(2011年4月4日 朝8:16 東京都千代田区国立劇場にて撮影)
私は、今から48年前の昭和38年(1963年)4月に弁護士になりました。
弁護士として最初に受け持った仕事の一つに、「新日本チッソ株式会社(『チッソ株式会社』を経て、2011年4月1日『JNC株式会社』に名称変更)」の労使関係の案件がありました。相手は合化労連で、委員長は太田薫様でした。
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私は、当時チッソを訪れた際、熊本県水俣市にある湯の児温泉で、『山海館』(電話番号:0966-63-1092)
URL:http://www.sankaikan.com/という旅館に泊まりました。『山海館』は、春の桜が素晴らしく、また、天草諸島及び不知火海の海面は、柔らかな日差しにゆらゆらと煌めき、とても美しかったことを折々想い出します。
【津波=TSUNAMI】
しかし、海は、湯の児温泉の海のような穏やかな表情を一変させて、想像を絶する被害を出す凶暴性をも有することを、この度の東日本大震災(「東北地方太平洋沖地震」から名称変更)において再認識したのは、私だけではないと思います。
そもそも「津波」というのは以下の(注)のとおり、元々は日本語ですが、日本が地震国であるが故に「津波」という言葉は、国際用語となっています。
(注)世界各国のメディアもこの津波による被害について報道しています。いつから「津波」を国際用語で「TSUNAMI」 と使用するようになったのか調べてみると、島根県松江市に住んでいたこともある小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)が、著書『Gleanings in Budda-Fields』に収録されたA LIVING GOD(生神様)の中で、地震後に沿岸の村を飲み込む巨大な波を「TSUNAMI」と現地語の日本語で表現したのが始まりとされているそうです。
そもそも「津波」に正しく該当する英語が無く、1946年にアリューシャン地震でハワイに津波の大被害があった時に、日系移民が「TSUNAMI」という語を用いたのをきっかけに、アメリカ合衆国では「TSUNAMI」が広く用いられるようになったそうです。その後、1968年には海洋学者ヴァン・ドーンが学術用語として使うことを提案され、国際語化したということです。
【福島第一原発事故】
今、世界が最も注目しているのは、原子力発電所問題でしょう。
これは、「科学万能(サイエンス万能)」と謳って、世界最大の原子力発電を誇っていた日本の科学技術にとっては、痛打となっています。
私は、まず、原発問題について、国と東京電力は、「想定外の天災だった」という言い訳をすべきではないと思っています。なぜなら、天災はそもそも、決して想定できるものではないからです。天災が想定外であることは、なかば必然なのです。
例えば、岩手県宮古市田老地区には、海面からの高さ10メートル、全長2400メートルの世界最大規模の津波防波堤がありましたが、この度の大津波は、その防波堤を超えて、更には防波堤を壊して、家や車を飲み込んで行ったということです。堤防施設のような「ハード」面だけで天災を防ぐには限界があったのです。
想定される天災のレベルに対しての「ハード」面の対策をとるのは当然のことで、実際はそれを上回る想定外の災害となる可能性があるのですから、「ハード」面にとどまらず、避難計画など「ソフト」面の対策も備え、あらゆる角度・視点から事故防止策をあらかじめ立案・訓練し、万全に備えておくべきだったのです。
国と東電が対応しているような、後手後手の対応では、震災でただでさえ混乱に見舞われている国民を、更に混乱させ、不安にさせるだけです。事故発生後になってやっと形式上の「災害対策本部」を設置して机上で対策を練るのではなく、事前にあらゆる想定の下、シミュレーションと訓練を重ね、万全の体制を整えておく必要があったのです。国や東電は、これを怠っていたのではないでしょうか。それは重大なる過失と言うべきでしょう。
国との関係を含めて東電に関する今後の対応策の柱を、次回に述べたいと思います。
高井・岡芹法律事務所
会長弁護士 高井 伸夫
<次回に続く>