて、計13回、「気」をテーマにブログ記事を執筆して参りましたが、残すところあと3回または4回で本テーマはいったん終了する予定でございます。

 

 つきましては、6月17日から「気」ブログ記事最終回までの全記事につきまして、ご意見・ご感想等の評論をいただければ幸甚に存じます。

 いただきました評論は、本ブログ内で、ブログ開始6カ月記念と合わせて、発表させていただくこともございます。

 なお、今後本ブログで取り上げるべきテーマ等のご提案も歓迎しております。

 奮ってご意見をお寄せ下さいませ。

 

 また、小生は「高井伸夫」名でFACEBOOKに登録しておりますが、こちらの「友達申請」もお気軽にお願いしたく存じております。高井伸夫FACEBOOKにつきましては、本ブログ右下のFACEBOOKバナーをクリックしていただきアクセスしてください。

 

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(2011年9月3日 午後16:58 東京都世田谷区桜丘 東京農業大学付近で撮影)

 

 

 

 

ボビン・バジュラチャルヤ様 

 

9月2日(金)午前11:00より40分ほど、ボビン・バジュラチャルヤ様,薄井由美子様御夫妻が私どもの事務所にご来所されました。ボビン様とは、約10カ月ぶりの再会でしたが,ボビン様と由美子様は本年1月にご結婚されたばかりとのことで,由美子様には初めてお会いしました。由美子様は栃木県矢板市のご出身とのことでした。

 

私は親しみをこめて彼のことをボビン君と呼んでいます。今のネパールの現況等のお話に華を咲かせました。

ボビン君はネパールの首都カトマンズの南の郊外パタン(ボビン君曰く、「下町」であるとのことですが、仏教思想にもとづき、職人、農家、王族・貴族が昔住んでいた古い建物が並ぶ歴史ある古都です)のご出身です。2日には、ネパール、カトマンズの魅力についてお話ししていただきました。「一言では言い表せない魅力がありますが、『心が落ち着く』場所であることです。スピリチュアルな着地点であるとおもいます。60年代、70年代のヒッピーの方々が、旅の最後に選ぶ場所がネパールでした。また、仏教から生まれる仏教アートが魅力です。具体的にはタンカ(チベット仏教の仏画の掛軸の総称。曼荼羅もタンカの1種類)などでしょう。」とのことでした。私も曼荼羅を購入したいと思っていますが、どういう曼荼羅が良いかお伺いしたところ、「インスピレーションで選ぶもの」であるということでした。まさに芸術作品を選ぶ着眼点だと思います。

 

バジュラチャルヤというボビン君の姓は、日本語で書けば「金剛阿闍梨」で、つまり「金剛乗の師範」といった意味であるそうです。金剛乗(バジラヤーナ)とは、密教の思想の内の一つで、比較的後期の思想であり、宇宙の真理、宇宙のエネルギーを説いたものだそうです。

 

ボビン君はいつもお会いするたびになにがしかのネパールのお土産を持ってきてくださいます。今回2日には,90センチ四方の,ボビン君のお母様の手織りのチベット絨毯でした。ボビン君は、「この絨毯に心安らかに座って瞑想してください。耳の故障も軽快しますよ」と仰ってくださり、その優しい言葉に嬉しくなりました。

 

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(2011年9月2日 午前11:34 左からボビン君,私,薄井由美子様
いただいたチベット手織りの絨毯を前にして)

 

さて、ボビン君との出会いは、彼が当時25歳の、2002年8月のある夜のことでした。赤坂の沖縄懐石料亭「沖縄懐石 赤坂潭亭」の女将・高木凛様が出店した赤坂の沖縄現代料理店「紅い花」に食事に行った際、皿洗いのアルバイトをしていた彼とひょんなことから言葉を交わしたのがきっかけでした。ボビン君がネパール・カトマンズ出身とお聞きしましたが、たまたま私は同年11月20日から24日にかけて25名からなる「桃源郷を訪ねる訪問団」の団長としてネパールを訪問する予定でありましたので、その旨をお話ししたところ、「10月にはネパールに帰国するので、11月20日にはカトマンズの空港でお待ちしています」という言葉を返してくれたので大変嬉しかったのでした。

 

沖縄懐石 赤坂潭亭HP http://www.akasakatantei.com/

そして2002年11月20日、日本でのわずか十数秒の短い会話がきっかけで、ボビン君は本当に空港で私を出迎えて下さいました。その日は、関西国際空港から上海で給油した飛行機が3時間も遅れ、本来なら現地時間夜11時にカトマンズ空港へ到着するはずであったのに、私たち一行が空港に到着したのは翌日の午前2時でした。しかし、ボビン君は日付が変わってもなお、深夜の待合室でじっと私を待っていて下さいました。そのことに感激した私は、短い日程の合間を縫って、ボビン君のご自宅へお邪魔し、また彼の故郷パタンにもご案内頂きました。その時、ボビン君がシンガーソングライターであることを初めて知りました。

 

9年前のネパールと現在のネパールは随分と変わったということで,トマンズは特に発展が著しく,今や東京の渋谷と変わらないショッピングモールもあるということでした。ネパールでの私の一番の思い出は,野生の蜂蜜が最高であったということです。今では日本では勿論手に入らないのですが、ネパールでも入手することがはなはだ難しいものであるとお聞きしました。

 

さて,ボビン君は、1976年生まれで、1996年、留学のため初めて来日し(今は亡きお父様が大の親日家でいらっしゃったそうです)、千葉県八千代市の秀明大学国際協力学部を2002年3月に卒業され(大学の卒業論文では「南南協力」をテーマにしたということでした。)、その後「紅い花」でアルバイトをしながらライブ活動をされていました。ちなみに,私は秀明大学の顧問弁護士を務めていた時期があり,ボビン君と私は,この奇遇に驚いたものでした。

 

ボビン君の音楽は、「オリエンタル・フォークロック・バンド」と分類されるそうで、カトマンズの精神風土を色濃く反映したスピリチュアルな癒し系の音楽です(とはいっても、エレキギターなどの演奏等、西洋音楽の要素もミックスしていらっしゃいますので、伝統的な民族音楽ではありません)。何度か演奏をお聞きしましたが、心が動かされる音楽でした。ささやかながら私は応援を続けさせていただきましたが、現在は祖国ネパールに戻られ、カトマンズのパタンにて「Melting Pot」という,ボビン君のお母様が作る手作りキャンドル、地元の素材で作ったアクセサリーなど自分が好きなものを売るセレクトショップも経営されています。ネパールが、様々な文化、人種が集まる国であることから、17世紀アメリカを形容した「Melting Pot」<人種のるつぼ>をヒントに、それを店名にされたとのことです。音楽活動も続けられており、今まで50曲位を作曲されたそうで,ボビン君の下記にご紹介するブログでは、たびたび来日され精力的なライブ活動を続けられていることがわかります。勿論日本だけでなく、アメリカ等諸外国にも進出されています。今後とも応援させていただきたいと思っています。

 

一瞬の出会いをも大切にすることによって、心の交流が生まれ、お付き合いがひろがることを、そしてさらに縁をつなげ続けることを旨として、私は本日まで生きてきました。私の財産は、このような人と人との「つながり」であることを、9月2日ボビン君との再会で改めて認識いたしました。

 

ボビン君のブログ(日本語)http://slowburning.seesaa.net/

良心と法律の「気」①


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(2011年8月31日(水) 午前11:13 千葉県富里市にて撮影)

 

【「良心」とは何か】

 「良心」の重要性については、ブログ等で何度もお話ししてきましたが、次第にその意義を充実させてきました。つまり、現段階では「真・善・美」「夢・愛・誠」そして「義理・人情」と「自己規律」の上にある「志(マインド)」であるということです。そしてさらに言えば、「魂」ということにいきつくでしょう。ほぼ50年の弁護士生活の中で、色々な激しい仕事をしてきた間、「良心」については全く考えたことがなかったのですが、改めて「気」について勉強するにつれ、このように解釈することに到達しつつあるのです。

 

 「良心」には「気」というエネルギーがあることはいうまでもありません。そして、「魂」は、「気」の最小の核であり、最高の核であります。英語で憲法をConstitutionと言いますが、この単語には、「気質、性質」という意味も含まれています。憲法には、「良心」という言葉が2度使われます。要するに、「良心」は、「心」すなわち「本心」「良心」ということを意識した法体系でなければならないということを、法律の骨格を定める、すなわち国の骨格を定める憲法でも明確に意識しているということなのです。

 

 すなわち憲法第19条【思想及び良心の自由】では、「思想及び良心の自由は、これを侵してはならない。」としていますが、法律も人間の所産である以上、これを蹂躙してはならないという意味です。

 

 また、第76条【司法権、裁判所、特別裁判所の禁止、裁判官の独立】第3項では、「すべて裁判官は、その良心に従ひ独立してその職権を行ひ、この憲法及び法律にのみ拘束される。」と「良心」について述べています。

 

 この「良心」の解釈について、「良心に従ひ」という文言に特別な意味がないとすると解釈する学者の方もいるようですが、これは誤った見解であると思います。「良心」こそ裁判の核心であると私は考えるからです。

 

 例えば、清宮四郎「法律学全集」(1974年発行)では、

 

 「憲法には、『良心に従ひ』とあるが、この場合、『良心』を、裁判官個人の良心、すなわち、主観的な政治的・宗教的・道徳的・思想的信念や人生観・世界観などと解すると、裁判がまちまちになり、しかも、法を離れて行われるおそれがあるので妥当でない。右のような主観的良心は、裁判にあたっては、かえって抑制されなければならないのである。憲法で『良心』といわれるのは、裁判官が適用する法のうちに客観的に存在する心意・精神、いわゆる『裁判官としての良心』を意味する。したがって、裁判官個人としては、例えば、死刑廃止論者であっても、それを理由にして、刑法を無視した判決をくだすことは許されない。このように解すると、裁判官は、『憲法及び法律にのみ拘束され』、それらを忠実に守るにすぎないことになり、『良心に従ひ』という文言に特別の意味はなくなる。

 

と、「良心」につき断じていますが、これは「良心に従ひ」というところについてきわめて軽視した見解であるといえます。これは改めるべきは言うまでもないところだと思います。

 

 そして、清宮先生のいう「良心」とは、「実質的な判断を下す謙虚で良心的な態度で裁判をしなければならない」裁判官が、「適用する法のうちに客観的に存在する『心意・精神』を意味する」とされています。要するに、「心意・精神」という言葉は無私という言葉になりますが、これは実は「良心」を述べているだけであって、特段の要件事実を示したものではないと思います。すなわち、どんな要件を踏まえれば「良心」になるのかということを明記しなければならないでしょう。その意味に於いて、我々は「良心」の意味と要件を熱心に今後も見極めつづけなければならない必要に迫られているのです。

 

 そして、下級裁判所やその他の機関には覆すことが認められない判決を下す権限を有する最上級の裁判所である最高裁判所の裁判官は、まさに「良心」に目覚めた賢者であると、国民は信頼しています。司法の堕落(裁判所はもちろん、検察官・弁護士も含め)は最も忌み嫌われるのもこれゆえです。司法のあるべき姿とは、「良心」を担当する、すなわち「気」「波動」「微弱エネルギー」を担当する人たる裁判官一人ひとりが、さらには検察官も弁護士も法曹に関与する全ての人が、勉強をしつづけ、革新を図って新しい時代の「良心」を追及しなければならないのです。

 

 よく「良心に訴える」といいますが、これは相手の「良心」に迫ることです。すなわち「良心」は強い「良心」に押されるということです。当方が「良心」をもって臨まなければならない所以はここにあります。「良心」は「気」のエネルギーを持っていて、その「気」の核は「魂」ですから、つまりは、相手の「魂」を揺さぶるのです。揺さぶるとは、「魂」を強く感動させる、ということです。法曹の中でも弁護士について言えば、「良心」をもって裁判に関与する、弁護士として活動するということは、結局は依頼者にも相手方にも、裁判官にも検察官にも、当方の「気」を伝え、「気」が乗り移ると言うことなのです。また私は、「良心」があってこそ迫力が出ると思っています。迫力をもって相手に迫ると、相手に心が伝わりますが、それは何故かといいますと、「気」に力があるからです。「良心」を旨として生きることは、「気」を一層強めることから、波動となり、微弱エネルギーとなるので、その「気」が相手に乗り移って到達するのです。

 

 

 勿論、司法のみならず、立法、行政も新しい時代の「良心」を追求しなければならないことは言うまでもありません。英語で国のことをGovernmentといいますが、その動詞であるGovern(〈国・国民を〉治める、統治する)は、ラテン語で「舵をとる」という意味を持っています。法律や政治にかかわる者が舵取りを誤ると(すなわち「私心」「邪心」をもって舵取りをすると)、国家の「気」が乱れてしまうのです。

 

 

【法規全般に顕れる「良心」】

 

 「良心」については、最高法規である憲法で述べられているがゆえに、その下の法規全般にも言えることで、様々な所で「良心」は機能します。「公共の福祉」(日本国憲法第12条、13条、22条、29条、民法第1条第1項)にしろ、「信義誠実の原則」(民法第1条第2項)にしろ、「権利濫用の禁止」(民法第1条第3項)にしろ、「公序良俗」(民法第90条)にしろ、きわめて包括的で曖昧な概念ですが、その内容は、その時期・時期、時代・時代、人・人、それぞれの法的感覚にのっとって解釈され、運用されていくものでしょう。

 

 

  1. 「公共の福祉」
     「社会公共の利益」といった抽象的な価値です。すべての人の人権がバランスよく保障されるように、人権と人権の衝突を調整することを、憲法は「公共の福祉」と呼びます。
    【参考】http://www.jicl.jp/chuukou/backnumber/09.html

  2. 「信義誠実の原則」
     権利の行使や義務の履行は、相手の信頼を裏切らないように誠実に行わなければならないという原則のことであり、民法全体の指導理念で、信義則ともいわれます。

  3. 「権利の濫用」
     権利本来の目的・内容を逸脱してその権利を不公正な方法で行使することであり、民法は、「権利の濫用は、これを許さない」と定め、そのような権利行使は無効とされています。
  4. 「公序良俗」

 公の秩序又は善良の風俗の略であり、社会の一般的秩序や倫理・道徳のことです。法律行為は原則として自由ですが、民法は公序良俗に反する事項を目的とした法律行為を無効としています。公序良俗違反の法律行為は、国家的・社会的にみて放置できないことによります。

 

    【参考】 法テラスHP http://www.houterasu.or.jp

 

 

 さて、これらを「気」という概念に当てはめて考えると、概略は以下の通りになると思われます。

 

 

  1. 「公共の福祉」
     公共の福祉を重んずることで、社会全体の利益を得ることになるかもしれませんが、基本的人権は損なわれる可能性があり、気苦労や気に病むこともあり得ます。ですから、公共の福祉という大義(大気)を重視しながらも、私的な小義(小気)をも考慮する必要があるのではないでしょうか。
  2. 「信義誠実の原則」

     個人や一部集団のエゴイズムによって、他の心(気)や社会全体の雰囲気という「気」を惑わすことはできない、という原則です。

  3. 「権利濫用の禁止」
     法的にある権利を得た者が、その力を利用して「司法」「行政」「立法」の任に携わると、社会全体の「気」を乱します。仁(思いやり)の心をもって、「気配り」することが大切です。
  4. 「公序良俗」
     公の秩序又は善良の風俗に反すると、社会全体の「気」を乱します。しかし、何が公の秩序又は善良の風俗であるのかは、その時代・時代の価値観によって変わり得るものです。つまり、「気」が変わるということです。
     また、一人ひとりが、気ままに成りすぎず、他者に気を配り、他と協調(気を合わせる)することが、社会全体の機運を上昇させることにも繋がるでしょう。

 

 

 この4つの法律の条項は、やり過ぎや逸脱を許さないとする条項ですが、この条項をしっかりと理解するためには、気を張りすぎず、気づまりすることもなく、かといって、気後れすることのない「中庸の精神」(かたよることのない「中」を以て「常」の道をなし、易(か)わらないことをいう)を養うことが肝要かと思います。

 

 つまり、「気」が強からず、弱からず、中庸の「気」すなわち平明な精神を養うことが必要で、中庸は、人間にとって、安定性こそが極めて大事であること、すなわちバランス感覚が大切であることを語っています。フランスの哲学者であったブレーズ・パスカル(1623年~1662年)も、「人間は考える葦である」という有名な一節「L'homme n'est qu'un roseau、 le plus faible de la nature ; mais c'est un roseau pensant.」がある随想録「パンセ」の中で、「中間から逸脱することは、人間性から逸脱することである」と中庸の考え方に近い記述を残しています。

 

【法曹に必須なリーガルマインド】

 

 さて、個別具体的なあらゆる法律に精通し、各法律の細かい技術的な情報や詳しい知識・体験を有している法曹は、実際はほとんどいないと思います。しかし、法曹一般は、法律を取り扱う者として、一般人よりもずっと多くの情報を持っています。

 

 それは、法律の細部についての知識というよりも、倫理観・概括的かつ一般的な原理原則をもってする判断力を優秀な法曹が有しているからであると思います。そして、こういった判断力、法律家としての基礎的な素養は、一般に「リーガルマインド」と呼ばれています。

 

 先に、「信義誠実の原則」にしろ、「権利濫用の禁止」にしろ、「公序良俗」にしろ、きわめて包括的で曖昧な概念であり、一義的ではないと述べましたが、それは実はリーガルマインドに基づく「判断力」によって対処することが必要な所以です。

 

 「判断」とは「真偽・善悪・美醜などを考え定めること。ある物事について自分の考えをこうだときめること。」(広辞苑第4版、三省堂)をいいますが、「判断」というのは、いちいち細かく検討して「判断」する場合は極めて少なく、ほとんど直感的に一瞥して「判断」するのが「判断」の「判断」たる所以でしょう。いわば細部にわたる観察ではなく、ホリスティックな観察、すなわち全体的な知見、見方によって判断するということでしょう。あまり細部にわたって分析的であると全体を見失ってしまい、すなわち、「木を見て森を見ず」という状態になってしまいます。むしろ全体像を一瞥し捉えて判断するのがリーガルマインドなのです。 

 

 そして、リーガルマインドに基づく「判断力」とは、「良心」をもって、交渉相手の「気」と自分の「気」を交流させて、相手の諦念と執着の対象・程度等を察し、それを踏まえてその場に最もふさわしい、説得力ある話法を用いることなのです。

 

 「人を見て法を説け」という言葉があります。この格言は、ブッダ(釈尊)が相手の能力や性質に応じて理解できるように真理を説いたことによるもので、仏言では「対機説法」と言っています。ブッダが説法されるときは機をみて法(生きる道)を説いたといいます。「機」とは法を説く相手の「素質、能力」を指すそうです。その人の人格、年齢、教養、性質、まわりの環境、それらをできるだけ知った上で、その人が理解できるように法を説いたのだそうです。

【参考】

http://homepage2.nifty.com/koudaiji/houwa/m17/houwa171.html

 

 対顧客、対部下、対相手方、対裁判官、どんな場面においても、相手の言動の中からその性向を感じ取り、その人の諦念と執着の対象・程度を見抜きながら、相手が理解できる説明方法を工夫することが大切です。

 

 

【経営判断における「気」のバランスによる「判断力」】

 今まで法曹について述べて参りましたが、「人を見て法を説く」ための、すなわち「気」のバランスによる「判断力」は、企業の労務管理において、千差万別の労働者を相手にする経営者陣にとっても極めて重要な能力です。しかも、それは労務関係だけではありません。ありとあらゆる経営判断において「気」のバランスによる判断力が必要とされることは言うまでもありません。

 

 一番分かりやすい具体例は、「経営判断の原則」ですが、これは「取締役の行った経営上の判断が合理的で適正なものである場合は、結果的に会社が損害を被ったとしても、裁判所は、取締役の経営事項については干渉せず、当該取締役も責任を負わない」という原則のことです。

 

 一例を挙げれば、平成4年(ワ)第5783号取締役損失補填責任追及請求事件【野村證券株主代表訴訟事件】(東京地判平成5年9月16日)は、損失補填を行った証券会社の取締役の行為が、経営判断上の裁量の範囲を逸脱したものとはいえないとされた事例であり、取締役の経営「判断」にスポットがあてられました。

 

 要するに社長を初めとした経営陣の「判断」、バランス感覚すなわち社長を初めとした経営陣の「気」の在り方つまり「良心」の在り方が優れていることが大切です。そしてこのバランス感覚は、前に進むスピードが速ければ速いほど、極めて強く要求されます。なぜならば、スピードが速い中でバランスをとることは大変難しいからです。そして、「気」は、法律家だけが保有すべきではなく、全ての人間が判断する以上、これを尊ぶことが必要なのです。

 

 さて、日本人は非常に安定志向が強いですので、「判断力」は正しいながら、進む力すなわち「前進力」が弱いと言われています。もちろん具体的には改革の立ち遅れ等様々ありますが、それは結局、日本人はスピードの中での「判断力」が弱いということを意味しているのではないでしょうか。すなわちスピードの中での「気」のバランスが弱いということを意味しているのではないでしょうか。だから、日本の社会では「気」を強める様々な試みが盛んなのではないでしょうか。たとえば、空手、合気道、剣道、柔道、弓道等々、日本武道は全てその一点にあるのではないかと思います。それはスピードの中での「気」を磨き、バランスを整えることの必要性を日本人は無意識にも感じ取っているのでしょう。しかし、それは定まった土俵の上でのことであって、日本人は飛躍する発想、新たな土俵を構築することに疎いということではないでしょうか。飛躍をしながらバランスをとるということに日本人は非常に劣る民族ではないでしょうか。そのことが実は日本人にはリーダーシップをとれる人材が少ない所以なのでしょう。そして、そこからあえてリーダーシップを勉強する必要があることになり、本屋さんに行くとリーダーシップの本が真に多く発刊されていることを知るのです。

 

 8月23日(火)から27日(土)まで、私は北京と上海へ行って参りました。今回の出張では、23日(火)午前11時過ぎ(日本時間正午過ぎ)北京空港に降り立ちました。空港では当事務所北京代表処上席顧問律師 王建寧先生が出迎えて下さいました(王建寧先生については、【交友録 その8】8月第4週<8月21日(日)~8月27日(土)>をご覧ください。)。つづいて、25日(木)朝7時(日本時間8時)に北京空港を出発し、上海の虹橋空港へ9時10分(日本時間10時10分)に到着しました。そして、27日(土)朝9時10分発(日本時間10時10分)の飛行機で上海を出発し12時40分に帰国しました。

 

 

 今回の「歴訪記 その3」では、中国滞在中に訪れた様々な場所についてご紹介させていただきます。

 

 

 以前ブログでご説明したことがありますが、ブログに掲載している花の写真は私が撮影しております。中国でも夏のことで花が少なかったのですが、一瞬一刻の開放感を求めて花の写真を撮影して参りました。

 

 

(1)北京語言大学

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(2011年8月24日(水)日本時間 午前10:11 北京語言大学にて撮影

 

 

 私は外国に行く際には、努めて大学を訪問することにしています。大学にお邪魔することによって、その国の知的世界に少しでも浸ること、ひいては外国の大学で講演をさせていただくことを期しているからです。

 

 私が最初に講演をしたのは、1990年6月モスクワ大学法学部です。ここでは、「日本の中小企業の法制度」についてお話をさせていただきました。二番目に講演をしたのは、1991年10月北京大学法学部においてでした。講演のテーマは「日本経済の発展と法制」と題して安保条約が締結された1960年から1969年までの10年間に制定された法律と産業の発展との関係について論じるというものでした。他にも海外の大学で講演をさせていただいたことがありますが、いささか冗長になりますから省略いたします。

 

 さて、今回の訪中では、北京語言大学を訪問しました。【交友録 その8】 8月第4週<8月21日(日)~8月27日(土)>で述べたとおり、当事務所弁護士萩原大吾君が中国語を習熟するべく勉学に励んでいる大学であるからです。

 

 同大学は、北京市郊外にありますが、中国政府教育部直属の大学であり、来年には創立50周年を迎えるそうです。外国人に対する中国語教育で著名な名門大学であり、同大学のホームページによれば、開学以来、全世界の176カ国以上の国と地域からの12万名以上の留学生の育成に関与してきたとのことです。2010年度には、中国人学生3万5千人余と、外国人留学生8千6百人余が在籍しています。中国語の検定試験として世界的に有名な「HSK」も、ここ北京語言大学で開発、研究され、運営もされています。「HSK」とは、母語が中国語ではない者(外国人、華僑、中国国内少数民族を含む)の中国語能力水準を検定するために設立された国家レベルの標準化試験のことです。同大学の正門正面にある一番主要な校舎には「新しい教育理念を創造し、今までの教育理念を強化し、中国語に関する国際教育の水準を高めよう」という趣旨の標語がかかっており、同大学の中国語教育に対する意気込みを感じることができました。

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 (2011年8月24日(水)日本時間 午前10:03 北京語言大学にて撮影

  

【HSKについて】

http://www.hsk.org.cn/Centerintro_J.html

【北京語言大学】

http://www.blcu.edu.cn/blcuweb/japanese/index-jp.asp 

 

 実際に私がキャンパスを20~30分歩いたところ(中国人の感覚からはかなり狭い敷地だそうですが、外壁に沿って歩けば優に1時間以上はかかる広大なキャンパスでした。)、欧米系、アフリカ系、アラブ系、アジア系など、ほぼ世界中といっても過言ではないほどに実に多彩な国からの留学生が見受けられ、ごくごく普通の姿で歩いている姿を目にしました。聞けば華僑の子弟の留学生もとても多く、学生の多様性という点で、英語学習のための語学留学とは明らかに異なる様相でした。学生の殆どはキャンパス内にある17棟の宿舎に住んでいるとのことです。一部の外国人留学生は別として、中国人学生は一部屋に6人から8人程度が一緒に住んでおり、文字通り4年間寝食を共にするわけですから、非常に強い絆が築かれるそうです。

 

 キャンパス内には、いくつもの教室棟や、大きなグラウンドや何面ものテニスコートやバスケットコート、立派な図書館があり、それらの基本的な建物等のほかにも、鉄筋5階建ての立派な巨大な食堂棟、売店、果物屋、コーヒーショップ、コンビニエンスストア、郵便局の出張所、理髪店、書店、温水プール付きのジム、カラオケ店、来客用の宿泊施設までありました。このように日常生活に必要なものがキャンパス内に揃っているので、数ヶ月全くキャンパスから出ないで生活する学生もいるそうです。

 

 さて、キャンパス内を歩いていた際、一人路上で円を描くように歩いている学生がいました。近づいてみると、ICレコーダーを片手に、必死にフランス語の教科書を暗唱していることがわかりました。多くのクラスメイトと一緒に住む部屋では勉強は捗りませんし、声を出しての暗唱は図書館でもできません。修行僧のように勉学に一身に打ち込む姿にとても感銘を受けた次第です。

 

 中国において、イラン系の学生をみることが時々ありますが、それはシルクロードを背景とするアーリア系中国人が往々にして大学に入っているからです。

 中国では大学に入るということは、実は非常に厳しい、難しいことです。大学のランキングが公然とされており、また成績が優秀でないととても入学が許可されません。北京語言大学周辺では10以上の大学が隣立していますが、「それらの大学は80点以上でないととても入れない」という王建寧先生の説明がありました。要するに、古から中国社会は選抜社会ですが、現代の中国においても、きわめて厳しく選抜が運用されているということです。なかでも一番厳しい選抜が行われているのは、共産党の党員です。要するに共産党は優秀な人材の教育・育成のため精力的に力を注いでいます。これが、中国共産党のリーダーシップの源泉となっているのでしょう。そして、そのことが、実は共産党を一党独裁ながらも、なお国民を指揮する、政権を維持する原点となっているということに気づかなければなりません。

 

 

(2)朝陽公園 

 

 

 8月24日(水)、(1)の北京語言大学を訪問した後、午前10時から20分間、北京市朝陽区にある「朝陽公園」を散歩しました。

 南北の長さは約28キロで、東西の幅は約15キロと、総面積280ヘクタール以上もある大きな公園でした。280ヘクタールというと、私も折々朝の散歩に訪れる東京都千代田区の日比谷公園は約16ヘクタールですから、日比谷公園の17倍以上の広さです。北京市四環以内の最大の都市公園だそうで、1984年に工事を開始し、20年後の2004年9月15日に公園全体の開放を開始したそうです。

【参考】

http://bciw.bjchy.gov.cn/feature/chypark.html

 

夏のことで少ししか撮影できませんでしたが、花を撮影しました。

 

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(2011年8月24日(水)日本時間 午前11:03 朝陽公園にて撮影)

 

 

(3)ABC Cooking Studio2号店・上海環球金融中心スタジオ 

 

 8月26日(金)午前11時、上海の浦東にあるABC Cooking Studio2号店・上海環球金融中心スタジオにお邪魔しました。同スタジオは東京でいうと「丸の内」のような場所にあり、上海市内で1番高いビルの2階にあります。 

 木下忍様、粟野幸恵様等のご案内を受けました。2号店が7月に開店されたばかりにも拘らず十分な成果を上げられ、すでに1500人近くの生徒さんを要しておられるとお聞きして、大変嬉しい限りでした。

 

 さて、6月17日付「気」のブログ第1回の記事にて、「男性と女性では生命力、つまりエネルギーが違い、女性のエネルギーこそ男性のエネルギーに勝る」といったことを書きましたが、ABC Cooking Studioでは、まさにこの女性のエネルギーを上手く活用されて、躍進に次ぐ躍進を遂げられています。私に同行してくださった知久信義様も、今回同店を訪問し、「女性がリーダーシップを発揮して生き生きと働き、ピカリと光った職場の姿」という印象をお話されていました。

 

 私は、2005年4月に同社で内紛が起こった以降、関与させていただいておりますが、見事内紛を克服され、当時は生徒数は8万人でしたが、現在では25万人もの方が料理を学んでいることは、まさに女性のエネルギーの賜物であると存じます。

 

 中国においては、5年で50店舗を開店される計画とのことですが、中国でも日本と同様に、女性のエネルギーを活用されれば、5年以内に達成されるものと確信しています。

 

 今後は、日本の市場は、破たん的な状況に陥ることは目に見えています。それ故、海外の市場はどの企業にとっても大切でありますが、ABC Cooking Studioと同様に、女性を活用することが必要でしょう。

 

 同店の女性達と一緒に写真をとりました。皆さん若々しくて元気はつらつでした。

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(2011年8月26日(金)日本時間 午後12:14  ABC Cooking Studio2号店・上海環球金融中心スタジオにて撮影)

語言大学にて.JPG    (2011年8月24日(水) 日本時間 午前10:07 北京語言大学にて撮影)

 

 

(1)当事務所北京代表処 上席顧問 王建寧先生

 

 8月23日(火)、午前11時30分(日本時間午後12時30分)に、北京空港で、当事務所北京代表処 上席顧問 王建寧先生が私たち(当事務所顧問の知久信義様,有限会社セカンドステージ代表取締役社長鮒谷周史様が同行して下さいました)一行を出迎えて下さいました。王先生との出会いは、2003年2月で、まったく偶然のことといってよいでしょう。しかし、必然でもありました。私は、講談社から、2002年10月に、「中国で成功する人事労務の戦略戦術」という書籍を出版しましたが,王先生が、その書籍を読んで下さり、感激されて,わざわざ北京から、私の事務所に訪問して下さったのです。それ以来、9年来、ご縁をいただいています。

 

王先生.JPG 

(2011年8月24日(水)日本時間 午後16:02 王建寧先生)

 

 王先生は、東京 野村証券本店で10年ほどお仕事をされており、その後中国へ帰国され、中国の弁護士資格を取得され、日中友好のために弁護士活動をされています。派手な方ではありませんが,頭脳明晰な方で、かつ、コンプライアンスに徹底する、中国では珍しい弁護士でいらっしゃいます。私は、王先生を信頼しきっており、色々なことでご相談申し上げておりますが、直近のご相談は、小生の北京代表処に、中国人弁護士を新たに活用することであり、王先生のお知恵とお力をお借りしたいとお願いしていることです。当事務所萩原大吾弁護士が、今年6月中旬より8月末まで北京語言大学で中国語習得に励んでおられ、この9月から、北京代表処で勤務を開始します。萩原弁護士は、中国語を相当マスターしている弁護士ではありますが、萩原弁護士の支えとして、中国人の弁護士が必要であるのではないかと判断したからです。

 

 王先生は、私の北京代表処が黒字にならない限り、中国人弁護士を採用する必要はないのでは、という現実的なアドバイスをくださいましたが、私は、敢えてチャレンジして、中国人弁護士を迎え入れようと考えているのです。

 

 王先生のご趣味は、きわめて多岐にわたりますが、私の知っている限りでは、絵画、骨董等、美術に大いにご興味があるようです。私は、王先生から中国画(国画)の掛け軸をいただき、それを東京事務所の入り口にも飾っております。

 

 王先生の奥様は、汪文華様で、日本のNHKにあたる中国中央電視台においてプロデューサーを務められておられ、世界を股に活躍されています。この8月も、アメリカへ赴いてお仕事をされたそうです。汪文華様も、また非常に日本文化に理解のある方で、親日家でいらっしゃり、私は2年か3年に1回、東京でお会いさせて頂いております。直近では、今年の2月9日(水)に、東京都港区芝「とうふ屋うかい」にて開催した会食会でお会いしました。

 

 王先生に見守られて、今後北京代表処は発展していかなければならない時期にいると改めて感じました。というのは、北京が3か月前の状況と変わって、更に一層発展しているからです。私の講談社の書籍をきっかけにして、王先生の日中友好へかける思いが、今日の私とのご縁をもたらしてくださったのですから、これを実りあるものにするには、私も高齢ではありますが、引き続きの努力をさせていただくとともに、新しく赴任し勤務を開始する萩原弁護士が、大活躍することが必要であるでしょう。

 

 中国社会は非常にナイーブな状況ですが、しかし,共産党政権を変えてでも、改善しようという意向は大衆にはありません。共産党政権こそが、今後も中国社会をリードしていくものであるという意識で、大衆が対応しているのではないかと拝察しております。その意味において、中国の民主化への歩みは遅々としておりますが,期待している次第です。

 

10月26日~29日にかけて、私は台湾へ赴く予定ですが、王先生もお招きいたしました。その際の王先生とのやり取りは、改めて本ブログに掲載させていただきます。

 

 

(2)三井住友銀行(中国)有限公司 北京分行 金 昌雪様

 

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(2011年8月24日(水)日本時間 午後12:16 金昌雪様)

 

 24日(水)11:00頃,三井住友銀行北京分行の金昌雪様にお会いしました。久しぶりに三井住友銀行にお邪魔しましたが,私が以前お邪魔した2008年8月には,25年も使っている今に比べれば小さな事務所でしたが,本日お邪魔した新しい事務所は大変立派なオフィスになっていました。

 

 三井住友銀行(中国)有限公司は,三井住友銀行の全額出資により,2009年4月27日(3年前)に正式に中国政府から認可をとり,金融機関として認められました。上海に本店をおき,中国全土に8つの支店と4つの出張所,2つの駐在員事務所があり,大々的に事業を行っています。上海の本店には,600名の行員を抱えているそうですが,蘇州支店は200名,広州支店は150名で,北京支店は少なくて60名とのことでした。

 

 金様と初めてお会いしたいきさつは,当事務所初代中国室顧問であった足代清様でした。足代様とは,銀座のバーでお会いしました。いつも静かにお酒をたしなまれて,長居している足代様と,ひょんなことからお話しを交わすようになり,「一度住友銀行の東京本部においで下さい」とおっしゃるので,住友銀行東京本部(現三井住友銀行大手町本部ビル)にお邪魔しましたところ,もう足代様は定年を迎えられ国際総括部の顧問でいらっしゃったにも拘らず個室をお持ちでした。当時個室を持っていたのは,頭取・巽外夫様と足代様だけだったと思います。

 

 足代様が三井住友銀行を退職された後,1997年に足代様を当事務所顧問に迎え,その翌年だったと思いますが、元部下であった金様を北京でご紹介していただきました。金様も,足代様も,お酒が好きな方ですが,酒席が縁で,このような深い縁に恵まれ私の人脈が繋がっていくことは素晴らしいことだと思います。

 

 ご紹介いただいた当時課長であった金様は,その頃から極めて巧みな日本語で,日本人と遜色のない,むしろ日本人以上にコミュニケーションの良くとれる方で,将来出世するな,と確信しておりました。まさにその通りとなり,北京支店の副行长となられ(行长は日本人の方です),また,总行行长経理助理(三井住友銀行中国有限公司の社長補佐)をされておられます。わずか10年でトップに上り詰めたことは,本当に素晴らしいことですが,ご苦労も,ご心労も多かったことかと思います。しかし,それを意識させない軽やかな口調でお話を続けられる姿にはいつもながらに感銘を受けていました。

 

 金様との思い出は,仕事の上のことではありませんが、中国の社会情勢を色々と教えていただいています。

  

 金様が課長時代に,私が北京の中国法学会で講演した際も,サポートしていただきました。そのとき中国法学会から与えられていたテーマは,弁護士以外の日本の資格者について述べるというものでしたが,司法書士,行政書士,社会保険労務士といった様々な資格者を紹介しました。その話を聞いてくださった金様が,「将来,定年後は行政書士の資格を取得したい」とおっしゃったことに驚きました。中国には行政書士という資格はありませんでしたが、いかに金様が勉強家であるか,よくわかると思います。

 

 さて,金様は三井住友銀行の本店で研修を受けるため度々日本にいらっしゃったこともあり,日本文化にお詳しいのですが,私を北京のそごう百貨店にある吉野家に連れて行ってくださったことが印象深い思い出です。牛丼をいただいた後,金様が私に,「この牛丼は少し変ではありませんか」と質問されたので,私は「いえ,美味しかったです」と申し上げたら,「この吉野家には紅ショウガがないのです」とおっしゃいました。それを受けて,私はその後,実際に,吉野家の社長にその事実をお伝えし,それを受けて吉野家が調べたところ,北京そごう店では,紅ショウガは横流ししていた上に,日本から輸入した純正の醤油ではなくて,安ものにすりかえていたことが判明したそうです。

 

 この他,金様とお話をする際は,何かと食べ物の話が多いのですが,金様のお子様がお寿司を食べたいとねだるので,週末にはお寿司の話が話題に上らないよう苦労されているという微笑ましいお話をお聞きしました。どうやら,お子様がお友達とお寿司屋さんのお話をされているそうで,どこどこのお寿司が美味しかったというお話を聞くと,金様に連れて行ってもらえるようねだられるそうです。このように,北京でも大変な寿司ブームが続いていたようです。日本では寿司文化,寿司職人は少し廃れつつあると聞きます。日本人はものづくりというものに対して,消極的になっています。言ってみれば,株やファンドといった心身に技を磨かない世界で生活する人が多くなっていて,これを解決するには,子弟を教育する制度を大幅に改革しなければなりません。

 

金様は,本年2月に満60歳の定年を迎えられましたが,会社の希望と御本人の希望とが合致して,あと3年の契約をされたそうです。私は,金様の人間性にいつも感心しております。一度日本の三井住友銀行本店の,金様を支えてくださっている方にお会いしたいと思っています。金様を高く評価されている,三井住友銀行の中枢の方にお会いすることが,日中友好に資するものであると信じているからです。具体的な氏名はここで明かすことはできませんが,金様が来日した際はその方とご一緒にお食事をしたいと申し上げました。

 

 

 

(3)画廊上海華氏文化発展有限公司 「華氏画廊」 華雨舟様

 

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(2011年8月26日(金) 日本時間 午前9:54 華氏画廊にて撮影)

 村上画伯(2).JPG(2011年8月26日(金) 日本時間午前9:56 華氏画廊にて撮影)

 

 8月26日(金)午前9時に,上海市准海西路にある華雨舟様の画廊「華氏画廊」へ訪問しました。私たち一行が画廊に到着したおり,華様はすでにお待ちくださっていました。26日は,台北でのアートフェア―に出席されるご予定だったということですが,26日に先立ち,20日に東京六本木で華様とお会いした際に、私が26日にご訪問させていただくことを申し上げたところ,台北行きを27日に変更して下さったのです。

 

 すなわち8月20日(土)は、午後19時から1時間30分ほど、東京六本木で華様にお会いしました。浦上蒼穹堂の浦上満様とご一緒に会食会を開催しましたが、美術の話で盛り上がったことはいうまでもありません。

 

浦上蒼穹堂HP http://www.uragami.co.jp/

 

 その会食会で華様は、将来日本の古い明治以降の画家の美術館を日本に作りたいと言うお話をされていました。また、その古い日本人の画家に学んだ戦前の中国人の多数の画家の作品も、その美術館に置きたいとお話しされていました。大変立派な目標を持たれていて、関心いたしました。

 

 また,華様は、アジアの中で一番安定している国は日本である、規則をよく守る国も日本である、将来は決して暗くなく、明るいものである、というお話を盛んにされました。そのことは、日本人の認識とはまったく異なるものでした。

 

 さて,華様は、1963年上海生まれで、1994年に東京都町田市にある和光大学人文学部芸術学科を卒業されましたが、そもそもは、画家になる心づもりでいらっしゃいました。しかし,自ら、画家としての才能が足りないということを悟られて、その後画商に転じられた方です。

 

 華様は,画廊上海華氏文化発展有限公司の代表で,「華氏画廊」のオーナーでいらっしゃいます。また,上海国際商品拍賣有限公司(オークション会社)の副総経理でもいらっしゃり,他の多くの美術商の方々に推薦されて副総経理になられたそうです。世界を股にかけたオークション等で活躍されています。

 

 私は、華様のご自宅を度々お邪魔させていただいておりますが,中国には珍しく、立派な一戸建てのお住まいで,それは、美術商として極めて精力的に励まれていたからにほかなりません。

 

 華様と私は1998年8月に初めてお会いしました。その時は、「華氏画廊」は上海仙霞路の小さなビルにありました。画廊に偶然小生が飛び込んで、お会いしたのです。

 

 そこには,王向明画伯の絵がありました。かつて、私がシンガポールに赴いた際に、ふらふらと画廊に寄り、素敵な絵を発見しましたが、それが王画伯の絵を見た初めてのことでした。その後、台北に行った際に、またまた画廊に寄り、そこで「California on the beach」という名前の、半抽象画の王画伯の絵を購入しました。これが王画伯の絵を入手した最初のことでした。この経緯を華様にお話ししたところ,まもなくして、南京西路にある王画伯のアトリエへ,華様のご案内で訪問することになりました(華様は,王画伯に今から15年前,1996年頃からご面識をお持ちでした)。今では,王画伯は、売れっ子画家として、中国でも相当の地位にいらっしゃる方ですが、こういったご縁で、私も王画伯の絵をいくつか、所有するに至りました。

 

 さて,その後、華様は、発展に発展を遂げられ、5度も画廊を移転され、「華氏画廊」はどんどん大規模な画廊になっていかれました。現在の「華氏画廊」は上海市准海西路にあり,上海博報堂のビルの隣にあるビルで,2年前にオープンされました。今では2000点を超える美術品を買い取り,保有されています。

 

 華様が評価され成功されている画商である一つの理由は,現実に作品を「購入して」画廊におき,それを評論される点にあると思います。日本の銀座には「華氏画廊」のような規模の画廊は存在しないし,そもそも,日本のほとんどの画廊に置いてある作品は「委託」であって,画商は買い取ってはいません。(この点,浦上蒼穹堂の浦上満様は,華様と同じく作品を「買い取って」いらっしゃいます。)

 

 8月26日には,個人コレクションとして集められているものも写真で見せていただきました。素晴らしい作品ばかりで,優に日本の美術館に匹敵するものであると拝察いたしました。私に同行してくださった知久信義様の弟様の知久正義様は画家であり,それゆえ知久信義様は審美眼をお持ちですが,華様のコレクションには心底驚いていらっしゃいました。

 

 さて,「華氏画廊」には,前回訪問した時(今年5月14日)よりも多くの村上隆画伯の絵が1階フロアーに展示されておりました。華東地区の代理店として販売活動に力を入れていらっしゃると言うことでした。村上画伯は,アジアにおけるモダンアートの旗手として世界的に活躍されており,ニューヨークのサザビーやロンドンのクリスティーズにおいて,最高級の評価を受けている方です。

 

 村上画伯の本画は,何千万円という価格であったため、到底私には購入できませんでしたので、前回5月14日には,村上画伯のリトグラフを二枚購入し(このリトグラフに、署名が無いゆえに,本物であるかどうかは定かではありませんが、私はそのリトグラフから「気配」を感じて、購入しました。),今回26日には,村上画伯の署名入りの自画像をリトグラフで購入しました。村上画伯の自画像はとても珍しいのです。2万元を切ると言うことでした。

 

 また,その他にも,26日には四川大学出身の若い作家の絵を1枚購入しました。これは,日本の美術館はもとより画商には,とても受け入れられないような,かなり先駆的な絵です。しかし,私はそこに「気配」を感じて購入したのです。「かなり先駆的」と言っても,「華氏画廊」にあるというだけで,それはそれなりの評価があるということではありますが。

 

 絵の持つ「気配」については,8月23日、私が今回中国へ向かう機内で読んだ、同日付日本経済新聞朝刊最終面「私の履歴書」の中で、日本画家の小泉淳作先生が、「じっくりと向き合い写生して、風景や静物が発する、生きている『気』をとらえたかった」と述べられていました。私は7月15日付ブログ記事「気を入れて」の記事内で、【気配を伝えるべく「気を入れる」ことが芸術家の仕事】という見出しで、東山魁夷先生の絵のことに触れ、それぞれの絵がもつ「気配」について述べましたが、まさにその通りであると思いました。

 

 また,草間彌生様の作品についてもお話が及びましたが,私がいささか草間様から昔譲っていただいた作品があると申し上げたところ,華様は是非譲って下さいと繰り返しおっしゃられて,今後またご訪問させていただくときに,そのお話しがあると思います。草間様の作品はいまや世界的に評価され,モダンアートの画家のひとりとして大活躍されていることは皆様もよくご承知のことだと思います。

水の気


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(8月21日(日) 午前8:57 東京都文京区小石川植物園にて撮影)

 

  8月12日付記事「大地の気(1)」、19日付記事「大地の気(2)」にて、「植物」にも気がある、「石」にも気があるというお話をしましたが、今回は人間を含む全ての生命体にとって必要不可欠な存在である「水」についてのお話をしていきたいと思います。

 

 

【水の種類】

 まず、少し水の種類について説明しますと、水には「硬度」というものがあって、硬度とは水に含まれるカルシウム濃度およびマグネシウム濃度で表される指標のことです。

 

 自然の濾過水、つまりミネラルウォーターとして市販されているものには軟水も硬水もありますが、日本では軟水の方が好評だそうです。軟水は一般的にくせがないのでそのまま飲んでもおいしく、料理をするのにも適していますが、硬水は、ミネラル成分が多く含まれているものの、くせがあり、そのまま料理に使うにはあまり適していないようです。私も軟水の方を好んでいます。

 

 

 水はアルコールと同じようにものの香りや味を引き出しますが、その力は軟水の方が強いと言われています。よって、コーヒーやお茶、ウイスキーなど香りを求めるものには軟水の方が美味しいと言われます。また、昆布やカツオのだしでは軟水がうまみを抽出しやすいようです。

 

 逆に、肉料理は抽出力の強い軟水では嫌な肉の臭みまで出てしまいます。よって硬水を使うと肉のタンパク質とカルシウムが結合してアクとして抜けて、いい味が出るそうです。欧州、それもイタリアなどで中心に飲まれてきた深煎りのエスプレッソは硬水を用いることで渋みの成分がカルシウムなどに結びついて、苦み・渋みが除かれて、まろやかさやコクが加わるようです。

 

 このように、水は欧州では硬水中心、日本では軟水中心として料理や色々なものに関係し、歴史を作ってきているのです。一概に硬水・軟水のどちらがよいといえるものではなく、用途により使いわけるのがよいでしょう。

 

①体に必要なミネラルがほどよく含まれており

②飲んでおいしいと感じ

③体に悪影響を与える物質を含まない

④イヤな臭いがない(カルキ臭・カビ臭など)

 

水が、質のよい水だそうです。ちなみに、人が一番おいしいと感じるのがミネラルバランスの整っている水(軟水、硬水に限らず、理想的なミネラルバランスはカルシウムとマグネシウムが2:1であるといわれているようです)だそうです。

 

【参考】

http://www.volvic.co.jp/volvic/water/delicious.html

http://goods02.info/water/water01/post-3.html

http://www.aquabar-style.com/literacy/literacy06.html

 

 私の知人である株式会社フロンティア(ペットボトル製造機器メーカーでありペットボトル並びにプラスチックボトル生産の総合コンサルタントなどを業務内容とされています。長野県上田市小島所在。)代表取締役社長 中村喜則様に「名水」についていくつかご教授いただきましたので、ブログの読者の皆様にも知っていただきたく、ご紹介します。

株式会社フロンティア http://www.frontier-inc.co.jp/

 

(1)   北海道の黒松内銘水のミネラルウォーター
…黒松内町は、北海道後志支庁管内の南部に位置し、日本海・太平洋に近く、札幌市、函館市それぞれから約140kmの位置にありますが、その昔堆積した貝殻層の下から取水している天然のアルカリ性ミネラルウォーターだそうです。

 

(2)   ブルボンの天然名水出羽三山の水
…出羽山、月山、羽黒山の霊峰から流れ出た地下水を取水しているミネラルウォーターとのことです。

(3)   JT(テーブルマーク株式会社)の越後の名水

…谷川岳の雪解け水がしみ込んだミネラル水で、軟水で飲みやすい水とのことです。

(4)「白神山水」(藤里開発公社<秋田県藤里町が経営母体の会社。環境庁

の特別許可を得て取水しているそうです。>白神山水の館が製造販売)

…世界遺産・白神山地のブナ林から浸漬(しんし)して出ている美味しい水とのことです。

 

 

【「気」のある水】

 さて、「気」は、6月17日付記事(「気」をテーマとしたブログ第1回「宇宙に存在する『気』」)で述べたとおり、森羅万象宇宙空間一切の事物に関わりをもっています。自然現象である気象、気候、天気、四季、満月、大潮なども、一種の「気」の流れでもあるでしょう。地球は「水の惑星」と表現されるほど水が豊かですが、私たちが飲む水は、気象、気候、天気といった「気」の流れによって雨が降り、それが地中にしみ込んだものです。雨水は、地上に降ると、土砂(石、岩を含む)を通じて、伏流水(河川の流水が河床の地質や土質に応じて河床の下へ浸透し、水脈を保っている極めて浅い地下水)となって、やがて清水となって、そして人間の飲める水となります。

 

 このように、自然水は土砂(石、岩を含む)に濾過され、つまり大地の「気」を濾過しているのではないでしょうか。水は岩を、土砂をくぐり抜けてきます。それは石、岩の「気」、土砂の「気」をも経ているということでしょう。水を吸い上げる植物にもこうした「大地の気」で濾過された自然水というものが影響を及ぼすと考えられます。8月12日付記事「大地の気(1)」でもご紹介したランドブリーズ渡辺憲司様によると、例えば苔を育てる際、塩素などで殺菌された水道水を使うのは絶対にダメだというように、全ての植物は、やはり井戸を掘ってその水を利用するなど「大地の気」で濾過された自然水で育てるのが一番とのことです。

 

 

【「水」は記憶する】

 さて、「気のある水」について述べましたが、実は「水」は記憶するという説があることをご存知でしょうか。

 

 この「水は記憶する」という説は、「気」という意識エネルギー(言い換えれば「想念」、人の想い)が、水に何らかの影響を与えているという推測から研究されている説です。心の在り方が他人に影響を与えるように、周囲の物質にまで影響を与えるということが考えられるそうです。また、共鳴・共振の原理により、その「気」を発する人の周波数によって、周囲の物質(この場合は水)が共鳴・共振する、ということが考えられるそうです。

 

 共鳴・共振とは、同じ分子構造を持った物からは同じ性質の電磁場が出ていて、2つの物質が同じ分子構造の場合、両者の間に「共鳴・共振現象」が起こることをいうそうです。たとえば、鍼灸医療等でつかわれるO-RING(オー・リング)の検査方法において、ある特定物質のサンプルを手に持って検査したとき、患者の生体内に同じ物質がある場合、指の筋力が弱くなり、O-RINGが開くという結果がでますが、これはこの共鳴現象の1つの例だそうです。7月19日付【交友録その2】で紹介した矢山クリニックではすでに実践されています。

 

 話を元に戻しますと、「水が情報を記憶する」可能性については、学術的証明が現時点では難しく、経験的な現象に基づいて仮説を立てている状況だそうです。国際波動友の会代表江本勝先生は、ご著書「水からの伝言」に水の結晶写真なるものを掲載しておられますが、残念ながらこれらは氷が解ける瞬間の結晶写真とのことです。つまり、氷の結晶写真ということになります。水の構造は1兆分の1秒で変化しますので、写真に撮ることは不可能だそうです。しかしながら、意識や言葉(言霊)が水を含めた物質にあるいはエネルギー体に、良きにつけ悪しにつけ、影響を与えうるということを世間に知らしめた功績は大だと評価されているそうです。

 

 また、私の講演等をよく聞いて下さっている村田ボーリング技研株式会社 取締役会長 村田保様の会社の「社長ブログ 溶射屋」2007年12月4日付記事では、この「水からの伝言」で紹介されていた実験を、実際に試されたことをご紹介されています。2002年12月8日にご飯をいれた二つのビンを用意し、片方のビンにはビンに“プラス言葉”(ありがとうございます、感謝、おかげさま、等の言葉)を書いた紙を貼り付け、もう一方のビンには“マイナス言葉”(ばかやろう、死ね、等)を書いた紙を貼り付け置いておいたところ、5年後に、“プラス言葉”の紙を貼り付けたご飯は白いままで、“マイナス言葉”の紙を張り付けたご飯は腐った状態は通り越してご飯とは思えない真っ黒なカリカリ状態になったということです。お米を炊くと、つまりご飯にすると、水分は4割を占めるそうです。ご飯が含有する水が、言葉の持つ「気」のエネルギーを記憶し、それがご飯に影響しているのではないでしょうか。

 

村田ボーリング技研株式会社ブログ 「社長ブログ 溶射屋

http://www.murata-brg.co.jp/weblog/

 

 

 さて、こういった実験の結果があるにしろ、「水が情報を記憶するか否か」を現時点で、100%解明することは極めて困難であるとのことです。かつて、ニュートンはリンゴの実が落ちるのを見て、「月はなぜ落ちてこないのだろう?」という疑問から、万有引力の法則を発見しました。理論化できたのは、それから22年も経過した後であったそうです。「初めに結果ありき」、水の情報記憶のメカニズムも近い将来解明できる日が来るものと、私は科学には素人ではありますが、その可能性を信じています。

 

 

 

【「気」等に関連した医学の今後の取り組み~水の秘めたる可能性】

 

 人間の体はほとんどが水でできており、胎児で体重の約90パーセント、新生児で約75パーセント、子どもで約70パーセント、成人では約60~65パーセント、老人では50~55パーセントが水で満たされているそうです。この数値からも、人間と水とは切っても切り離せない関係であることを痛感しますが、実は「気」のある水を飲むことが大切です。

 

 会議の席では、お水やお茶が用意されています。そして、会議中に、この一杯の水を飲む、お茶を飲む、ということは、ごくごくありふれた光景です。水分を含むと、リラックスできて、会議といった緊張した場面で一呼吸置く、一息つく、ということができるといわれています。これは、一般的には水に含まれるカルシウムやマグネシウムに鎮静作用があるため、といわれているそうです。また、お茶については、緑茶に含まれているアミノ酸の一種であるテアニンが、リラックス効果のある成分であるといわれているそうです。

 

 もちろん、カルシウムやマグネシウム、テアニンによる鎮静作用もあるかとは思いますが、水の有する大地の「気」が、一口含むことによって自分の身体に伝わり、宇宙の力により、緊張がとけ、自分の「気」が通りやすくなるということではないかと思います。そしてそれは新しい発想が生まれるということにも繋がります。そしてお互いの気の交流を容易にして、コミュニケーションの充実にも繋がるのではないでしょうか。

 

 さらに深く考えれば、神前式の結婚式で行われる三三九度の杯(正式には三献の儀と呼ばれます)があります。お神酒を一つの器で共飲することは、一生苦労を共にするという誓いを意味しているそうです。つまり、お互いに「親和性」が生まれると言うことではないでしょうか。お神酒という、同じものを口にすることによって、新郎と新婦の「気」が通じ合うのではないでしょうか。

 

 また、水の音は人間の心を落ち着かせ、鎮めます。それは、人間と水とは波長が合うからではないでしょうか。そもそも人間は海の生物から進化して誕生したと言われていますが、それも理由でしょう。

 

 

【参考】「水と生きるSUNTORY」 HP

http://www.suntory.co.jp/company/mizu/

 

 さて、間中喜雄先生の「身体の中の原始信号」(1990年、地湧社)の11ページに、「私たちの身体には三十億年分の記憶が秘められていて、」…「決して脳や神経系だけで考え感じているのではない」との記述があります。さきほども述べたように、私たちの体は多くを水が占めています。私たちが「記憶」と呼んでいるものは、私たちの脳や神経系だけで考えているものだけを指すのではなく、身体の中の「水」も、様々な情報を記憶していると言えるのではないでしょうか。

 もし、水が情報を得て、それを体内に伝達するという仮説が成り立つならば、例えば、モーツァルトの曲など、気持ちが落ち着く曲を聴かせた水は、それを記憶して、その水を飲んだ人間を落ち着かせる効果なども期待できるでしょう。そしてモーツァルト等を聞かせた山野草の成長は他の音楽を聴かせない山野草より著しいそうです。

 

 このように、「水」には、まだまだ科学的に証明できないような秘めたる可能性が大いにあります。代替医療、補完医療、統合医療、ホメオパシー医療、ホリスティック医学など、精神性や霊性の生命の本質に迫る医療や新たな医学分野である「振動医学」等々にこういった「水」の秘めたる可能性を利用した取り組みを導入するのも、決して夢幻ではないのではないでしょうか。

 

「振動医学」とは

…全身の器官や組織、細胞の一つ一つに生命力を与えているエネルギーの流れが何らかの理由で衰え、エネルジェティック(エネルギッシュ)な滞りができると、そこに病や障害が発生しやすくなります。その滞りを取り除き、エネルジェティックな流れを回復するために、波動を用いるドイツで誕生した医学。

【参考】http://www.subtle-eng.com/annai.html

「最新ドイツ波動健康法」(ヴィンフリート・ジモン著 現代書林発行 2008)

 

 幸いにも日本の医師の約8割は、漢方薬をはじめ、何らかの東洋医学を診療に採用するに至りました。しかし、まだまだ西洋医学が主流であることは否めないことです。「気」という怪しげにもとれる考え方ではありますが、西洋医学一辺倒の先生方でも「気を失う」「気を確かに」「気をつけて」といった「気」という言葉を、日常茶飯事にすなわち頻繁に使っているのがある意味では笑えるところです。恐らく西洋医学の先生方も無意識にでも「気」が存在すると思っておられるのではないでしょうか。

 

 8月13日(土)午後15時から15日(月)の早朝まで二泊三日で、栃木県佐野市にある一乃館において夏休みをとることになりました。大都会の喧騒を離れて、静かな癒しのひと時で、ちょっと嬉しい旅になりました。8月16日付で更新した8月第2週<8月7日(日)~8月13日(土)>の交友録でご紹介した開倫塾の林明夫様とは、年3回ほど折に触れて、温泉旅館で一緒に半ば合宿のような勉強会をかねて休暇をとります。今回は、有限会社セカンドステージ代表取締役社長鮒谷周史様も参加して下さいました。

 

 林様、鮒谷様との話の内容は雑談を含め多岐に渡りましたが、特に開倫塾の「改革の方向性」ということを意識して話が進みました。

 

 私からは、私の最近のテーマのいくつかの中の「ヒューマン・ワーク」と「共同体理論」を中心としてお話をさせていただきました。そして、それは、私の「リーダーシップセミナー」のレジュメの充実に資するためであることは言うまでもありません。

 

 さて、今回の「歴訪記その2」では、この夏休みに訪れた色々な場所についてご紹介させていただきます。

 

 (1)ホテル 一乃館

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(8月13日(土)午後15:53 一乃館のエントランスにて撮影)

 

 

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(8月15日(月)午前5:31 ホテル一乃館にて撮影)

 

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(8月15日(月)午前5:31 朝靄の出流原弁天池を撮影)

 

 

 今回も宿は「一乃館」(栃木県佐野市出流原)を利用しました。一乃館のある佐野市は、日光例弊使街道の宿場町としてさかえ、現在でも明治・大正時代にタイムスリップしたかのような街並みが続き、田園風景に満ち溢れていて、大変心地よい場所です。一乃館の館内は、まさに「大正ロマン」を感じさせる造りになっています。また、敷地に面して、「出流原弁天池」という、1956年に県文化財天然記念物に指定された周囲約138メートルの池があります。この池は、年間を通じ一定の水量(2400㎥/日)、水温(約16度)が保たれており、この湧水は1985年環境庁選定の「名水百選」にも選定されました。

 

ホテル一乃館 http://www.ichinokan.co.jp

 

 

 

(2)ココ・ファーム・ワイナリー 

 

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(8月13日(土)午後16:37 ココ・ファーム・ワイナリーの葡萄畑を背に 左から 林明夫様、私、鮒谷周史様)

 

 

 8月13日(土)午後16:20頃から1時間程、足利市田島町にある「ココ・ファーム・ワイナリー」という醸造場へお邪魔しました。

 

 ココ・ファーム・ワイナリーの経緯は、1950年代、計算や読み書きが苦手な子どもたち(中学校の特殊学級)とその担任をつとめていた故・川田昇様(2010年12月17日に逝去)が、急斜面の山を切り開き、600本余りの葡萄の苗木を植えたことにさかのぼります。この山は、当時知的障害者と呼ばれていた子どもたちのために、「共に生きる道をさぐりたい」との思いで、川田様が私財を擲って購入されたそうです。

 

 1968年には、川田様は補助金なしの自力で、知的な障害を持つ人たちの為の「こころみ学園」の施設づくりに奔走し、翌年、成人対象の知的障害者更生施設として認可がおりました。1980年には学園生の親らが出資して、有限会社ココ・ファーム・ワイナリーを設立、1984年、ついに「ココワイン」が完成したとのことです。このように、社会と、学園生との共生のために様々な施策を成功させ、広く社会の模範となった川田様は、お亡くなりになる8カ月前の2010年4月に、財団法人吉川英治国民文化振興会より、第44回吉川英治文化賞を受賞されました。川田様は受賞を大変お喜びになり、同賞受賞の言葉として、「思いがけない受賞の知らせに冥土への土産をいただいたような気がします。」と述べられたそうです。

 

 ココ・ファーム・ワイナリーも、8月16日付「【交友録 その6】8月第2週<8月7日(日)~8月13日(土)>」でご紹介した霧島高原ビール株式会社(山元正博会長)と同じように、観光客を呼ぶに相応しい施設でした。当然、ワインを中心にしている施設ですが、美味しいケーキをいただくことができたり、珍しい葡萄のお酢や、ノンアルコールの飲み物も用意されていました。

 

 「コツコツとした伝統的な手仕事を大切に、葡萄本来の持つ魅力を確かな醸造技術で誠実に引き出していくこと。一杯のワインが、今日あることの喜びのためにありますように。」とのお言葉がパンフレットに紹介されていました。何種類かのワインを試飲をさせていただきましたが、そのお味は、この後にご紹介します総合文芸誌「足利文林」(第74号-2011年5月28日発行)の中で発行人の中島粂雄先生が「こころみ学園や、森と沼のある谷、そこで作られる人々の苦悩や怯えを癒す不思議な味の極上のワイン」と賞されています。わたしも、川田様のご意志を受け継がれた「ココワイン」を作る皆様の想い(現在、学園の理事長と施設長は川田様のお嬢様お二人が引き継がれているそうです)がワインにしっかりと染み出ていると感じました。ワインだけでなく、ケーキもいただき、少しばかりリラックスさせていただいたいっときでした。「ココワイン」は、2000年開催の九州沖縄サミット、2008年開催の北海道洞爺湖サミットでもふるまわれたとのことです。

 

 ココ・ファーム・ワイナリー http://www.cocowine.com/

 

 

 

(3)巌華園(がんかえん) 

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(8月13日(土)午後17:41 巌華園入口を撮影)

 

 8月13日(土)午後17:40頃から20分間ほど、足利市月谷町にある旅荘「巌華園」にお邪魔しました。巌華園は、作家の檀一雄や、洋画家岡本太郎、俳優森繁久弥等、多数の著名人が訪れた歴史ある旅館です。また谷文晁作庭、渡辺崋山命名とされる、素晴らしい庭園でも有名で、2006年(平成18年)には、庭園文化の展開を知る上で貴重な事例として栃木県初の国の名勝に登録されたそうです。

 巌華園 http://gankaen.it-b.com/

 

 さて、巌華園に訪れた理由は、先にご紹介した「足利文林」(1980年創刊の31年の歴史を持つ総合文芸誌。)を発行している中島粂雄先生にお会いするためです。中島先生は、巌華園のオーナーも務められています。「足利文林」の創刊者である,県文化功労者の詩人、三田忠夫様が1996年に亡くなられた後、中島先生が発行人を引き継いでこられたとのことです。

 

 18:00頃に巌華園を出ると、「迎え盆」ということで、老若男女の人々がろうそくに火を付けて、提灯を持って家路についているのが目につきました。

 

 お盆とは、先祖供養の儀式で、先祖の霊があの世から現世に戻ってきて、再びあの世に帰っていくという日本古来の信仰と仏教が結びついてできた行事だそうです。「迎え盆」というのは、多くの地方では毎年8月13日に行われ、お墓の前で盆提灯や盆灯籠を灯し、お墓から家まで精霊を案内し、精霊を家に迎え入れるそうです。14日・15日の2日間は、精霊が家に留まっている期間ですので、仏壇にお供え物をして迎え入れた精霊の供養をするそうです。3日後の16日の夜に、精霊は再びあの世へ帰っていきます。この時、迎え火と同じように今度は「送り火」を焚き、再び帰り道を照らして霊を送り出すとのことです。

 【参考】http://iroha-japan.net/iroha/A01_event/10_bon.html

 

 「迎え盆」も「送り盆」も、どちらも夕方に行うようです。田舎では未だに見られる風景ですが、徐々にこういった風習はなくなりつつあります。

 

 その後、18:15頃、足利フラワーセンターによりました。何枚か写真をとりましたが、夜の花を撮影したのは,ブログを作成しはじめて以来初めてのことでした。その後、夜の帳の佐野の町を自動車で移動し、一乃館へと戻りました。夜の風景も、まさに、日本のかつての田畑、街並みをイメージするに十分でした。

 

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(8月13日(土)午後18:26 足利フラワーセンターにて林明夫様と撮影)

 

 

 

(4)開倫塾 足利中央校 

 

 8月14日(日)午前9:40頃、開倫塾の足利中央校へお邪魔し、10数名の生徒の皆様にご挨拶をさせていただきました。「勉強とは達成感を味わうことであるが、そのことによって新たなチャレンジ精神が生まれ、次なる目標を定めて取り組む気構えができる」という旨をお話しいたしました。10時10分に辞去しました。(開倫塾については8月第2週<8月7日(日)~8月13日(土)>の交友録もご覧ください。)

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  (8月14日(日)午前9:45 開倫塾 足利中央校の教室にて 左から足利中央校校長 羽鳥正彦様、私、鮒谷周史様と共に撮影)

  

 

 

(5)日本最古の学校 足利学校

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(8月14日(日)午前10:24 足利学校「入徳門」にて鮒谷周史様と共に撮影)

 

 8月14日(日)午前10時20分頃、足利学校を訪れました。今年は、足利学校の復原が完成して20年になると共に、足利市制90年、足利学校中興の祖・上杉憲実(うえすぎのりざね)生誕600年という区切りの年とのことで、「足利学校復原20周年~守り伝えられた学問の場~」展も開催されていました。

 

 

 皆さんもご存じの通り、足利学校は、日本最古の学校として知られています。足利学校の創建の時期については、いくつかの説があるそうですが、学校の歴史が明らかになるのは室町時代中期以後です。また戦国時代には全国から多くの学徒が集まり、江戸時代にも徳川幕府の庇護を受けて継承されてきました。

 

 足利学校の建物は、全て木造の建築で、素晴らしい日本庭園がありました。本ブログで8月12日付、19日付で「大地の『気』」というテーマの記事を執筆しておりますが、この足利学校はまさに大地の「気」が充満した癒しの地でした。足利学校は、天文年間 (1550年頃) の全盛期には学生数3000人という規模を誇ったそうで、キリスト教宣教師・フランシスコ=ザビエルによって「日本国中最も大にして最も有名な坂東(奈良時代の律令制における足柄坂<静岡県駿東郡小山町と神奈川県南足柄市の境にある峠>より東の東海道のこと)の大学」と海外に伝えられるほど活気にあふれていたそうです。ここで昔の若者がのびのびとした心持で学問に身を入れていたことに思いを巡らすと、クーラーのきいたコンクリート造りの狭い部屋で勉強する今の若者に足りないものは大地の「気」であると思った次第です。

 

 

  

(6)栗田美術館 

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(大手門から見た陶磁会館<奥>とミュージアムショップ<手前右>)

 

栗田美術館(2).JPG (歴史館)

 

 8月14日(日)11時過ぎに、足利市駒場町にある栗田美術館を訪れました。これが私の3度目の訪問でした。

 

 私は1990年4月から1993年10月にかけて、「日経アート」に「法律税金相談室」を全43回連載しました。その第12回(1991年3月号)で、栗田美術館を「日本を代表する美術館」として紹介しました。栗田美術館は、故・栗田英男様(1996年没)の蒐集による伊万里、鍋島を館蔵する世界最大級の陶磁美術館として有名です。大きな特色として、江戸時代に世界中に分布した、肥前鍋島藩で生産された伊万里、鍋島のみを、再び買い求めて里帰りさせ展示するという偉業を果たし、また、伊万里と鍋島以外の作品に対しては一顧だにしない信念と一貫した思想を持った美術館です。今回3度目の訪問を果たし、日本一の美術館と呼ぶにふさわしいものだということを再確認した次第でした。

 

 しかし、私がお邪魔した時間には、駐車場に車が4台しかとまっておらず、お盆休み中とはいえども、はなはだ閑散としている印象を受けました。これは日本人が「文化」を愛する気持ちを失いつつあるということではないかと思いました。全国の美術館が経営的に喘いでいるとのことですが、これをどのように国家的事業として大切にしていくか、ということに改めて思いを馳せました。

 

 栗田様は、非常に女性に人気のあった方としても有名との話を聞いたことがあります。その詳細を明らかにすることはできませんが、美術館の展示場に1988年4月15日に米国の大女優、故エリザベス・テーラーが来館した時の写真がありましたが、その写真に、お二人の間には、縁が深かったのではないかと察せられるような雰囲気が流れていました。艶福に恵まれた男性は大成し、モテない男性は大物になれない…それを証明したといえるような写真でした。栗田美術館が日本一であると申し上げましたが、栗田様のお人柄も、日本一のものであったと思われます。

 

 栗田様は、1952年の第25回衆議院議員総選挙で当選され政界入りし、独占禁止法改正案(いわゆる栗田私案)を手掛け、独占禁止法の充実に奔走し、この分野の発展に貢献した方としても有名です。極めて多彩な方であったということです。

 

 

 私は、忙しい日々を過ごしておりますが、都会の喧騒から逃れ、時間の流れの緩やかなところへ宿泊することによって、心身ともに安らかなひとときを過ごし、日々の活力をいささか回復しています。今回訪れた足利は、まさにこれを実現するに相応しい場所で、満足した二泊の旅となりました。

 

 さて、今回の旅に同行して下さった有限会社セカンドステージ代表取締役鮒谷周史様からは、「足利は、『日本最古の総合大学』といわれる足利学校があったことの影響なのでしょうか、伝統、文化、教養の香りの漂う素晴らしい街だと感じました。」とのご感想を下さいました。

 

 鮒谷様は、2004年4月に、私が何度も著作を出版させていただき、公私ともに親しくさせていただいている株式会社かんき出版最高顧問 境健一郎様(当時は代表取締役社長)にご紹介されて初めてお会いして以来、親しくさせていただいております。鮒谷様は、メールマガジン「平成進化論」を発行されておられ、初めてお会いした当時は購読者数が約2万人でしたが、現在ではおよそ20万人の読者がいらっしゃるそうです。素晴らしい経営の才覚をお持ちであると思います。

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(8月21日(日)午後17:10 東京都台東区上野恩賜公園不忍池にて蓮の花を撮影)

 

 

 

株式会社 新規開拓 代表取締役社長 朝倉 千恵子様

 8月17日(水)午後17時10分から18時まで、株式会社新規開拓(東京都千代田区丸の内)へお邪魔しました。同社の代表取締役社長である朝倉千恵子様と共著で、この10月に三笠書房から、経営と営業に関連する本を上梓する予定であるので、そのタイトル等の打ち合わせをするためです。

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(株式会社新規開拓 代表取締役社長 朝倉千恵子様)

 

 朝倉様は、いつもロングスカートを美しく颯爽と着こなしていらっしゃるイ メージがあります。しかし、その朝倉様には、波乱万丈な過去がありました。小学校教員として勤められ、結婚、出産、離婚を経て、35歳の時に人生の転換期を迎えていた朝倉様は、焦って生活力を付けようとして株の業界で失敗してしまい、多額の借金を背負うことになり、無一文の状態になってしまったことが あるとのことです。その時、「もう一度教育業界に身を置きたい」と思い、唯一面接に応じてくれた「地獄の特訓」で有名な社員教育研究所に入社されました。35歳、中途採用、営業経験ゼロからのスタートだったのですが、礼儀、挨拶を徹底した営業スタイルで、何と3年後にトップセールス・パーソンになられたそうです。

 その当時、社員数230名、総売り上げが23億円の規模の会社で、朝倉様は一人で1億円を売り上げたというのですから、その並はずれた営業力には脱帽です。その後、独立の道を選ばれ、平成15年に「有限会社朝倉千恵子事務所」、16年に現在の「株式会社新規開拓」を設立されました。新規開拓では、全国の企業での社員研修や営業指導、講演などを実施されています。その内容は、「即、営業成績に繋がる」と、多数の大企業からも高く評価されています。「人は仕事によって磨かれ、仕事によって鍛えられる。沢山の経験を積み、成長していく。失敗を恐れないでチャレンジしてほしい。」とセミナー等で朝倉様は受講生に活を入れるそうです。どん底とも言える状況から、多くの企業から信頼を受ける企業の代表とまでにご成長される朝倉様の人生が、「仕事を通じた成長」そのものであり、このお言葉をしっかりと裏付けていると思います。
 

 新規開拓は少数精鋭で、現在15名のスタッフで切り盛りされていますが、その内の12人が女性です。これからは男性社員も増やしていきたいと朝倉様はおっしゃっていました。当初、朝倉様が女性社員を中心に会社を構成された意図は、必死に働くお母様の後ろ姿を見て「働く女性の応援団長に成りたい」という強い想いがあったそうです。

 

 2003年より、女性たちの自立支援を目指し女性限定の公開コース「トップセールスレディ育成塾」を開催されていて、卒業生は1200名を超え、働く女性たちの応援団としても支持されているのは、「仕事の世界には男性も女性もなく、ウーマンではなく、ヒューマン。ところが、女性が女性に逃げてしまっている。これは非常にもったいないこと。難しい仕事、困難な仕事ほど、思いきってチャレンジすることが成長、成功のきっかけ」と話される朝倉様の想いが受講する皆様に伝わっているからでしょう。

 

 この 「トップセールスレディ育成塾」は、とても高額です。受講料は20時間で27万900円とのことですが、これに 宿泊費、遠方から来た受講生は交通費も含め、多い方だと70万円位をかけて受講する方もいらっしゃるそうです。全受講生の9割以上が30万円以上をかけて朝倉様の講義を聞きに来るのだそうです。そして、この不況にも拘らず、この塾は着実に成果をおさめられています。

 

 新規開拓のオフィスは、東京駅前丸の内ビルディングの中でも一番素敵な事務所を占めていると思います。17日は立派な応接室に案内されて打ち合わせをさせていただきましたが、その部屋は東京駅に面している心地よい部屋でした。「このオフィスに移ってから1年半になりますが(その前は帝国ホテルタワーに事務所を構えていらっしゃいました)、ずっと蘭が咲き続けています」と朝倉様がおっしゃるので目をやると、3度か4度花を咲かせてきたような胡蝶蘭が咲いていました。伺えば、もうすでに3度花を咲かせたそうです。

 

 朝倉様は、度々セミナーで「観葉植物が枯れている会社に未来はない!」と熱弁されているそうです。朝倉様は、「観葉植物は本当に正直。愛情を持って育てればすくすく育ち、義務的な気持ちだったり、放っておくとたちまちに枯れてしまいます。愛情と根気、細かい気配り、心配りが必要です。部下教育も同じ。」と、セミナー等で、度々、部下の指導育成を観葉植物にたとえられているそうです。このような朝倉様の人財(朝倉様は敢えて『人材』ではなく『人財』という表記を使われます)育成に対するこだわりは、小学校教師時代の「落ちこぼれを作らない」「教育には根気がいる」ということを身を持って体験されたご経験が生きているのだと思います。

 

 毎朝毎朝、日光に当たって、新しい空気にいささかそよいで、新規開拓のスタッフの皆様の愛情、根気、細かい気配り、心配りに、胡蝶蘭が応えてくれているのだと思います。

 

 さて、出版の打ち合わせは順調に進みました。私は来年5月に75歳を迎えることになり、様々な取り纏めをしていますが、出版もその一つであります。朝倉様との共著は、先に述べた通り、三笠書房から出版されるもので、私を「怪物弁護士」、朝倉様を「カリスマセールスリーダー」として、本音を語り合った企画にしようとされるものです。上梓した暁には、本ブログでもご紹介いたします。
 
 

 

 株式会社新規開拓HP  http://www.shinkikaitaku.jp/
 

 朝倉 千恵子様のブログ「熱血社長一日一分ビジネスパワーブログ」
    http://ameblo.jp/shinkikaitaku-asakura/
 

 「トップセールスレディ育成塾」HP http://www.tsl-lady.com/
 

 

 来週 は、8月第4週(今週)にお会いした方々をご紹介したいと思います。

大地の「気」(2)


20110819.JPG 

(2011年8月16日午前6:41 東京都目黒区 中目黒公園にて撮影)

 

 前回に引き続き、今回も「大地の気」についてお話していきたいと思います。

 

【高所恐怖症と「気」】

 

 人間誰しも多かれ少なかれ高所恐怖の感情をもっています。危険が伴うような高い場所で本能的に恐怖を感じることは正常な反応ですが、安全だとわかっていても不安がピークに達するような場合は高所恐怖症と考えられるそうです。

 

 【参考】http://www.u-tsu.com/cat99/

 

 恐怖症の状態は脳に強くアドレナリンとノルアドレナリンが出現し、セロトニンやエンドルフィンがほとんど出ていない状態をいうそうです。また、高所恐怖症は、Specific Phobia(特定の恐怖症)という診断分類に属し、不安障害の一群に入るそうです。転落の経験があると黒いイメージが消えず、高所恐怖症になりやすいということも聞いたことがあります。あるいは前世の記憶も関係しているのではないでしょうか。

 

 ◆用語の説明◆(「広辞苑」第四版より)

  • 【アドレナリン】副腎の髄質ホルモン。心筋の収縮力を高め、心・肝・骨格筋の血管を拡張、皮膚・粘膜等の血管を収縮せしめ、血圧を上昇させる作用をもつ。
  • 【ノルアドレナリン】哺乳類の交感神経の末端から分泌される物質で、化学的にはアミンの一種。交感神経の支配を受けている細胞に神経刺激を伝達する働きをもつ、代表的な神経伝達物質。
  • 【セロトニン】=ゼロトニン。生理活性アミンの一種で、脳・脾臓・胃腸・血小板に多く含まれ、平滑筋の収縮、血管収縮、止血、脳における神経伝達、松果体でのメラトニン合成などに作用し、また脳の活動を高めるといわれる。トリプトファンから合成される。
  • 【エンドルフィン】哺乳類の脳や下垂体に存在するモルヒネ様作用を持つペプチド。
  • 【トリプトファン】芳香族アミノ酸の一。必須アミノ酸として、生体内でインドール・セロトニン・ニコチン酸などの生成に関与し、生理上重要な物質。
  • 【ペプチド】ペプチド結合によってアミノ酸二個以上が結合した化合物。アミノ酸の数に従って二個のものをジペプチド、三個のものをトリペプチド、さらに多数のアミノ酸から成るものをポリペプチド、百個以上のものを蛋白質と呼ぶ。

 

 

 また最近、「超高層ビル症候群」と呼ばれる病気があるそうです。これは超高層ビルのオフィスで働くサラリーマンやOLの間に、めまいや耳鳴り、頭痛、吐き気、生理不順などの症状があらわれていることをいうようです。また、症状が進むとエレベーターに乗るのが怖くなったり、勤務中に漠とした不安をもったりと「出社拒否」にもつながるようです。特にこれといった改善法が無いのが現状なようで、体調不良に気付いた時点で、1階に近い職場へ配置転換させてもらうなどの対応が大切なようです。

 

【参考】

http://www.jiyu.co.jp/GN/cdv/backnumber/200304/topics02/topic02_08.html

http://den-jiha.com/58.html

 

 

 さて、高所恐怖症の社員を抱えていると企業が往生します。何故なら高層階にのみ職場を置いている企業があるからです。配置転換できるような職場が下の階層にあればよいのですが、必ずしもそういう企業ばかりとは限らないため、高層階のみにしか職場を置いていない企業に勤めているこれらの症状を抱える人たちは、職を失うことになってしまいます。そもそも実は「大地の気」を受けないことから高所恐怖症や超高層ビル症候群になるのではないでしょうか。「大地の気」を大いに受けるためにも、私はできるだけ低め低めの階層で仕事をしたり生活をしたりすることが心と体の健康のために必要であると考えます。

 

 さてこの点でいくと実は超高層マンションさらにはオフィスは、ナンセンスの代物といってよいでしょう。40階建て、50階建ての高層マンションがありますが、高所恐怖という点からしても、住んでいる人はいつも不安等の精神状態におそわれていることになります。先にもお話をしましたが、超高層ビル症候群には現状では改善法がないため、事実、超高層の階層に住んでいる人は超高層マンションから脱出したがります。すなわち、転売して移転したがるのです。しかし、本人の思惑とは異なり実は高くは売れないのです。超高層マンションの価格は転売の際に低下していることも多いのです。これは超高層マンションは「大地の気」から隔離されるものとして、市場、マーケットで診断されているからではないでしょうか。超高層マンションは人間の精神に影響を及ぼすものとして、それを建てる業者は最近では、やむなく、20階とか30階とか40階とか中途のフロアーに子どもの遊び場を作ろうとしていると聞きます。勿論、小手先のアイディアでありますが、それではとても超高層マンションが適正なマンションになるとは思えません。人間は本来、大地に足をつけて生きているものだと思います。子どもは「遠足」「いも掘り」「林間学校」等々を通じて自然の中で遊び、学び、自然に馴れ親しむものです。自然は敵ではなく友であるのですが、超高層マンションに住む子どもが不自然なことに、地面で遊びたがらないのは、馴れていない「大地の気」を恐れるからではないでしょうか。万物に「気」がありますが、「気」は生体の電気エネルギーと密接に関連していますので、高層マンションは生体の「気」を乱しやすいと言えるようです。また、気功をしている何人かの友人・知人が「高層ビルの上の階に行くと、『気』の流れが阻害されることを感じる」と口を揃えて言っているので、あながち間違っていないのではないかと思います。

 

 

 

 

【「木」と「気」~裁判所について】

 

 私は弁護士になってもう50年近く経ちますが、結局本物の木造の机にも腰掛けにも座らぬまま人生を終わるのではないかと思います。私はスチール製の家具でこれまで仕事をしてきました。スチール製の机であり、スチール製の腰掛けです。木製の机や椅子を使って仕事をしてきた人よりも,大地の「気」を感じにくいことは言うまでもありません。

 

 さて、最高裁判所長官は違憲審査権(憲法第81条「最高裁判所は、一切の法律、命令、規則又は処分が憲法に適合するかしないかを決定する権限を有する終審裁判所である。」)を司る最高裁判所の長としてまさに「良心」に従って職務を遂行しなければならない立場にあり、また最高の賢者であるべきことを要請されています。(なお、「良心」については、8月5日付ブログ記事「気は心」等幾度も本ブログで述べて来ましたので、そちらもご覧ください。)

 

 それはまさにできるだけ「気」のある場で仕事をしなければならないということを意味しています。また、これは長官に限らず、裁判官たるものは、最高裁判所裁判官であろうと下級審の裁判官であろうと同じことで、みんな「気」のある場で仕事をすることが大切なのです。そもそも裁判所自体、戦前(太平洋戦争前)は、「木」あるいは煉瓦で造られていたことを思い出してみなければなりません。煉瓦造りもまた、土や岩、泥といった「大地の気」を有する自然の素材を利用しているといえるのではないでしょうか。

 

 さて、話は元に戻りますが、裁判官は「良心」にこだわって仕事をしなければならないため、最高裁判所の裁判官の机と椅子がどのようなものであるかは、国民にとって大切なことであり、たとえそれがどんなに高価なものであろうと、引き続き本物の「木」で作った机と椅子を活用してもらいたいし、また木製のフロアで職務に励んでもらいたいと思っております。念のため、関係の方々に確かめましたところ、間違いなくそうであるとのことで、安心しました。

 

 なお、技術の進歩と共に、建築物や家具などは発達しますが、木材を含め自然の資源の量に限界がありますから、現在は材料自身が合成され、いわゆる一枚板の類は減少していると思われます。問題は、木が「木」であることを厳密に考えて材質を確保することかと思いますが、最高裁判所の内部では、それが行き届いているそうです。例えば,最高裁判所の裁判官の部屋は、東北地方の著名な桜の木を加工した特製の壁板でできているそうです。

 

 さて,私が日頃から教えを請うている千種秀夫先生が、ご自身で健筆を振るわれた『古い庁舎をめぐる思いで』という抜き刷りの紙面を私に下さいました。古い庁舎とは裁判所の庁舎のことです。その文章の末尾に、奈良の薬師寺の関係者が、薬師寺の本堂がコンクリートで改装されたことに関連して次のように述べたというくだりがあります。

 

 「『私たちは、コンクリートの歴史というものは僅々100年余しか持っておりませんので、この新しい建築物が良いのかどうかは直ちに計りかねます。ただ、今まであった木造の建造物は、間違いなく千年余を経て今日も健在です。これは事実です。』と。私たちは未知の分野についても、今日までの経験と理論で見通しを立てて前進しなければならないことも多いが、大丈夫と思って進んできたことが本当に大丈夫なのかどうかは、常に監視を怠らず、見直しをしていかなければならないのである。」

 

 このような,極めて含蓄のある千種先生のコメントに触れ,裁判所の古い煉瓦造り、あるいは木造の庁舎を懐かしむだけではなく、「すべての制度の発足に当って、常にこの言葉の趣旨を忘れないようにしたいと思う。」と千種先生がこの文章の結びの言葉にされていることにある通り、年月を経ないと、どんなことも正しいことであったかどうかが分からないということを仰っていることに、私は得心しました。

 

 私たちは、「気」という世界を忘れてしまっていましたが、改めて、「気」が日常用語として様々な場面で頻繁に使用されていることを想い、それが法律にも、裁判所にも、大きな影響を及ぼしていたのではないかと私は気づいたのでした。

 

 ところで、「木」造の建物ということで、最近読んだ本をふと思い出したのですが、「木とつきあう智恵」(株式会社地湧社発行 エルヴィン・トーマ著 2003年初版)には、「特定の月相(月齢により月面の輝く部分が変化する有様「広辞苑 第四版」)に合わせて気を伐る」という「智恵」や、「木造の家屋が化学薬品で保護されなくても無傷で五百年以上も建っている事実」など興味深い内容が書かれています。ぜひご覧になってみて下さい。

 

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