お知らせ

2023年2月10日
訃報

さらに表示

大地の「気」(2)


20110819.JPG 

(2011年8月16日午前6:41 東京都目黒区 中目黒公園にて撮影)

 

 前回に引き続き、今回も「大地の気」についてお話していきたいと思います。

 

【高所恐怖症と「気」】

 

 人間誰しも多かれ少なかれ高所恐怖の感情をもっています。危険が伴うような高い場所で本能的に恐怖を感じることは正常な反応ですが、安全だとわかっていても不安がピークに達するような場合は高所恐怖症と考えられるそうです。

 

 【参考】http://www.u-tsu.com/cat99/

 

 恐怖症の状態は脳に強くアドレナリンとノルアドレナリンが出現し、セロトニンやエンドルフィンがほとんど出ていない状態をいうそうです。また、高所恐怖症は、Specific Phobia(特定の恐怖症)という診断分類に属し、不安障害の一群に入るそうです。転落の経験があると黒いイメージが消えず、高所恐怖症になりやすいということも聞いたことがあります。あるいは前世の記憶も関係しているのではないでしょうか。

 

 ◆用語の説明◆(「広辞苑」第四版より)

  • 【アドレナリン】副腎の髄質ホルモン。心筋の収縮力を高め、心・肝・骨格筋の血管を拡張、皮膚・粘膜等の血管を収縮せしめ、血圧を上昇させる作用をもつ。
  • 【ノルアドレナリン】哺乳類の交感神経の末端から分泌される物質で、化学的にはアミンの一種。交感神経の支配を受けている細胞に神経刺激を伝達する働きをもつ、代表的な神経伝達物質。
  • 【セロトニン】=ゼロトニン。生理活性アミンの一種で、脳・脾臓・胃腸・血小板に多く含まれ、平滑筋の収縮、血管収縮、止血、脳における神経伝達、松果体でのメラトニン合成などに作用し、また脳の活動を高めるといわれる。トリプトファンから合成される。
  • 【エンドルフィン】哺乳類の脳や下垂体に存在するモルヒネ様作用を持つペプチド。
  • 【トリプトファン】芳香族アミノ酸の一。必須アミノ酸として、生体内でインドール・セロトニン・ニコチン酸などの生成に関与し、生理上重要な物質。
  • 【ペプチド】ペプチド結合によってアミノ酸二個以上が結合した化合物。アミノ酸の数に従って二個のものをジペプチド、三個のものをトリペプチド、さらに多数のアミノ酸から成るものをポリペプチド、百個以上のものを蛋白質と呼ぶ。

 

 

 また最近、「超高層ビル症候群」と呼ばれる病気があるそうです。これは超高層ビルのオフィスで働くサラリーマンやOLの間に、めまいや耳鳴り、頭痛、吐き気、生理不順などの症状があらわれていることをいうようです。また、症状が進むとエレベーターに乗るのが怖くなったり、勤務中に漠とした不安をもったりと「出社拒否」にもつながるようです。特にこれといった改善法が無いのが現状なようで、体調不良に気付いた時点で、1階に近い職場へ配置転換させてもらうなどの対応が大切なようです。

 

【参考】

http://www.jiyu.co.jp/GN/cdv/backnumber/200304/topics02/topic02_08.html

http://den-jiha.com/58.html

 

 

 さて、高所恐怖症の社員を抱えていると企業が往生します。何故なら高層階にのみ職場を置いている企業があるからです。配置転換できるような職場が下の階層にあればよいのですが、必ずしもそういう企業ばかりとは限らないため、高層階のみにしか職場を置いていない企業に勤めているこれらの症状を抱える人たちは、職を失うことになってしまいます。そもそも実は「大地の気」を受けないことから高所恐怖症や超高層ビル症候群になるのではないでしょうか。「大地の気」を大いに受けるためにも、私はできるだけ低め低めの階層で仕事をしたり生活をしたりすることが心と体の健康のために必要であると考えます。

 

 さてこの点でいくと実は超高層マンションさらにはオフィスは、ナンセンスの代物といってよいでしょう。40階建て、50階建ての高層マンションがありますが、高所恐怖という点からしても、住んでいる人はいつも不安等の精神状態におそわれていることになります。先にもお話をしましたが、超高層ビル症候群には現状では改善法がないため、事実、超高層の階層に住んでいる人は超高層マンションから脱出したがります。すなわち、転売して移転したがるのです。しかし、本人の思惑とは異なり実は高くは売れないのです。超高層マンションの価格は転売の際に低下していることも多いのです。これは超高層マンションは「大地の気」から隔離されるものとして、市場、マーケットで診断されているからではないでしょうか。超高層マンションは人間の精神に影響を及ぼすものとして、それを建てる業者は最近では、やむなく、20階とか30階とか40階とか中途のフロアーに子どもの遊び場を作ろうとしていると聞きます。勿論、小手先のアイディアでありますが、それではとても超高層マンションが適正なマンションになるとは思えません。人間は本来、大地に足をつけて生きているものだと思います。子どもは「遠足」「いも掘り」「林間学校」等々を通じて自然の中で遊び、学び、自然に馴れ親しむものです。自然は敵ではなく友であるのですが、超高層マンションに住む子どもが不自然なことに、地面で遊びたがらないのは、馴れていない「大地の気」を恐れるからではないでしょうか。万物に「気」がありますが、「気」は生体の電気エネルギーと密接に関連していますので、高層マンションは生体の「気」を乱しやすいと言えるようです。また、気功をしている何人かの友人・知人が「高層ビルの上の階に行くと、『気』の流れが阻害されることを感じる」と口を揃えて言っているので、あながち間違っていないのではないかと思います。

 

 

 

 

【「木」と「気」~裁判所について】

 

 私は弁護士になってもう50年近く経ちますが、結局本物の木造の机にも腰掛けにも座らぬまま人生を終わるのではないかと思います。私はスチール製の家具でこれまで仕事をしてきました。スチール製の机であり、スチール製の腰掛けです。木製の机や椅子を使って仕事をしてきた人よりも,大地の「気」を感じにくいことは言うまでもありません。

 

 さて、最高裁判所長官は違憲審査権(憲法第81条「最高裁判所は、一切の法律、命令、規則又は処分が憲法に適合するかしないかを決定する権限を有する終審裁判所である。」)を司る最高裁判所の長としてまさに「良心」に従って職務を遂行しなければならない立場にあり、また最高の賢者であるべきことを要請されています。(なお、「良心」については、8月5日付ブログ記事「気は心」等幾度も本ブログで述べて来ましたので、そちらもご覧ください。)

 

 それはまさにできるだけ「気」のある場で仕事をしなければならないということを意味しています。また、これは長官に限らず、裁判官たるものは、最高裁判所裁判官であろうと下級審の裁判官であろうと同じことで、みんな「気」のある場で仕事をすることが大切なのです。そもそも裁判所自体、戦前(太平洋戦争前)は、「木」あるいは煉瓦で造られていたことを思い出してみなければなりません。煉瓦造りもまた、土や岩、泥といった「大地の気」を有する自然の素材を利用しているといえるのではないでしょうか。

 

 さて、話は元に戻りますが、裁判官は「良心」にこだわって仕事をしなければならないため、最高裁判所の裁判官の机と椅子がどのようなものであるかは、国民にとって大切なことであり、たとえそれがどんなに高価なものであろうと、引き続き本物の「木」で作った机と椅子を活用してもらいたいし、また木製のフロアで職務に励んでもらいたいと思っております。念のため、関係の方々に確かめましたところ、間違いなくそうであるとのことで、安心しました。

 

 なお、技術の進歩と共に、建築物や家具などは発達しますが、木材を含め自然の資源の量に限界がありますから、現在は材料自身が合成され、いわゆる一枚板の類は減少していると思われます。問題は、木が「木」であることを厳密に考えて材質を確保することかと思いますが、最高裁判所の内部では、それが行き届いているそうです。例えば,最高裁判所の裁判官の部屋は、東北地方の著名な桜の木を加工した特製の壁板でできているそうです。

 

 さて,私が日頃から教えを請うている千種秀夫先生が、ご自身で健筆を振るわれた『古い庁舎をめぐる思いで』という抜き刷りの紙面を私に下さいました。古い庁舎とは裁判所の庁舎のことです。その文章の末尾に、奈良の薬師寺の関係者が、薬師寺の本堂がコンクリートで改装されたことに関連して次のように述べたというくだりがあります。

 

 「『私たちは、コンクリートの歴史というものは僅々100年余しか持っておりませんので、この新しい建築物が良いのかどうかは直ちに計りかねます。ただ、今まであった木造の建造物は、間違いなく千年余を経て今日も健在です。これは事実です。』と。私たちは未知の分野についても、今日までの経験と理論で見通しを立てて前進しなければならないことも多いが、大丈夫と思って進んできたことが本当に大丈夫なのかどうかは、常に監視を怠らず、見直しをしていかなければならないのである。」

 

 このような,極めて含蓄のある千種先生のコメントに触れ,裁判所の古い煉瓦造り、あるいは木造の庁舎を懐かしむだけではなく、「すべての制度の発足に当って、常にこの言葉の趣旨を忘れないようにしたいと思う。」と千種先生がこの文章の結びの言葉にされていることにある通り、年月を経ないと、どんなことも正しいことであったかどうかが分からないということを仰っていることに、私は得心しました。

 

 私たちは、「気」という世界を忘れてしまっていましたが、改めて、「気」が日常用語として様々な場面で頻繁に使用されていることを想い、それが法律にも、裁判所にも、大きな影響を及ぼしていたのではないかと私は気づいたのでした。

 

 ところで、「木」造の建物ということで、最近読んだ本をふと思い出したのですが、「木とつきあう智恵」(株式会社地湧社発行 エルヴィン・トーマ著 2003年初版)には、「特定の月相(月齢により月面の輝く部分が変化する有様「広辞苑 第四版」)に合わせて気を伐る」という「智恵」や、「木造の家屋が化学薬品で保護されなくても無傷で五百年以上も建っている事実」など興味深い内容が書かれています。ぜひご覧になってみて下さい。

 

20110816.JPG

(2011年8月16日午前6:37 東京都目黒区 中目黒公園にて撮影)

 

 

 (1)株式会社源麹研究所 代表取締役社長 山元 正博 様

 

 8月8日(月)、霧島高原ビール株式会社(鹿児島県霧島市溝辺町麓)の山元正博会長をお訪ねしました。山元様は、株式会社源麹研究所の代表取締役社長でもいらっしゃいますが、スロヴァキア共和国の名誉総領事でもあって、スロヴァキア名誉総領事館も設置されていました。スロバキア名誉総領事館を拝命しているということは、国の光、鹿児島県の光として、観光客を呼ぶにふさわしい材料であると思いました。

 

 山元様は、東京大学農学部をご卒業された後、麹一筋でお仕事をされてきたそうです。山元様は、私の「社長フォーラム」(1993年5月~2007年7月、計127回にわたって東京にて開催)に鹿児島からよくご出席くださっていた方で、この度私が鹿児島に赴くにあたり、久々にお会いし、ご挨拶したものです。

 

 日本の焼酎の代表的な商品として「チンタラリ」というものがありますが、これは霧島高原ビール株式会社のものであって、山元様が作られたものです。霧島高原ビール株式会社から直に購入すると15,750円ですが、巷では25,000円以上で売られていて、私も以前そのくらいの金額で知人から購入した記憶があります。これは、「チンタラリ」は1日3本の限定製造で、貴重な銘柄であるからです。「チンタラリ」のボトルに使っている瓶は大変美しいガラスで、これは一個ずつ青森県十和田市奥入瀬で作成している手作りのものだそうです。今度奥入瀬に行った際には、この「チンタラリ」の瓶を作っている会社を訪問させていただきたいと思います。

 

 なお、プラハに訪問する場合は、今後は山元様を通じていただくと、最大限の便宜を図っていただけると仰ってくださいました。私は、耳の故障で、本当に不快な思いをしながらも、様々な人に出会い、色々な場所に赴くことを楽しんでおります。この不快な思いがもう少し軽減したら、東ヨーロッパ、プラハへお邪魔したいと思っています。その際には、山元様のご高配を是非お願いしたいと存じております。

 

 また、お酒の話をブログで投稿するときには、焼酎・泡盛についてもお話ししますが、そのときには、山元様に再登場していただくことにもなるでしょう。

 

 霧島高原ビール株式会社HP http://gen-khb.co.jp/

 源麹研究所HP http://www.genkoji.com/index.htm

 

 

 

(2)匡正堂(きょうせいどう)葛飾 齋藤整骨院 院長 齋藤 博保先生

 

 8月12日(金)午後17時頃より、東京都葛飾区柴又にある齋藤博保先生の整骨院にて治療を受けました。前回治療のためお邪魔させていただいたのは、昨年4月24日(土)ですので、約1年3カ月ぶりのものでした。

 

 齋藤先生とは、1982年8月に初めてお会いして以来、29年来のお付き合いをさせていただいています。私は親しみを込めて、先生のことを「葛飾の齋藤先生」とお呼びしています。

 

 齋藤先生が掲げられている「匡正堂」は、江戸時代末期の1830年、初代の漢方医であった齋藤玄悦先生までさかのぼります。2代目の齋藤周治先生は、古来より伝わる活法殺法術の厳しい修行の中から、柔術は殺すにあらず活かすにあると学び、その結果、活かすということは古来漢方に言われるところの経絡に活の術を与え、肉体に「気」即ち「活の気」を入れることと悟り、齋藤家秘伝の技としてこれを「気絡流柔術」と名付けました。この術は、3代目の齋藤正先生(齋藤博保先生のお父上)へと継承され、「気絡流柔術」をさらに民間治療である柔道整復術に取り入れて、鍼やお灸を用いない、独自の脊椎及び筋を基本とした「匡正術」を生み出しました。

 

 4代目である齋藤博保先生は、この「匡正術」を社会に認知してもらうことを目指して、地道な治療活動を続けていらっしゃいます。近年、高齢化社会問題を受けて、齋藤先生は「元気な老人作り」を目指し、その一環として60歳代からの健康管理に特に力を入れられているそうです。待合室には、「元気で長生きは世の為、家族の為、我が身の為、足は第2の命です」と標語を掲げておられ、待合室には80歳、90歳の患者さんの笑いが絶えないといった成果を上げられているそうです。また、最近では、数十年前にすでに先生が「パソコン病」と命名した、コンピューターにまつわる病の20代の方も多くなっているそうです。性別では、女性のほうが多いとのことで、1日の来院者数は100名前後ですが、時に150名を超えることがあります。

 

 齋藤先生は、1965年に家業整骨業に継承入門をされました。1967年に日本柔道整復師(国家資格)を取得、1971年に匡正堂の屋号を背負い現在の齋藤整骨院を開業されました。齋藤先生は、11人兄弟の4番目ですが、お父上のカバン持ちをしたのも1番、開業したのも1番だったとのことです。現在では、匡正堂グループは海外ホノルルの整骨院を含め20院、40人のお弟子さんを抱え、匡正堂グループの理事長を務められています。匡正堂全体として、これまでのべ100万人を診てこられ、齋藤先生は、そのうち20万人の患者さんを診られたそうです。

 

 さて、匡正堂のスタッフの方々は大変礼儀正しく、また勉強熱心でいらっしゃいます。お弟子さんは、10年間勤めて一定の技能レベルに達したら、分家させるそうです。そのとき、開業資金はお弟子さんには一銭も負担させず、お給料も出し、貸付金(400万~500万円)を自然に返済する方式にするとのことです。腕の良い人は、3年~4年で家を建てるまでになるそうです。

  

 このように、「責任」と「貸し」ということを意識していると、お弟子さんの心構えとして適度な緊張感と向上心が芽生え、治療に専念することで、お客様が自然と増えるのだそうです。先生は、お客様や有名人を追いかけないことをモットーにされていますが、故人では、たとえば福田赳夫先生など、多くの著名人が先生の治療を受けられています。

 

 齋藤先生の本業の腕前の素晴らしさは、私が身をもって体験しておりますが、お仕事以外にも、多彩なご趣味をお持ちです。私が知る限りでも、「ゴルフ」「ガーデニング」「難しいご本の読書」「自動車」などがあります。

 

 先生は、今年68歳になられましたが、ゴルフはシングルプレイヤーで抜群にお上手です。毎年、「関東シニアオープン」(出場資格55歳以上)に出場され、昨年は「日本シニアオープン」(出場資格 プロ50歳以上・アマ55歳以上)に出場されたほどの腕前です。このほかにも、30代からのアマチュアゴルファーが集う大会などにも、若い世代に伍して出場されています。

 

 先生のゴルフ好きは本当にケタ外れで、世界中の有名コースを奥様とご一緒に回られています。有名なところには既に行き尽くしてしまい、昨年の暮れからは、一番ポピュラーなハワイ島のコースに行かれたとのことです。

 

 先生は、難しいご本を読むこともご趣味のひとつとされています。最近では「『孟子』は人を強くする」(佐久協著)を読まれていて、その前は新渡戸稲造の「武士道」を読破されたそうです。昨年4月24日(土)にお伺いした時は、「『白鯨(ハーマン・メルヴィル著)』を読み終わったところなので、これから聖路加国際病院理事長 日野原重明先生のご著書を読むところです」と仰っていました。その豊富な読書量には、感心いたします。

 

 また、先生はクルマが大好きです。クルマ好きの人とであれば、初対面の人とでも、3時間も4時間も楽しくお話しをされています。

 

 このように、多彩なご趣味をおもちの齋藤先生は、次なる趣味として、川の近くに池を作り鯉を飼うという夢をお持ちであるとも伺っております。現在、入札で入手された鯉を60㎝にまで育てられているそうですが、この鯉は、もっと成長すれば1mになるそうです。齋藤先生は、68歳になられてもなお、夢を追い続けていらっしゃるのです。

 

 要するに、私もモットーとする「無用の用」を体現されている方であるということです。

 

匡正堂葛飾HP http://匡正堂.jp/

匡正堂HP http://kyoseido.jp/

 

 

(3)株式会社 開倫塾 代表取締役社長 林 明夫 様

 

 8月13日(土)、栃木県佐野市にある一乃館において夏休みをとることになりました。この夏休みと一乃館についての詳細は、来週に更新する予定の「歴訪記」で述べたいと思いますが、この夏休みの設定をしていただいたのは、開倫塾の塾長林明夫様でした。

 

 62校舎(栃木県、群馬県、茨城県に教室を展開され、埼玉県・東京都に進出予定で、早ければ、来年の今頃には東京に塾を新設されるとのことでした。)、塾生7040名(2010年度ピーク時塾生数)、教職員数400名の北関東屈指の学習塾である開倫塾の塾長でいらっしゃる林明夫様は、慶應義塾大学法学部法律学科を卒業後、司法試験の受験のために、予備校や学習塾の講師、家庭教師をしながら同大学の司法研究室生として研究生活を送っていらっしゃいましたが、29歳の時に司法試験の受験を断念された際、大学時代に刑事政策の研究会(宮沢浩一先生のゼミ)で刑務所や少年院などの矯正施設を何か所か視察し、その際に、刑務所長や刑務官の先生から「ちゃんと勉強さえしていれば、このようなところに来なくてもいい人がほとんどなのに…」とお話しされたことを思い出されたそうです。

 

 そこで、少しでも世の中や子どもたちのためになることができればと、足利市の南端に8畳と4畳半の2間ある家をお借りになり、1979年に開倫塾を創業されました。開倫塾では、学校で受けた授業の補習と希望校に向けての受験勉強の他にも様々な社会的活動をされていますが、その理由の一つは、このような創業に至る経緯のためとのことです。

 

 私が初めて林様にお会いした1994年当時は、開倫塾は生徒数3000名程度の学習塾でいらっしゃいましたが、先にご紹介しましたとおり、この少子化の中で、今では7000名以上の生徒を集めるに至りました。

 

 このように、林様の開倫塾が、少子化の中で順調に生徒数を増やされていることは、林様がカリキュラムの更新に精力的に取り組んでおられ、OECD(経済協力開発機構。ヨーロッパ諸国を中心に日・米を含め30ヶ国の先進国が加盟する国際機関)の教育政策と、文部科学省の教育政策を研究された上で、時代の流れを先取りしてこられたからです。

 

 林様は、開倫塾の経営で大変ご多忙の中、CRT栃木放送(ラジオ)で毎週土曜日午前9:15~から、21世紀の知識社会に対応できる「自己学習能力の育成」の方法について、林様が日本や世界を歩きながら考えた内容をお話しされる「林明夫の歩きながら考える」という番組を25年間も担当していらっしゃいます。この番組は、社会人をも対象として、効果の上がる勉強方法をご教授されている世界で唯一の番組とのことです。また、月に何回もの大学や大学院その他での講演や、執筆活動等も行われています。

 

 上記のご活動に加えて、公益社団法人経済同友会(東京)や、東京、栃木、群馬の経済団体の政策提言等のための委員会に数多く所属されていらっしゃり(その内の多くで役員を務められています)、年間200日以上も会合に出席されるそうです。出席される会合は、国際会議(各地域開催のダボス会議、OECD IMHE<高等教育管理>プログラムのメンバーでいらっしゃるため、その関連会議 等々)や、経済同友会の視察など、海外で行われるものも多く、世界を股にかけてご活動されています。

 

 多数の学会や研究会にも参加されています。今ご紹介したのは林様のご活動の氷山の一角に過ぎず、すべてをご紹介するには、紙幅がいくらあっても足りません。過密なスケジュールで大変ご多忙な日々をお過ごしでいらっしゃいます。

 

 しかし、忙しさのあまりに一つ一つが疎かになるわけではなく、「1つ1つの組織にはそれぞれのミッションがあります。そのミッションを達成するために、その場で全力を出すのが私の考えです。」とのことに私は感服いたしています。

 

 尽すべきは尽す精神で、常に全力疾走で、かつ大変な勉強家の林様が経営される開倫塾は、経営品質向上活動への取り組みが高く評価され、2002年度には栃木県経営品質賞中小企業部門県知事賞を受賞されました。教育界で経営品質賞の受賞は日本で初めてという快挙でした。また2009年には、公益財団法人 日本生産性本部 サービス産業生産性協議会のイノベーションや生産性向上に役立つ先進的な取り組み(ベストプラクティス)を行っている企業・団体を表彰・公表する「ハイ・サービス 日本300選」を受賞されています。

 

 かくのごとく、私の知る限り、林様は、日本一の勉強家であって、そしてイノベーションを推進、実践している方です。林様の車はもう60万キロを走破されているというお話を伺い、真に行動的な方であるという印象を改めて受けました。私が以前乗っていた車は25万キロで、周りの方々に「売りなさい」と勧められて売ってしまいましたが、60万キロというのは驚異的な数字です。今後は林様は100万キロを目指されるとのことでした。

 

 開倫塾 ホームページ http://www.kairin.co.jp/

 「開倫塾 塾長 林 明夫のページ」http://www.kairin.co.jp/akio/index2.htm

 

 

 来週は、8月第3週(今週)にお会いした方々をご紹介したいと思います。

8月7日(日)、朝8時に釧路のホテルを出発し、中標津を経由して、午前10時45分頃、北海道野付郡別海町に位置する野付半島にある原生花園へ赴きました。

 

野付半島への道中では、信号に遮られることもない道を、車で走りまわって、北海道の夏の自然を大いに満喫しました。とりわけ嬉しく感じたことは、アブやブヨなどの昆虫類が、東京とは違って極めて活発で、昆虫取りなどに興じた私の少年時代の色々なシーンを思い出したことです。

 

さて、野付半島へ赴いた理由は、北方四島を遠望しようと思っていたからでした。しかしながら、大変残念なことに、天候に恵まれず、また絵葉書などを売っている売店も見当たりませんでしたので、やむなく「距離16kmの近くて遠い島 国後島」と書かれた看板を背に写真を撮ってもらいました。

 20110815.JPGのサムネール画像

(同日午前10時51分撮影)

 

この地域では、内地とは違って北方領土返還運動が盛り上がっているように思いましたが、そこにも少し陰りがきているのかとも感じました。これは日本の国力の低下とも、大いにかかわりがあるのではないかと思いました。

 

それから釧路空港へと向かい、同地に到着したのは午後の2時30分ごろのことでした。

 

小生は、来年同好の士を募って北方四島に行きたいと思っております。

 

別海町HP http://betsukai.jp/

 

 

大地の「気」(1)


20110811.JPG

(2011年8月11日 朝6時41分 東京都千代田区六番町にて撮影)

 

 

【「植物」にも気がある】

 15年ほど前に株式会社黒石植物園(青森県黒石市)の渡辺憲司様より、「山野草は癒し・和みを与えてくれる存在。独身のOLが仕事を終えアパートに帰り、山野草に「ただいま」と話しかけたりすると、山野草が元気になるだけでなく、OL自身も疲れが取れる」というお話を伺いました。「癒し・和みを与えてくれる」ということは、つまり山野草を始めとした植物にも「気」があるということだと思います。

 

 何年も花を咲かせていない植物に毎日気持ちを込めて世話をしていると、木が花を咲かせるようになったり、逆に「この植木はもう駄目だ」と愚痴を言うと、今まで元気があった植木でもたちまち枯れてしまう、といった話も、私が治療に通っている山手通り鍼灸院の川口博司先生にお聞きしました。

 

 山手通り鍼灸院 http://www.yamate-st.com/

 

 これらの山野草、植物にまつわるエピソードは、人間の「気」と植物の「気」が相互に作用し合っている一つの例だと考えています。

  

 山野草についての最近の傾向としては、先の渡辺様(現在は「ランドブリーズ」栃木県鹿沼市上石川)によると、「苔」が異常に売れているというお話でした。調べてみたところ、「苔玉」などが若い世代に人気だそうです。渡辺様は、「苔は究極の癒しの植物」で、その理由として、

  1. 安定感
  2. 高温多湿の風土にあった安心感
  3. 触った時の柔らかな触感
  4. 復活の強さ
  5. 日本の懐かしい原風景
  6. 手間のかからなさ。

等を挙げられていらっしゃいました。

 

 日本の代表的な庭園の一つである苔寺(西芳寺の通称。京都市西京区にある臨済宗の寺院)の苔は心を落ち着かせます。何故ならば、苔が大いに水と親しむことにあるからではないかと思います。つまり、人間の成人の60%が水で構成されているそうですから、水と親しむ苔に人間が馴染み、癒し・和みを感じるのではないかと思うのです。

 

 つまり、水にも「気」があって、水を多分に含む苔と人間が、「気」を通じながら、「気」が共感・共鳴・共振するということなのではないでしょうか。このことは、日本人だけでなく外国人も熱心に苔寺に来て観賞していることからも頷けるでしょう。

 

 また、先の渡辺様のお話によると、水苔を中心にしたヨシ、スゲなどの死骸が長い年月の間、湿地のなかで腐食したものをピート(泥炭)というそうですが、ピートも色々な品質のものがある中で、水苔の多いものが一級品で、世界の鉢植え園芸にとって無くてはならない植込み材料とのことです。水苔は、人があまり立ち入らない過酷な寒冷地に自生しているそうですが、人間を拒む冷酷な自然で、太古から延々と成長し続けたその数千年の水苔の「気」が、ピートに宿り、全世界の人たちの心を癒す草花をつくりだす元となっているともおっしゃっていました。

 

 さて、「枯山水」という「池や遣り水(寝殿造の庭園などに水を導き入れて流れるようにしたもの。)などの水のない庭」もありますが、庭には殆ど池があり、できたら水が動いている池を日本人は好みます。ささやかでも水が動いている時、マイナスイオン効果も働き、心の安らぎを得られます。

 

 ときたま庭には鹿威しがあって、水の動きとリズミカルな音によっても、人間は安らぎを得るのでしょう。もちろん安らぎを得るということは癒しに繋がっているということです。それは宇宙の気との接合を意味しているのではないかと思います。

 

【参考】

 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9E%AF%E5%B1%B1%E6%B0%B4

 http://minus-ion.ae2k.net/elementary/post-1.html

 

 

 

【「石」にも気がある】

 

 石には、火成岩(マグマが冷えて固まったもの。マグマとは、溶融した造岩物質を主体とする、地下に存在する流動物体のこと。<広辞苑第4版,三省堂>)、堆積岩(岩石の破片や生物の遺骸などが、或る場所に集積して生じた岩石。<同>)、変成岩(もともとあった岩石が、地下の高い温度・圧力で変質し新しい岩石となったもの。<同>)などがあります。

 

 まず、火山が爆発しマグマが流れ出て、冷えて固まると火成岩になります。その火成岩はその後、川の流れなどにのって細かくなり、川の下流などで堆積岩となります。また火成岩が地下でゆっくりと固まり深成岩となり、更に温度や圧力で変質すると変成岩となります。つまり、地球上の石は姿や場所を変え、循環しているのだそうです。

【参考】http://tender-time.net/stonesbasic/basic2.html

 

 さて、私は1961年(昭和36年)から2年間「庭造り」を行っていました。「庭造り」は植木を集めるだけでなく、石も集める必要があります。何故なら「庭造り」には木だけではなく、わび・さびを演出するためにも庭石が重要な役割を果たすからです。また、日本人には、石を愛でる習性があります。何もそれは日本人だけではなく中国人もそうです。中国上海の豫園でも多く見掛ける、江蘇、浙江の代表的な石である「太湖石」は、蘇州付近にある太湖周辺の丘陵から採れる穴の多い複雑な形の奇石ですが、蘇州はじめ中国各地の庭園で鑑賞や瞑想などのために置かれているようです。

 

【参考】http://www.masuki-gardenart.com/SHOP/533953/722578/list.html

 

 また、庭造りや造園等には「土」も不可欠ですが、最近先の渡辺憲司様より奇跡の用土である「鹿沼土」という土のお話をお聞きしたので、ご紹介いたします。

 

 園芸に最も理想的な用土は①水持ちが良く②空気の層がたくさん有ること、この2つが条件とのことですが、この2つを兼ね備えるのは大変難しいのだそうです。

 

 「鹿沼土」は、①関東地方に位置する赤城山が3万年以上前に噴火し、その噴出物が土となったこと②偏西風に乗って、東に位置する鹿沼地方に多く降り積もったこと③重い火山粒は桐生や日光方面、軽い火山粒は宇都宮地方に落ち、最も条件の良い堅さのものが鹿沼地方に降り注いだこと等々色々なよい条件が重なったため、上記2つの条件を兼ね備えることができた「奇跡の用土」なのだそうです。

 

 微妙な堅さ、粒の大きさ、空気層の絶妙なバランス(空気は植物にとって何より重要です。)、清潔感のある明るい色をもつ「奇跡の用土」である「鹿沼土」から漂う「気」に、全国から人々が鹿沼に集まり、色々な園芸の展示会が開かれ、日本で一番多く全国からマニアが集まるそうです。この「鹿沼土」で生産すると、全てのものが元気に育つそうです。根が「鹿沼土」の「気」を喜んで伸び、人工で作ったいかなる用土も「鹿沼土」には敵わないそうです。

 

 さて、話を「石」に戻しますと、私が1961年(昭和36年)当時住んでいた東京都武蔵野市桜堤にて、往々夕方、石屋さんが、都心に昼間売りに行った後に売れ残った石(例えば、三波石など)を投げ売りに来るということがありました。

 

<三波石とは>

群馬県多野郡鬼石町には、赤色があざやかな紅簾石片岩、緑色のうつくしい緑簾石片岩などが見られる、1957年(昭和32年)には国指定の名勝、そして天然記念物の指定を受けている「三波石峡」があります。この三波川で採れる「三波石」は、永年を経ても色が褪せないという点で評価を受け、建築や造園に多く用いられているそうです。

 

【参考】

http://www.hirahaku.jp/web_yomimono/geomado/sekiz26.html

http://onishoko.or.jp/stone.html

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E6%B3%A2%E7%9F%B3%E5%B3%A1

 

 私が石屋さんに声をかけたところ、石屋さんは、「この石は自然石です。」と自慢していました。その際、「発破(ダイナマイト)で欠けた、即ち爆発させた石はだめですよ。自然の石(=発破でない石)でなければだめです。」ということを教わりました。「発破の石は気が割れるからね」ともおっしゃっていました。調べてみたところ、発破された石は、採掘時の削岩などの衝撃や発破の波動を記憶している場合があるということです。

【参考】http://hinohikali.com/kaiun/isinojouka.html

 

 石に気が宿っているというのは、必ずしも科学的ではないかもしれませんが、その存在を否定することも出来ないと思います。例えば日本人の素朴な信仰心は、こうした自然の一部である石や岩に願をかける(=神仏に或る事の成就を祈願する)ことがその原点だと思います。

 また、「夫婦円満」、「家内安全」、「海上保安」や「大漁追福」の象徴や祈願・祈念の対象とされるものに「夫婦岩」がありますが、三重県伊勢市の二見興玉神社にある夫婦岩が有名です。

 このように、石や岩に願掛け等するのは、「気」や「石」「岩」自体にその波動、エネルギーがあると考えられているからでしょう。勿論自然の石や岩に願をかける際には特に、自然石を選ぶべきではないかと思います。

 

 さて、京都市右京区にある臨済宗龍安寺は、その石庭が大変有名です。龍安寺は、「古都京都の文化財」として世界遺産に登録され、そのため観光客が絶えない観光名所です。

 

 ところで、観光客は何故石庭に惹かれ、訪れるのでしょうか。人々が石庭に惹かれる理由は、おそらく殆ど誰も分かっていないでしょうし、私もはっきりとは分かりませんが、私なりに思うところでは、石庭を構成する全てのものが、それぞれ微弱なエネルギー、すなわち波動を出し、「気」を有していて、その「気」が、観光客等鑑賞する人の「気」と共感・共鳴・共振し小さな安定した「宇宙」を創り、そこに浸ることによって心の安らぎを得ているのではないかと思います。

 

 日本の有名な茶室もしかりです。壁にカビで染みをつくりますが、その染みの形で宇宙が見えてくるというのでしょう。日本人は茶室を愛します。愛するということは、好感を持っているということであり、好感を持っているということは、心が和むということ、更には癒しに繋がっているということです。そして癒しに繋がるということは心が落ち着き、安定感が生まれ、宇宙と一体となるということなのです。

 

 そのような宇宙との一体感を得るために、人々は石庭や茶室を訪れるのではないでしょうか。

 

 また、伝承医学(例えば中医学、インドのアーユルヴェーダ)では、さまざまな鉱物(=石、宝石の原石など)も治療に使われているそうです。中近東の薬局では、鉱物が置かれているそうです。つまり、石の有する「気」の効果を活用しているのでしょう。地球のミネラル成分が凝縮して固まったものが石や宝石などの鉱物ですから、それを治療に活用するのも頷けます。また、王族や権力者などが宝石を身につけたのは、装飾の意味だけでなく、石からパワーをもらったり、「気」をもらったり、身を守ったりする意味もあったそうです。

【参考】http://www.mon-age.com/cafe/101210.php

 

 次回も引き続き、「大地と気」についてお話しようと思います。

20110809.JPG

(2011年8月5日午後13時22分

北海道札幌市北海道大学内ポプラ並木に隣接したミックスフラワーを撮影)

 

 

 

(1)社団法人 日中協会 理事長 白西 紳一郎 様

 8月3日(水)午前8時30分から、社団法人日中協会(会長は衆議院議員の野田 毅様)の第59回理事会が東京都千代田区ホテルニューオータニで行われ、私も9時30分まで出席いたしました。

 

 同協会の理事長である白西紳一郎様は、1965年に京都大学文学部東洋史学科を卒業され、1967年から、日本国際貿易促進協会に勤められました。そして、1975年の日中協会設立に伴い、監事に就任され、2000年には理事長に就任されました。1967年以来中国には400回を超える訪問をなさったそうです。このご経歴からお分かりになるかと存じますが、日中友好にかける想いは青年時代から非常に強く「日中友好」に生涯をかけられてきており、また元来ムードメーカー、盛り上げ役と自負されておられます。そして、現在71歳でいらっしゃいますが、大変ゴルフがお好きな健康的な方です。

 

 私は白西様にお誘いをうけて2000年7月から日中協会の理事に就任しています。それは、私が中国の上海に日本高井・岡芹律師事務所上海代表処を1999年5月に設立していたからであります。ちなみに私はその後2006年、北京代表処も設立しております。

 

 さて、中国に進出した日本人・日本企業の多くが「中国人は信用できない」だとか「中国人にだまされた」などとぼやいていたり怨んだりしているのをよく耳にしますが、そのような認識をもつに至る理由は、日本人と中国人との思考が全く違うことを理解していないからだと思います。

 

 かつて孫文先生(1866~1925)は、『三民主義』(岩波文庫,1957)の中で、「中国人は一握りのバラバラな砂である」との論説を紹介されました。一方、日本人はまさに集団主義であります。日本最初の憲法である聖徳太子の17条憲法第1条には、「和を以って貴(たつと)しと為す。忤(さから)ふこと無きを宗とせよ」の一節がありますが、このことは日本人が集団主義を形成してきた根源となっています。ちなみに個人主義的な国民性は何も中国人に特有のものではなく、大陸国家、例えばヨーロッパ諸国の民族やアメリカ人等にも共通して言えることでしょう。

 

 しかし、文化の違う日中が交錯あるいは交流したとき、そこから新たな文化も生まれ得ることに、私たちは心を留めなければなりません。

 

 奈良時代の文人、阿倍仲麻呂は、8世紀初頭,西暦717年に、弱冠19歳にして遣唐使として入唐し、優れた才能を玄宗皇帝に認められ、王都・長安(現在は陝西省の省都・西安)で唐朝の要職を歴任し、ベトナム(越南)の支配人(安南都護府節度使)になりました。阿倍仲麻呂は彼の地で生涯を終えましたが、しかし、日本のことを忘れがたく、有名な和歌を残しています。それは、「天の原 ふりさけみれば 春日なる 三笠の山に いでし月かも」という詩です(753年,55歳の時に作られたとする説が有力です)。長きに渡り中国で仕事をしながら、そして重要な仕事を任されながらも、なお望郷の念が止みがたかったのでしょう。

 

 

 日中文化の懸け橋となった阿倍仲麻呂のお話をいたしましたが、上海と北京に事務所をもつ私は、彼の何十分の一でもいいから努力を重ね、日中文化、日中ビジネスの懸け橋となりたいと思っております。経営的には赤字が続いていますが、これを良しとせず、最善の努力をしながら、社会貢献活動という意味合いも充実させていきたいとして、私は本日に至るまで一生懸命努力しております。

 

 

 

(2)企画集団 知性コミュニケーションズ 代表 小石原昭先生

 

 8月3日(水)の18:30頃から21時まで、小石原昭先生と東京都新宿区神楽坂にあるL'Alliance(ラリアンス)にてお食事をしました。ラリアンスは、一店舗での年間売上が8億円(8000万円ではありません)にのぼり、フランス料理店として東京一・日本一の売上を誇っています。

 

 L'Alliance HP http://www.lalliance.jp/

 

 小石原先生は、1951年に河出書房に入社され、1954年に27歳の若さで若者向け新総合雑誌『知性』を企画、同誌の編集長となられました。1957年に河出書房が倒産後も、先生が中心となって同年に知性社(現・株式会社 知性アイディアセンター)を創立されました。爾来、日本最初のPRジャーナリズムを創造・発展させてこられ、文化人・知識人をシンクタンクとして新しい情報産業を創成されてきた方です。私は、先生とは1988年2月に初めてお会いし、爾来お付き合いをさせていただいております。

 

 先生は60年に亘る編集者人生の中で様々な人にお会いし、そしてその出会いに感謝の念を大いに持たれていたことに、大変感銘を受けました。いつもながらのお食事会では、色々な興味深いお話をお聞きしましたが、印象深かったお話を二、三、ご紹介させていただきます。

 

 第一に、小石原先生は84歳であるにも関わらず、何しろ大変な美食家でいらっしゃいます。様々な食事処にお出かけになられておられますが、何十年もの間昼食・夕食を外食なされておられます。そのような生活をされてきたにも関わらず、健康そのものです。勿論、健康には万全な気配りをされて いますが…。

 

 かつては、フランス料理が大好きでいらっしゃり、それは5年位続いたそうですが、今では99%といっていいほど、和食をお召し上がりになられているそうです。蕎麦、寿司、鰻等々美味しい料理をいただきながら、年中無休で働き続けていらっしゃるというお話をいつもながらお聞きしました。このお話は,7月26日付「2011年7月第4週<17日(日)~23日(土)>の交友録 その3」でご紹介した「自己欲するところの美味いものを食いつづけようとする意欲は、一概に贅沢などという平凡な一語に動かされてはならない。平凡な輩がいうところの『贅沢食い』をつづけ、心身の健康をつくり、人一倍優れた仕事が出来得るならば、美食は経済の本旨に逆らうものでないのではないか。」という魯山人の言葉の趣旨と同じであると思います。

 

 

 第二に、人は高齢になればなるほど、半ば当然と言っていいくらい物忘れが強くなるものですが、先生は正に頭脳明晰、記憶力抜群の方でいらっしゃいます。先生は昔の話を日時・場所・時間、その話から派生するエピソードまでもしっかり記憶されている驚くべき方です。私は往々にして、お話しさせて頂くのですが、昭和史・平成史の本を書かれたらどうですか、皆さんびっくりして感激なさると思いますよ、と何度もお勧めするのですが、頷いて下さいません。先生は名文家ですから、読者に感銘を与えるのは容易なことでしょう。

 

 例えば、ヤクルトの故・松園尚巳様についてのお話をしました。私も松園様とは2度ほどヤクルト社長室でお会いしたことがございますが、先生と松園様は松園様が他界された1994年まで、54年にわたるお付き合いをされていました。文藝春秋2011年3月特別号に、先生は松園様との思い出を「鰤」というタイトルのエッセイで発表されています。エッセイは、お正月に毎年鰤を送ってくださっていた松園様が他界された後も、秘書が『オーナー(松園様)のご遺志ですから』と鰤を贈り続けて下さるというエピソードで、松園様の「他界されてもなお発揮されるオーナーシップ」には感銘をうけました。

 

 私は、松園様からお聞きした当時のエピソードとして、ブラジルで丸ごと1軒の大邸宅を買って、また、「ブラジルのピカソ」と呼ばれたマナブ間部(マナブ・マベ)氏のことも松園様からお聞きしました。また、その大邸宅にあったステンドグラスだけを日本で売って元をとったというお話もお聞きしたと申し 上げたら、「丸ごと1軒だけではなく教会までも買った」とか、私のぼんやりした記憶を甦らせていただきました。要するに、私はステンドグラスを売って一軒家の代金の元をとったという話しか記憶していないのですが、小石原先生は詳細に覚えておられたのです。

 

 先生とともに、年に数回お食事をさせていただくことが楽しみであるのはいうまでもありません。私のワイフの高井孝子の弔辞も、先生に書いていただきました。先生が弔辞のなかで私に贈ってくださった言葉「愛する人を喪(うしな)っても、愛する幸せを知らないよりはいいと思います」(日野原重明先生)は、いまも私のささえです。

 

 知性コミュニケーションズHP http://www.chisei.co.jp/

 

 

 

(3)堺屋 太一 先生

 8月4日(木)14時45分から約30分程、堺屋太一先生に、先生の事務所でお会いさせていただきました。堺屋先生にお会いしたのは今回が初めてのことでしたが、先生は1935年生まれで、私は1937年生まれですから、ほぼ同年代で、同じく東京大学卒業でいらっしゃったこともあって、お話も弾みました。

 

 堺屋先生は東京大学経済学部卒業とともに通商産業省(現・経済産業省)に入省され、1978年に退官されるまでの間、1970年の大阪での日本万博博覧会の開催を実現され、また沖縄観光開発などを推進されました。その後はテレビ、雑誌等で幅広い執筆・講演活動をおこなわれ、また1998年から2000年まで小渕内閣、森内閣において経済企画庁長官を務められました。学者としても東京大学先端科学技術研究センター客員教授、早稲田大学大学院ファイナンス研究科教授、関西学院大学専門職大学院経営戦略研究科客員教授などを歴任されています。小説家としても著名な方で、ご著作は、第一次ベビーブーム世代を「団塊の世代」と位置づけ、現代日本の社会学に影響を与えた『団塊の世代』(文藝春秋、1980)、1982年のNHK大河ドラマの原作となった歴史小説『峠の群像』等、多岐多数に上ります。私も少しは著作をしておりますが、小説を書く筆力はとてもなく、いつもながら感嘆しています。

 

 さて、堺屋先生の奥様は美術展覧会で数々の受賞歴がある画家の池口史子様です。先生の事務所には、各部屋にそれぞれ違った趣の絵画が飾られていますが、先生の書斎の先生が座る椅子の奥には奥さまの絵画が飾られていました。そして先生は絵画はこよなくお好きでいらっしゃるようでした。奥さまの絵はオーストラリアの風景を描いたものではないかと拝察したのは、私の知人で以前オーストラリアにお住まいで、現地の風景を描かれたことのある長野県飯山市にご自宅兼アトリエをお持ちの画家の山田真巳様の絵に通ずるものがあったからです。お二人の絵は、それぞれの個性があり、池口様の絵は鮮やかな色遣いによって大自然の「動」を、山田様は落ち着いたどこか寂しげな色合いで大自然の「静」を、それぞれ表現されているようにも思えました。

 

 さて、堺屋先生は大変な勉強家で、現在,公務員改革と地域主権の道州制の導入に熱心に取り組まれているというお話しを頂きました。私はかねてから、国家公務員、地方公務員あわせて100万人を削減すべきだと申し上げてきました。民営企業に勤める人の賃金はどんどん下がり、非常に貧しくなっているにも拘らず、公務員は非常に高い賃金を、年功序列型で今なお自然と昇給しながら受け取っているようなシステムでは、日本はとても持ちこたえられないと存じていましたが、堺屋先生はまさにこれを公務員の出身であるにもかかわらず、実現されようと意気込んでおられたのです。

 

 さて当日堺屋先生には、2つのことをお願いしました。 

 

 1つ目に、小生がこの3年間主催してきた「キャリア権研究会」についてお言葉を頂きたいということで、キャリア権研究会がこの6月に報告書を作成して、キャリア権の普及の段階になってきたということを踏まえ、堺屋先生にしかるべきときにご講演をお願いさせて頂くかもしれないということを申し上げました。(キャリア権研究会については、7月19日付「2011年7月第3週<10日(日)~16日(土)>の交友録 その2」をご覧ください)

 

 2つ目は、「貴水」についてです。これは当事務所発行の事務所報2011年新緑号と、5月20日付のブログ記事「原子力発電に代わる新発電方式の提案」を印刷したものをお渡しし、研究施設をご紹介いただきたいたい旨をお願いしたところ、「この紹介は大変難しく、日本の研究所では理解されず、適確な答えが見つからないでしょう」とのことでした。「私もそう思います」ということで、お願いは実現できませんでしたが、今後、何かしかるべき研究施設を思いつかれたら是非紹介して頂きたいとお願いしました。

 

 今後キャリア権と貴水を通じた新発電方式の研究などを通じて、今後何かと先生にご指導を頂ければと存じております。

 

 

 

 来週は、8月第2週(今週)にお会いした方々をご紹介したいと思います。

気は心


20110804.JPG

(2011年8月4日朝6時36分 東京都千代田区 靖国神社付近にて撮影)

 

 

 

【気は心】

  他人から何かをしてもらった時、何かをプレゼントしてもらった時、何か「親切」を感じた時に、「気は心」という言葉を使います。親切心は、人間と人間を結び付ける絆の一つです。人間という言葉は「人の間」と書き、人と人との間にこそ人間としての存在意義があります。そして、自分がどんなに苦しくて大変な状況になっても、人間には他人に思いを馳せることができる能力があります。これが「親切心」でしょう。「親切」とは、「弱い立場にある人や困った目にあっている人の身になって、何かをしてやったりやさしく応対したりすること」(新明解国語辞典第6版、三省堂)です。円滑な人間関係を構築するためには、「親切」という、人間同士を結合させる「心」、「気」の働きは極めて大切なことなのです。

 

 

  私は、「心」の周りにあるモヤッとしたものが「気」だと思います。つまり、「気は心」という言葉は、「心」の更に外側に大きな「気」というエネルギー地帯があるということを意味しているのではないかと思います。逆に言うと、「気」の核を「心」というのではないでしょうか。「気は心」という言葉を短縮して「気心」という言葉がありますが、つまり、「気」と「心」はまさに一体のものであることを意味していると思います。そして、「気」の方が「心」より先に表現されているのは、「心」より「気」の方が大きいということを意味しているのでしょう。

 

  「気心が知れた」、「気心が分かる」という言葉がありますが、「気」その核心の「心」を持つことができ、それを知ることができるのは「気」「心」には微弱エネルギーや波動といったものがあるからでしょう。

 

  「気は心」という世界を実現するためには、「気」という物事を察知する警報なりアンテナなりを張り巡らさなければならないと思います。そうでなければ、「気は心」という親切心は成り立ちません。人間の器というものは、実はこの「気」というアンテナの大きさ・深さによって勝負しているといって良いのではないでしょうか。

 

  また、「縁は縁を繋いでこそ円になる」という言葉があります。私は今まで、交際範囲の広く信頼のおける多くの知人から様々な人物をご紹介していただき、それによって私も交際範囲を広げることができ、多数の企業様からご依頼を受ける事務所へと成長することができました。

 

  ブログの交友録その3(7月26日付記事)でご紹介した曹洞宗大本山總持寺祖院の監院である今村源宗先生は、2000年9月からお付き合いさせて頂いている七尾自動車学校 代表取締役社長 森山外志夫様にご紹介いただきました。今村先生はお会いした同日の7月19日付のお手紙で「人に学ぶということが第一番の『縁』と存じます」という有難い言葉を寄せてくださいましたが、まさにその通りであると思います。

 

  ですから、私も、自分の親しい知人を別の知人へとご紹介する仲立ちをし、いってみれば弁護士活動ひいては人間としての活動の支援をさせていただいております。こういった他人に対する「気づかい」こそ、「気は心」という世界の一つの現れかと思います。

 

 

 

【弁護士は「気は心」の精神で臨む】

  弁護士はなんといっても自分の良心を示す、「気は心」の精神で臨まなければなりません。つまり、弁護士は絶えず依頼者のことを思い、そしてその思っていることを依頼者に伝え続けること、親切が必要でしょう。

 

  何かの折に気がかりなことが生じた時、あるいは音信がない時に、依頼者のことを思って、それとはなく電話をするなり、あるいは書面・メールを送るなりして問い合わせ、確認することが必要です。

 

  仕事を貰うまでは依頼者によく連絡をし、仕事を頂いたら(たとえば弁護士について言えば委任状をもらったら)、もう依頼者から連絡なりがなければ放っておく等、受動態のスタンスになる、さらにいえば冷たい態度をとる弁護士が多いのですが、それは「気は心」という世界を演出していない、あるいはそういうような気持ちになれない人物なのでしょう。こういった弁護士は、いずれは社会的評価の低い存在になってしまうでしょう。

 

【私心とは】

  私は、「気は心」の精神を絶えず心に留めて弁護士として仕事をしてきました。「気は心」の精神とは、つまり、「真・善・美」を追求する姿勢と、「夢・愛・誠」を旨として取り組み、またそれだけではなく、「義理」・「人情」に生きて、「(自己)規律」を負うという態度をとってきたということなのです。

 

  こういった対応を私は「良心にもとづいて仕事をする」という言葉を使って説明していますが、この「良心」とは、その詳細は「何が善であり悪であるかを知らせ、善を命じ悪をしりぞける個人の道徳意識」(広辞苑第4版)と解されています。

 

  「良心」に対峙する言葉は、「私心」です。およそ「私心」というのは、霊的ではなくて、動物的な意識です。

 

  「私心」のあるなしは、全ての人に関係することであり、「私心」のある人は、浅い人間関係社会において、かろうじて生きていくことになります。

 

  つまり、「私心」とは「私欲」とか「利己主義」という意味にも理解されるものであって、そして「邪心」、つまりよこしまな心、不正な心のことでもあります。つまり、人間性を失った心ということです。人間性を失ったということは、人間としての意識・霊性をも失ったということでしょう。人間は社会的動物と言われますが、「私心」があれば社会性を失うということにもなります。

 

  「私心」という邪悪な心をとりまく「気」は、もちろん邪悪であり、そういった「気」を発しても、相手は受け取らないでしょう。要するに、他人に「心」が伝わらない人は、「私心」のある人で、邪悪な気のエネルギーを有しており、相手に「邪心」として映って反発されるからです。それが人と人との協調を阻むことにもなります。

 

 

【良心に悖る】

  「良心に悖る(もとる)」という言葉があります。「悖る(もとる)」とは、「そむく、さからう」という意味です。「良心に悖る(もとる)」は、広辞苑には載っていないのですが、不思議なことです。そもそも、この「良心に悖る(もとる)」という言葉が、一般に慣用語句として使用されていないということでしょうか。この言葉は、例えば日本初のヨーガ行者で天風会の創始者である中村天風先生の本『中村天風 一日一話 元気と勇気がわいてくる哲人の教え366話』の8月30日に記載があります。

 

  「本心(「本心」とは広辞苑によると良心と同意義です)良心にもとった言葉や行いというものは、それ自体すでに消極的なんです。積極的じゃないんであります。というのは、本心良心にもとると、やましい観念のために心の力は常に萎縮してしまう。本心良心の発動した場合における言葉や行いというものには、一点のやましいことがないから、どんな場合でも恐れることはないという意味です。ですから、一言ものをいうときでも、ちょいとした手足を動かす場合でも、本心良心にもとらないようにしなくてはなりません。」

 

  ところで、嘘発見機(代表的なものとしてポリグラフを使用した装置が有名)という装置を皆さんも耳にされたことがあるかと思います。この装置は血圧や心拍数の変化を読み取ったり、脳波や声紋を測定したりと様々な種類のものがあるようですが、本心良心にもとる言葉や行いを発すると、その邪悪な「気」や「心」の働きから人間の生理現象に変化が表れ、この装置に反応するのではないかと思います。

 

 天風先生の上記言葉を簡単にまとめれば、良心にもとるとなると、やましい観念のために心の力は常に萎縮してしまいますが、良心の発動した場合における言葉や行いというものには、一点のやましいことがなく、全身全霊で取り組んでいるから、どんな場合でも恐れる必要がないということです。

 

 また、火事場の馬鹿力、という言葉があります。これは、科学的に言えば、人の脳というのは、筋肉を動かしたり、行動を起こすときに、普段は70%~80%程度の力しか出さないよう、脳がコントロールし、セーブしているのだそうです。なぜなら、常に100%の力で筋肉や身体を動かしていると、筋肉や骨に負担がかかり、身体を壊してしまうからだそうです。しかし、「火事場」のような、危機的状態や人を助けなければならないような状態に遭遇すると、この脳のセーブ機能が外れ、アドレナリンによって増幅され、そして100%の力(パワー)を発揮出来るのだそうです。

【参考】

http://blog.goo.ne.jp/senses1123/e/9b76419e188fe3c596577cfad33d1a4c 

 つまり、「火事場の馬鹿力」は、いってみれば潜在的能力のことで、これは、邪心を捨てて、良心に従い、「心」の力を強く持つことによって、「心」のブレーキが切れたときに、「心」の力が強くなってその力を引き出すことが可能になるということでしょう。そのときは単に「心」だけではなく、「心」を覆う「気」も解放され、心力とともに気力も充実し、強大になるのだと解釈しています。

 

 次回以降も「気」に関係するブログを投稿します。

 

高井・岡芹法律事務所
会長弁護士 高井伸夫

(次回に続く)

20110802.JPG

(2011年7月31日 朝6:58 東京都千代田区日比谷公園にてインパチェンスを撮影)

 

 

(1) 株式会社木村興農社 代表取締役 木村 秋則 先生

 7月24日(日)11時45分から12時40分まで青森空港の和食処ひばにて木村秋則先生にお会いしました。

 木村先生には、来年2012年12月7日(金)に弊所が開催する年末講演会にご出講をお願いしたところ、ご快諾をいただいたので、今回青森に赴いた際に空港でお会いした次第です。

 先生は、自然の力のみを利用した自然栽培農法を20年余にわたり、実践されていて、特に不可能といわれてきたリンゴの無農薬栽培を成し遂げ(もともとリンゴは通常十数回の農薬散布が必要なほど病害虫に弱いそうです)、ニュートンやライト兄弟よりも偉大な奇跡を成し遂げた方とも言われています。2006年12月7日NHK「プロフェッショナル 仕事の流儀」で先生の特集が放映され、りんごの無農薬栽培を成功させるために試行錯誤、苦闘されてきた先生のエピソードは、視聴者の大きな反響を呼んだそうです。

 このNHKの番組を基に出版された先生のご著書「奇跡のリンゴ」(幻冬舎、2008)を私も購入し拝読しました。リンゴの持つ本来の生命力を信じ続け、そして成功を収められたエピソードは、リンゴに限らず、私たち人間も、自らの「生命力」「生きる力」について見つめなおし、中医学やホメオパシーなどの代替療法を取り入れ、ホリスティック医学(生命ある人間のからだを環境も含めた丸ごと全体としてとらえ、いのちのエネルギーを高めていく)の確立をしなければならない時期にあると感じました。(ホリスティック医学については、7月12日付の「7月第2週 2日(日)~9日(土)の交友録」もご覧ください。)

 先生は、自然保護の観点から様々な事柄に取り組んでおられる方です。また、この不況下にも関わらず、年間200回もの講演を引き受けておられ、お会いした前日の23日も八戸で講演されて青森県弘前市にご帰宅の途上、空港で落ち合ってお会いさせていただいた次第です。

 実際にお会いしてみて、津軽弁丸出しの素晴らしい話術の持ち主で、かつ非常に明朗闊達な方という印象を受け、年末講演会では必ずや素晴らしい講演をして下さるに違いないと確信致しました。私からは、「僅か1時間ほどの講演ですが宜しくお願いします」と申し上げ、今後、年に1~2回のペースでお会いさせていただき、講演に備えていただくことになりました。

 先生にご講演いただく2012年12月7日(金)の年末講演会には、皆様もふるってご参加のほどよろしくお願い致します。木村秋則先生の講演を大いに楽しみにしましょう。

株式会社木村興農社HP  http://www.akinorikimura.net/

(2)   双日株式会社 社長 加瀬 豊様・執行役員 西原 茂様・秘書部上級主任 五十嵐 なみ穂様

 7月26日(火)夕方18時30分より21時近くまで、加瀬 豊様、西原 茂様、五十嵐 なみ穂様とリーダーシップセミナーの取材のため東京・芝とうふ屋うかい(東京都港区芝公園)にてご歓談させていただきました。

 加瀬様とは、1988年に加瀬様が日商岩井株式会社で人事部人事チームチームリーダーを務められていた当時にタイ支店でお会いしたのですが、最近のご活躍ぶりを改めて嬉しく思い、今般、リーダーシップについてご教授をお願いした次第です。

 西原様と五十嵐様は、今回初めてお会いしましたが、西原様は、頭脳明晰という印象で、加瀬社長から信頼を寄せられていらっしゃることが分かりました。五十嵐様はベテラン20年選手の秘書さんでいらっしゃいますが、若々しさがみなぎっていらっしゃいました。私は、故・速水 優様とは日商岩井株式会社の代表取締役社長でいらっしゃった当時にご面識がございました(後に第28代日本銀行総裁になられました)が、五十嵐様はその当時から秘書として勤められているとのことでした。

 さて、取材のお話をしますと、予め「リーダーシップ」についてご質問した5つの項目につき、それぞれがご回答をご用意して来て下さっており、それぞれ実務に即した忌憚のないご意見を述べられました。結論的に言えば、「リーダーシップはそれぞれの個性にあったものを確立しなければならない」ということでございましたが、当然のことながら、その必須条件、ポイント、スペック等々を語って下さりました。

 「リーダーシップ」は、私が人生の最後の課題としてチャレンジする75歳からの講演の基本テーマです。私が75歳となる来年の5月9日から100回を期して、全国で講演を行う予定であり、その目的は言うまでもなく、日本人の後継者に日本人によるリーダーシップはどうあるべきかを語ることにあります。ドラッカー論とか何とか論によらずに、日本人の手による、そして、日本の思想家による、更には東洋の思想に基づく、リーダーシップ(統率)論を展開したいという思いからであります。

 あまり偏頗な考え方にならず、おおらかな形で論稿をまとめ、100回達成の時点で本を上梓したいという思いにかられているため、その100回記念が77歳になるか78歳になるか分かりませんが、レジュメを毎日少しずつ更新しながら、より立派なものにしていきたいと考えています。

 そのリーダーシップセミナーのトライアル版は今月5日に札幌において開催するのを皮切りに月1回のペースで開催していき、来年5月からは月に1回に限らず、100回を目指して精力的に開催していきたいと考えています。

(3)    株式会社ティーワイリミテッド 代表取締役社長 依田巽様ご夫妻

 7月30日(土)19:00頃から、西麻布の「椿」というイタリアンレストランの一番奥のコーナーで依田巽様ご夫妻とお食事を共にしました。

 依田巽様とは、1975年頃サンスイでお会いしました。サンスイは労使紛争が激しい企業でしたが、依田様はアメリカで仕事をされることが多く、直接の関わりはありませんでした。ある日、たまたまサンスイ本社で会合があった時に、依田様が丁度帰国されており、その際に初めてお会いしたといういきさつでした。その後、正式な仕事の絡みで面識を得たのは、1995年、依田様がエイベックス・ディー・ディー株式会社(現エイベックス・グループ・ホールディングス株式会社)代表取締役会長兼社長でいらっしゃった時のことです。以来親しくして頂いていますが、一番印象的なのは、1996年4月27日から5月3日まで、私が団長を務めたミャンマー社会経済使節団として、ミャンマーを訪問した時です。そのとき依田様ご夫妻もご出席されていました。

 私は弁護士になってアジアをほとんど巡回しました。行っていないのはラオスとボルネオとスリランカのみであり、殆どの国にお邪魔しました。ミャンマーにもその後少なくとも3回、計4回、ひょっとしたら計5回もお邪魔しています。一方、依田様は現在、東京国際映画祭のチェアマンとして世界を股にかけて大活躍されている方です。

 7月30日(土)のお食事会では、3時間近くにわたって歓談させていただき、主に依田様の人生の歩み、それからミャンマーでの思い出、リーダーシップ等々のテーマで話が弾みましたが、とりわけ依田様ご夫妻がお元気であったことが嬉しく存じました。依田様の奥様とはミャンマーで一緒だった以降何かのきっかけでお見かけしたことが一度あっただけであって、久し振りに親しくお話しをさせて頂きました。

 依田様はお仕事柄殆ど外食で、奥様は一人で食事をするのにももう馴れてしまったなどと仰ってはいましたが、私は折々依田様にお会いしますので、奥様をも交え何人かの方をお誘いして、ご懇談の機会を折々設けさせていただくことをお約束し、夜10時近くにお開きになりました。

 

 来週は、8月第1週(今週)にお会いした方々のご紹介をしたいと思います。

気の交流


20110728.JPG 

(2011年7月26日朝6時50分 東京都港区赤坂 檜町公園にて撮影)

 

  前回7月22日付「気」第6回記事にて、「気が合う」ことについて述べましたが、今回は「気」の交流は対人関係のみならず、人間と物、人間と宇宙との間にもあるということを述べていきたいと思います。

 

 

【「気」の交流】

  中国においては気功といって、自ら「気」を養い心身の鍛錬による健康法があり、日本にもそれが採用されています。また、「気」の熟達者によって病人の邪気をとり健康体に戻す治療も存在します。(これは7月12日付交友録に掲載しました鎌田毅成先生の「サイ気療研究会」もその一つでしょう。)いずれにしても、お互いの「気」の交流があるからこそ、こうした成果が望めるのでしょう。

  弁護士についていえば、依頼者との関係において、何事にもわだかまりがなく、和気藹々とし、同じことに笑い、同じことに悩み苦しむ、という関係が理想的でしょう。そうでなければ、今後の成功・失敗の鍵となる弁護士と依頼者との関係においては、解決できる問題も、時間がかかったり上手く事が運ばなくなるでしょう。つまり、弁護士と依頼者とのあいだでも、「気」が交流しなければならないのです。

 

  スポーツにおいてのチームによるお互いの阿吽の呼吸なども、「気」の交流であろうと思います。また、今年6月16日~19日に開催されたゴルフの全米オープン選手権においてロリー・マキロイ選手は、名だたる強者を寄せ付けず、完全優勝を果たしました。ゴルフは、チームとしての優勝を競うのではなく、単独プレーで優劣を決める競技ですが、過酷な4日間を通じて、自分の思うがままにボールを操り続けられる技術は、ただ単に練習のみでは達しえないでしょう。そこにはボールを運びたいという強い願い、信念、一点に集中し自分の放つボールとの「気」の交流があればこそ成し得たものだと思います。

 

 人間は宇宙の一存在ですが、人間だけではなく、宇宙に存在するものは、全て「気」を有していますが、人工的に作られたものは、天然のものよりもはるかに弱い「気」を有しているにすぎないと思います。ですから、マキロイ選手は、自分の「気」と、人工的なゴルフクラブとゴルフボールの持つ「気」とを交流させましたが、それはゴルフクラブ・ゴルフボールの持つ淡い「気」を、自分の「気」によって強大にしたのではないかと思います。マキロイ選手は「気」を極めて強大にし、ゴルフクラブとゴルフボールに乗り移した、つまり「気」を入れた、ということではないかと思います。

 

 また、自然界においては森林浴によって樹木の香気を浴び英気を養ったり、高山で登頂の達成感を感じたり、大海原で感じる解放感などは、大自然と人間との「気」の交流といえるでしょう。

 

 つまり、「気」の交流とは、人と人との交流のみならず、人と道具(マキロイ選手の場合はゴルフクラブとゴルフボール)との交流、人と自然との交流、つまり、宇宙に存在するすべての物同士で起こるものなのです。

 

 

【「気を合わせる」ことの究極=宇宙の気と交流し一致させる】

 

 「合気道」の開祖である植芝盛平(1883~1969)は、「合気道の極意は、おのれを宇宙の動きと調和させ、おのれを宇宙そのものと一致させることにある」と説いています。「気を合わせる」ことの究極は、宇宙の「気」、意識と交流し、一致させることなのです。

 

  「宇宙」については、小生が7月7日にお会いした帯津良一先生(先生のプロフィール等に関しては、7月12日付交友録にてご紹介しました)は、ご著書『生きるも死ぬもこれで十分』(法研、2010)で、「虚空」という、宇宙よりさらに大きな場について説明されています。「虚空とは、3000とも4000ともいわれる宇宙を生み出し、これを抱いている大いなる場」、「エネルギーに満ち満ちた偉大なる空間」で、いつか自分が死した時にはこの「虚空」という故郷へと、羽ばたき、赴き、至ることですから、「死」という楽しみ(希望)をもって「生」きるべきだ、という趣旨のことを述べられています。

 

 人がいよいよ最期を迎える時、未だ心底にこの世へ未練、執着がある人、苦しんでいる人でも、最後を迎えたときの顔つきは、とても安らかな顔になることが多いとのことです。これは、生きていく中で哀しさや寂しさを抱き続けてきた人間が、ついに故郷である虚空へと戻ることができるからだと思います。帯津先生の本によると、こうした安らかな虚空へ旅立つためには、「気」というエネルギーが必要で、人間は今の生を生きることでエネルギーを充填しているのだそうです。

 

 私は、「気」について実感できませんが、残り少ない人生において宇宙の本質とは何かを少しは考え、宇宙との結合をいくらかでも果たすべく、これからの短い人生を生きていきたいと思います。すなわち、私はまだ、宇宙との結合については意識したこともないのですが、折に触れてこの壮大なる「気」について学び、いささかでも習得していきたいと考えております。

 

 

【「諦念をもって受け止める」とは】

 さて、宮城康年門主(京都・聖護院門跡)のインタビュー記事(家庭画報2011年7月号、世界文化社)を読んでいたところ、宮城門主の「この度の東日本大震災で家族を亡くした方々は、諦念をもって受け止めて前に進んでいただきたい。」といった発言を目にしました。

 

 広辞苑を引いてみると、諦念とは、ただ諦めるのではなく、「真理を知り、迷いを捨てる」という意味だそうですが、宮城門主は、「その『真理』とは、人や自然とのかかわり合いの中で見つけていくもの」と述べられていました。

 

 「諦念」のために知るべき「真理」、すなわち人や自然とのかかわりの中で見つけていくものの中には、歓喜に満ちた出来事も多くありますが、「哀しみ」「寂しさ」を伴ったものも多いと思います。対人関係でいえば、協調関係も生まれるものの、対立することも(気が合わないことも)少なくありません。そして、出会いもありますが、悲しい別れも多いものです。対自然との関係でいえば、素晴らしい大自然のパノラマに感動することもあれば、この度の東日本大震災のように、一瞬のうちに悲しみのどん底に突き落とされるような出来事も起こります。

 

 帯津先生の本には、「私たちは孤独な旅人のような存在」とありました。つまり、喜び・幸せ・満足感・ときめき・悲しみ・寂しさが綯い交ぜ(「ないまぜ」と読み、意味は「質や色のちがったものをまぜ合せること」です。「広辞苑 第四版」)になった、一喜一憂を繰り返す儚い旅をしつづけ、そしていつかは旅路を終え虚空に向かうのですとあります。

 

 人間は、生物体として宇宙に存在する以上、宇宙の一つの構成物であり、宇宙と一体ですから、この有限である宇宙に存在する小さな「かげろうのような」「一粒の泡のような」存在として、宇宙と同様に、全て有限であって、「死」の世界に直面しながら、はかない旅路を進むのだと思います。

 

 また、帯津先生はご著書の中で、藤原新也さんの短編集『コスモスの影にはいつも誰かが隠れている』から「哀しみや苦しみの彩りによってさえ人間は救われ癒される」「みずからの心を犠牲にした他者への限りない思いが存在する」という言葉を引用され、「かなしみが自らを、そして他者を癒すとすれば、そうか!自然治癒力とは人の抱くかなしみだったのだ。」と述べられています。この藤原新也さんの言葉に触れて、私が感じたことは、東日本大震災で愛する人を失った人々が今、「哀しみ」や「寂しさ」「苦しみ」の最中にいるのは、そもそも、その亡くなった人々への限りない愛情、亡くなった人々と自分とが築くはずだった夢、希望といった「他者への限りない思い」の存在があるからこそでしょう。

 

 

【人事を尽くして天命を待つ】

 「諦念をもって受け止める」ためには、「人事を尽くして天命を待つ」、すなわち悔いのない状態を準備しておく、自ら演出することも必要ではないかと思います。

 

 天命とは、人がこの世に生を授けられる因となった、天からの命令のことです。「天から命令を受ける」という思想は「受命思想」と呼ばれているそうです。この思想の成立は殷から周(紀元前1046年ごろ~紀元前256年)への王朝交代と結びつけて考えられているようです。殷の王の正統性は帝または上帝と呼ばれる最高神の直系子孫であると称していた点にあるようですが、周王が天下を統治する権限は天からの命令を背景にしているとされ、「天命」が王朝交代の大義名分とされるようになったようです。

 

 【参考】http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E5%91%BD

 

 私は、弁護士の信条として、「尽くすべきは尽くす」ということをモットーとして仕事に当たってきました。簡単に言えば、ありとあらゆる努力をして、最善の問題解決を図るのです。

 

 あらゆる努力を惜しまぬ姿勢によって、自分の熱意という「気」が、相手に伝わり、そして第三者へと波及し、ひいては裁判所や相手方の弁護士等の関係者への説得効果が生じることもあります。そのためには、現地に赴き、現場を見て、担当者の話を直接聞き、そしてこれらを書面化し、さらにその内容を関係者に何度も確認したうえで、その人、その企業の持つ独特の雰囲気・空気という「気」のエネルギーを感じて、それを込めながら仕事をするのです。

 

 こうして、「尽くすべきを尽く」し、「人事を尽くして天命を待」てば、その結果を、諦念を持って受け止めることができるのです。すなわち「真理たるものを知り、迷いを捨てる」ことができるのです。敢えて言えば、「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」という境地に達するのです。

 

 

 次回以降も、「気」についての記事を投稿していきたいと思います。

 

高井・岡芹法律事務所
会長弁護士 高井伸夫

(次回に続く)

以心伝心 気が合う


 

 

20110721.JPG

 

 

(2011年5月19日 午前10:04 石川県輪島市門前町 曹洞宗大本山總持寺祖院にて撮影)

 

 

 

【以心伝心】

 

「以心伝心」とは、「思うことが言葉によらず、互いの心から心に伝わること。」ですが、もともとは、禅の言葉で、「言語では表現できない真理を師から弟子の心に伝えること。」という意味だそうです(広辞苑第4版、三省堂)。「以心伝心」は、要するに意識されていない曖昧な事柄であるけれども、それが相手に的確に伝わってしまうということです。言ってみれば、「以心伝心」とは無言でもまっとうに伝わるという意味であり、心と心が共感し、共鳴し、共振するということでしょう。

 

心と心が共感し、共鳴し、共振するためには、相手の言いたいことを察する、いわば相手の「気配」を察することが必要です。また、自分が相手の「気配」を察するだけでなく、受け手(相手)も的確に当方の「気」を把握する、ということが必要であると思います。二人の間に何かを共有しているからこそ、「以心伝心」が可能になるのでしょう。人間はそれぞれ個性があるから、全てを共有するわけではなく、相手のごく一部を共有することに留まりますが、勿論、その共有する一部が、広くて深いほど「以心伝心」がスムーズに行われることが可能になるのではないでしょうか。そして、相手と自分との間に「以心伝心」という「気」の交流があるかどうかということは、仕事の上でも、殊のほか大事なことになります。

 

さて、「気配」というのは、明確ではないけれど何となくそのような感じがするという意味ですが、それは「予想」とか「予測」という言葉にもつながります。「気配」を察知するという言葉がありますが、「気配」が目に見えないということであるにもかかわらず、しかしそれを察知できるということです。目に見えないものなのに察知できるということは、そこに何か、波動なり微弱なエネルギーなりがあり、「気」なるものが存在しているということを意味しているのではないでしょうか?

 

つまり、相手の「気配」を察することができることは、予知・予測することになり、先見性を持ち、リーダーシップを発揮するために必要な能力にもなるということです。

 

「以心伝心」というのは、弁護士にも勿論必要で、弁護士とクライアントの関係においても、「以心伝心」できるような、心のぴったりと合った対応ができればそれに越したことはありません。問わず語りに、同じ結論に達するということになれば、まさに弁護士冥利でしょうし、クライアントにとっても心地よいことであると思います。

 

当方の気持ちを裁判官なり相手方なりに伝えるには、いかに雄弁であろうとも、心が相手に近づく、迫ることが往々期待できません。ですから、雄弁であろうとも、「以心伝心」という方法によって、真髄を、更に言えば、良心を伝えることでしょう。

 

相手に近づくためには、当方が迫力を持って迫らなければならないのですが、その迫力の元は良心に基づくということです。しかし、単に良心に基づくだけではなく、よく関係資料を読み、分析し、また雄弁さも必要だし、更には文章の執筆力も必要です。すなわち、論理性が必要であるということです。読んで、書いて、話すというスキルが弁護士として必要ですが、実はこの三位がそろった弁護士は多くなく、しかも良心に基づいて、志のある、すなわちマインドがある弁護士は、少数であると言って良いと思います。

 

私は、言っていること、書いてあることと、やっていることがてんでバラバラで分裂していると評論されたことがありましたが、それは、実は当意即妙、アドリブでも対処しているからであって、しかしそれでも一定の説得力があるのは、実は良心というものに基づいて仕事を進めることを基本としているからだと考えています。「以心伝心」を発揮することは勿論弁護士だけのことではなくて、円滑な人間関係を作らなければならない人に不可欠です。新しい創造を企てるすべてのビジネスマンに必要なことでしょう。

 

 

 

 

【気が合う】


仕事をしている上で、相手が上司、同僚、部下、また社内外を問わず、「あの人とは一言二言でも上手くニュアンスが伝わり、阿吽の呼吸で仕事が出来る。」のに、「その人と仕事をするときは、一から十まで説明しないと上手く伝わらないな。」と感じることがあると思います。

 

仕事の上でも、「気が合う」ことが必要である所以ですが、「気が合う」という言葉は「気が合わない」「反りが合わない」という言葉の対語です。「気が合う」とは、感じ方、思い方、考え方が似通っていて、親しみが持てるという意味です。つまり、波長が合うということです。感じていること、思っていること、考えていることの同一性が大きいことをいうのだと思います。

 

また、「肌が合う」という言葉がありますが、これも「気」と「気」が合うことをいいます。すなわち、「気」が合うということは、つまるところ肉体と肉体とも合う、ということに繋がっているのでしょう。それは、「気」が肉体をも包摂した存在だからです。それは「気」と「気」とが合って気分がよくなるということです。それをもっと人間的に直接に表現すると肌が合わないということは、「気」が合わない、気分を害する、ということに繋がるのでしょう。

 

こういった言葉があるということは、「気」は相手とのコミュニケーション、対人関係において機能しているということを意味しています。「気」というものは単に個人の体内のみに留まるのではなくて、体外に全方向へと発信されるエネルギーであり、また受信者との関係において双方向にも作用するものであるがゆえに、本来的に相手を意識してはじめて、機能するものでしょう。

 

「気」は波動であり、エネルギーであるがゆえに、相手とヘルツ(周波数)を異にするときに、「気が合わない」と感じるのでしょう。たとえば、男女の恋愛関係は、「気と気が絡まり合うところに恋愛が出来る」と聞いたことがあります。恋愛の「恋」の字を漢和辞典で調べてみると、解字説明に「もつれた糸にけじめをつけようとしても容易に分けられないこと」とありました。この「糸」とは、「気」ではないかと考えています。そして、心から心にお互いの愛情が伝わり、「気」が相手との間で感応します。しかし、そりが合わないのが過ぎると個々が離れてしまい、そして更に言えば、気疲れしてしまいます。

 

「恋」は、万葉集において「孤悲」と表記がされている例がありますが、現代の恋愛事情においてもそうだと思いますが、当時の人々も、恋愛においてなにかと苦悩し、その結果気疲れし挙げ句破局を迎えることもあったことの表れだと思います。

 

 

 

 

【「気が合わない」と感じる時はどうすればよいか】

 

しかし、仕事の上では、その仕事が続く限り関係を終わらすわけにもいきません。それでは、仕事で「気が合わない」と感じるなら、どうすればいいのでしょうか。

 

そのときは、一度、一歩引いてみたらどうでしょうか。距離を置いてみて、相手の言うことに耳を傾けます。そうすると共通点を見つけやすくなります。共通点を見つけたらそれを少しずつ少しずつ、拡大することが「気を合わせる」コツではないでしょうか。

 

また、人間は、気が合う幅が広く深い人と、そうでない人とがあります。要するに、相手と気が合わないと感じていても耐えられる人と、わずかな気の違いでも耐えられない人とがいるということです。これが、つまるところ人間の幅・器ということなのではないでしょうか。自分とは気の違う人、合わない人と、幅広く・深く包容していける人が、人間としての幅が広く、深みがあるということ、すなわち器が大きい人物ということです。

 

ですから、仕事をしている上で、「あの人とは気が合わない」と感じるなら、相手を責めるのではなく、良心の本質、すなわち「真・善・美」・「夢・愛・誠」を旨として、「義理」・「人情」に生きて、「(自己)規律」を負うという姿勢を心がけて、自身の気の合う幅を広げ、深めなくてはいけないのです。そして良心の極地である「志(マインド)」を確立するようにすればよいでしょう。「志」というのは難しいことでなくてもよいです。例えば、「優しさ」というものを表現するのも「志」であり、「感謝の気持ち」を表現するのも「志」です。個人個人に相応しい長所を活かし、これを貫徹することが、結局は「志」になっていくのです。

 

 

(続く)

20110719.JPG【2011年7月第3週<10日(日)~16日(土)>の交友録】

 

 

(2011年7月16日 朝6:30 佐賀県佐賀市 鍋島直正公の茶室「隔林亭」のある神野公園にて睡蓮を撮影)

 

(1)  環境問題評論家 船瀬 俊介 先生 

船瀬俊介先生には,東京都渋谷区の国立オリンピック記念青少年総合センターにて開催された「バイオレゾナンス(振動医学という最新の医学のこと)医学会全国大会」にて、7月10日(日)夕方17:30頃ご挨拶させていただきました。後にご紹介させていただく矢山利彦先生と,船瀬先生は同じ高校のご出身で,矢山先生にご紹介していただいたのです。
 船瀬先生は,環境および消費者評論家として様々なテーマに取組んでいらっしゃり、40冊以上ものご著作をご出版されています。『巨大地震が原発を襲う』(地湧社,2007)は,当ブログでも「東日本大震災」記事で幾度も取り上げさせていただきました(例えば,第10回5月13日付記事「福島第一原発事故~所感統括」)。
 船瀬先生は,「顔立ちがイラクのサダム・フセイン元大統領に似ているので,よく『フセイン』と呼ばれますが,そんな人物ではありませんよ」とお話しされていました。
 私は,船瀬先生の志(マインド)が高くていらっしゃるから,そんなことは勿論感じません,批判を浴びることを恐れることはないです,と申し上げたかったのですが,先生が謙虚なお人柄でいらっしゃることを同時に感じとって(先生が着席されていた位置などから),そのように申し上げることは思いとどまった次第です。

船瀬俊介先生 公式HP http://funase.jp-j.com/
バイオレゾナンス医学会HP http://www.bio-resonanz.jp/

 

 

(2)   法政大学大学院政策創造研究科 諏訪 康雄教授
 ―キャリア権研究会報告書完成を記念したささやかな食事会にて
 7月12日(火)18:30頃から,諏訪康雄教授,あすか人事コンサルティング代表 太田正孝様(元株式会社ヘイコンサルティンググループ副社長),株式会社リクルートHRC審査ユニットエグゼクティブマネジャー吉田修様等とともに,私が主宰者を務める「キャリア権研究会」の報告書の完成を記念したささやかな食事会を開催しました。
 「キャリア権」とは,一般になじみのない権利ですが,当研究会では,「働く人1人ひとりが,その意欲と能力に応じて,自己の望む仕事を選択し,職業生活を通じて幸福を追求する権利」と定義しています。
 キャリア権は、諏訪先生が初めて提唱された概念です(「キャリア権の構想をめぐる一試論」『日本労働研究雑誌』468号・1999年7月号掲載)。日本の学会では、明治以来、憲法、民法、刑法はもとより、労働法その他諸法の分野においても、新しい法的概念が構築されたことはなかったと言っても過言ではありませんが、キャリア権は、諏訪先生が創造された概念なのです。
 この権利が認知されることがあれば,日本の産業ひいては日本の社会が「興隆し世界を牽引する」力を発揮するものとして非常に重要であるという認識のもとに,諏訪先生はじめ12人の研究会メンバーが2008年4月から2010年5月までの約2年間,全9回にわたって熱心に議論し,この度報告書が出来上がったものです。
 当ブログの読者の方で,「キャリア権」に興味・関心がおありでしたら,お気軽にお申し出ください。この報告書をお渡ししたいと存じております。

(法政大学HPより)諏訪康雄教授のプロフィールページ
http://chiikizukuri.gr.jp/pop_suwa.html

 

 

(3)  Y.H.C.矢山クリニック院長 矢山 利彦先生

 7月13日(水)夜10:30頃にY.H.C.矢山クリニックに到着しました。矢山先生が待っていてくださって第一回の診察を受けました。深夜まで診察していただいて本当に嬉しい限りでした。
 矢山クリニックには,3月3日以来お世話になっており,これで診察を受けるのは4回目になります。矢山クリニックでは,東洋医学と西洋医学、歯科と医科を統合して診断・治療を行い、人間がもつ生命エネルギーが最大限に高められるようにすることを基本方針とされています。また、食物、栄養補助食品、水、住環境についてもアドバイスを行い、全体的な治療を目指されているクリニックです。
 私は,矢山クリニックを「癒し」のクリニックとして評価させていただいています。クリニックの玄関を出ると、小さな木立があり、その先に田舎道があって疎水(多布施川)に面し、公園につながっています。南面の敷地であって、多布施川では少年少女が水遊びをし、泳いでいました。勿論田園の中だから緑にも包まれていて大変良いところです。
 7年前に新築された新病棟は木造建築で、しかも壁は珪藻土が用いられています。勿論、大地の気を浴びるにするに値する医療施設です。私はこれだけの医療施設を備えた矢山先生に敬服しています。
 16日(土)昼の12:00に辞去するまで,私は、クリニックの方針に従って、素足で病棟の中を歩き続けました。それは言うまでもなく、床の木の感触を楽しむとともに大地の気を取り入れようとするものです。改めて8月度に伺う予定です。

バイオレゾナンス医学会HP http://www.bio-resonanz.jp/
Y.H.C.矢山クリニックHP http://www.yayamaclinic.com/

(4)  外交評論家 宮本信生大使
 ―吉野ヶ里遺跡を訪問して
 7月14日(木)18:00頃に,佐賀県神埼市と吉野ヶ里市にまたがる吉野ヶ里遺跡をほんの少し見学しました。非常に広大な敷地で,よほどの健脚でないと回りきれないと思いました。吉野ヶ里遺跡を紹介した文献は多くありますが,私が一番分かりやすいと感じたのは,駐キューバ、駐チェコ大使を経て外交評論家となられた宮本信生大使の「邪馬台国女王 卑弥呼の生涯」(文芸社,2011)という本です。
 詳細に調査の上,抒情的に書かれた小説でしたので,邪馬台国と,卑弥呼が,どのような姿で存在していたのかをイメージできる作品でした。
 私は,中学生のころから,沢山の古代史の本を読んできましたが,最近では,アメリカのFBI超能力捜査官として知られるジョー・マクモニーグルの「謎の邪馬台国を発見」(権藤正勝著,学研パブリッシング,2010)という本がありましたが,それと共に説得力がありました。
 日本の古代歴史に夢をはせてきた私にとって,邪馬台国,さらには卑弥呼は永遠の謎でありましょうが,これを究めようとされた宮本信生大使にお会いしたいものだなあ,と思った次第です。「念ずれば叶う」ということで,いつかお会いできることを願っています。

吉野ヶ里歴史公園HP http://www.yoshinogari.jp/

 

 来週以降も,交友録を更新してまいりたいと考えております。来週は,7月第4週(今週)にお会いした方々のご紹介をしたいと思います。

ご利用案内

内容につきましては、私の雑感等も含まれますので、真実性や正確性を保証するものではない旨ご了解下さい。

→ リンクポリシー・著作権

カレンダー

2025年2月
« 1月    
 12
3456789
10111213141516
17181920212223
2425262728  

最近の投稿

カテゴリー

月別アーカイブ

プロフィール

高井・岡芹法律事務所会長
弁護士 高井伸夫
https://www.law-pro.jp/

Nobuo Takai

バナーを作成