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気を入れて


20110715.JPGのサムネール画像

 

(2011年7月11日 朝7時07分 東京都渋谷区 代々木公園にて撮影)

 

 【「気を入れて仕事をする」とは?】

 

 「気を入れて仕事をしなさい」などとよく言いますが、この「気を入れて」とは、いったいどのようなことを意味するのでしょうか。「気乗り」がしない状態(即ち「気」のエネルギーが弱い状態)で仕事をしても良い結果はでませんが、「よし、やるぞ!」という気持ちを持って仕事をすると、「気」のエネルギーが高まり、おのずと良い結果がでるのではないかと思います。ですから、「気を入れる」ということは、「気」の波動を活発にさせ、エネルギーを費やさせるということではないかと考えます。

 

 「気を入れる」に共通する概念として「気合」というものがあります。「気合が入る」「気合を入れる」という言葉は、普段皆さんも頻繁に使う言葉だと思います。週刊文春の2011年7月14日号のグラビア記事のインタビューで、アテネ・北京オリンピック競泳金メダリストの北島康介選手は、「まずは練習で体と泳ぎをしっかり作り上げるのが先。気合を入れるのは、世界水泳の開幕直前」と、「気合」という言葉を使っています。

 

 気合を入れて勝負時に相手を圧倒するということは、「気」はエネルギーであり、つまるところ「気」の効果であると思います。まさしく「気を引くこと」(それとはなしに相手の心を探ること、相手の関心をこちらに向けさせること)にもなるのです。

 

 弁護士である私も、例えば、講演を行う時、「気合を入れて」つまり「気を入れて」行うと、それまでザワザワしていた状況が静かになるということがよくあります。その場の雰囲気に合ったお話をすること、焦点がはっきりしたお話をすること、あるいは熱意をもってお話をすることによって、自ずから静かになり、ザワザワした状況は勿論雰囲気も消えてしまうのです。

 

 仕事をする上では、「気は持つことができる」「気を入れることができる」、「気持ちをこめることができる」ということに気づかなければならないと思います。「気を持つことができる」というのは、「気を維持することができる」、すなわち形のない「気」を、人間は持続的に保持することができるということでしょう。「気を入れる」とは、持っている「気」を相手に伝え、相手にそれを受け取ってもらえるということでしょう。具体的に言えば、真摯に話をすれば、その「気」は相手に伝わって、真摯な話として聞いてもらえるということです。

 

 このように、「気」は、方向性のあるもの、しかも全ての方向へと作用しているものであります。そして、「気」を発信した人と、その「気」を受け取った受信者との間において双方向になるものです。つまり、「気」は単に個人の体内のみに留まるのではなくて、体外に全方向へと発信されるエネルギーであり、また受信者との関係において双方向にも作用するものであるがゆえに、コミュニケーションという世界において、大変意味のあることになるということに気がつかなくてはならないと思います。「気をいれて仕事をしなさい」、という言葉には、「コミュニケーションをしっかりとって仕事をしなさい」という意味をも含むのだと考えます。

 

 

 

 

【「気を入れて仕事を行う」具体例】

 

 「気を入れて」仕事を行うということに関連して、私が親しい知人からお聞きした興味深い話をご紹介したいと思います。

 

 私と1996年以来面識のある伊東豊雄先生という日本を代表する建築家の方がいらっしゃいます。最近では、「子ども建築塾」という、10歳~12歳くらいの子どもを対象としたワークショップも行われているそうです。(文芸春秋2011年7月号81頁)

 

 さて、伊東先生は、「一本の線を手書きで書くということは、『気持ちが出る』」とおっしゃっています。そして、「若い人は『気持ちが出る』ことを怖がり、恐ろしがります。」とおっしゃっています。それ故に、伊東先生の事務所の入所試験は、手書きで一本の線等の図面を書いてもらい、それを持ってくることがまずは条件だそうです。その一本の線から湧き出る「気」から、入所希望者の人となりや、意欲等といった「気」を判断したいため、CADなどコンピューターに頼った図面は入所試験の前提として採用していないそうです。

 

 設計図は、その図を書いた建築士だけのものではなく、また単なる紙きれではなく、その図を見る人、つまり建築を依頼した人や、実際にビルや家を建築する現場の人等沢山の関係者の気持ちを伝え、その関係者の気持ちに応えることができる大事なツールだからです。ですから、伊東先生のお話しの通り、コンピューターではなく、手書きでの設計図を入所試験に用いるということは、「気」のコミュニケーションで展開する設計という場面においても、重要なことだと思います。

 

 

 

 

 

【気配を伝えるべく「気を入れる」ことが芸術家の仕事】

 

 7月2日、私が20年ほど前からささやかに支援している成田禎介先生とともに、東山魁夷先生の処女作とも言うべき『道』の現地に赴くため、青森県八戸市の種差海岸を訪ねました。種差海岸では、写真も何枚か撮影しました。『道』の現地は、まさに典型的リアス式海岸に面していましたが、『道』では、これは描かれず、これにまさに隣接していた道が描かれたものです。東山先生は、この道を歩み続けることがご自分の画業だと悟り、この作品を発表されたのではないでしょうか。要するに、美しく変化に富んだ海岸縁ではなく、それに隣接した一本の道を描いたことで、東山先生が生涯をかけて画業に生きるというご自分の決意を表明されたのでしょう。

 

 さて、成田先生は、美術の大学に入学せず、勿論卒業歴もなく、言わば独学で風景画の大家になった方です。「絵は現場で描くよりも、アトリエで描いた方が良い」とおっしゃっていました。現場で描くと現場の風景の美しさに引き付けられすぎて、のめりこんでしまい、酔ってしまうからだそうです。成田先生は、現場でのデッサンを基に、心に抱いた美意識を発酵させた上で、アトリエで描くというのです。それによって、絵に自分自身の個性が映し出されることになるのです。「発酵」とは、私は「気」の働きだろうと思います。

 

 「発酵」とは、科学的には「酵母などの微生物が嫌気条件下でエネルギーを得るために有機化合物を酸化して、アルコール、有機酸、二酸化炭素などを生成する過程」のことだそうですが、「発酵」についてインターネットで検索してみたところ、「イヤシロチでは、発酵が進み、ケガレチでは腐敗が進むといったことが起こる」という記事を見つけました。

 

 「イヤシロチ(弥盛地)」とは、最近では小生の知人である船井幸雄先生のご著作で言葉としても一般的にも普及してきたそうですが、「生命力が盛んになる土地」のことだそうです。また、「ケガレチ(気枯地)」とは、「気」が枯れた土地のことだそうです。つまり、発酵には「気」が必要で、「気」がないと発酵ではなく腐敗してしまうということだそうです。こういったことから、美意識を発酵させ作品を作るためには、「気」というエネルギーが非常に重要であるのではないでしょうか。

【参考】

http://www.yajimaminoru.com/article/13825026.html

http://www.igakutogo.com/narasaki.html

 

 

 成田先生は、「自然は、人間を乗り越えて創造されているものだ」という気配を感じて、それを発酵・熟成させることが絵の魅力に繋がるというお話をしてくださいました。絵を見る人が、その気配(明確ではないけれど何となくそのような感じがすること)を感ずることができるような作品にこそ魅力があるということです。

 

 私は、ある日本画の大家と言われていた作家について、物故になれば、まったく画料だけのものになって事実上無価値になるというお話をしてきました。それは、その作家の絵には「気配」がなかったからです。この話は、私の社長フォーラム(1993年5月~2007年7月、計127回にわたって開催)に出席していた多くの方が聞いておられますが、その作家をヨイショしていた画商は、本心良心のない画商だといえるでしょう。勿論、その画商も本物の絵でもないのに本物の絵として売り込んだ、すなわち美でないものを美として売り込んだ責任があり、それは地獄にいくに値するものであろうと思っています。地獄にいくということは、宇宙との絆を生きている間にどこかで切ってしまっている方であるということです。

 

 これらのエピソードには通ずるところがあると思います。図面にしろ、絵画にしろ、「気を入れて」「気持ちを入れて」「思いを込めて」美意識という気配を伝えるべく書き、または描き、その「気」や「思い」等が作品に込められ、それを見た人に感動・感銘を与えることが出来るのだと思います。「気は心」という所以ではないでしょうか。

 

 

 

 

 

【弁護士として「気を入れて」仕事するために私が注意していること】

 

 弁護士も「気を入れて」仕事をしなければならないのは言うまでもありません。「気を入れて仕事をする」というのはどういうことかと言えば、裁判官に当方の「気」が乗り移ること、そして相手方の依頼者と相手方の「気」を削ぐことが目的です。削ぐ為には、当方が良心に従って「気を入れて」仕事に励む必要があります。

 

 「良心」については、当ブログ内ですでに繰り返し述べてきましたが、憲法にある良心の意味として、「真・善・美」・「夢・愛・誠」であると述べました(詳しくは、『地震』の第10回(5月13日付)及び第12回(5月20日付))。しかし、実はそれだけではなく、「義理」・「人情」に生きて、(自己)規律を負うという姿勢も良心には必要でしょう。

 

 弁護士はとかく責任転嫁ということに走りやすいですが、それでは、良心に従ったことにはならない、と言うことを肝に銘ずるべきです。要するに、「気」が乗り移る、相手の「気」を削ぐということは、当方の良心が相手を負かすということです。これは、裁判官が「なるほどな」と思うことであり、相手方が当方の言い分も「もっともだな」とほんの一部でも感じ入りさせるということです。

 

 このためには、「気を入れて」書面を作る、「気を入れて」弁論(発言)をする「気を入れて」交渉をするということが大変大切であり、それには何と言っても、単眼で行うだけではだめで、複眼で事態を飲み込み、当方の有利なルート・チャネルを開発していくことが必要です。

 

 弁護士たる者は、単眼でなくて複眼であるべきで、すなわち、人間としての広く深い幅と洞察力、あるいは見通し、さらに弱々しく言えば予測を意識して対処しなければならないのです。

 

 かかることは弁護士だけではなく、およそ仕事をする者は、「気を入れて」仕事をしなければならないのは言うまでもありませんが、人間としてのより広く深い幅等を、自ら築き上げることに努めることが必要でしょう。

 

 次回以降も「気」をテーマとした記事を投稿していく予定です。

 

 高井・岡芹法律事務所
会長弁護士 高井伸夫

(次回に続く)

 

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(2011年7月10日午前9時44分 鹿児島県霧島市にて撮影)

 

 

今回から、本ブログのテーマである「交友録」として、週に1度、前の週に私がお会いした素敵な方々をご紹介していきたいと考えております。

 

 

 

【2011年7月第2週<2日(日)~9日(土)>の交友録】

 

 

(1)   JNC株式会社(元新日本チッソ株式会社)
取締役 最高顧問 後藤 舜吉様

後藤様とは、今から48年前の昭和38年(1963年)に初めてお会いして以降、必ずしも音信が十分ではありませんでしたが、東京都新宿区神楽坂にて、7月6日(水)18:30頃からお会いし、久しぶりにご歓談させていただきました。美術に造詣が深いことには、びっくり仰天しました。今後とも折に触れてお会いしたいと思っています。
お話しをしているうちに、私の青春時代の1コマであった、熊本県水俣市の湯の児温泉の旅館(山海館)に再度訪ねてみたいと、改めて思いました(湯の児温泉、山海館については、地震第2回4月5日付記事もご覧下さい)。

(2)   帯津 良一先生

7月7日(木)18:00頃から小一時間、東京都豊島区西池袋のホテルメトロポリタンにある帯津三敬塾クリニックにて、院長の帯津良一先生にお会いしました。
帯津先生は、都立駒込病院外科医長を経て、1982年に帯津三敬病院を開設され、西洋医学に、中医学やホメオパシーなどの代替療法を取り入れ、ホリスティック医学の確立を目指していらっしゃいます(ホリスティック医学とは、からだの部分を診るのではなく、生命ある人間のからだを環境も含めた丸ごと全体としてとらえ、医者と患者が一緒になっていのちのエネルギーを高めていくことです)。
今回初めてお会いしご挨拶させていただき、ご歓談させていただきました。帯津先生にお会いして感じたことは、非常に巧みな話術をお持ちだということです。今後も引き続き、その話術のもとにお話を伺うことになると思います。

帯津三敬塾クリニック ホームページ http://obitsu.com/

(3)  サイ気療研究会 鎌田 毅成先生

7月9日(土)13:00過ぎに、鹿児島県鹿児島市加治屋町にて、サイ気療研究会 鎌田毅成先生にお会いしました。
鎌田先生は、元々経営コンサルタント及び人材紹介業を営まれていた方ですが、1998年4月に財団法人天風会鎌倉支部に入会され、その後は気療による病気の治療に専念されているそうです。
現代医学による治療とは大きく異なる「気による治療(気療)」を行われていて、私も9日に3時間ほど治療していただきましたが、私の身体の改善に大いに期待しています。今後折々、お邪魔する予定です。

サイ気療研究会ホームページ http://www.psykiryou.com/


 

(4)  最福寺法主 池口 惠観先生

7月9日(土)17:30過ぎ、鹿児島県鹿児島市平川町にある高野山真言宗の最福寺にて、池口惠観先生にお会いしました。先生にお会いしたのはこれで3度目ですが、今回は池口先生ご夫妻と夕食もご一緒させていただきました。池口先生は、高野山真言宗大僧正で、最福寺の法主を務められています。
極めてリーダーシップに富み、社会に大いに認められている方です。また、池口先生は、来年4月に北朝鮮を訪問されるご予定とのことで、私も、偶然のことながら、4月下旬または5月上旬に同好の士と共に訪問することを企画しております。

最福寺 ホームページ http://www.saifukuji.or.jp/index.html 

 

 

来週からも、交友録を更新してまいりたいと考えております。来週は、7月第3週(今週)にお会いした方々のご紹介をしたいと思います。

気苦労


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 (2011年7月2日午後13時33分 青森県八戸市 種差海岸にて撮影)

 

上掲写真の撮影地である種差海岸は、下北半島から続く砂浜の海岸線と、三陸海岸のリアス式海岸の交錯する位置にあり、荒々しい岩や大きな砂浜、天然の芝原のある風光明媚な景勝地であり、1937年に国の名勝に指定されています。

この種差海岸には多くの文学者や芸術家が訪れ、詩人の佐藤春夫は「日本一の散歩道」とたたえ、同じく詩人の草野心平は種差海岸の海に上がる満月をいたく気に入り「ザボンのような月」と評しました。また、小説家、ノンフィクション作家、評論家の司馬遼太郎は「どこか宇宙からの来訪者があったら一番先に案内したい海岸」と表現しています。

 【参考】「名勝県立自然公園 種差海岸に咲く花々」(石津正廣著・発行、2004)

 

 

 6月17日より「気」をテーマにブログ記事を投稿していますが、今回も、「気」に関連した記事を投稿しようと思います。

 

【気苦労】

 弁護士は、絶えずトラブルを持ちこまれ、それを解決していかなければなりませんから、「気苦労」が絶えません。

 

 さて、この「気苦労」とは何でしょうか。「気苦労」とは、「あれこれと気がねや心配りをする苦労。心痛。」(広辞苑第4版、三省堂)というものです。「気苦労」が絶えないということは、自分の「気」という精神エネルギーを必要以上に消耗してしまい、つまり相手に「気」を吸いとられてしまうということでしょう。

 

 「気苦労」の反対語は、「気楽」「①苦労や心配がなく、のんびりしているさま。②物事にこだわらないこと」(広辞苑第4版、三省堂)ということです。

 

 植木等の「ドント節」(1962年発売)という曲がありますが、「サラリーマンは気楽な稼業と来たもんだ 二日酔いでも寝ぼけていても タイムレコーダーガチャンと押せば どうにか格好が つくものさ」と「サラリーマンが気楽な稼業」である理由の一つを歌っています。この曲が発売された1962年といえば、1964年に東京オリンピックが開催されることにともなって、東京首都高速道路(1962年12月に1号羽田線・京橋~芝浦間が開通)や東海道新幹線(1964年10月1日開業)などの交通整備や、日本武道館(1964年10月3日竣工)などの競技施設の建設需要が高まったことなどを背景として景気が拡大したいわゆる「オリンピック景気」(1962年11月~1964年10月)といわれる右肩上がりの時代でした。歌やファッションなどがその時代ごとに変遷しているように、「気」も単なる個人の問題ではなく、環境や社会情勢等によって大いに左右されるものであるため、この時期は皆の「気」が充実し、社会全体が熱気やエネルギーにあふれていたのではないでしょうか。

 

 ところで、この曲で描かれているサラリーマン像は、いかにもいい加減で無責任な人物のようにも思えますが、この「いい加減」は「良い加減」とも解釈できます。つまり、「気楽」というのは気の加減が良い、つまり気のバランスが良いということではないでしょうか。「気楽」は、東洋医学では「病気」の反対語としても使われているそうです。それを踏まえると、「気苦労」は病気の原因になり、特に、「鬱の状態」になるなど、メンタルヘルス上の問題に結び付くものでしょう。「鬱の状態」は、東洋医学では、体の気のエネルギーのめぐりが悪くなることから「気滞」と呼ばれるそうです。

 

 

 

【弁護士にとって何が一番「気苦労」か】

 

 さて、弁護士にとって、証人尋問の時が一番「気苦労」な時ともいえるでしょう。相手がどんな証言をするかということの可能性を絶えず意識しながら、反対尋問をしなければならないことが、一番肝腎要(かんじんかなめ)の気苦労が多いところです。

 

 この「気苦労」を考えれば、相手より人間的な幅が広く深くなければ、とても太刀打ちできないということを知るべきでしょう。「気苦労」を感じないためには、実は相手より人間的な幅が広く深いことが必要です。要するに、相手と人間的な幅の広さや深さが同等であったならば、「気苦労」が絶えません。少しばかり相手より人間的な幅が広く深くても、同様です。「気苦労」を克服するには、相手方と比べて人間的な幅がはるかに上回っていることが必要なのです。そうすれば、相手方の意図を的確に見抜くことができます。そういう意味において、単に頭の良し悪しだけでなく、人間的洞察力が必要となってきます。感情的な人、すなわち、苦しまぎれになった時に、喜怒哀楽の激しい人はだめです。本質的に平明な精神の持ち主のみ、相手との「気苦労」を克服することができるのです。

 

  「人間的な幅」というのは、結局は、人格・識見・手腕・力量・多芸・多趣味ということに尽きます。これらの幅が広く深いほど、人間的な幅が広いということになります。

 

 弁護士に限らず、どの組織でも、仕事をしていると、気苦労が絶えないことがよく起こりますが、このことはなにも反対尋問の場面だけの話ではなく、取引、折衝、交渉などの相手方と対峙する局面において発揮されることです。

 

 

【部下への「気苦労」~気が弱い、気が強い】

 さて、弁護士に限らず、どの組織でも、仕事をしていると生じる「気苦労」の代表としては、例えば部下との関係が挙げられると思います。よく出来る部下を持つと気が楽になり、出来ない部下を持つと気苦労が絶えません。部下は上司が楽になるようにすること、気楽になるようにすることが大事な所以です。簡単に言えば、良き部下とは、上司を楽にする存在であるということです。それは、上司が部下に気を遣わず、逆に部下が上司の気を強める働きをするからです。

 

 また、仕事をしていると、「あの人は気が弱い」とか「あの人は気が強い」ということを意識することが多くあります。部下には、気が強い人も、気の弱い人もいます。そういう極端に「気が強い」「気が弱い」人、例えば喜怒哀楽が激しい人と一緒に仕事をすると、こちらの気力が奪われて疲れてしまいます。仕事をする社会人にとって平明な精神が必要とされる所以です。

 

 上司に恵まれる、部下に恵まれるという言葉がありますが、こういった「良い上司、部下」とは、平明な精神を持った穏やかな「気が弱くもなく強すぎもしない」人物なのです。

 

 気の弱い人は意思表示をはっきりせず、本音が分からないため、その本音を探るために相手にエネルギーを費やせてしまい、相手に焦燥感や苦痛感を与えてしまいます。気が強い人は、我見、我執が強く、意見がぶつかり合うため、仕事がスムーズに運ばなくなります。企業活動は組織的活動であり、構成員間の協調がもっとも大切ですが、この「協調」とは、気を合わせることを言うのです。

 

 

【気苦労の解消方法、「気が弱い人」「気が強い人」への対処方法】

 

 仕事で気苦労が絶えないからといっても、社会生活を送る以上、仕事を続けていかなければならないのですから、「気苦労」を克服しなければなりません。それには、まずは、「気が弱い人」「気が強い人」へは、どのように対処していけばよいのでしょうか。

 

 「気が弱い人」をリードするにあたっては、こちらの気を強くしてリードするべきです。また、「気が強すぎる人」に対しては、こちらは気弱に対処するべきでしょう。「気が弱い人」に対し、気弱な対応をすると、「気が弱い人」はあまりに迷ってしまって結論を見い出せないことになってしまいます。また同様に、「気の強い人」に対して気の強い対応をすると、「気の強い人」は沸騰してしまって、適切な結論を得られないことになってしまいます。

 

 本質的に、「気苦労」をする相手や、気の強い人・気の弱い人と対峙する場合、当方が平明な精神をもって対峙することが必要ですが、それには相手方にふりまわされないで、当方が平明な精神をもっていくことが肝要であると思います。もちろん確信をもって望まなければならないことは言うまでもありません。そして、真摯に対応することが必要です。真摯に対応するとは、生真面目さということが何より大切な資質として要求されるということです。

 

 このように、「気」の世界においては、真摯に対応するということが必要ですが、これは気苦労を克服するには当方の精神面によるしかないということです。すなわち、「気」に対峙するには、平明な心、平明な精神で対峙する他ないということです。

 

 さて、「平明な精神」「平明な心」など、心の持ちようの望ましい例としては、中国の様々な古い文献にも表れています。

 

 

 

I.「論語」<孔子(紀元前552年~紀元前479年)の言行を記録したもの。>

君子は坦(たい)らかに蕩蕩(とうとう)たり。小人(しょうじん)は長(とこしな)えに戚戚(せきせき)たり。

<対訳>君子は、どんなばあいでも、心が平らでのびのびとしている。小人は、たえずくよくよしている。信じるところに従って常の道を歩いている者と、いつも不満で、後悔と危惧をいだく者のちがいだ。)

 

II.「孟子」<孟子(約紀元前372年~紀元前289年)とその弟子たちの言行録。>

志(こころざし)は、気の帥(すい)なり。

<対訳>志は気の将帥である。思想が確立しており、精神がしっかりしていれば、おのずから元気も気力も出てくる。

 

III.「大学」<儒教の経書(儒教でとくに重視される文献の総称)の一つ。南宋以降、「中庸」「論語」「孟子」と合わせて四書とされた。もともとは「礼記」(周末から漢代に至る儒学者がまとめた礼に関する書物をまとめたもの)の一篇であった。だれの著作であるか、古来まだ定説がない。>

心広く体(たい)胖(ゆた)かなり。

<対訳>徳をそなえ、内に省みてやましいところがなくなると、心はいつも広くなり、からだもゆったりとした落ちついた態度になる。徳が身をうるおした(=徳を多く積んでその人の品格が高くなった)人の姿である。

 

IV.「淮南子」<前漢・武帝の頃、淮南王劉安(紀元前179年~紀元前122年)が学者を集めて編纂させた思想書。>

陰徳(いんとく)ある者は必ず陽報(ようほう)あり。陰行(いんこう)ある者は必ず昭名(しょうめい)あり。

<対訳>人知れず善行を積んだ者には、必ず天があらわに幸福を報い授ける。また、隠れた善行のある者は、必ずいつかは輝く名誉があらわれてくる。  等々。

 

【参考】各文献の書下し文及び解説文

『中国古典名言事典』(諸橋轍次著、講談社、1972)

 要するに、これらの文献からも読み取れるように、中国においてはまさに精神的領域がとりわけ大事で、それから学問なり文化が発展していったのではないでしょうか。

 

(次回に続く)

胸騒ぎの解消法...『気づき』


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 (2011年6月30日 朝6時43分 東京都目黒区 中目黒公園にて撮影)

 

【「直感」「第六感」「霊感」とは?】

 

 前回6月24日付の記事で、「胸騒ぎ」の解消方法は、「胸騒ぎから逃げず、胸騒ぎに立ち向かって、それを克服する術をまさに直感的に悟ること」とお話しました。この「直感的に悟る」ことを私は「気づき」と呼んでいます。「気づき」とは、「気づくこと」ですが、「気づく」とは「ふと、思いがそこにいたる。感づく」(広辞苑第4版、三省堂)という意味です。

 

 直感は「説明や証明を経ないで、物事の真相を心で直ちに感じること」(同)を意味し、第六感とは、「五感のほかにあるとされる感覚で、鋭く物事の本質をつかむ心の働き」(同)を意味します。

 

 さて、第六感、直感の類義語としては「霊感」という言葉が挙げられています。「霊感」とは、なんでしょうか。「霊感」とは、「人間の霊の微妙な作用による感応。心にピンとくる不思議な感じ」(広辞苑第4版、三省堂)を意味します。中村天風(1876年~1968年、日本初のヨーガ行者)についての書籍「中村天風 銀の言葉」(岬龍一郎著、ワニの選著KKベストセラーズ、1995)によると、霊感は霊性意識の中でも「特に高度なもので、五感を超越しているところから『第六感』と呼ばれて」おり、「本来、人間として生命を得た以上は誰しも、この霊感を持って」(201頁)いるのだそうです。霊感とは、宇宙に存在する陽炎のごとき人間を、宇宙と結合させる、へその緒のようなものであると思います。つまり、霊感は、人間が宇宙と交信するための一端を担っているものだと私は考えています。

 

 なお、中村天風は、霊性意識という概念につき、「霊魂から生まれる意識で、簡単にいうなら『本心良心』を根源とする意識のこと」(197頁)と述べています。「本心」とは「良心」のことで、「良心」とは「何が善であり悪であるかを知らせ、善を命じ悪をしりぞける個人の道徳意識」(広辞苑第4版、三省堂)のことです。宇宙と人間との、見えない交信状態を指すものだと私は考えています。生物としての人間が、長い間生きながらえてきたのは、霊性意識があったからでしょう。

 

 そして、私はこの霊性意識を日本国憲法でいうところの「良心」のことであると理解しております。この「良心」についての解釈は『地震』の第10回(5月13日付)及び第12回(5月20日付)で明らかにしましたが、「真・善・美」を求める心と「夢・愛・誠」としています。その内実は霊感であって、宇宙に存在し続けるために、宇宙からはずれないために、それは人間として務めるべき核心ではないかと思っています。

 

 さて、五感を総動員して思考を重ねても、答えがでないということが良くありますが、その場合に、一度、その案件を思考から手放した時に、ふと思いがけない答えを得ることがあります。これはまさしく、宇宙にある「気(霊魂)」から生み出された霊性意識、霊感という第六感によるものでしょう。

 

 第六感から生み出された「胸騒ぎ」を解消するためには、五感を総動員するだけではだめで、第六感である「気づき」の感性をも磨くことが必要です。そのためには、例えば、弁護士たる私として引き受けた事案の推移とともに、「胸騒ぎ」が強弱する度合を意識して仕事を進めることが、「気づき」につながります。この感性が高まれば対応の必要性に迫られ、具体的な対応策が見えてくるのです。

 

 

【「気づき」の感性を磨いて「胸騒ぎ」を解消】

 

 ところで「胸騒ぎ」を的確に感じない人、また「胸騒ぎ」を感じても克服の術が全く思い当たらない人もたくさんいます。つまり、「気がつかない人」ということです。事の推移を見通すことが出来ない人によくみられる傾向のようです。これは何も弁護士の世界だけでなく、どんな業種にも言えることですが、仕事において優秀な人は「胸騒ぎ」を鋭く感じ、優秀でない人は胸騒ぎもせず気がつかない人のことをいいます。

 

 では、「気づき」の感性、すなわち第六感や霊感を高めるためにはどうしたらよいのでしょうか。私が提案する具体的な方法としては、下記の通りです。

 

  1. 「胸騒ぎ」という漠然とした不安感に苛まれているだけではダメで、気になることは必ずメモに書き留めて分析をし始め、解決を目指す手立てにつき優先順位を決める習慣を身につけることも、一つの方法でしょう。このように、メモをすることによって、胸騒ぎが自分から半ば離れて客体化し、新しい「気づき」を得ることが出来るのです。それは、「胸騒ぎ」すなわち不安な点をメモをすることによって、それから少し解放され、「気づく」ことになるのです。
  2. 思考を重ねても答えがでないとき、その場合に、一度あきらめて、その案件を思考から手放した時に、ふと思いがけない答えを得ることは先に述べた通りです。例えば、打ち合わせの途上で、一度トイレに立つと、ふとして新たな解決の手順や解決の方途に気づくことがあります。これは、一度考えを自分の頭から手放すことによって、無という状態に至ることが可能となり、この時に「気づき」に至るのです。
  3. 不明点等は、その場で直ちに調べる癖をつけると、自分のスキルの発揮度が広がることになります。これは、私が仕事に限らず生活上常に心がけていることですが、何事も「すぐ実行する」ことが大切だということにもつながります。
  4. どんな時でも、「仕事を前倒しに行う」こと、そして「一拍おく」ことが大切です。弁護士の仕事のひとつに書面作成がありますが、弁護士に限らずどんな書面であっても、作成者には責任が生じます。そこで、書面を作ったらすぐ発信するのではなく、まずは読み合わせをすることが必要です。読み合わせでは、ただ読み返すだけでなく、その書面を発信することでどんな責任が生ずるかを自ずから確認します。実務では、前日に書面を作成しておいて、一夜おいて朝になってから、書面を発信するのです。そうすることで、落ち着いた気持ちで、すなわち落ち着いた文面での文書を発信することができます。いつも追われて仕事をしていたのでは良い仕事はできません。また、さらに一夜おいて朝にそれを読み返すと新しいことを着想することがあります。朝こそ頭が冴える時間であるからです。「前倒し」で前日に仕事を終えているからこそこの効果が得られるといえるでしょう。このように、「気持ちに流されず、気持ちをもって(維持して)仕事をすること」、「気持ちを入れること」を旨として下さい。

  5. 全て順風満帆に感じられ、問題なく感じられるときには、「胸騒ぎ」につながりそうな材料を積極的に探すことが重要となります。つまり、アンテナ(「気」)を張り巡らせて、警戒信号を見つけ出すのです。これが「備えあれば憂いなし」ということになり、弁護士としての安堵を得ることになるのですが、依頼者に対しては、「気になること・苦になること・気がかりなこと」を確認するという手続きを毎度進めることもそれにあたるでしょう。そして自分自身は、「胸騒ぎ」がするか否か、またはその程度如何をたえず探り、もし感じなければ積極的に探すことが、状況の把握と、それを踏まえての問題解決・解消の近道なのです。
  6. 同じ考え方・感じ方・思い方をする人ばかりが集まって仕事をしていては、発展性や柔軟性に乏しく、様々な「気づき」を得ることができません。それでは組織としての力も弱くなるのです。かつて私が北朝鮮にお邪魔した際に、リンゴの苗木を送る約束をしましたが、それを果たすために青森県黒石市まで行って、株式会社黒石植物園という会社を訪ね、リンゴの苗木について色々教えてもらったことがあります。「同じ品種の苗木ばかりを並べて植えてはいけない。異品種の苗木も混ぜて植えることが、苗木を丈夫に上手に育てるコツです。」と教えていただきました。人間も同様で、異なる議論のできる異分子を入れることによってお互いに「気づき」が生まれ、成果を上げることが出来るでしょう。

 

 このように、物事を成功させるためには、第六感をフルに研ぎ澄ませ、「胸騒ぎ」と「気づき」をフルに発揮して、何らかの対策・対処方法を思いつく・考え出すという行為こそが大切なのです。こうした創意工夫をすることが、結果として懸念事項を少なく小さくし、トラブル解消につながるのです。

 

 主に弁護士について述べてまいりましたが、この「胸騒ぎ」とその解消方法である「気づき」は、先ほど申し上げた通り、どの業種・業界に属する方にも、同じことが言えます。「胸騒ぎ」に、的確に鋭敏に気づき、そしてそれを克服する術を備えることは、優れたビジネスマンにとっては必要不可欠なものです。

 

 次回以降も、引き続き、「気」に関係する実践的な記事を投稿していきたいと考えています。

(次回に続く)

「胸騒ぎ」


20110624.JPG(2011年6月21日午後15時15分 静岡県沼津市 小生知人ご自宅付近にてペチュニアを撮影)

 

 

 6月17日付「気」に関する第1回のブログで、宇宙にある「気」なるものについて述べましたが、私は、かねてから東洋医学の基本概念であり、中国思想全体を通じてもっとも重要な概念の一つである「気」、それと関連して「波動」や「微弱エネルギー(サトルエネルギー)」について、以前から興味をもっていました。これらは、なかなか分かりづらいテーマであって、表現することが難しいことですが、前回に引き続き、私の弁護士としての仕事を通じて理解したところを、稚拙ながらもブログ記事としてまとめていきたいと考えています。

 

 まずは、私の弁護士としてのノウハウの一つである「胸騒ぎ」とその解消方法である「気づき」について、触れたいと思います。「胸騒ぎ」、「気づき」は、弁護士に限らず、どの業種・業界に属する方にも、共通の事象かと存じますから、大いに参考にしてください。

 

 

 

【「胸騒ぎ」とは】

 トラブルに遭遇しそうなとき、そして現に遭遇したとき、多くの人は「胸騒ぎ」を覚えます。

 

 私は、弁護士として、裁判手続きを進めているうちに、特に、裁判官とやり取りをした後に、「胸騒ぎ」を覚えることがあります。つまり、私の依頼者にとって不利益な結論を、裁判官が心証として抱いているのではないか、という局面で「胸騒ぎ」を覚えます。勿論、団体交渉でもそうです。交渉の相手方との折衝で「胸騒ぎ」があるとき、すなわち不安を予知して、心が穏やかでなくなるのです。例えば、折衝・交渉の途上において、「組合はストライキを行うことを内心決意しているな」と感じた時です。

 

 この「胸騒ぎ」は、相手の心を直感で感じることなのですが、実は、相手の「気」という微弱な電気エネルギー(波動、一種の警戒信号のようなもの)が当方に伝わって、いささか大げさに言えば、当方の心をかき乱すのではないかと思っています。かき乱すというほどの大げさな表現ではないとしても、当方の心に乱れが生ずるというものではないかと思います。(よって、相手にこの「胸騒ぎ」を招かせないよう、無表情で内心を顔色に表さない「ポーカーフェイス」で交渉にのることは、すぐれた交渉担当者の常套手段といえるのではないでしょうか。)

 

 人間は頭部、胸部、腹部にかけて、身体の中心線上に7つの経絡に重なる位置に、「チャクラ(サンスクリット語で『車輪・円』を意味するそうです)」というものがあります。チャクラは、人間の精神的エネルギーの中枢を司り、そこに気が集まるという機能があるそうです。チャクラを用いて説明すれば、「胸騒ぎ」は、「ハートのチャクラ」(心臓、循環器系、肺、肩、腕、あばら骨、乳房、横隔膜、胸腺)の反応ということになります。生物は、どんな生物でも全身センサーだらけです。第五感まではもちろんのこと、第六感(=直感そして霊感〔霊性〕)もそのセンサーの対象に入っています。魚のエラは、ガス交換、浸透圧調節、アンモニア排出など多様な機能をもっており、魚類の最も重要な呼吸器官の1つです。このエラは、人間の「胸腺」にあたります。「胸腺」とはあまりなじみのない臓器ですが、身体のほぼ中央で胸骨の後ろ、心臓の前面にある小さな臓器です。「胸腺」は、特に人間の幼少期において、身体の免疫をつかさどる重要な働きをもっているとされています。ハートのチャクラは、誰かの想いや愛情感覚を受け取ったりするテレパシー感覚、よい想いだけでなく絶望、憎しみ、うらみ、そして恐れなども受け取る役割をしているそうです。「胸苦しい」という言葉がありますが、これはまさに胸腺が収縮し、負の感覚を受け取り、閉塞状態にあることを示すのではないでしょうか。「胸騒ぎ」の反対用語として、「胸のつかえが下りる」「胸を撫で下ろす」「胸が躍る」「胸ときめく」という言葉がありますが、これは胸腺の閉塞状態とは反対の、解放の状況を示していると思います。(尚、アトピー性皮膚炎という病気がありますが、胸腺の病気と理解するのが優れた医師の判断でしょう。)

 

 また、辞書を引いてみると、「胸騒ぎ」とは、「心配・驚き・凶事の予感などのために胸がどきどきして心の穏やかでないこと」ですが、これは「虫の知らせ」=「何の根拠もなく、何か悪いことが起きそうな予感を感じること」(広辞苑第三版、三省堂)とほぼ同意義です。要するに、「胸騒ぎ」と「虫の知らせ」というのは、トラブル等を「予知」することですが、これは五感以外の感覚、第六感を通じて行っていることでしょう。(第六感については、次回以降でまたお話しします。)

 

 つまり、「胸騒ぎ」は、今後の展開がおもわしくない時、あるいは今後の展開が読めないことへの不安感を「(ハートの)チャクラ」すなわち気を通じて相手の気を第六感で受け取って予知している兆候であり、このいやな感覚を払しょくして克服することこそが、トラブル解決への道となるでしょう。

【参考】

・http://www7.plala.or.jp/bumboo/amulet/4/cha4.html

 

 弁護士は、裁判といういわば“トラブル”に日々直面することが仕事ですが、重要なのは、担当する事件の事実関係や法的考察に関する「胸騒ぎ」を迅速・的確に感じ取って、対処のための正しい方向性を発見することです。先に述べた通り、「胸騒ぎ」は自分に発せられた一種の警戒信号ですから、事態を直視し、これを早いうちに解決する必要があります。「胸騒ぎ」が強まる状態は、ストレスをもたらすのみならず、問題点がそのままにされ、不安がつのり、一層自分の判断に「冴え」がなくなり、それに伴って殊更に疲労を重ね、蟻地獄のような状況に陥って、勝ちぬくどころか致命的な敗北を喫する危険すらあります。

 

 「胸騒ぎ」に備えて、「胸騒ぎ」を消す方法を工夫するのが弁護士としての務めなのです。その工夫する方法は、依頼者に不利な方向ではなく、有利な方向にむけて創意工夫をするということです。いわば、「胸騒ぎ」から逃げず、「胸騒ぎ」に立ち向かって、それを克服する術をまさに直感的、第六感的に悟ることにあります。「直感的、第六感的に悟る」ことを私は「気づき」と呼びますが、次回は、この胸騒ぎの解消方法「気づき」についてお話しします。

 

(次回に続く)

宇宙に存在する「気」


20110617.JPG(2011年6月16日朝6時44分 東京都港区 有栖川宮記念公園にて撮影)

 

【宇宙に存在する「気」】

 約137億年前にできたといわれている宇宙に、地球は46億年前誕生したといわれています。そもそもその宇宙は、無限に広がるという説もありますが、実は無限ではなく有限であるという解釈が定説です。つまり、宇宙は膨張をし続けているのですが、やがて縮小に転換し、最終的には終末に至るのだそうです。

 

 これは、「宇宙の終焉」理論として、宇宙物理学の分野で、様々な研究がなされ、議論されてきたことです。

 

 まず、宇宙にあるどんな星も中心核と外層のバランスが崩れて膨張しつづけ、ついには赤色巨星になります。その後最終的には自身の核エネルギーを使い果たして、超新星爆発が起こるということです。星の外層のガスは衝撃波によって吹き飛ばされ、星は一生を終えるそうです。

 

 たとえば、太陽は今から50億年後に核エネルギーを使い果たして燃え尽きるといわれていますが、そのとき地球がどうなるかははっきりわからないということです。おそらくドロドロに燃えてしまうようです。

 

 現在、地球周辺で近いうちに超新星爆発を起こすと予測されている星は、さそり座のアンタレス(Antares)と、オリオン座のベデルギウス(Betelgeuse)だそうです。アンタレスは、夏の南の空に赤く輝く1等星ですが、直径は太陽の600倍ないし800倍で、非常に大きな赤色巨星で、地球からの距離は約550光年です。ベテルギウス(平均等級 0.58等の変光星)は、地球からの距離は約640光年ですが、質量が太陽の約20倍もあります。ベテルギウスが超新星爆発を起こした際には地球にも何らかの影響が出ると言われているそうです。

 

 そして、10の14乗年後(100兆年後)になると、銀河中のガスはほとんどなくなり、新たな星が生まれなくなり、宇宙には輝きのない星とブラックホールだけの暗黒世界になり、宇宙も終焉を迎えると言われています。

【参考】

http://r25.yahoo.co.jp/fushigi/report/?id=20091201-90007962-r25

 

 

 こういった「宇宙の終焉」に関係して、日本の古典では「明月記」(鎌倉時代の公家藤原定家の日記。定家が1180年から1235年までの56年間にわたり克明に記録した日記)に書いてあります。藤原定家がまだ生まれていない時期の出来事を書いたものですが、1054年(天喜2年)の夏の夜、「オリオン座の東、おうし座の近くに客星(かくせい)が現れて、木星のように明るく輝いた」(現代風に意訳)とあります。客星とは彗星や超新星のように、突如として出現するものを意味するそうです。ちなみに、おうし座の客星は大爆発の後、かに星雲(M1)として存在します。

【参考】

http://www.tdk.co.jp/techmag/museum/museum51.htm

 

 

 さて、この「M1」といった記号について少しご説明します。シャルル・メシエ(1730年~1817年)というフランスの天文学者は、彗星の発見に没頭しましたが、その中で彗星と見間違うような星雲、星団に番号を付して、これと区別をしました。メシエの頭文字であるMを星雲、星団の頭につけました。有名なものとしては、M31=アンドロメダ星雲、M45=プレアデス星団(和名はスバル)などが挙げられます。ウルトラマンの故郷として知られるM78星雲は、オリオン座の中に存在しています。このように、星雲、星団にメシエの番号を付したものを「メシエカタログ」といい、メシエの生前に出版されたカタログには103個が収められていましたが、その後、助手のメシャンによる追加などがあり、最終的には110個になったようです。

【参考】

http://100.yahoo.co.jp/detail/%E3%83%A1%E3%82%B7%E3%82%A8%E3%83%BB%E3%82%AB%E3%82%BF%E3%83%AD%E3%82%B0/

 

 少し話がそれましたが、このように、宇宙は、誕生し、成長し、成熟し、そして縮小し、黄昏を迎え、最終的に死に至るものです。

 

 人間は、生物体として宇宙に存在する以上、宇宙の一つの構成物であり、宇宙と一体ですから、およそ人間は、この有限である宇宙に存在する小さな一つの存在として、宇宙と同様に、全て有限であって、「死」の世界に直面しながら生きるのです。人間の誕生から死までを大まかにたどってみると、まず人間は卵子と精子が結びついて胎児になり、そして成長し、成熟し、枯れ始め、黄昏れ、そして死を迎えますが、これは宇宙と同じなのです。ちなみに、人間が誕生するためには、女性が十月十日胎児を抱えることが必要ですが、それほどの長い間異物を体内に抱えることは、男性の生命力ではもたないでしょう。つまり、男性と女性では生命力が違い、つまりエネルギーが違い、その結果男性と女性の平均寿命を見てみても、女性の方が寿命が長いのです(厚生労働省の平成21年簡易生命表によると、日本人男性の平均寿命が79.59 歳であるのに比べて、女性は86.44歳と、6.85歳も違います)。

 

 また、宇宙に存在する物質を最小単位まで掘り下げてみてみると、原子核の周りを電子が回っている原子からできています。そこから波動が生じます。つまり、全ての物質は波動を出しているのです。先ほど全ての生物体はエネルギーをもつと言いましたが、波動エネルギーは、人間を含む生物体はもちろん、生物体たり得ない物質も持っているものです。言いかえれば、宇宙は波動エネルギーで出来ているのです(これは、アインシュタイン等によって量子力学が確立されたことで明らかになったことです)。

【参考】

・「波動整体療法」(本多和彦著、文芸社、2000)

http://ok-hado.ftw.jp/u24442.html

 

 

 このように、宇宙に波動エネルギーがあると同様に、人間にも波動エネルギーがあり、また、宇宙に存在する全ての物にも波動エネルギーがあるといわれています。先ほど男女のエネルギーの違いや寿命の違いについて少し触れましたが、エネルギーが違うということは、波動も男女で違うということでしょう。こういった波動の影響で、例えば色についても、男女は色が違って見えるのではないでしょうか。そして、東洋医学でいう「気」は、今の科学では客観的に数値化することができませんが、この宇宙に存在する波動エネルギーを「気」と称しているのでしょう。

 

 こういったプロセスや、「気」(波動エネルギー)については、何も人間をはじめとした生命体だけに言えることではなく、我々が扱っている政治でも、法律でも、経済でも同じことが言えるのではないでしょうか。すなわち、それは人間の産物だからです。

 

 

 東洋医学でいう「気」という概念を法の世界に当てはめてみると、気を張りすぎず、気づまりすることもなく、かといって、気後れすることのない「中庸の精神」(かたよることのない「中」を以て「常」の道をなし、易(か)わらないことをいう)を養うことが肝要かと思います。中庸は、人間にとって安定性こそが極めて大事であること、すなわちバランス感覚が大切であることを語っています。これを指導者、リーダーにあてはめて考えると、リーダーになればなるほど前に進もうとする力が強くなり、安定性を失いがちになりますが、それ故に安定性を保つことが大切であるということです。これは、気、バランス感覚を養い、自己管理ができることが重要であることを意味します。そのためには、まずは、政治でも、法律でも、経済でも、そこに流れる「気」は、バランスをもったものであり、それには、まずはおよそ私心を離れた世界のものであるということを十分意識する必要があるでしょう。

(続く)

20110609.JPG 

(2011年6月4日(土) 朝9時46分 長野県飯山市 ある日本画家のご自宅兼アトリエで撮影)

 

【被災地の皆様からの生のお声】

 さて、この度の東日本大震災についての記事の執筆に当たっては、私自身、新聞や雑誌、テレビ番組などのマスコミ報道はもちろん、多くの書籍を購入し、情報の収集に努めましたが、ブログ内で引用したのは幸田露伴、船瀬俊介、E・F・シューマッハ―、M・ハイデガー、渋沢栄一、H・シュリーマン、寺田寅彦、山田真美等の書籍の一部です。様々な情報源の中でも一際参考になったのは、何と言っても、実際に被災された私の知人の皆様からの生のお声でした。

 

 ここに、被災地の皆様からのご意見を、いくつかピックアップし、ご紹介させて頂き、この度の東日本大震災・原発事故についての結びとさせて頂きます。紙幅の関係で、全部をご紹介出来ず申し訳ございませんが、震災ご対応等に追われご多忙の中にもかかわらず、アンケートにご協力くださいました皆様に、この場をお借りして、深く御礼申し上げます。

 

 

 

 

【4月20日付 財団法人竹田綜合病院 理事長 竹田 秀 様からの声】

 財団法人竹田綜合病院・・・福島県会津若松市にある綜合病院。「信頼されるヘルスケアサービスを提供し地域に貢献する」「職員が成長し喜びを感じられる組織風土を造る」「21世紀にふさわしい新しいヘルスケア組織づくり ⇒ 日本のリーディング組織へ」を経営理念とされ、「質の高い保健・医療・福祉の機能を提供し地域の方の健康に関する問題解決を支援する」ことを使命として医療活動をされています。ホームページはこちら

 

ⅰ 今一番困っていること

 

 今一番困っていることは、原発問題の先行き不透明感です。先般、東電から工程表が開示されましたが具体性に欠けており、地元福島県及び隣県の住民がいつ地元に戻れるか、どれだけの負担が発生するかが明らかになっていません。東電が民間企業である以上、今回の事故に対する補償額が到底まかなえるものでないことは想像できますが、国有化をせず私的整理での処理・再出発は困難であると考えます。経営と運営を一時的にでも国有化し、これまでの体質を正していくことが重要であると考えます。

 

 津波による被害に加え、原発に関する補償問題まで国が税金を投入していくとなると、財政面の逼迫は避けられず、国民負担の増加により経済の更なる疲弊が懸念されます。復興対策と並行して、経済への梃入れも必要と考えます。

 

 

ⅱ 「マスコミに取り上げてほしい事柄」について

 

 新聞・テレビともに中央の各キー局が中心となって報道を構成しているため、本当に必要な地方の情報が「正確に」「早く」伝わっていません。こんな時であるからこそ、地方の新聞紙・テレビ局が地元の情報を地元の視聴者に「正確に」・「早く」伝える必要があると考えます。そこには思想的考えやスポンサー企業への配慮は不要です。

 

 また、NHKなどの影響力のあるメディアは、専門分野のコメンテーターを毎回変えることなく、首尾一貫した放送姿勢を取る必要があると考えます。

 

 今回の原発問題については、あまりにも恣意的な報道操作がなされており、且つ、情報量の格差が年代・地域によって大きくなっていることが問題であると考えます。

 

 

 

【4月29日付 株式会社ディアー 代表取締役 栗原利行 様からの声】

株式会社ディアー・・・福島県南相馬市鹿島区にある有名デザイナーブランド作りの工場。国際的夢企業、ファッションエンジニア集団。(代表取締役の栗原利行様は、地方の企業家として、福島大学経済学部の非常勤講師を務められる等、特に若者を中心とした各方面への講演活動をも行われています。) 

 

 当社は、原発事故地より32km地点に存在する南相馬市鹿島区にあり、海岸より4kmの場所にあります。3月11日の東日本大震災では、半分の2Km地点まで大津波で大被害を受けました。社員の3名の自宅が津波で流されました。残念なことに、自宅が心配で戻った社員の1人はタイミング悪く、津波にのまれて亡くなってしまいました。大小被災した社員、原発放射能危険等のため遠方に避難する必要があり通勤出来ない社員もおり、少数精鋭16名中5名が不在という状況では正常な生産活動はできません。出勤出来た11名で何とかやりくりして途中商品を完成させて無事納品をしました。

 

 その後の生産予定商品は手を付けず、お取引先に相談し返却したり、他の工場へ転送し、生産依頼された工場として最低限責任ある行動はとりましたが、万事休すといった状況でした。

 

 南相馬市であっても原発近くは避難地区でまったく無人地帯となっています。その地区での同業者と連絡を取りましたが、悲惨そのものでした。何一つ計画を立てられず、皆裸一貫ゼロから事業を起こしたパワフルな猛者なので、何らかの方法で立ちあがってくれるものと信じています。

 

 大変残念な事でありますが、当社全社員を解雇とせざるを得ませんでした。しかしながら、創業時より経営状態を公開してきたので、全員に理解して頂きました。妻、知人、若干名の力を借りて、物創造会社としての灯は消さずに続けています。

 

 今回の東日本大震災で有名になった南相馬市ですが、住民みんな元気です。国内外あらゆる地からの励ましのメッセージが一番の活力源です。ありがとうございます。

 

 

 

 

【5月3日付 学校法人朴沢学園 理事長 朴澤泰治 様からの声】

学校法人朴沢学園・・・宮城県仙台市青葉区にある明成高等学校、宮城県柴田郡柴田町にある仙台大学を運営。(高校、大学ともに建学の精神は「実学」と「創意工夫」であり、大学では「スポーツ・フォア・オール」=スポーツは健康な人のためだけでなく、すべての人にという志を教育理念として、人材育成にあたっていらっしゃいます。)ホームページはこちら

 

ⅰ 一番困っていること

 

 今一番困っていることは、福島原発について今後がはっきりしていないことです。大学部門は、毎年30数都道府県から学生が入学しておりますが、今回震災で、80kmの距離にあるにも拘らず、既に沖縄出身の在学生1名が地元の私立大学に転籍してしまいました。

 

 国には、東電の今後約9ヶ月の対応内容について公認しているのであれば、このような動向を断ち切るために、教育環境に関する風評被害防止のため、安全の保証に積極的に動いて頂きたいと考えます。

 

ⅱ 「マスコミに取り上げてほしい事柄」について

 

 マスコミ関係は映像・活字とも経営が厳しいようで、視聴者・読者、広告主迎合型の報道になりがちです。補正予算の内容、原発事故対応内容など、もう少し客観的に掘り下げて報道することが求められていると考えております。

 

 

 

【最後に】

 私はこの度の東日本大震災・福島第一原発事故を経験し、何か私にできることがないかと考えました。私は現在、表舞台から退き、執筆活動や後進の指導にあたっております。今の私にすぐできるのは「文章」を書いて発表すること、次の人に情報を伝えること、被災地の皆様の生のお声をお聴かせ頂きご紹介すること、と考えブログのテーマにして投稿して参りました。

 

 3月29日に行われたJリーグの「東北地方太平洋沖地震復興支援チャリティーマッチ がんばろうニッポン!」において、鹿島アントラーズの小笠原満男選手が、「思いやりの精神をもった我々日本人なら必ず復興できると信じています。皆さんでがんばりましょう。」とおっしゃっていました。当ブログの読者の皆様も、私の呼びかけもふまえて、それぞれ出来る範囲でご活動されることを願っております。そして何より被災地の一刻も早い復興を心より祈念致します。

 

以上

 

 

追記:4月1日(金)より、「地震・原発事故」をテーマとしたブログを投稿して参りましたが、今6月10日(金)更新分記事をもちまして一旦終了致しました。次回以降は「気」をテーマとしたブログを少しずつ書いて参ります。

高井・岡芹法律事務所
会長弁護士 高井伸夫

 

20110603(2).JPG20110603(1).JPG(2011年5月27日 午後1時13分 北海道苫小牧市 ノーザンホースパークにて撮影)
                                             ノーザンホースパークホームページはこちら

 

 

 

 さて、4月1日より、今まで計14回、この度の東日本大震災について記事を投稿して参りましたが、今回より2回にわたって、ブログへのご質問に対するご意見・回答及び被災地の皆様からの生の声をご紹介し、ひとまず地震・原発事故に関する記事の結びとさせて頂きます。

 

【ブログ記事本文ご質問への回答】

 まず、今回は4月8日付記事「東電国有化についての所感と方針~やはり民営企業で」のコメント欄に寄せられた、森山雪子様からのご質問に回答させていただきます。

 

<森山様からのご質問>

高濃度の放射性物質混じりの水を、海に放出したことでロンドン条約に触れて、今後、多くの賠償金を求められるだろうといくつかのメディアで聞いたり見たりしました。

もしも、海外から訴えられた場合、「国外に対する保証」は、新東電が受け持つのでしょうか?それとも、国がやってゆくものですか?3兆〜30兆の試算の中に、この保証は含まれているのでしょうか?

 

 私の4月8日付記事では、もっぱら今後の東電のあり方という国内的な問題にしぼって意見を述べましたため、森山様からのご質問の点には触れておりませんでした。この点については、概略以下のとおりご回答申し上げます。

 

 報道等では、確かにロンドン条約の名前が取りざたされておりますが、これは国同士の取り決めであって直接東電の責任を定めるものではない上、この条約を見ると、「投棄」については、船舶等から廃棄物を海洋へ処分することと定義されておりますので、今回のような陸上にある原発からの汚染水の放出がこれに当たるかどうかは問題もあるかと思います。

 

 森山様のご質問のご趣旨としましては、東電という私人の不祥事に国が責任を負う場合があるのかという違和感にあるのではないかと思料致しますが、条約は、法律とは異なり国家間を規律する法規範であり、条約違反に基づく賠償責任ということになれば、それは国家間の問題であり、私人の行為について、原則的には国がその責任を負うことはありません。しかし、国が指示をした場合や、国が私人の行為に関連した自らの国際義務に違反したような場合には、国が金銭賠償等を含む責任を負わなければならないこともありましょう。

 

 なお、補償額につきましては、巷で3兆円ないし30兆円と言われているにすぎず、その内訳については試算を行う人によって異なると思われます。これについては、本ブログ記事内でも申し上げましたとおり、誰も未だ正確な数字は分かっていないということでご理解頂ければと存じます。

  

 

【ブログに関するご意見・ご質問】

 私が4月1日よりブログを始めてから、知人ら等ブログ読者の皆様から様々なご意見・ご質問を頂いておりますが、ここでお寄せ頂いたご意見・ご質問につき2~3をピックアップし、ご紹介したいと思います。

 

  1. 「ブログの写真はどなたが撮られているのですか?」というご質問をよく受けますが、写真は、私が散歩先や訪問先等で目にとまった風景や花々等を自分でカメラを構えて撮影しています。ちなみに私が写っている写真は、ドライバー等々同行者が撮影しています。

  2. 5月13日付記事「福島第一原発事故~所感統括」に書いた、【福島県元知事佐藤栄佐久に対する有罪の判決「収賄被告事件、収賄、競売入札妨害被告事件」】の「最高裁判所は上告を受理しなかったと伝えられています」という記述についてですが、「最高裁に受理され、係属中」とのご指摘を頂きました。記載に誤りがございましたことを、お詫びして訂正致します。なお、「その判決の行方はどうですか?」というご質問も受けますが、私は次のようにお答えしています。

    東京高等裁判所平成21年10月14日判決(事件番号 平成20年(う)第2284号)は、要するに「無罪であるけれども有罪である」という大変不思議な、言ってみれば検察庁あるいは国に阿った(おもねった)判決になっています。このことは、誠に遺憾でございます。そして最高裁では、「有罪であるけれども無罪である」という庶民を納得させられない論理で無罪とする可能性があります。要するに佐藤栄佐久氏は国策への反逆者・謀反人としての所為に及んだとして起訴されましたが、このことをネグレクトした上、有罪に値する証拠が十分ないとして推定無罪という形で判決を出すことを私は予測しています。

    また、「無罪判決が確定した場合に、佐藤栄佐久氏は刑事補償請求をするでしょうか?」というご質問も受けました。刑事補償請求訴訟を提起するかどうかは、本人及び弁護団の意向次第ですが、私は佐藤栄佐久氏が、無実の罪で監獄に送られ復讐に生きたモンテ・クリスト伯爵のようには、検察官にも裁判官にも復讐の念を起さず、正々堂々と、再び福島県知事選挙に立候補すべきではないかと考えています。もちろん、立候補の結果、落選ということもありうるでしょうが、命ある限り、自分の信念を貫くためにはそのことが必要ではないかと存じます。もちろん、あの世では認めていただけるでしょう。(ちなみに現在の福島県知事佐藤雄平氏は、民主党の大立者である渡部恒三議員の甥と伝えられていますが、佐藤雄平氏が立候補するかどうかも見物です。)

    なお、この事件を担当して有罪判決を出した裁判官は、佐藤栄佐久氏に対し、深甚なる謝罪をするべきだと思います。そして、裁判官は、福島県民に対しても、遺憾な点があったと明確に表明すべきでしょう。また、検察官については、最高検察庁検事総長が、佐藤栄佐久氏に対し、深甚な謝罪をするべきでしょうし、さらに福島県民に対して、反省の態度を明確に示すべきでしょう。過去の例としては、足利事件の再審(事件番号平成14年(た)第4号)で、宇都宮地方裁判所が2010年3月26日に無罪判決を言い渡した際、裁判長および二人の陪席裁判官が謝罪しております。裁判官も人の子ですから、このような人倫に基づいた態度を鮮明にすべきでしょう。

  3. 小生がメンタルヘルスに関する著書等を発表しているため、「この度の震災・原発事故につき、メンタルヘルスについてもブログで書かれますか?」というご質問もよく頂きます。メンタルヘルスについては、あまりにも難しい問題なのでブログで取り上げ兼ねますが、最近私は、山田真美著『死との対話』(2004年11月30日株式会社スパイス発行)を読み、感銘を受けました。山田真美氏ホームページはこちら

    山田氏は、『死との対話』の「16 世界で最も自殺しやすい男と女」の章で、「思うに、人間というものは概して『安定志向』の強い生き物ではないだろうか。」(p159)「急激な変化。この先の生活がどうなるかわからない、先行きの見えない毎日。そうした不安にさらされ続けた人々が経験するであろうストレスの大きさは、想像に余りある。」「こうした状況が長く続けば、肉体的にも精神的にも相当なストレスを強いられることだろう。」(p157)と述べられています。

    私は次のように思います。人間は向上心があると共にそれが故に不安定になりがちですから、安定性を求める動物でもあります。だからこそ人間は生き残り、万物の霊長という地位を得るに到ったのです。それにも拘わらず、今回の震災・原発事故を通じて多くの方々が配偶者や子供、両親、祖父母等の親族を亡くすという痛恨の極みの不祥事に遭遇し、また、人生の努力の結晶ともいえる家を失ってしまうという異常で悲劇的な事態に遭遇し、不安定極まりない喪失感に満ちた心境に至っています。気が張っているうちはよいのですが、気が抜けた瞬間に心身の顕著な疲労が顕在化し、精神障害者が様々な所で発症するだけでなく、自殺者が多発するのではないかと私は心配しています。精神科医、心療科医、カウンセラー等がこれにどう手助けをするかが大切な課題であると考えます。

    各種報道では、被災地で救助等を行っている自衛隊員のメンタルヘルスが非常に大切であると報じていますが、私は、実は、被災者自身のメンタルヘルスこそが大切な課題であるということを声を大にして言いたいと思います。

    私は現地に行って取材するだけのルートや時間がございませんので、生の声を聞いておらず、事実をふまえた十分な論述をし得ないので、問題点のみを指摘するにとどめます。

 高井・岡芹法律事務所
会長弁護士 高井伸夫

(次回に続く)

復興に向けて「心の立て直し」を


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(2011年5月23日 朝07:02 東京都渋谷区 代々木公園にて撮影)

 さて、前回5月25日第13回の記事では、被災地の復興についての方針、そして日本全体の復興についての方針を述べましたが、今回は、それらの復興の方針を行うために、日本人は、「心の立て直し」をすることが必要である、ということを改めて述べたいと思います。

 

【復興に向けて「心の立て直し」を】

  今、被災地の方々や、復興に向けて努力されている方々の、最悪の事態に立ち向かい、連帯しているお姿を拝見すると、感銘を受けるばかりです。彼らには、自制心と連帯、互助の精神で毅然と行動できる「日本人の心」が存在しています。(「日本人の心」については、5月18日付第11回記事もご覧ください)

 

 米国・中国も含め、各国の海外メディアでも、被害の事実報道やお見舞いの言葉に留まらず、被災地の方々の人間としての真摯さと、秩序だった社会を称賛し、復興努力を期待・激励する論調が相次いでいます。

 

 また、4月24日付のJ-CASTニュースは、「『私は、略奪や買い占めに走らなかった日本の人たちをとても誇りに感じることができました。日本で今起きていること、日本の人々がとった行動や勇敢な行為について報道で知り、私は同じ人間として強く共感しました。』(「マイケル・サンデル 究極の選択 大震災特別講義 私たちはどう生きるか」NHK総合2011年4月16日21時〜)」という、米国・ボストンの女子大生の言葉を紹介しています。

 

 私は、特に東北地方の方々には、今の東京の若者にはない、「日本人の心」という精神的な強さや豊かさがあるように感じます。「東北が(震災に)選ばれてしまった」という言い方が正しいかどうかは分かりませんが、仮に震災が東京に直撃していたら、世界中にパニック映像が流れ、海外の人々が日本から今以上にどんどん去り、日本は終わりだったかもしれません。

 

 今こそ、かつての精神的先進国であった日本が、身を持って世界に正しい生き方を示し、リードしていくべきです。ですから、軽視してきた日本人の心を、今、改めて見直し、より一層の徹底をはかるという「心の建て直し」こそ肝心・肝要なことだと思います。

 

 

 

【「不朽・不屈の精神」を胸に、「貧しくとも美しく生きる」】

 

 3月19日付の日経新聞夕刊(第4面)は、ソニーのハワード・ストリンガー会長が、3月18日付の米紙ウォールストリートジャーナルに「日本人には不屈の精神がある。難局を必ず乗り越える」と寄稿されたと報じています。

 

 私たち日本人は、この度の震災後の現実を受け入れ、勇気を持って逆境に耐えることのできる精神的強さ、すなわち、「不朽・不屈の精神」を胸に、「貧しくとも美しく生きる」という日本人の本来持っている姿、すなわち「日本人の心」の真骨頂を発揮すべきだと思います。この苦しみから、人々が協力し合い、英知を出し合い、次世代へのステップの足がかりとするのです。

 

 

 

【寺田寅彦の「日本人の自然観」】

 

 さて、寺田寅彦氏(1878年~1935年)は、科学者でありながらも、文学など自然科学以外の事柄にも造詣が深く、科学と文学を調和させた随筆を多く残した方です。最近の若い方は、寺田寅彦のお名前もご存じないかもしれませんが、私は、学生時代に寺田氏の随筆をよく読んだ記憶があります。

 

 「寺田寅彦随筆集 第五巻」(1948年11月20日発行)の中に、「日本人の自然観」という随筆がありますが、そこで寺田氏は下記の通り述べています。

 

 「こうして発達した西欧科学の成果を、何の骨折りもなくそっくり継承した日本人が、もしも日本の自然の特異性(注・寺田氏は、日本の自然の特異性について、日本は地質地形が複雑で、地震ならびに火山の地殻活動の現象は、日本の複雑な景観の美を作り上げる原動力となった、と述べています)を深く認識し自覚した上でこの利器を適当に利用することを学び、そうしてただでさえ豊富な天恵をいっそう有利に享有すると同時にわが邦に特異な天変地異の災禍を軽減し回避するように努力すれば、おそらく世界中で我邦ほど都合よくできている国は稀であろうとおもわれるのである。しかるに現代の日本ではただ天恵の享楽にのみ夢中になって天災の回避の方を全然忘れているように見えるのはまことに惜しむべきことと思われる。」

 

 日本が近代科学技術を導入して、富国強兵・殖産興業のもとで国つくりをしてまだ143年しかたっていません。科学技術は、人間の生活を豊かにする道具として間違いなく有益なものでありますが、この有益性ばかりに夢中になって、天災の回避を怠っていると、寺田氏は述べているのです。

 

 こういった人間の驕りを最小にするためには、教育にあることは火を見るより明らかでしょう。この度の原発を巡る諸問題も、この点に集約されると思います。

 

 ですから、若者はもちろんおよそ日本人は、寺田寅彦の著書をはじめ、古典(古い書物)を読む、ということをしなければなりません。最近の傾向である、安直なノウハウ本とか、ハウツー本だけしか読まないのではいけません。それでは日本人は廃れ、日本は危ぶまれてしまうことは言うまでもないからです。

高井・岡芹法律事務所
会長弁護士 高井 伸夫

(次回に続く)

震災復興院の掲げるべき方針


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(2011年5月23日 朝6:59 東京都渋谷区 代々木公園にて撮影)

 

 

 

 前回の記事で、原子力発電に代わる新発電方式を提案いたしましたが、今回は、被災地の復興についての方針、そして日本全体の復興についての方針の二つを述べます。

 

(1) 被災地の雇用復興

 

 地域活性のための手続きとして、従来法規制等の関係で事業化が不可能な事業を、特別に行うことを可能にする規制緩和の手段「経済特区(構造改革特別区域)」という制度があります。

 

 この度の地震の被災地である東北地方に、労働条件を規制する労働基準法等の規定が緩和適用される、労働契約の特区、いわば「労働特区」の指定をするべきだと私は考えています。

 

 今は、単に被災地だけでなく、日本各地で中小企業が破産状態になっています。たとえば、石川県能登半島の輪島漆器製造業は、3月11日以前から、給与の支払いが遅れ、従業員が販売した物品の債権を取り立てた場合、その回収した債権のほとんどを自分の賃金に充当するという方式が採用されつつあります。例えば、40歳の営業担当の女性は、名目賃金が14万円前後で、手取りが10万円前後だったそうです。

 

 東北地方の多くの地域では、一次産業の比重が高いですが、この一次産業は被災前から長期にわたって低落状態にあり、後継者の育成・確保も大変厳しい状態になっています。東北地方の産業の低落傾向については、日本全体の少子化の中では、これはやむをえないものとして受け取り、また、この度の東日本大震災でも、この低落傾向は一層加速するでしょう。このことを思えばこそ、まさに、今、新産業を興す必要があります。そして、高齢者が多い東北地方では、「技能・技術産業」を起こすべきでしょう。この技能・技術産業には、一番説得力のある「防災産業」を戦略産業として育成し、自動車に次ぐ輸出商品の一つとしていくことが復興への一つの証になると思われます。防災産業だけに限らず、東北地方を中心とした文字通り「新産業」を起こし、県ごとのタイムリミットと数値目標を掲げて、雇用の場の創造を具体的に図っていくことが必要だと思います。なぜなら、雇用は地域の活力を推測する目安となるバロメーターであるからです。

 

 また、世界随一の防災産業だけでなく、意識して、他の産業にも力を入れ、産業育成を図らなければならないと思います。なぜなら、日本は貧しい国になってしまって、あらゆる分野に注力することができないからです。例えば、日本の国民所得は、1997年には303万1千円でしたが、2009年には約266万円となり、この12年間で、1997年のほぼ1・5カ月分の所得に匹敵する37万1千円も減少して、8分の7になりました(内閣府国民経済計算確報)。また、一世帯当たりの平均所得をみてみると、1994年には664万2千円でしたが、2008年には547万5千円となり、この14年間で、なんと116万7千円も減少して、6分の5に目減りしてしまったのです(厚生労働省国民生活基礎調査)。

 

 

(2)日本全体を視野においた『震災復興院』の掲げるべき方針

 この度の地震により、被災地周辺地域である、日本経済をけん引していた首都圏(東京や埼玉、千葉、神奈川)でも、そして日本全体でも、今後、雇用問題が大きな社会問題となることを私は予想しています。

 

 この雇用問題を具体的に解決するには、リストラという方式ではなくて、賃金ダウンをより強く容認する労使協定の普及と、裁判所の後押しが必要となるでしょう。また、雇用量の増加を促すため、採用人数に応じた企業への減税の実施なども有効であると考えています。

 

 さて、日本全体の復興計画なるものの策定にあたって私への様々な助言を参酌して、私が提案するのは、「平成の震災復興院」です。

 

 「平成の震災復興院」とは、1923年(大正12年)9月1日に発生した関東大震災の際、第2次山本内閣の内務大臣に就任した後藤新平が設立した「帝都復興院」を準(なぞら)えたものです。

 

 私は、この度の東日本大震災のための「平成の震災復興院」は以下の方針を掲げるべきであると考えます。

 

  1. 震災復興院の総裁には小泉純一郎氏を政府は三顧の礼を持って迎え、小泉氏はすべての機関や事業を一本化し、スピード決済・スピード実行を旨とする。
  2. 先に述べた通り、いわば、想定外を想定した世界唯一の「防災科学国家」を目指し、防災産業を今後の主要輸出産業に育てる。 
    また、このたびの震災で日本は国難に直面することになりましたが、次なる国難に備えることが肝要でしょう。それは、日本の領土保全を図り、万全を期するということです。それには防衛産業への注力が必要となるということでしょう。日本全体で防衛産業に従事する企業は多くあると思いますが、これらに対する温かい目をもって接しなければならないということです。この度の震災によって自衛隊が歓迎されるだけでなく、その活動ぶりに地域住民が拍手を送っている実情からして、防衛産業への注力は国民的支持を受けるでしょう。その他、色々な新産業あるいは既存の産業で注力すべき産業を明示する必要がありますが、私はいささか産業論には縁遠い立場の者ですから、勉強して今後述べることがあるかもしれません。
    復興事業の資材調達、アイデア、委託先選定にあたっては支援をしてくれた国すべてに窓を開く。例えば、皆さんが複雑な思いを抱かれている北朝鮮にも窓を開く、という意味です。
  3. 復興投資=教育投資(米百俵の教えと同様)と心得るべし。
    【「米百俵の教え」とは】
    小林虎三郎(1828年8月18日生、長岡藩・現在の新潟県生まれ、長州の吉田寅次郎(松陰)とともに「佐久間象山門下の二虎」と称せられた人物)を描いた故山本有三氏が戯曲として書き下ろした「米百俵」内で、虎三郎が「早く、米を分けろ」といきり立つ藩士たちに向かって「この米を、一日か二日で食いつぶしてあとに何が残るのだ。国がおこるのも、ほろびるのも、まちが栄えるのも、衰えるのも、ことごとく人にある。……この百俵の米をもとにして、学校をたてたいのだ。この百俵は、今でこそただの百俵だが、後年には一万俵になるか、百万俵になるか、はかりしれないものがある。いや、米だわらなどでは、見つもれない尊いものになるのだ。その日ぐらしでは、長岡は立ちあがれないぞ。あたらしい日本はうまれないぞ。……」と語るエピソードのことです。(新潟県長岡市のホームページよりhttp://www.city.nagaoka.niigata.jp/kurashi/bunka/komehyaku/kome100.html
  4. 共同体思想を掘り起こし、更に育成する。
    日本の復興、再生への長い道のりは、社会の中に、共同体思想(すなわち、社会奉仕的かつ社会貢献的な共同体を構成する思想)、共助・互助・相互扶助の精神をどう浸透させられるかにかかっています。このような極限的な状態だからこそ、人は自分のためには頑張れないものですが、他人のためなら力を発揮できるから、共同体思想を掘り起こし、普及し、強化する必要があるのです。それには、多彩なそして多岐にわたるコミュニティー作りが必要でしょう。
  5. 実務的には資金調達が最も要かつ困難であるでしょう。
    EX:
    ・皇室、経団連等の大企業、高額所得者の寄付の促進税制を拡充整備する。
    ・復興外債の発行
    ・高額所得者や法人に復興外債(国債はだめです。国債は早晩破綻するとすでに予測されているから)の購入の義務付け
    ・国民一律10%賃金ダウンの甘受
     なお、東電の関係者は、三分の一の従業員のリストラを行った上で、年間4割の賃金ダウンを行うこと。
    ・公務員にも20%を目標に大いにリストラを図り、かつ、一律に20%の賃金ダウンを行う。例外は許さない。かつて、昭和初期に、裁判官・検察官が、気が狂ったように興奮して大反対をしたような愚は、絶対にしてはならない。

  6. 復興終了年限を明示し、そのときの国家の青写真を国民に提示する。
    その青写真は、国民が高揚感を持てるようにし、かつ実効性のあるものでなければならない。
    そして、復興終了年限は、最大限10年、できたら5年以内を明示すること。
    復興は、一気にできるものではありません。一歩一歩、着実に前へと進めることが大切です。当然、そこには障害があるでしょうが、障害を乗り越えたときこそ、更に前進することができます。障害があるからといって、それにへこたれてはいけません。復興終了年限まで、歩み続けることが大切です。

 

 

【哲学的思索の拡充を】

 被災地の雇用復興、日本全体を視野に入れた復興の方針を述べてまいりましたが、これらを実行し、日本回復を図る・再興をするためには、哲学という学問領域を拡充させなければならないと思います。老子の教えである「足るを知る」といった東洋哲学の真髄を究めるなど、哲学的思索の拡充が、教育の場ではもちろん、日本人全体でこれを見直し、再度勉強する必要があるでしょう。また、哲学だけではなくて、政教分離とはいえども、宗教学をあらためて見直し、道徳等の日本人の原点に戻って再構築を図るべきでしょう。もちろん、神・仏などを勉強することは言うまでもありません。さらに文化の進展を大いに図らなければなりません。すなわち、文化政策等を充実させていくことが必要でしょうし、そのバックアップとして観光行政も一層充実させなければなりません。観光の語源は中国の古典『易経』とも言われていますが、その『易経』に「観国之光 利用賓于王(国の光を観る 用て王に賓たるに利し)」とあるとおり、「観光」とは国の「光」を観ることですから、それぞれの地域の「光」るところをさらに磨き上げることが必要です。

 高井・岡芹法律事務所
会長弁護士 高井伸夫

(次回に続く)

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